2021年01月21日

20210121 雨の前に

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物事は、計画している時が一番楽しい。中学生の頃やったように、3:4:5で直角を出す。
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紙の上でコンパスを回すのではなく、荒地の上で巻尺を回す。見慣れてくると、目測で平行や直角を出せるようになる。明日からは、しばらく雨。
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2021年01月14日

20210114 見切り発車

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 年が明けて、昨年末の問題を冷静に解決する方法を模索しはじめたところ、解決の光明が見えてきた。最も深刻な問題は、私が農家資格を失ったことである。しかも、それが役所内での連絡のタイミングによって起こったこと、それを出先機関が認めないことである。私に非はない。資格を剥奪されるようなことはしていない。出先機関の「指導員」を名乗る職員は、地元の農家からの嘱託であって、試験に合格した公務員ではない。関係法規を熟知しているわけではなく、ほぼ慣例に沿って仕事をしているので、特殊な事例の場合は指導内容が正確でない可能性がある。その指導を鵜呑みにすると今回のように資格を失うという事態にもなりうるが、かといって指導を無視すると法律を厳密に適用して抑制的な対応を取られることになる。

 抑制的な対応とは何か。例えば農地法には農地利用についてほぼ具体的に規制内容が書かれているが、曖昧な点も残されている。最も多く問題になるのは「肥培管理」と「周辺環境」に関するもので、これは本来、耕作放棄したり放任したりして田畑を荒らしたり、畦や土手などの境界部分を手入れせずに周囲に悪影響を及ぼすことを防止するためにある。しかし、これを厳密に適用すれば、肥料や農薬を使って作物に管理が集中できているか、隣接する作物と交配して異常な品種が生まれないかを厳密に問うことになる。つまり、自然農や在来品種の栽培を合法的に規制できる仕組みになっている。文言を厳密に解釈すればするほど、農作の自由度は失なわれる。その匙加減は担当者が決めるのである。もちろん私は13年間撃たれ続けたので、それを回避する方法も熟知しているし書面として持っている。私のやり方で実際に外部に影響を与えたことがないのは、JAの地元技術チームも農業委員会事務局も把握しているところである。しかし出先機関の指導員が一定の判断を下した場合、本庁からそれを覆すことは難しい。このようなことがあるので、農家は農業指導員に頭が上がらない状態になっている。できるなら触らずに済ませたほうが良い。

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 今回の光明は、思わぬところからもたらされた。農業委員会とは全く異なる部局、建築住宅局建築指導部安全対策課であった。昨年末、私は建築確認書を閲覧するために、その隣の建築安全課を訪れていたのだが、購入しようとしていた中古住宅の敷地の前面道路が、「建築基準法上の道路」に該当するかどうかを調べていた。その結果、書面の間違いを偶然発見してしまったのである。建築計画概要書に記載されていた道路規格では、その道路は建築基準法を満たしているとされていたが、神戸市のデータ・ベースによると満たされていなかったのである。この食い違いがどのような結果になるか、つまり私が購入して代金を支払っても、開発許可その他の関係で私が住居として使えないのではないか (その時点では、別の部署で開発許可が必要と言われていたので) 、それを危惧したのである。結果的には、農家が農家住宅を買う場合は開発許可が必要なく、道路の規格は関係ないことが分かったのだが、書面の記載が実際と異なるという問題は持ち越された。私は購入予定の土地について正確に知っておきたかったので、その調査を依頼した。その返事が、年を越えて先日、安全対策課からもたらされたのである。

 その返事は、開発許可の是非については、書面ではなく実態を基準に判断するので、この物件を開発する場合、土地に接する道路を拡幅舗装して、市が建築基準法上の道路として認めなければならない。それをやろうとすると、かなりの距離、しかも隣接する農家の庭と田んぼを削っでまで道路を作らなければならなくなり、ほとんど現実的ではないということだった。つまり、家を持っていない農家が住宅として購入する以外に取引の現実味はないという。

 「それはそうとして、この空き家をお買いになるのですか」と担当者が訊くので、私は事情を説明し、現在農家資格が切れた状態になっていて買うことができないと答えると、「つまり農業委員会の連絡の行き違いで、農地を借りることも、空き家を買うこともできなくなっているというわけですね」・・・部局が違うのに妙なことを訊くなと思っていると、要するに安全対策課では空き家対策も業務としていて、ほとんど農村が対象であることから、農村全体の問題について部局を越えて連携する動きがあるというのである。

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 その結果、驚くべきことが起こった。建築住宅局建築指導部安全対策課のこの若い担当者は、部局を越えて農業委員会事務局の同僚に事情を説明し、同僚は出先機関の同僚を通じて私が嘘を言っているわけではないことを確認し、単なる事務手続きの行き違いを訂正して私の農地利用権設定書類を受け付けるべく、当局が待機するように取り計らってくれたのである。そんなことができるのか、半信半疑ながら私は返送されていた書類を、出先機関ではなく、本庁のその同僚宛に郵送した。書類に不備はなかったので、正式に受理して手続きに入ったことが、さきほど電話で知らされた。「空き家を一つでも減らし、遊休農地を再生させ、獣害対策に寄与する人の意思を阻むなんて、行政のやることじゃありません・・・」神戸市もまだまだ捨てたもんじゃない。これで「三つの事情」の二つが解決され、残すは「村の厄介者」が家を持たないこの哀れな百姓に交渉権を戻してくれることだけになった。とりあえずこれで13年の空白を作らずに済んだ。

 ・・・しかし・・・もし仮に、例の「村の厄介者」があの空き家を買うことに固執し、家主がトラブルを恐れて彼に家を売ってしまったら、そして今の家主が私に立退を要求したら、私はあの農地を耕作するために遠方から通わなければならなくなるかもしれない。その場合、「適切な距離」を継続の条件としている利用権設定が更新されなくなり、結局元の木阿弥になる。集落の1/3近くが空き家で、耕作放棄地は増える一方なのに、売らない、貸さない、使わせないという村民の意識が変わらない限り、志を折られて去っていく移住者はあとを絶たないだろう。その一方で移住促進事業は進められている。しかもその主要メンバーに、その「厄介者」の甥すなわち空き家の直接の購入者が含まれているのである。彼ないし彼の家は、あの家を買ったところで放置するしかない。関係法規を熟知していないため、自らが移住促進事業の妨げになっていることにすら気付いていないのである。まずは客観的事実を正しく理解すること、その謙虚な気持ちがなければ、どのような事業も成立すまい。・・・考えていても仕方がないので、とにかく畑の草を撤去しはじめる。

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 広い畑に鍬を入れるとき、あまりに広いと気持ちが負けてしまうので、小さく区切って目に見えるようにロープでも張ってやるのが良い。この圃場の上面の平らな部分全体の広さは約1,400平米、怒手際と山際にある程度干渉帯を設けるとして精々一反の広さであるから、朝夕2時間ずつ作業したとして、全体を耕し終えるのに一週間、真ん中は猪がだいぶやってくれてるんでちょっと楽、際は太゛いススキの根がいっぱいあるんでこれを撤去するのが苦、疲れその他を考慮に入れて今月中には形にできるかな・・・


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2021年01月04日

20210104 新年明けまして・・・

 2021年は、これまで13年かけて上り詰めてきた山道を踏み外して谷底に転落し、両手両足が折れたも同然でのスタートとなった。クソったれめ。昨年末に連鎖的に起こった事実を整理すると概ね次のようになる。どうか、これから百姓を目指して農村に住もうと考えている皆様、どうか、私と同じ轍を踏まれることのないよう、十分な上にも十分に注意して、周囲の安全を確認の上にも確認を怠らず、一挙手一投足、細心の慎重さをもって望んでもらいたい。私はすでに農家ではない。従って新たな農地を借りることもできず、母と妹を呼び寄せて三人で暮らすという計画も絶望的となった。私が農業者に戻るには新規就農研修から始めなければならず、それにはおよそ三年の年月がかかり、所定の複雑な手続きと、恣意的に運用される審査に合格しなければならない。そもそも研修機関が私のような老人を受け入れる可能性は低い。なぜなら研修機関といっても指定された農場であって、都合の良い労働力としてタダ働きさせられることになるからだ。研修機関は遠く、夕方からのバイトなんてとても無理だ。生活が成り立たない。こんなことになったのは大体次の三つの事情が複雑に絡み合った結果である。


 ひとつめの事情。昨年の9月に、借りていた農地が乗っ取られたあと、本来は賃借権の確認を求めて地主と争うべきところを、それを取り戻してもまたトラブルが続くことに嫌気が差し、農業委員会の出先機関に相談した結果、身を退いて合意解約の手続きを取ることにした。同時に、前から付き合いのあった別の農家の農地を借りる合意を取り付け、そちらに借り換える手続きを取ることで、農家資格を継続させようと考えた。11月に、従来の農地を解約する書類と、新たな農地を契約する書類を持って、地元の農業委員会の出先機関を尋ねた。応対した指導員に事情を説明し、農地契約が連続するようにと念を押した上で、二つの手続きを同時に依頼した。なぜなら農地契約に空白期間が生じると、私は農家資格を失うからである。しかし指導員は、おそらく話を聞いていなかった。解約手続きの書類を本庁に送り、その返事を待ってから、新たな農地契約の手続きに入ったからである。その結果、解約書類を本庁が受理した段階で私の農家資格は喪失し、本庁はその後に届いた新たな農地契約を、資格なしとして却下した。農地解約の確認書は一週間ほどで私の元に送られてきたが、その時点で私は農家資格が失われているとは思わなかった。合意文には12月末で明け渡すと明記してあったからである。農地契約に関する書類が来たのは12月の中頃のことであった。迂闊なことに、私は三人で暮らす家を買う手続きを知るのに忙殺されていて、その中身をよく確かめなかった。しかしそれは、この農地契約は無効であるとして返送されてきたものだったのである。それに気がついたのは、家の件で市役所を回ることにした12/25だった。農家物件を購入するために農業者資格証明書を得ようとして、その申請をしたときに係員から告げられたのである。私は直ちに不服を申し立てたが、本庁でも出先機関でも決定を覆すことはできなかった。出先機関では「言った」「言わない」の応酬となって、指導員は頑として自分の非を認めなかった。周囲の職員も事情を知っているはずだが、誰も呼びかけに応じなかった。


 ふたつめの事情、母と妹を呼び寄せて三人で暮らす計画実現のため、市街化調整区域にある中古住宅を私が賃借したり買い取ったりできるかどうか、できるのであれば具体的な手続きの詳細について、11月後半から調べにかかった。その複雑なことはプロの不動産業者でさえ手を出さないほどのもので、これを一般人が正しく理解することは非常に難しい。いくつもの法律が絡み合っており、それぞれに優先順位がある。それらを管轄する役所の部署も多岐に渡り、机上やインターネット上の調査では限界がある。自分で出来ることを調べ尽くした上で、建築確認書や不動産登記簿の原本を閲覧するために役所回りをしたのが12/25であった。現在市役所は建て替え工事中で、関係部署はバラバラに市中の雑居ビルに散らばっている。事実を確認するだけでも難航に難航を重ねた。各部署の相矛盾する見解を糺し、市街化調整区域内に立つ未登記の農家住宅であっても、登記された土地の接道している道路が建築基準法上の「道路」要件を満たしていなくても、農業者が営農するために居住することが証明できれば、開発許可も必要なく、賃借や購入することになんの問題もないことが分かったので、希望に満ちた気分で、最後に農業委員会の事務局を訪れた。先に述べた、農業者資格証明書の申請をするためである。その場で、私は11月に農家資格を喪失していることを知らされて愕然となった。持参してきた新たな農地契約書を開いてみせた。そこに「不受理返却」という旨のメモが添えられていたのを発見して呆然となった。直ちに不服を申し立てたが相手にされなかった。全ては自分で手続きしたこと、確かに書面ではそのようになっている。反論の余地なし。そのまま年末休暇に入って時間切れである。


 三つめの事情、件の中古住宅の家主との交渉はとんとん拍子に進んだ。11月末にそれまで荷物を置いていた人が全ての荷物を片付けたので、私は建物に入ることを許された。屋根裏から床下まで調査し、プロの業者にも見積もりを頼んだ。建物は、少しシロアリの被害があるだけで、大きな補修工事の必要もなく十分使用に耐えるしっかりしたものだった。費用の概算が出たので、12/23に直接家主と会って具体的な詳細を話し合うことにした。近隣の住人達も歓迎してくれていた。空家対策になるし、遊休農地は解消されるし、独居老人ばかりなので安心にもつながるし、地域の活性化にもなる。これまで村に存在しなかったタイプの家族が生まれるのだ。ところがその直前になって、隣家の娘から「待った」がかかった。この娘の嫁ぎ先は、あろうことか、私が13年前にここへ移住してきた後、三年の研修を経て新規就農の手続きをしようとしたときに、それを徹底的に妨害した元農会長の親戚である。もちろんそんなことを私が知る由もない。その家は、昔は功なり名を遂げた家柄であるが、今では過去の栄光を笠に着る厄介者になり果てていた。様相は一変した。一人として近所に住んでいる者がないにも関わらず、少なくとも5つの「親類」が現れて私の移住に反対しはじめた。そもそも、なぜ隣家の娘が我々の取引を止めるのか、さっぱりわけがわからなかったが、家主はその意向を無視できなくなった。交渉は彼らに優先権が与えられた。12/26のことである。私は理解に苦しんだ。あの住宅を使う予定のない者が購入したところでどうなるものでもない。農家は農家住宅を複数持つことができないので、あそこを購入できるのは、家を持っていない農業者だけである。厳しい立地条件から、壊して更地にしたところで開発許可も降りない。つまり、放置するしかないのだ。その後、噂を聞いた村人達の話から、その元農会長が、自分に断りもなく村の土地を買うとはけしからんと言っていることがわかった。家のない者に家を世話してやったというのであれば、さすが立派な人だ立派な家柄だと称えられるであろう。しかし、纏まりつつあった商談を横取りしてしまうとは、全くいただけない話だ。しかし村の有力者の決定である。誰も手が出せない。家主も動けない。交渉は先送りされたまま年を越した。やっぱりこの村はクソなのか・・・


 この三つの出来事が、もし仮に巧妙に仕組まれた罠だったとしたら、実に見事なお手並みという他はない。私には、もはや打つ手がない。今の家主と対立している以上、立退を要求されれば農家資格のない私は退去するしかない。ここは市街化調整区域の農用地内である。法的に対抗できないのだ。なんということだ。私は百姓でありたい。たったそれだけのことが、なぜこうなるのであろうか。13年もゴタゴタばかり続くのはなぜか。私が悪いのか。この村はやっぱりクソまみれなのか。他の新規就農者は、なぜあんなに幸せそうにしているのだろうか。どうすれば、次の一歩を踏み出すことができるだろうか。突然のことで気持ちの整理がつかず、まだ解決の糸口が見出だせない。

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2021年01月03日

20210102 13年前に転落複雑骨折

 2021年は、これまで13年かけて上り詰めてきた山道を踏み外して谷底に転落し、両手両足が折れた状態でのスタートとなった。くそったれめ。この年末までに理解した私の現状をまとめると次のようになる。どうか、これから百姓を目指して農村に住もうと考えている皆様、どうか、私と同じ轍を踏まれることのないよう、十分な上にも十分に注意して、周囲の安全を確認の上にも確認を怠らず、一挙手一投足、細心の慎重さをもって望んでもらいたい。

 私はすでに農家ではない。農家資格は去年の11月にすでに喪失していた。従って、新しく借りる予定にしていた農地を借りる資格もない。そのために申請してあったすべての書類は返却された。農地を借りている実態がないので、農業者証明書を取得することができず、家族三人で住む予定にしていた空き家を買ったり借りたりする資格も無くなった。従ってそのために手配してあった全ての工事予定をキャンセルせざるを得なかったばかりか、売主にも突然の反故を申し入れることになった。現在借りている部屋も、立退要求があれば、農家資格のない私は法的に対抗できないので、村を去ることになる。これがもし、意図あって仕組まれた罠だったとしたら、全く見事なお手並みというほかはない。結論から言って、私はおとなしく百姓を諦めて村を出るしかない。

 直接的な原因は、地域の農業指導員が、手続きの説明を誤ったためだと私は理解している。つまり、昨年借りていた農地は9月に乗っ取られたので、解決策として地主に合意解約を申し出、11月にその合意ができたので申請し、12月に農地を明け渡す。同時に別の農地を借りる打診を9月から始め、これも11月には合意し、整地を含めた工事を12月から始める予定であった。そこで、農地を解約する書類と、別の農地を契約する書類と、聖地見積書や計画書を同時に提出して、私の農地契約に断絶が起きないように念を押した上で、手続きの実際について指導を仰いだのである。しかし、指導員は、おそらく話を聞いていなかった。解約手続きの書類を本庁に送り、その返事を待ってから、新たな農地契約の手続きに入ったのである。その結果、解約書類を本庁が受理した段階で私の農家資格は喪失し、その後に届いた新たな農地契約を、資格なしとして却下した。それを私が受け取ったのは12月の半ばであった。直ちに抗議したが全く聞く耳を持たなかった。「言った」「言わない」の水掛け論が続き、事態を解決に導こうとする空気が全くなかった。指導員は態度を硬化させ、自分は間違っていないと主張した。周りは萎縮して、誰も関わろうとはしなかった。この出先機関からでは、本庁の手続きを撤回させる方法はなかった。

 農地を乗っ取られた理由は、私の農作と地主の農作とが相いれぬものだったからである。私は地主に農地を借りている。正当な手続きを経て合法的に借りているのではあるが、地主にしてみれば勝手放題やって農地を荒らしているに過ぎない。きっかけは隣家が、農地をJAから村の篤農家に貸し変えしたことである。それによって水の流れが変わり、地主の畑が水浸しになり、そこを借りていた人が換地を願い出たので別の人が借りていた農地へ、その人をまた別の人が借りている農地へとたらい回しが行われ、気がついたら私の農地が潰されてしまっていたのである。本来、私は不服を申し立てるべきであったが、これまでの地主のやり方を見ていると、現状回復しても元の木阿弥、ここは争わずに身を退いた方が得策と思ったのがいけなかった。合意解約の手続きで危ない橋を渡ることになろうとは、しかも叩いて渡ったはずの橋を踏み外すことになるとは、全く予想だにしなかった。

 その当時、私は母と妹と三人で暮らすための家をようやく探し当て、その家主との交渉も上首尾に進み、あとは細かい条件について詰めるだけになっていた。農地契約の却下という、全く予期しない出来事の事実確認に数日を取られ、とりあえず手配済みになっていた農地の整地予定をキャンセルし、地主に事情を説明し、新しい家を借りたり買ったりできるかどうかの確認作業に入った。市街化調整区域の農業振興地域で、農家資格のない人間が中古住宅を購入できる可能性は、ほぼゼロに等しかった。問題が複雑すぎて、自治体の窓口も複数に及び、関係する法律も多岐にわたる。それぞれがどの部署で管轄しているのかを調べるだけでも時間がかかり、それぞれの結果の矛盾を解くのに、何度も本庁まで往復した。しかも、現在市役所は手替え工事中で、関係部署はバラバラに市中の雑居ビルに散らばっている。事実を確認するだけでも難航に難航を重ねた。同時に農家資格の確認についても交渉したが、結果は、打つ手なし。そのまま年末休暇に入って時間切れである。

 これら全てのことを準備し、理解し、諦めるまでに長い時間と多くの費用がかかったが、それらが全て水泡に帰したばかりか、私自身が13年前の木阿弥に突き落とされることになった。しかも13年前と今とでは新規就農政策が違うので、その研修すら難しい。つまり、現在では就農研修を受けられる機関は指定されていて、一般の農家では認められていない。しかし指定研修機関は、研修生を人件費のかからない労働力と看做しているから、私のような高齢者を受け入れたがらない。受け入れられたとしても、神戸市の東の端に住む私は、西の端の農場へ行くか、兵庫県北部まで毎日通わなければならなくなるので、夕方からのアルバイトで生計を立てることすら困難になる。もはや万策尽き、いくら望んでも農家になれない可能性が非常に高くなってしまった。これら全ては、私には全く知らされず、突如として連鎖的に起こった。自分が足を踏み外して谷底に転落していることにすら全く気が付かなかった。調べ尽くしてようやく分かったことだ。悪夢を見ているとしか思えない。

 と同時に、この家に関して、さらに新たな横槍が入って問題を複雑にした。家主を含め、近隣の人たちからは歓迎されていた。隣接する有休農地を借りて畑にすることによって近隣の人たちの憩いの場とする計画まで持ち上がっていたくらいだ。家も放置されていた割には傷みは少なく、簡単な補修で十分活かせる状態だった。しかし、家主と直接会って具体的なことを決めようという前々日になって、隣家の娘からクレームが入ったのである。この娘は、何という巡り合わせか、私の農家登録を最後まで妨害した農会長の親戚に嫁いでいた。この家は、昔は功なり名を遂げて、この村の成立に貢献し歴代村長を務め、さらにこの地方を走る鉄道の創業者まで出した家柄である。しかし、今の代になっては、その過去の栄光を笠に着て方々へ口出しし、新しい動きを潰して回る厄介者になり果てていた。よりによって、この家が私たちの計画をつぶしに来たのである。

 間接的な原因は、そもそも13年前にこの村へ移住してきた時まで遡る。村の人間でない家主は村の排他的なことに配慮して、私を空き家住み込みの管理人として雇ったことにした。従って、住民票は移したものの、自治会には家主の代理として顔を出し、独立した世帯としては加入しなかった。しかしこれがかえって逆効果となった。村人としても私をどう扱って良いか戸惑ったであろう。すぐに排斥されはしなかったが、存在を認められもしなかった。結局この中途半端さが長く尾を引くことになる。

 2007年に移住してすぐに家主の田圃を借りて百姓の真似事を始めたが、敢行農法から有機農法へ家主の関心が移り変わる時期で、私もそれに倣うことになった。しかし私はそれだけでは飽き足らず、結果的に自然農へ近づくことになり、三年後には、ほぼ自分なりのやり方を掴んでいた。2010年、ここに骨を埋める覚悟ができたので、最後の旅行にと思って4ヶ月かけて世界一周をした。春に帰国してから、昼は百姓仕事、夜は近所のスーパーでバイト、という生活パターンが確立し、今もそれは続いている。

 その頃までは、農家から田圃を借りて百姓仕事をするのに、公的な機関の許可が必要とは思ってもみなかった。地主との合意で十分だと思っていた。しかし、それはとんでもない間違いで、懲役三年、罰金300万円の科料のついた立派な違反行為である。村には、少しでも従来と異なるものを見つけると、ほじくり返して叩き潰したがる人間が必ずいる。私の農作は、周囲はおろか、地主のやり方とも全く違ったものになっていた。しかも、自治会に加入してもいない者が農地を使っているのだ。それを通報され、農業委員が来て行政指導されることになった。そのとき初めて、農作をするには市の許可がいることを知った。しかし、それにまつわる法律は、道路交通法のように、誰がどこからみても分かりやすくは体系化されていない。法律の条文は難解で、解説や指導なしに理解し手続きすることは難しい。しかし、行政機関としての農業委員会はともかく、各村の出先の委員は地元の農家であるので学識があるとは限らず、「和」の精神をもって物事に対処するのが常である。しかも許認可権は事実上彼らに委託されている。こういう態度に対して、私は本能的に「理」をもって対抗しようとする。今から思えば、これが全くいけなかった。

 農地にまつわる法律、というか、農家ではない者が農家になるための法律は複雑怪奇を極めている。生まれも育ちも農家であれば、それらは全て「家」に備わっているので、何も意識することがない。しかし、農家でない者が農家になろうとすると、タマゴとニワトリの堂々巡りを前に立ち往生する。農家でなければ農地の利用は許されない。農地を利用している者が農家資格を有する。農家でなければ農家住宅を借りたり買ったりできない。農家住宅を借りたり買ったりするには農地を利用している証拠が必要である。しかし農地を利用するには農家である必要がある・・・つまり農家でない者には入口がないのである。農家になりたければ、橋の下にでも三年野宿して研修機関に通い、それを終了して農地の斡旋を受けてこれを借り、営農計画書・農地を貸す書類・借りる書類・自治会がこれを認める書類・農会が認める書類、という5通の書類を揃えて農業委員会に提出し、これが受理されれば一年の経過観察を経て、問題なければ新規就農者の資格が得られる。この艱難辛苦に耐えて、ようやく農村に住む処を得る資格ができる。これで村の最底辺に引っ掛かることができる。

 しかし、そのような仕組みになっているということは、逐一尋ねなければ教えてくれない。5通の書類のうち、一つでも欠ければ全て無効である。このカラクリを知るのに三年、私の場合、2007年に移住してからの期間を研修として認めてもらえたので、書類の入手までは出来たものの、当時の農会長が、その任期中の押印を頑なに拒んだたために、さらに三年を空費し、正式に農家登録が成し遂げられたのは2017年、移住してきてから実に10年後のことであった。よりによって、隣家の娘がこの家に嫁いでいたのである。そして私たちを取引から排除したのである。

 要するに、この村は余所者を嫌うのである。挨拶もせずに勝手に住み着いた者、勝手に農地を使い始めた者、周囲の農作とは異なるやり方をする者、ある者をみんなでいじめようとするときに同調しない者、全会一致とするべきなのに異論を唱える者、持論を通して老人を怒らせ死に至らしめた者、過激派、共産主義者、チヨーセン人、人殺し・・・とにかく存在が許せない。それが今回、村の空き家を買って家族と住もうとしている。村の遊休地を借りて農作を広げ、いっぱしの百姓ヅラしようとしている。これはなんとしても阻止しなければならない。この年末に連鎖的に発生したことが、もし意図あって仕組まれたものだったとしたら、私はまんまとその罠に落ちてしまったことになる。全くお見事というしかなく、敵ながらあっぱれ至極。現状では、二重にも三重にも縛られて、身動きすらできない。公正であるべき行政機関が、かくも恣意的に動かされるとは、こんなことが通ってしまうとは、農村というものは、本当に恐ろしいところである。それでもあなたは、田舎暮らしを望みますか ??

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2020年12月30日

20201230 Social Distance

 あのなあ・・・頼むからスーパーに大挙して買い物に来るのはやめてくれ。一家族一人にしてくれ。お父さんは荷物運び頼まれてんのやろけど車で待っててくれ、携帯電話があるやろ、買い物済んだら出口まで迎えに来て車に積み込んでくれたらええやん。特になあ、買い物に付き合わされてるお父さん、ここはあんたの会社とちゃうねん、あんた会社では重要なポスト担うてはるやろから誰も決して邪魔者扱いせんやろ、しかしな、そこで腰に手当てて仁王立ちされたら通路の邪魔になってしょうがない。そこで人が滞留する、こっちも商品を補充する邪魔になるし、お客さん相手にどいてくれて言われへん。頼むから子供連れて外で待ってて寒いやろけど。それからなあ、レジに並ぶ時だけ間隔あけるんちゃうねん。店の中は全部やねん、かまぼこはようけある。えびもようけある。群がらんでも行き渡る。ちゃんと仕入れてちゃんと出してるから慌てるな。それにな、なにもかまぼこやえび食わんかて時間が経てば年は明ける。今回くらいええやないか。ついでに言うけどな、商品に触った手が汚染されてるかもしれんから消毒したいのはわかる。でも使ったウェット・ティッシュその場に捨てるのはやめてくれ。くしゃみした後マスクを交換したいのもわかる。でもその場に捨てるな。掃除専門のスタッフ置けるほど余裕ないねん。拾うんは我々やねん。拾ったその手で次の商品出すねん、それは仕方ないねん。ええか、あと一日ある。頼むから認識を変えてくれ。ここは戦場やねん。しかも最前線や。もろに三密で空調も追いつかへん。でもそんなこと言うたら客こんようになるから「いらっしゃいませ」言うてんねん。1日一万人超える来店客数の中から一人でも陽性者でたら休業やねん、そないなったらみんなの毎日の買い物ができひんようになるんやで。店は、今は遊びに来るとこちゃう。戦場や。俺はまだ死ぬわけにいかん。だからみんなで守らなあかん。わかったか ??

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2020年12月25日

20201225 治らぬ怒り

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 農業を志して農村に家を確保しようとする場合、非常に困難な問題が待ち受けるので、それについて書いておきたい。これは神戸市の場合なので、自治体によって事情は異なるかもしれない。

 農村に家を買ったり借りる場合、ほとんどが市街化調整区域にある農家住宅が対象になる。農家住宅とは、農業を営むためにのみ認められた、都市計画法に基づく住宅のことであり、外見を問わず建築確認で用途が決められており、一般住宅の形をしていても農業者でなければこれを買ったり借りたりすることはできない。

 目指す住宅を購入する場合、まずは法務局でその物件の地番を特定し、土地や建物の登記がどうなっているかを調べる。これは通常の不動産取引でも最初にやるべきことである。抵当権が設定されているなどの問題がなければ、その自治体に問い合わせて、その場所が都市計画法による市街化調整区域にあるかどうか確認する。そして、市街地と市街化調整区域を線引きした日付を確認し、市役所でその建物の建築確認の日付を見て、それが線引きより前か後かを確認する。

 線引き以前の場合、線引き以後に改築されていなければ農家でなくても一般人でも購入できるし、一定の条件のもとで建て替えや開発もできる。しかし実際には築年数が高くて傷んでいる物件が多いので、補修する費用が大きくなって実用的ではない。線引き以後の物件については、後で説明する。

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 これから新規就農をする者が農村に住宅を求めることは、線引き以前の良好な物件に巡り合わない限り、事実上不可能に近い。それ以外はモグリである。私の場合、現在借りている農家の、住み込みの空き家管理人という立場で移住した。しかし、それが原因で正式な村入りが遅れ、就農手続きも遅れ、結果的に村八分状態となり、今回の事態を招いた。また、同じことを考える多くの人は、何の届けもせずに住民票だけ移している。いずれにせよ、家主が立退を要求した場合、法的には対抗できない。まずは、なんとかして新規就農の手続きをとって、農家資格を獲得することが先決となる。

 しかしここでも何度も触れたように、農家になるには、指定された研修期間で2年ほどの研修を経て合格し、実際に農地を確保して1年間問題なく営農していることを農業委員会に認めさせなければならないから、これだけで3年の年月がかかる。こうして初めて農村に農家住宅を確保する目処が立つ。この時点で、農家住宅を賃借する権利は問題なく発生する。

 市街化調整区域にある農家住宅のうち、使える状態のものはほとんどが線引き以後に新築または改築されている。この場合、購入するには農業者証明書が必要になる。これは新規就農して少なくとも一年以上、問題なく営農している実態を農業委員会が認めて初めて得られる。農家資格とは、新規就農の手続きをしても農地台帳に名前が載るだけで、資格証明書の類はない。農家住宅を購入したり新築したり改築したりする場合、その都度証明書の発行を申請することになる。そのうえで、営農している農地が集落内にあることが事実上の認可要件になるので、その図面と貸借証明書が必要になる。また、農家は、一世体当たり農家住宅を一軒しか持つことができないので、事前に仮住まいしているのであれば、それを証明できる書類が必要になる。

 これで手続き上は農家住宅を購入できる。購入した後、必ず法務局で土地や建物の登記をしておくことを忘れずに。これをしておかないと、もしもの時に所有権を主張できない。また、市街化調整区域とは、開発を抑制する意図で設定されているので、農家として営農するために建てられた農家住宅を、ほかの目的に使ったり、壊して更地にして投機対象にしようとすると、様々な規制がかかって、その狭間に落ちるととんでもないことになる。その複雑さはプロの不動産業者も手を出さないくらいなので、我々の考えるべきことではない。

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 さて、以上のことだけであれば、さほど複雑とは思われない。しかし世の中では様々に不正確な情報がまかり通っており、混乱の原因になっている。それは、都市計画法・農地法・農振法・建築基準法・借地借家法・不動産登記法など、多くの法律の網の目に足を掬われて奈落の底に落ちる人が多いからである。不正確な情報は、それらに陥った人の遭遇したケースの一部分が一人歩きしたものがほとんどである。

 曰く、未登記の建物を購入したら開発許可の申請を求められ、許可が得られなかったために使用できなくなった。曰く、属人性をクリアしても接道義務が果たされていなければ開発許可は降りない。曰く、農業振興地域に指定されている場合、宅地であっても親族にしか所有権が認められない・・・市役所・農協・不動産業者・・・それぞれに言うことがまちまちなので、最終的には全部羅列して各部署の最も信頼できる機関に問い合わせることが大切である。正面突破せよ。

 というわけで昨日、外出自粛が激しく求められている中、それでもクリスマスムードいっぱいに花咲く三宮界隈を、プロでも手を出さない頭の痛くなるような案件を解決するために走り回ったのでありました。感染予防の観点から車に自転車を積んで移動し、三宮で最も安いパーキングに1日駐車して、自転車で神戸の街を走り回りました。

 そして最終的に分かったことは、なんと、私の農家資格が既に切れてしまっていることでした。以前、農地を乗っ取られた時に、問題を穏便に解決するために農業委員会に相談したのですが、争いを避けて合意解約の手続きを踏んだのでした。書類には三つの日付を書く欄がありました。解約を申し入れた日・解約が成立した日・農地を明け渡す日。それぞれ、地主が作付けをしていることを確認した日・解約合意ができた日・賃借料を支払う期限、と説明されたので、その指導に従って日付を入れたのでした。私の常識では、賃借料を支払ってある限り、契約は有効なはずです。したがって今年の末まで私は農業者であるはずでした。しかし農業委員会の見解は違います。解約の合意が成立した時点で、申し入れた側は権利を失うのです。すなわち私はすでに農家ではなく、農地利用に空白期間が生じているため、新規就農の研修から3年間のプロセスを、もう一度やり直さなければならないのです。なんということだ。年内に問題を解決して、年明けから再出発と考えていたのに、そのスタート・ラインが13年も前に引き戻されてしまったとは・・・それもこれも、決して私が望んだことではない。問題を穏便に解決しようとして、関係機関に相談し、その指導の通りに手続きしたのだ。即刻、私は不服を申し立て、農家資格の継続の確認を求めることにしたが、そのような書式はなく、これからの戦いになります。でなければ、もはや行政に従うつもりはない。実力でやるべきことをやるまで。こうしてまたひとり、いらぬテロリストが養成されてしまうのである。

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 怒りがおさまらん。住むところがなければどうやって農業をするのか ?? 普通の人が常識的に考えてそうだろ ?? しかし農業委員会の常識は違うのだ。農地があってはじめて住処を確保させてやる。この堂々巡りは農業への入り口からして同じだ。つまり、農家でなければ農地を使えない。農地を使っている者を農家と認める。完全に閉じているのだ。ムラ社会のように。まるで鶏と卵の議論と同じだ。もういいかげんにしたらどうなんだ。ここまで穏便に、注意深く、最大限の忍耐を持って対応してるのに、馬鹿なことばっかり抜かしとったら本気でブチ切れるぞ !!

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2020年12月17日

20201217 The Great Conjunction

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2020年12月10日

2020年12月05日

20201205 Mac OS 11 "Big Sur"

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 爽やかな青空続きだというのに、私は地下に潜ったり白蟻の足跡を追い回したり、今日は断続的に昨夜発生したMac OS 11によると見られるトラブルと取り組んでいる。OSをアップグレードしたら、アドレスブックが吹っ飛んだ。アップル・サポートもお手上げの事例で、多分ファイルが破壊されて修復不可能との診断だったが、もちろんバックアップは取ってあるので、またしてもかなりキワドイ裏街道を早駆けしてなんとか解決した。Mac OS 11 ≪ Big Sur ≫ は、さまざまな初期不良が報告されているが、私の場合それらには見舞われなかった代わりに、まだネット上でも報告されていないこのような症状で仕事の手が止まった。まあいつものこっちゃけど、あっぷるさんあんじょうたのんまっせほんまに・・・

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 Mac OS 11上の「連絡先」アプリケイションを立ち上げると、殆ど全ての連絡先カードが白紙になっていたものである。バック・アップから復元しようとすると、「読み込みますか」の質問に対してどう答えてもエラーを起こし、脱出できなくなる。ファインダーより強制終了。

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 解決方法の結論のみ。バックアップフォルダにあるMacintosh HD - Data / ユーザ/ ユーザ名/ ライブラリ・・・と進むのだが、ここが裏街道への闇の分岐点で、「ユーザ名」を入れた段階で、ファインダーウィンドウではなく、プルダウン・メニューから「option」キーを押しながら「移動」を選ぶと、その時だけ「ライブラリ」が表示されるので、そこから入る。これは技術者でないと知らないやり方。その後、ファインダーウィンドウで Application Support / AdressBookと進んで、これをタイムマシンを使って復元する。まだ検証されていないバグと思われるので解決してアップルちゃんへレポート、さてバイト行くか・・・

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2020年12月03日

20201202 Ufip Ritmo C-R. 20

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 ヤフオクでシンバルをポチってしまった。私はなんと我慢のない人間だろう。たいしてドラムを叩けるわけでも、お呼びがかかるわけでもないのに、還暦バイト風情が何十枚もシンバルを持っている。このこと自体異常なのに、また買うか ??

 手元にパール楽器製造株式会社の1976年のカタログがある。私が16歳、つまり高校生の時だ。もちろんドラム・セットなんて買えるはずもなく、ただカタログを見てはどんなセットを組むか空想していただけだ。巻末にシンバルのラインナップがある。スイスのPaiste、これにはFormula 602・2002・Dixieという3つのシリーズがあって、Yamahaが標準でカタログに載せていたアメリカのA.Zildjianと双璧を成していた。

 当時は、今のように楽器の大型量販店などはなく、ドラムのことは街の楽器屋か、難波に今も社名を変えて現存する老舗、中田楽器で尋ねるしかなかった。それでさえ、シンバルなど注文しなければ見ることもできず、たまたま入ったものがハズレでも買わざるを得なかった。しかも高い。Paiste Formula 602など20インチで5-6万はしたし、A.Zildjianでも4万円近くした。Paisteは総じて均質だったが、A.Zildjianの当たり外れは凄まじく、よっぽどのツテでもないと代理店の不良在庫をつかまされる世界だった。中田楽器は音楽業界に絶大な信頼のあるサプライヤーだった。しかも「中田のおっさん」といえば誰にでも通じるし面倒見も良い。店は狭かったがサロンのような状態で、結構有名なドラマーや業界関係者が多く出入りしていた。よく通ったが何せ高いので中古のパーツや掘り出し物のアダプタを買ったことしかない。

 大阪にはもうひとつ、ウエルズ楽器という割とオープンな店があって、そこには僅かながらドラムのコーナーがあった。その担当者が、何を隠そう大阪が世界に誇る谷九のドラム専門店「ACT」の創立者である。店には当時の常識からすると無謀ともいうべき、ドラムの試奏室があった。店内の商品はほとんどそこへ持ち込んで試奏することができた。店はかなりの投資をして、ドラマーのために在庫を揃えていた。これは勇気ある英断だったと思う。今のようにバンド・ブームなど先の先、ドラムをやるなんて、全く稀有な存在だった。しかし私がそこで培った感性はかけがえのないものだ。そこで多くの楽器に触れることができた。ペダルはYamahaのFP-710が出た頃だった。Ludwigのスネア、Super Sensitiveにも触れた。シンバルでは、K.Zildjian Istanbulが買収されてカナダに移り、それについて行かずに残った職人たちでIstanbulブランドが結成された頃だ。その後のシンバル業界の離合集散は激しく、その経緯を具に見られたのも、この店あってのことだ。

 さてその中で一際異彩を放っていたシンバル・メーカーがある。今は俗に堕してしまったがイタリアの老舗Ufipである。先程の1976年のパールのカタログによると、当時RitmoとStandardの2つのシリーズがある。刻印の違いによって製造時期がわかるのだが、この頃はすでにRitmoのハンマリングは機械化された様子である。実はこのRitmoというシンバルは、もともとハンド・ハンマリングの手作り品であって、よく出回っている1970年台のRitmoとは刻印が違う。イタリアの孤高のシンバル職人R.Spizzichino氏が修行したとの資料もあるが、時期的には一致しない。

 当時、あまりにも高くて売れないシンバルは、代理店が持て余してスタジオやレンタル業者に流出されることがあった。だから私は、さまざまな時代のA.Zildjian、K.Zildjian Canada、初期のSabian HHの音を知っている。そのなかに非常に薄くて鳴りの良いUfip Ritmo Crash Ride 20’があった。もちろん高くて買えなかったが、 ACTがレンタル部門を独立させた頃だったので覚えている。今回落札したシンバルは、多分間違いなくその個体である。まさか、たまたまヤフオクのサイトを見ていて写真に釘付けになった。入札者のほとんどは、おそらくUfipシンバルの新しいものしか知らないのであろう。そんなに高く取引されるものではないので、数人と競り合ったが、送料を入れても一万円でお釣りのくる激安価格で落札した。

 状態は50年ほど前のシンバルそれなりのものだが、音は非常に良い。昨今もてはやされているような、とってつけたような枯れた音ではなく、古いA.Zildjianとは別の明るさ、イタリアらしい弾けるような音色と、ダークな影が良い具合に入り混じった逸品である。良い音に恵まれると練習したくなる。

 蛇足だが、1976年のパールのカタログには、さらにイタリアのToscoというシンバルが掲載されているが、私は実物を見たことがない。ほかにパールそのものも自社ブランドンシンバルを出していて、そのうちDeluxシンバルは台湾製で、原料のブロンズが良いので、安いわりに大変良い音がする。しかし、もっと安いスタンダード・シンバルはアルマイトの鍋蓋のようなもので、高校の軽音楽部の部長をやっていたときに、予算を使って独断でこのシンバルを買ったのに、たった1時間でボコボコにしてしまった苦い経験がある。それに懲りて、翌年部員の反対を押し切って部費を徴収し、学校の予算委員会でゴリ押ししてPaiste Dixieシンバルの14’ Hi-Hatと20’ Crash Rideを購入した良い思い出がある。それが私のシンバル・グルメのスタートであった。

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2020年12月01日

20201201 空き家に入れた

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 母と妹を呼び寄せて家族三人で暮らそうという件、空き家探しは難航を極めた。使いたい農地が決まっているので、そこに通える範囲で探した。その範囲には約60軒の家があって、実に三分の一の20軒が、住む人のない事実上の空き家であった。そのうち、これまでの人間関係上の懸念のある家や、傷んでいて修理に費用がかかると思われる家を除いた12軒について、農地に近い順に訪ね歩いた。一般に、農村では農家の売買には不動産業者が関わりたがらない。いわゆる「農家資格」のある人に限定されることや、第三者に売却されてもムラ社会のしがらみが後を引き、移住者がトラブルに巻き込まれやすくてクレームがつくからである。そのため農家物件は、農村を維持するための行政による空き家バンクに頼らざるを得ない。しかし我がムラの場合、ムラビト同士の派閥争いなどで村が分裂していて、行政と一体となった取り組みができず、空き家物件が行政の俎上に乗ることがない。したがって、望む場所に空き家を見つけるには、一軒ずつ近所から訪ね歩き、親類縁者に繋いでもらい、あるいは民生委員を通さざるを得なかった。多くの場合、元の所有者が死亡して複数の権利者に相続され、連絡先がわからなくなっていたり、権利者に尋ね当たっても個人情報保護の観点からアクセスを止められたり、直接連絡できても耳が遠いなどで意思疎通が不可能だったり、会話が成立しても仏壇が置いてあるなどの理由で、貸したり売ったりしてもよいという色の良い返事はもらえなかった。

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 この間、農地の確保と同時進行で村中を動き回ったため、私が家と農地を探しているということは、村中の知るところとなった。貸してやるとも売ってやるとも言ってない相手に対して、退いてくれ貸してくれと言いに行くわけだから、こちらが圧倒的に分が悪い。「わしらに早よ死ね言うとってか !! 」と罵られたことも複数回、しかしなかには親身になって、わざわざ一緒に歩いて顔つなぎをしてくれたり、方々へ連絡して親類縁者に繋いでくれる人もあった。「なんの力にもなれないけれど」と、野菜やジュースをくれる人もあった。空き家と思って尋ねて行った先が、実は引きこもりを抱えた深刻な家庭であったこともある。範囲内の60軒の家のうち、これも実に11軒に引きこもりの家族がいた。その半数近くが、80-50であったたり90-60であったりした。そんな家の門前で追い払われたこともあるし、親が涙ぐみながら応援してくれたこともある。農村は、自然環境と直接対峙してるだけに、人の生き様の赤裸々な面を垣間見る。

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 さて、訪ね歩いた最後の家、範囲の中では最も遠い家で、ようやく満更でもない感触が得られたのは先月末のことである。それから一ヶ月、家主の悩みや相談に乗りつつ、また近隣の村人たちの想いに応えつつ、またそこに保浮された荒れ農地の再生に期待を寄せられつつ、何がどう作用したのか具にはわからなかったが、なんとか昨日、その空き家に入ることができた。一歩前進。

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20201201 まもなくシーズン終了

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人の苦労をよそに季節は進む。季節の進む早さに作業が遅れてはならない。
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殆どなにもできなかった今シーズンも、あとは大豆の脱穀を残すのみ。
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2020年11月22日

20201122 小麦播了

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新しく借りる農地も事情があってすぐに使えないことがわかり、来年のパン用小麦を蒔く場所が確定しないので、年末で返すと表明した畑の一部を半年だけ借りることにした。色々葛藤があり紆余曲折があり、迷ったり揉めたりしたが背に腹は替えられず、不本意ながら全体を耕し、除草して土を露出させ、溝を切って種をすじまきにして覆土鎮圧した。「やりゃできるやん」と遠巻きに眺める村人の視線に耐えつつ、心の中で舌打ちをする。「アホか、できひんからやらんのとちゃうわい、やるべきやないからやらんまでや。」
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2020年11月21日

20201121 ツキノワボロボロ

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なんにちか姿を見ないので、やっと独り立ちしたかと思っていたら、ボロボロになって帰ってきよった。こいつのことやから相手の見境なしに喧嘩ふっかけて返り討ちに遭うたか、罠に引っかかって強引に正面突破したか・・・
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20201121 私は性懲りも無く

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 人間関係もそうだが、何かを始めるときは勢いもあるし弾みもついて、うまくいくことが多い。しかし終わらせるとなると厄介だ。別れ話がどうにかまとまって、やれやれせいせいしたと独り祝杯をあげながら夕食を作る・・・しかし、つい、いつものように、二人分作っている自分に気がついて・・・ジワーーーッと涙が溢れて止まらなくなったことも一度や二度ではない。百姓も始めるときは意気揚々として希望に燃えて怖いもの無しである。根性さえあればプロの百姓でさえ怖がってできないことも難なくやってのける。制度や法律を熟知し、ムラ社会のシガラミなんてブッチ切゛って正面突破する。百姓の始めかた続け方、苦労話は枚挙にいとまがない。しかし百姓の辞め方となると殆ど情報がないので書いておくことにしよう。通常、ここで百姓を始める辞めるというのは、農家でない人が新規就農したが続けられずに辞める場合を想定しているので、つまるところ借りた農地の返し方ということになる。

 これは地方自治体によって異なるだろうが、神戸市の場合、写真のような三つの書類を揃えて、農地の登記簿とともに提出しなければならない。今回の乗っ取りの場合、本来ならばその不当性を訴えて損害賠償を請求するのが筋であるが、そうしたところでトラブル続きの元の木阿弥。ここは争わず、極めて事務的に、契約期間の途中解約に双方が合意して、私が借りていた農地を地主に返却しますという届けを出すことにした・・・事務手続きは、このようにさほど問題はない。しかし、農地という、歴史的に様々な謂れもあり、持ち主の農家に先祖代々受け継がれてきた産物を、新規参入者が使わせてもらっていること、そのありかた、地主の想い、借りている間に蓄積されていく、地主や周辺農家、すなわちムラ社会の葛藤を、どのように精算するかが最も困難な問題である。これは、法律や事務手続きでは割り切れない立場や考え方、汲み取れない想いが交錯し、平穏無事に明け渡すということが、大変困難なのである。

 結論から言うと、借りたものは原状回復して返さなければならない。では「原状回復」とは何か。「もとの状態」とはどういうことか。食の安全を求めて新しく農家になることを志す人は、できるだけ農薬や化学肥料、動力機械を使わずに出来る方法を模索するであろう。それは正しい。しかし、おそらくほとんどの農地は、その人が借りる直前までは、そのようには使われていなかった。つまり農薬で雑草を抑え、化学肥料で増産し、動力機械で耕すための、無機的なスポンジのような地面だったはずである。そこを「地力の回復」などとほざいて草だらけにし、刈り取った草を積み上げて害虫の卵を量産し、不耕起とやらで田んぼをじゃじゃ漏れにされてしまっては地主は堪ったもんじゃない。しかし法律は地主を守ってくれないのである。使用者は正式な手続きを経て、合法的になんの落ち度もなくそこを使用している。耕作放棄したわけでも、捨て作りしたわけでもなく、水路や共同部分の管理も行き届いている。しかし、地主にとっては、先祖代々の農地が、まったく違うものに変えられてしまうのである。黙って見ていては取り返しがつかなくなる。法律が裁かないのであれば自ら手を下すしかない。ムラ人同士であればすぐにわかるこの感情の機微が、都会から来た空気の読めない原理主義者には全く通じないのである。「耕さず、草や虫を敵とせず」土の中の循環によって少しずつ恵みをもたらしはじめた農地は、地主にとってはもはや「原状回復」の不可能な土地になりつつある。このようにして私の借りていた農地は乗っ取られたわけである。

 従って、その農地の「現状」を「原状」に戻すために掛かる労力と費用と時間は、借主が補償すべきであるというのが、地主の尤もな考えである。しかし法律はそこまで規定していない。ここに深刻な問題が生じる。私から見れば、家賃を取って部屋を貸しておいて、留守中に家財道具を勝手に処分されたようなものである。しかし地主にとっては、居住目的で貸した部屋を勝手にライブハウスに改造されてしまったくらいの怒りである。双方の見え方が全くかけ離れている。お互いに、こうなるまでになぜ気がつかなかったのかと思う。地主は、ことあるごとにサインを送っていたようである。私は全く気がつかなかった。たしかに、ビニール・マルチの代わりに稲藁でマルチングしたときに、風で飛ぶから抑えときやと言われた。代掻きをせずに溝を切って田んぼを始めたときに、耕運機ならいつでも貸すでと言われた。炎天下に茹で蛸みたいな顔をして田んぼの草と戦っているときに、そっと「白い粉」を差し出してくれたことも覚えている。私はそれらを全て無視して作り続けてきた。そして一定の成果とノウハウを得た。しかし地主との信頼関係は、完全に失われた。

 おたがいの立場の違い、考え方や感じ方の違いをすり合わせて共生していくことは非常に難しい。物事を始めるとき、困難を乗り越えて進もうとしているときは、意識は目的に集中している。つまり周りをよく見ていないことがある。しかし周りの人は、実によく私を見ていたのである。私が進む方向や、目的を、彼らが理解していないのではない。それどころか、そうしていけば、私が予想していないどんなことが起こるかを、克明に知っている。知っていて言わないのではない。彼らにとっては、相手を傷つけないギリギリの線で、相手が察するであろう明確さを持って、私にその都度伝えてくれていたのである。私もそのいくつかの記憶はある。しかし私はそういう意味にとらなかったばかりか、往往にしてそれに敵意を感じ、対抗姿勢をとったのである。その積み重ねが今の私である。これを解きほぐすことは、おそらく不可能に近い。できたことは、なんとか双方に他意のないことを僅かに確認し得たことくらいである。これが、私がここに住んだ13年の結果である。

 ちなみに、私は性懲りも無く百姓を続ける決意であることに変わりはない。

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2020年11月12日

20201111 季節は巡り、なにもかも小規模

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 干し柿が程よく凝縮して参りましたので、厚さ3cmに収まる目処が立ちましたら、順次安い方法での発送も承ります。たとえば三色玄米 (単色も可) \500/ 200g・薬念醬 (匂いがうつる可能性もありますが) \1,000/ 100g・干し柿\200/ 1個のうち2点までなら定形郵便でお送りできます。それ以上の場合、組み合わせによっては6点までならクリックポストなどが使えます。バジル・ペースト\1000/ 160gが入ると、残念ながら瓶の大きさの関係でゆうパックになります。干し柿はここ二週間ほどが食べごろです。それを過ぎますと、順次解凍品に切り替えて参りますので、今のうちにどうぞ。
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 季節はめぐりサツマイモの収穫、例によって割れ多く、痛みやすいものから順次切り取って干し芋に・・・
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 こちらは今年の田んぼ・・・猫の額ほどで瞬時に終了し、軒下に干す・・・トホホ
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 早速きてますね、途中解約したのうちの現状視認。常に監視されてる。
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 乗っ取られた農地の現状、肥料は入れられたにしても、この地力はなかなかのもの、ここまで地力を蘇らせたことはかえって自信になった。しかしこのペースで植えつけていくと、やがてバランスが崩れていく。まあ、またとない観察の機会だから、ゆっくり高みの見物と行こうか・・・
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 ソラマメの植え付け。
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タマネギの苗はまだ小さめだが、そろそろ季節が変わるので、ニンニクと同時に植え付け。
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こうするとよくわかる。


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2020年11月05日

20201103 農地保全プロジェクト

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 新しく借りる予定の農地、刈り取った草が枯れ萎んで、高土手の大きな崩れがあらわになってきた。おそらく最初は猪が掘ったものであろう。そこへ雨水が溜まり、やがて集まって法面を崩した。上面圃場にも陥没が見られ、放置すると崩壊する恐れがある。下の田んぼに流れ込めば補償問題に発展する。

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 一方、背後の山は樹木の管理がなされておらず、雑木の中幹以上が圃場に覆いかぶさる勢いである。しかしこの山は太陽光発電所建設事業の予定地になっていて、その事業者が保有していて、周辺との間で樹木に関するトラブルが複数あり、いずれも解決されていない。来シーズンからのスタートが、かなり厳しくなってきた。

https://www.city.kobe.lg.jp/documents/17274/mat02-167th.pdf

 圃場整備は国民の皆様の税金が投入されておりますので、荒地にしてはいけないことになっており、その保全には公的機関が介入することになっている。ここを使用するには、地主との貸借契約の他に、開発許可が必要になり、その手続きが複雑になる。私の場合、あと二ヶ月で現在の農地の利用権が消失する。来シーズンの作付けができないとなると、私の「農家資格」は取り消され、あらためて新規就農研修から始めなければならなくなる。しかし、私が新規就農した10年前と異なり、今は指定の研修機関へ2年間通わなければならず、そんなことをやっていたらさらに作付けが遅れる。制度としては年齢制限はないが、民間の研修機関の多くは営利企業なので、技能実習生としての受け入れを兼ねているので、戦力として事実上の年齢制限がある。私は「農家資格」を維持するために、最低下限面積を満たす農地を別に確保しなければならなくなる。問題が複雑になってきてしまった。

 が・・・乗り越えなければ明日がない。まず高土手の崩落について、これを人力で修復するには、おそらく柵網 (「しがらあみ」と読むが、これが縮まって「しがらみ」となった) を撃ち込んでそこへ土を入れ、踏み固めて更に上に柵網を打ち込み・・・ということを繰り返していく方法が考えられる。山林については先方との交渉が前提となるが、境界線から5メートルほど奥まですべての木を伐採する必要があるだろう。いずれも私一人ではどうにもならないので、皆様のお知恵をお借りしたいと思います。

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 農地保全プロジェクトの試み。斜面の荒れた農地を蘇らせ、自然農を実践する田畑にする。現状では土砂の崩落の激しい高土手の法面を、柵網や蛇籠という伝統的な土木技術をもって人力で修復し、圃場を整えて無農薬・無肥料・不耕起栽培による「自然農」の実践の場とします。また、隣接する山林による日照問題があるため、これを伐採する必要があります。私一人ではとてもできません。ご興味のある方、ノウハウのある方、専門技術のある方のお助けを、何卒よろしくお願いします。

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 とは言ったものの・・・実は、私は「自然農」という言葉をあまり好まない。しかし説明する時に便利なので止むを得ず使う。好まない理由は、「自然」と「農」を直結することによって、あまりに大雑把な意味の広がりと、強い矛盾を感じるからだ。知らない人がこの言葉を聞いた時に受ける印象は、全く自然に手を加えずに農業をやることだいうことだろう。しかし、そんなことはあり得ない。なぜなら「農」が人間の営みである以上、人間が「自然」に手を加えることに違いはなく、手が加えられた「自然」は自然ではあり得ないからだ。人間も自然の一部だと見ることもできるが、それならわざわざ「自然農」と断らなくても、全ての農業は自然の一部たる人間の営みということになる。適当な言葉が見当たらないから、私も自分のことを人に説明する時に、この言葉を使うことはある。

 また、「自然農法」という言葉も好まない。これも両者の直結による意味の曖昧さが原因である。なぜなら、自然環境は多様であって、土の状態も一枚の畑のあらゆる部分で多様であり、一年の気候も、地域やその年によって全く異なる。これを一つの方法論で説明しうるわけがないからである。そもそも方法論というものは再現と反復が可能でなければならない。自然の多様性に目を向けず、再現と反復の可能性を追及した結果、農薬・化学肥料・機械の使用という、いわゆる「慣行農法」(この言葉も好まないが) が始まった。土を単なるスポンジと考え、そこに人工的に合成された肥料を流し込み、競合する他の生物を選別的に殺し、均一な環境を整えて人的労力を省くことによって、一定で安定した結果を大量に得ようとする。つまり自然の多様性を手懐けようとする方法論である。これによって農業は合理化されたが、農産物から自然の多様性が消え、化学物質の弊害が人間に取り込まれた結果、不都合な真実が明らかになった。方法論的にこれを克服しようとするならば、自然の多様性を研究する科学者の姿勢が要求されるはずである。しかし巷の「自然農法」は、科学というにはあまりにもお粗末であり、悪しき精神論に頼り過ぎている。だから好まないのである。

 「自然農」は、方法論ではなく一種の精神論である。自然の多様性に驚き、畏怖と敬意の念を抱き、そこに種を蒔いて育てることによって幾ばくかの糧を得られれば幸いである、という感謝の気持ちの現れである。だから、それを行う人や場所、時と場合によって、やり方も結果も全く異なる。正しい答えというものも、おそらく存在しない。現実に直面して、とっさの判断で対応して結果が出る。それを受け入れるのが自然農であろうと思う。市場流通には乗らないので、これを軸に国民の食料の安定供給を考えることは現実的でない。これを現実に近づけるには、これを実践する人が増える以外にない。

 さて、私の志は「自然農」に近いけれども、元々そうだったわけではない。「自然農」という考え方が先にあって、私がそれに従ったわけではない。何も知らずに、ただ憧れの気持ちだけで百姓の真似事を続けているうちに、様々に考えた結果が「自然農」に近かっただけのことである。

 たとえばトマトの種を買うと、袋の裏に、種まきは早春に行い、なるべく暖かくして春先には定植し、柵を立てて主幹を誘引して脇芽を降り取って、五段くらいになるまで云々と書いてある。しかしその通りにやってもたいてい失敗する。失敗を重ねている間に草が茫々になって、ほんの猫の額ほどの畑に忙殺されている自分を発見する。これで田んぼや農場経営なんて気が遠くなる話だ。気を取り直して発見を繰り返しているうちに、除草の合間に見覚えのある双葉を発見する。トマトである。三月に種まきして定植したトマトは遅霜に中って枯れてしまったので、その跡にこの双葉を移植してみる。すると、苦労して育苗した他のトマトを追い抜いて、このこぼれ種トマトの方がぐんぐん成長して多くの実をつけた。そのかわり市場がトマトを欲する「旬」の頃には間に合わず、秋茄子よりちょっと早い晩夏から本格化する。これによって、その場所その土その気候における、本来トマトのあるべき生態を知るのである。

 植物がいつどのように芽を吹いて成長していくかは、その場の土がすべて教えてくれるのである。その土に人間が手を加えるということは、その土よりも自分の方が優っていると考える傲慢である。ここに、土をはじめ、植物を成長させるすべてのもの、すなわち自然に対する敬意と恐れ、服従の気持ちが生まれる。すべては土が教えてくれる。失敗するのは、土が教えてくれていることをよく観察しなかったからである。従って、すべて土から生まれてくるものを丁重に扱わねばならない。従って、土の今ある状態を破壊してはならない。ここに至って、私は「耕さず、肥料・農薬を用いず、草や虫を敵とせず」という川口先生の有名な言葉に出会った。「自然農」は方法論ではない。


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2020年10月30日

20201030 そして三人で・・・

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 還暦とは、生まれ変わることを意味するらしい。人生が一区切りして、新たな一歩を踏み出す時。今年はその通りになりそうである。13年前にここへ移住してきたときも私の人生にとって大きな転換であったが、今はそれをさらに一歩深めるチャンスと捉えたい。

 さて、実は夏場に母が体調を崩し、運ばれた病院で大脳動脈瘤が見つかった。ごく小さなもので、体調不良との直接の因果関係はなく、血圧に注意しながら日常生活は送れるようだ。しかし今後のサポートは必要になる。一方、同居する妹も、事情があって一部の仕事を辞めたらしく、家族三人とも人生に一区切りがついた形になった。そこで私から「三人で一緒に住まないか」と提案したところ、合意ができたので、三人で住める家探しを始めることになった。7月のことである。

 三人で暮らす、と言っても、今まで何度も却下されてきたのだが、それには理由がある。私を含め、我が家の家族は、全員にごく軽微な適応障害がある。父は東大卒のキョーレツな選民主義者であって、自分以外は全て愚か者、自分を重く用いない世間はクソだといって、会社や国からカネを毟り取ることにしか生きがいを持ち得ないまま死んでいった。母は、紆余曲折のある複雑なストーリーを理解することが極端に苦手で、頭脳明晰で論理展開の早い父の話には全くついていけず、思考停止状態になって久しい。妹は父の影響を色濃く受け、私は母の影響を引き継いで、それぞれに長所と短所を交互に持ち合う形になった。

 我々に一家団欒の空気があったのは、私が小学校二年生の頃までだから、妹にはその記憶はない。その頃までは、父母はまだ二人の子育ての難関を乗り切った頃だが、その後昇進するはずだった父は、持ち前の我の強さから社内で全く使えない存在となり、その鬱憤が家庭内で爆発した。家族に対する絶え間のない暴力と諍いに明け暮れ、私や妹が暴行されている真横で母は炊事や洗濯をし、妹や私は宿題をしていた。家庭内の法律は事細かに父が定め、ほとんどの楽しみや自由は封圧されていた。したがって私は就職と同時に家を出、何年も音信を通じなかった。

 妹は残った。その頃から日本はバブル経済に沸いた。父は自分の鬱憤を不動産投資に賭け、結果的に大きな損害を出してしまった。その穴埋めのために父と妹はかなりの苦労をしたが、母は社会に出ることができなかった。人の話がよく理解できないのだ。一度だけ、とうとう金策の尽きた父に頼まれて、私は幾ばくかの金を渡した。以前から私は父の無謀を何度も忠告していたが、当然聞き入れられることはなく、私は家族との関係を断ち、家族の苦しみを共有することはなかった。父の死後、借金が残っていたが、近所に住宅開発がかかったのを機に、持ち家を結構な値段で売り抜けて完済し、母と妹は必要最低限のものだけを持って、狭いマンションに落ち着いた。そんな苦労をよそに、私は何度も海外旅行をし、趣味に明け暮れ、自由奔放に暮らしてきた。だから母と妹の、私に対する気持ちには複雑なものがある。

 マンションに閉じこもってからの母の日常は、ただテレビを見て家事をするだけである。見る見る老いさらばえてしまって、体は樽型に太り、目は寝ているのか起きているのかわからないほど生気がなくなった。このまま適当な時期が来たら施設に入るなどと、そこが終着駅のような思っている母は、もはや自分を見つめ直すことすらできないでいる。私は息子として、自分にできる精一杯のことをして、この状況から生みの親を救い出せないものかと考えていた。

 そこへ三人ともに人生の転機が同時に起こったので、これまでの経緯はとにかくさて置いて、まずは母の人生が実りある最後を迎えられるよう、そして妹の健康が増進されるよう、そして私の夢が実現されるよう、バラバラの生活インフラを統合してコスト削減し、同居について模索することにした。幸か不幸か、私も妹も独身である。誰に気兼ねすることも要らず、力を合わせれば、母の人生を充実したものにできるだろう。土に触れ、植物を育てれば、生命の喜びに触れることができるはずだし、死へ向かって衰えていくのではなく、生き切って死ぬことができるだろう。私も人の子、息子として母にできることはそんなことくらいしかない。三人三様の人生だったが、再びここに集い、過去は一旦リセットして、前を向いて生きたい。母のみならず、私や妹も、そう若くはないからだ。先のことを考えるだけで精一杯だ。進もう。

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2020年10月28日

20201028 新たな農地

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 ようやく、来シーズンから使わせてもらえそうな農地が見つかった。村の東の山の中腹に一段高く広がる荒れ地である。

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先日草刈りを終えてその上に立ってみた。ここから見ると村の様子がよくわかる。

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2枚目の写真真ん中の大きな施設の脇が私の使っていた農地のひとつだ。その周りに集中する家々は、この村の中心地の一つで、古くからの家柄である。一方、手前の道路から私の立っているあたり、すなわち村の外縁は、戦後の農地解放の頃に入植してきた人たちが開拓した農地で、彼らの家は村外れの斜面や川向こうの町筋にあって、家から農地まで通って農業をしている。私がここへ引っ越してきてから毎年のように農閑期になるとゴタゴタ揉めるのは、村の中心を牛耳る旧家の人たちであって、村全体から見れば少数ではあるものの、本来、村の入会であるべき山林や、水利その他の村のインフラの利権を握っていたり、それを争っていたりする。私は、そんな事情を全く知らずに、実にフラットな心構えでその真ん中に入ってしまったわけだ。そこでは、乗っ取り、裏切り、騙し討ち、居直りなどが日常的に起こり、要するに根性がカネに穢い。その最中に迷い込んで翻弄されてきた私を見るにみかねて、時々助けてくれたり仲裁してくれたりした人たちは、開拓者の家である。いまでは、その違いがはっきりと目で見てわかる。ここに立って村を眺めるとなおさらよくわかる。私が村に拘ったのは、このような人間模様と農業の現実が表裏一体であって、村の生活を考えることなくして次世代の農業を考えることはできないと思ったからだが、さすがにここは身を引こう。とりあえずこの農地であれば、誰も文句を言わないどころか、ここから村に侵入して荒らし回る獣たちによる被害を防ぎ、村の農地の保全に一躍買うことになる。しかも見ての通り、村のどこからでも見える場所にありインパクトは大きい。圃場整備以来ほぼ使われることなく、年一回の草刈り以外は人が立ち入らずに放置されてきた荒れ地で、村の誰もが手を出さなかった場所である。自然農には最適の状態だ。私はアカデミズムによる権威づけとはできるだけ距離をおきたい考えだが、ここまで理想的な環境が与えられるのであれば、せっかくなので徹頭徹尾完全な不耕起・無農薬・無肥料の考え方を実践できるかもしれない。やってみよう。

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2020年10月20日

20201017 自然界は着実に進む

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迷走停滞の人間界をよそに自然界は着実に進む。ソラマメの蒔きどきは今時分である。

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タマネギは春まで貯蔵できる品種であっても今時分に腐りはじめるものがある。吊るした下に汁が垂れるので分かりやすくしておくと発見が早い。

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渋柿は青味のあるうちに収穫して早めに干す。豊作の年は廊下がこういうことになる。富有柿は来週以降で、早く干し終えないと足の踏み場がなくなる。

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