2016年08月15日

20160815 シーズン前半終了

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 シーズン前半の農作業終了。お盆を迎えるにあたって集落をきれいにしておくのがどったらこったら言う無言の圧力に配慮して周囲の草刈りも済ませた。


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 猛暑が一段落して、雨がないものの朝夕に秋風が感じられる時候となって、畑では次の季節が実りはじめている。四角豆。


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 いろんなウリ・・・カボチャとカポディキーノス。


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 トルコ原産のナス。


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 畑全体の除草も完了、管理という、百姓の精神衛生の都合上、一旦砂漠化もやむなし。雨を待つ。


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 陸稲状態で追加で植えたインディカ米「サリー・クイーン」も、悪条件下にもかかわらずたくましく育っている。


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 暑さが和らいだのを見て、トルコ原産の白ズッキー (Sakiz Kabak) がいくつも実りはじめた。


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 ちょっと遅まきだったが、やっとオクラに花。


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 茨城原産「黒花豆」定植。


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 全く除草していないのに、このように溝が見通せるほど、これは古茅の抑草効果と結論付けてよいと思う。 


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20160815 もうええかげんに

 私は、誰がいつなんどき靖国神社を参拝しても良いと思う。公人であれ私人であれ、思想信条の自由が保障されているからだ。それについて懸念を抱くことも自由だし、批判することも自由だ。またそれに反論することも自由だ。だから、政治家であるなしを問わず、その人の思想信条に従って行動すればよい。その結果「みんなで」参拝することをよしとするならば、それはそれでよいと思う。ただ、靖国神社に参拝することの意味するところは多岐にわたり、公人が参拝することは、そのすべての意味合いにおいて責任を問われることもまた当然である。たとえば日本の政治家が参拝したことを説明する場面で、靖国神社に祀られている「英霊」が「日本の繁栄の礎を築いた」というならば、その繁栄のかなりの部分に、アメリカ、朝鮮半島、ベトナム、その他特に東南アジアにおける紛争や戦争の特需があったことが考慮されていなければならない。また、当然のことながら、日本が行った侵略戦争によって他国の人々が犠牲になったことは事実であるにもかかわらず、旧日本軍戦没者のみを祀っている宗教施設に、政教分離を国是とする日本の政治家が参拝することは、公平性を欠く行為と考えざるをえない。だから、日本の政治家が靖国神社に参拝して日本の繁栄について感謝の気持ちを表するというのであれば、同時に、日本の政治家はそれらの国々の戦没者の慰霊施設をも訪問して同様の行動をとるのがよいと思う。そうすれば、その政治家は立派な人物として近隣諸国から評価尊敬されるだろう。天皇陛下はそれを実行しておられるから諸国から尊敬されているわけだし、私もそれゆえに尊敬している。外交以前に、それが人として当然の感覚ではないか。

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20160809 Ornette Coleman: Townhall 1962

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Ornette Coleman: Town Hall, 1962 (LP, ESP 1006, 1965, US)


Doughnut

Sadness

Dedication to Poets and Writers

The Ark


 私はOrnette Colemanが好きである。彼の音に浸っているだけで幸せを感じる。この感覚は、たぶんジャズの本流を行く人にはさっぱりわからんだろう。それで良い。音楽なんて、所詮好きか嫌いかで決めれば良い。Ornette Colemanは、1959年に究極の名盤「The Shape of Jazz to come」を発表してしまって以降は殆ど余生といっても良いくらいで、いろんな試みをしてはうまくいったりいかなかったり、好かれたり嫌われたり、調子に乗ったり壁にぶち当たったりで、まあいろいろやって音楽人生を楽しんだはる。1960年に「Free Jazz」でダブル・カルテットの試みに失敗してからは、もっといろんな形に手を出すようになってきて、その後の彼の多様な音楽性に発展していくのであるが、1962年に録音されたこのライブは、なぜか私の愛聴盤なのである。明らかに寝不足で機嫌の悪い顔、眉間にしわを寄せて俯き加減でおでこから下は鼻以外黒くつぶれている。セルフ・ポートレートとして最低の出来だと思うのだがこれをジャケットに持ってくるあたり、さぞかしなにかあったんだなと想像できるのだが、演奏が良いのか悪いのか、やってて楽しいのか投げやりなのか、それでも一曲として同じアプローチはなく、A3ではviolinとviolaを従えていわゆる現代音楽やってます。基本フリージャズですが、4ビートから定石通りに崩して、普通なら止めるところを止め処なく奈落の底まで落ちていくような・・・落ち切ったそこでこんな困った顔になったのか、なにしろ悲痛なまでにシリアスで、なおかつその後かれが手を出すあらゆるジャンルのショウケースみたいになってて、これはおすすめの一枚です。個人的に。で、1970年くらいまでは、いろいろと試行錯誤が続いて、その間、「Chappaqua Suits」(1965) という名演奏ながらお蔵入りになった映画音楽のスウンド・トラック、これはクラシックの弦楽コンソートとフリージャズのコラボレイションで、個人的には好きだがオススメするには躊躇を禁じえないので割愛。同年「At the Golden Circle」のライブ盤2作で、なんかフツーの演奏してジャズファンをホッとさせたらしいが私にはどうも、でこれも割愛。1967ドラムがJack DeJohnetteに代わった「Love Call」あたりから光明が見えはじめ、「Crisis」 (1969) 、「Friends and Neighbors」(1970) あたりで、主要作品でベースを務めてきたCharlie HadenらとともにJCOA関係の若手フリージャズのミュージシャンと繋がりができたあたりが一つのピーク、その後の大きな転機は、いわゆるPrime Time Bandの先駆けとなる「Dancing in your Head」(1976) まで待たねばならない。ま、いずれにせよ長い余生、ぼちぼちレッドゾーン振り切った演奏がいろいろたまらんのよ彼。

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2016年08月12日

20160808 独裁者の床

 最近のバイト先のブラック化は目を覆うばかりであり、これ以上仕事がきつくなるのなら、他のバイトを考えようかとも真剣に思いはじめたところ。いやなに、私は仕事のキツイのはそんなに苦にならん。スジさえ通っていて、願わくば有意義な仕事であれば、少々無理でも気持ちで合わせてしまうのだが、最近のバカタレ本社のボンクラ社員どもは、もはや現場を苦しめることで日頃の鬱憤を晴らしているとしか考え様がなく、どんな馬鹿げた指示にでも従わせようとする。理由も何もない。こんなことを毎日やってると、自分がどんどん馬鹿げた人間になっていくような気がして実に泣きたくなるので、早くやめたほうが良いと思う。どのくらい馬鹿げているかというと、あるとき本社の偉いさんがどこかの店で水道の蛇口から水が出っ放゜しになっていたことに体操ご立腹で、全店舗の全蛇口に節水アダプタが取り付けられる事になった。なんと1個2万円もするらしいのである。こんなものをつけられると水圧で掃除する海産部の作業場では掃除ができない。海水を使えない築地市場のようなものである。それで苦情を言っていたら、節水アダプタの代わりにボタン式で自動的に水が止まる蛇口に交換となったのである。ところがこんどはバケツに水を貯めるのに、いちいちボタンを押さなければならなくなり、貯まるまでの間一人が蛇口につきっきりになる。その間にちょっとした仕事の二つや三つは片付くというのに、ただひたすら水が止まってはボタンを押し、止まっては押すという不毛な作業を何十回も繰り返して、ようやくバケツの水が使えるという始末である。もうアタマニ来たけん、社長にこんな手紙を書いたった。



株式会社◯◯スーパーマーケット代表取締役社長

◯◯◯◯ 殿


 はじめまして。私は◯◯店海産部アルバイトの伊丹と申します。このたび思うところあって、直接のお手紙をさせていただきました。


 上のシールは、「当社自慢の品」◯◯スモークサーモンに貼付されているアイキャッチ・シールです。残念なことに、英語表記が間違っています。日本語の「スモークサーモン」は、英語では「smoked salmon」となります。この間違った英語は、毎日全ての店舗の極紅スモークサーモンに貼付され、インターネットでも「当社自慢の品」として宣伝されています。


 このシールが導入された時、◯◯店ではプチ改装の日でしたが、私はすぐに上司と本社社員に間違いを指摘しました。そのときは全く相手にされず、その後も訂正されることなく使いつづけられたので、複数のルートで再三指摘してまいりました。何ヶ月も放置された挙句、先日「今更訂正できない」というご返事をいただきました。


 私はこのことを、会社の恥をさらし続けることと感じております。早急にシールを回収し、作り直すべきです。しかし、私が直接お手紙を差し上げた動機は別にあります。


 もちろんこの間違いの原因は、一義的には、担当者が英語をよく確認せずに出稿してしまったことにあります。印刷原稿は、印刷されてしまえば訂正に膨大な手間隙と経費がかかりますので、慎重の上にも慎重が求められますが、担当者は、この中学生にもわかる間違いに気づかなかった。また、万一の間違いを防ぐために、自ら辞書を引くことをしなかった。さらに、原稿を校正するというプロセスがなかったか、それが機能しなかった。お客様からもご指摘いただいているので、間違いに気づいた人もあったはずだが、誰もそれを指摘しなかった。間違いが指摘されても担当部署に伝わらなかった。これらが同時に起こるということは、組織上の問題があるからだと思います。


 申し上げにくいことですが、あえて申し上げます。社長は独裁的であると考えられています。私は社長を存じ上げませんので、そうであるかどうかはわかりません。しかし問題は、そう考えられているということです。社長が独裁的であると考えられた結果、部下はまず自己保身に走ります。自分の周囲を安全にして、不都合な真実は、まとめて下部組織へ放り出します。受け取った下部組織も保身に走りますから、そこで溜まった不都合と鬱憤は末端に押し付けられます。これが全社的に繰り広げられた結果、社員は、上に向かっては全くものが言えなくなり、下に圧力をかけ、横同士庇いあい、不都合を隠しあい、出来なかったことも出来たこととして報告を上げるようになります。自己保身に汲々として全体を顧みることのできない空気が蔓延しています。これはまさに、独裁体制下の一般市民の姿です。


 私は◯◯店の近くで百姓をしておりますが、それ以前は、長年食品流通業に身を置いていました。その時期、ダイエーとサティが経営破綻の危機に瀕した場面を、担当者として具に見聞しました。残念ながら、◯◯スーパーの今の空気は、そのときと全く同じです。このままの状態が続けば、やがて組織は疲弊して弱体化するでしょう。


 いうまでもなく、このシールの件は、ほんの氷山の一角です。本社が決めて末端へ降りてくるあらゆる指示、書類、POPなどの表示、ハンディ・ターミナルの値引き計算の端数処理などなどに、不合理、非効率、意味不明、間違いが散見され、あるいは現場の社員にその趣旨が理解されず、それを確認するために本社に問い合わせることも出来ない。そんなことをしたらクビが飛ぶというほどの恐怖が蔓延しています。結果、おおもとを訂正すれば済むことを、末端でひたすら修正します。おそらく全店舗で、全従業員が、毎日繰り返していることでしょう。その膨大な無駄を考えただけでも、私が経営者なら卒倒しそうになります。そして、このシールのように、訂正できないものは垂れ流され、それを会社の恥と感じるセンスさえなくしてしまうのです。


 これを改善するには大変な困難が伴いますが、社長にお願いしなければなりません。不都合な真実が山積しています。まずは、これらが現場の自発的な相談事として、会社全体で共有できる寛容な空気を醸成することです。社長御自らが末端の目線にまで膝を折っていただいて、現場の問題を聞く姿勢を示していただきたいのです。そして現場との間の全ての中間管理職の苦しみと向き合っていただきたい。下に向かって声を荒げる彼らをいさめ、安心させてください。もちろん、私も長年社会人をやってきましたから、企業というものが、ある程度中央集権的であることは理解しています。が、現状は危険な状態に向かいつつあり、社員に無力感が広がっています。社長の信頼とリーダーシップが必要です。しがないアルバイトとして僭越とは思いましたが、あえてお手紙をさせていただきました。どうか、寛容の精神をもって、事に当たられてください。よろしくお願い申し上げます。

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2016年08月11日

20160808 象徴天皇について

 一昨日までにシーズン前半の農作業をほぼ終え、あとは土手などの草刈りを残すだけとなったので、猛暑でもあるし昨日は休養と決め込んで、夕方からのバイトまで昼寝をしていた。15時から平成の玉音放送があったので、それを最初から最後までネットで見た。「お言葉」の後、解説が延々と続いたのだが、話題は生前退位の法的手続きや天皇陛下の公務の実態や、皇室に関わる制度についてがほとんどであった。もちろん、それが主要なテーマだったから当然のことではあるのだが、私は一種の違和感・・・最も重要な要素が、その議論から抜け落ちている・・・を禁じえなかった。

 私は、今回の「お言葉」は、天皇陛下ご自身による皇国史観の否定、といって言い過ぎならば、少なくとも国のあり方としてその見方を国民に強制すべきでないことの意思表明であったと思う。言葉は慎重に選ばれているので、直接的な表現は避けられているが、天皇が象徴であることの意味、つまり日本の長い歴史を通じて天皇が存在し続けてきたことを尊重しつつも、現代においてはそれは国民が統合できる最後の精神的支柱 (政治的ではなく) であることを、寛容の精神で国民に受け入れられることを望む、という天皇陛下の希望の表明であり、それが「お気持ち」であったと思う。

 それは、「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。」という言葉に短く表現されている。日本全国を隅々まで、折あるごとに訪問されたり、時宜を得た海外への旅のほとんどすべてが、その言葉の実践であったと思う。私は唯物史観をとる者だが、その天皇陛下の行動を、心から尊敬する。よどみないお志が、論理を越えて心に刺さるのである。その内容、時々に発せられたお言葉を見るにつけ、全体を分け隔てなく包み込む寛容の精神に支えられているのがわかるからである。だから特別な敬語も使う。相対立する様々な考え方、たとえそれが皇国史観であっても、また唯物史観であっても、日本という国に生きる以上、日本は一つしかなく、この国の文化を継承する当事者としてこの国に生きる我々を、寛容の精神でまとめる制度として、象徴としての天皇制というものがあり、これを維持継続していくことが日本にとって良いことだと、それを理解してほしいという気持ちがにじみ出ているからである。

 だから、日本という国の平和と安定のために、象徴としての天皇制の安定が不可欠であって、それは代理であってはならず、天皇自身が象徴して立たなければ意味がない、だから職務を全うできているうちにそれを皇太子に引き継ぐ必要があるが、現在その制度がないので、そのためにかかる諸問題について国民全体として考えてもらいたいということを、天皇陛下は述べられていたのだと思う。なぜ天皇が象徴的存在となったのか、なぜそこまでして天皇が象徴であることを守らなければならないのか、なぜそれが日本の安定と平和に寄与するのか、制度論ではなく、寛容の精神を受け入れることの困難さを理解しようとする気持ちが抜けていては、ただの形式論に落ちてしまう。そこに違和感を感じたのである。偉そうに言うてごめんよ。

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20160731 東畑の観察

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 東畑の観察。計画では二年一作とするため、全体を休耕するはずだったのだが、ついつい欲が出て、気がついたらフルに植え付けていた。まずはウリ科3畝、まあここは気ままにいろいろカボチャ。


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 そのとなりはナス科3畝すべてジャガイモの跡地。一番右はオクラ、その他は8月末に大根と白菜の種まきをする予定。


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 オクラも夏に向けてゆっくり育っている。収穫できるのは、空気が乾く9月以降から。


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 そのとなりはfarminhos人気商品、昨シーズン全滅した白さつまいも「イズミ」、今年はゆっくりながらも大筋順調。


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 その右3畝は、白ズッキー・ウコン・生姜と菊芋。


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 白ズッキーはどんどん結実。元気なものから種取り用に放置。


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 ウコン・・・うんこぢゃないよ。まあ失礼な・・・


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 生姜


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 菊芋


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 バジル、今年はきちんとシーズンに間に合った。


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20160731 東畑の観察

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 東畑脇田で育つ豊里。健康そのもの。


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 こちらも除草していない。カヤツリグサはなるべく抜いた。ウリカワやセリが生えているが、その下に敷いた古茅の格子がびっしり固まっている。互いに牽制しあって稲を凌ぐほどに蔓延ることができないようだ。


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 こちらは古代米三種、手前から朝紫・緑糯・神丹穂。画面中ほどが円形に黄色いが、この部分だけ毎年出来が悪い。この地下に何かがあるのか、この部分の土に何かがないのか、カヤツリグサが原因かと思っていたが、カヤツリグサも他の部分と比べて簡単に落ちたので、おそらく土に何らかの原因がありそう。


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 朝紫は中生なので、すでに出穂している。熟成すれば、この部分だけ落水する必要がある。ちょっと悩みの種。


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 本田の大部分は今年は稲は休んで豆を栽培しているのだが、事情があって一部にサリー・クイーンを植えてある。陸島状態で地下水位だけでの栽培だが、枯れずにそこそこ育ってきている。


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 その他の休ませている部分には、主に丹波黒大豆を植えている。


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 周囲にはインゲン系の豆を植えている。黒インゲン・ガルバンゾ・七夕豆・四角豆など。


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 ガルバンゾが結実しているのだが、ひとつぶ・・・葉の色も悪く、株が弱々しい。

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20160731 新畑の観察

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 ウリ科3畝いっぱいにカボチャ・カボヴェルデ・カボクリーニョス・カポディキーノスの蔓が絡み合って育つ。


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 こちらは反対側の番外編でキュウリとニガウリの柵。


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 手前にツルムラサキ、一時いもちが感染したようだが元気を取り戻した。まだ伸びるほどには育っていない。


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 脇田の奥で苗代に使っていた部分に植え付けたサリー・クイーン、代掻きをしてあるので田んぼでおなじみの水生雑草が生えている。


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 脇田の端で育つ神丹穂アルビーノ、勢いがすごい。


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 二年続きで何を植えても全滅した畝は、今シーズン休ませて草を積む。


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20160731 新畑の観察

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 新畑の観察、アブラナ科3畝、左は空芯菜、真ん中いろいろ取り残しその後空芯菜の種まき、右は盆明けから山東菜を蒔く。


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 空芯菜に混じってこぼれ種の大根が育つ。葉物野菜の苦手な土なので、これらは貴重。


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 キャベツや白菜も、大きなものはできないが、不思議なことにここでは何年も生き延びる。合間に発芽してきた空芯菜が育つ。


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 取り残しの白菜と青梗菜、これらを食べたら秋冬に向けて山東菜を蒔く。


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 そのとなりマメ科3畝、左はフェイジョアーダ用黒インゲン、まんなか青大豆、右はガルバンゾ試験栽培とスペインの黄インゲンと奥に七夕豆、豆類は久々に順調。


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 黒インゲンは開花結実が進んでいる。この品種は若取りしても莢の内皮が硬くて食べにくい。すべて熟成させて乾燥保存。


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 青大豆にも花。


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 その他のインゲン類は順調、手前の試験栽培のガルバンゾも葉色は良い。

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20160731 新畑の観察

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 梅雨明け後の田畑の観察、まずは新畑脇田のサリークイーンと、右端の豊里。


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 古茅を積んでそれをかき分けて田植えする方法が功を奏したのか、草は生えているものの稲を凌ぐほどに蔓延ってこない。スポット的な修正のみで様子を見る。


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 畑の方、茨城から土地の固定種である「黒花豆」を送ってきたので、植え付け用に番外畝、急の田んぼの土手を除草して表面のみ耕して、先に柵を立てておく。種蒔きは盆の前後。


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 ナス科3畝、トマトとその奥韓国唐辛子、真ん中は苗が混じったがタイの唐辛子とハラペーニョ、右はトルコのナス。所々にこぼれ種の大根が育っている。


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 赤花豆、花が咲いているのは去年のこぼれ種、去年育ったものは一昨年のこぼれ種、がなかなか実がつかないので、ためしに別途育苗して植え付けてみた。


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 もとウズベキスタンの中型トマト、6株ほどにしとくつもりだったのだが、脇芽が元気なので、つい親心で植え付けてしまったら、ほどなく活着。


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 韓国の唐辛子、ちょっと小さいまま足踏みすぎる。


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 育苗ポットのラベルをカラスにほじくり出されてどれがどれだったかわからなくなった唐辛子、タイのものとハラペーニョだったはず。


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 5年前から種取りしているトルコのナス。大きいものは支えが必要になってきた。

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20160826 晴干雨選

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 晴れては干し、降っては分ける。


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2016年07月23日

20160722 夏

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 夏の風情である。ドクダミも程よく乾いてきた。


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 二日続けて干した小麦を粉に挽いて、篩っておく。


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 花豆はいきなり突出してくるので、植え場所を先に確保しておく必要がある。


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20160721 梅雨明け三日

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 梅雨明け三日という言葉がある。さっそく穀物類を日に干す。


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 友人のご子息がアレルギーでお悩みという。ドクダミが効くそうなので、中庭になんぼでも生えてるやつをまずはざっと刈って干しておく。連続三日ほどかかる。


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 羨ましいほど力強く屹立するトルコ原産白ズッキーSakiz Kabak


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 命をつなぐ。「べんりな」というアブラナ科の葉物野菜。


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 蒔きなおして手元で管理したら、やはりちゃんと結果が出た。


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 トルコ風焼きなすにしてみる。日本の焼きナスとの違いは、焦げ臭を生かして水に取らないこと。


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 これをタタキのように細かく叩いて風味を出し、塩胡椒とオリーブ・オイル、レモンなどの酸味や唐辛子の辛味でいただく。勝手気ままに付け合わせ、鶏の唐揚げをメインに、近頃友人たちの間で話題になったスベリヒユの天ぷら・・・


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 昼から草刈り、畦に生えるならまだしも、土の固い土手に力強く根を張って育つ稲、たぶん苗取りの時に弱々しくて放棄されたものか。すごいやつ。こんなやつもいるから百姓は辞められない。


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 うわ、ジャガイモが青葉のまま匍匐前進しはじめた !! こんなん初めてや。


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20160718 近畿地方梅雨明け

近畿地方本日梅雨明け・・・


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天然の日傘があるうちに田んぼもう一周しときたかってんけど、夏や。


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ぼちぼちいろんなもん実る。


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さっそくいただく。


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意外な生命力に驚き、生きていこうという力が湧く。


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今シーズンの田んぼの除草は剪定ばさみ。


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これ結構つかえる。暑中みなさまお見舞い申し上げます。ほな失礼・・・


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2016年07月15日

20160716 cafeminhos

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cafeminhos @ 摩耶リュックサック・マーケット
2016/06/18 (土) 11:00-16:00 一切無料・予約不要・自由参加・自由撤退
 場所: 摩耶山上「掬屋台」(摩耶ロープウェイ「星の駅」前)
 http://www.mayasan.jp/?page_id=64

今回のメニュー
山羊のシチュー インディカライスのセット (8食限定) \500
自家製小麦自家製酵母のパン \100から
インディカ米 \500/ 2合
三色もち米Mix \500/ 2合

あわせて「摩耶山アコースティック・ピクニック」にも乱入予定です。よろしければぜひ・・・

 ご参考までに、JR六甲道駅からの場合、往復交通費\2,000程度、片道所要時間乗り換え時間を含めずに40分程度かかるのが難点ではありますが・・・ちなみに車で上がってしまって、「天上寺駐車場」に駐めれば終日\500。

https://www.facebook.com/摩耶山アコースティックピクニック-803367129744363/

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2016年07月14日

20160714 共生への扉

 安倍ソーリダイジンがいろいろ面白い提案をぶっ続けてくれたおかげで、日本にもいろんな考えの人がいるんだなあと感心させられる毎日を送らせていただいており、また生まれて初めて投票とやらへ参加させていただく機会も与えられ、ご厚意に心から感謝しております。

 私は厳しい独裁的空気に満ちた家庭に生まれ育ち、幼少期には一軒だけ地区から離れた家だったために地域の友達コミュニティから壮絶ないじめを受け、小学校でも教師に脅かされる日々を過ごしたので、圧力に屈すること、生き存らえるためにコミュニティを抜けること、越境した先には別の世界が広がっていることを、子供心に体験した。今では幾分社会との折り合いのつけ方も心得、いろいろあっても命ばかりは取られる心配のない生活をしているが、ふとしたきっかけで、このような幼少期の刷り込みが表面化することがある。平時では何事もないのだが、世の中が窮屈になってくると、ある程度ガス抜きをしないと苦しくなってくる。しかしやり方をよく考えなければ逆により苦しい立場に追い込まれたり、思考が過激に走ったりする。

 私の思想的傾向が十分左翼的であるのは、以上のような原因からだと思う。本来、思想というものは個人ーによって自由に客観的に選び取られるべきものだが、そういうものが刷り込まれる時期というものは一生に一度しかないので、今となっては他の思想についてじっくりと比較検討することができない。手遅れである。たとえば朝鮮半島では、彼らにとって身に覚えのない、突然決められた境界線を隔てて思想を押し付けられたわけで、彼らは地域という、思想とは何の関係もない要素を根拠に、それぞれの陣営に勢力として取り込まれ、それぞれの思想を刷り込まれたのである。生い立ちや環境に影響されずに、思想というものが、それそのものの純粋な論理的対決として議論されることがいかに困難であるかがよくわかる。

 つまり多くの場合、対立しているように見えても実は同じことを言っていて、案外解決策は別のところにあったりする。ただ、お互いに対立し合うことによってアイデンティティを確立しているような場合、問題の解決は双方にとってアイデンティティの喪失につながるので、双方共に解決されることを阻害する傾向がある。その場合、そこにいる部外者が最も大きな被害を被る。

 さて、この一年間いろんな考えの人と話をしたりやり取りをしたりご高見を拝読させていただいたりしたのだが、私のように反自民・反安倍政権・反原発・改憲反対・反アベノミクスを、議論の余地なく当然と考えている人間にとって、これらに賛成する人々の存在を一年前にはほとんど想像できなかった。しかし最近ではそういう人たちが身近にもだいたい3割程度いることがわかったので、なるべく彼らとコミュニケーションを取るよう努力してきた。あくまで印象だが、その結果を順不同で羅列してみる。もちろんこれは相手の落ち度を詮索して罵倒するのが目的ではない。どちら側の主張にも落ち度はある。それをほじくり返して罵倒し合うのはやめたい。相手を理解するための拙い努力の一歩だと思って、不適切な表現などあればご容赦いただきたい。

 論理的思考が苦手で共感を重視する・社会的に成功して地位を確立している・社会に絶望している・よそものが嫌い・人権が嫌い・共産主義が嫌い・外国語が苦手・組織への忠誠心が強い・帰属意識が強い・変化に直面したとき保身に走る・統一動作が好き・団結力が強い・・・まあもっとあるけど、ネガティブな表現が多くなったのは、自分と異なる考え方には違和感が先に来て、その良さには気づきにくいからだと思う。できれば相手側からの分析を聞いてみたいものだ。裏返せば、上に挙げた要素の反対が私に当てはまる。

 さて、私は理解しにくいものに出会ったときにはそれを理解しようとして論理的にアプローチするのだが、それをここでやっちまうと相手に疎んじられる。なぜなら相手は論理が苦手で共感してくれることを望んでいるからだ。しかしこっちは無条件に共感することができないので、何らかの足がかりを求め、その手法としてますます論理を使う。すると相手はますます遠ざかり、やがて相互不信に陥る。運悪く対立してしまったとき、論理的に相手を批判してしまうと、相手は振り上げた拳を降ろす場所がなくなり、ますます態度を硬化させることによってこちらを弱体化しようとする。場合によっては力づくで排除する。相手にとっては、こちらへの憎しみはたいそうなものだと推察されるのだが、こっちはわからないことを率直に訊いただけである。従って論理的には対立しておらず、一方的な反感が原因で不幸が起こっている。解決するには、お互いの思考パターンの不備を改善するしかない。

 社会的に成功して地位を確立している人は既得権益を守ろうとするので、それが脅かされる恐れのあるものを本能的に排除する。また逆に、社会に絶望している者のうち、論理的に物事を解決することの苦手な人は、大樹に擦り寄っておこぼれを期待する傾向があって、その大樹の権益を守ろうとする。世の常として、富を得たものが積極的にそれを分かち合おうとすることは少なく、擦り寄って分配を望んでも叶えられないことの方が多い。自分の努力で財を成した人ならなおさらである。それを富の偏在だ不平等だ再分配だ革命だと叫ぶのは、たいてい持たざる者である。持てる者と持たざる者の対立は固定化されることが多く、世論が分断され、往々にしてその対立は為政者の思惑に利用される。中立で信頼できる政治権力によって、社会奉仕の一環としての富の再分配がストレスなく制度化されるようコーディネイトされれば、対立は解消に向かう。逆に言うと独裁者がつけいるチャンスでもある。

 よそ者が嫌いである。理解しにくいものに出会ったときに、反射的に警戒する傾向がある。おそらく保身の裏返しと思われるが、相手を理解しようとする気のなさ、興味のなさは相当に強い。逆に言うと、相手から理解されようとする気持ちや、理解を得て行動しようとする配慮にも欠ける。極端な場合、自分の行動に周囲の理解は必要ないとさえ考える。例えば自動車の運転でウィンカーを出したことがない、つまり右へ曲がろうが左へ曲がろうが自分勝手で、止まるべきは相手であると本気で思ってる。運転免許など、自分が自動車を自由に使うための手形程度にしか認識しておらず、交通ルールなど忘れて久しい。程度の差こそあれ、排他的傾向を持つ人とのコミュニケーションは難しい。いつどんなタイミングでどの程度の破壊力を持つ地雷を踏むかわからないからだ。これといった対処の仕方が思い浮かばない。

 人権が嫌いというか、「お前には人権の匂いがする」と言われたことが何度かある。意味がわからないのだが、たぶん全体で何かの行動を取ろうとするときに、個人としてその行動の是非を論じてしまう傾向に対する反感ではないかと思う。何度も経験したことだが、クラスで特定のやつをいじめようということになって、私にもそれに加担するよう迫られる、私がそれに与しない場合、同じような言葉を吐きかけられることがある。人権は民主主義の根幹であって、これを認めてしまうといろんなやつが自由に入ってくる。特に共産主義者が入ってくることに、非常な警戒感があるようだ。表向きは国民主権・基本的人権・平和主義を堅持する精神を支持しているふりをしているけれども、本音の部分ではこれらに対する反感、特にこれらを認めてしまった場合に自分に降りかかってくるかもしれない事態に対する不安があって、それに対処するくらいなら、自分を守ってくれる大きな力に依存した方がマシだという価値判断となる。この心情について理解する必要がある。

 共産主義は、富の再分配を論理的に体系化したイデオロギーであるので、その利権から恩恵を得ている、得ようとするすべての人から敵視される。現代社会では、非常に多くの人を敵に回している。逆に言うと、これを支持するのはどこからも恩恵を得ていない、得ようと思わない人たちである。ところが現実の共産主義政権は、富の再分配にはある程度成功したが、指導力という権力の再分配を行わなかったため世界中で崩壊した。従ってマルクス・レーニン主義を原理的に実行に移すことはありえない。日本共産党でさえマルクス・レーニン主義と決別して久しい。しかし反共を掲げる人たちはそれを認めず、攻撃対象を維持して自己のアイデンティティの確立と集団の結束を図るため、架空の共産主義者をでっち上げて攻撃している。頭を冷やせばわかることである。

 これ以上はきりがないからやめておこう。要するに、彼らは何か大きな力があって、それが自分を守ってくれることを期待しているのではないか。それが国であり政府であり、だから国が決めてみんなで団結しようとして気分が高揚しているときに、それに異を唱えたり、理解できない理屈を並べられたりすると、興ざめになり鬱陶しくもあり、腹立たしくもあって排除したくなるのではないか。だとすれば、その大きな力とやらが、本当にあなたを守ってくれるのだろうかということを、きちんと説明するのが最も良い方法だと思っていろいろ試すんだが、気分の高揚しているところへ水を差すと反撃されるんでね、難しいんよね。でも私はあなた方を理解しようと努力するよ。だからいろいろ書いてきてくれた方が助けになる。



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20160713 独裁への扉

 多分、これは私の推測だが、日本の社会や経済もこの先あまり明るくなくて、国際情勢も緊迫してて、何事もこれまでのんびりと平和だったような状態はではなくなりつつある、という現状認識は大方の人が共通して持っていると思う。そこをどう切り抜けるか、様々な階層で意見が分かれて、複雑な対立構造になっているのが、今の日本の世論だと思う。問題の整理が必要だ。伊丹のくせに偉そうなこと言うな、なんて言うな、みんながやればいいんだ。

 世界は多様な方が良い。モノカルチャーは破滅する。特定のイデオロギーや信条が強すぎる社会では生きていけない人が出る。だから政治体制は寛容な方が良い。国内的にも国際的にも厳しい世の中になったことは認める。武力をもって武力を抑止するという考え方も、一定の厳しい制限の元で認めた方が良い場合もあることは理解する。しかし人間は弱い。力を手にすると暴走することがある。武力を持った人間が暴走すると無辜の市民を巻き添えにする。だから戦争反対というスローガンができる。私は軍事的な抑止力を、国際紛争の解決方法として用いる考え方を全否定するつもりはない。ただ現状において、世界中の武力を軍事的に抑止できるだけの中立的で信頼できる統制力を持った文民組織がないから、この考え方に反対しているのである。したがって、日本の集団的自衛権の行使容認や、軍事力の拡大へと向かう憲法改正には反対する。

 もう少し説明したい。世界中の国家を中立的に統制できるような組織がこの世にあるなら、その文民統制の許での集団的自衛権の行使は認められるべきだと思う。しかし国連にしても、その他の国家連合にしても、その主要なグループの利権を温存するための組織であるので、そんな役割を果たしていない。だから現状としては、すべての国の集団的自衛権の行使は、実情として紛争を解決する手段になっていない。その段階で、軍事力の拡大へと向かう憲法改正について議論することは、特定の利権を温存するための行動であり、国民の側から見た国益に反しているので、私はこれに反対する。

 問題は、愛国心や国防という切り口で国民の心情を味方につけ、実は特定の利権の温存を図ろうとする別の動きに、それが利用されようとしていることである。このようなトリックは安倍政権になってから多く見られるようになった。例えば原子力発電所の安全性をいくら議論しても核物質を自然に戻すことなどできないにもかかわらず、原子力発電の全行程の一部にすぎない発電所の安全性の議論を以って、原発再稼働の論拠とするなど枚挙にいとまはない。つまり、普遍的な一般論で国民の合意を取り付け、そのうち政権に都合の良い部分だけをつなぎ合わせて自分たちの有利な向き、すなわち独裁に向かって政治を進めている。

 独裁が始まってしまうと永年にわたってそれは維持される。国民の多くは自由の制限された状態に置かれ、思考停止し、独裁体制によって利益を得る人は保身に走り、自分の有利な方へ駒を進めることによって生き延びようとする。ごくわずかな恩賞をありがたがり、結局、社会全体としては小さなコストで大きな労力を動員できるようになる。それは実に巧妙に、徐々に、洗練された方法で行われるので、気付かれにくい。しかし、文化の多様性は確実に失われるので、より大きな変動に耐えられるかどうかはわからず、社会としては極めて脆弱なものになる。

 独裁の過程で、国民の団結を維持するために、しばしば共通の敵が設定される。外国であったり、国内のマイノリティであったり様々だ。独裁者は、何度もなんども執拗に新たな線引きをして、体制に忠実な者を選りすぐり、より効率的に体制を安定化させようとする。その陰で多くの命が犠牲になり、才能が流出したり消えて無くなったりする。これらの損失も、社会を次第に脆弱にしていく。こうしたことは、歴史上イヤと言うほど繰り返されてきたことであり、その都度破滅を招いてきたのである。安倍政権が、これと全く同じ轍を踏んでいることは、その口から実際に吐き出された欺瞞に満ちた受け答えを聞くだけで十分だと思う。要するに、厳しい状況を切り抜けるために本能的に身を軽くして、身内だけに利益を集中して生き残りを図っているとしか思われない。つまり多くの国民は、いざとなれば切り捨てられる。右も左もない。国のために命を捧げるという模範的国民の本望通りになる。

 だからこそ、そうならないために、全く別の世界観が必要ではないのか。厳しい状態は、要するに経済発展の余地がなくなってきたことに起因する。好むと好まざるとにかかわらず、不都合な真実を認めなければならない。経済発展どころではない。いかに痛みを和らげつつ縮小していけるかだ。究極的には、ほぼ原始的な生活にまで帰着することを想定して、人類の英知の全てを結集し、人類そのものがめでたく自然界に帰ることができるようにロードラインを模索するべきだ。それはできるだけ緩やかであってほしいが、地球環境の状態と、人類が製造したすべての人工物を自然に戻すことのできる速さとの関係を、全く利権に左右されることなく、純粋に科学的に割り出さなければならない。あるいはもう間に合わないのかもしれないし、全人類が合意することなど、これも不可能に近い。しかし、何世代か後の我々の子孫が、人類と地球環境の悲劇的な破滅を味わうことを思えば、少なくとも議論を始める勇気だけでも持つべきだ。

 私は現在、一切の動力やケミカルを使わずに営農し、自給生活をしているが、日本経済の30分の1程度の経済規模しかないので、社会生活が破綻寸前である。残念ながら、あと一年余りで破産する見込みなので、一旦農業から撤退し、資金を作り直してから再挑戦する。本来、こんな目に会うこと自体、間違った社会だということを痛いほど感じている。しかしそれが現実だ。

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20160711 大阪兵庫護憲派全敗の謎

 参議院選挙の結果は、全国的には想定内だったが、兵庫と大阪で護憲派が全敗したことには大変驚いた。これが民意なのか。「維新」にあれほど撹乱されてもなお、彼らに期待をつなごうとする人がこんなにも多いということが、まず理解できない。しかしこれが民意なのだ。何を望んでいるのだろう。やはり力か、強い日本か、苦しみから解き放ってくれる誰かなのか・・・この事実をどう理解して良いのかわからないままに、時は過ぎていく。改憲の最後のハードルは国民投票だが、願わくば自由な議論が深まることを期待する。

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20160710 参議院議員選挙

 投票日になってしまった。投票の制度がいまいちよくわかってないんやが、諸般の状況を考えると、選挙区も比例代表も共産党でいこうと思ってる。

 自分なりに、ないアタマを絞って考えたんやが、まずほぼ間違いなく自民党は初志を貫徹するだろう。なぜなら私より上の世代は、上へ行けば行くほど、また一票の比重の重い地方へ行けば行くほど、「これまで世話になったから」自民党に投票するし、世代に関係なく生活の苦しさは景気の悪さが原因だと思い込まされている大多数の国民は、景気対策を期待して自民党に投票するからだ。いかに別の価値観を謳ったところで、これまでの価値観を変えまいとする人の方がはるかに多い。

 「これまで世話になったから」人も、「これからもお願いします」と思ってる人も、要するに今の生活から転落することを極度に恐れてる。原発に反対でも、戦争に反対でも、貧富の格差の広がりに不満を持っていても、現在のところ景気対策と称してカネを動かせるのは自民党以外にないからだ。しかし残念ながら、これらはセットになっている。原発に反対で戦争に反対で貧富の格差の広がりに不満を持っているが、景気は良くなってほしいというのはないものねだりだ。景気をよくしようと思えば、このセットを丸ごと受け入れる以外にない。それが嫌なら景気回復は諦めることだ。実際、身の回りを見渡せばすぐにわかる。もうどこにも景気を回復できそうな余地はない。余地を作るには、何かを破壊せざるをえない。最も効果的なものは戦争だ。戦争は、経済的な動機で行われるものだ。

 もちろん野党はこれに反対しているが、どれもこれも第一に自己保身があって、そこからの反対でしかない。あるいは論拠に厳密性を欠く。民進党とやらは呉越同舟どころか、もうなにがなんだかわけがわからんし、生活の党の三宅洋平氏の情熱には共感するが、細かいところで論拠が脆弱で、自分に都合の良いものを繋ぎ合わせて論陣を張っているように見える。山本太郎氏の言うことはもっともだが普遍性を欠き、もと役者だから致し方ないにしてもパフォーマンスが強すぎる。それに第一、その隣でじっと様子をうかがってる古狸が一番信用できない。だからどうしても私の一票 (厳密には2票) ・・・選挙区が違うから無理だけれども・・・を投じる、あるいは人に勧める気持ちにならないのだ。

 その点では、共産党は主張が首尾一貫していて最も体系的である。しかしながら理詰めで考える癖が強すぎて人心の動きに添いきれない。共産主義から出発しているから、既得権益を再分配することがイデオロギーの柱なのは理解するが、その達成を目指すベクトルと、景気回復を目指すベクトルが、最終的には衝突せざるをえない矛盾について論理的な整合性が見られない。

 要するに野党はいずれも、原発に反対で戦争に反対で貧富の格差の広がりを是正し終えた後の世界について描ききれていないから、人心は不安に煽られて、今の生活が壊されるくらいなら自民党に入れておこうとなるのだ。かくして、原発は再稼動し、戦争はいつかどこかで起こり、経済的弱者は切り捨てられる。そうしないと日本社会がこのままのギリギリのところを維持することさえ難しいということを、生活実感として共有しているからだ。

 原発を止め、戦争を放棄し、人々が平等になるには、経済発展を諦めなければならない。これは自明のことだ。しかし、私を含め大多数の日本人に、その勇気がない。国際情勢は、勝ち組か負け組か、どちらかに属することを強いられる。中立は極めて困難だ。ましてや、日本は長年勝ち組のさらにトップ・エリートだったのだ。勝ち続けることがいかに困難か、負けるとどうなるか、識閾下に日本人はよく知っている。電気もガスも水道もない生活に戻る勇気はないのだ。

 自民党が勝つのは、そういう国民の意識の表れであって、これも民主主義の帰結である。様々な陰謀があるかもしれないが、詰まるところ、国民は客観的に自分のできることとできないことを認識していると思う。不都合な真実は封印されて自分の身に降りかかって来ない楽園に住むことを、国民は望んでいるというわけだ。

 自民党を打ち負かすには、原始的な生活も悪くないということを国民の意識に浸透させる必要がある。原発を止めたら、日本は国際的なエネルギー利権のネットワークから除外されることになり、全てを人力で動かす必要に迫られる。戦争を放棄したら、日本は国際的な外交ネットワークから除外されることになり、もしかしたら鎖国を迫られるかもしれない。人々が平等になったら、ごく普通の一般的日本人が途方に暮れて社会秩序が崩壊するかもしれない。

 しかし、自民党を打ち負かすには、そこから出発することが、持続可能な社会の始まりであり、そこへ軟着陸するためのロード・ラインを示し、その着地点から一つずつ積み上げる社会を、明確なビジョンとして提示できなければならない。そのためには、お互いに到底受け入れがたい主張であっても、一つの国に共に暮らしているという意識を共有することを、寛容に友好的に忍耐強く話し合った上で、やはり持続的な社会に導くためには他に方法がないことが合意される必要がある。それは政治家の仕事ではない。安全な食品や安心な生活に気づいた人たちの草の根の運動になる。それができて初めて、我々は、我々の反対する根拠と、その反対の先にあるものを、明確に提示し、既存の政治的価値観を乗り越えることができるだろう。

 国際貢献のために武力を行使するのだと自民党は言っている。では武力を使わずに同じ国際貢献ができるという、明確で落ち度のないビジョンを提示することができれば、彼らはその論拠を失うことになる。その明確なビジョンがまだ誰にも提示できていないので、自民党は勝つのである。

 兵庫県では、改選議席のうちの一つを自民党に渡さないためには、野党第一党である民進党に入れることが有効とされている。しかしその一票が、その後に分裂するであろうわけのわからない魑魅魍魎の肥やしになることをも考慮せざるをえない。したがって私はこの歳になって生まれて初めての一票は、共産党に投じることにする。わかっとるやろな。

posted by jakiswede at 19:25| Comment(0) | NO MORE ABE !! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20160707 全滅街道

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 ジャガイモの収穫、ある程度実っていた株は写真のほか数株で、あとはほぼ全滅状態。ちょっと原因がわからんが、とりあえず先に進むしかない。


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 ポット巻きした豆類もほぼ全滅。これは多雨と高温による過湿であろう。軒下の日陰でやるべきだったかな。

posted by jakiswede at 19:24| Comment(0) | 農作業食品加工記録2016 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする