2010年05月23日

田植えの予定

 雨が激しいようですが、いかがお過ごしでしょうか ?? 苗代の苗は順調に生育し、私の方は予定通り6/05-06に田植えをいたします。以下、三週間続けて田植えがありますので、いずれかご都合の良いときにご参加ください。基本的にJR道場駅まで送迎します。受け入れ準備をしますので、事前にご希望の日程をご連絡ください。詳細についてはメール交換でさせていただきます。また、平日をご希望の方も、出来るだけ段取りしますのでご連絡ください。田植えは、伝統的な「田植え枠」を使って手植えします。たしかに腰がきついですが、昔からこのようにして日本人は食料を生産して来たことが実感できます。水生昆虫などの生き物にも触れることが出来ます。農薬も化学肥料も使いませんので、雑草は手で取ります。稲刈りも手で行い、後は天日干しで太陽の光をいっぱい受けて乾燥させます。作業を手伝ってくださった方には、出来るだけ新米を分配しております。

5/29-30 お知らせしておりました神納家の田植えは6/19-20に延期
6/05-06 伊丹 コシヒカリ
6/12-13 岡家JLC自然塾・伊丹 古代米
6/19-20 神納家 山中の棚田 コガネマサリ

畑の方ではイチゴが穫れはじめています。畑の手入れをしてくださる方は、いつでもOKですのでご連絡ください。よろしくお願い申し上げます。


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   伊丹 正典 Itami Masanori
   jakiswede@mac.com
   http://homepage.mac.com/jakiswede
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イチゴの収穫・夏野菜の観察

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2010/05/20
 お隣の田んぼの田植えが終わった。

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 至る所からスイカが発芽している。今年の夏は楽しいぞ !!

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 最近、イチゴは鳥ではなく、イタチにやられるようになったので、トンネルではなく、策に網を張って防御する。収穫は網越しに上から穫る。

2010/05/23

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 そのイチゴを収穫してみた。今年は色が濃くて大粒だが、ハシリのためか、肥料をやってないためか、かなり酸っぱい。


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苗の状態と畦のその後

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2010/05/18
 今日はお三味線のお稽古の日なのであるが、パンちゃんとその友達が手伝いに来てくれたので、段取りだけ説明して、私はお稽古に出る。コシヒカリの苗は2-3cmほどに成長している。

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 これは、パンちゃんたちが畦塗りしてくれた苗代部分である。まず人をほめることのない国産みの尊が「ご精が出まんなあ」と声をかけていったというから、これは合格である。いやすばらしい。私はこんなに丁寧に出来まへんなあ。この部分も、また先日塗り上げた本田部分も水漏れはなく、今年の畦塗りは、まず成功という訳や。やれやれ、いっこいっこの積み重ねやなほんまに。

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夏野菜の観察

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 2010/05/15
 老残の身を戒めるために、今日はひたすら農作業にいそしむ。トマトが発芽している。ナス科の野菜は、ナスを除いてほぼ出そろった。ナスが発芽しなければ、苗を購入して育てる。

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 ジャガイモは、霜にやられたとは思えないほど、復活して青々としている。間もなく芽かきと一回目の土寄せをする。

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 イチゴの実が熟しはじめている。

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 ニンニクは、近所のお百姓さんからほめてもらえるほどであるが、実は私は旅で不在で放置していたのだ。まあほっといても育つという訳や。

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 タマネギも根が太りはじめている。50回目の私の誕生日は、この後、先日刈り取った土手の草などをかき集めて燃やす作業などをした。



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「Salt & Uribossa: 風のメロジア」をほめる


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和ボッサナイト

by Salt & Uribossa

〜ひと味チャウダーヂ〜

5/29sat.

19:30〜

charge ¥1,200

(ご飲食は別途です)

なにわのブラジル「カイピリーニャ」

http://caipirinha.jpn.org/

〒550-0004 大阪市西区靱本町1-15-4-1F

Tel.06-6445-3886

 

http://vids.myspace.com/index.cfm?fuseaction=vids.individual&videoid=101302832


 この5/29 (土) に行なわれる彼らのコンサートに客演させていただく光栄に預かり・・・というか無理矢理伴奏させろと脅してしゃしゃり出るようなものなので、ただしゃしゃり出るだけでは悪いから、そのアルバム「Salt & Uribossa: 風のメロジア」を私なりにほめたいと思う。もちろん私は個人的にUribossa氏とは長年伴奏させていただいている仲であるし、ほかに掛け替えのない音楽的パートナーと思えばこそそうしているのであって、ここに完成した作品「Salt & Uribossa: 風のメロジア」がことのほかすばらしかったのと、やんごとなき精神的な衝動があってこそごり押ししてまでしゃしゃり出ることにしたのであるから、とにかくこれをこころからほめておきたいのである。これを読んで是非会場にまでお運び願いたい。この作品がどれほどすばらしいかというと、それは例えようもなくすばらしいのであるが、私がコンゴの奥地の長旅のさなかに、最も困難で危険な状態にあったとき、私の心に深い平静と、理解しがたい状況に対して愛情をもって接する落ち着きを与えてくれた。極限におかれた人の心さえ解きほぐすほどの究極の癒しであり、Bossa Novaという形をとって日本語で歌われた歌曲の中で最高の部類に属すると思う。また、50歳周辺のお父さんの目から見た自分・パートナー・わが子・社会・世界への視点がごく自然体で、何の奇をてらうでもなく、大上段からものを振りかざすでもなく、さらっと歌い上げられているところは見事というよりほかにない。

 曲はすべて日本語で歌われている。日本語をBossa Novaの曲調の中に置くにあたって、これほど慎重に、ブラジル音楽への敬意を込めて、しかしあくまで自分の言葉で歌うことにこだわった作品は他に例を見ない。すなわち往々にして日本語で歌われた外国の歌曲は、日本語を置いた時点で日本語が強く出過ぎて、そのオリジナルの良さが失なわれてしまったり、あるいはオリジナルの正式な「あるべき姿」に固執拘泥するあまり、逆に日本語が奇ッ態なことになってしもて、聞いてて寒イボの出たりすることがほとんどである。しかし彼らの歌は、言葉としてきちんと日本語としての意味を通じておきながら、音楽としては全きBossa Novaである点ですばらしい。それは軽く聞き流されてしまうほどさりげないものであるだけ余計よいのであって、私は、それら様々な落とし穴に陥ることなく、自分たちの美的感覚を貫いた彼らの姿勢に心から共感する。しかも、歌とギターのみというシンプルきわまりない形にこだわりながら、曲調は実に多彩であって、余分な装飾のない、足許のすっきりした音楽、人柄の現れた音楽である。わたしもそんな彼らのお仲間に入れてもらいたい。伴奏することを通して心を洗い清めたいというのが、無理矢理伴奏させろと脅してしゃしゃり出ることにした偽らざる動機である。

 Bossa Novaとはなんであろうか、と最近よく考える。日本にもBossa Novaを愛好して演奏する人は多い。だからその解釈は、それに携わっている人の数だけあってよいと思う。そして解釈が一致するか、共感できる場合に、共演するなど行動をともにすれば良いと思っている。では私の解釈とは何か。端的に言えば、すれすれのところで不協和音に落ちない微妙にテンションのかかった和音を果敢に用いることによる音の実験と、歌詞の押韻とリズムを意図的に変化させることによってぎりぎり乱れない線を狙った言葉遊びによって演出される独特の音楽だということができる。それはきわめて緊迫したものでありながら、口当たりはまろやかで聴く者の心を解きほぐし、おしゃれで楽しい。そして音と言葉による無限の組み合わせは再現性がなく、発せられたその場で消え去ってしまうほどにはかないものである。だからBossa Novaは、聴く者をして夏の終わりの寂寞感を覚えさせる。

 私自身は、特にブラジル音楽の一ジャンルとしてのBossa Novaが好き、というわけではない。ブラジルのミュージシャンとしては、Joao Gilberto・Caetano Veloso・Arto Lindsayの音楽をこよなく愛する。Joao Gilbertoのつぶやきが、上に述べたような繰り返し繰り返し飽くことなく試される音楽的実験であり音遊び言葉遊びであり、それは無限に変化しながら反復し続けるということに気がついたとき、彼の音楽の世界に心が開かれた。それをBossa Novaというのかどうかは知らない。しかし、Uribossa氏が日本語で「Bossa Nova」を歌っているのを聴いたとき、その歌い回しと節回しを聴いて、彼のやろうとしていることがわかった。そこで彼の伴奏をさせてもらえるようにと申し出た。私はご多分に漏れず多くのブラジル音楽を聴いたし、先頃ひと月足らず彼地に滞在したが、残念ながら自分がのめり込むに足る音楽には出会わなかった。これからもブラジル音楽そのものにのめり込むということは、おそらくないであろう。

 さて、それでは「Salt & Uribossa: 風のメロジア」の内容について、特に気に入った部分をほめることにする。歌詞を引用する。

 

  伝えたいのは 言葉じゃなくて 欲しいのは別に 慰めじゃなくて

  ただ いつも 君とつながっていたいだけ

「Chamada de Amor (愛の電話通話)」

 

 いくら言葉を積み重ねても埋まらない溝がある。重ねれば重ねるほど深まって行く溝もある。もはや言葉は要をなさなくなり、しかし相手を思う気持ちはお互いに残っていて、電話線一本でつながっていることによって、やっと平安が得られることもある。

 

  ごめんねと言いたいけど いつも口ごもってしまう

  ありがとうと伝えたいけど 別の話に変わってしまう

  だからこうして 歌を歌っているのさ

 

  君を愛してる 歌ならちゃんと言えるのに

  君を放さない こんなにちゃんと言えるのに

  だからこうして 歌を歌っているのさ

「Eu te Amor (君を愛してる)」

 

 言葉にして伝えることが出来れば、とてもうまく行くことがわかっているのだけれども、僕たちの世代では、まだそれが出来にくくて、若い人たちのようにストレートに表現しにくくて、それが誤解を招いてしまうこともある。言葉にできないから行動で示そうとするのだけれども、結果が出るまでに時間がかかって、それまで待っててくれないこともある。本当に伝えたいのは、ものすごく単純なことで、わかってしまったら「なあんや、そんなことやったん」というほど他愛のないことなんだけれども、それが愛しいかどうかは、わかってみて初めてわかることであって、それが怖いこともあって、なかなか言葉にできなくて、結局何も言えずに終わってしまったりする。そんな人たちにも贈りたい音楽やね。

 

  気のきいた言葉より そばにいてよ なんにもいらない あなたがいれば

  これほどあなたが 愛しいなんて 涙が出るほど せつないなんて

 

 そうなんや。僕があなたと一緒にいたい気持ちはこれだけなんや。この気持ちは、今も昔も、今までつきあった誰に対しても、変わったことはない。

 

  つま弾いたギターの音 風にのせて あなたへの想い 届くといいな

  これほどあなたが 必要だなんて 声も出ないほど さびしいなんて

 

 言葉にしても届かない。言葉は本来、人と人とを結びつけるためにあると思っていたが、言葉があるおかげで、人と人とを遠ざけてしまうこともある。だから、人はいろいろな方法を試すのであろう。音楽を演奏することもその一つ。しかしそれも相手に届かないことが多い。しかし届けようとしてしまう。あなたがいなくなってしまったいま、言葉も声も出ないほど、暗黒の密室に閉じ込められている。

 

  愛されていたことにも 愛してたことさえも 

  気づけないでいたけれど そんな僕のために Esteja perto de mim. (そばにいてほしい)

 

  これほどあなたが 愛しいなんて これほどあなたが 必要だなんて 

  気づけないでいたけれど そんな僕だけど Esteja perto de mim. (そばにいてほしい)

「Esteja perto de mim」

 

 僕たちがうまく行っていた頃は、少なくともそう思っていた頃は、愛なんて意識したこともないくらい当たり前にそこにあった筈なのに、そんなこと問題にもならないほど、二人はともに歩んでいたと思っていたし、僕はあなたのためによかれと思って最大限の努力をして来たのに、突然あなたの姿が見えなくなってしまう。トイレにでも行ったのかなと思ってしばらく待ってみるのだけれども、いくら待っても帰ってこない。やがてあなたが本当にいなくなってしまったと気がついたときは、もう「愛」なんて影も形もなくなっていて、取り戻すどころか、所在すらわからない。取り残された自分を思い知るのはそれからのことである。ともに暮らした日々が長ければ長いほど、体や思考の隅々にまであなたが入り込んでいて、あなたがいなければ何も出来ない。買い物一つするときでさえ、あなたのためによかれと思って選んでしまう自分がいる。もうあなたはいないのに。あなたならどうするかを考えてから、自分はどうしようかと考えてしまう自分がいる。言葉にすることさえ無意味なことは百も承知だけれども言葉にせざるを得ない。「そばにいてほしい」・・・しかし日本語ではあまりにも自分の言葉が自分の心に突き刺さりすぎるので、ポルトガル語でEsteja perto de mim.

 

  出会った頃には もう戻れないけど 若かった頃よりも 今の君が好きだよ

「片寄せ合えば」

 

 聞いたか ? おいお前等、おれに肘鉄食らわして去って行ったすべての女どもよ、お前等全員耳の穴かっぽじくってよう聞け。お前等はなあ、俺からこのような至福の言葉をかけてもらえる歓びを永久に失なうたんや。哀れな女どもよ、もう一度上の詩をよく読んで噛みしめてみるが良い。これ以上の愛の表現があるか ? 「私を一生幸せにしてくれる ? 」て言うから俺は一生懸命お前のことを第一に最優先して行動して来た筈や。どんなに寝入った夜中でも電話一本ですっとんで行ったし、どんなに理不尽な要求でも無理難題でも、たとえ出来なかったにしても、あらん限りの手を尽くして実現に向かって邁進した筈や。哀れな女どもよ、それやのにお前等は俺に対して何で報いた ? 俺はなあ、そうした努力を生涯積み重ねて行くことによって、いずれ時がきたらこのような言葉をかけて、心しみじみどぴゅっと一発熱いのんを放り込・・・せやのにお前等いつの間にかおらへんようになったやないけ。哀れな女どもよ、俺がこのような至福の言葉をかけうる希有な存在であることに気づくこともなく、どこの馬の骨とも知れん野蛮人のもとにしけこみやがって、哀れな女どもよ、お前等どこなと往て犬にでもクワれてまえ。

 

  そうさギターに合わせて 一緒に口ずさんでごらん

  ほらやっぱり君には 笑顔が似合うよ

「Sorri (微笑み)」

 

 人は、傷つけたことにはあまり気づかないが、傷つけられたことはよく覚えているものである。そこに意識の落差があるのであって、傷つけてしまうのではないかと思って十分に気配りしてるつもりではあっても、気づかないこともままある。気配りは大切であるけれども、ひょっとして気づいていないのではないかと気配りしてくれることもまた大切。そうやって、お互いに衝突することを避けるのも持続可能な人間関係の秘訣である。だからといって、互いに衝突を避けるあまりものも言えない状態に陥ってしまえば、何のために一緒にいるのかさえわからなくなって、もうあなたを愛しているのかどうかさえわからないからリセットしましょうなんて・・・失礼・・・しかし、傷つけてしまった以上は誠心誠意謝って、このように慰めて、とにもかくにも機嫌を直してもらうことが先決なのであるが、そんなこというてもさあ、不機嫌な顔して座ってたら周りがちやほやしていろいろお膳立てしてくれて、なんとか満足のいく結果が出そうになったら渋々腰を上げるようなタカビーな女をやね、こんなふうに甘やかして機嫌とってナントカしようと思うてもやね、そんなもん所詮は俗物であってその低俗な女の趣味にまでつきあわされてケツの穴までむしられて利用価値なくなったらポイ捨てされるのが関の山や。だからこんな風に女を慰めてつかの間の愛をつなぎ止めようとしても・・・ちゅう歌ではなくて、これは傷ついてしょげて帰って来た娘に対して、ナントカ元気づけようとするお父さんの歌なのでした・・・失礼。つい自分の恨み節が先走ってしもて・・・もう愛や恋やとほざいてるような年齢やない。しかし、こんな優しいお父さんやったら、そら家族愛ちゅうもんも育まれるわな。

 

  萌える緑息づく 谷間を抜ける風に 心と体あずけ 静かに目を閉じる

  木々を揺らす風の音は 深く木霊して 君の掌 (てのひら) に 届くだろう

  そのとき風は 花になる

 

  高く雲が伸びゆく 海辺を駈ける風に 涙と未来ゆだね 静かに心開く

  波をつくる風の声は 蒼く色づいて 君の爪先まで 染めるだろう

  そのとき風は 詩になる いつしか君も 風になる

「Makani (風)」

 

 このアルバムで2曲しかないUribossa氏の曲のひとつである。シュールな詩でその意味するところを量りかねていたのであるが、先日その真意をきいた。でも教えてやらない。静かに歌われるUribossaらしい穏やかな名曲である。声の質感の中に限りない人間の暖かさが感じられる。Salt氏の声がどちらかというとはっきりしているのに対して、Uribossa氏の声は、Bossa Novaという曖昧な夢の中に溶けてしまいそうな儚い感触を残して消えて行く。実に美しい名曲である。

 

  あの頃の君は 透き通る瞳で 時計の針も 帰り道さえも 気にせず歩んでいた

  あれから季節は 有り余る思い出と 忘れ去りたい 悲しみの音 運んで消えていった

  você você você você quando jovem (若い頃の君)

 

  あの頃の夢を 忘れてはないけれど 目の前の道 遠すぎる空 交わることもなくて

  você você você você quando jovem (若い頃の君)

「Você〜君の声〜」

 

 Uribossa氏のもう一つの曲である。私は個人的に、この曲こそは日本語で歌われたBossa Novaの最高傑作ではないかと思っている。ちなみに日本語で歌われたSambaの最高傑作は、マルタニカズ作詞カオリーニョ藤原作曲の「手品師の帽子」。はじめ私は「você」を文字通り「あなた」ととらえ、よめはんに対する決別の歌かと思ってびっくりしたのであるが、そうではなくて、過去の自分にたいして「você」と呼びかけ、若い頃の夢と自分の置かれた現状を並べて、たしかに嘆息しているように聞こえはするけれども、どことなく現実離れしていて、実にBossa Novaチックに気怠い空気を醸し出しているところに、Uribossa氏の真骨頂が現れている。シンプルな曲調でありながら、淡々と自己を眺めるクールな詩が、実に味わい深い。個人的なことになるが、先だっての旅のさなか、コンゴの奥地で湖を渡る連絡船の中で、定員と重量を遥かに超えて積み込まれた乗客・豚・農産物・干し魚・小麦粉にすし詰めにされて、強烈な悪臭と騒音に気が狂いそうになりながら寝付かれぬ三日目の夜、ふと思い立って持参のMP3プレイヤーに納められたこのアルバムを聴いたのである。そしてこの曲にさしかかったとき、強烈に胸の奥から突き上げてくるものがあって、私は嗚咽をこらえきれずに号泣した。「目の前の道 遠すぎる空 交わることもなくて」・・・先刻ご承知とはいえ遅々として進まぬ行程、行く手を阻む悪天候やトラブル・・・歌詞本来の意味ではないけれど・・・あまりに激しく号泣するものだから、のしかかっている小麦粉の袋の向こうにいた心優しいコンゴ人がどうしたのかと心配してくれた。自分でも説明の出来ない感情がこみあげてきて「ひとりにしてくれ」・・・と言ってもそこはすし詰め、「俺たちも困難があって泣きたくなることもあるよ、まあ気の済むまで泣くが良い」などと、無責任というか、ある意味コンゴ的に優しい心遣いにふれた思い出深い曲である。

 

  神様の音楽が 僕らの心に宿って この地球の息づかいを 感じ取れたなら

  戦争 (あらそい) なんて なくなるのに

「風のメロジア」

 

 やはり旅の途中のことである。連絡船を降り、事情があって、川をピローグで遡ることになり、さらに泥沼の道を徒歩で越えて、別の部族の支配する領域に入った。そこは少々部族同士の小競り合いのあるところで、境界を警備している武装した自衛団に見つかって最寄りの村まで連行された。とはいっても、私はリンガラ語が話せるし、彼らとはコミュニケーションがとれていたから、特に心配していなかった。彼らも、また村人たちも歓迎してくれた。しかしとりようによっては、武装勢力に拉致されたと言えなくもない。村のサロン宿泊することになったが、物音一つない真の暗闇で、ふと思い立って持参のMP3プレイヤーに納められたこのアルバムを聴いた。そしてこの曲にさしかかったとき、その歌詞の意味をしみじみと、ありありと理解し、彼らの笑顔を思い出してぞくぞくしたことを思い出す。平和やエコロジーについて、こんなにも簡単な言葉で明瞭に表現した曲を聞いたのは初めてである。争っている場合ではない。しかしそれは日本のような環境であってこそ言えるもの。あの泥沼の道の先にあった村を取り巻く環境で、彼らにそんなことを伝えようとしても伝えきれるものではない。争いがあるから結束し、秩序が保たれ、モラルが生まれ、共同体が機能しているのである。それに対して、よそ者である私に何が言えるだろう。そして彼らは私を、賓客として迎え入れ、次の目的地までのルートの安全を見計らってくれてさえいるのだ。こうした事情に対して、私は赤子のように無力であった。しかし、このことは伝えなければならない真実なのである。そのことを武装グループのリーダーと酒を飲みながら議論したこともある。当然、話は噛み合ないが、彼らは私が音楽を通して平和を望んでいるミュージシャンであることは理解してくれ、護衛までつけて次の村まで送り届けてくれたのであった。もちろん武装した護衛ではあったけれども・・・

 

 さて、このような音楽を三人で演奏します。皆それぞれに忙しいのでなかなか一緒に出来ませんので、ぜひこの機会にお越し下さい。

 

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和ボッサナイト

by Salt & Uribossa

〜ひと味チャウダーヂ〜

5/29sat.

19:30〜

charge ¥1,200

(ご飲食は別途です)

 

Salt & Uribossa

 

http://vids.myspace.com/index.cfm?fuseaction=vids.individual&videoid=101302832

 

子どもたちの為の合奏曲から、ワールドミュージックまで

幅広い音楽を手がけてきたSaltと、

日本語によるジョアン・ジルベルトスタイルを追求してきた

Uribossaとのボサノヴァ・ユニット

童謡から歌謡曲、演歌やポップスまで、あらゆる曲を

ボサノヴァに仕立て上げる一方で、オリジナルにもこだわる、

右肩上がりのアラ5。

当日はパーカッションのゲストを交え、さらにパワーアップ!

 

なにわのブラジル「カイピリーニャ」

http://caipirinha.jpn.org/

〒550-0004 大阪市西区靱本町1-15-4-1F

 

Tel.06-6445-3886

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私流畦塗りの実際

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2010/05/15

 半世紀も生きながらえてしもた。こんなことになるとは思わなんだ。なにしろ高校生のときは、自分が40歳になるということすら、何か汚らわしいような、大人というものを皮膚感覚で拒否するような感性の持ち主だったが、さらに10年も年を重ねてしもうた。最近では老眼がひどく、動悸や息切れも目立つし、物忘れも頻繁だ。よくものを落とす。添加物にまみれた加工食品が出回る頃に育ち盛りを迎えているためか、ジャンク・フード味覚がどうしてもぬけない、というか、旅から戻って最初に食いたがったものはカップ・ラーメンで、待ち構えていたおふくろを失望させたりした。たぶん60代の人と比べても、体力は著しく劣るように思う。

 さて、泣き言を並べていても稲は育たん。代掻きを終えていったん水位をいっぱいにまで上げて数日置くとやがて水位が下がってくる。それが干潟のような状態になると、土がどうなっているのかがよくわかる。とろとろのヘドロのようになるのが理想で、なかなか良い状態である。田んぼの水がなぜ抜けないかというと、このとろとろの泥の細かい粒子が層を成して水を支えるからであって、これで田んぼの底は出来上がりである。畦塗りとは、田んぼのふちからの水漏れを防ぐために、このとろとろの層を側面にも施す作業をいう。まずは畦に添って、上の写真のようにそのとろとろを畦の高さまで積み上げておく。

 

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 健全な田んぼの象徴であるカブトエビとイトミミズが今年も早くから見られた。

 

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2010/05/16

 一日置くと、畦に積み上げたとろとろの層は程よく水が抜けて耳たぶくらいの固さになる。とろとろのままでは積んでも流れて扱いにくいのである。それを幅半分ほど踏んで踏んで水に慣らして粘土のような状態にして、

 

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鍬ですくって

 

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残り半分の上にのせる。勿論畦を乗り越えるがそれで良い。

 

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それを鍬で上から押し付けるように均して、

 

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畦の底の部分も靴で踏んで鍬で均して、

 

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側面も押し付けるように塗り上げていく。この際、だいたい望む幅が一定になるように、積み上げた泥を削ったりして調整する。要するにセメントをこねて土手をつくっているようなものである。

 

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 まあ均一な仕事の苦手な私にしては、まっすぐできた方や。

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コンゴの旅行の実際について 2

 KinshasaのN'djili国際空港の入国の実際についてはある程度イメージしていただけただろうから、RDC国内の旅行の際の注意点やほかとはおそらく違うありようなどについて書いてみたいと思う。まずお金の持って行き方についてであるが、2009年の9月に、コンゴで初めてのATMがKinshasaの都心に設置された。

 

http://www.procreditbank.cd/

 

2010年3月現在、Kinshasa市内の複数の交通の要所でProcredit BankのATMが稼働している。中央駅前・アヴィアテュール通り・6月30日通りの11月24日通りとの交差点西北角・Victoire広場 (!!)・Entree ya N'djiliの広場前・・・さらに多くのATMを見かけた。これらのATMでは「Plus」マークの国際バンクカードで、自分の普通預金からUSDを引き出すことができる。現地通貨FC (フラン・コンゴレーズ) では紙幣が多くなりすぎて機械から出せないためであろう。画面の指示とは関係なく、まずカードを挿入すると、英語のガイダンスを選ぶことができるので、後は指示通りに操作してゆけば良い。手数料は一回200円である。これを高いと見るか安いと見るかは、セキュリティと価値観により判断の分かれるところであろう。ともかく、このATMのおかげで、多額の現金を腹巻きや靴の中敷きに隠し持つ必要はなくなった。極論すれば、Kinshasa国際空港に到着するときに、USDの現金で200程度所持していれば、あとはなんとかなる。

 

http://www.procredit-holding.com/front_content.php

 

さらにこのHPを見られるが良い。Procredit Bankの本社である。「Business Policy」をお読みいただければ、この銀行の英断と飽くなき挑戦に感動し涙が出ることであろう。このような金融機関が地球上に存在することを誇りに思う。日本の金融業者に爪の垢でも煎じて飲ませたいほどだ。さて現地通貨は、とりあえず空港付近にたむろしている両替商から容易に手に入れることができる。露天の両替商は市内の至る所にいて、大きな鞄をたすきにかけていたり、机に現地通貨を山積みしていたりするのですぐにわかる。今回の旅行では銀行で両替しなかったのだが、おそらく長時間待たされた上、レートも悪いであろう。露天の両替商は、誰に訊いても同じ金額を答えるので、レートは全国津々浦々にまで浸透しているものと思われる。インフレの激しかった20年前とは違い、1ヶ月あまりの滞在期間中レートは変動しなかったので、今は比較的安定しているものと思われる。2010年3月現在USD1 = FC910、すなわちFC1 = 10銭の換算であった。中央駅前で思い出したのだが、かつてここにあった「Marche d'ivoire」は、駅前広場の再開発のため、ずっと西のGombe地区のRoyal、6月30日通りを西進して11月24日通りを越えてしばらく行った左手の汚い広場に仮設移転している。仮面・木彫りの像・象牙・マラカイト・宝石・骨董など、土産物ならたいてい揃うが、恐ろしく高いししつこく売りつけてくるので、余程の買い付け業者か、とにかく珍しいものなら高くてもほしい人以外には、あまりお勧めできない。

 さて、バック・パック程度の荷物を背負った外国人旅行者がN'djili国際空港から出るには、たいていの場合ぼったくりタクシーの世話にならざるを得ないことは既に言及したのだが、ぼったくられッ放しではもったいないので、そのドライバーを最大限利用すべきである。というのは、たいていの場合、そのドライバーは、空港のぼったくりシンジケートに雇われていることが多く、彼自身はそんなにもらってない。ということは、割と普通の金銭感覚を持っており普通に話が通じるので、ある程度の報酬を支払えば、ボディ・ガードにもガイドにも喜んでなってくれるだろう。なにしろ彼らも金が欲しいには違いないのだから・・・Kinshasaという町は、ガイドブックもわかりやすい地図もないし、あってもまず役に立たない。第一そんなものを持っていたら、例の「ヤやこしい人たち」の格好の餌食になるのが落ちだ。公共の交通機関は存在しない。移動手段は、先にちょっと言及したすし詰めのミニバスか、ゲットするのに瞬発的な運動神経と度胸と野太い声を要する流しのタクシーしかない。だから、慣れるまでは、この最初のドライバーを有効利用するにこしたことはない。最初のぼったくりを、わりと心証を悪くしない程度に支払っておけば、義理堅い彼らの国民性が顔をのぞかせる。タクシー業を生業としているので、彼らは本当に道の隅々までよく知っているし、インフラの整備されていないこの街で、突発的な災害や交通規制で、移動がままならないという面倒・・・これは大変長時間に及ぶ面倒であることが多い・・・を避けることができる。彼らはプライドが高いので、「知らない」とはいわない。知らないことは訊いてでも知ろうとするしつこさがあり、それは我々にとって役に立つ。それに、多くのコンゴ人は、非常に几帳面で厳格であるので、「お客様」を見捨てたり間違った道へ導いたりすることは少ない。三ヶ月もこの街に腰を落ち着ける覚悟ならまだしも、ある程度の日数で効率よくやりたいことをやり仰せるには、それなりの出費は覚悟した方がよい。相場は一日USD50程度。

 2010年3月現在、USD1 = FC910 (フラン・コンゴレーズ) で、比較的安定しているように思えた。ホテルはピンキリであるが、下町の連れ込みホテル・・・なかなか魅惑的なねーちゃんも常駐している勿論別料金・・・ならUSD10-30程度、ちょっと小マシなホテルでUSD60-100、都心の外国人が利用するようなホテルは、中級で150-200、高級ホテルはもう大変・・・いわゆるセキュリティを云々しだしたら、日本や欧米より高くつく。しかし私が宿泊していた連れ込みホテルでも、ちゃんと鉄の扉で鍵はかかるし門番も常駐しているので、ほんまに余ッ程゜のことがない限り大丈夫。そんな安ホテルでも必ず何部屋かごとに担当の子供 (たぶんホームレス) が付くので、身の回りの世話はちゃんとしてくれる。USD0.50程度チップを渡せば、何なりと探してきたり調べたりしてくれるし、みんな賢くてよく気が利く。バーは多いがレストランは多くない。食事は路傍でおばちゃんが家で料理してきたものを売ってたりするが、衛生状態や鮮度に問題があるので十分注意すべし。ビールはバーで飲むのが一般的でUSD1.50程度、下町の安メシ屋や露天デリカで満腹するのもUSD1.50程度、もちろんレストランはピンキリで都心へ行けばその10倍は軽くする。Kinshasaでは都心の物価は日本より高いが、庶民の中に入っていけば10分の一程度に抑えることも不可能ではない。しかし、この国で「郷に入り郷に従おう」とすれば、外国人は「主人」と位置づけられて、かならず「お付き」の者がつくので、彼(等)の面倒をみるとなると・・・。Kinshasaは全市的に頻繁に停電するので、ブロックごとあるいは戸別に自家発電の設備を持っていることが多い。ほとんどの場合ガソリンか軽油で動く小型発電機だが、何軒かで共同購入している場合が多いので、彼らはこれを「グループ」と呼んでいる。水道も停電時は断水しがちである。安ホテルでは、ろうそくかランプ、それにバケツが用意されていて、だいたいそのお世話になる。USD100程度のホテルでも、停電は一斉におこるのでランプとバケツの不便から自由であることはできない。ホテル探しの際には、「グループを持っているか?」と訊ねるのを忘れずに。中級以上のホテルでは自動的に「グループ」に切り替わるという話である。

 Kinshasa市内の道路は、主要な幹線は舗装されているが傷みが激しい。車一台が埋没しそうなほどの穴が結構あちこちにあいていて、それを避けるためにすべての車は蛇行運転を余儀なくされ、そのために慢性的に渋滞している。すし詰めのミニバスを乗りこなすのはかなりの勇気を要するが、タクシーは比較的簡単にゲットできる。タクシーは乗り合いが原則で、一人で借り切る場合「エクスプレス」という。メーターなどはないので値段は交渉次第であるが、市内であればUSD3程度。乗り合いの場合、距離にもよるがだいたいUSD0.50程度。つまり6人くらい乗せて走る計算である。ミニバスのことを「タクシー・ビス」といい、近距離でUSD0.30程度。近年の大統領令で立ち乗りは禁止されたらしく、「すし詰め」といっても全員着席するのが基本である。ただし座席は木の細長い台を何本も固定したもので、膝を交えるか膝を前の席の下に押し込んで、ハイエースのサイズで30人ほど乗る。ラッシュ時は強烈にエキサイトし、都心から下町へ出るのに1時間待つことは普通である。歩いた方が早かったりする。市内にはいくつかの交通の要所があって、その交差点か幹線道路沿いでつかまえる。タクシーの場合独特のサインがあって、手を斜め下に出して指をぐるぐるやるサインは市内近距離、幹線道路はほぼ放射線状に延びているので、その先を示したり、行く先を指したりして意思疎通する。最初は難しいので、交差点で止まってたり徐行したりしているタクシーに声をかける。タクシー・ビスは、乗ってから苦痛だが乗るのに苦労はない。切符を売る兄ちゃんがいて、彼らが野太い声で行き先を叫んでいる。中央市場など大きな交差点やロータリー、広場などでは、行き先別に止まる場所が決められていたりする。彼ら交通に従事する人たちは、いずれも親切で、たとえとんちんかんな訊き方をしても、笑って教えてくれることがほとんどである。また、例の「ヤやこしい人たち」に誰何されそうになったとき、近くをタクシー・ビスが通りかかれば迷わず呼び止めるべきである。ほんの数十円の出費で数千円を免れることができるし、第一時間の節約になる。彼らは人の動きをよく見ているので、タクシー・ビスを呼び止めた理由を言わなくても理解してくれ、適当な場所でおろしてくれる。そういう「使い方」は、コンゴ人も結構やっている。

 彼らは信じられないくらい視力が良い。暗闇でも良く見えるらしく、特に停電した夜道では、彼ら友達の助けがないと安全に出歩けないほどである。さらにKinshasaでは歩道にも、全く予期しないところに大きな穴があいている。ひと一人がすっぽり落ち込む大きさであるばかりか、底に汚物がたまっていたり、暗渠が口を開いていたりして、全く油断できない。ガードレールなんて気の利いたものは皆無であるが、真っ暗闇でも彼らは何の苦もなくそれらを避けて通ることができ、しかも歩くのがとても早い。調子に乗ってテンポを合わせていると、自分だけ落ちて大変なことになるのだが、非常に多くの場合、彼らはその寸前にその強靭な腕っ節でぐいっと引き戻してくれ、「気をつけろ」と一言残して闇の中へ去っていく。でも時々間に合わないことがあって、「Keba! (気をつけろ) 」と叫んで穴を指差してくれるのだが、その腕も黒いからこっちには見えない。自衛手段として、頭に巻いて使える小型のヘッド・ライトを用意すべきである。泥まみれになった私に、「しかしおまえこれからどうするんだ ?? そのナリじゃどこへも行けまい」といって、近くの知り合いの家でバケツと着替えを使わせてくれたりする。要するに、空港と例の「ヤやこしい人たち」以外の一般人は、まず親切で義理人情に厚く、几帳面で責任感が強くて物事のけじめに厳格で、視力が良くてフットワークが軽い、良い人たちである。

 だからリンガラ語を覚えて彼らとともに行動すれば、危険な状態はかなり回避できる。この国の場合、危険な状態とは、どういうケースが危険につながるかが予測しにくいから陥ることが多いのだが、地元の人たちはだいたいわかっているので、それに助けられている限り、かなり安全と言える。最も嫌われるのは、冒険や探検のつもりでやって来たことがありありとわかる格好、すなわちバック・パックに不潔な服装、伸びすぎた髪、カメラや保存食を持っていて、リンガラ語のヤジに反応しない・・・まあこれだけ揃えば、「剥がしてまえ」の対象になる。コンゴ人は非常に良く見ている。そしてプライドが高い。しかしインフラなどうまく行ってない部分は多い。そんな彼らの実情に、土足で踏み込むようなまねをしたら、・・・だから怖い・・・のではない。異なる文化や物質的な発展や経済的な裕福さの度合いの違いについてどう接するか、という人間性の問題だと思う。勿論それは、国や相手によって個別に対応すべきだが、コンゴに関して言えば、まずはリンガラ語を習得することと、彼らが誇りに思っているもの、例えば音楽に対して敬意を示すことが、彼らを味方に付け、それは一人では到底対応できないほどの厚みで、あなたを守ってくれることになる。

 交通事情に話を戻そう。コンゴの国内交通は、慢性的に供給不足である。すなわち恒常的にオーバー・ブッキングされており定員を遥かに超えて運行している。いわゆる公共の交通機関というものは、クーデター以後あまり機能していない。民間が無秩序に参入しているので、需給バランスに大きな偏りがある。片やすし詰めに詰めても足りず、片やすし詰めになるまで出発しないから、実に長時間、場合によっては半日以上も待たされる。それはタクシー・ビス、鉄道にはじまり、長距離バス、航路、そしてなんと往々にして国内航空にまで及んでいる。もちろん航空機をすし詰めにはしないのだが、逆に満席になるまで何時間も待つことになるので、遅延は当たり前である。その他の交通機関については、移動時間の短いものなら良いが、長時間、特に数日から数週間にわたることの多い航路などは地獄である。快適に過ごすための配慮などなされていない。つまり、外見は立派なフェリー・ボートでも、個室はおろか客室設備はあってもそこへ何もかも詰め込むので、横になるには相当の覚悟と疲労が必要である。いわんや木造船で何日も川をさかのぼるなど、よほど地獄を見たい人以外には勧められない。便所もないし、すし詰めにするのは人間ばかりでなく、家畜・農産物・畜産物・塩乾物・小麦粉などと混載、しかも降ろす順序をわきまえずに奥から詰め込んでいくので、停泊するたびに修羅場が繰り広げられ、収拾するまでに何時間も、場合によっては何日もかかる。家畜の排泄物とやまない鳴き声、農畜産物の腐臭、塩乾物の刺激臭、湿気を帯びて醗酵してゆく小麦粉の悪臭・・・当然入浴設備もないので、旅行者自身も徐々に臭ってくる。こうしたことに精神的に耐えられるか、悪化していく衛生状態に免疫がどのくらい持続するか、決してスケジュール通りに運行されずに遅延することに対してどれほど時間的余裕が残されているか・・・こうしたことやさらに起こりうる不慮の事態を勘案すると、多少の出費が嵩んでも都市間移動は空路を使うべきである。航空運賃は最も長距離の区間でも、USD250程度で確実にすわれるし、最近ではスチュワーデスのねーちゃんも美しく、簡単な機内食までついてくる。場合によっては、日本で使われていた古い航空機が内装そのままで使われていたりして楽しめる。陸路移動に一ヶ月以上かかるような長距離でも、空路ならば一時間強、まさに天国である。しかしながら、これでは旅の醍醐味がないこともまた事実である。快適さを求めにこの国に来る人もあるまいし、それなら家で寝ていた方が余ッ程゜快適である。苦難の旅には掛け替えのない味わいがあるのであって、例えば排泄する場のない船内で、いかに人を不愉快にさせずに排泄するか、そのために乗客がどのように協力し合っているか、その協力の輪の中に自分がいかにして入り込んでいくか・・・寄港地で互いに荷物を監視し合ったり、船内という密室で起こった諍いを協力して解決したり、数えきれないほどの人間ドラマが繰り広げられるのであって、それは「移動」という概念では到底くくりきれないものである。外国人が、この庶民的な移動手段を利用するには、相当の覚悟と忍耐が必要であるが、それに見合っただけの金では買えない旅の醍醐味が得られる。

 さて、地方への移動には、外国人が必ず留意しなければならないルールがあって、それは既に「第三の旅を終えて」

 

http://jakiswede.seesaa.net/article/148031210.html

 

という記事の後半に書いたので、是非とも参照された上で旅立たれるが良い。Kinshasa都心における外国人向けの物価は欧米以上に高いが、下町へ行くと桁違いに安くなる。さらに地方へ行くともっと安い。貧富の格差というものを実感する。また、アフリカ人は一般的に写真というものに対して特別な反応を示す。街頭でカメラを構えることは、場合によっては自殺行為である。空港や港湾施設・軍の施設はもとより、公共の建物や市場での撮影は現金で、違反すると逮捕監禁されることがある。どうしても撮りたければ、友達を作ってその人と記念写真を撮る振りをしてさりげなく背景に入れる。逆に友達ができると、実に執拗に撮影をせがまれる。彼らの間にもデジタル・カメラが浸透しているので、撮影した結果をモニターで見せろと要求される。インターネット・カフェ (彼らは「Cyber Cafe」シベールと呼んでいる) が普及しているので、すぐに連れて行かれてプリント・アウトまたはファイルに転送させられる。地方へ行くとさらに顕著になり、街道の途中にある村をただで通過することは難しく、入っていくとまさに蜂の巣をつついた状態になり、歌や踊り、飲めや食えや、美女の熱烈接待も明日への活力・・・いやいや、で、すべての経費を請求された後、村人総出の集合写真を記念撮影して、にぎにぎしく送り出してくれる。これも金では買えない旅の醍醐味といえよう。まあ詳しいことはコメントをいただければ情報共有の観点から、このブログ上の公開された場で情報提供させていただきますので、どうか自由に感じてコメントください・・・んんん、まだニホンゴチョットヘンデスネぇ。ちなみに、都市を出ると、まずミネラル・ウォーターは手に入らないので、携帯用のフィルターは必需品、また、例の「ヤやこしい」DGMに頻繁に出頭しなければならないので、パスポートサイズの新しい証明写真は通過する町の数だけ用意しておいた方が良い。

 さていよいよ楽しい旅行を終え、後ろ髪引かれる思いで、もう二度と来るもんかと悪態をつきながら荷物をまとめて空港へ向かうのだが、それまでに手持ちのFCはできるだけ有意義に使い切っておくこと。というのは、FCはコンゴ以外では通用せず、いかなる外貨にも再両替できないからである。と同時に、USDで総額100、内訳は50を1、10を少々、あとは5と1を適当に現金で用意しておくこと。50以外は、空港での様々な交渉ごとに賄賂を要するからで、これをFCでやろうとすると嵩張るのである。通常「ヤやこしい奴ら」に「ヤやこしい」ことを言わせずにすり抜けるには、にこやかに笑って握手するその右手の中に札を忍ばせるのだが、空港ではその相場が少し高いのと、周囲の「ヤやこしい奴ら」に見られるとさらに大きな混乱と時間の損失を被るので、嵩張らないUSDが適当なのである。細かいのがなければ、あらかじめ市中で用意しておくこと。ある程度露天の両替屋で崩してくれる。ただしFCに両替しないのならチップが必要。

 さて既に市内交通に慣れ親しんだ外国人旅行者なら、帰るのにUSD50も払ってエクスプレスを利用する必要はないだろう。Kingasani行きのタクシー・ビスか乗り合いタクシーに乗って空港前で降りれば良い。ゲートには兵士ががんばっているので、ご苦労さんと声をかけてUSD1くらい渡そう。そうすればにこやかにこの国とのお別れの第一歩が開かれる。空港前広場を歩いて建物に向かうと、その入り口にポリ公ががんばっていて、「Go Pass」とやらを買ってこいとぬかしよる。これは一種の空港使用税のようなもので、2010年3月現在USD50であった。これは正式なものである。窓口は入り口に向かって右手にある。それを持って戻ると彼は「コーヒーが飲みたい」というのでご苦労さんと声をかけてUSD1くらい渡そう。

 ここからが結構大変である。通常の他の国の国際空港での出国の仕方は、まずは自分の搭乗する航空会社のカウンターへ行ってチェック・インするのだが、ここでは到着時とほぼ同じプロセスを経なければならない。すなわち外国人は別室にご案内されて、まずは身体検査から荷物検査と、さらにコンゴで何をして来たかという質問攻めに会う。そしてそれはこの国では許されていないが、ワシが特別に上司に許可を求める書類を作ってやろう・・・とくる。これにつきあっていたら2時間あっても足りないので強硬手段に出る。別室に案内されそうになったら、「ワタシリンガラゴモフランスゴモワカリマッシェェェン」てまくしたてながら、チェック・イン・カウンターに向かって突き進め。出発ロビーは円形の建物である。入り口とは反対側に出発ゲートがあり、その手前にチェック・イン・カウンターがある。もはやこの国には用はないのである。自分は正しい航空券とパスポートを持っているのである。航空会社にとっては「お客様」である。何も咎められる筋合いはない。たかってくる役人どもは、ただ外国人から金を巻き上げようとしているだけである。チェック・イン・カウンターに駆け込んでしまえば、彼らはお客様を保護してくれるのだ。だからとにかくカウンターへ突き進め。何人もの屈強な役人が行く手に立ちふさがるであろう。時には乱暴に服や髪を掴まれるかもしれない。そしたらにこやかにご苦労さんと声をかけてUSD1くらい渡そう。勘のいいやつは、すぐにこれでは足りないと言ってくるので、もう少し渡しても良い。とにかくここでも荷物を開けさせてはいけない。入国時と違って出国時には、おそらく荷物の中には旅の思い出が詰まっているはずである。なかには貴重な芸術作品や楽器などが含まれているだろう。そんなものが彼らの目に触れでもしたら、「これを持ち出すには政府発行のなんとかいう書類が必要であって、その書類を手に入れるには・・・」と始まってしまう。そこは少々高くてもUSD10くらいまでなら渡して通過してしまおう。とにかく入国時同様、開けさせないことが肝心であり、金次第でどーにでもなるのだこの国は。だから何人かかってこようと、意を決してカウンターに突進せよ。

 ところがこのカウンターで働いているのは、往々にしてコンゴ政府から航空会社に現地採用が義務づけられたコンゴ人の無能なむかつくねーちゃんなのである。彼女等は出発2時間前にチェック・インの仕事を終わらせてしまう。2時間前から始めるのではない。どれだけ長蛇の列ができていようが、平気で「明日来い」と言ってカウンターを閉めてしまう。慌てるのは、お客様を怒らせてしまった航空会社直属のスタッフである。その後の作業は、すべて彼独りがあくせくとこなす。むかつくねーちゃんどもは、それを鼻で笑って見ているだけである。手続きの済んだ客はカウンターの中の安全地帯へ入れられ、数人ずつ彼が直接導いて航空会社の送迎バスまで走る。バスに乗せたらまたカウンターに走り戻って来て次の客の処理をこなす・・・これをひたすら続けるのである。だから、別室にご案内されて奴らと遊んでいる暇はない。金だけ巻き上げられて帰ることもできずに、飛行機の飛び立ってしまった後のロビーに放置されるだけである。出発ロビーは、出国する外国人からできるだけ多くの金を巻き上げようとする「ヤやこしい奴ら」と、お客様を安全に飛行機までご案内しようと奮闘する航空会社直属のスタッフの、まさに死闘の場である。

 大げさに脚色しているのではない。私自身が経験したり直接見聞したりしたことを書いているのである。初めてKinshasaから出国したときは、さらに極め付きのだめ押しがあった。すなわち、すべての手続きを終えて待合室で飛行機を待っていたとき、いよいよ搭乗するという間際になって待合室が封鎖され、武装警官に取り囲まれた。乗客は一列に並ばされ、両手を頭の上で組まされた。そして一人ずつゆっくりと、泣こうがわめこうが、金目のものをむしり取られたのである。なかには高価なブローチを着けていたために服を破られた女性もいた。

posted by jakiswede at 22:15| Comment(0) | ザイール・ヤ・バココ第三の旅2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月12日

第一回の代掻き終了・豆の観察

 

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 2010/05/07 「雨の日の写真術は、自分が雨に濡れること」と、たしか藤原新也がその著書『全東洋街道』のなかで書いていた。

「雨の日の農作業は、自分が雨に濡れること」・・・

 

・・・あたりまえか。

 

 

 2010/05/08-09 田んぼや苗代の形も、とりあえずの夏野菜の植え付けや種蒔きも、なんとか一段落したので、長旅の後ろくに休んでないからちょっと休んどこ思てふっと横になったら、いやあ寝るわ寝るわニンゲンこない寝れるもんかいな思うくらいよー寝た天気もええのに。腹へって目ぇ覚ましてメシ作っては食っちゃあ寝ぇ食っちゃあ寝ぇ食っちあ寝ぇ食ゃゃあ食ゃあちゃあ寝っ寝ああ食っっ寝ゃ食ぇぇちち寝ぇ寝ぇぇ食っちゃっちいいち一日四回二日間も食っちゃあ寝ぇしとったら起きて小便に立ってもフラフラ寝とぼけていっこも使いもんならん。

 

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 2010/05/10 田んぼはとりあえず現状こういう感じになっておる。奥が田んぼで広さはほぼ6畝。手前が苗代で、左手ふたつにコシヒカリの種を1kgまいてあるが多すぎるので苗の必要なひとはあげますどうぞ。手前の向こう側半分には赤米、こっち側の空いてるのんは、°★.。.:*米を蒔く積もりやがまだ発芽してへん。たぶんあかんやろ。で、苗代のずっと左手に畑が畝12本あって全体で一反というのが私の領分である。田んぼの画面右奥に農業用水の蛇口がある。田んぼには水の出口がふたつあって、ひとつは直接圃場の排水口へ、もうひとつは苗代に入る。田んぼから直接圃場の排水口へ繋がる溝は、上の写真では道路と苗代の土手の間の部分である。田んぼから溝へ出る部分が下の写真である。もう少し洗練された形にしたかったが、時間と体力と根気がなかった。

 

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 下の写真は、田んぼから苗代への取水口である。苗代へは、田んぼを介して水を入れる仕組みになっている。苗代の部分は、苗代として使い終わったあとは、赤米と°★.。.:*米の田んぼにするつもりである。ご覧のように、現在田んぼの方は代掻きをして水位をいっぱいにまで上げてある。このまま約一ヶ月間放置して、雑草や種や害虫の卵をできるだけ多く腐蝕させるのが目的である。

 

 

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 一方苗代の方は苗床ぎりぎりにまで水位を落とす必要があるので、若干堰を切って水位を下げてある。下の写真がそれである。田んぼからの取水口をせき止めて、この堰を開けると、田んぼとは独立して水位を調整できるという寸法である。今のところこの仕組みはうまく機能している。

 

 

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 通常は、大きな田んぼの方がこちらより水位を高くしている局面の方が多いはずだが、赤米と°★.。.:*米は「コシヒカリ」より晩稲であるので、コシヒカリが熟成した後大きな田んぼの水を落としてもこちらは水を張っておく必要に迫られるかもしれん。まあそんときゃそんとき、ほーすで入れれば良いだろう。

 

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 2010/05/11 夏野菜の観察。ソラマメとエンドウが実りはじめている。かわいいでしょ ?? こいつら結構ナマでイクとエエんよね。どぴゅっ・・・て。左手でないとね・・・女の人にはわからんことやけどね。

 

 

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 エンドウはキヌサヤ状態。できはじめると次々できるんは、まあ生き物の常ですわな。ニンゲンもおんなしやけどね、相手がおらんとね・・・

 

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 お向かいのじいさんがトマトの植え付けをしている。かなり苗がでかい。このじいさんはプロであるので、この三本の畝からいくらいくら収穫をあげんならんという考え方で作っておられるから、私が今作ろうとしているトマトとは考え方が全く違うのである。右も左もわからず、とりあえず無事にトマトができてくれな話にならんかった時期は終わった。トマトは八十八夜がすぎてから種まき、収穫は夏も盛りを過ぎてからである。私はプロの農家になりたくないので、じいさんのやる通りにはできんのである。

 

 

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 そのエンドウのキヌサヤの方は卵とわかめのお澄ましにして、エンドウになってるのはちょっとしかなかったけどまめご飯にして、ついでに辛味大根の花を塩揉みして、納豆のトッピングは芽の出過ぎたタマネギの茎、サバの塩焼きで春の味覚定食や。こんなことして独りで喜んどったら、そらいつまでも独りですわなあ・・・中山道でも歩き通してみるかな ??

 


posted by jakiswede at 14:52| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月09日

Salt & Uribossa com Itaminho = around 50's

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和ボッサナイト
by Salt & Uribossa
〜ひと味チャウダーヂ〜
5/29sat.
19:30〜
charge ¥1,200
(ご飲食は別途です)

Salt & Uribossa
http://vids.myspace.com/index.cfm?fuseaction=vids.individual&videoid=101302832
子どもたちの為の合奏曲から、ワールドミュージックまで
幅広い音楽を手がけてきたSaltと、
日本語によるジョアン・ジルベルトスタイルを追求してきた
Uribossaとのボサノヴァ・ユニット。
童謡から歌謡曲、演歌やポップスまで、あらゆる曲を
ボサノヴァに仕立て上げる一方で、オリジナルにもこだわる、
右肩上がりのアラ5。
当日はパーカッションのゲストを交え、さらにパワーアップ!

なにわのブラジル「カイピリーニャ」
〒550-0004 大阪市西区靱本町1-15-4-1F

Tel.06-6445-3886

posted by jakiswede at 02:14| Comment(0) | 音楽活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

焦燥と屈辱の高槻ジャズ・ストリート

 2010/05/03 

 

 正直いって「高槻ジャズ・ストリート」で満足な演奏が出来た試しはないのだが、今年のは最もひどかった。主役の瓜ちゃんの足を全体重をかけて引っ張ってしもたようなもんや。応募段階では予測出来なかったこと・・・屋外で交通量の多い国道とメイン会場への主要道路の交差点のすぐ脇であったこと、騒音の多い会場に不釣り合いなほどの出力の小さなボーカル・アンプが一台あるのみ、しかも主催者再度のスタッフが一人もいなかったこと・・・。生ギターと声だけの静かなBossa Novaを演奏するには辛すぎる環境であった。

 「高槻ジャズ・ストリート」は、転換込み一時間のステージである。前のバンドは比較的早くに終わったので、転換は時間的に余裕があった。まずは主役のセッティングを完璧なものにしてから、自分のセットをしようと思ったが、肝心のギターをマイク取りする段階で神経質なまでのハウリングに悩まされた。急遽、マイクの角度・立ち位置・スピーカー位置を取り直し、アンプもリセットして再セッティングするも、ほとんど解消されなかった。「そんなはずはない」モニターもないシンプルなシステムなので、「浮き」や「かぶり」のあるはずもなかった。しかし何度やってもハウリングするばかりで僅かな音量しか得られない。仕方なくそのマイクのレベルに合わせてボーカルを設定、案の定会場からは「聞こえない」のブーイングの声が・・・しかも次の出演者が早くに到着して前祝いを始めてしまった。なにせお祭りだから仕方がない。マイクやケーブルを交換する事も考えたが時間がない。とりあえずソロで始めてもらって、改善出来次第私が加わる事にした。しかし原因不明のまま問題を解決出来ず、対処療法も功を奏さず、無駄に時間が過ぎるので、改善を諦めて現状のまま伴奏に入った。せめて録音だけでも取っておきたかったのだが、世界一週旅行の間、タダの一度もトラブらなかったSONYのPCMがここで動かない。愛機のまさかのトラブルに完全に気が動転してしまい、伴奏はしどろもどろ、きっかけも決めもブレイクも全て吹っ飛び、持ち替えでスティックを落とす、ハイハットにつけた響き線が千切れ、それを拾おうと踏み込んだハイハットのクラッチが割れ、エンディングで脱線する始末・・・あああ、完全にアタマまっしろ状態のまま何曲か端折って最後の曲も、ユーモアたっぷりの歌詞のはずが心の余裕は皆無。終わると同時に次のバンドに追い出されるようにセット替えであった。

 反省点。まがりなりにも、無料とはいえ、ひとに演奏を聴いてもらうというには気持に余裕がなさ過ぎる。環境や機材に問題があったかも知れないが、それを逆手に取って楽しむだけのゆとりがなければ、肝心の音楽を、そしてお客様を楽しませる事など出来るはずがない。人前に立つ資格がない。永年音響屋を務め数多くの修羅場をかいくぐって来たというのに、いくつもの解決策を思いつかずに、ただただ取り乱してしまった。先ずは立ち位置をもっと下げてスピーカーから離れる事、ギターに使ったコンデンサー・マイクの電池を確認し極性を確認してオフ気味に集音する事、ヘッドを交換するだけでなくチャンネルを変えてみること・・・いま考えると、するべき事はいくらでもあったはず。

 しかし、しかしながら、静かな柔らかい音楽の伴奏をするには酷すぎる状態ではあった。ひとつはパーカッションというセットが多くのハードウェアを要する事、音響を整えるという事そのものがハードな作業であるのに、ソフトな演奏との掛け持ちであった事・・・このような相反する精神活動を同時にやらなければならない・・・というか、出来ると安請け合いした事がそもそものマチガイ、またトラブルのために平静心を失い、演奏に支障を来したなによりの原因は練習不足。練習不足のまま出演する事の遣る瀬なさを嘆いた事は過去に何度もあったというのに、またしても同じ轍を踏んでしまったこと。そしてなにより、主役の足を引っ張って、その音楽に泥を塗ってしまったこと・・・これら厳しく反省、反省、反省至極。

posted by jakiswede at 02:07| Comment(0) | 音楽活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

田の準備と夏野菜の種蒔き・その2

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 2010/05/02 前日に田に水を入れて一晩置き、粗く鋤いた状態。幸いにして大きな水漏れはなく、凹凸も少ない。入水当初は、水がどんどん地中へ染み込むので水位が下がる。今年は試験的に、充分土が水を含んだらさらに代掻きして一ヶ月置いてみる。雑草対策を期しての事だが、レンゲと多い目の米糠を既に鋤き込んであるので、これを完全に水没させてヘドロ状態にする事で、雑草の種や害虫の卵を腐蝕させる事が出来、代わりに微生物が繁殖しやすい環境を作る事を狙っている。同じ考え方のもとに「冬季潅水」という手法もあるが、漏水管理が大変なのと、今シーズンは旅行に出ていた事もあり、試験的に一ヶ月の潅水でどれほどの効果が出るか試してみる。同時に、今シーズンは、昨シーズンよりも田植え時期の遅い「コシヒカリ」に品種を変更し、さらに苗代作りによって、これまでの機械植え用の購入苗よりもさらに田植えを遅らせる事が出来るので、一ヶ月というまとまった時間を取る事が出来る。これによって、畦塗りなどの重労働を分散させる事も出来る。

 

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 こちらは苗代部分。苗代の作り方にはいろいろあって、苗床を整地して種蒔きしてから水を入れる方法もあったが、種籾が流れる危険性が高いと考えて、先に水を入れて苗床を慣らし、適度に水位を下げてから種蒔きして、活着したところで水位を上げる事にした。真ん中の苗床がわずかに高いのでジョレンで揃える。本田の排水口の漏水処理に問題がある。さて肝心の種籾はというと、4/25に塩水選をし、60度の湯に10分浸して消毒し、15度程度の水に浸けて風呂場で管理したところ6日目に発芽したので、昨日よりザルに開けた。これには計算方法があって、一日の平均水温に浸けた日数を掛けて100を目安とする。たとえば平均水温が毎日15度であれば7日間で発芽するのである。その後「籾振り」といって、手につかない程度にまで乾かす。苗代もその頃にベストな状態にもっていく。ベストな状態とは、水を入れて慣らす場合には予備醗酵含めて約三日の放置である。この苗代は昨日注水したので明日種蒔きする事になる。種籾はまだ濡れている。明日には乾くであろう。

 

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 田に水を入れている間、ナス科の夏野菜の種蒔きをした。今年からは苗の購入を一切やめて、全て実生、出来るだけ直播きにこだわってみる。たとえばトマトの苗は、ホームセンターなどでは4月の初めから売り出されるし、園芸の手引書でもその頃に苗が出来るように早春に種蒔きするように指導してある。しかし私の経験上、前シーズンにトマトを栽培した畝からこぼれ種が芽吹くのは5月に入ってからであり、実験的に連作障害を承知の上でそれらを間引いて育ててみたり、間引いた苗を植え替えて育ててみたりしたが、いずれも購入苗や早春にポット蒔きしたものよりも健康に育った。もちろん結実期は購入苗より遅く8月以降になるが、老化も遅いので秋の中頃まで収穫出来る。多くのプロの農家では、市場からの要請もあるので、農協の指導のもと専門技術と設備をもって促成栽培し、早い時期から出荷して、多くの場合農薬と化学肥料、さらにホルモン剤の投与によって収穫時期を延ばしている。そのことが一般の家庭菜園にも影響を及ぼして、早く作るのが良いかのような風潮を産んでいるように見える。私は長く流通業界にいたので知っているが、何故ホームセンターが種や苗をかくも早く売り出すかというと、それは種蒔きや植え付けの適期であるからではなく、そうやって消費者の気分をアウト・ドアに向けさせる事によって、後に来る行楽シーズンにレジャー用品を売るためである。野菜の種蒔きでなく、消費者の購買欲の種を早くに蒔いているのである。しかし当然の事ながら、早すぎるのでシロウトはたいてい失敗する。そこでホルモン剤や肥料が売れるという副産物がついているわけである。今年は特に春が寒かったので、近隣のプロ農家でもナスやトマトが枯れたという。私にとっては、この寒さはむしろ旅行による出遅れを取り戻してくれたようなもので、八十八夜の別れ霜、今日の種蒔きまでにゆっくりと畑を用意する事が出来た。下の写真左側は、先日植え替えたジャガイモ。見事に活着して、葉が青々と伸びはじめている。右手が手前より、ミニトマト・トマト・ピーマン・甘長シシトウ・ナスに続いて世界の唐辛子畑 (中国・韓国・ブータン・ナイジェリア・メキシコ・コンゴ) 。なすをししとうと唐辛子の間に入れたのは、シシトウ類は花粉によって唐辛子と交雑して激辛になった経験があるので、唐辛子とピーマンをなるべく離したかったからである。韓国とブータンの唐辛子は、マーケットがあって高く売れるから、別にひと畝作ろうと思っている。

 

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 2010/05/04 種籾が手につかなくなる程度に乾き、苗代の表面も程よくトロトロになっているので、本日種蒔きをする。


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 ぱらぱらと、少々密になったところもあるにはあるが、平均に物事を行う事の苦手な私にしては、平均に撒けたのではないだろうか。

 

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 同時に、瓜科の種蒔きも済ませた。左手には、まだ大根が残っているが、花を塩で揉むと美味いのと、大根もまだ下半分は食べられるので未練たらしく残してある。その間に、イスタンブールで買って来た白ズッキーニと普通のズッキーニで今年は畝一本、これは芦屋のトルコ料理店が買ってくれるのである。右手は手前からカボチャ・スイカ・冬瓜・キュウリ・へうたん・ニガウリである。ほかにアブラナ科の日常野菜も蒔いた。


 

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 2010/05/07 明日は雨になるので土手の草刈り。となりもその向こうも、そのお向かいもその手前も昨日済まされ、お向かいさんと一緒に今日済ませたのである。団体行動の嫌いな私ではあるが、こういう事は一緒にやらんと効果が半減する。品種をコシヒカリに変えたのも、近隣農家と合わせる事によって、虫害や鳥害を分散させるねらいがある。


 
posted by jakiswede at 02:04| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月01日

田の準備

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 4/29 今日はタンザニアのリンバとゼゼの音楽を日本に伝える「JT Stars」+ 1 =総勢5人での作業である。内容は、田の畦の補修・畦シート張り・土寄せ・苗代作りである。いやあ、助かりますわ、ほんまほんま。作業前の田の状態は、米糠を90 大型ペールに約6杯分を散布し、雑草や咲きはじめたレンゲとともに鋤き込んである。もちろん昨年秋に稲わらを、ほぼ全量鋤き込んであり、これは既に分解されていたので、土に力があることがわかる。土手や畦は、昨年秋に畦シートを外した際に、塗り畦部分も崩してあり、現在はそこを雑草が覆っている。この状態から、先ず雑草を取り除きガイドラインを引いて、それに添ってシャベルを入れて畦の境界を明確化し、モグラの穴などの傷んだ部分や崩れた部分、鎮圧によって低くなった部分などを適正な状態に補修、そして全体を木槌で叩く「畦打ち」という重労働を交代でやった。そのうえで畦シートを張り、仮に土で押さえ、耕耘機でその内側に溝を切って土寄せした。そのあと、雑に仕切ってあった苗代予定部分の畦を補強して耐久性のあるものにし、上と同じ要領で畦を仕上げた。ただ、排水口と排水路をどうするか、まだ迷いがあったので、本日の注水は見送った。

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 4/30 先日遅霜にやられたジャガイモ、どうにか新芽が出て来て息を吹き返したようなので、本日自分の畑に植え替えた。他にいろいろしたい事はあったが、昨日の重労働が意外に応えて今日はなにも出来ずに午後はダウン。

 5/01 早朝より鍬を担いで畑に出る。私は物事に取り組むにあたって、どうもイメージから入りがちな傾向がある。畦を完成させるにしても苗代を作るにしても、国産みの尊はさっさと水を入れてしまってから、鍬でこねてとっとと作ってしまわれるのであるが、わたしはどうも泥というものが苦手で、出来る事なら地面の硬いうちに自分の思い描いておいた形をあらかた作ってしまっておいて、そのうえで水を入れたいのである。畦からの水漏れを防ぐには、畦シートの設置とともに「畦塗り」という重労働をこなさねばならぬのであるが、これは泥をこねて土手を作るものなので、形が不定形で私には苦手だ。どうも仕上りのイメージと足下の泥とが違い過ぎる。尊はなんの苦もなくさっさとこねて次々と仕上げて行かれるのだが、到底私の真似の出来るものではない。従って本日の作業は、まずは土手周辺に、まだ乾いているうちに畦塗り用の土をよせてしまい、ついでに田んぼのでこぼこも見えているうちに鍬で均してしまい、苗代も形を作っておこうと思う。先に水なんか入れてしもたら、去年のように泥ばっかり引っ掻き回して、いたずらに疲れるだけである。冬の間に雨が多かったせいか、意外に土が硬く粘土状になっているので、先ずはこれをほぐさねばならぬ。

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 それを田んぼ一周やってしまってから、ジョレンで畦シートの際に積み上げておく。苗代の方は、昨年末に急いで作ったものだから、まだ不完全であるのを、とりあえず自分の思った通りの形にしてみる。様子を見に来た尊に「そないすんとちゃうがな水入れて代掻きしてから均さなあっかいや」と指摘され、重々承知ではあるものの、泥の下では自分の合点がいかんので、そこはだまってサッポロビール。

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 とりあえずここまでやっといてから、いざ、注水 !!

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posted by jakiswede at 23:22| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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