2010年09月29日

20100129 Santa Teresa

KIF_4591.JPG

 

 Rio滞在4日目、飛ばしすぎたんで午前中は休養・・・と思とったら、窓の下から良い匂いと陽気な音楽と歓声が上がって来る・・・つられて降りて行くと・・・やっとるなあ・・・「まあ入れや」「ええんですか ?」で、ポルトガル語がわからんと見て笑い死にしそうなむちゃくちゃな英語で話しかけて来る。いやあ陽気陽気。すっかりごちそうになって千鳥足でPousadaに戻る道の脇から、やっぱり千鳥足のマスターが合流して来て、「おお、やっとるなあ・・・」「うぃぃぃっぷ、やってます」へへへへへ。

 

KIF_4588.JPG

 

 ひと眠りしてから下界に降りて、今日は銀行のATMを使ってみた。International Bank Cardが使えるのは、Banco Brasil・HSBC・Citibankである。普通に英語のガイダンスが出るので全く問題ない。コンゴ旅行用に、多額の現金は用意して来たのだが、これなら現金から先に使って、アフリカへ渡る前にある程度引き出した方が安全である。昨年末の円高の極地のときに両替した現金だし・・・さて、カネの心配がなくなったので、またしてもぶらぶらとLargo do MashadoからLapaまで散策してからBondinhoに乗って帰ろうとしたのだが、行き先表示を良く見ていなかったので、Santa Teresaの奥深くの行き止まりまで来てしまった。なかなか良いところだ。今日は金曜日なので、Carnavalの前祝いと見えて、あちこちで小さなお祭りをやっている。下の写真は、そんな街の散策中にとらえたCorcovado。

 

KIF_4582.JPG

 

 夜、Rio在住のブラジル音楽の歌手でありパーカッショニストであり、日本人のためのガイドとしても活躍しているMacoさんに会いに行く。

 

http://macobrasil.exblog.jp/

 

http://www.macobrasil.com/

 

 私は基本的に一人旅を好み、今回の滞在でも旅そのものは、全部自分で判断して行動する事に不安や不自由を感じていない。旅で出会えたもの、出会えなかったものの総体が、私の等身大の実力と運だからだ。しかしひとつ彼女に訊いてみたい事があった。「ガイドとは何か」ということである。私の旅の目的は音楽であるので、いつどこで誰がどんな事をヤルのかという情報を的確にキャッチする事が、旅の質を決定する。旅立つ前に、私は情報収集に力を注いだのだが、正直なところ包括的なソースに出会えずに見切り発車してしまった。私は、日本の情報誌のようなものがRioにも存在すると思っていたのだが、結論から言うと、そんなものは、ない。なぜないかというと、ブラジル人の音楽にかける情熱というものは、日本人のそれの比ではなく、たぶん3桁ぐらい違う。従って、Rioひとつとってみても、音楽イベントの量が膨大すぎて編集する事が不可能なのだ。さらに日本と違って、かならずしも予定されたイベントが予定された通りに行われるとは限らない。むしろ予定通りの方が少ないかも知れないので、そもそも予定を告知するという事に、あまり重きを置いていない。つまりリアル・タイムに編集できないから、情報誌が成立し得ないのだ。では、良い音楽情報に接するにはどうすれば良いかというと、人脈につきるという。Rioの音楽などと一言で言っても、さまざまなジャンルの様々な音楽が存在するし、それらは常に生きていて離合集散を繰り返す。そしてそれらのひとつひとつの情報は、彼等の持つコミュニティを中心に発信される。したがって、あるときどんな音楽が最も動いているかは、人脈や個別の情報源に通じた人にしかわからない。「だから私に訊け」・・・「はい・・・」

 

 Rioの旅の写真集はこちら・・・

 

http://web.mac.com/jakiswede/iWeb/3e_mobembo/Rio%20de%20Janeiro.html

posted by jakiswede at 23:40| Comment(0) | ザイール・ヤ・バココ第三の旅2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月28日

20100128 Pedal Cajon

KIF_4535.JPG

 

 昨日でようやく土地勘もついたので、今日は街をむちゃくちゃに歩いてみて、ちゃんと思ったところへ行けるかどうかをやってみる。旅先では時々こういう遊びをするのだが、面白いものや人に出会う事が多い。これは、とある博物館の広大な庭先で行われていたフリー・コンサート。歌っているのはEduardo CantoというMPBの歌手である。非常にロマンティックな歌もので、ブラジル音楽の層の厚さを実感させられる。観客のほとんどは、普通に平日の昼下がりを楽しみに来た一般市民で、特に音楽好きとは思えないのだが、やはりブラジル人、知っている曲の乗りの良さはもちろんの事、知らない曲でも聞かせどころや踊らせどころになると、どんどんペアになって踊っている。私も誘われて踊り、楽しい時間を過ごした。そして何より大きな出会いであったのは、写真右手のパーカッショニスト。カホンに座って、その打面にたらしたタオル越しに、ペダルをカホンに向けて踵でキックを入れている。すなわち私のペダル・カホンと同じ事をやっているのだ。まねしよってからに。演奏が終わってから、やおら近づいて英語で話しかけると通じたので、カホン談義に花を咲かせた。このパーカッショニスト、名前をKleytonといい、カホンをこのように使ってアコースティック楽器のリズム伴奏に使う事を思いつき、日々、実践と改良に努めて来たのだが、なかなか他のパーカッショニストから賛同者が得られず、寂しい想いをして来たというので、同じ苦労をして来た私と話がぴったり合い、苦労話を語っては見つめ合い、見つめ合っては語り合うという男二人アホな時間を過ごしたのでした。

 

http://mpb.com/eduardocanto

http://homepage.mac.com/jakiswede/2music/23equips/230equips_fr.html

 

 夜はLapa巡りをしたのだが、思っていたよりも観光化されていて、どの店に入ればどんな音楽が聴けるのか、あらかじめ綿密に調べてからでないと、空回りしそうな感じだった。すくなくとも、表に漏れ聞こえるような店の演奏は大した事なく、大仰な扉に守られているような店は敷居が高過ぎ、適当なのがない。交差点で色気をまき散らしているストリート・オカマを冷やかしながらちょっとはずれまで行くと、何の変哲もない食堂でRoda de Sambaをやっている。喉が渇いたので、ビールを頼んで座って聞いていると「入れ」というので、ヘボロを借りて合わせて行くと、これがなかなかふくよかなSambaでものすごく気持ちがよい。地に着いた音楽の伴奏をすると手が勝手に動くものだが、これはまさにそれだった。20年前のキンシャサでの体験を思い起こさせる。

 さて、楽しい時間は2時頃にお開きとなり、後はだらだら飲んだくれタイムに流れたので、みんなに挨拶してそこを出、また一回りしてみたが特に気を惹かれるものがなかったので、Kombiで帰る。Kombiというのは、主に都心と近郊を結んでいる乗り合いのミニ・バスの事で、料金もバスと同じ、ほぼ終夜運転している。いろいろアンテナを張り巡らしているときに、Lapaと私の滞在しているPousadaの裏の大通りを通って、Dois Irmãoを結ぶKombiがあることを知り、以後、朝にBondinhoで都心へ向かい、翌日未明にKombiで帰るというバターンを繰り返した。やがてKombiの運転手にも顔見知りが出来て、真夜中でも安全で安く帰る事が出来るようになった。

posted by jakiswede at 23:54| Comment(0) | ザイール・ヤ・バココ第三の旅2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20100127 Roda de Samba

KIF_4497.JPG

 

 Pousadaのベッドから見えるRioの日の出である。滞在中、毎朝この日の出を拝んだのだが、見るたびに色調が異なり飽きる事がない。さて今日から本格的にRioの街を歩くとしよう。

 出発前にまずは朝食。Pousadaのエントランスのロビーで無料で朝食バイキングが出る。とはいっても質素なもので、パン・フルーツ・コーヒー・紅茶であるが、貧乏旅行者にとってはこれで十分。パンはブラジル風の形があるようで、SalvadorやRecifeへ行っても同じであった。パン屋へ行けばいろいろ選べたのかも知れないが、旅行中の全ての朝食はサービスのものに限ったので、結局毎日同じものを食っていた。いっぺんくらい贅沢しても良かったかな・・・同宿者は、私のドミトリーにドイツ人の若者、別室に若い女性の一人旅と、多分アメリカ人の高齢女性二人組。いずれも音楽に興味はなく話が合わなかったので、早々に退散。

 朝食を終えると私の習慣は、喫煙と排泄である。これを友は「儀式」と呼ぶ。なぜなら、朝食を終えると会話もそこそこに一人席を立ち、なんぴとも寄せ付けずにベッドに横たわって喫煙し、心を穏やかにしていると、やがて便意がやってくるので、恙なくお通じをみるのである。これが中学の頃からの毎日の習慣である。たとえ旅のさなかといえどもこれを変える事はない、いや、旅の途上であるからこその体調管理である。今日も快調に排泄を終え、シャワーを浴びて下界へ下りてゆく。

 Largo do Mashado方面への降り方は、昨日教わった通り迷わず行けた。途中、気のいい奴らのご機嫌なパーティーなんかを垣間みたりしたが、期待したような渋いじいさんが一人でギターを奏でつつサンバを歌っているような図には、ついぞお目にかからなかった。まあいい。Laranjeirasまで降りて大通りを左へ歩いて行くと、やがて大きな広場Largo do Mashadoにでる。このあたりが付近でも一番繁華な場所だ。生活用品を買い求め、冷房の効いた快適なネット・カフェを見つける。さらにメトロの路線に沿った通りをCateteまで歩く。歴史的建造物のような装飾の建物が林立するものの、至って庶民的だ。中華風大衆食堂があったので、「Yakisoba」を頼み、懐からマイ箸を持ち出して食らっていると注目された。

 Cateteからメトロに乗ってみる。根性のみみっちい私は、一回ずつ切符を買うのがもったいないと思って、初めから応用問題すなわちCartãoに挑戦した。CartãoにはR$10とかR$20とかがあるので、根性のみみっちい私は5日間しか滞在しないので安い方を買おうとしたのだが、10 (dez) の発音が悪く、おフラーンス語風に「ディーシュ」てやっちゃったもんざあますから、それが「ヴィンチ」(20) に聞こえたらしく (なんでやねん??) R$20のカードが出て来た。抗議したが再発行はできひん言うし、後ろが騒がしくなって来たのでしゃあないからもろといた。ほいでそれを自動改札のスリットに入れたら、なんと回収されてしもてゲートも開かん !! 身振り手振りで猛然と抗議したら、体のごっついガードマンが出て来てゲートを開き「行け」と言う。「行け」やあるかいワシのR$20こん中へ入っとんやないけと、ポルトガル語で言える訳もないので、ひたすら自動改札をたたいて意志を通じさせようとするが叶わず、結局どう会っても買いたてのR$20は帰って来なかった。

 この事をその夜ピカリに話したところ、なんとRioのメトロの自動改札は、一回券はスリットに入れるが、Cartãoはかざすのだそうである。その後よく見てみると、確かにスリットの手前にセンサーがついていて、乗客の多くはそれにカードをかざしている。一回券もCartãoも同じ形をしているので、Cartãoをスリットに入れると戻って来ないのだそうだ。やれやれ、あんまりみみっちいことばっかり考えてるとロクな事ないな。旅の勉強ですわ。

 さてそのメトロでCariocaまで行き、Uruguaianaまで歩く。途中、きわめて繁華なアメ横的商店街に紛れ込み、そこが昨日バスの到着したCentroである事を知る。落ち着いて散策してみると、なかなか活気があって親しみやすいエリアだ。確かにスリや発砲事件はあるだろう。ポケットのボタンを締め、脇腹と背中の目玉も見開いて闊歩する。そこからLapa方面に取って返す。楽器屋の集中してるところへ入り込んだので物色するがどれも高くて買う気がしない。表へ出て散策がてら、サトウキビの冷やした奴を売ってる兄ちゃんに、黄色い市電のBondinhoはどこから出るのかと訊いてみたが、なかなか見つからず、行きつ戻りつしてやっと乗り場を発見。ビルの谷間の駐車場のような場所の奥にあるので、非常にわかりにくい。

 

KIF_4500.JPG

 

 しかし、なんとか見つけて乗り込む。R$0.60非常に安い。乗り心地は強烈で、よく車体が壊れないものだと (壊れるかもしれないが) 、よく脱線しないものだと (するかもしれないが) 、よく柵に掴まってる無賃乗車のガキどもが転げ落ちないものだと (落ちるかもしれないが) 感心しながら、Rio旧市街の裏通りをのんびり走ったり、Santa Teresaの坂道を路面電車として走ったりと、鉄道少年の私にはなかなか楽しかった。Pousadaに戻るにはFaleteという停留所で降りる。

 時差ぼけ解消のために数時間寝た後、夜、ピカリに誘われてPraia Velhaにある地元の人たちによるRoda de Sambaに参加させてもらう。演奏技量なんてどうでもいいのだ。一杯機嫌でヨレまくった歌と演奏に円熟のまろやかさが濃厚に醸し出される。私は、Bolde (バケツ) という、まさに文字通りバケツの側面にぎっしりリベットをラフに取り付けた楽器に目が止まり、それにはまる。豊かなシズル音が出る。リベット面を連続的になでるとドローンも出せる。小刻みに振ればトレモロも得られる。気持ちが素直に表現できる楽器である。

 

KIF_4509.JPG

 


posted by jakiswede at 19:49| Comment(6) | ザイール・ヤ・バココ第三の旅2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20100126 Trapishe Gamboa

 友達の太田ピカリに会う。公衆電話を使うためにカードを買う。ブラジルでは、日本のテレホン・カードに当たるものをPhone Cartãoという。受話器を上げてからカードを入れると音が聞こえるときがある・・・というのは、Rio市内の公衆電話は、かなりの割合で壊れているか不具合があって、なかなかまともなものに出会えないからである。電話番号は、初めの「0」を外してかけるのだが、もちろんそんなこと知らないので、なんどかけてもつながらない。電話ボックスで難渋していると、ご陽気なブラジル人がめちゃくちゃな英語で教えてくれたので、だいたいわかった。ついでにその公衆電話が壊れている事もわかったし、壊れているものといないものの区別の仕方も教えてもらった。壊れていないようなものでも、通話が途中で切れるものもあり、ピカリへの連絡は、非常に手間取った。

 

http://www62.tok2.com/home/picarismo/

 

 Favelaの裾にある公衆電話は全部壊れていたので、Rua das Laranjeirasまで降りて行って、Largo do Mashado方面へ歩きながら公衆電話を見たら片っ端からかけて行くうちに、偶然彼女の住んでいるところのすぐ近くまで来てしまった。「とりあえず今夜どうする」ということになって、事前に調べた資料によると毎週月曜日にはRoda de Choroが行われているという「Trapishe Gamboa」に行く事にする。

 さて旅のポルトガル語であるが、ブラジルのポルトガル語はアクセントが大げさできつい。たとえばFavelaから降りて行く道を探っているときに、入り組んだ迷路のような路地で、階段に腰掛けてビールを飲んでいるおっさんに「Largo do Mashadoへはこの道でいいか ?」と身振りで訊ねたのだが通じず、何度かやり取りするうちに「ラルゴドマシャード」ではなく、「ラルゴド」までは小さく早く、「マッシャァァァァァド」くらいに発音すれば、やっと「ああ、それはな、この右の階段を降りて行かれなせい」・・・「Gamboa」も、フラットに「ガンボア」と発音してもほとんど通じず、「グワンボォォォォウアァァァァ」くらいでちょうど良い。なかなか楽しい言語である。

 で、その「Trapishe Gamboa」でChoroをやっていたかというと外れ。Carnaval前はプログラムが大幅に変更され、Bossa NovaやChoroなど「おとなしい」音楽は追い出されるのだそうだ。この時期にそんな音楽を求めてやって来たのは、ちょっとマズかった。でもまあ来てしまったのだから仕方がない。アフロ系のたぶんMarakatuをベースにした音楽をやっていたので、まあ楽しんだ。ミュージシャンや観光客と盛り上がり、セッションに乱入したり、楽器のタッチを教わったりして、タクシーをシェアして帰って来た。Rio初日のジャブとしては、まあこんなもんやろ。

posted by jakiswede at 17:47| Comment(0) | ザイール・ヤ・バココ第三の旅2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月26日

20100126 Pousada Favelinha

KIF_4515.JPG

 

KIF_4516.JPG

 

KIF_4517.JPG

 

KIF_4518.JPG

 

KIF_4519.JPG

 

KIF_4520.JPG

 

KIF_4521.JPG

 

 Rioで投宿したPousada Favelinhaについて書いておこう。http://www.favelinha.com/en/index.php

 RioのFavelaのなかで、もっとも規模の小さなものに"Pereira da Silva"という2000人程度の地区がある。そこもかつては麻薬組織が暗躍し、勢力争いで殺人事件が横行していたが、2004年に警察による組織壊滅作戦が成功し、現在は住民によってFavelaそのものを観光資源として、少しずつ観光客を受け入れ、その文化や経緯などを理解してもらうという取り組みをしている。その筆頭に位置するのが、Favela唯一の宿泊施設「Pousada Favelinha」である。上のサイトをくまなく見てもらえば、その周辺の風景や成り立ちの経緯などは書いてある。宿泊した人の感想なども寄せられているが、これは賛否が極端に分かれている。上の写真だけ見れば、過剰な期待を抱かれると思うが、実態はそうでもない。宿の主と思われる男性は、いくらか英語を話すが、朝からべろんべろんに酔っぱらっている。内部の掃除はずさんである。丘陵地であるので、法面側は、小径の下になっていて、上の家で水を流されるとしぶきがかかって来るし、犬の糞が降ってくる事もある。ただ、窓から見渡す風景はこの上なく素晴らしい。使われていない、または作りかけの部屋・廊下・バルコニー・テラスなどの雰囲気も素晴らしく、あの酔っぱらいにこのようなセンスがあるとは到底思えないのだが、まあそれも含めて全てブラジルという事だろう。私にとっては、格安料金でねぐらがあり、ロッカーに鍵がかかればそれで十分である。

posted by jakiswede at 23:43| Comment(0) | ザイール・ヤ・バココ第三の旅2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月24日

20100919-20 稲刈り

ST330150.jpg

 

 二日がかり、多くの友人たちに助けられて、無事に稲刈り終了。昨年のアキタコマチと違って、今年のコシヒカリは、丈も長いし穗の長さも長く、粒も大きく多い。大変上質の米に仕上がっている。倒れやすい特徴もあるが、幸運な事に今年は強風もなく、天候不順にも関わらず最後は順調に実ってくれた。感謝・・・

posted by jakiswede at 21:50| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20100918 Conjunto Chove Chuva

KIF_7740.JPG

 

 旧CAP HOUSEChoroの演奏。

 

KIF_7739.JPG

 

 復元されて当時の姿に・・・http://www.kobe-center.jp/

 

KIF_7736.JPG

 

 CAP管理部分はアトリエ・・・http://www.cap-kobe.com/

 

KIF_7742.JPG

 

 その夜、メンバーを引き連れて「塩田ハウス」にて今年収穫した初めての新米を食する会にて、

 

KIF_7767.JPG

 

 極上のChoroを演奏・・・メンバーは左から、辻信一 (6g.)・瀬戸野慎哉 (7g.)・加藤良一 (bandolim)・わし (pedal cajon)・・・おっと、写ってないけど大久保祈 (鍵盤ハーモニカ)。


posted by jakiswede at 21:49| Comment(0) | 音楽活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20100917 隣家のトマト終了

KIF_7734.JPG

 

 お隣さんがトマトを片付けはじめた。老夫婦でやっているとは思えぬ見事な段取り、夕刻には柵も全て撤去されていた。くちで言うのは簡単やけどね、この数でっせ・・・

posted by jakiswede at 21:46| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20100916 粒あんを作ってみる

KIF_7733.JPG

 

 去年のあずきで粒あんを作ってみた。あずきの栽培そのものは上手く行ったが、なかなかあんにする気になれずに夏を迎え、虫が湧いてしまった。密封した瓶に保管していたのに虫が湧くという事は、あずきの中に卵があったのだろう。でもせっかく作ったのでもったいないから、虫干しした上でさらに篩いにかけ、水洗いしてなるべく取り除いた上で、砂糖と少々の塩で炊いてみた。食ってみたがなかなか行ける。しかし、どうしても虫がわいたという雑念が離れず、また甘いものを食う習慣がないので、それきりになってしまった。

posted by jakiswede at 21:44| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月17日

20100915 稲刈り直前の田んぼと畑

お知らせ

 

 今シーズンの米作りもなんとか成功裏に終われそうですので、昨シーズンに生産したアキタコマチを在庫処分します。農薬・化学肥料不使用、手植え・手除草・手刈り・天日干しのほぼ伝統的な製法に近いお米です。玄米にして摂氏13度で適正湿度を保てる米専用の冷蔵庫に保管して参りましたので、ほぼ新米と同じ食味が維持できています。もちろん虫もわいていません。わりとあっさりとした軽めの仕上がりなので、副食と喧嘩する事がありません。私が初めて作った米としては、十分に自慢できる品質だと思います。なにより農薬・化学肥料など所有していませんので安全です。このお米、\1,000/kg (玄米) で販売します。白米にも出来ますが、玄米で計量しますので、若干目減りします。ご希望の方はコメントかメールでお知らせください。現在在庫している60kg販売次第終了となりますので、お早めに。

 

 また、今シーズンの稲刈りは9/19-20です。体験してみたい方はご連絡ください。個別にご案内させていただきます。

 

KIF_7700.JPG

 

 赤米が見頃を迎えています。師匠は観賞用に栽培されていたのですが、一部分けてもらって食べてみたところ大変おいしかったので、食べるように栽培する事にした。

 

KIF_7708.JPG

 

 もうちょっと楽しみましょう。

 

KIF_7711.JPG

 

 部屋にも飾りましょう。

 

KIF_7728.JPG

 

 か弱く儚い美女と同じで、赤米は足腰が弱いのであります。先日の寒冷前線に伴う雨風で、見事に倒れました。そっと抱き起こして9株ずつ穗の下で括ります。

 

KIF_7709.JPG

 

 コシヒカリの方も靡いていますが、こちらは倒れ込むほどではありません。

 

KIF_7710.JPG

 

 お隣は先日9/12に稲刈りを終えられました。

 

KIF_7732.JPG

 

 ちょっとわかりにくいのですが、ウンカにやられた田んぼです。色の変わっている部分があります。ウンカは、まさに「雲霞のごとく」大量発生する小型の蝉で、一瞬にしてこうなり、数日後には田んぼ全体に広がって稲を枯らせてしまう恐ろしい害虫です。大抵は9月以降の刈り取り間際に発生するので、生育途中で被害に遭うよりはましというものですが、瞬く間に広がり近隣の田んぼにも被害を及ぼすので、早急に稲刈りをしてしまわないと保障問題になりかねません。別に管理が悪いから発生するという訳ではなく、どの田んぼに発生するかは、もっぱら雲霞の気分次第です。ウンカにやられた米は等級が落ちるそうです。農薬も化学肥料も使わない栽培ではやられる危険性が高いのですが、幸いな事に、私の田んぼでは見られません。

 

KIF_7717.JPG

 

 畑の観察。9/13からようやく秋風が吹きはじめ、日中の猛暑が少し和らぎましたので、毎日除草に性を・・・失礼、精を出しております。畑は、水没状態と猛暑から脱したので、ようやく生き生きとしはじめています。左はブータンと韓国の唐辛子、その奥にショウガがあります。右はイチゴの苗出し、鶴の子大豆と、その奥が丹波の黒豆。

 

KIF_7703.JPG

 

 ショウガは、去年よりもかなり小ぶり。

 

KIF_7712.JPG

 

 今年は、どこも大豆が不作と聞いています。奥の丹波の黒豆は巨大化しているのに。

 

KIF_7718.JPG

 

 左はインゲンの畝、右は、手前からセレベス・カリフラワー・ブロッコリー・日常的な葉もの野菜・・・

 

KIF_7714.JPG

 

 結局、インゲン類はブラジルのFeijao Pretoのみがんがん収穫中。

 

KIF_7719.JPG

 

 見事なサツマイモの葉の海です。広角レンズなので手前が強調されるのです。左の畝の手前が鳴門金時、奥が干し芋用タマユタカ。葉の旺盛さから見て、今年はかなり遅い収穫と思われます。右の畝は、いたずらにこぼれ種から発芽した白菜を移植して育てています。勿論結球しないでしょう。その奥にも日常野菜があります。

 

KIF_7720.JPG

 

 左は手前からトルコの白ズッキーニ、奥には緑のズッキーニが隠れています。その向こうにもズッキーニが植わっていましたが、一株を残して中折れして枯れました。除草の際に整地して秋からの日常野菜の種蒔きをしました。右は、手前からカボチャ・スイカ・・・もあってんけど結局全部枯れた。その奥がニガウリ・・・キュウリと瓢箪は大量収穫の上、枯れた。

 

KIF_7725.JPG

 

 トルコの白ズッキーニは、まだまだ行ける勢い。

 

KIF_7726.JPG

 

 ボ・・・失礼、ズッキーニを支柱を仕立てて栽培する方法は、予想した通り葉と実の重さに茎が耐えられずに中折れ、この株も一度折れたが、茎の一部が繋がっていて、先日青息吐息の状態を脱した。いまでは葉も大きくなって上を向き、花も咲いて実もなっている。

 

KIF_7721.JPG

 

 かつてのイチゴの跡地に、左は白菜、右は大根を種蒔き。

 

KIF_7727.JPG

 

 いずれも数日で発芽。少しずつ日をずらして種蒔きして行くと、春先まで連続して収穫できる。

 

KIF_7722.JPG

 

 左はかつてのジャガイモの跡地で、次はイチゴの予定・・・だったが、師匠と相談した結果、田んぼと畑を共存させている事によるメンテナンスの悪さ、お隣さんが3年に一度は消毒のために隣接する圃場に夏期に水を張るため畑が水没すること、師匠の共同農場と統合した方が、遥かに生産性が良い事などを理由に、この圃場は全面田んぼ、共同農場の、これも共存している田んぼと畑の部分を全面畑に統合する事になった。ここで畑作をするのは今シーズン限り、シーズンにまたがる作物は先行して共同部分の畑に種蒔きする事になる。したがって、この畝で土作りをする必要もなくなったので、放置。右はトマト、その奥がナス、さらにピーマンや唐辛子が続く。トマトも、やっと元気に実をつけはじめた。ここもナス科が終わり次第、イチゴの植え付けに向けて土作り・・・の筈だったが、同上の理由により、放置。

 

KIF_7702.JPG

 

 後ピンになってますが、指差しているのは、コンゴの「ピリピリ」です。やっと実がつきました。

 


posted by jakiswede at 00:21| Comment(3) | 農作業食品加工日誌2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月07日

20100907 稲刈りの季節

KIF_7694.JPG

 

 稲刈りシーズン到来。集落の皮切りは、お隣さんのコシヒカリ。ここはすべて業者任せなので、このような大型機械でガァァァァッと30分一発終了。

 

KIF_7695.JPG

 

 連日の猛暑で草木もお疲れかと思いきや、刈り取られた稲藁の乾いた香りに混じって、ほんのりとみずみずしいキンモクセイの香りが・・・夏の終わりに、過ぎ去った恋の想い出に浸る頃、かならずこの香りがする。

posted by jakiswede at 23:38| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20100905 旧グッゲンハイム邸でのひととき

KIF_7639.JPG

 

 神戸塩屋・旧グッゲンハイム邸でのひととき・・・http://www.nedogu.com/

 

KIF_7644.JPG

 

 背後はすぐに山道・・・どこかイタリアのCinque Terreにある「愛の径」に似ている・・・http://www.viadellamore.com

 

KIF_7653.JPG

 

 

 アトリエステンドグラス・・・http://www.geocities.jp/mmd_glass/

 

KIF_7670.JPG

 

 今日は、出来るだけ私の野菜を使って音楽会にケータリングする試みであります。調理してくれているのは・・・

http://nerikitchen.blogspot.com/ および http://www.talkin-about.com/cafelog/ のあゆみさん。

 

KIF_7671.JPG

 

 演奏は本格的キューバ音楽「Son」のグループ「Son四郎」・・・http://chekere.exblog.jp/

 

KIF_7679.JPG

 

KIF_7680.JPG

 

 外の国道沿いでは、「燃えないゴミ」ステーションに出された廃棄物から金目のものを抜き取るリサイクル業者の一団・・・

 

 KIF_7686.JPG

 

 連日の猛暑と重労働が重なったためか、つい快適な空間でうとうとと夜が更ける・・・

 

KIF_7689.JPG
posted by jakiswede at 23:34| Comment(0) | 写真散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20100901 猛暑の秋

KIF_7627.JPG

 

9月に入ったら草を刈れ」というらしい。そんなことは知らんかったが、なぜかむらむらと草を刈りたくなって刈っていたらお隣さんと、お向かいさんも草刈り機担いで出てきはって、思わず苦笑い。

 

KIF_7624.JPG

 

 ようやくニガウリがなりはじめた。今年は猛暑やしちょうどええわ。

 

KIF_7625.JPG

 

 ブロッコリーがなんかおかしい。隣のカリフラワーも、花芽が出たと思うたら腐ってる。こういうのんはみんな気候のせいにしとこ。

 

KIF_7631.JPG

 

 赤米の穗が出てる。

 

KIF_7632.JPG

 

 私の田んぼの稲を勝手に刈った奴がいる。いろいろ訊いてまわったら、どうやら農協が稲の生育状況を調査するためにこういう事をするらしい。地元のお百姓さんはこともなげに言うが、私の感覚としては、なんか気色悪い。「ノーキョーのセンセ」やったらなにしてもええんか、人の田んぼ触るんやったら一声くらいかけてもええんちゃうんか、そないやって人のやる事監視してどっかへ密告するんちゃうか、ほいでイザとなったら毒でも入れて・・・やめとこ。一人で考えとったらどんどん過激になる。

 

KIF_7617.JPG

 

 カボチャの畝に生えた、珍しい小さなスイカ。模様が薄いのと、実の中心が少し繊維質なので、カボチャと交雑したものかも・・・ 甘みはほとんどありませなんだ。

 

KIF_7618.JPG

 

 田の畦の草刈りをしていて撥ねた鶴の子大豆・・・枝豆には少し早いが、なかなかの味。

 

KIF_7619.JPG

 

 猛暑とトウ立ちの影響で中心から腐ったタマネギを集めて、健全な部分だけ刻んでペーストにしておく。

 

KIF_7620.JPG

 

 たんとある。

 

KIF_7623.JPG

 

 美女と一緒に摘み取ったバジルをペーストにする。

 


posted by jakiswede at 23:27| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

稲刈り日程再変更9/19-20実施 !!

各位 たびたび失礼します。台風9号がかなり微妙な線を進んで来ておりますので、倒伏予防のためにいっぱいまで潅水しました。さらに今夜から大雨になる予報ですので、籾の過乾燥は、ある程度緩和されると思います。同時に田んぼの水抜きも最初からやり直しという事で、9/11-12の稲刈りは断念、当初の予定通り9/19-20で行いたいと思います。予定を変更してくださった皆様には大変申し訳なく思いますが、なにぶんにも致し方ございません。この失礼はカラダで返させていただきますよってに、なにとぞ平にご容赦くださいませ。
posted by jakiswede at 18:35| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月04日

20100126 ブラジル入国

KIF_4496.JPG

 

 20100126 Sao Paulo Guarulhos International Airportに現地時刻の10:15定刻に到着。入国手続きは問題なくスルー。早速ブラジル国内航空のGOLのカウンターへ急ぐ。Sao Pauloからそのまま14:30発の便でRio de Janeiroへ飛ぶ。同日乗り継ぎのリスクがあった事と、Carnaval時期の混雑を予測してGOLの便はインターネットで予約してきたのだが、いろいろシステム上の問題があって、座席が確保されているかどうか不確定であった。そのいきさつについては、手配時のブログに記事があるので参照されたし。

 

http://homepage.mac.com/jakiswede/iblog/C1750342249/E20091120220746/index.html

 

結果として、GOLの便はちゃんと確保されており、代金を現金で支払った。日本円で\5,000弱である。所要一時間、バスよりも安くて早い事になる。搭乗手続きは20分程度で問題なく済んだ。Sao Pauloの空港を飛び立つとき、激しい雷雨に見舞われた。離陸そのものに影響はなかったが、この雨がSao Pauloに深刻な洪水の被害をもたらした事を、後日旅の途上で聞いた。

 Rio de Janeiro Galeão International Airportには定刻通り15:30に到着したが、空港から出るのにちょっとしたトラブルがあった。GOLは国内航空であるので国内線の扱いを受けなければならない筈である。しかしどういう事情か飛行機は国際線ターミナルに到着したので、空港から出るには「入国手続き」のカウンターを通過せねばならなくなった。私は既にSao Pauloで入国手続きは済ませてある。しかし係官は私に入国カードの提出を求めた。私はGOLの搭乗券とSao Pauloでの入国カードの複写と、入国スタンプの押されたパスポートのページを示して、既に入国手続きは済んでいる事を説明したが、係官は納得せず、ここを通る者は全て入国カードが必要だと主張した。もめても仕方がないので別に入国カードを書いてさっきと同じように全て提出すると、しばらく考え込んで「なぜ入国カードが二枚もあるのか ? 」と訊いて来た。「あんたねえ・・・」ということで、長くなるので省略するが、私得意の「別室ご案内」身体検査のうえ「無罪放免」されたのが、約一時間後。理屈通りに進んだアメリカの旅からスイッチが切り替わった。いよいよ本番だ。旅はこう来なあかん。

 ここから先は段取りと判断力と行動力が全てだ。あとは天のご加護を祈るのみ。なにしろ生還率50%の旅である。空港から出る事そのものは問題ない。奇麗で近代的な空港だ。出口の目の前に空港バス「Real」が停車している。外国人観光客相手のぼったくりタクシーもちらほらいたが、勧誘はそれほどしつこくない・・・というか、後日リオ在住の日本人に聞いたのだが、そのときの私の風采は無賃乗車された挙句に暴行されそうなオーラを発していた・・・らしい・・・まさか。

 Realで新長距離バス・ターミナル「Rodoviária Novo Rio」へ向かう。途中、市街地へ入るといくつもの「ファヴェーラ」の脇を通った。初めて見るフゥヴェーラの印象は、キンシャサの下街の貧民街をさらに重層化して混沌となった物々しい空気だった。赤土の路地、幹線道路に沿って張り巡らされた有刺鉄線、破壊されたフェンス、林立するバラック、垂れ流しの汚水をたたえた溝、溢れる黒人・・・これはヤバすぎる。損な街がどんどん続いてほどなく、バスはRodoviáriaに到着した。

 

http://www.transportal.com.br/rodoviaria-novorio/index.htm

 

 現在では長距離バスのチケットは、上のサイトで検索できる。しかし当時はRodoviáriaへ直接出向いて捜さなければならなかった。1/31のSalvador行きのチケットの確保は大手バス会社Itapemirimで問題なく予約できた。次は宿泊先への移動である。このときに私はちょっと勘違いして面白い冒険をした。私の行こうとしていた宿泊先は、都心から見るとSanta Teresaの少し奥にあるファヴェーラ「Pereira da Silva」にある。そこへ行くには都心から黄色い路面電車「Bondinho」に乗って行くのが面白い。従って、私は「都心」にある路面電車の「駅」を目指して「Central」と表示された路線バスに乗った。しかし終点は巨大な路線バスのターミナルで、強烈な混沌の渦の中だった。日本でいう「問屋街」が林立し、行商人が大勢行き来する中、強烈なブラジル風の煮物揚げ物の臭いが充満し、右も左もわからぬ中へ放り出される結果となった。のみならず、ターミナルの裏手はすぐにファヴェーラに接していた。活気ある下街・・・とは表現は良いが、抜き差しならない危険な空気をひしひしと感じ、荷物もあったので、とりあえずその場を離れた。ターミナルの表側は鉄道の駅になっていた。どうやら私は「Central」の意味を勘違いしていたようである。バスは「中央駅」のターミナルに到着したのである。「Bondinho」の駅へ行くには、正しくは「Lapa」へ行くバスに乗らなければならなかったのだ。これも今となっては懐かしい経験である。身の安全を確認しながら地図を読み返し、ようやく間違いに気づいたものの、Lapaへ行くバスを見つける事が出来なかったのと、ぼちぼち陽が傾きはじめたのとで、やむを得ずタクシーに日和った。

 

 タクシーの運ちゃんは、髭面時代のロバート・デ・ニーロに似た、なかなか渋いええヤツだった。宿泊先の住所を書いたメモを見せると、にこやかに頷いて車を出した。お互いの言葉がほとんど通じない事を察すると、余計なことを言わずにてきぱきと車を進めた。おかげで都心とLapa、Santa Teresaの位置関係を把握できた。宿泊先には10分ほどでついた。そろそろ夕闇が迫ろうかという時刻だった。Pao de Acucarが正面に見える、劇的に見晴らしの良い場所だった。

 
posted by jakiswede at 23:13| Comment(0) | ザイール・ヤ・バココ第三の旅2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Farminhos稲刈りの日程変更

KIF_7629.JPG

 

Farminhos連絡事項

 

稲刈りの予定を一週間繰り上げます。

このところの猛暑で稲の登熟が予想以上に進み、この先も高温が続く事が予想されるため、お知らせしていた9/19-20の稲刈りでは籾が乾きすぎて割れてしまう危険性が高くなりました。稲刈りを9/11-12に一週間早めようと思います。ご参加いただける方は早めのご連絡をお願いしたく存じます。よろしくお願いします。

 

20100903 写真は水の抜けにくいアキタコマチの田んぼの泥沼地獄の稲刈りの模様。猛暑と泥沼で最悪の状態。翌日の師匠の稲刈りイベントには子供が多く参加するため、困難な部分だけを先に済ませようとしたのだが難渋を極めた。水はけが悪い最も大きな原因は、この圃場は隣接する圃場とあわせて三反田として区画整理されていて、排水路へ抜ける暗渠が三反共有になっている。そこへ隣接する圃場より早稲の品種を植えてしまうと、早稲が稲刈り時期を迎えても隣接する圃場は水の張られた状態にあるから、その暗渠の出口は塞がれているのである。従っていくら側溝へ水を解放しようとしても、暗渠部分の水位までしか落ちないため、場所によっては上のような泥沼状態になる。

posted by jakiswede at 01:02| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20100125 Amtrak乗車記

KIF_4470.JPG

 

 20100125 NY最後の日はあいにくの雨だった。ガイドブックに載っているような昼の観光地を全く訪れていなかったので、いろいろ散策したかったのだが激しい雨で断念。郵便局から冬物衣料や不要品を日本へ送り返す。手続きの要領が悪くて一時間ほどを要する。地下街で時間をつぶしたあと、鉄道少年の私はPenn StationからAmtrakでWashingtonを目指す。

 Amtrakの各駅停車に乗って、せめてものアメリカの田舎風景を楽しみながらWashington到着。駅の豪華さに驚きつつ、国会議事堂付近の、アメリカの表の庭を横切って、地下鉄オレンジ・ラインでWashington IAD空港にほど近いEastfall Churchに着いたのはもう夜だった。この駅は、郊外型住宅地の最寄り駅という風情で、駅前ロータリーにバスが並んでいて、いそいそとサラリーマンが家路を急ぐ姿は日本と全く同じ。奇麗なシャトル・バスで暗闇の空港へ到着。

 Washington発Sao Paulo行きUnited Airlines UA861便、現地時刻の21:57発である。リコンファームの際に、アメリカではテロ対策のため、遅くとも3時間以上前には空港に到着しておくようにとの指示をもらったのでそのようにしたのであるが、なんと全ての手続きは20分で終わり、ショップもない待合室でひたすら待つ。たった4日間のアメリカ滞在だったが、日本に根付いたアメリカ文化の原型の様々を垣間みられて面白かった。音楽的には、4日間は短すぎて、まあこんなもんでしょ。さて次はブラジル・・・


posted by jakiswede at 01:00| Comment(0) | ザイール・ヤ・バココ第三の旅2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20100124 BrooklynのJamaica人コミュニティ

KIF_4447.JPG

 

 20100124 日曜日である。朝9時に、ものすごくものすごく懐かしい友「カコ」ちゃんが旦那のDanny君の車で迎えに来てくれた。「カコ」ちゃんというのは、もう昔々1980年代の後半、大阪に試行錯誤的ワールド・ミュージックのバンドが出来はじめていた頃、本格的なレゲエ・バンドとして押しも押されもせぬ先駆者的存在だった、その名も「Roots Rockers (のちにRoots "Dragon" Rockers)」のサックス奏者であった絶世の美女、われらのアイドル、送り迎えはアタリマエだのクラッカー・・・失礼・・・とにかく世界の中心、全ての太陽、美女無謬の具現であった懐かしい友である。彼女が大阪クラブ・シーンのハシリ「ダイナマイト」や「パラノイア」で働いていた頃、私もそこへ出演したり、まわしたり、足繁く遊びに行ったりしたものだが、近所に住んでいたので、帰りは必ずお送りしたものだった。それはまるで特権のような・・・失礼、つい往時が懐かしく思い出されて・・・で、写真に写っている左の彼氏が旦那のDanny君で、右は兄のMartin。Martinは昨年まで大阪のレゲエ・クラブでまわしてたからご存知のファンも多い筈。ほぼ20年ぶりの感動の再会であった。

 ここはManhattanを離れてBrooklynのかなりディープ・サウス、ジャマイカ人コミュニティの真ん真ん中。日曜日の朝に迎えに来てもらったのは、ここで彼等の所属する「Christian Cultural Center (CCC) 」という教会のサービスがあり、そこで演奏されるゴスペルクアイアにカコちゃんが参加しているからである。車でまずカコちゃんの家に案内されたあと、次のサービスまで少し時間があったので、部屋で寛ぐ。写真に見える簡素な二階建ての連棟である。

 

http://cccinfo.org

 

 教会へ向かう。アメリカ映画に出てくる郊外の商業地のような殺風景なエリアに、路上駐車された車の列の合間から、盛装した黒人たちがひとつの方向を目指して列をなして歩いている。我々も車を降りてその流れに従う。見たところ非黒人はカコちゃんと私だけだ。広い、手入れの行き届いたエントランスから建物に入る。このサイトに見える会場でサービスに参加する。壇上に上がったCEOのA.R. Bernard氏の話は、初めは非常に穏やかに、ユーモアも交えて語り始められる。少しずつ問いかけ、やがていくつかの答えの連鎖の中からテーマが導き出されて、聴衆に同意を求める。その同意をもとにやがて説諭はエキサイトしていって、一定の決まり文句が出た時点で、聴衆一同それに呼応する。そのいわばコール・アンド・レスポンスの間隔が徐々に狭まっていくとともに聴衆は高揚し、その盛り上がりの波が何度か繰り返されてやがて絶頂に達する。大拍手とともに「ハレルヤ」の連呼、そしてバンド演奏が始まる。私は無宗教であるし、英語もままならないので、その内容を良く理解した訳ではない。しかし絶叫する人あり号泣する人あり、手を大きく広げて立ち尽くす人あり・・・集まった人たちの、精神的な支柱を求めるオーラが、壇上のCEOに収斂して行くエネルギーは、全く度肝を抜くものだった。2時間ほどのサービスは、聴衆の大熱狂で終わる。戸惑いを禁じ得ないが、観光旅行では得られない体験をした。

 夕方まで部屋で休んだあと、車でBrooklynの中華街や下街情緒溢れる界隈を見、ディカウント・ストアでの買い物などして、近所のジャマイカン・レストランへ行く。ジャーキー・スパイス、ココナツで風味付けされたチキン・ビーフ・マトン・ヤギ・魚などのジャマイカン・カレー、プランタンの素揚げなど・・・当然ながら客は全て黒人、普通に家族や友人同士で食事に来た風情で、特に日本のレストラン風景と変わるものはない。


posted by jakiswede at 00:58| Comment(0) | ザイール・ヤ・バココ第三の旅2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20100123 ジャズ徘徊

 今日も時差ぼけで15時頃から3時間ほど寝る。19時にドミトリーを出て、ハーレムの夜の散策に出かける。ワールド系のライブやイベントの多いという「Shrine」を覗くも、あまりの内輪ノリに乗り切れず退散。Lenox Loungeへ行ったが、まだリハーサル中だったので、メトロ2号線に乗ってVillage VanguardへLee Konitz Trioを聞きに行く。

 ライブ情報は、出発前にVillage VoiceやAfrican Sun Timesなどである程度調べて行ったのだが、これらはペーパーも出ていて、そこら中の路傍の専用ポストに詰め込まれているので、自由に取って読む事が出来る。NYには実質3日間のみの滞在なので、事前に絞り込んで行かないと、行き当たりばったりでは幸運に巡り会える確率は低い。

 

http://shrinenyc.com

 

http://www.lenoxlounge.com/jazz.html

 

http://www.villagevoice.com

 

http://africansuntimes.com

 

 Village Vanguardには早く着いたのと一人で行ったのとが幸いして、一番前の、ドラマーかぶりつきの席に案内された。ジャズにはあまり詳しくない・・・というか、私の好きな傾向が余りにも偏狭すぎるので、Lee Konitzといっても白人の眼鏡をかけた神経質そうなおっさんくらいにしか記憶していなかったのだが、それは彼の若い頃の写真。実際に小さなステージに現れたLee Konitzは、白髪の実に温厚そうな老人であった。演奏は、これぞ円熟の極みで、丸い。ときどき間違えたり咳き込んだりするのを、上手く笑いやフレージングのアドリブにすり替えて行って、白人ジャズらしい「頭で考えた」仕掛けがスウィングの中に見事にとけ込んでいく流れが素晴らしい。丸い、とはいっても輪郭は端正で、角が丸い音である。決してスリリングな音楽ではないが、かといって落ち着いてしまった演奏ではない。楽しい空気の流れる時間であった。込み込みでUSD35で収まったのは安いと言える。客はおとなしく上品である。1stセットが終わって、ほぼ全てが入れ替わる。

 

Lee Konitz Trio: Live At The Village Vanguard: 2010/01/20のライブ、まさに私の見た数日前の模様である。

http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=122688265

 

 23時のLenoxのセットにはまだ時間があるので、近隣のライブハウス前を冷やかして歩く。名前は忘れてしまったが、半地下になっている小さな店から良い響きが出ていたので覗こうとすると、階段の下でがんばっていた黒人に「No Japanese tonight, sorry」と言われた。怪訝な顔をしてみせたが、「Sorry, No Japanese」と言うばかりで入れてくれない。仕方なく他をほっつき歩いてメトロに戻りしなに再びその前を通りかかったときに、丁度セットが終わって客が出てくるのに出くわした。なんと、なかから出て来たのは日本人の団体で、引率していたのはNYでは著名な現地ジャズ・ガイドである。出発前の下調べで、ネットで特徴的な顔を見ていたのですぐにわかった。同時に、あの黒人の言った意味もわかった。なるほど「他では見られない」はずである。

 セントラル・ハーレムに戻ってLenoxに入る。時間がおしていてまだ前のセットが終わっていなかったので、しばらく手前のバーでビールを飲みながら待つ。店は、手前がバー、奥がライブハウスになっていて、境目に扉があり、やはり怖い顔した黒人の若いのががんばっている。彼に促されて、カウンターにあるリストに名前を書く。ガラスの分厚い扉越しに演奏はよく聞こえる。ステージは手前側、すなわち客はステージ脇から出入りする事になる。ドラマーの背中が良く見えるので、私にはここが最も良い席だ。

 入れ替えである。リストに書いた到着順に客が呼ばれて中に入って行く。ここでも私は一人だったのが幸いして、一番前の席に案内された。白人女性ピアニストSarina Bridge、白人ベース、黒人ドラムス、えーぐあいにヨレた白人トロンボーンに、シャキッとしたOrnette Coleman似のサックスのコントラストが面白い。さらにゲストとして、白人トロンボーンと黒人サックスの、都合4管で迫力満点。ソロまわしありデュオまわしありの多彩なインプロヴィゼイション、リズム・セクションのグルーヴ・・・というか、全体のうねりも大変濃く、そこへ繰り広げられる繊細なピアノのフレーズが、ミス・マッチと意外性のすれすれの際どさを着いて行く。さまざまなスタイルのジャズが聴けて大満足の2時間弱。1時半ごろ終了し、歩いて戻る。全く危険は感じない。

posted by jakiswede at 00:56| Comment(0) | ザイール・ヤ・バココ第三の旅2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月01日

20100123 移民の街の印象

KIF_4432.JPG

 

 眠れずに朝5時に起きる。NYの冬の朝は遅い。8時頃になってようやく太陽を感じる。建物が高いせいもあるだろう。朝食は自炊なので、適当に近所で買い物をして済ませる。朝早くから開けているデリカは、かなり英語の危うい顔の濃い人たちがやっている。散歩がてら、セントラル・パークをなめるようにしてLexington Av.の103丁目まで歩く。そこから先は、所謂「スパニッシュ・ハーレム」だ。もちろんここへ来たのには訳があって、これからブラジルへ行くのだし、ブラジル以外の南米諸国やカリブ海・中米諸国の空気を、ここで少しでも味わっておきたい、キューバ音楽やサルサ、ハイチの音楽やレゲエを愛聴して来た私の音楽遍歴の半生をふりかえり、「ラテン・アメリカの首都」NYでその息吹を少しでも感じられたら、ことによっては夜にライブのいくつかでも聞けたらと思って来たのである。

 アメリカは、そもそも移民で出来た国で自由で平等で民主主義が国是だと教えられて来たように思う。さて、現代の「移民」は、どのへんから「移」民なのか、白人でアメリカン・イングリッシュを話し、ハンバーガーを食うアメリカ人が圧倒的に多く住んでいる場所と、どうもそうではない場所とがNYにはある。私の滞在しているセントラル・ハーレムも、黒人がほとんどという点ではそのひとつと言えるが、どうもそれとは違う空気がここにはある。それは建物ひとつとってもわかる。セントラル・ハーレムの建物は、古くても非常に頑丈に出来ていて、歴史をひもとくと、そこはもともとアメリカ人の地方労働者向けの集合住宅街だったからだ。それに対してスパニッシュ・ハーレムには、二階以上が廃墟あるいは窓ごと塞がれている建物や、明らかに不当沈下で歪んだ建物、再開発で建て替えられた建物などが混在して、一筋縄ではない何事かを感じさせられる。ここはもともとイタリア人街で、公営市営を問わず、アメリカ人が外国人に貸すために建てられた建物が多い。自分で住む物件と賃貸用の物件の造りが違う事は日本もアメリカも同じと見える。現在はイタリア人はその多数がアメリカで成功して郊外に移り住み、その間に建物の所有権も変わって、管理が行き届かなくなる。そうした物件は安く取引され、空いた部屋には所得の低い人が移り住み、また空けば家族を呼び寄せる・・・これが繰り返されて移民が入れ替わる。

 NYの「移民の街」の印象は、まるで生皮を剥がれたようなひりひりとした緊張感に満ち、通り一本で明確に空気の変わるほど囲い込まれ、閉塞された圧迫感に満ちた息苦しいものだった。今もってアメリカ社会が白人のものだという事を感じさせられる。プエルトリコ人はアメリカ国籍だが、当然の事ながらメキシコ人やドミニカ人は外国籍だ。プエルトリコ人がNYへ来るのは国内の旅行だが、メキシコ人やドミニカ人は渡航になる。奴隷としてアフリカから連れて来られたアフリカ人の子孫はアメリカ人だが、近年になってアフリカから移民して来たアフリカ人はアフリカ人である。しかし前者をアフリカン・アメリカンと呼ぶなど、アメリカ人・奴隷の子孫・アフリカ人の三者を取ってみても、とても自由で平等な空気など感じられない。こうしたことが、アフリカ人だけでなく、中南米、アジア出身の人たちにも当てはまり、さらにそれとは別に所得の格差によって住める場所が事実上限定されたり、そこへ福祉が手入れをして再開発する事によって旧のコミュニティが破壊されたりして、所謂「移民の街」の中は、様々に「触れてはならぬ」暗黙のルールが交錯し、それがただならぬ空気となってこの街を覆っているように思われる。

 さてスパニッシュ・ハーレムから北上する。マンハッタンの北の端まで行くとハイチやドミニカの人たちの住む街になる。通り一本で街を行く人の肌の色まで変わる。ここまで来ると、中央の規制が行き届かないのか、幾分ラテン的な開放感が感じられる。レストランから漂ってくる油の匂いも、南の方とはぐっと違って、私には親近感が感じられる。腹も減ったので、片言のスペイン語で旨い飯屋を訊ね、ビュッフェ形式の鶏肉料理屋で、何とも言えぬ脂っこい鳥のトマト煮を食べた。物価は中央の半分以下である。のみならず露天商が多く、ここが果たしてNYなのかと目を疑う。さらに北上するとまた通り一本で雰囲気は激変し、服装や帽子から、明らかにユダヤ人街である事が見て取れる。実に静かな住宅街を通り抜けて、ハドソン川のほとりを見下ろすと、眠気が襲って来たのでA-Trainに乗ってセントラル・ハーレムに戻り、宿で少し寝た。時差ぼけで細切れにしか眠れないのが少し辛いが、旅の緊張感のためか、体調は悪くない。

posted by jakiswede at 00:19| Comment(0) | ザイール・ヤ・バココ第三の旅2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20100122 Village夜の徘徊

f0056262_8421591.jpg

 

 そのドミトリーに荷物をほどいて、時差のため行動の切っ先が鈍ってはいかんから先に寝る。現地時刻で夕方に起き出して再び先の店へ行き、たらふく平らげた後、ミカさんに連絡を取る。

 

http://mikinha7.exblog.jp/

 

 ミカさんというのは、仲良くしてもらっているブラジル音楽演奏家の仲間に紹介してもらったピアニストで、超を絶する美女である。せっかくやし宣伝しといたろ。色白で細身で繊細な美貌とは裏腹に、性格は豪快、一本気でダイナミックなピアノを弾く。細かい事はネットで調べてもらうとして、5年ほど前に初めて会ってから気が合うので仲良くしてもらっている。彼女に連絡を取って、Greenwich Villageを案内してもらい、イタリア料理店で食事した後、近隣のライブ・ハウスをハシゴしてまわる。

 アメリカ映画によく出てくるバーのシーンそのままの暗い照明の中、ひしめき合ってアメリカ人たちがしゃべくっとる。なんでこいつらはこんな狭くてくらい暑苦しい店の中でぐぢゃぐぢゃ喋るん好きなんやろ。ちょっと息苦しい。USD10程度のチャージの店は、たいてい外まで音が聞こえてるから、気に入ったら入れば良い。たいていテーブル席の中程に黒人のでかいヤツががんばっているので、そいつに睨まれない限り立ってタダ聞きは大目に見てもらえる。しかし今夜ハシゴした店での演奏は、実は大した事なかった。「まあだいたいこんなもん」らしい。アフリカン・ジャズをやる店として勧められたZinc Barでも、演奏内容はスタイルとしては流行のFela Kuti風Afrobeatに則っているが、ベース・ラインがJazz風にアレンジされていて、それが全然合ってない。あかん。NY初めての夜は、美女に案内されて夜更けまで遊び、未明にメトロで戻る。特に危険は感じない。

 NYのメトロについては、いろいろ注意情報が出ているので、注意するに越した事はない。確かにホームの先頭や後尾は危険。車掌は列車の中程に乗務していて、だいたいの駅は中程に階段があって、そこで多くの人が待っている。つまりそこが、より安全という訳だ。NYのメトロの運行形態は、日本と随分違う。日本と同じ感覚でマップをもらってこの駅を通るから・・・と安心していると停車しない事がある。例えば8th.Av.にはA・B・C・Dの4路線が走っているが、私の使う135St.に停まるのはBとCのみ。つまりAとDは複々線の内側を走っていて、135St.にはホームがない。マップを良く見ると、確かにそう書いてある。また、メトロは早朝・深夜・曜日によって、運行する系統が変更される。135Stから移動する場合、8th.Av.のB・C線よりもLennox Av.の2・3号線を使った方が便利な事が多い。まあこんな事を覚えていっぱしのニューヨーカー気取りでメトロを乗りこなすのも旅の楽しみ。


posted by jakiswede at 00:17| Comment(0) | ザイール・ヤ・バココ第三の旅2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする