2010年10月24日

20100218 Brasil-Africa

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 荷物を極力軽くして大西洋を渡る。それにこだわったのは、南アフリカはともかく、コンゴへ持ち込む荷物は極力抑えたかったからである。イザとなったら掴んで走れる程度にまでそぎ落としておく必要がある。重さ約8kg、大きさ約35ℓ・・・これで旅を続ける。今日も朝勤めのあと朝食までみんなと過ごし、お礼を申し上げてSさんの車で空港へ向かう。Sさん一家には本当にお世話に・・・なりませんでしたな。これは失礼な意味ではなく、よくぞ私のようなどこの馬の骨ともわからん者に好き勝手させてくれました、という意味であって、夜中に帰ると言っては合鍵を作らせてくれ、三度三度の食事もいただき、勝手気ままな行動にイヤな顔ひとつせず、これが天理教のおやさまの広いお志というものなのか、全てを受け容れてただただ見守ってくださるその懐の大きさに、すっかり甘えてしまったのでした。だからお世話にはなってません。もっと大きいものに守られたRecife滞在でした。

 さてブラジル滞在中に感じたブラジル音楽の印象について、私なりの見解をまとめておこう。なにごとも総括が肝心や。・・・なにから語ろうか・・・たとえば日本でなら「サンバはこうあるべき」とか「それはサンバじゃない」とか難しいことを言われることが多く、私はそれに反発し過ぎるためにあちこちで調和を乱すのであるが、ブラジル音楽の演奏家とともに演奏させていただくことが多い以上、チャンスがあれば実際の現地の音を聞いてみたいと思って来たのである。ブラジルの三都市をまわっていろいろ見聞した印象では、たとえば「サンバ」ひとつとってみても、地域や人や年齢層などにより、かなり多種多様であって、演奏方法やニュアンスのこまかい違いどころか、屋台骨の根本的に異なるものもある。Rioで聞いたサンバに多かったのは、どちらかというとイーブンなリズムで、わかりやすく整った印象で、日本人のサンバ演奏に多い、一拍目にアクセントを強く置くものが聞かれたが、なかにはそうではない、もっとまろやかな演奏もあったことは書き留めておきたい。Salvadorへ行くとかなり16ビート色が濃くなり、2拍子と4拍子が混在したり、そこへ6/8拍子のニュアンスが漂って、16と6/8・・・というか、16/16と12/16の中間をぎりぎりで蛇行するようなリズムの取り方がよく聞かれた。Recifeへ行くと、よりまったりとしたアフリカン・ルンバ的16ビートが主流となり、1拍目は4拍目のプレスロールのなかに溶け込んで、全体は螺旋状に回転する時間軸に沿ってまろやかに進む。Rio以外ではいずれも、1拍目に最も強いアクセントを置くような演奏はほとんど聞かれず、どちらかというとアフリカ的にアタマの取れた丸いリズム感が目立った。私はコンゴの影響を受けた音楽を長年演奏して来たリズム楽器の奏者であるので、どうしてもブラジル音楽の中にバントゥー音楽の要素を探し出すことに偏りがちなのであるが、ブラジル音楽というものが、征服者であったポルトガル人と、先住民であったインディオと、奴隷として連れて来られたアフリカ人の、それぞれの音楽が混合して長い年月の間に熟成して来た混血音楽であることを思えば、そもそも「純粋なブラジル音楽」などという言葉そのものが形容矛盾であって、「サンバはこうあるべき」とか「それはサンバじゃない」とかいう訳の分からん理屈は、なんにでも白黒をつけたがり、技術的な洗練を尊重するあまり、楽しみを共有することを軽視しがちな日本人の国民性が捏ち上げた虚構なのではないかと思う。ブラジル音楽はもっと多様である。模索することは正しいが、よどみない心でどんな音楽にも敬意を払うべきである。その上でなら、演奏の場面でどのように反応すべきかは、まさにその場に居合わせることで、周りの演奏が教えてくれる。心を無にしてそれに耳を傾けるとき、もはやそこに「サンバはこうあるべき」とか「それはサンバじゃない」とかいう屁理屈も決めつけも思い込みも存在しない。ご立派な形式や優れた技術があって良い音楽が出来るのではなく、個々の良い演奏にどう反応すればもっと良くなるかという試みの積み重ねが、良い音楽を作るのである。そして良い音楽が出来たときに、そのままでは、空中に放たれて一瞬で消えてしまうから、先人たちはなんらかの方法でそれを記録しておきたいと思ったのであって、そこで様々な楽譜が生まれ、形が生まれ、やがて理論がついてくるようになる。我々はそれと同時代に生きた訳ではないので、先に出来上がった体系を学ばざるを得ない立場だから、これを学ぼうとする。しかしその学び方において、あまりに先人の遺したものを金科玉条に奉り過ぎ、演奏者の自由な試みに干渉し過ぎると、音楽の多面性を見失うことになる。演奏を試みる中で、その音楽の持つ様々な横顔に光を当てることこそ音楽の学びであって、どんな音楽であれ、それが現在の形になるまでには、試行錯誤があった筈である。天才が一瞬で作り上げたものではない。つまり先生方が金科玉条に奉っているものも、すべては混沌から生まれたのであって、ひとつのアイディアやインスピレイションから、気の遠くなるほどの変奏を繰り返し、わくわくするような展開を思いつき、イキそうになるようなクライマックスを経て、ずこずこに突いたあと、力尽きて果てるのである。良い音楽の演奏は、極上の性行為に似ている。そこには音楽を演奏する楽しみの共有があって、試行錯誤の中から形式が生まれて来るプロセスがある。だからひとつの技術や形式を学ぶときに、盲目的にただただ倣うのではなく、それが生まれて来た経緯を学んだりソーゾーしてみたり、楽譜に書かれていない様々な演奏やニュアンス、あるいは楽譜の許容する範囲ギリギリでの勇気ある逸脱を、臆することなく試し、楽しみ、時によっては共演者あるいは楽譜と喧嘩することは大切なことである。たとえば西洋クラシック音楽の中でも、古典派以前のバロック音楽や、中世からルネサンス期における古楽演奏では、ひとつの主題から様々に変奏を試みた結果が、完成した楽曲の中に比較的分かりやすい形で残っている。おそらくその時代の音楽を、キリスト教の布教活動とともに受け取ったブラジル都市音楽Choroには、現在でも、ひとつのテーマを次々に変奏していく遊び心が至る所に生きていて、これこそがブラジルに初めて生まれた混血音楽の姿ではないかと思う。Choroの演奏の主眼は即興であり、即興から生まれた美しいフレーズの数々を愛でる心であり、楽譜への準拠の度合いはかなり軽い。これを見たとき、私はかつて共演させていただいたOrtiz Consortの練習で、古楽に使われる古い楽譜のなかに、真ん中に置いて四方から見ることを想定した書き方のものがあったことを思い出した。しかもその時代の楽譜にはほぼ主旋律の記載しかなく、副旋律はおろか楽器の指定すらなく、その楽譜をもとに彼等は即興的に音楽を作って行ったのである。日本を代表するような音楽大学出身の演奏家が即興演奏をするなんて、厳密をもって良しとすると思い込んでいたクラシック音楽の懐の広さを実感したのであった。これは、音楽の演奏のあり方を良く示していると思う。つまり相手の音を良く聞くために輪になって演奏し、特定のムードが決められているだけで、演奏のディテイルは演奏者自身に委ねられている。このあり方は、そのままRoda de Choroという、輪になって即興的に合奏する形と同じである。このように見てくると、私の見聞した限りにおいては、たとえブラジル音楽をよく知らない私ではあっても、演奏のありように対して、よどみない心と充分な敬意を払えば反応は可能であり、事実、何度か演奏させていただいたRoda de Sambaでは、私の「仕掛け」に対してギターやカヴァキーニョが絶妙に反応し、あとでそのことを彼等に訊いてみると、帰って来た一言はたったひとつ「面白いから」というだけだった。音楽とはそういうものだ。さて、このように柔軟性と自由を旨としてブラジル音楽を楽しんでいたのであるが、あまり楽しくない事態にも遭遇した。それは、ブラジル音楽が、征服者であったポルトガル人と、先住民であったインディオと、奴隷として連れて来られたアフリカ人の、それぞれの音楽が混合して長い年月の間に熟成して来た混血音楽であることそのものに起因することだった。つまり、長年バントゥー系の音楽のセンスに慣れ親しんだ私は、ブラジル音楽にバントゥー音楽の形跡を聞き取ると、どうしてもそれに強く反応し過ぎてしまって、長年聞き親しんで来たバントゥー音楽と比較してしまうのである。もちろんその結果、不満を抱くことになる。「そのフレーズはこうやろ」、「それとこれは混ぜたらあかんでしょ」・・・特にSalvadorに多いアフリカ色を強調した音楽を聴くと、より一層それを感じてしまう。私の耳からすると、ブラジルにあるアフリカ色の濃い音楽の、そのアフリカ的要素には不自由で息苦しいものを感じる。つまり、いろんな国や地域の伝統的なフレーズの断片が、無秩序にひとつの音楽の中に混在していて、本来アフリカにおいては、それぞれの村や地域の中でしかるべき手順にしたがって敬意をもって演奏されていたであろうものが、切り苛まれてばらまかれ、他の要素と一緒くたにされてごちゃ混ぜにされた上に、たんにみんなで演奏しやすいかどうかという短絡的な基準にてらして最大公約数をとられて選別され、あるものは捨てられあるものは簡略化されて、辛うじてその残り滓の風化した残骸が、かつての芳香の名残を留めているに過ぎないように見えるからである。私はその残り香を追い求めた。しかし追い求めれば追い求めるほど哀しくなるばかりであった。これはまさに混血音楽の宿命である。音楽は混血してしまっているし、それを演奏している奏者たちも混血している。これをいまさら元に戻すことなど絶対に出来ない。しかし混じった血のそれぞれの遺伝子は、あるいはコンゴを目指し、あるいはアンゴラを目指し、あるいはガボンを、カメルーンを、ナイジェリアを、ガーナ、コート・ジ・ヴォワール・・・をそれぞれ目指して夜泣きするのに、それを手に入れることは出来ないのである。がんじがらめで不自由で息苦しい。その苦しみは、開放的で寛容なブラジル音楽の表面的な明るさとは全く裏腹に、音楽形式の繊維の奥の奥にまで色濃く刷り込まれてしまっていて容易に溶け出すことがない。彼等が自分の意志で移民して来て、互いを切磋琢磨することで音楽を磨き、鮮やかで彫りの深いアフリカ音楽のさまざまな要素が相乗効果を得ながら開花したのなら、それは幸せな音楽であろう。しかし彼等は奴隷として、家族の絆も地縁の絆も断たれて、まったく不本意な状態で連れて来られたのである。そして人間性のない状態で何世代も虐げられ続けた。伝統の相互連関など崩壊してしまい修復不可能になった。彼等は手元にわずかに残った伝統の断片にしがみつき、隣人の別なる断片となんとか組み合わせるようにして、次第に音楽を形作って行った。それが今のブラジル音楽の一部を築いていると見ることが出来る。私は、特にSalvadorでCandombleやMarakatuなどのなかに、雑多に押し込められた様々なアフリカ音楽の伝統の断片が発する悲鳴を聞いて、突然激しい哀しみに襲われた。それは救いようのない、ぞっとするような、真っ暗な渕のような哀しみだった。それらは明らかに、自分が繋がるべき次のフレーズを、前のフレーズを探し求めて悲嘆に暮れていた。また別のフレーズも同じ、そしてそのまた次のフレーズも同じだった。それらは、本来そこにあるべきでない隣人とともに繋がれていた。奴隷制度は終わったが、囚われの状態は、音楽の形式の中に刷り込まれることによって、永遠に伝承され続けるのである。ブラジル音楽は自由だ。しかしそれは、楽しくもあり、苦しくもあるということだ。こうしたことを知り得たということは、多分私のブラジル音楽の捉え方にとって、大変有益なことだったと思う。短い滞在ではあったが、そのごく一部を肌で感じることの出来た滞在だった。もっと長く滞在できれば、もっといろいろな見聞が出来るのは確かである。しかしそれは一人の身には負い切れないほど大きすぎるものであることがわかったことも確かである。まあ、ブラジルは初めてやしこんぐらいにしといたろ。

 

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 11:30のGOL1667便Recife発São Paulo行は、定刻より5分早い11:25に離陸した。11:28発のTAM便が整備に手間取ったらしく先に出発となった。こっちが格安なのに悪いね。機体はVarigの表示を残したままのB737-800型で片側3列。飛んで間もなく飲み物とおつまみが出ただけで、あとはメニューが配られた。最も安いものでもR$15のハンバーグなんてアホらして手も出せんので、ランチタイムも適当にごまかしとった。São Pauloへは約30分遅れで到着。そのままSouth African Airwaysのカウンターでチェック・インしようとしてトラブル。チェック・インには入国したときのカードが必要だという。なんかそんなことどっかに書いたあったなあ・・・忘れとった。まあそこんとこはコーヒーでもちゅうて握手する右手の中にR$10ほど忍ばせたら新しいカード出して来て全部書いてくれた。まあちょっとしたミスさ・・・時間が余ったので、Aターミナル側2FのネットカフェからJohannesburg (JNB) の宿泊先にメール。到着予定と空港でのピック・アップを依頼する。JNBは都心と空港が最も危険なのである。送迎もドア・トゥ・ドアでという強い調子のアドバイスなので、ここは素直に従っておく。上の写真はSão Pauloの空港に集結した格安航空会社のGOL・Webjet、私の乗って来たVarig表示のGOL、それにTAMのしっぽ。

 さていよいよブラジルともおさらばや。搭乗ゲートまで進むと、巨大な黒人のおばちゃんがバカでっかいソフトケースにビニール袋何個も結びつけてカウンターのねーちゃんと激しくやり合っとる・・・これで乗るつもりやな・・・せやけどねえ、アンタ機内持ち込みの荷物なんぼなんでも・・・それで一個やて・・・ねーちゃん呆れてるけどおばちゃんは本気でヒステリーを演じて、なにがなんでも乗り込もうとする。阻止しようとする会社側、おしのけようとするおばちゃん、ブーイングを発する乗客・・・搭乗手続きの開始が遅れる。会社側はとにかくおばちゃん以外を全て乗せ終わってから、スペースに余裕があれば対処するということに日和ったらしく、他の乗客の搭乗が始まった。やるなあ、おばちゃん一歩前進やん・・・チェック・イン・カウンターからここまで多くの関門をこの迫力と巨体で押し倒して来たんや、ここさえ実力で突破したらあとはアフリカや・・・ううん、すでに充分アフリカの匂いプンプンしとるで。幸運を祈る・・・とつぶやいて先に乗り込んだが、涼しい顔で彼女は最後に現れた !! 後ろから数人のスチュワードが、恭しくおばちゃんのきたない荷物を捧げ持ち、彼女の指図であちこちの隙間にそれらを押し込んで行く・・・つくづくやるなあ・・・大好きやでおばちゃん、大阪のおばちゃんにも見習ってほしいこの迫力。やるんやったらここまでやらんかい。飛行機は飛び立った。

 

 


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2010年10月12日

20100217 灰の水曜日

 「灰の水曜日」である。明日にはブラジルを離れる。朝のお勤めのあと、前教会長と話す機会があって、今度は、施設の中の寄宿舎増築部分と接見所建設予定地を見せてもらった。その裏手には半反程度の畑があって、将来的には、希望する信者の全てを受け入れて、ここで寝食を自給できるようにしたいそうである。一種の理想郷ですな。

 さて、土産物と不要品全部をズタ袋に放り込んで都心へ向かう。すくなくともRecifeの地図だけは手に入れて送ってしまいたかったので、本屋を捜すのだが、Recifeにはしっかりした書店というものがない。いろいろ調べて見つけたAntigoのBoa Vista側川沿い「Cais da Alfandega」にあるLivraria Culturaで訊ねるも地図などはない。隣接するショッピング・モールを物色するも、こじゃれた土産物はどれも高かった。もうあきらめて、発送の段取りにかかる。Santo AntonioのGuararapesに中央郵便局があるので、そこへ行ったが、ガーーーーン !!! なんと閉まっとるやんけこのダボカス !! 裏で荷物整理しとる職員がおったから確認のために訊いてみたら、こくに事欠いて「今日は世界中の郵便局は全部休みや」なぞとこきやがる。おいおい市場も銀行も役所も開いとんねんで、おまえらcarnavalの間ずっと休んどったくせに終わったらとっとと開けんかいやこの役立たず !! インポ !! 

 このズタ袋背たろてアフリカへ行かんなんのかと暗澹たる気分になり、どのようにパッキングしよかと思案しながらバスに乗る。私の乗るバスは、Derbyから競馬場経由で郵便局の配送センターの脇を通るのだが、ぼんやり外を眺めていると、なんと配送センターに一般の車が出入りしてけつかるやんけ !! バスを飛び降りて窓口へ駆け込んでみると、なんと荷扱いしてる !! みてみいなにが「世界中の郵便局は全部休み」やこのアホボケカス !! けど17時まで開いてる既に16時過ぎ。発送用の箱と送り状を買い、とっとと近所のスーパーで詰め物にするための安い菓子や乾物を大量買いして戻る。急いでそれらをまとめて箱詰めし、パッキングして配送センターへ飛んで戻ったのが17時2分前。荷物を受け取ってくれて伝票処理始めてくれたときに終業のチャイムが鳴った。私の訳のわからんポルトガル語に明るく親切に応対してくれた職員さんに心から感謝。Recifeの人ほんまにみんな親切や。

 さて文字通り肩の荷が降りた私は、ブラブラと景色など眺めながらバスで戻り、向かいのコンビニでビールとポテト・チップスを買って、部屋でゆっくりブラジル最後の時間を楽しむ。なんか綱渡りばっかりのブラジル滞在も今宵限り、明日は出発である。緊張が抜けたのと軽い酔いとで、早々に寝入ってしまった。

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20100216 Encontro de Cultura Indigena

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 本日で2010のcarnavalも最終日である。とりあえず土産物の下見でもしとこかなと思て新聞を見てみると、本日よりMercado do São Joséなどの公設市場は昼過ぎまでなら開いてるよって書いたあったから行ってみたのに閉まってやんの。ちょいとこじゃれた店はバリケードの向こうやし、開いてんのはガイコクジンカンコウキャク相手のモロみやげもん屋ばっかりでつまらんからブラブラMarço Zeroまで歩いて行って、例のCD屋の兄ちゃんからまたCD買うてもた・・・あかんあかんおみやげ買わな・・・いくつか演し物見てみたけど、昼過ぎでまだ大したことやってないから、ブラブラcarnaval最終日の風情を楽しむ。今日の昼間のAntigoは、気怠い昨夜の兵どもの夢の燃え滓が、道路の側溝に掃き寄せられて白日の下に痛々しい。それらの発する饐えた匂いと太陽にあぶられたビールの臭気が堪らず、早々に今日のお目当ての場所Chão de Estrelasへ急ぐ。

 

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 RecifeからOlindaへ行く中間あたりに、その極めて庶民的な下町があって、今日Indigenaの祭りがあるという。Boa Vistaから東向きに出ている724番のバスがここを終着としているのでわかりやすい。写真のようにのどかな地元ファミリー向けのプログラムと見え、予定よりだいぶ押していたが特に焦る気配もなくのんびりムード。たぶん地元の子供たちによるパレードがあって、ビデオ片手に子供を追っかける親あり、先導する先生ありで、その様子は日本のこどもむけお祭りパレードと全く変わらない。Indigenaというのは書いて字のごとくインド風、すなわち南米大陸では先住民を表すのだが、地元の先住民が手作りで出演するのかと思いきや、そうではなくてバスであちこちの会場を回っているグループからいくつかが派遣されて来た模様だ。

 

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 演奏の内容は、Indigenaとはいっても「Caboclinhos」と表示されたプラカードを持つグループもあって、その違いがわからないのだが、シンプルな笛メロディにガラガラをたくさんつけたシェイカーと毛皮太鼓の丸い低音が伴奏する。いままで聞いたどんなブラジル音楽とも異なり、また中心部でのパレードとは違って、ステージに笛・太鼓・歌のミュージシャンが上がり、拡声された演奏にあわせて、ステージ下の踊り手たちが鳴りものを鳴らしながら輪踊りするという形を取っている。見に来ている客は、確かに先住民族の血を引いているらしき顔つきの人たちが多い。しかしおばちゃんね、そのタバコの持ち方・・・

 

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 期待したわりにはありきたりだったので、そこそこで切り上げ、バスを乗り継いでOlindaへ行ったが、こちらは町中が人で埋め尽くされていて入って行く気にならず退散。しかしその雰囲気から、Olindaに宿泊してcarnavalを楽しむという趣向も充分にアリだなと痛感した。Olindaもcarnaval期間中はバスはかなり遠方を迂回運転している。そのロータリーまでの長い長い帰り道、carnavalを楽しむためのグッズ、すなわちドハデなTシャツ・原色の超小型パラソル・ダンスに使う仮面などが5個でR$1.00なんかで投げ売りされてるのを見て、おみやげなんかこれでええわと思て大量買いしたった。おかげで総額数百円で日本では絶対に手に入らない、いや日本では到底着られへんTシャツとか持たれへん小物とか、めずらしい品物を大量に手に入れたった。明日日本へ送ったろ・・・

 

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 Recifeに戻る。ちょっと荷物が増えたのでAntigoへ直接乗り入れたかったのだが、ほとんどのバスはDerby経由Boa Viagem方面行きだった。たまたまみつけた近距離バスの運ちゃんに訊くと、「近くを通るよ」と言うので乗った。そのバスはAntigoの手前で北上するものだったが、曲がってしばらくして運ちゃんが「ここで降りろ、左を見ろ」というから見ると、橋の上のGalo da Madrugadaが倒れかかっていて、乗客一同大笑い。さてMarço Zeroまでブラブラして、その脇のインフォメーションでRecifeのcarnavalの歴史や概要、出演する諸団体の紹介などを掲載したカラー印刷の豪華本を購入。腹が減ったのでフードコートを物色するもあまり適当なものなく、あえて寿司屋「はかた」とやらで一本大枚R$8.00也の手巻を食ってやる。醤油やわさびをそれぞれ湯のみほどの椀にナミナミと入れるのには驚いたが・・・だって手巻き一本やで・・・これから大西洋渡ったらそれこそ和食には絶対ありつかれへんから、話のタネに食うといたった。ネタと飯は、なかなかマトモやった。

 

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 さて今夜のお目当てはMarço Zeroで行われるOrchestre DudaというFrevoのビッグ・バンドのライブである。もちろんあらかじめその名前を知っていた訳ではなく、例のCD屋の兄ちゃんに薦められた際に試聴したのである。円熟のFrevo・・・Recifeへ来てから、山ほどFrevoを聞いたが、ここまで迫力があってメロディアスで分厚い、こんな楽しい音楽があるとは思わなかった。Orchestre Popular do Recifeと双璧をなすであろう。めっちゃええのう !! そのステージが終わって、隣のArsenalの次の枠でChoroのライブ・・・でも進行が押してて着いたときには、まだ前の前の演し物のNoites dos Mascarasつまり仮面舞踏会の興奮の余韻が残ってた。いやあ体がもうひとつあったらそれも見たかったなあと思いつつ、ワシChoroとBossa Nova聞きに来たのに、やっぱりcarnaval前やからか、このふたつは見事に排除されてる感があるねえ・・・捜しきれてないだけかも知れんけど・・・その楽しみにしていたChoroのライブは、ちょっとFrevo色の強い16ビートのスネアが乱打される異色のものだった。私にとっては、ドラム・セットをどのようにChoroに取り入れるかが、わりと大きな関心事なので大変参考になった。演奏陣の切れ味は抜群で、インストゥルメンタルの部分は楽しめたが、後半に入って登場した女性歌手があかん。いわゆるリズムの取れない歌手というやつで、もうそれみててダレダレ・・・周囲の客も苦笑いしてたからまあ余ッ程゜なんやろ・・・こうしてRecifeのcarnaval体験は、ちょっと最後の盛り上がりに欠けた状態で終わる。

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20100215 Ceremonia Noite dos Tamboures Silenciosos

 Sさん一家が「今日は、休み !! 」と宣言してみんなで海水浴に行ってしまったので、PCを借りてメール・チェックやブログ更新、写真のバック・アップなど、溜まりに溜まった作業をまとめてやってしまう。調べものもほぼ終了。考えてみたら、早いものでブラジル滞在も残すところあと3日、ちょっと急からしかなあ。これを過ぎたらいよいよ地獄の一丁目・・・いや天国の一丁目か・・・そんなことを考えてる間に、carnavalのCoralとBandolim、BoiとAfoxeのプログラムをやり過ごしてしまったのは惜しいことをしたが、身がひとつしかありませんよってしゃあないですな。おかげでWindowsにもどうにか慣れて、ネットカフェでもこれからはもうちょい上手くいくだろう。

 今日のお目当ては、24時から行われるCeremonia Noite dos Tamboures Silenciososである。昼食を、教会長のご両親と使用人の人たち、それにたまたま通って来ていた信者さんとともに取ったあと、昼寝してからぼちぼち出発。途中の会場でやってるFrevoをいくつか見て、お決まりのArsenalでFantasiaを二つほど見て、のんびりムードのcarnavalの演し物を冷やかしながら、Março Zeroの脇にある土産物屋で、Frevoの現地盤CDを何枚か買った。それを薦めてくれた店員がミュージシャンの若者で普通に英語を話すのがいかんかった。Frevo談義に花を咲かせ、試聴盤以外も封を切って聞かせてくれたので、ついつい5枚も買うてもた。まあいろんな音楽を澱みない心で聴くのはミュージシャンの本分であるから、少々の散財はええでしょ。そんなことしとったらもうええ時間になったので、会場のSão JoséにあるPatio do Terçoへ向かう。会場への狭い路地から既にすし詰めで、中へ入ろうとする客と、人ごみから逃れようとする客とで、団子状態になって動かない。あちこちでエキサイトする奴らもあったが、大半はあきらめたようににこやかに待っている。私は別の路地へ迂回して、会場のバックから攻・・・失礼、背後からあてがっ、いやいや・・・あのね、空いている方から入ろうとしたのだが、やはりどこからも人ごみの盾で垣間みることしか出来ない。ちょっと余裕こきすぎたか・・・

 「Ceremonia Noite dos Tamboures Silenciosos」とは、要するに太鼓を叩かない夜の儀式という意味になるのだろうが、狭い路地のどん詰まりの教会の前の広場へMarakatuのグループが「太鼓を叩きながら」やってくるのである。パレードであるから、中にはバレリーナがいたり、王と王妃がいたりと、なかなかアトラクティヴなのであるが、会場の手前の辻の前で一旦止まる。そこで演奏も止まり、先に入ったグループのセレモニーが終わるのを待つ。日本の祭りでもよくある、各町の神輿が宮入を待つようなものである。セレモニーの次第は人垣に阻まれて見えなかったが、それが終わると、また「太鼓を叩きながら」ひとつ手前の辻まで戻って、そこから折れて退出して行く。「太鼓を叩かない」というから、もっと静かで厳かなもの、全員太鼓を持っているのに誰ひとり絶対叩かないという面白いセレモニーなのかと思ったのだが、そうではなかった。グループが「宮」に入ると沿道の明かりが全て消され、セレモニーの間中は暗黒と沈黙になる。セレモニーが終わると、点灯を合図に太鼓が打ち鳴らされ、前のグループが辻を曲がり終わると、次のグループが「宮入り」する。こんな調子なので、全部終わるまでには朝になるらしい。いくつか見てからそこを離れ、他の会場も見てみたが、月曜日だからかあまりやってなかったので、おとなしく27時頃帰って来た。

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20100213 Todos os Frevos

 Carnaval初日にして徹夜で朝帰り。帰りの足はあきらめてタクシーと覚悟していたが、兵どもの夢の跡巡りと、まだ懲りない奴らの燃え滓を辿りつつ、そこらで売ってるよーわからん酒をあおりながらBoa Vistaのいつものバス停まで行ってみると、なんとバスが運行していた。これは大変ラッキー、たったR$1.85で送り届けてもらえるとは思ってもみなかったので、ものすごく得した気分。Recifeええとこ一度はおいで。ホンマ酒はうまいしねーちゃんは奇麗や。

 帰って5時の太鼓まで仮眠してから、掃除に参加して朝勤めに参加して朝ご飯いただいて、昼過ぎまで二度寝して、昼飯の残りをいただいてたら、Sさんのお父様すなわち前教会長が降りてきはって、いろいろ苦労話とか施設の歴史とか話してくれはって、新棟にある診療所予定の部屋とか宿泊施設とか見せてもろて・・・さすが天理教、やることに夢があって大きいね。

 新聞チェックを終えて、データをメモしといてから夕刻より街へ繰り出す。Arsenalにて16時よりFrevoバンド5つそろい踏み、その中に例のFrevo Harmoniaもあってこれは必見、18時から同じ会場にてCaboclinhos入れ替わり立ち替わりで多数出演、別会場で22時からArgentinaがあるけど、今夜はちょっとバスで遠出して、Brasilia Teimosaで行われるSamba Pernambucanoを見てみたい。運が良かったら帰って来れるやろ。

 Frevoのパレードを多く見る。ArsenalからMarço Zeroを遠巻きにまわってSanto Antonio側のMoedaまでを往復する。ホーン・セクションが分厚く力強いアンサンブルを奏でていて、きわめて色鮮やかなメロディとハーモニーが織りなされ、Merengueより少し緩い目のテンポが実に心地よい。精神はほとんど歌謡曲の世界で、メロディが切なく美しい。Novos Naniwanosのおかげで、Frevoをもっとロック的な音楽だと思い込んでいた私は、このポピュラーさに驚いた。なんとAMラジオでノン・ストップで合唱してる番組まである。

 Caboclinhosは、踊り手が金銀のリボンで頭をかたどった巨大なかぶり物が特徴で、兵士に扮したマント姿のパレードがそれに続き、どくろマークの亡霊や、海賊船の船長や、お姫様が出て来たりしてなかなか楽しい。それはたぶん入植して来た白人に征服される先住民の歴史を表しているのだろう。演奏のテンポは極めて速く、ほとんど二拍子プレス・ロールの世界。スネア・タム・空き缶付きの靴・ギロ・クイーカで成っており、踊り手のマントの中に仕込まれた低音のカウベルが呪術的なグルーヴを醸し出していて、一種異様な雰囲気に包まれる。

 MarakatuとCaboclinhosはもうええわ。Argentinaもエロ変わらんやろし、早々にBrasilia Teimosaへ行くバスを捜す。Brasilia Teimosaは、Boa Viagem方面のAntigo・Santo Antonioと入り江を挟んで接する岬部分で、その名もAv. Boa Viagemが岬の真ん中くらいまで来ている。バスは、上流の橋まで大回りした後、一旦そのAv. Boa Viagemに入って、少し戻る形でその突端で止まった。本来は岬の先端まで行くらしいが、carnaval期間中なので折り返し運転だそうだ。そこから会場までは、屋台で缶ビールを買って地元の人たちとブラブラ歩く。ポルトガル語もだいぶ慣れて来たので、なんとか言ってることはわかりはじめたのだが、まだ会話というほどのことは出来ない。会場はちょっとした運動場程度の大きさで、都心と違って近所の人たちが一杯機嫌で楽しんでいる感じ。お目当てのSamba Pernambucanoの出番は押していて、その前のCocoのおばちゃんの渋い歌が堪能できた。Sambaの方も、どこがどう違うといって明確には言い表せないが、わりと太い感じ・・・とでもいえば良いか。私を外国人と気遣ってか、何人かの年配のグループとミリタリー・ポリスが、それとなく見守ってくれている様子。鄙びた郊外のcarnavalを楽しんで26時頃バスで都心へ戻る。

 

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 毎夜この屋台の兄ちゃんとジェスチャー遊びをしながらバスを待ったものである。carnaval期間中の北方面へのバスは、ほとんどがBoa Vistaから発車するが、プラットホームは路上に一本しかないので、同じホームに多くのバスが来る。車道中央部の安全地帯のようになった対面式の長いホームには、どの部分にどのバスが来るか、だいたいのことは表示してあるので、自分の乗るバスの番号を良く覚えておいて、走って来たら運転手にはっきりわかるように大げさに手を振って意思表示する。夕方のラッシュ時がもっとも捕まえにくい。市内交通のほとんど全てをバスが担っているので、中心部はバスで渋滞している。にも関わらず、自分の乗るべきバスが一時間以上も来ないことがよくある。また、特にラッシュ時には必ずしも表示のある位置にバスが止まってくれないので、所定の場所で待っている客が、別の場所に止まった目当てのバスに突進することが多い。そんな事態が交錯すると一瞬エキサイトするのだが、そういうときに、現地のブラジル人と、上品に育ってしまった私のような控えめで模範的な日本人との違いを痛感する。しかし一週間も毎日やってるとだいぶ慣れて、ホームに隣接する車線にバスが埋まり、中央側の追い越し車線にバスが停車した場合にも、手前のバスの前を横切って、追い越し車線を突進してくるブラジル人をかき分けて、自分の降りるバス停の名前を大声で叫びながら目的のバスに突進している自分に気づいて驚いた。慣れとは恐ろしいものである。

 

 

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20100212 Abertura do Carnaval

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 Recifeのcarnaval開幕。Março Zeroのステージである。総勢700人のバテリア隊によるセレモニー・・・

 

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 Março Zeroの開幕にこれから参加するバテリア隊 (2/12) 。ステージに向かって左手の路地からどんどんバテリア隊が進んで来て順次上手からステージに上がり、下手へ降りて右手の路地へ消えてゆく。そのあとSanto Antonioあたりまでパレードは続くようだ。

 

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 以下、Recife中心部のcarnavalについてまとめて書いておこう。写真は2/13にMarço Zeroで行われたLenineのステージ。この前にOrchestre Popular do RecifeというRecife市立オーケストラのような、ゴージャスなFrevo楽団が分厚くも切ない、美しいFrevoを聞かせてくれた。この後このステージではオール・ナイトでCarlinhos Brown・Jorge Benというビッグ・ネームのステージが続いた。

 

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 出番を待つCaboclinhosの一団 (2/14)・・・迷いのない楽士たちの表情には一点の曇りもない。パワーと余裕・・・このあと私は彼等の強烈な音に惹かれておっかけをし、楽器と奏法について、つぶさに見せてもらった。もちろんお礼もして記録を残させていただき、ともにミュージシャンとしての敬意に満ちた時間を過ごした。でも名前訊くん忘れた・・・ (^^;

 

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 沿道ではプログラムにないストリート・パフォーマンスも多く行われていて、このようにしっかりしたシステムを組んで演奏しているRoda (じゃないけど) de Samba (2/13) もある。人ごみの中で発電機もなく、どうやって電気を調達してるんだろうと訝しく思いつつも、みんな楽しそうに飲んで踊ってるし、野暮な詮索はええかと思うた。

 

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 演奏しながらパレードする、シックなFrevoの大編成の一団 (2/14) 。女性がはいているスカートは回転すると大きく広がる。エスコートする男性はフォーマル・ウェア、極端に小さな原色のパラソル・・・Frevoは、華やかなレビュウのきわめてブラジル的変容と見ることが出来る。中心部のステージでは、参加するグループは演奏しながらステージ脇まで進み、出番を待ってステージに上がり、また演奏しながら降りて行って街をパレードするという仕組みになっているようだ。従って、ステージが近接するところでは、異なるジャンルのパレードが交錯する風景がたびたび見られる。その後、Praça do Arsenalへ移動して「Frevo Harmonia」という、小編成グループの実に円熟味のあるメロディアスな演奏を聴いた。すばらしい。

 

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 Março Zeroの脇にある総合案内では、来場者にもれなく団扇代わりのシートとコンドームが配られる。これを首からかけておいて、イザというときは忘れないようにというありがたい配慮らしいが、沿道の案内所や公園などでも女の子が配っていてにこやかに首にかけてくれる。かけていてもかけていても、ニコニコしながらまたかけてくれる・・・なんぼなんでもそんなに使わへんて・・・ちなみにコンドームはポルトガル語で「camisinha」という。覚えておきませう (^^) 

 

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 2/14の日曜日は、さすがにちょっと早く終わる。兵どもの夢の跡・・・日本では、缶ビールを飲んだあとの空き缶はくずかごへ入れるのがマナーであるが、ここではポイ捨てするのがマナーである。なぜなら、空き缶を集めて生計を立てている人がごまんといて、人の集中するcarnavalは、彼等の書き入れ時なのである。彼等は人ごみにまぎれて、実に要領よく、しかも観客の邪魔にならないように、すばしこく空き缶を集める。その動作は見事というより他はない。ポイ捨てせずにくずかごへ入れることは、彼等の仕事を奪うことになる。

 

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 carnavalのもうひとつの行列。


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20100212 Oh...Linda !!

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 http://www.olinda.pe.gov.br/

 

 今日は朝からOlinda観光。Oh...おー、Linda...美しい・・・が名前の由来そのままに、これでもかこれでもかというほど美しい町である。しかしどぎつく観光化されてはない。そこがまた良い。carnaval開幕前日というのにどこ吹く風の超リラックス・ムード。オレは日本人観光客やというとるに頂上Alto da Séの自称ガイドも「そこでしたらその角をお曲がりになって・・・」せやから言うてるやんか、オレは日本人観光客やねんからさあ、ここの土地慣れてませんのでカネ払うしガイドしてくれよ・・・

 

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 頂上付近からRecifeBoa Viagemを望む。昼下がりで暑いからか、飾り付けの終わった通りにも人影はない。今日は夕方からいくつかプログラムがあるものの、昨日手持ちのパンフレットを「知らん」と言われただけに、その信憑性を早めに確認しておきたかったのだが、インフォメーションもお昼寝タイム。しゃあないし、奇麗な町をあてどなくぶらぶらお散歩。

 

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 ちょっと雲行きが怪しくなって来たので、教会の軒下で雨宿り。

 

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 Olindaのメイン・ストリートRua do Amparoを北の端まで行った教会Igreja de Nossa Senhora do Amparoからパレードの一団が降りて来た。

 

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 スパイダー・マンの壁登りのリハーサル。

 

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 Marakatuのグループひとつを送り出した渋い親爺。そろそろ街も夕方に向けて動き出したようだ。

 

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 歩き疲れたので水分補給と情報収集を兼ねて下界へ下り、さらに海岸へ出てみる。インフォメーションによると、私の持っているプログラムは「古い」のだそうだ。ほんなことゆーたかてやあ、一昨日Março Zero脇の総合案内でもろて来たばっかしやのに・・・まあ議論してもしゃない。結論を言えば、Salvador同様、carnavalの正しい情報は、その日の新聞を見るべし。私は教会が購読しておられる「Journal do Commercio」に折り込まれているCarnaval特集を参考にした。

 

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 Cocoのライブがあるという情報を得て、Guadalupeという街はずれから旧市街を散策中にばったり出会った美少女。余りの可憐さに絶句しつつも、勇気を奮い起こしてつながらないポルトガル語を無理矢理つなげて声をかける。口実は、当然この近くである筈のライブ・・・チラシを見せて道案内を頼んだのだが、残念なことに目と鼻の先に目的地があったので作戦失敗・・・しかもその家の人に聞いても「そんなもんは知らん」・・・振り返ると彼女も居なかった・・・ううむ、貧乏旅行は甘くない・・・

 

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 その下街は、ほぼ観光ルートから外れているものの、なかなか庶民的で親しみやすい雰囲気を持っていた。陽が傾きはじめ、いよいよ明日はcarnaval開幕という軽い緊張感が漂いはじめる。

 

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 22時から「Serenata 」が行われるステージ・・・だが、それまで待つのも時間がもったいないので、この後Recifeで開幕を見た後、戻って来てそれを見ようと思った。しかし戻るバスを確保できず断念。

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20100211 「ブラジル音楽と映画」のつどい

 今日は、師匠が地元のホールで国際交流イベント「ブラジル音楽と映画」のつどいを行なわれ、わが「Conjunto Chove Chuva」が演奏することになっていて、そのアトラクションに、ここRecifeと日本の会場をSkypeで結んで実況生中継をしようという趣向が盛り込まれている。その地元地域一帯は、阪神間と北摂丹波方面の物流拠点になっていて、その労働者として在日ブラジル人が多く住む。しかし地域住民との交流はほとんどなく、事件が起こっては互いに不信感を募らせるという悪循環が続いている。師匠は、天理教の分教会の教会長であって、ブラジルにも縁が深いので、かねてからこの状況を憂慮しておられたのであるが、私がブラジル音楽を演奏していること、そして今回ブラジルの奥深くRecifeまで旅をすることなどから、互いの相互理解を図る企画を実現させようと思い立たれたのである。

 

 http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/yamaguti-holl-event-Brazil.html (うわっ)

 

 イベントは午後から始まるが、実況中継を含むアトラクションは、日本時間の18時に設定されていた。ブラジルと日本とでは時差12時間、Recifeの属するPernambuco州はサマー・タイム制を取り入れているので、日本時間の18時はRecifeでは朝の5時である。昨夜、Skypeのテストを兼ねて教会に属する信者さんのうち、音楽の心得のある人に声をかけて、Sさんのパソコンの前でForroやBaionを演奏した。残念ながら師匠のパソコンにカメラが内蔵されていなかったので、師匠のご尊顔はこちらでは拝見することが出来なかったが、リハーサルは成功した。そして今日が本番である。掃除のために起床を促す朝5時の太鼓の音とともに、眠い目をこすりながらSさんのパソコンの前に行く。昨夜のメンバーも楽器を手に三々五々集まって来る。いくぶん過熱気味の師匠のインタビューに、多分寝ぼけてとんちんかんな受け答えをしたり、眠くて切っ先の鈍りきったアコーディオンとトリアンギュロにヘボロをあわせて何曲かやっていると、見に来た信者さんが後ろで踊ってた・・・らしい。眠くて良くわからんままに、実況中継は無事終了して、しばし休憩の後、朝のお勤めに出たのであった。

 

 http://www.carnavaldorecife.com.br/home/home.php

 

 私は昨夜から、集めた資料をもとにプログラムを詳細に検討して、滞在中の行動予定を立てようとしていた。Carnaval Multicultural Recife 2010は、町なかに7カ所、町外れにも至る所に公式な会場が設けられていて、その全ての場所ごとに分刻みでプログラムが組まれている。延べイベント数は膨大なものである。会場は、会場ごとに異なる性格付けがなされていて、たとえば、「Março Zero」という会場は「Polo Multicultural」と題されて、内外のビッグ・ネームと大編成中心、「Praça do Arsenal」という会場は「Polo das Fantasias」と銘打たれ、メロディアスなFrevoが中心、パーカッション部隊は「Polo Afro」とよばれる別会場、インディへナ関係の音楽は・・・、ファミリー向けは・・・、子供向けは・・・、といろいろある。もちろん人気のあるジャンルのものは、時間と次第を入れ替えて複数の会場で行われているし、郊外の野外ステージでは、時間帯によってそれらをミックスしたプログラムが用意されている。パンフレットの方も、会場別に編集された面の裏に、ジャンル別に編集された面もあって、わかりやすいように力を入れてることが見て取れた。

 

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 昨日の市内散策時に、わりと詳しい地図を手に入れたので、早速それをもとに頭を整理してみる。Recifeの中心部は、最も海側の「Bairro do Recife」すなわち旧市街または「Antigo」と俗称されるエリア・その東「Santo Antonio」・北側の陸地「Boa Vista」に分れていると考えると便宜上わかりやすい。これらは陸続きであるが、岬の突端であったりするので、イメージとしては三つの島と思えば良い。陸地側からBoa Vista・Santo Antonio・Antigoがこの順に3本ずつの橋で結ばれていて、道に迷ったら橋の見えるところへ出ると迷いが解ける。わかりやすい街である。Antigoは歴史的景観保全地区であり観光の中心地で、古い建物とコロニアル時代の遺物が多く保存されている。Santo Antonioは商業の町、庶民的な市場や雑貨・楽器・電気屋など音楽好きには大切な地区である。それに対して、旅行者にとってはBoa Vistaは北方発着の交通の要衝である。いわばAntigoは陸の孤島に近い状況にあるので、そこに用がない限り、北方面から他のエリアへ行くには後に述べるように「Derby」という交差点で降りて乗り換えるのが良い。carnaval期間中は、主にSanto AntonioとAntigoは、外周道路を除いて歩行者天国になる。一般の路線バスはそのエリアを避けて運行され、その内容を記したチラシをターミナルで手に入れることが出来る。またバス停にも変更された後の系統について貼り出されている。細かく書いてあるが、要するにバスの発着はBoa VistaとAntigoの外周道路にほぼ集約される形になるので、外周道路へ出てバス停を見つけたら、下の写真のように貼り出してある掲示の路線番号を見れば、自分の乗るバスがそこへ来るのかどうかわかるという仕組みと考えれば、多分大丈夫。また、carnaval期間中は、Boa Vistaの沿岸部と・Santo Antonio・Antigoのほとんどの商店は閉店する。ホテルも休業して、ほぼ全ての建物の一階部分はコンパネでバリケードされてしまう。だから宿泊施設が極端に少なくなって相場が上がる。

 

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 さて今日は、実況中継に出演してくれたFernandaちゃんとDunhillo君その他でOlindaへ遊びに行こうということになった。OlindaはRecifeに隣接する美しい小さな町で、carnavalでは独自のプログラムを持っている。もちろんcarnaval前から盛り上がるのはブラジルのどこでも同じとみえ、方々で既にコンサートやパーティーが開かれている。今年のcarnavalは2/13-16なので今日はプログラムにないのだが、一部のパンフレットにはpre-carnavalのチラシが挟み込まれていて、それによると今夜OlindaのとあるレストランでRoda de Choroが行われる筈である。場所は簡単にしか書いてないので、その通り名と店名をたよりに訪ねて行くも、「そんなもんは知らん」・・・「でもパンフレットに書いたあるやんか」「だからそんなもんは知らんって」・・・押し問答しても仕方ないので、メイン会場でFrevoやってるのを聞いて宵の口に帰って来た。「これがブラジルよ」・・・なるほど。上等やんけ・・・

 

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 RecifeからOlindaへ行くにはいくつかの方法がある。Recifeの旧市街「Antigo」とOlindaを直通するシャトル・バスがあるが、Olindaへ行くためにわざわざ用もないのにAntigoまで行こうとすると渋滞で大変時間がかかるし、特にcarnavalが始まってしまうとほぼ使えない状態になる。ちなみに、この直通バス以外は、明確に「Olinda」と表示されているものは稀で、Olinda市内のピン・ポイントの地名か、Olindaを経由して行く別の目的地名が表示されているので、それを覚えるしかない。直通バスの通る沿道に居る場合はともかく、居ない場合には、まずは「Derby」という地名を覚えると良い。「デッハビィィィ」てな感じで発音する。ちなみに「Recife」は、現地では「ヒッスィイイイイッフィ」と聞こえる。Derbyは、そこを始発終着にするバスは少ないが、かなりのバスが経由する乗り換えハブになっているので、バスの経由地の表示に注意して「Derby」の文字を見つけられれば使えるバスということになる。わからんかったらバスが止まったときに運転手に大声で「デッハビィィィ??? 」と言えば手振りで教えてくれる。同じように、例えば私の使うバスは、Recifeのcarnavalのシンボルである「Galo da Madrugada」・・・期間中設置される巨大な鶏のモニュメント・・・が鎮座まします「Ponte Durante Coelho」という橋の北詰をCidade側の終着としているので、「Boa Vista」を経由するバスは、全て使えることになる。このように考えて行けば行動範囲も広がるし、帰りの足の確保も容易になる。

 

 http://www.granderecife.pe.gov.br

 

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2010年10月08日

20100210 Boa Viagem

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 早々に情報収集に出かける。長距離バスのターミナルのインフォメーション・ブースは、早朝のためか閉まっていたが、窓越しにcarnavalのパンフレットが山積みされているのが見えた。なかなか観光客にとってわかりやすい取り組みがなされていると見える。バスで都心へ出て、まずは腹ごしらえ。Comida de Kiloで食事するのにもだいぶ慣れて盛りつけも上手くなったので写真を残しとこ。暑い国の料理は、暑さに持ちこたえられるように出来ている。こってりしてて美味くて食欲をそそる。

 

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 私の乗るバスの終着は、旧市街のど真ん中に直結する橋のたもとであった。橋を渡って旧市街に入る。carnavalの飾り付けの準備中である。

 

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 carnavalの中心、「Marco Zero」という広場である。右手がメイン・ステージ、歴史的景観保全地区になっているらしく、良く保存された古い建物が多い。仕込みの音響屋も明るい !!

 

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 広場へ通じる道の一本。かつて路面電車が走っていた名残の軌道が見える。

 

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 飾り付けられた窓、日本ではこういう盛り上がり方は考えにくい。

 

 

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 段取りに終われている筈の設営業者のこの心の余裕も、日本では考えにくい。

 

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 ブラジルで良く見かけるタイプの自転車。こういう遊び心に満ちたフレームもまた、日本では考えにくい。

 

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 Santo Antonio地区にある市場。

 

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 その一角にあった民芸品店。

 

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 飾り付けの進む旧市街。carnavalと旧市街の建物と教会が織りなす独特の風景。

 

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 Santo Antonioの市場をさらに東へ抜けたあたりにあるメトロのターミナル・・・ううむ、人が少ない。でもさすが音楽の街と思わせる彫像が至る所にある。

 

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 ターミナルとは思えぬ島式ホーム。車止めも実に簡素・・・これも日本では考えられない。

 

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 鉄道少年の血が騒ぐ・・・

 

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 のんびり待つ。

 

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 もっと騒ぐ・・・

 

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 ああ騒ぐ・・・

 

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 メトロのAeroporto駅前・・・つまり空港への玄関・・・とは思えぬほどの閑散とした風景。

 

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 Recifeの空港・・・ここは街の顔としての華やかさとにぎわいがあった。のんびり鄙びててええね。

 

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 Boa Viagemの海岸へ出てみる。着いたその日にだいたいRecifeの街を把握。明日はOlindaを攻めてみよう・・・

 

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20100210 Recife

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 Recifeのバス・ターミナルは、実にのどかな雰囲気である。地上走行のMetroの駅が隣接している。外側に2本の路線バスのターミナルがあるが、人は疎らである。タクシーの勧誘ものんびりしていて、もっとピリピリしたものを予想していただけに、いささか拍子抜け。待つことしばしで、天理教ノルデスチ芳洋教会のSさんが迎えに来てくれた。私はここRecifeでcarnavalを過ごすつもりであるが、事前調査で宿泊施設の確保が全く出来なかった・・・すなわち、満室か高いか遠いかだったのだ。そのことを師匠に相談したところ、「Recifeやったら連れがおるがな」と仰るので、誠にかたじけないとは思いつつも、お世話になることにしたのである。とはいっても私は天理教の信者ではない。そこはそれ、「よろづよのせかい一れつみはらせど・・・略・・・一れつにはやくたすけをいそぐから」天理教の懐の深いところであって (ちょっとちゃうか) 、ブラジルにおる間は臨時に天理教信者の振りをして、おやさまも臨時にわたしをまもってくださるであろう。しかし、タダでさえ宿泊施設の少ないcarnaval時期のRecifeに、予定では8日間も滞在して「なんもいらんで」とのお言葉を恣にしてええワケがなかろうので、せめて配膳準備や後片付け、掃除に洗濯、日々のお勤めくらいはさせてもらうのが礼儀であろうとおもうて事前に作法を一通り師匠に習ったのでした。「そんなこと気にせんでもええがな」と気安く言われるそのお言葉に甘えまくって、夜な夜な出入りするのに玄関の合鍵まで作ってもろて、まことにありがたいお心遣いでした。ここは少し都心から離れるのであるが、バスの便が充実しているうえにcarnaval期間中は終夜運行しており、タクシーもこの場所は良く知っていたのでなんら不便は感じなかった。その室内は、このようなゴージャスさである。この教会では、通常は150人からの寄宿生で埋まり、日に日にお務めと修行の場であるらしいのだが、全く幸運なことに (ちょっとちゃうか) 、私の滞在する数日前から無客だったので、私は広い部屋を自由にすることが出来た。上の写真が施設の全景、左の赤い屋根の建物が神殿、その奥に家族の居住棟と、信者の宿泊施設がある。右手の焼き鳥屋「陽気ガレット」は血縁者が経営しているそうである。Recifeでの私の体験の全ては、Sさんの懐の深いご好意とご関係の皆様のあたたかいお見守り、いや、天理教のおやさまのご慈悲のおかげである。

 

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 上の写真が室内である。しっかりした作りで、清潔なシャワーとトイレがあり、隣室だが冷蔵庫が自由に使えるのが大変ありがたい。貧乏旅行では冷蔵庫の確保が非常に難しいからだ。ここでの一日は、午前5時頃からの施設内の掃除に始まる。施設内には、Sさん家族以外に何人かの使用人らしき信者さんが住んでいて、掃除や洗濯の段取りは彼等が采配している。手分けして施設全体の掃除を終わると、6時から朝のお勤めである。教会長であるSさん家族が中心となって行われる。この頃には、通いでお勤めにやってくる人もあって、神殿は3分の1くらい埋まる。私は作法がまだあやふやなので、一番後ろの列に小さくなって、隣の人の手を見ながらまねごとをしてお茶を濁していた。ひととおりの作法が終わると教会長による教典の解説があって、ポルトガル語とともに、ニホンゴでも音読がある。それらが終わると通いの信者は帰り、住み込みの信者を交えて、別室で朝の挨拶がある。初日は自己紹介であった。そうこうしているうちに食事の準備が整うので、別棟の食堂で朝食という段取りになる。ここでは三食供される。食事の後は、ただ乗り居候の私が後片付けをさせてもらい、目の行き届きにくい部分の掃除も率先してさせていただいた。どんなに夜遊びで朝早く帰っても、それだけは毎日のお礼としてさせてもらった。その後、無人の寝室で何時まで寝ていても咎められなかった。

 

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 教会はRecife有数の規模のファベーラに隣接している。そのエリアはバスも通らず、道路も舗装されていない。その中だけを運行する個人タクシーがあるのは、なんだかNew YorkのCentral Harlemに似ている。注意するに越したことはないが、このなかでもcarnavalの前祝いとして、色んな催しが行われており、それを知らせる貼り紙があったりする。何度か入ってみたが、そんなに身を硬くするほどのことはない。私のことをボリビア人と思うのはRecifeの人も同じとみえ、むしろインディオ系の人の多い北東部では目立たなかっただけなのかも知れない。日本人顔した日本人が行けば、ちょっと違うかったかも・・・

 

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 都心へはバスで行く。メトロの路線は限られていて、まだまだ実用的とは言えない。交通の主役は自動車であって、都心は劇的に渋滞する。目の前の大通りを行き来するバスを眺めて系統番号を覚える。不思議なことに、教会長の家族はそうでもないが、使用人や寄宿生たちはあまり外出しないのか、バスの乗り方を知らないようだった。「Cidade」とあるのは都心方面行き、「Urbaine」がその逆である。料金は均一で、滞在していた大通りの前を通るバスは「Tarifa A」でR$1.85、たまに別系統で遠方と行き来するバスもあり、それはR$2.25だった。それに乗って都心へ出ても同じ距離でR$2.25とられるので損だが、「Tarifa A」が長時間来ないこともあって、わりとみんな利用していた。

 

 http://www.granderecife.pe.gov.br/

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2010年10月07日

20101007 脱穀・臼摺り

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 三日続きの晴れのおかげで籾もよく乾いていたので、予定通りに脱穀。今シーズンの米作りは、田植え関係ではミスがあったが、その後の管理は注意深くやったので、思った通りにできた。特に出穂以降の観察では確かな手応えがあり、絶対美味い米になると確信した。脱穀して籾を見た時点でそれは揺るぎないものとなり、玄米にして涙が出た。

 

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 「臼摺り」という作業。籾と籾殻を分けて玄米をとる。玄米を手に取って眺めてみる。師匠も「良く出来た」と褒めてくださる。収穫量約300kg弱。昨年のアキタコマチが200kg強だったので、ざっと1.5倍である。手伝ってくれているのは、大阪一のパンデイロ奏者「ぱあこ」。

 

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 早速精米して食す。軽い風味のアキタコマチと違って、しっかりした味である。鼻に米特有の匂いが抜ける。ことによったら和食向きが強いかも。おかずは、師匠を手伝ってくれているサポーターが昼食用に差し入れてくれた、ナスとトマトのグラタン・サツマイモとチーズのグラタンの残り。ジャガイモのみそ汁。この美味い米、実生・手植え・農薬化学肥料不使用・手除草・天日干しのコシヒカリ売ります。このブログを見てくれたひと限定\1,000/kg !!

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20100209 Penha

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 バスは12時発なので午前中寛がせてもらった後、さらに早い昼を作ってくださり、弁当におにぎりまで持たせてくださった。ずっとパンを中心とした朝食だったので、なんとんく日本を思い出した。PenhaのバスでRecifeへ向かう。事前に調べた情報では、SalvadorからRecifeまでは約11時間ということだったので、それを鵜呑みにしていたが、どうも様子がおかしい。地図とつきあわせても、進み具合が極端に遅いので、運転手に訊いてみたら、なんと翌朝6時着だという。所要18時間 !! 鵜呑みは禁物。しかし事前調査は大切。ここで文句言っても始まらないが、とりあえずRecifeでお世話になる天理教ノルデスチ芳洋教会へ連絡しようとして、また問題。

 ブラジルでは、日本のようにひとつの電話会社が全ての電話を包括している訳ではない。地方や個人によって、契約している電話会社が異なるうえに、公衆電話の運営会社も異なる。したがって、Rioで購入したPhone Cartãoは、そのままRioやSalvadorで使ったのと同じやり方では使えない。バスは、既にSalvadorからRecifeまでの行程の半分近くのとある村の給油所にあった。いろいろたどたど教えてもらった挙句にわかったことは、そこの公衆電話からRecifeの固定電話にかける場合は、市外局番の「0」をとって「031」をつける。Recifeの市外局番は「081」なので、「031 81 XXXX XXXX」とかける。しかし私が連絡を取りたかった人の携帯電話にかける場合は、「041 81 XXXX XXXX」になる。他の場所から他の場所へかける場合には、また異なる番号の組み合わせになる。そんなもんわかるかいややややこしい仕組み作りやがって。そーゆーことは、例えば公衆電話なら本体に書いてあるらしいが、だいたい字が小さいのとかすれてたりなくなったりしているので、実際には読めません。

 さて、バスの旅は快適で楽しかった。景色はRio- Salvador間よりも、いくぶん単調だったが、のどかな牧場風景を満喫した。街を歩く人たちも、黒人の割合が減って、カウボーイ・ハットの似合う大柄なメスティーソが増えた。バスではずっと流行と思われる音楽がかかっていたが、より牧歌的、ものによっては日本の演歌を大味にした歌謡曲のようなものが増える。バスは、客を拾ったり降ろしたりしながら、村々をまわり、家の軒先まで縫うようにして走る。もっと速いバスもあったのかも知れないが、このバスの旅は言葉で言い表せないほど貴重な体験だった。ほんまに着くんかいなと不安ではあったが・・・ バスは、翌朝Recifeに到着。

 

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20100209 ある日系人の食卓

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 Salvadorには師匠の遠い親戚に当たるNさんという人が住んでいて、私をあちこちへ案内しようと段取りしてくださっていたのだが、なにせこちらは案内無用の無頼漢、せっかくご準備いただいていたそのご好意に、充分に応えきれなかったのは誠に申し訳なく思います。しかし私の滞在目的は音楽三昧。夜中明け方に叩き起こして鍵を開けさせたり、昼間でだらだらして台所の段取りを狂わせたりするには忍びなく、なるべく迷惑をかけないように単独行動をとっていたのだが、せめて最後の夜だけでもウチに泊まれというありがたいお言葉。それもすっかり忘れて、昨夜・・・というか今日未明はBarroquinhaのあと例の居酒屋のRoda de Sambaで盛り上がってしまい、気がついたらとっくに夜半過ぎ・・・致し方なく電話でPelourinhoで泊まるとお伝えしたが、迎えに来てくださるとのかたじけないお言葉・・・さぞご心配されたのであろう。

 

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 奥様の手料理による豪勢な朝食である。ブラジル風の肉料理や豆料理、farinhaを使った料理とともに、みそ汁や漬け物、おひつに入ったごはんが出るところが日系人の食卓。結局Nさんには、滞在中2度ばかり、近隣や郊外へドライブしてもらった。音楽目的の日本人旅行者の視点とは全く違うブラジル、多種多様な要素が重層的に併存するブラジルの、全く別な顔を垣間みた気がする。

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20100208 Samba da Igreja

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 Salvador最後の日である。昨日は結局たくさん歩き回ってしまったので、今日は日中は休息と決めて、近隣散策に徹する。みやげものやを冷やかしてみたり楽器屋を冷やかしてみたり、美術館やギャラリーをまわってみたりしていると、なかなか観光地だけあって充実した内容である。上のような楽器店、というよりみやげもの屋はわりとよくある。djembeに近いゴブレット型のatabaqueも多く、特にこの店は今の世代のナイジェリア人がやっているので、アフリカの楽器をもとにしてブラジル楽器のイミテーションと思われるものも多かった。民族楽器は、このようにどんどん変わって行くのだろう。一方、Praça da Sé周辺にある店構えの良い楽器屋には、このような民族楽器はほとんどない。

 

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 Centro Historicoであるので、古い建物の外観を残したまま、内装を変えて美術館になっているところが多い。ここはAngolaの美術についての展覧会をやっていた美術館。空間を贅沢に使って、まるで通りと屋内に仕切りがないかのような演出がなされている。上階から屋上へ出ることが出来、そこに庭と迷路があって、ベンチでぼんやり和むことも出来る。旅はついいろいろみたくて急ぎがちだが、Salvadorは路地路地に思いがけない出会いが会って奥深い。全部は見られなくても良いから、ひとつひとつの気に入った場所に半日潰すくらいの腰の据え方で行くと、なんだか土地と人が見えてくるような気がする。

 

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 暮れなずむPraça Municipal・・・Salvadorは夕暮れが美しい。同じ場所に何時間も座って話し込んでいる土地の人に交じって、何十年も前から住んでいるような顔をしてたたずんでいると、なんか通じるものを感じる。

 

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 日もとっぷり暮れてSalvador最後の夜をどう過ごすか考えながら街を散策していると、ちょうど外れのPraça Castro Alvesの対面Espaço Cultural BarroquinhaでSambaのイベントをやっていて、これまた良い演し物が続けざまにあった。なかでもAngolaにルーツを持つというシンガー・ソングライターTigana Santanaと、その母くらいの女性歌手Virginia Rodriguesのデュオ。あきらかにKimbunduで歌われるSembaにときを忘れ、今回も行きたかったけれど行けぬAngolaの地に想いを馳せた。

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20100207 Solar dos Romanos

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 昨夜、宿替えをした。明後日の朝Recifeへ向けて旅立つので、最後にちょっと贅沢したかったのだ。といってもこの部屋はR$50。この値段でこの眺望はいい物件に当たった。Salvador滞在についてまとめておこう。Centro HistoricoはPelourinho広場を中心とする。Praça da Séから行った場合、広場はFundação Casa de Jorge Amado・Museu da Cidadeを背にしてかなり急な下り坂になっている。その一番下から上りに転じCarmo教会へと繋がる。その向こうの海側、すなわち向かって左手側に眺望の良いおしゃれなPousadaがいくつかある。こぎれいなPousadaも多く、Praça da Sé側よりもこちら側の方が、幾分料金は安い。最もお薦めはPousada Beija-Florだが、R$100-140とかなり高い。しかしバルコニーからの眺めは素晴らしく、随所に飾られた花々や、スタッフの心遣いはきめ細やかだ。従業員美女 !!

 

 http://www.beijaflorpousada.com.br

 

 ではそこに泊まったのかというとそうではなくて、私はあちこちのPousadaを冷やかしただけでPelourinhoに戻り、建物と海側の斜面との関係を見ながらPousada Solar dos Romanosというところに決めた。その一室からの眺めが上の写真である。これは、広場のJorge Amadoの家側の坂道をPraça da Sé方面へ少し行った右手、海側にある。あとでわかったことだが、宿泊していたドミトリーのPousada Pais Tropicalと同じ家族が経営していた。サービスはぞんざいだが、私は部屋でくつろげればそれで良い。

 ヨーロッパでも経験することだが、一般にブラジルでは、シングル・ルームは条件が悪い。多分ホテルを開業するときに、ダブルやスウィートから良い部分を割り当ててゆき、ドミトリーは、ある程度の広さが必要なので窓側、最後に余った建物の内側や地下室などがシングルに割り当てられるようだ。案内を頼むと、入り口からどんどん曲がりくねった暗い廊下を先導され、その時点で嫌になる。ダブルやツインなどは海の見えるホテルであっても、シングルは不当な扱いを受けることが多い。それでも料金は格安というほどではないので、ダブルか、それが嫌ならドミトリーを選んだ方が良い。ただし、ドミトリーの場合、鍵のかかるロッカーがあるかどうか、必ず確認のこと。男女同室かどうかも、気になることは確認のこと。特にインターネット予約時には要注意。ホームページには良い部屋の写真や都合の良いことしかしか出さない。

 音楽を主目的に滞在するならば、断然Pelourinho付近がお薦めである。なんといっても徒歩圏内で数多くのライブがあり、多くは無料である。その他のエリアで行われるイベントは新聞の情報欄で確認することになるが、仮に遠出して帰ってくるにも、Pelourinhoならタクシーに説明する必要がない。そして大抵朝まで何らかのイベントをやっているから、アフター・コンサートもPelourinhoで十分に楽しめる。ちなみに音楽情報は、CorreioやA Tardeという新聞が情報量が多い。Festa de Yemanjahの行われたRio Velmelhoにも有名なクラブがあって、面白いイベントが多いとのことだったが、地元の人に連れて行ってもらわないとわからないだろう。今回その余裕はなかったが、長期滞在ならそちらに泊まって、また別のSalvadorの顔を見るのも一興だ。観光客は、高台になったPelourinho周辺の所謂Cidade da Cimaと、海側の下街Cidade de Baixaへ行くのが中心で、海と反対側の下町Baixa do Sapateiroへはほとんど行かないようだ。しかしPraça da Séから少しBaixa do Sapateiroへ下りかけたあたりに、電気と音響機器の専門店がずらりと並んだ一角があって、ここにはプラグの変換アダプタなど、かなり細かいものまで揃っている。そのまま下ればAvenida Sete de Septembroから延びる道の一本に当たり、その道沿いには格安衣料品店が並ぶ。日用品も揃っているので、旅の補充には安上がりだ。

 PelourunhoからBarra方面へのメイン・ストリートはAvenida Sete de Septembroという大通りである。この通り沿いに歩けば、スーパー・マーケットや銀行などは簡単に見つかる。Plusマークのバンク・カードを持っていれば、Banco do Brasil・HSBC・Citibankなどに英語ガイダンス付きのATMがあって、現金の引き出しに手間はかからない。Barraへ至る行程の半分くらいのところにLargo do Campo Grandeという広場があって、交通の要所となっている。Praça da Séとともにバスの行き先や経由地の表示に出ていることが多いので、覚えておくと良い。ここにはSalvadorでもっとも設備の整ったホールのひとつといわれるTCAや、毎週月曜日にRoda de Choroが行われているTeatro Vila Velhaがある。ちなみにcarnaval期間中はプログラムが変わり、私がSalvadorに到着した2/1はやっていたが、その次は2/22まで別プログラムになっていた。このような情報は、事前には得られなかった。PelourinhoからLargo do Campo Grandeまで、Largo do Campo GrandeからBarraまで、ぶらぶら歩いてそれぞれ一時間程度である。

 

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 そのようにぶらぶら歩いて、今日はRodin展を見に行った。「ホジン、ホジン」というからわからなかったのだ。かの有名な「ロダン」である。会場はガラガラで、穏やかで緑溢れる庭園の中にあり、忙しく旅にかけずり回った体を休めるにはちょうど良い昼下がりであった。「考える人」を至近距離でゆっくり見た。四方に椅子がおいてあったので、それぞれに座ってみて目線を変え、しげしげとためつすがめつ眺めてみた。客は来ない。日本では考えられない状況である。静けさの中で作品とともに居ると、なんだか同じポーズをとってみたくなって、やっていたら係員の女の子に見つかって笑われた。しかし「考える人」なのに、なんと筋骨隆々とした体なんだろう。像はかなり大きく、まるっこく、ずんぐりしていて、「考える」という頭脳的・精神的・繊細なイメージとはかけ離れている。顔の彫りも深く、顔にまで筋肉が浮き出している。強烈に肉体的である。全裸の男である。なぜなのか・・・ 暑い国でこんなことを考えた。

 

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 Largo do Campo Grandeから南下して行くと、やがて高級住宅街となり、外国人向けの別荘やリゾート・マンションが建ち並ぶようになる。そして所謂Barraのエリアに入ると、突然ビーチの香りがぷんぷんしはじめるのだ。この辺りまで来ると、もはや庶民的な空気はほとんどない。Pelourinho近辺なら、まだ安く上げようと思えばできるが、ここは完全なリゾート地だ。しょーもないもんに高いカネを払うことに歓びを感じるような、自虐的感覚を持たない限り過ごせない。Barraは、地形としては岬の突端に当たり、そこからは北東に向けて、延々と美しいPraiaが続く。Praia do Flamengo・Itapuão・Praias do Forte・・・ちなみに、「Ita・・・」で始まる固有名詞は、Salvadorへ来た長距離バス会社Itapemirimをはじめ、Itabaruka・Itacimirim・Itabuna・Itagiなど、古代インカ帝国の固有名詞に由来しているとのことで、私の名前「Itami」もこれに似ていることから、ボリビア人と間違われることがある。なんでボリビアやねんと感じるのだが、そう思うらしいから仕方がない。「食い詰めたボリビア人労働者か日系人に見える」らしい。ざっくりまわってたらドミトリーの同宿者にばったり出会ったので、彼等と語らって近所のショッピング・センターへ行くことにした。ブラジルで「Shopping」というのは、日本でいうブティック・モールのようなもので、Lojas Americanasなどのディスカウント・スーパーが入っていることもあるが、モール遊びと大量買い目的の施設と思って良い。レジは長蛇の列になっていることが多い。三人で適当に店を冷やかして、バスでPelourinhoまで戻る。

 


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2010年10月05日

20100207 Sarau du Brown

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 Salvador滞在中で最も素晴らしい体験だった。Carlinhos Brownがプロデュースする綜合エンターテインメントの一大イベントである。場所はMuseu do Ritmo、Mercado Modeloから旧官庁街を抜けた広場Largo do Cais do Ouroの向こうにある。廃墟の中庭にステージやアトラクション用のスペース、バー、アトリエ、ギャラリーなどを組み込んだ総合芸術的な施設で、とてもわくわくさせられる雰囲気がある。まだ明るい18時頃、開場前に客を待たせている間から既にパフォーマンスは始まっていた。入り口に並んだ客の列の一人が急に足長おじさんに早変わりして広場を闊歩、さらに男女二人が出てジャグリングを始めたと思いきや、なんと私を真ん中に立たせて両側からピンの嵐、「動くな !! 」と言われて観客が大爆笑。歓声が上がったかと見ると、その向こうで観客が一人ずつかり出されて人間ピラミッド、よく見ようとしたらまた「動くな !! 」と言われて観客が大爆笑。その二人がなんとイベントの司会者で、男が観客をアテンドしながら、女が足長おじさんに肩車されてMC。のっけから楽しい雰囲気に包まれる。中に入ると、ピエロに扮した多くの子供たちがローラー・スケートで走り回りながら紙吹雪をまき散らし、頭上にしつらえられた飛行機をかたどった巨大な模型の中でFrevoバンドが演奏を始める。ステージから何人もの女性ダンサーが走り出て来て、それにあわせて客を踊らせて行く。ひとしきり和んだ後、旧に暗転して詩の朗読。そして急にファッション・ショウ・・・と、意外性の連続。ステージ・パフォーマンスもたけなわになった頃に、おもむろにCarlinhos Brownが登場し、大編成のバンドを従えてのコンサートになった。23時終了。

 

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ちょと危険を感じつつもMercado Modeloまで徒歩で戻ると、エレベーターもまだ動いていたので、そのままPelourinhoへ戻る。下の写真は、入場料が払えないので、広場で楽しんでいたガキども・・・しかしこういうのんが一番アブナい。

 

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2010年10月04日

20100203-06 Retrofolia

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 http://web.mac.com/jakiswede/iWeb/3e_mobembo/Salvador.html

 

 20100203 上のSalvador写真集をご参照ください。Praias do Flamengoにて。ビーチが充実しているのは、一年中夏だから。これだけ海岸が美しくて供される料理が旨いと、海の似合わん私でさえ、足繁く通ってみたくなる。ひたすら脱力モードで一日過ごす。ビーチで女を軟派しようかと思ったが、ホテルで女を軟派してからビーチへ来た方が良さそうですな。なぜならこういうビーチは店が管理していて、わりと堅いことを言うてくるねん。向こうの女をこっちへ引っ張り込んだらどうだとかこうだとか・・・

 

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 Muzenzaというパーカッション・グループの練習を見に行く。統率が取れていて見事だとは思う。もちろん良さはわかる。しかし、好きにはなれませんでした。他にいくつかSambaなど見て回ったが、今夜はイマイチ。昼で運を使い切ったと見て、こういう日は早く寝る。

 

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 20100204 Salvadorの中心部Pelourinhoは、丘の上の大地のようなところにあり、Cidade da Cima、海に面した側の下街をCidade de Baixaという。7日にCarlinhos BrownのイベントがあるMuseu do Ritmoを捜したが見つからない。キロで飯にする。どうやらこのあたりは旧の金融街で、経済の中心地であったような、街の詰まり方をしている。しかし近年の郊外の開発によって、例えばIguatemiあたりにそういう拠点が移転あるいは分散して、徐々に衰退しつつある斜陽の街であることを感じた。さて上の写真は、Baixaへ降りるケーブルである。降りたすぐの通りは、Lacerdaのエレベーターの一つ山沿いの道、すなわち観光客は絶対足を踏み入れてはならない道に直結しているが、このあたりは何でもない。勿論写真で見てわかる通り、対面は廃墟を利用した駐車場であるので、道沿いは延々と壁である。つまり逃げ道がないから、夜の一人歩きは避けた方が良かろう。Salvador物産の百貨店であるというMercado Modeloへ行ってみたが、もう観光客モードで値段が高い高い。特に見るものなくエレベーターでCimaへ上がり、楽器屋巡りをする。

 21時にCampo GrandeにあるTCAへJorge Benjorのコンサートを見に行く。これははっきり言って失敗でした。内容はブラジル社交界向けのサロン・ミュージックで、ロビー開場の時点でもう既に私は浮いていた。客層も服装もなにもかも違い過ぎる。チケットの値段みてわからんかったんかと言われれば、はいそれまで。ひとつええ勉強になりました。

 タクシーで戻ったPelourinhoの街角の方が、随分とええPagodeやってて、バーでビール買って飲みブラしながら聞き歩くことの気軽さよ。

 

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 20100205 Salvadorから北方面の田舎巡りをしてみる。農場や牧場の広がる合間に、街道筋に沿って村が点々とある。干しレンガを積み上げた壁に土を塗り付けて表面を平らにし、そこへ漆喰を塗って仕上げ、トタンで屋根を葺いただけの簡素な家の姿は、まさにコンゴの郊外の風景そのものである。そうか、ここはアフリカなのだ。そのうちのひとつのバーで水を頼んでレストランを訊ねるも、全く英語は通じない。ここまで来れば無理かなあ。それでも彼等がランチで食べたポテトの残りを出してくれて、しかもカネをとらない。お礼、なのかなんなのかわからないが、子供が遊んでほしそうだったので、2時間ほど一緒に遊んだ。なんかとてつもなく親しみやすくてほのぼのとした時間であったことよ。道に迷わぬうちに進路を東に取って海岸へ出て、Praia do Forteという、ウミガメの保護に取り組んでいる浜辺へ行って寛いだ。Flamengoもそうだったが、ここらへんのビーチは遠浅で、引き潮でプールが出来る。夕刻近くになって街道をSalvadorに取り、帰路についたが、腹が減ったので途中Kiloを兼ねた寿司屋に入ってみた。なんと1958年にDominicaに移住した日本人で、大きくて豊かな農場を与えられて平穏に暮らしはじめたが、政変で土地を追われ、命からがらブラジルへたどり着いた。農地を求めてこのSalvador近郊に落ち着いたが、体を悪くして農作業が持たなくなったので、今ではこのレストランを経営しているという。なんかね、日本人て、このくらい生命力強かったんやろなあ、ってつくづく思いますね。夜、Pelourinhoに戻る。今夜は特にチェックしたものがなく、いきあたりばったりに見て回ったが、特に良いものはなかった。

 

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 20100206 Festa de Yemanjahのときに知り合った日本人グループがPelourinhoの近くで合宿しているというので、試しに行ってみた。ここに住んでいるボスが不在で何もお話しできませんが、と、えらい行儀はええんやけど、なんかねぇ、Djembeをたたくそのままの感覚でブラジルの楽器触ってへん ?? 第一、スティックの持ち方が全然できてへん。拳で握ってしもてドラムが叩けるかいや、これ見て素振り練習せい。

 

 http://homepage.mac.com/jakiswede/2music/23equips/235withstics/2350withsticks.html#7

 

 上の写真は、彼等とは別に単独でナイジェリア人のところへドラムの修行に来ていた日本人青年。黒人に打楽器を習うときに注意すべきは、身体能力が全く異なるので、同じようにしては体を潰してしまうことがある。右がナイジェリア人の師匠だが、この握りのまま速いスウィングが出来てしまうのである。日本人には、日本人の体に適した練習方法がるのであって、彼もそれを知らず、師匠のようには出来ずに悩み、時間を取られ、いらぬカネを払い続ける結果となる。よくある話。

 New Yorkで不要な荷物を日本へ送り返してからだいぶ経つので、ここらで不要品とお土産と楽器類をまとめて購入して日本へ送ってしまおう。ブラジルでは郵便局Correioで小包用の段ボール箱が販売されていて、これを使うことになっている。私はペデル・カホン用に12インチの軽いスネアCaixaと、Choro用のGOPEの軽量Pandeiro、その他日本では企画にないので手に入りにくいパーツを購入した。さらに日本で私の帰りを待つ何十人もの女のために、気の利いたお土産を捜し、これらをまとめて一番大きなサイズの箱に入れて、ここまで大事に持ち続けて来た冬物のジャンパーとともに送り返した。

 

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 その夜、SalvadorFrevoのバンド「Retro Folia」のライブがTeatro Sec Senacであったので、大阪がブラジルに誇る唯一のFrevoバンド「Novos Naniwanos」のTシャツを着て行ったら、なんと入場料とビール1本がタダになり、しかも日本にFrevoのバンドがあるのか !? という話題で大盛り上がりして、いちいち説明すんのめんどくさいから「オレはNovos Naniwanosのドラマーや」と豪語してしもた。愛ちゃんごめんね。でも、あながち嘘ではない。まだ彼等がマシーンを使っていた頃に、ドラマーを入れようということになってお声がかかり、2回ほどスタジオ練習をしたことがあるからである。さてご機嫌な時間は夜半前に終わり、外へ出ると流石週末とあって街じゅうがうなりを上げている。耳を澄ませてゆっくり歩き回るが良い。表通りには出ていなくても、ちょっと奥まった広場や教会の裏などで、実に良い演奏に出会える。Pelourinho周辺には、本当にいくらでもある。Praça da Séを越えて少し行ったPraça Castro Alvesや、その対面のEspaço Cultural Barroquinha、例の居酒屋などが見所といえる。はしごにはしごして夜更け過ぎに休憩のつもりでBar GaliciaというところでKaxambuという、かなりアンゴラ色の強いユニットを見た。これ強烈に良かった。いやあなかなか濃い週末、やっぱりSalvadorはすごい。

 

 

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20100202 Festa de Yemanjah

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 http://en.wikipedia.org/wiki/Yemaja

 

 今日はFesta de Yemanjahの日である。Pelourinhoから南の海岸方面にあるRio Velmelhoへ行くためにPraça da Séからバスを捜して乗る。演奏の内容としては、ほとんどがTrio Elettoricoで、ちょっとFrevoもある。次に多いのがMarakatuと呼ばれる、おおむね打楽器隊のパレードであって、私にはやっぱり辛い。ただ、外野でやってるCapoeiraとか、地元の普通のおばちゃんがコンガ・・・失礼、Atabaque持ってドブ板踏んで普通に出てくるところは流石やなと思うた。天気はええしねーちゃんは奇麗なので、そこらでビールを買ってお祭り気分を楽しもう。

 Bahia州であるからなのか、Sambaの感じがRioとちょっと違う。あんなわかりやすい四角いリズムではなくて、16/16と12/16の間を微妙にくぐり抜けて行くような、なんともいえん粘っこさがええね。特にビール飲んで聴いてると一段とええ。ときどき路地裏でそんな渋い演奏が聴けるので歓んでたら、なんと楽器もってスタンバイ場所へ移動中の日本人軍団に出くわしてしもた。外国で日本人に会うことほど嫌なことはないので、なるべく目を伏せて避けて歩いてたのだが、声をかけられてしもて、とりあえずちょっとだけ・・・いやあ、こいつらはひどいね。ひどすぎる。とりあえず太鼓好きが集まって毎年Salvadorのcarnavalに遠路はるばる出演しに来るらしいけど、大麻・・・失礼、大枚使うて空飛んでくる前に、スティックの振り方やり直した方が世のため人のためや。多くは言わん、場の空気を読めん応用のきかん輩等のタダの雑音垂れ流しは公害や・・・

 すっかり気分を害されてしまったので、とりあえずKiloで遅い昼飯にして、Teatro Castro Alves (TCA) へ明後日のJorge Benのライブ・チケットを買いに行く。R$120 !! 高い !! ・・・今日はあんまりええことなさそうや。TCAのあるCampo Grandeから、街を見物がてら徒歩でAvenida Sete de Septembroを上って来た。途中、Praça Castro AlvesからPelourinho方面へちょっと行ったところの一杯飲み屋で実にご機嫌なRoda de Sambaをやっていて、これが実に気持ちよくて、ついついビール飲みながらいろいろ食べて居続けてしまった。バンドはAttitud do Sambaといい、非常にグルーヴが太い。キメやアレンジが細かくて、しかもそれらが野太く決まる。これはなかなかのもんでしたな。居酒屋だが若い子も多くて、ええ具合に酔っぱらった黒人のねーちゃんが踊り出して、その腰つきがまたええんや。

 ちょっと朝から炎天下を歩き回って疲れたので、部屋に戻って横になったら朝までぐっすり寝てしもた。

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20100201 Salvador

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 Salvadorへはほぼ定刻に到着した。Rodoviariaで情報収集、地図購入。観光の中心地であるPraça da Séへ直通するバスは、近距離バス・ターミナルを越えてその向こうにあるIguatemiショッピング・センターの、向かって右方向の車寄せに何台か並んでいるうちのひとつである。これは少しわかりにくい。市内バスR$2.30に対してR$3.00でエアコン付き。バスは、予約したPousadaのあるPelourinho広場のかなり手前で止まる。そこからブラブラと人の多い方へ歩けば迷うことはない。観光地なので至る所にMilitary Policeが駐屯しており、観光客にとっては安心だ。

 

 http://www.pousadapaistropical.com.br/

 

 観光と音楽の中心地であるPelourinho広場に面していてドミトリー中心で安い。予約したのはシングルだったが、シングル・ルームは、全て建物の内側で、浴室とトイレに挟まれた窓のない部屋であるので、避けた方が良い。ドミトリーがおすすめ。ブラジル風のパンにコーヒー・紅茶・ミルクとハム・チーズ、フルーツの朝食付きで英語も通じる。特に可もなく不可もない。Rioのドミトリーが男女混宿だったのに対して、ここは別になっている。

 

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 早速外出し付近を散策。完全な観光地で、何もかもが観光客向けお土産モード、しかもcarnavalシーズンなので全ては豪華絢爛。古びた建物も、多分年に一度のお色直し中。シャンプーをRioに忘れたのでDrogaria捜しつつPelourinhoから海とは反対側の斜面を降りる。こちら側は一転して庶民の世界。途中電気部品電子部品の店の並ぶエリアがありチェック。ここは多分、音楽の街を支える音響専門家の咄嗟の要求にも充分応えられる品揃えになっている。その下の谷に当たる通り沿いには格安の衣料品店が並び、大抵の日用品は揃う。ただし、そこから反対側の坂を上ろうとして、肌を刺す圧迫感が違うのを感じた。ここから先はヤバいエリアである。進路を右に取る。Pelourinho方面から来る通りと合流してAvenida Sete de Septembroとなり、この通りが街の中心と見た。とりあえずの必需品は揃ったので一旦戻り、近所のComida de Kiloで腹を満たした後、夕闇が迫る広場周辺を散策していると、方々から太鼓の音が聞こえはじめ、EnredoふたつとPagodeふたつ見た。

 

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 夜になった。今日は月曜日なので、PelourinhoからPraça da Sé方面、二つの道路が合流するあたりにあるPraça Castro AlvesでRoda de Choroがあるはずなのだが、これまたcarnavalシーズン前ということで追いやられ、Samba da Igrejaといって教会の前で小編成のサンバを演奏する催しをやっていた。Choroは聴けなかったが、良い演奏が続けざまにかかって、大変良かった。太鼓ばかりの大音響ばかりかと思って、ちょっと嫌気がさしていたので助かった。23時頃終わったので、ぶらぶら歩きながら戻って、バス移動の疲れからか、早めに寝た。


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20100131 Salvadorへ27時間バスの旅

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 朝食後すぐに荷造りして、タクシーでRodoviariaへ駆けつける。ターミナルは人で埋め尽くされていて、そもそもどれが列なのか、どの列がどのバスに繋がっているのか、どのバスがどこへ行くものなのか、まったく把握できないまま時が過ぎる。私の乗るItapemirim社のバスは5台ほど止まっていたが、行き先表示がない。それらしき制服の人に訊くも複数の人が同時に別々の方向を指差す。とりあえずそのうちの一人の指差したところへ行ってみると、やはり全く別のところを指差す。そこへ行くと「ここで待て」と言われるので待っていると、何台かのバスが出たのにあわせて人も減り、少しずつ人の流れが見えて来た。バスの発車予定時刻はとっくに過ぎている。不安に駆られて、運転手らしき人に訊くと、笑いながら目の前のバスに乗り込んでスイッチを入れた。行き先表示に「Salvador」と出る。さっきから何人もの人が既に乗り込んでいるので、彼等は行き先表示などなくても知っているのだろう。まあ、ブラジルですな・・・

 私も乗り込もうしたが、「待て」と言われ、ザックを指差して列の最後尾の方を指差す。どうやら荷物の計量が必要のようだ。見ると長蛇の列・・・おいおいこれからもっぺん並ぶんかよ ?? バス待っててくれんねやろな ?? 身振り手振りで時計を指差して大丈夫かとい訊いたが、運転手はニコニコするばかりで頼りない。・・・まあここでこうしてモノを書いているということは、待っててくれたのであって、結局バスは、ターミナルのラッシュも終息した1時間遅れで発車。まあブラジルですな・・・

 

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 このバス、「地球の迷い方」に書いてあるほど快適ではなく、4列座席で簡易リクライニングであった。この状態で27時間・・・ちょっと年配者には辛い。しかもR$270とGOLよりも遥かに高い。移動手段としては格安航空会社に客を奪われっぱなしになるだろうが・・・旅だからね、景色が見られる方がええに決まってる。逆に景色は、どこまでも単調な田園風景や海岸続きであろうと思いきや、これが山あり谷あり里あり牧場あり、村あり街ありで、変化に富んでいて美しい。途中何度か休憩があったが、眺めの良い設備の充実したサービス・エリアには停車せず、自社の営業所に付属した売店で買い物させようとする。その仕組みは大変面白く、入り口でカードをもらって、中で自由に買い物をすると、その都度カードに加算されてゆき、出口で一括して支払うという寸法である。ただし価格は市中の倍以上して、日本より高い。なかなか商売がうまい。でもしっかりした会社だと思う。

 

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2010年10月03日

Farminhos連絡・脱穀は10/07 (木)

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 数日後に雨が予報されているので、脱穀は晴れが三日続いた後の来週の木曜日。平日ですが、手伝っていただける方、是非お願いします。その日に臼スリまで出来れば、新米をお持ち帰りいただけます。コシヒカリです。ガッツリした味に仕上がってる筈です。

 

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 赤米は全て倒れ込んでいます。まだ完全には熟していないので、間断潅水を続けています。稲刈りは、多分10月中旬以降。

 

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 ピリピリが色づいてきました・・・やったぁぁぁ〜♪\(^O^)/

 

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 9/03蒔きの大根。除草と間引き・・・間引き菜はおひたしにして今夜の食卓へ。

 

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 白菜も順調。大根も白菜も、種蒔きした頃は強烈な猛暑で、とても種を蒔く気になれなかったのだが、ダメ元で蒔いてみて、さらに一週間ずつずらして蒔いてみて結果を見る。わりといけそうな感じ。季節はちゃんと巡っている。

 

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 バジルも腋芽が出て葉が茂り、それが穫り時を迎えてる。もう一発やりますかPesto Genovese

 

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 鶴の子大豆とピリピリ・オクラを天日に干す。

 

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 やっと手が届くようになった新モノのサンマを・・・食べる前に撮らんかい !!

 


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20100929 Staff Benda Bilili

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 Staff Benda Bililiのコンサートにて。20年来のコンゴ人の親友Lukumwena Nsenda氏と奥さん・・・三人揃ってZaire '74・・・アホです。


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20100923 梅ジャム・種取り・ジャガ芽かな

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 秋の長雨の季節に入りよった。梅シロップから引き上げた梅でジャムを作った。これがまたイケルんや・・・

 

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 雨なので溜まっていた室内作業をこなす。オクラの種取り。

 

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 鶴の子大豆の豆取り・・・今年はあかんかった・・・全部気候が悪いんや。

 

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 ジャガイモの点検・・・芽が出てきよる。

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2010年10月02日

20100130 Festa de Choro

 朝からLaranjeirasの上の端のGeneral Glicerioという団地内の広場で「Festa de Choro」というイベントをやっているというので行ってみた。フリーマーケットと青空市を兼ねたような催しで、ロータリーの中心の島の部分でChoroのCDと生演奏をやっている・・・まあ正直いうてね、われわれ大阪Chove ChuvaでやってるRoda de Choroの方が、演奏技術・繊細さ・緻密さ・向上心においては随分勝ってるね。結果においても遜色がないどころか、みんなでここへ乗り込んだら奴らも観客も目を見張ると思うで。ただね、われわれに足りんのは、遊び心や。演奏の中で様々に仕掛け、それに呼応して相方が、または複数、あるいは全員が襲いかかる。その瞬間、ルールや予定調和なんてぶっ飛んで、音楽の全体がひとつの生き物のように生命を吹き込まれる。そういう瞬間が何度もあって、それがえも言われぬ味になる。日本人は、几帳面で技術の洗練と端整さを歓ぶ性質があるので、そっちの方に偏りがちなんやけど、そこへこういう遊び心が、理屈でなく実際の演奏で、遺憾なく、無秩序に、仁義なく発揮されたら、それはとてもスリリングなChoroになるやろう。アルバム作っても充分耐えられる。いまのままでは、残念ながら「よくできました」とは言われても、「おもろいやんけ」とは言うてもらえへん。

 演奏されたのは、ほとんど知ってる曲ばかりであったので、演奏に合わせて乗っていると、観客がビールをおごってくれる。英語が話せる老人だったので、いろいろ思い入れについて話すうちに、珍しい日本人が来ているというので、わりと面白がられて何本もビールを飲ませてもらって、Choro好きの観客と入り乱れてなかなかアブナいRoda de Choro・・・盛り上がり方がハンパやないが、もうちょっと繊細さも欲しいよな・・・ちゅうのは贅沢な要求かも・・・

 イベントは健全に夕刻を待たずに終了したので、今日はRio最後の日・・・ううむ、ちょっとタイトに計画組みすぎたかな・・・なかなかええとこやもんね・・・しゃない。観光をかねてLaranjeirasを下ってLargo do Mashadoあたりでメール・チェックとブログの更新などをした後、マコさんに紹介してもらった摩周氏の所属する地元サンバチームの公開練習を見るためにMaracanaへ向かう。途中、ばったり出会った同室の女性も一緒に「イキたい」・・・失礼、「行きたい」というので合流することになり、メトロの車内でああだこうだ言ってたら、我々の英語を聞いていた若者が、なかなか流暢な英語で話しかけて来て、Maracanaで降りるからと言って案内してくれた。駅は高架上にあり、郊外列車の線路と並行して走っている。メトロ側は奇麗な公園になっているが、郊外列車の側は見上げるばかりの強烈なファベーラで、しかも広い道路の高架下には逃げ道がない。「ここはヤバいでしょうな」と若者に訊くと、「そっちは絶対入ってはいけません。こちら側は全く問題ないです。」と笑って答えた。なるほど・・・と、私は感心、彼女は明らかにビビっていた。まあオレがついちょるけん安心いたせ。そのかわり今夜は・・・わかっとるやろな。

 駅前の公園の向こうにロータリーがあって、その脇にあるレストランが待ち合わせ場所。そこでショッピを2杯ほど引っ掛けて待つこと小一時間ほど遅れて、だらだらとそれらしき人たちが集まり、日も暮れかけたあたりになってようやく音が出始めた。総勢100人ほどいたでしょうかな、公開練習というからこの広場でやるのかと思っていたら、演奏がまとまり全体がうなり出したあたりで、先頭が動き出して、車の往来する大通りへ出た。なんと片側車線を予告も交通規制もなく遮断し、やがてファンか野次馬か、観客もどっさり溢れてほぼ完全にパレード状態。なるほど、こいつらのリハーサルはこうなのか・・・と感心しつつついて行く。遮断された側の車の列は、特にクラクションを鳴らすでもなく、反対車線を行く。対向車はそれを察して問題なく車線を分け合っている。なるほど、こいつらのリハーサルはこうなのか・・・彼女は、ハグれないようにと私の手を握って来る。私はそれに応えてしっかりと肩を抱き寄せ、やがて背中へ、そして・・・チームのリズムを主導しているのはへピニキを担当しているなかなかええ男であって、リズムと態度が非常に安定していた。そのリズムは、明らかに西アフリカ、GuinéeやCôte d'IvoireあたりのDjembeの演奏を写したものである。リズム・パターンのみならず、合図の出し方、緩急のつけ方、展開の仕方が酷似している。もちろん違う部分もあるが、Djembe奏者をリクルートすれば、へピニキ奏者は日本でも容易に得られるのではないか・・・まあ本人がやりたがるかどうかは、非常に微妙だけれども・・・

 Sambas de Enredoのひとつの例をみた訳だが、このやうな余りに強すぎるリズムの洪水というのは、個人的にはちょっと苦手ですな。私はパーカッショニストでありながら、パーカッション部隊なんてのが最も嫌いであって、音楽にはもっと潤いというか、メロディやハーモニーの妙なる調べがあってこそ、それらをほんの少し補強するリズムの骨格が、必要最小限に入っているのがよろしいと思うのです。さて、演奏は延々3時間ほどをかけて、ゆっくりとパレードしながら、彼等の本拠地へたどり着いたところで終了となった。もうええ時間であり、明日は早朝に旅立つので、摩周氏に礼を言ってLapaへ向かう青いバスに彼女と乗った。力なく肩にもたれかかる彼女の髪の香りを楽しみながら、これから盛り場へ繰り出すおしゃれでとても奇麗な若い女の子グループと英語で冗談を言い合ったりして、Lapaへの道は楽しいものだった。だいたいブラジル人の肌の色や性質になじんで来た。Lapaで降りて、彼女を抱えるようにしてDois Irmãoへ行くKombiの乗り場へ向かいつつ、「Lapaだ。ライブでも聞いて行くか ?」と問うと、「眠いから帰る」と言いつつ手を離そうとしない。今夜はドミトリーも我々二人きり、ともに眺めるPão de Açúcarの日の出もまた格別・・・もうこれはいただき・・・と確信してKombiに乗り込み、Pousadaへの真っ暗な細道を上がって行くと、なんと同宿者が増えていた !! 猛り狂った愚息にひたすら水をかけて収まってもらうのに時間がかかり、荷物をまとめるのに時間がかかり、凹みに凹んだRio最後の夜・・・貧乏旅行はそう甘くはない・・・

posted by jakiswede at 23:45| Comment(0) | ザイール・ヤ・バココ第三の旅2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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