2010年12月31日

20100225 Lac Mayi-Ndombe

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 翌朝、Fifiが朝食を届けに来た。ううむ・・・パンが4つでFC800、バナナとアボカドはまとめてここらではFC200、卵もピーナッツもたいしたことないし、昨日の夕食と合わせてみても、どう考えてもこれは高い !! 紅茶を持って来た彼女に「悪いけど今日から一食でええわ」日本人は胃袋ちっちゃいもんね。ちょっと憮然としていたが「今日から前金よ」と言うので、一食いくらだと訊くとFC8,000とぬかしよる。するとこの朝食はFC7,000か、そらなんぼなんでも高いで。まあ彼女の子供たちや友達が遊びに来てあちこち案内してくれる事も考えて、セキュリティ対策として毎日FC8,000ならええかと思うて渡す事にする。そのかわり日曜日まで全部日替わりやぞ、と念を押したら笑って出て行きよった。Emmanuelが来たので二人でこれを平らげついでに、「このペースで散財を続けるとMbandakaまではおろか、ここからKinshasaへ戻らざるを得なくなる」と窮状を訴えると「わかった」と言って、こいつも笑って出て行った。

 ひさしぶりにひとりになり、気が楽になったし晴れていたので洗濯をする。従業員に頼んで洗濯用の水を頼むと「おお、そのようなことは私どもが致しますのに」なんぞとこきやがって、なかなか水を持って来ようとしない。そのペースに乗るとまたもや彼らの術中にはまって「病弱のうちの母が・・・」ちゅう展開になる事は目に見えているので、ここは頑として水を持って来させる。窮屈だがシャワー・ルームで洗濯しようとすると、彼が笑って私を導いて井戸端へ案内してくれた。裏庭の端の物置小屋の陰の空き地の隅っこに井戸があって、そこにガキどもがたむろして洗濯している。たぶんほかの宿泊客や近所の家のものだろう。リンガラ語をしゃべる変な日本人が、当然めずらしくて、しょーもないことをなんでも訊いては箸がこけても可笑しいくらいによく笑う。おかげでだいぶこの辺りの様子が分かって来た。彼らは金がないので学校には行ってない。なかには内戦の戦災孤児もいて、親戚に引き取られたり、路上を彷徨っているところを拾われたりして、ある者は一般家庭の小間遣いをしながら、またある者はホテルや商店の用を足しながら、客や出先から小遣いをもらって生活しているのである。従業員とはいっても給料が出る訳ではない。日本にも俺たちのような子供はいるのかと訊かれて答えに困った。全く異なる社会の事を説明するのは骨が折れるが、見識は広がる。そんなふうにしてわいわいと洗濯を終えて中庭に広げて干しているとEmmanuelが来て、「自転車を借りてくるから、今日は市内を案内してやろう」・・・なるほど、カネのかからん暇つぶしを見つけて来てくれたという訳だ。

 Emmanuelが自転車を2台調達して来たのとFifiが食事を持って来たのはほぼ同時だった。今日は地元で捕れた魚料理だ。思わず食い気に走って喉がつかえるほどに食ってしまうと、眠たくなって小一時間ほど中庭の木陰で昼寝した。まったく平和だ。通りや裏の家々から聞こえる人の話し声や鶏の鳴き声、時折静寂を破る犬の吠え声など、びったりと止まって動かないアフリカの真ん中の時間があった。湖から涼しい風が吹くので、不思議に暑くない。朝夕もそんなに蚊は出ない。実に快適な街である。さてせっかくだからとEmmanuelに起こされて自転車をこぎながら通りに出る。ホテルのなかは平穏でも、一歩通りへ出るとたちまち衆目に晒される。行く先々でガキどもが走りよって来て、彼がそれを追い散らしながら進路を確保する。まずは南へ進路を取り、ようやく外れまで出て一息つく。

 

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 まずは漁港である。Mayi-Ndombeとは「黒い水」という意味である。まさしくその水は黒く、手を入れると数十センチ先で見えなくなるほどである。Lidjo Kwempaも、Emeneya Kesterも、Lita Bemboも、Stynoも、「お前はこのメロディが好きならMayi-Ndombeへ行け」と口を揃えて言った。なぜかと訊いても、彼らは「行けばわかる」と答えただけだった。Litaは「わからんでもいいから、とにかく行ってこい」とまで言った。「第二の旅」で、奥地への泥沼の道をともに這うようにして進んだ、かつてのRumba Rayの名ギタリストLusambo Fistonの家系は、ここの出身である。「アソコノミズハ黒イデース。ダカラ、アソコノ音楽ハ、世界デ一番黒イ」昔ナショナルの「ネオ・ハイトップ」という乾電池のコマーシャルに「万里ノ長城世界一長イ、タカラ中国ノねお・はいとっぷ世界一長持チ」ちゅーのんがあったんを思い出して腹がよじれるほど笑うたが、Fistonは笑いもせずに「世界ノ黒人音楽ノるーつハ、アソコニアルト思イマース」とまで言い放った。まあそれは措くとして、コンゴ音楽の重要なミュージシャンがそのように言うのであれば、行ってみるに越した事はないと思って来たのである。いや、なんというか、ものすごく感慨深い。湖畔の石に座って感慨に耽っている私を怪訝に思ったのか、Emmanuelは、しきりに先を急ごうとする。「こんなとこより、もっと良い場所がある」こういうときの地元の人の言う「良い場所」はアテにならない。私は上のような事を並べてここへ着た理由を説明し、しばらくそっとしといてくれるように頼んだ。漁師がピローグを漕ぎながら岸に戻ってくる。こちらを注視しているが、話しかけて来る事はない。それをいいことに、ただぼんやりと水面を眺める。不思議な感覚だ。水は澄んだものの方が良いという価値観がある。当然といえば当然の事だ。しかし、この黒い水に不思議と毒気が感じられない。もちろんにおいもない。掬ってみたが、まさか粘りのある訳でもない。不思議に思われるかもしれないが、濁りもないのである。ただ黒いのである。黒く澄んでいるといえば、より近い表現といえようか・・・それは、全てを見通す澄んだ水とは対極にある、全てを飲み込んで覆い隠し、しかしながら澄んだ水のように無味無臭の「なにか」である。それが「なに」なのかはわからないが、ここではこれが、あたりまえの「水」なのである。日本では、水は澄んでいるのが当然で、濁った水は悪である。しかしここでは、この黒い水が当然で、彼らはこれを飲んで生きている。彼らの体には、生まれたときからこの水が入っていて、人間の体の60%の水分が、この通り黒いのである。もっと私には時間が必要だ。ここに滞在する間、私は出来るだけこの水の近くにいるとしよう。そこまで思いを致してから、おもむろに立ち上がりEmmanuelを捜すと、横の草むらで寝とった。「ほな、行こか」・・・

 

 http://web.mac.com/jakiswede/iWeb/3e_mobembo/Inongo.html

 

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 めんどくさいからInongoの写真は、上のリンクを参照してくだされ。ここではそれ以外の写真を掲載しようと思う。古い連絡船が打ち棄てられていて、その残骸がガキどもの遊び場になっている。この街にもかつては発電所があったと思われ、電気の来なくなった外灯が放置されている。道は湖畔を南下し、内戦で廃墟となった小学校の跡地を通り過ぎて徐々に上り、ちょうどInongoの街を弧を描く海岸線の中央に見晴るかす岸壁に出たところで行き止まりになった。Emmanuelが「良い場所」と言ったのは、おそらくここのことだ。湖面から離れているのでさほどでもない反応を見せた私を気遣ってか、彼はしばらく街を展望して、その向こうの海岸線や、雲って見えない西の対岸のことをひとくさり説明すると帰路についた。

 

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 さて、今度は湖畔の道を北上して街の中心部を通り過ぎ、Mission Catholiqueを右手に見ながらさらに進んだ。その先はかなり鬱蒼とした森になっていて、やはり少しずつ上り坂になり、やがて廃止された修道院の跡地に出た。かなり大規模な修道院だったらしく、今でも廃墟に住み着いている人があるらしい。そこへ自転車を止めて森の小径を岸壁まで出てみた。何艘ものピローグが出て漁をしている。静まり返った湖面に、彼らの呼び合う声が反射する。またEmmanuelに頼んでそっとしといてもろて思索に耽る。ちょうど良い木の切り株があったのでそれに座って、漁師たちの呼び声に耳を澄ます。リンガラ語ではない。特徴のある抑揚を持っている。イントネーションは、まるでメロディのようだ。それが湖面と森にこだまして、独特の残響を響かせている。鳥のさえずりではない、明らかな人の声なのだが、それは会話というより歌に近い。鳥のさえずりを歌と呼ぶならそうであろう。しかし人間の概念としての歌とも違う。歌っているようにしゃべり、それが厳密には会話をなしているわけでもなさそうである。なぜなら一人で声を出している人もあるからだ。言葉がわからないので内容がわからないのだが、基本的には一人で何かを、そう、「唱えている」感じである。「唱えている」という表現が最も近い。その唱えている文句に、多分近くにいる漁師が絡んで来るのである。それが、言葉で絡んで行くというより、「唱え」で絡んで行くように聞こえる。歌とも違うし、節回しとも言いにくい、口説きや唱え、「話芸」ならぬ「唱芸」とでもいうものが、湖面に散る漁師たちの間で、まさにクモの巣のようにやり取りされている。その全体は、人の声というより「響き」である。それは、非常に調和のとれた音の重なりであり、それがときには、三声・四声・五声くらいの、明確な和音を形作ったかと思うと消え去ってゆき、また寄り添って、あるときは展開までするのである。ひとつの和音から次の和音へ展開するのである。しかし必ずそうなるとは限らず、それはやがて崩れたり、別の複数の声と戯れたりして、あたかも湖面をステージに、不特定多数の声が言霊となって戯れているかのようだ。それは波紋である。何時間あっても聞き飽きない、おそらく彼ら自身以外に顧みるものとてない、いや、彼ら自身ですら顧みる事のない、ただの遊びに過ぎないのかもしれない。もちろん交わされている言葉のなかには、実務的な連絡事項も含まれているであろうし、他愛のない愚痴や世間話がほとんどであろう。しかし私は言葉がわからないからなおの事、それが音楽に非常に近いように感じられたのである。もしかしたら、ミュージシャンたちが「行けばわかる」と言ったのは、このことだったのかもしれない。しかし、今日のところは、その感触はあまりにも穿かなすぎて、確たるものとして感じられる程には至らなかった。もっと時間が必要なようである。

 待ちくたびれて眠たそうにしているEmmanuelを促して帰路につく。帰り道は、村の始まりから内陸側の道をとり、人家の間を走り抜けた。Emmanuelはこの街の人だから顔見知りも多い。「その日本人はあんたのなんなのさ ?? 」と声がかかったり、「ええカネ蔓やの、あとで酒でも奢らんかい」と声がかかったりして、私が吹き出すのを見て「あの日本人リンガラ語わかるみたいやで」「ほなことあるかいな」などという会話が聞こえて来たりもするのである。しかし、ときおり全然わからない言葉でEmmanuelが対話している事もあって、あとで訊くと現地の言葉だというだけで何語か笑って教えてくれなかった。そのうちの何軒かでは中庭に入って休んだりもした。休むと言っても木陰に座るだけで、特にどうする訳でもない。家族や訪ねて来た人と世間話をするだけである。かねてから気になっていたのだが、Emmanuelのリンガラ語がちょっと変わっていて、本来人称変化は動詞の語頭に任せて主語は省略するべきところを、主語を置いた後を動詞の三人称単数形で受けているのである。正しいリンガラ語・・・とコンゴ人を差し置いて私が言うのもなんだが、そのへんのくわしいことは下のリンクをご参照くだされ。初め、これは私が外国人なので、わかりやすくするためにそうしているのかと思ったのだが、彼ら同士でもそういう使い方をしているので、この地方ではこうするものなのか、しかし私のリンガラ語もストレスなく通じているので、そのへんのことを彼に訊いてみたのだが、やっぱり笑うだけだった。

 

 http://homepage.mac.com/jakiswede/1congo/14lingala/140lingala_fr.html

 

 さて、夕方になりかけてしまいはじめた市場を通りかかると、脇の建物の軒下で、Emmanuelの知り合いの現地バンドがギター一本で歌合わせをしているところだった。こんなためになるものを見逃す私ではない。近づく私の笑顔にミュージシャン同士のテレパシーを感じたのか、歌手の一人が歌いながら奥から椅子を持って来て、私が到着すると同時にそれをすすめてくれた。ミュージシャン同士である。歌は止まらないのである。そのままそのまま、歌と演奏を楽しみながら一人ずつと握手を交わす。ギタリストには、邪魔にならないように、そっと手の甲と甲を合わせるのである。私は椅子に座り、肘掛けをキーホルダーで叩いてリズムを補助的に出した。これに上手くギターのリフが絡んで、場がぐっと活きはじめる。これですわ。ルンバ・コンゴレーズの醍醐味というか、このまったり感というか、粘りすぎず乾きすぎない人肌の温もりというか、これはもう、言葉では説明できない一体感、くっついて安心、音楽の喜び・・・やっぱりね、ここの音楽は、今まで経験したどの国の音楽よりも、音楽のあり方が根本的に違うように思いますね。ブラジル音楽ファンの皆さん、私がここに書いたような、こういう音楽との通じ方を、みなさんしておられますか ?? まあ人の事はええ。ともかく翌日にはメンバー全員がそろうからと言うので、再び夕刻にここで合う事を約束して、その日は別れたのであった。

 

 


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20100224 Inongo

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 Inongoでは、Mayi-Ndombe湖を北上する連絡船を待つのである。船は毎週月曜日に湖の北端の港Isongoへ向かう便があり、そのうち2本に1本はさらに東へ進路を取って川を遡り、Nkileという街まで行くそうだ。片道一日行程なので、翌々日にはInongoに戻り、その足で西の対岸にあるSelengeという港までを往復し、帰港してから月曜日まで休むのだそうだ。予定通り進めばの話だが。この街では、こうした事はすべてDGMが管理していて、特に外国人旅行者には職員が一人張り付いて案内役を務めるのである。もちろんその間の飲み食いはこちら持ちであるが・・・空港での出迎えから私についた男は、名前をEmmanuelといった。面倒見の良い、わりと善良な奴である。船の事やこの街の事は彼がすべて教えてくれるので、滞在は非常に楽であった。

 さて、Kinshasaで飯らしい飯にありつけなかった私は、Inongoでもこの騒ぎでビールとヤシ酒ばっかり飲まされるので、ついに「俺は飯が食いたい !! レストランへ案内せい !! 」と口走ってもた。あかん、えらいこっちゃ・・・ここでそんな事ゆーたら、このどんちゃん騒ぎをカネのかかる場所へ移すだけや。そのツケは当然私のところへ回ってくるだろう・・・もうええわ、なるようになれ・・・とにかく腹が減って死にそうや。しかし幸か不幸か、なんとInongoの街にはレストランというものがない。路傍でちょっとした揚げ物や果物やパンは売られている。しかしレストランや総菜屋というものは、ただの一軒もないのであった。市民はみんな家で食うし、それの出来ない奴は湖で魚を捕ったり、木を見上げてれば果物が落ちてくるからだが、ではこのホテルに泊まるような旅行者や出張ビジネスマンはどうしているのか、というと、これはコンゴの田舎のしきたりで「客」は専属の料理人を雇うのである・・・というか、先の言葉を口走るか口走らないかのうちに、いや多分口走る前から、そこにFifiという女が立っていて、私のために料理を作っているのであった。

 こうして私が望むと望まざるとに関わらず、そうせざるを得ないと観念するよりも早く、すべては段取りされて設えられ、そこに座らざるを得ないような、不思議な不思議なコンゴ奥地へのパック旅行が始まったのである。Fifiが言うには、本来前金でもらうべきだが、あなたは勝手がわからないでしょうから後払いで結構ですなどとこきやがる。なにが食いたいかと調理しながら訊くので、羊か山羊と野菜とサフと米が食いたいというと、あらまあ今ちょうどそれを作っていたところですわおほほほほ、さあ召し上がれボナペチィやて、もう好きにしてくれ何でも食うたるさかい・・・しかしこの量である。当然一人で食いきれる量ではない。ここへ案内してくれたDGMのEmmanuelが、すかさずそれを嗅ぎ付けて、部屋に入り込んで来てがつがつ食いやがる。まあ要するにそれも込み込みのパック料金ちゅうわけや。しかし旨い !! この料理、めっちゃ旨かった。羊の肉の、喉にまとわりつくような独特のエグ味といい、野菜のシチューに使われている川ナマズのブイヤベースといい、全体を覆うヤシ油の香りといい、いやいや、それよりもなによりも、およそ20年ぶりに味わうサフの酸っぱさ・・・あああ、これや。これがまたたまらんのや。旨い !! Fifi !! ほめて遣わすぞ !! と感動したのがわかったのか、彼女がにんまり笑って入って来て、朝食はどうします ?? ほな作ってもらおやないけ、どうせこれから食うや食わずの地獄巡りや。ここで船を待つ間、たらふくお前の料理食うたるさかい毎回違うもん出せよ。ほっほっほ・・・と笑て出て行きよった。皿の下に伝票が置いてある。なんとFC15,000・・・おいおいちょと待たんかい・・・と追いすがるのをEmmanuelが「まあまあ」と止めて、これはここでは良心的な値段や、「郷に入っては郷に従えちゅう言葉があるやろ」やて、なんでお前に日本のことわざ習わなあかんねん、FC15,000ちゅうたらJPY1,500やぞ。おれ日本でもそんなにええ食生活してへんで。「まあええからええから」・・・でも旨いから、まあええか。およそ三日ぶりのまともな食事に胃も心も酔いしれて、判断の甘くなる情けないビンボー旅行者・・・巻き込まれなければ、前に進まないのであった。


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 Inongoの街は、だいたいこんな感じになっている。Hotel Hydroは、一泊USD15であった。この街に商用で訪れるビジネスマンはすべてここに泊まるので、セキュリティは良い。街では、こことMission Catholiqueと市長の家には自家発電設備があって電気が通じる。稼働時間はこのホテルの場合、だいたい18時から22時までである。ホテルは街で唯一ビールや飲料水を卸しているが、電気がこのような状態なので、深夜早朝以外はあまり冷たくはない。水は、従業員が井戸からバケツに汲んで、毎朝ドアの前に置いてくれるので、それで全ての用を足すのである。

 

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 腹くちくなって一休みしたあと、Emmanuelが街を案内するというので、暮れかかった街を散策に出た。湖沿いに漁村の方へ歩く。おそらくEmmanuelが予め手配していたのであろう、昼間の連中がわりとちゃんとした衣装を着込んで、さらに高齢の楽士とともにたき火を囲んで岸で待ち構えていた。我々を見るなり演奏が始まった。湖で捕れた魚の焼いたものやクワンガ、それにたぶんキャッサバ芋の焼酎などが振る舞われ、あっという間にどんちゃん騒ぎになった。いやな予感がしたがもう止められない。ここは楽しむしか仕方がないのだ。例によって物好きなコンゴ人たちは私を担ぎだし、即席に鳥の羽根や腰蓑をつけさせ、顔までは黒くは塗られなかったが、踊りの輪の中に私を放り込んだ。21年前のItscharli大先生の腰の特訓の苦い思い出が頭をよぎったがそれもつかの間、きつい酒と呪術的な言葉の反復のめくるめく定常波にアタマもヤラレてあとはひたすらトランス状態。気がつけば踊り手とぴったり手足の動きの合った陶酔の中で、腰から頭頂部へわき上がる心地よい虚脱感の中で、あっという間に数時間が経過したのでした。その後の和やかな団欒のひととき、湖から渡って来る涼しい風に身を任せ、火の弾ける音と虫の声だけが残る束の間の静けさに隠れてすっと渡された伝票・・・「おいっ、お前らなあ・・・」「まあまあまあまあ・・・・」もうええわかった。あとは・・・わかるよな。

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20100221 JNB補遺

 20100221 さて、いよいよ夢にまで見たKinshasaへ乗り込む。Johannesburg 9:30発South African Airways SA50、Kinshasa着は12:30、良い時間だ。朝5時起床。ビスケットとミルクティーで朝食をとり、規則正しい排泄で体調を整えて、既に手配済みのピック・アップを待つ。週明けでもあるし、「空港まで1時間」というから、大事を取って1時間半前の6時に来るように手配したのに・・・既に手配済みのピック・アップを待つ。手配済みのピック・アップを待つ。済みのピック・アップを待つ。のピック・アップを待つ。ック・アップを待つ。・アップを待つ。ップを待つ。を待つ。つつつつつつ・・・・・・・おいこらいつんなったら来るんぢゃい。みんなまだ寝てやがんので、6時半にスタッフ・ルームをノックしたら、眠たそうなオーナーが不機嫌な顔でケータイいじっとる。しばらくして別の男が現れてドライバーの家へ呼びに行くという。なんのためにケータイ使とんぢゃこのダボ !! ・・・

 まったくアフリカらしさの感じられなかったJohannesburg滞在だったが、最後の最後にちょっとアフリからしくなってきた・・・ちゅーて喜んどる場合とちゃうわな・・・イライラして待つ事さらに30分、ようやく来たのが例の5時間野郎だ。

 おまえほんま大丈夫なんか「ダイジョウブダイジョウブ」鼻歌なんか歌いながらご機嫌にトバしよるけど、あっという間に大渋滞。脇道へ入って入ってかなり泥沼に陥った感があったがなんと、幹線道路へ出る手前の渋滞の列を、彼は右へ、つまり南アフリカは左側通行なので対向車線へ避けた。え ?? と思う間もなく対向車が突進、これをなんと、さらに右へ、つまり対向車線の路側帯へ避けた !! こうなったらもう「俺が法律ぢゃ文句あったらドタマかち割んぞ」の世界で、ついには四駆の機動性を遺憾なく発揮してダートを谷へおり、川を渡り、薮や茂みをかき分けて橋のたもとから防音壁の割れ目をすり抜けてメトロバス専用レーンへ突っ込んだ !! こいつ知り尽くしとるな、あとは停車中のバスは当然右へ追い越して、大渋滞の本線を横目にひたすら突っ走る。いやあVIPでもこんな待遇はないぜ。なんと「空港まで1時間」の言葉通り・・・やけど出発が遅れたんで8:30に空港到着。

 チェックインは、なんの問題もなく30分ほどで終了。しかしザックを担ぎ直すときにもぎ取れたのか、腕時計がなくなっている。まあいい。先を急ごう。荷物は規定の容積以下に小さくしたにもかかわらず、機内持ち込みは断られた。まあいい。なりゆきに任せよう。ちっこいショルダーのみで搭乗ゲートへ急ぐ。場所だけ確認したらまだまだのんびりムードだったので、ショッピング・エリアへ戻って一番安い腕時計を購入。ねーちゃんごっつい奇麗かった。ここのショッピング・モールは凄まじい。が、帰り道のお楽しみに取っておこう。生きて帰れたらな・・・

 航空機はAirbus A319-100。片側3席ずつの中型機だ。座席上に等間隔を置いて設置された小型スクリーンが、全自動で開閉するのがかっこえがった。ねーちゃんも奇麗ぢゃった・・・

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2010年12月18日

20101217 丹波の黒豆の脱穀

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 黒豆の脱穀。「型新最」の足踏み脱穀機であります。なんかねえ、字体といいカタチといい、ものに迫力がありますなあ。

 

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 「MADE IN NIPPON」でっせ。この自信に満ちた質感はどうでしょう。

 

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 なんせ「型新最」やからね、このやうに飛び散り防止の幌と、取り付け穴が開いてるねん。これがなかったらね、四方に支柱立ててそれにブルー・シートかぶせて、それはそれは大変なんや。なんせ「型新最」やからね・・・

 

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 さて、足踏みしながら株をあてがっていくと、このように大抵鞘が開いて豆が飛び出る。ロットが鞘を開くのもあるが、振動でもよく開く。しかし豆と鞘と枝とほこりが一緒くたに出て来るので、これを分けるのがまたひと苦労。

 

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 とりあえず、上に被さっとる鞘を退けると、下に豆が落ちてるので、これを集めて回収。

 

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 これを、このような「唐箕」にかけて選別する。これは、右手の丸いところが扇風機になっていて、真ん中のハンドルをぐるぐる回すと風が起こる。左上の漏斗からほこり混じりの豆を入れると、軽い誇りは風で飛ばされて、豆だけが下に落ちるという仕組み。鞘がついてると、さすがに入り口で詰まって作業が出来ん。

 

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 ざっと15kg、正真正銘の、立派な丹波の黒豆でござんす。ここまで所要3時間。

 

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 最初に退けた鞘の中には、開かずに豆の入ってるものや、落ちた豆が引っかかってるものも多いので、これはひとつずつ手作業で選別する。一日がかりでたったこんなけ・・・もったいないからやるんやけどね、費用対効果考えたら、明らかに能率悪いよね。腰も痛いし・・・

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20101209 人参について考える

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 すっかり寒くなって、畑へ行っては野菜を引っこ抜いて来て収奪し、食っちゃ寝、食っちゃ寝する毎日でございます。左から、人参 (これが??)・里芋・ごぼう(これが??)・たぶん白菜とチンゲンサイの間の子・・・

 

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 「人参」とは、人が参ずると書くように、どこか人間臭いんよね、そのフォルム・・・しかし、どうなってんのよ君 ??

 

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 サツマイモは、形のええのんは売れました。あとは、割れたんとか欠けたんとか食われたんとか腐ったん・・・は、食べへんけど。

 

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 トルコの白ズッキーニは冬瓜と同じくらい日持ちがしました。ここんとこの冷え込みでついに・・・

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2010年12月16日

20101220 Farminhos 黒豆味噌作りのご案内

丹波の黒豆を収穫しましたので、これを使って味噌作りをします。
生麹の熟成から始めるつもりでしたが、これがなかなか手強いので、
間に合わなければ、市販の乾燥麹で仕込みます。
手作り味噌を作ってみたい人は、仕上がり重量のだいたいの目安・・・
1kgとか2kgとかをお知らせいただければ、こちらで準備します。
市販の鶴の子大豆と乾燥麹になります。代金は当日清算で。
お手伝いいただいた方には、黒豆味噌500g程度差し上げます。
12/20 (月) 以外でも良いので、ご都合の良い日をお知らせください。
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2010年12月09日

20110124-0320 写真展 in 渋谷

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 関東地方の皆様お待たせしました。「ザイール・ヤ・バココ・第三の旅」写真展が開催されます。トーク・ショーも企画されておりますので、よろしければお運びください。


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20101209 せやからいうてるやんか

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 家庭教師のバイトを始めた。私は、人を教える立場に立った事があまりないのだが、教わる側から見て感じる事がある。それは、良い指導者というものは、指導される者の自立を目指すという事だ。

 たとえば私はドラムを教えた事がある。スティックの持ち方から始めて、素振りを十分する事によって、澄んだ音色を引き出せるように「手」をまず作る。しかしこれは大変つらくて実りの実感できない、苦しい作業だ。人差し指の内側に何度も血豆が出来てはつぶれ、親指の腹には激痛が走り、正しい持ち方が手になじむまでには相当な忍耐が必要である。「手」が出来て、音がきれいに出はじめると、あとは良い演奏をひたすら聴きまくって、ライブを見まくって、演奏者の手の使い方や手順を盗んでいけば良い。その時点で教える事などなくなる。あとは自分次第という訳だ。

 ところが巷のドラム教室ではどうしているかというと、「手」などは教えない。いきなりパターンの練習から入る。トレーニング用の、単純なものから複雑なものまで段階的に仕組まれた手順足順のパターンがあって、両手両足を機械のように動かす事を練習するのである。そのあと、実際の音楽に使われている様々なリズム・パターンを一から習得していく。もちろん最初はポピュラーなものから、後はラテンやアフリカなどエスニックなものまで、膨大なカリキュラムが用意されている。ある程度のシンプルなドラミングはすぐ出来るようになるので、効果を実感できる。しかし「手」が出来ていないうちは音がばたつき、バランスの制御も出来ない。慣れていくうちに「手」が出来てくる人は良い。しかし「癖」がついたまま出来上がっていく人も多く、プロの中にも汚い音を出す人が意外に多い。

 なぜこういうことになっているか、それは「お教室」というものが商売だからである。生徒に出て行ってもらわれたのではカネにならんから、本質的な事は絶対に教えないのである。そして世界中に無数にあるリズム・パターンをすべて習得し終えなければ、そこを卒業する事が出来ない仕組みになっている。ま、教えれる奴もおらんやろけどな・・・これに対して、私のところのレッスンはすぐ終わる。「手」を繰り返し教え、素振りをさせておいて、「出来るようになったら連絡してこい」といって突き放すからだ。これでたいてい来なくなる。だからちっとも儲からん。しかし本質的に、ドラムを「習おう」とする態度は、その時点でもうあかんのであって、だからカネを絞れるだけ絞ってやれば良いという考え方も成り立つ。しかし私にはそんな阿漕なマネは出来んので、教えるだけの事は教えて突き放してしまうのである。

 富山の八尾というところへ、「越中おわら節」の胡弓を習いに行っていた事がある。胡弓の名手といわれた故若林久義氏の孫、美智子師匠の家のシャッターを叩き、そこへ5年ほど通って「もうよろし、どこなと往て好きに弾かれ」と言うてもろうた。たしかその翌々年くらいに、メジャー・デビューしはった。その直前までは昇竜をあしらった柄の着物をふわりと纏って街を流し、その姿は美しいというより、恐ろしいまでの凄みがあった。いまはもう万人受けするマスコットに落ち着いたはるけど。この師匠もまた「手」に厳しくて、出来ん弟子はさっさと追い出すタイプでしたな。遠くから来たのに、「もう帰られ」言うて入れてももらえんと泣いたはるおっさんいてました。

 私は、地歌のお三味線も習ているのであるが、この師匠はもっと厳しい。三味線の持ち方構え方、撥の握り方、型、型、型・・・これをまず徹底的に仕込んでひたすら正座である。そのあと、伝統音楽であるから曲の習得にかかるのであるが、初めての曲をするときは、まず「私の弾くのんよう聞いときなさい」、次に「ほな一緒にやりましょ」、最後に「ひとりでやってみなさい」・・・出来る筈がない。「あんたアホやな」と言うて笑ておられる。しかしそのあと楽譜を一行ずつやる。前にやった型をちょっとでも間違えたら、その時点で撥が飛んでくる。「アホ !! 」二回同じところを間違えたら「もうよろしい。帰んなはれ」と言って、さっさと三味線を片付けてしまいはる。次のお稽古までに、やった事は絶対間違えないくらいまでに弾きこなしていかないと、今度は「あかん、もう来んでよろしい」と言われる。50の手習いとはよう言うたもので、もう毎週毎週が怖くて怖くてたまらん。それでも執念深く通っていると、「あんたしつこいな」というて、「私の弾くのんよう聞いときなさい」にもどる。ほいで「ほな一緒にやりましょ」、「ひとりでやってみなさい」、「あんたアホやな」、撥が飛んできて、「アホ !! 」、「もうよろしい。帰んなはれ」、「あかん、もう来んでよろしい」、「あんたしつこいな」。「私の弾くのんよう聞いときなさい」、「ほな一緒にやりましょ」、「ひとりでやってみなさい」、「あんたアホやな」、撥が飛んできて、「アホ !! 」、「もうよろしい。帰んなはれ」、「あかん、もう来んでよろしい」、「あんたしつこいな」・・・というやり取りを毎週繰り返して、もうかれこれ8年くらいになる。師匠が怖くなかったら芸なんて覚えられますかいな。

 「もう投げる撥もあらへんし壁も障子もズタズタやから、そろそろあんた免許とったらどうや」というから「そんなこともっぺん言うたらお師匠はん、わたし二度と来まへんで」というたら「強情やのう」「おたがいさまですわ」ちゅうてまた厳しいお稽古が続けられる。何故免許を拒んでいるのかというと、免許皆伝されたら人を教えんなんし人前でも演奏せんなん。私は自分が人前で演奏するのは、自分の気持ちを表現するとき以外には絶対にやらないと、心に頑に決めているからである。

 3回も撥を投げつければ大抵の弟子は縮み上がって来んようになるらしいが・・・あたりまえや・・・「おかげでウチには弟子が寄り付かんのや」と愚痴る我がお師匠さんは赤貧芋を洗うがごとぎ凄まじい生活をなさっているので、せめてお米や野菜だけでも私の作ったものをと毎度毎度お持ちしているのであるが、「これでご機嫌とろ思たかてあきまへんで」凹まねえばばあだぜ。それでも生活保護だけは絶対受けへん言うて頑張ったはるそのお姿を、私は心から尊敬しており、その気持ち故にお稽古を続ける事が出来、私は三味線を習う以上に、人の生き様を習うているのである。

 このように、物事を成し遂げるという事は、独りよがりで良いから明確なビジョンがあって、それに向かってなにがなんでも突き進むという堅い意志が必要である。それさえあれば、こまかい技術の習得など重要な問題ではない。そのかわりもがき苦しむような練習をせんならん。音楽の場合、「耳」と「手」を研ぎすましさえすれば、あとは先達の演奏がすべてを残してくれている。あとは自分を信じるしかない。こんなありがたいことが、ほかにおますかいな。

 さて、話を一般論に戻そう。人を導く、助ける、教える・・・まあなんでも良い、要するに人に人として何かを伝えようとする場合、伝えたあとの解釈は人それぞれである。人はそれぞれに解釈した上で、それぞれの判断で、右へ行ったり左へ行ったりする。それを、伝えたものがどうのこうのと言える事ではない。良い指導者というものは、原理原則を理にかなった方法できちんと教え、その習得を見届け、あるべき姿や目的地を明示した上で、弟子を突き放すものである。そのかわり、遠くからきちんと弟子を見守っている。そしてどうしても命に関わるほどの事態になれば、必ず手を差し伸べる。それが正しい指導者のあり方である。

 では、世にありがちな正しくない指導者とはいかなるものか。事実を教えず、厳しさから目を背け、甘い言葉と無責任な励ましや慰めで弟子の弱みに付け込み、それが異性であれば手にかけ尻を触り唇を吸い、都合が悪くなれば「鍛錬」と称して遠ざける。しかし根源的な悩みにはいっさい手を付けないので、やがて耐えきれなくなって弟子は師匠にすがりつく。それをまた楽しんでずるずると泥沼に弟子を引きずり込んでおいて、最後には「才能がない」と言い捨てて放り出す。カネと欲望を恣にする醜態は、土地の名士であろうと、教職に就くものであろうと、慈善事業者であろうと、宗教指導者であろうと、聖職者であろうと、何らかわることはない。

posted by jakiswede at 23:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月07日

20101207 キムチの本漬け

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 さて身辺を整理しなければならないので、加工食品その他、出来る事は年内に済ませておく。先日下漬けしたキムチの本漬け。でかい瓶に二つ入った白菜は水が揚がると上のように30センチのボウルに収まるほど嵩が減る。それに畑の人参・大根・韮を刻んで用意し、去年仕込んだ薬念醤で漬込んでいく。薬念醤作りは、いずれ年末頃やることになるであろう。

 

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 特に決まったやり方をしている訳ではない。大根や人参などを薬念醤で揉んでしんなりしたら、塩漬けの白菜に挟んで重ねて、瓶に漬込む。

 

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20101206 傍示

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 交野市に「傍示」という郷があって、そこには伊丹姓の家が5軒ある。伝説によると、現在のJR伊丹駅前に残る城址、伊丹有岡城が荒木村重によって落とされ、私の先祖は散り散りに逃げ、その一部が高槻を経てこの山かげに隠れ住んだという。私の本家は岡山県総社市にあって、ここにも逃れてきた伊丹家の末裔が多く住む。私は10年くらい前にこの集落の事を知り、毎年12月6日に行われる「融通念仏」に合わせてここの伊丹家の人たちがお集まりになるので、かってに岡山系伊丹家の末裔の一人として、その末席に連ならささせていただいておるのである。

 

 http://www.dainenbutsuji.com/ またえらい派手やなあ・・・

 

 この集落に八葉蓮華寺という無住の寺があって、そこに快慶作の国宝・阿弥陀如来立像が安置されている。これは秘仏であって、一年に一度、この日の法要のためにのみご開帳され、伊丹家の者しかその姿を見る事が許されぬ。法要は、上の写真のように鉦を叩きながら各家、すなわち「在所」を回って念仏をおさめ、最後に本堂へ参る。これを「ご回在」という。僧侶も回るのであるが、上の写真に見える三人目の男が、黒くて長い箱を運んでいる。これはご本尊を移した絵であって、昔は寺へ参られない人たちのために、山深い集落まで津々浦々を回ってこの絵を示し、人々に功徳を授けたという。そのような風習も今は廃れて、ここ傍示の里は原形をとどめる珍しい例となっている。

 

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 本堂はこの日以外は施錠されている。中は伊丹家の者しか見る事を許されぬゆえ、当然写真撮影も禁止されているので、絵がギリギリ見えない範囲で法要の様子のみお伝えする。この本堂の前に集落の集会所があって、集落の人たちはそこに集まっている。法要が終わると、真ん中の僧侶が集会所へ上がって、なんということはない法話をお聞かせくださり、いそいそと帰っていかれる。まあ寺にとってはあんまりありがたくない仕事である事がうかがえる。で、そのあと、久しぶりに顔を揃えた親戚縁者に、強烈な遠縁である私を交えての和やかな茶話会が、小一時間ほどあって散会。次の移住先になるこの集落での小春日和の一日であった。

 

 

 さて、本題とは関係ないが、行きしなに梅田の「Walty堂島」というクラシック音楽専門のCDショップへ寄ってみたら、なんと今年いっぱいで閉店、現在在庫処分半額セール中だという。目当てにしていたAlphaの509番、Daniel Brel: 4 Chemins de Melancolieもすでになく・・・というか、もうほとんど良いものは売れて在庫がなかった。うーむ・・・西日本にひとつあるかないかという専門店でも経営が成り立たぬとは・・・CDはほんまに売れんみたいやな。ここでしか手に入らんものも多かったし、ネットでの目的買いと違うたのしみがあったのに・・・

 
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20101203 キムチの下漬け

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 乾かした唐辛子を粉に挽いてからさらに干す。挽くと繊維が切られるので、その中の水分が表に出る。風が強いので室内の日向で。これは来シーズンのキムチ漬込み用。

 

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 夏野菜の畝を整理しつつ、こぼれ種から発芽して野生化した巨大な白菜を引っこ抜く。野生化したとはいえ、真ん中はこのように立派な巻き具合。

 

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 今シーズン最初にキムチ漬け。中の白い葉の部分を使う。白菜の15%の塩で下漬けする。私はまんべんなく作業する事が苦手であるので、このように1kgずつの固まりを作って、150gずつ塩を分けておく。2玉で都合3.5kg。

 

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 特に根元側にしっかり塩をすり込んで重ねて漬けていく。白菜の約2倍の重さの重石をする。

 

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2010年12月01日

20101201 畦シートを外す

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 畦シートを外す。田んぼでは、主にモグラが土手に穴をあけて田んぼの水が抜ける事を防ぐために、塩ビの波板のようなシートを土手に立てかけてから、その内側に畦塗りをするのである。その塗り畦の上に、畦豆といって大豆や小豆を植えるのであるが、ここ丹波では「丹波の黒豆」が放任栽培できるので、これを植えるのである。しかしこの品種は、黒豆としての収穫が12月頃になるので、それが済まないと塗り畦を撤去できず、畦シートも外せないのである。豆科の植物はかなり連作障害が大きいので、いくら畦を毎年塗り替えるとはいっても、一度畦に使った土は次のシーズンにはあまり使いたくない。そこでシャベルで畦シート際を掘って、その土はなるべく田んぼの真ん中の方へ飛ばす。ぐるりをやると、結構しんどい。

 

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 外した畦シート。土手には、畦シートにぶつかってモグラがシート沿いに走った形跡が、あちこちに見られる。

 

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 ようやくこれでほんまに今シーズンの重労働は終了。大根の試し掘り、今年もええ感じ。奇態な形の人参とともにけんちん汁に。カリフラワー、ブロッコリーは、白いサツマイモとともにホワイト・シチューに。

 

 Farminhos 12月の予定

12/13 (日) の週・丹波の黒豆の脱穀

12/20 (日) の週・黒豆味噌作り・醤油作り

12/27 (日) の週・キムチの漬込み

 だいたいこんな感じでやります。丹波の黒豆の脱穀の脱穀は、「唐箕」という明治時代の古い農機具を使って、黒豆の皮を取りゴミを除去する作業が感動的で、おすすめです。味噌作りは、大きなミンサーを動かしますので、この際持ち込み参加OKにします。市販の大豆と、同じ重量の乾燥麹と塩を御持ちいただければ、一緒に作業できますので、手軽に手作り味噌をお持ち帰りいただけます。もちろんお持ち込みの分に関しては無料。キムチの漬込みも、翌シーズン用のつけもと薬念醤作りから始めますので、ご興味のある方はお問い合わせください。なるべく出来るようにします。なお、いずれも出来ればお早めにお申し込みください。エントリーあり次第、日程を押さえて行きます。もちろん平日OK。エントリーなさそうな場合は、とっとと一人でやっちまいますので、その節は悪しからず・・・

 

 

 

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20101130 丹波の黒豆収穫・ソラマメとエンドウの植え付け

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 ソラマメとエンドウの植え付け。エンドウは春から柵を仕立てるので、支柱の寸法に合わせておく。

 

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 ソラマメの越冬は、小さすぎても大きすぎても上手くいかない。例年微妙なところで失敗するが、今年はええ感じ。

 

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 切り藁でマルチング、エンドウはさらに霜よけのため稲藁の先端部分をかぶせて支柱で支える。

 

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 丹波の黒豆を収穫。弾けて落ちるのでハンモックを仕立てる。

 

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20101126 冬野菜の観察

 

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 ブラジルの黒インゲンFeijao Preto、韓国とブータンの唐辛子の最終分を干す。

 

 

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 里芋の季節。里芋は株ごと抜かず、小芋にあたる部分を探りとってあとは残しておく。土で覆っておけば、春まで大丈夫。

 

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 冬の定番けんちん汁。大根・人参・しめじ・こんにゃく・うすあげのおすまし。

 

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 カリフラワーも、とってもとっても腋芽が出て花を咲かせる。

 

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 ブロッコリーも・・・ジャガイモの残りやカブ、白菜とあわせてホワイトシチューにしませう。

 

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posted by jakiswede at 00:20| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする