2012年01月27日

20110127 farminhos連絡

各位

2012/02/04-05 味噌作り・麦踏みを実施します。
私の方では、丹波の黒豆・鶴の子大豆・空豆を味噌に致しますが、
皆様方におかれましては、市販の大豆と市販の米麹を別途ご持参、
あるいはこちらで購入して実費精算させていただくものとして、
こちらにございます大型ミンサーにて味噌をする作業を共同で致したく思います。
味噌は、普通に作って普通に漬けておけば、市販のものより格段においしいものが出来ますので、
この機会に是非ご参加ください。
手作りの米麹も使いますので、出来れば一両日中に意思表示していただけると助かります。


2012/03/03-04 キムチ用薬念醤仕込み・イカナゴの釘煮
イワシ1kgを塩漬けにして1ヶ月が経ちますので、
キムチを漬け込む薬念醤を作ります。
餅米の粥とともにペースト状にし、唐辛子などの旨味材料を放り込んで仕込みます。
あわせて、解禁初期の細かいイカナゴを釘煮にします。



では、ご希望の方は、どうかお早めにご連絡ください。
今年もよろしくお願い申し上げます。





伊丹 正典

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2012年01月16日

20120116 Nothing can stop me

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 皆様寒中のお見舞いを申し上げます。旧年中は数限りない人たちにエロエロ・・・失礼、いろいろとお世話になり、光栄の行ったり来たりでもはやどちら様へも足を向けて寝られないので、逆立ちして毎晩就寝を致しておる次第でございます。新年に夢を見ました。前からよく見る類いの夢なのですが、恥ずかしい格好で恥ずかしい場所が衆目にさらされる夢です。多く見るのは、だいたい陰部や排泄に関わるもので、街なかでトイレを借りようと喫茶店に、あるいはホテルのロビーに、または公衆便所に入ったりするのですが、ドアを開けると大浴場になっていて多くの人が入浴していたり、レストランで和やかに食事されていたり、パーティーかコンサートのステージになっていたりして、その真ん中に便器があるのです。醒めていれば直ちにそこを辞するはずでありますが、夢の中で私は着ているものを降ろして排便を始めてしまう。当然音や匂いがするのだが、観衆はなぜか和やかにそれを見守っていて、私は恥ずかしさをこらえながらも用を足す・・・ときには猛烈に腹を下していて、大便が柔らかいのみならず、半透明な濃度の濃い粘液を大量に放出して、それを紙で拭こうとすると切れずに手や尻にべっとりと付いてしまって往生している、それを周りの人たちは普通に見ながら入浴や食事や談笑をしている・・・多分この類いの夢は、昔若い頃食品関係の仕事をしていた頃、よく地方都市の食品加工工場などに出張に行って商談したのですが、ホテル連泊の体調不良から商談の前後にトイレを借りることがあった。しかし漁港に面した建て増しの工場などは便所の設備もお粗末で、中には施設の迷路をたどりたどり行き着くことがある。行き着いた先で用を足そうとすると、天井の抜けたベニヤ板一枚の向こうが明らかに食堂か休憩室で、人が和やかに寛いでいる声が丸聞こえである。しかしこちらは切羽詰まっているので、彼らに聞こえないようにおそるおそる括約筋を緩めるのであるが、どんなに慎重に行っても若干の音は出るし、体調不良だから醗酵した悪臭も漂うのである。そしてその瞬間、和やかな話し声はぴたりと止まる・・・こんな経験が元になっているのかもしれませぬ。今回見たものは幾分おもむきが異なっていて、なぜか自分の陰部に手鉤でつけられたような痕がある。そこには何人もの男たちがいて、みんな同じだと言っている。彼らもそれを見せ合って「同じだ同じだ」と言っている。なぜかそれだけです。しかしよく考えてみると、私は男なのに、痕にはアレがない。周りにいた男たちにもみんななかったのです。この夢の源は、多分Rio de JaneiroのLapaで遊んでいるときに、夜更けに現れるプロのオカマですな。これがまあ男が望んでやるものなので女よりも女っぽい・・・歌舞伎の女形が現実の女性よりも、男性が望む理想的な女性像に近いのと同じで、それがエロエロ・・・失礼、いろいろと親しげに話しかけてくれるもんですから、そうとは知らないウブな日本人旅行者のボクちゃんは舞い上がるわけです。しかし現実にそんな女がいるはずはなく、突然その彼のアレの名残を突きつけられ、その形態を見て驚きげんなり意気消沈した経験が直接の源でありましょう。続いて見たと思われる夢は、うってかわって幸福なものでした。なぜか絶世の美女が現れて、私は彼女との結婚を迫られている。しかしいろいろ八釜しい条件があって、それは全部忘れてしまったのだけれど、「うるさいな、細かいことは一発ヤッてからや」と豪語してその場に臨む・・・まあ河内音頭と一緒で本番の前に必ず目が覚める訳ですが、このパターンの夢も頻繁に見ます。しかし早朝に硬直したアレの望みを叶えてやるのは非常に後始末がめんどくさいので、とりあえず二度寝を決め込むのですが、そんな朝は決まってエンジンのかかりが悪い。また先日見た夢にこんなものもありました。友人が寝ているのを私が見下ろしている。彼はなぜか、息子と一緒に寝たいから連れて来てくれという。その身振りから、息子は未だ子どものようなのですが、その友人の様子は病人ではなく、気がつくと非常に美しい顔立ちをしていて、髪がシルクのような金髪でまっすぐに流れているのです。それを時折かきあげる様子は、十分に性的なものでした。私は心の中で、息子ではなく私がその傍らに横たわりたいと思ったのでありますが、その夢もこの断片の記憶があるだけで、そこからの展開はない。これらの夢は、何を物語っておるのでありましょうか ?? 最後の夢は明らかに性倒錯の嗜好性を否定し得ないものでありますが、これはここで百姓仕事をしはじめてから、ヘドロや汗にまみれた暮らしになっていくのを、少しでも気分を和らげたいと思って花の香りを纏うことを覚えてしまったせいでもありましょうか。ブランドものの香水は、バブルの頃に買ったものが数本残っているのですが、それらは直截的に性欲を刺激するのでよろしくない。それとは全く異なる南フランス産の花の香りのエッセンスを偶然持ち合わせていたので、ほんの少しだけそれを使ってみたところ、皮膚や服に染み付いた土や汗の匂いが和らいで、気分が非常に清々しくなった。やがてそれが癖になって手放せなくなったのであります。まあ数千円で何年も持つのだから、こんな位の遊びはよいでしょう・・・しかし女性がそれを許してくれるはずはなく・・・・ほっといてくれやこのアホんだら・・・やはりつい最近見た夢で、女子サッカーの試合を見ている。誰かがゴールを挙げてハイタッチで喜んでいるのだが、彼女らは揃ってロング・ヘアの美女で、なんとビキニ姿である・・・こうなるともう、夢というか都合の良い妄想というか、思い出すだにばかばかしいのであるが、もちろんこれは満たされぬ性欲のはけ口が夢になって現れ、これを適切に処理しないことが何十年も積み重なっているから発生するものなのでありましょう。処理せぬままに放置すると鬱積し、更に放置すると夢が性欲を合理化して、やがて性行為そのものの夢を完成し、夢の中でその鬱憤が強制的に排出される・・・つまり夢精ですな・・・男というものは実に哀しい生き物であって、いくら歳をとってもこの呪縛からは逃れられない。これは知り合いの非常に徳の高い僧であるじぇんさんも断言しておられるので、安心して・・・いやいや・・・なお悪いことに、若いうちなら未だいいが歳をとって来ると、この呪縛から逃れる手段というものも限られて来る。自分で慰めて処理するのが最も手っ取り早いのだが、アホらしてやってられん。かといって若くて美しい娘が突然現れて私を救ってくれることなど、無論ありえない。もとからきちんと段階を踏んで、努力して積み上げて恋愛を成就させておれば、今頃こんな呪縛に苦しめられることなどなかったであろうに、そのかわり今まで好き放題に遊び呆けて来たのだから、これは当然の報いと心に言い聞かせつつも、いやちょっとだけ言わせてもらえれば、私も人並みに恋愛もしたし、まじめに人も愛したし、何人かとは口約束とは言いながら婚約もした。しかしそれらがただの一件も成就しなかったのは私に原因があるのであって、女性が求める何かが私には足りなかったからだ。それが何なのか、それが私には皆目分からない・・・というか、私にも原因はあるかもしれんが足りないものをお互いに補い合ってともに進んでいくという気持ちが相手にも足りなかったのでしょうな。正月から恨み言を並べてもしゃあないけどね、今まで私の出会った全ての女性がそうであったので私にとっては全ての女性がそうであると結論づけざるを得ない。もちろん世の中の全ての女性がそうだと言っている訳ではないよ。精神の弱い私には、もうこれ以上この問題を正面から解決しようという意図は持ちきれんので、年が替わったのを機に割り切ろうと思う。齢を重ねしっとりと熟れた人妻が最も適当なのであるが、こんな中途半端な田舎に引きこもってしまったのではエロエロ・・・失礼、いろいろと支障があってややこしいのでやめといたろ。都合のええことにこういう方面にも便利に性道徳の乱れきった今の世の中、なにも真剣に恋愛なんかせいでも多少生意気な言葉遣いと無知さえ我慢すれば、この苦しい呪縛から逃れる手だてなんかどないにでもなるのは実に有り難いことですわな。

 

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2012年01月15日

20120115 Rien ne peut m'arrêter

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 さて昨年の農作業を総括する。まず米作りであるが、コシヒカリは一昨年の200kgに対して昨年は120kg、赤米は前年同様30kg弱、新しく試した黒米とインディカ米がそれぞれ30kg強で、合計すると一昨年の230kgに対して昨年は210kg、20kg程度の減収であったが、これは古代米やインディカ米などを増やして多収品種のコシヒカリを減らしたことによるので自然減である。栽培結果としてはまずまずというところだ。赤米はごく少量を除いて、籾摺が出来ずに貯米庫で眠ったままであるが、他はいずれも大変美味い。特にインディカ米は、私のカレーやシチューの味を引き立てる名傍役になった。これを栽培している農家は数えるほどであり、3分搗きにして食する機会は他ではまずあり得ない。その素晴らしい味と食感は、かねてから日本料理に執着のない私をして、なおいっそう日本へのこだわりを捨てさせるに余りあるものである。アジアの西の方から美女が私を迎えにやってくれば・・・いやいや寝ごと言うとる場合やない。ふだんはコシヒカリに赤米と黒米を少しだけ混ぜて、3分搗きにして1:1の水加減でおいしく頂いている。他の米は食う気がしませんな。次は黒と赤を少し減らしてインディカを増やそう。コシヒカリの栽培経験は2回である。種を水に浸けたのが2010は04/25、2011は04/26、発芽したのが05/04-07である。手植えにするので5葉に育つまで待って、両年とも06/12に田植えをしている。黒も同じだが、稲刈りが1週間遅い。インディカは今年が初めてで、赤と同時の05/08に浸水したが、その後の成長は赤が著しく早く、インディカの発芽05/17に合わせて苗代の準備が出来た頃には、赤は根を巻くほどになってしまった。田んぼの準備に手こずって、田植えは6/27にずれ込んだが、その頃には、赤の苗が徒長し過ぎたのと、今年は梅雨入りが早かったのとで、苗の段階でいもち病が出た。田植え以降乾燥気味に管理したら、何ごともなく収穫までよく育ってくれたが、今後赤については種蒔きから田植えまでの期間を短縮すべきと考える。インディカについてはこの日程で良かろう。コシヒカリから遅れること2週間でインディカ、更に1週間空けて赤の種蒔きをしようと思う。また、今年はイナゴが大発生して私の田んぼでも多く見られたが、害を被るほどではなかった。雑草との闘いも、常に先手を打てたおかげで、さしたる苦労なく過ぎた。以上により、米作りについては大筋で申し分ない。野菜に関しては、いくつか問題点が浮上している。肥料というものを与えなくなって5年ほどになるので、流石に土が痩せて来ているのか、葉もの野菜の出来が悪く、特に白菜が結球しにくい。ブログに立派な白菜の姿が現れないのはそのためである。結球していれば鬼の首でも獲ったかのように撮りまくり書きたくる性格、都合の悪いことは書いてないのだ。ブログに出てこない野菜、ホウレンソウや小松菜、ししとうやピーマンについても、実は年を追うごとに敗色が濃くなっている。起死回生の策として取り組んだコンパニオン・プランツの考え方も、相方に発生した害虫が蔓延して全滅したりした。特に唐辛子系の食害が深刻で、韓国のシシトウとハラペーニョをコンゴの・・・いや今後の唐辛子のメインに据えたい私にとっては、冬の間の研究課題である。課題といえば、トマトも課題ではある。日本風の大きなトマトには興味がないので、基本的に料理に使える細長い小さな品種を育てているのだが、実がなってもすぐに破裂したり、十分に熟さなかったるする。手入れをおろそかにしていることが主な原因だろうが、あまり執着がなく、出来たものをおいしく食っているから進歩がない。ちょっと考え直そう。ナス科では、ジャガイモが申し分なくとれているので、今年は種芋の養生にも取り組んでいる。もし成功すれば、市場に出回っている薬剤処理された種芋を使うことがなくなるので安全性が高まる。豆類はほぼ上手くいった。特にソラマメはゴボウの冬越し株にアブラムシが寄せ付けられ本来餌食になるソラマメにはつかなかったことが幸いした。これは一種のコンパニオン・プランツと言えるだろう。エンドウ・インゲン・丹波の黒豆は放任でよく獲れ逆に栽培しやすいと言われている鶴の子大豆や落花生がコンパニオンの相方に発生した虫に食い尽くされた。あまり豆を増やしすぎると連作障害回避のための畝の使い回しに支障を来たして不利になるのだがやはりこれらは独立して育てるに限る。ウリ系についてはキュウリ・ニガウリ・緑白のボッキーニ・冬瓜については可もなく不可もなくといったところだがカボチャは予期せぬ品種が育ちスイカは大きくならなかった。夏の終わりに種蒔きする白菜と大根は毎年2週間ずつ蒔き時をずらして多収を図るのが常であったが結論としては8月の末が蒔き時である。だからそれまでに炎天下2畝の整地を終えておかなければならない。通常、冬越しした空豆やエンドウの跡地を充てるのであるがしみったれの私はその間隙を縫ってチンゲンサイでも食おうと欲を出すものだから首が回らなくなる。全体に栽培品種を減らして使い回し頻度を下げるべきであろう。大根は問題ないが白菜を勃起・・・失礼、大きくするにはやはりある程度の養分が必要でそれを堆肥だけでまかなうには少し足りないようだ。油粕などの日本の伝統的な肥料についてもう少し使い方を工夫してみる。その他の作物については特に問題を感じない。売れるほど立派なものを売るほど大量に作る気などさらさらないのでこれで結構だ。


 


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 こうして百姓のまねごとを始めて6年が経ち認知されてくるにつけ、私がどういう思いで農作業をしているかということについて話すことも多くなった。話しているうちに、だんだんと自分の気持ちの整理もついて来たので、この機に書き留めておきたい。私は農産物を出荷したり売ったりして生計を立てようとは思っていない。化学物質は使わず、最小限の動力機械で米や野菜を手作りして食する。ゆくゆくは機械の使用から脱する。手作り出来る範囲で収穫物を加工して保存する。ちょっとくらい売ってやっても良いが、基本的には自分で自分の食う物をまかなうために百姓をしている。自給自足のサイクルは既に達成しているので、そのサイクルにトライする人を増やすのが直近の目標。また昨秋にパン用小麦「ユメシホウ」と「ミナミノカオリ」の種を蒔いた。収穫された暁には、挽きたての小麦粉による手作りパンがメニューに加わるであろう。将来的にある程度コンスタントにトライ出来る人が増えれば、そのグループで食品や農作業をシェア出来るネットワークを作り、経済活動から自給的ライフスタイルへと比重を徐々に移したい。5年に1ぺんくらい海外旅行出来る程度の余裕を持てるようにもしたい。究極的には、全くものを買わなくて済む生活を目指し、それを広めることによって「脱・資本主義」的生活の可能性について模索する。現在の生活はそのための過渡期である。実際には現金収入をアルバイトその他で得なければ社会生活が成り立たない。昼は農作業、夕方からバイトの生活で、複数のバイトを掛け持ちしているため、休日はない。昨年の夏に、それまでの断片的なバイトが整理しきれないうちに近所での継続的なバイトが決まったため、早朝から深夜まで、食事も走りながら摂らねばならないほど、多忙を極めた時期があった。それから半年近くが経って地獄からはなんとか脱却したが、それでもほとんど休める時間がなく、農作業から解放されたのは、ようやく年を越してからであった。それほど働いても、どうにか貯金がプラスに転じる程度であり、余裕のない経済状態が続いている。心身ともに健康でフットワークの軽い私が、これだけ奔走してようやく糊口をしのげるというのが、百姓としてなんとか自立出来るギリギリの現実である。昨年中は、農作業もしながら詰め込めるだけバイトも詰め込んだという意味では、限界に挑み得たと言えるだろう。


 


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2012年01月14日

20110114 Nada ca me param

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 現在の現金収入の主たる源は、週5回スーパーの食品売場のバイトである。もともと食品業界に20年以上身を置いて来たので、チェーンストアの仕事はよくわかっている。面接してくれたのは、なんと10年前にそのチェーンを担当していた当時のバイヤーであった。履歴書もろくに目を通さずに一発採用となり、以来お世話になっている。時給は普通程度だが、いちいち仕事を探さなくても良いし、コンスタントに週5回あるので考える必要がない。楽である。仕事そのものは大変きつい。しかし、ものが売れていく現場にいると、いろいろと考えさせられることもある。こんなもん誰が買うねんと思うようなものや、これは使える人おらんやろなというものがよく売れたりする。魚に寄生虫がいるというだけで自宅に呼びつけて何時間も不平をまくしたてる客もあったり、売場を整理していると台所用品の棚の下から何日も前の魚のパックが出て来たり、インスタント・ラーメンの袋に紛れてアイスクリームが逆さになって溶けていたりする。ここは田舎と思っていたらとんでもない、都会に家を持てなかった人たちが手頃なマイホームを得る地域であり、都会よりもいびつに荒れた住宅街と、旧くからの農村が散在しているのである。さて、現在のチェーンストアというものは、アルバイトの隅々に至るまで労務管理が徹底されていて、作業手順が秒単位で管理されている。何時何分何秒から、カウンタークロスを100枚たたむのに何分何秒かかり、そこから何メートル奥の流しの下の・・・という具合に、17:30から21:30までの4時間は息つく間もない。もちろんタイムテーブルを見ながら仕事をしている訳ではなく、常にスロットル全開で突進し続けて4時間後にどこまで出来てるか、の世界であって、与えられた作業を完遂することはまず出来ない。つまり人員配置に対して作業量は常にオーバーしている、常に人手不足であるが会社に新たに人を雇う金がないので、常に不完全な体勢のまま店は走り続けている。厳しい毎日ではあるが、仕事仲間は全員ええ人たちなので、不満は全くない。それどころか楽しいし勉強になるので、ここを辞める気はない。次なる現金収入の源は、前々からの知り合いに紹介され、時々このブログにも紹介している「六甲山カフェ」である。毎週土・日・祝のみの営業で、3-4グループが交代でマスターを勤めるのだが、ここに「cafeminhos」という屋号で出店している。「カフェミーニョス」と読みます。これが出店以来お客さんが就いてなかなか不思議な展開を見せているのである。場所が登山口の滝の脇にあることから、街なかのカフェと違って、それだけでお客さんの嗜好性がフィルターにかけられており、私がここで米や野菜や加工品を売ったり、採れた野菜で料理したものをお出ししたり、自分で焼いたパンでモーニング・セットにしたりしていると、それをみて農業や食品の安全性、持続可能な暮らし方についての意識の高い人が多く訪ねてくるようになった。山そっちのけで一日ここで飲んだり食ったりする人も現れるほどで、これがなかなか助かるのです。農産物や加工品を買ってくれるから助かる、店の売上が収入になるから助かる・・・のも当然ありますが、やはりいろんな考えの人といろんな話が出来ることは、非常に有益であって、かなり突っ込んだ話にもなるし、山ガールのねーちゃんもようけ来るし、精神衛生と目の保養に大変よろしく、エロ・・・いや、いろんな意味で自分のひとりヨガリを修正出来る貴重な時間であります。もちろん、お出ししたものを美味いと言って食べてくれること、また食べたいとから来たと言って訪れるお客さん、こんな本格的なエスプレッソは日本では飲んだことがないと言ってくれたポルトガル人、付け合わせに出したキムチを何度もお代わりしてくれた韓国人、このクスクスはどこで覚えたのかと片言の日本語で訊ねて来た眉毛の繋がったトルコ人、チキンカレーとインディカ米に感激してくれたインド人など、みんな忘れ得ぬ歓びです。で、よく言われることは「もっと作ってくれ」「売ってくれ」という声であり、それはそれとして私を評価してくれたことを嬉しく思うのだが、ひとりで手作りしているので増産出来ない。だから「一緒に作りましょう」という声かけを始めて、やがてそのうちの何人かは私の田畑を見学に来られた。このようなことを積み重ねていくうちに、自給的生活も、やりようによっては可能であることが彼らにもわかり、身近に感じることによって、次第に溝も縮まると思うのです。「六甲山カフェ」も、私にとってはかけがえのない空間となりました。


 


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 http://yamacafe.jugem.jp/


 


 仕事の今ひとつは家庭教師である。時給が良いことと、経験を積めば評価が上がるというので、某有名家庭教師派遣会社に登録して、現在までに6人を担当し、うち3人が続いている。帰国子女だったり移民の子だったり父子家庭だったり発達障害だったり天才だったり野球少年だったりと、なかなかバラエティに富んでいて面白いのだが、一日に複数入ることは稀であるので、いくら時給が高くても時間数が少なくて金額が上がらないのと、経験を積んでいくら評価が上がっても需要がなければ安い仕事を請けざるを得ないのとで、あんまりカネにはならん。現在続いている3人のうち2人はこの春に受験が終わってさよならするので、そのままフェイド・アウトでしょうな。もうひとつ昼の仕事が時々入ってくるのであるが、G・・・失礼、iSpotという、これは淀屋橋のファッション・ビルの一室のお留守番の仕事で、ほーーーーんまにすることがない。したがって自分のパソコンを持ち込んで自分のし残した作業を徹底的にやることができる有り難いお仕事である。時給は安いし交通費も出ないのであるが、この条件に文句を言うたらバチが当たりますな。下のリンクを見ていただければわかるように、ここは最先端のファッション・ビルであって、しかも場所は大阪一のビジネス街の淀屋橋・・・ということは、闊歩しているねーちゃんも大阪一磨きのかかったおーえる・・・ということは東京に一歩譲るとして、日本で2番目に美女の多いエリアの最先端に半日座っていられるシアワセなバイトなのである。全く感心させられますな、ほんまに隙ひとつないほど磨き上げられた瑞々しい女が競うように歩いてる。しかし実際のこの一室の使われ方は、大部分は近隣の窓際族の昼寝場所であって、朝から晩までここにいて、ただうつらうつらしている人も多い。そんなに暇なら俺の農作業を手伝ってくれと言いたいが、まあそんな奴に限って使い物にはならんであろう。見ているだけでこっちの意気まで殺がれてしまいそうな気がするので、ひたすら自分の作業に没頭するのです。


 


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 http://www.odona.jp/shop/goods.html


 


 しかし楽しい仕事ばかりだった訳ではなく、この中途半端な田舎に低賃金の肉体労働しか見当たらなかった時期には、昔とった杵柄で家電量販店などを巡回して新製品の販促をしてくる半レギュラー的な仕事を入れたことがある。1件あたり作業見通し1時間で\1,500移動費込みの件数仕事であったので、そこらのボンクラが1時間かかるんやったらワシ15分でやったるさかい貸してみいちゅうたら、なんと◯マ△デンキほどの巨大量販店の該当カテゴリ全部を改装して来い、販促資材は直送してあるからバックヤードで捜せなどという無理難題を数十件送りつけてきよった。しかも完了写真を要求され、あのな、ち・・・ちょっと・・・と言うてる間もなくよーいどん !! なんとか店の担当者数人に泣きついて手伝ってもらって一店舗一日がかりへとへとになって写真とともに報告したら重箱の隅をつつくような不備を指摘されて手直しのために再訪店、私が携帯電話を持っていないので変更事項を連絡出来なかったなどと難癖を付けられて再々訪店と度重なりその\1,500をもらうのに3日がかり・・・いや経費全部自分もちやから遠い店では完全な持ち出しで、結局ほんの3万円そこそこの報酬を得るためにクソ忙しい夏場に一ヶ月近くを棒に振ったことがある。こんなもん携帯電話なんか持ってたら東京からうだくだと遠隔操作されて通話料金全部自分持ちてなことになりかねん。もとはといえば25年前に年功序列の護送船団お家最優先の宮仕えから飛び出して新しい働き方を提示し同志とともに立ち上げた販促会社がもとで全国に広がったフィー


ルド・サービス業がひとつの職業として確立したのであったが、例のコイズミカイカクでそれが「人材派遣業」に統合されやがて価格競争に巻き込まれて創造性はおろか仕事は個々の作業に分断されて作業単価が暴落したのんを横目に見つつ、そこから飛び出して百姓を始めたらもっとカネに困って舞い戻ってみたら居場所すらなくなってたったって感じやね。この20年ほどの間に隙間産業の隙間という隙間は埋め尽くされてぎちぎちになり、隙間ゆえにぬれ手で粟の商売だったはずが石組みの境目の砂をほじくり出して有難がるような始末、しかしこれがフィールド・サービス業界の現状と思い知らされた次第、厳しいというか全く非人間的殺人的な地獄である。二度と戻るまい。しかしこれが労働現場の現状である。


 まあね、エロエロ・・・失礼、いろいろあるけど、当分は何らかの現金収入を他で得て、農業を軸とした自給的生活を持続させていくしか道はないのであるが、そのなかでボチボチ自分の思うような向きに近づけていくこと、その枠組みは出来てるので、自分のこの蒲柳の身体で生きている間にどこまで夢に近づけるか・・・厳しい現実の中でいつまで持ちこたえられるか・・・スロットル全開で補給がいつまで持つか・・・全ては自分の体力と世界の経済情勢にかかっとるわけやね。


 


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2012年01月13日

20120113 Nada los ca me detienen

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 さて政治的なこと社会的なことは、ここではあんまり書かんようにしたいんやけど、やっぱり私も社会と繋がってる以上、年に一度くらいはそのスタンスを自分のために再確認しといた方がええかもしれん・・・まあ私は一時は文筆で身を立てようとさえ思った程である故、文章を書くトレーニングもしておかんければならんであろう。2011年は、1995年とともに、私にとって覚悟の年となった。地震があったから、津波が来たから、原発が事故を起こしたから、ということではない。人間が考えて作ったシステムなんて、自然のちょっとした身震いだけで、いとも簡単に崩れ去るものだということが再確認されただけのことだ。人間は科学を生み出して鉱物資源からエネルギーを取り出し、動物としての人間が得る以上の力を手に入れて楽に生活しているのであるが、遅かれ早かれこの状態は終焉する。地球上に人間がどんどん増えてこれを賄い切ることが出来なくなったとき、壮絶なエネルギーの争奪戦が起こって億単位の人間が地獄に堕ちる。やがて存続可能な安定数にまで淘汰されるかも知れないが、運良く生き延びた者にもノアの方舟は来ないし選民思想も絵に描いた餅であったことを知る。それがいったいいつ起こるのか、どのくらいの規模で起こるのかはわからない。私が都市生活を捨てて百姓に転向したからといって、これが幸せに結びつくとは毛頭考えていない。自給自足が最後に残るなんて寝言や。むしろエネルギーと食料の争奪戦のさなかで、丸腰の私は畑を荒らされ農具でめった打ちにされて用水路にでも投げ込まれるであろう。しかしそれも含めて、もしこの世に神がいるのなら、神が人類を許したもうなら、その安定数だけが生き残るかもしれないし、ケイソツな奴が赤いボタンを押して、本当に地球上の全ての生物を破滅させてしまうかもしれない。あるいは人類がもう少し賢明で「自然エネルギー」が無事利用出来る状態になって、より多くの人類が生きながらえるかもしれない。しかしその場合でも食料問題は解決されないままに残る。結局のところ、食べる者が自分の手で食料を作り出す以外に、持続可能な仕組みなど存在し得ないことは明白であるが、その生き残り当事者が誰なのか、残された人にそれが出来るのかはわからないのである。科学は、いっとき人類に希望を与えて可能性の広がりを示唆したが、科学とは人類のためだけにあるのではなくて、可能性のすべてを包括する。本当は、科学が示唆しているもののなかで人類に寄与する部分は、極めて限定的であるはずなのに、人類はそれを過大評価した。警鐘を鳴らす科学者は迫害を受け、予算を削られ、警鐘のための科学的探求の道は事実上閉ざされ、多くは社会的に抹殺された。そして数十年の後、いよいよ科学の限界が誰の目にも明らかに露呈した頃には、既に科学の有益性が社会の隅々にまで浸透して、それなしでは誰もどうにも動けないほどに組み上げられててしまっていた。だから人類は、科学の恩恵をすぐに捨てることが出来ない。冷静に考えてみれば、人類の全ての個人が、自分が動物として産み出しうる以上のエネルギーを使わなければ生活できない実態が、異常なことは先刻ご承知であるが、恩恵以外に科学が暗示している都合の悪い真実があまりにも膨大になりすぎて、もはやどこかへ投げやることくらいしか思い浮かばない。発想が逆である。どこかへ投げやられるべきは人類であって、環境問題に対する正しい答えはたったひとつ、いますぐ全人類が抜け駆けなしで全員自殺することである。しかしその前に、全人類がこれまでに作った全ての化学物質を無害化しなければならないし、自然に戻らない構造物の全てを自然に戻さなければならない。しかしこれは絶対に出来ないことである。出来ないことに封印をしたままで、いつか後の世代がこれを解決するという前提に立って、人類はとりあえず恩恵を受けることに邁進した。地球46億年の歴史を1年で見た場合、産業革命が起こったのは12月31日の23時59分58秒である。今までに人類が使った鉱物資源がどのくらいで、あとどのくらいあるかということは問題ではない。今までに人類が使った鉱物資源だけでも、それを元に戻すことなど不可能であることに目を向けるべきである。なぜなら23時間59分58秒かかって作り上げたられものを、その一部とはいえかなりの部分を、たった2秒で元に戻せるとは到底考えられないからである。人類が、たった今地球上から消え去ったとしても、地球に残されたその悪弊はとどまることがない。それを最小限に低減するには、物理的に生態系を分断してしまった構造物を撤去したり、これ以上新たな化学物質を生み出さないことしかあり得ないのであるが、現在そんな兆しも見られない。では私は破壊活動に身を委ねるべきなのか、それもひとつのあり方ではあるけれども、数十年前と違って科学は格段の進歩を遂げているので、私ごときにそれらを破壊するだけの手段がない。科学的に高度に発展した社会では、その「負」の存在しない世界を望む権利など認められていない。そこに生きる科学的知識に乏しい私のような愚か者に出来ることは、それが科学者たちにとって都合よくまとめ上げられた鉄壁の論理の前には空しく反射するだけであるとわかっていても、「きれいな海を返せ」などとシュプレヒ・コールをあげるくらいのことである。しかしそれでも思う。原発は即時廃炉にし、これ以上放射性物質を、特にプルトニウムを増やすべきではない。なぜなら放射性廃棄物の最終処分の方法が全く決まっていないからだ。多くの利権を生み出した様々な産業を支えて来たものは永続しない。だから生き残りたかったら、それを出来るだけ長持ちさせる方が、利権のためにも良いはずだ。これら全てを合わせても、科学によって変えられた自然を取り戻すことは出来ない。我々が今手にかけることができるのは、氷山の上の水分の結晶程度のものだろう。私 ?? 私は自殺することもできず、科学に身を捧げるだけの力も残されていないので、誠に卑怯なことに、自分だけが美味いものを食おうとして、日夜土をほじくっているのさ。


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2012年01月12日

20121112 لا شيء يمكن أن يمنعني

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 写真について・・・写真については、このブログでは未だ一度も書いたことがないのではなかろうか・・・しかし私は一時は写真で身を立てようとさえ思った程これにイレこんでいたことがある。もともと長年愛用している古いカメラで、モノクロ写真を作り続けていたのであるが、デジタル・カメラの便利さにかまけて、フィルム現像や暗室用品はここへ引っ越して来てから一度も使ったことがなく、すっかり埃を被っている。写真を撮るといっても、実際に使う機材は35mm判かブローニーまでであるので、大きなものや細密な作品は、基本的に作ることが出来ない。生活のことを何にも心配しなくても良いほどに裕福であるならば、8x10くらいのプラチナ・プリントに挑戦してみたいところであるが、今のような生活ではそんなことは夢にも出て来はしない。出てくるのは・・・まあええか・・・35mm判で撮影するとなると、その画面からいって、35mm・50mm・85mm程度の焦点距離のレンズを用いて数m先の対象物を近接撮影する静物写真、おもにポートレートや草花が対象になる。作風は、都市生活時代の長年の努力でほぼ確立されていて、私は個人的にそれを「selective focus」と名付けている。つまり絞りはほぼ開放かそれに近い状態にして、際立たせたい部分にのみピントを合わせ、前後は意図的にぼかす技法である。古いレンズを使うと、その設計如何によってレンズの癖が出て、作品におもむきを与える。その感覚としては、精緻・冷徹・混沌を孕んだものを良しとし、剃刀で切ったようにシャープなイメージを描画する事を目指している。とはいっても実際に作品作りができていないのではなにも言い得ないのであるが、少なくとも今シーズンこそは、仕事のない日を週に一回は作り、暗室作業に振り当てたいと思うのである。というのも、暗室作業では、機材を広げてセットし、薬品を出して安定化させるのと、これらを洗浄して乾かし片付けるためだけに、それぞれ1時間程度かかり、思ったようにプリントが仕上がるようになるには、最低でも連続8時間程度の暗闇が必要だからである。バイトなんかをしておったのでは、帰宅してすぐに広げたとしても、調子に乗って来た頃には夜明けが来てしまう。なんとも農業とは相容れないライフワークであることよのう。


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2012年01月11日

20120111 Ничто не может остановить меня

 

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http://mottosrecoads.com/


 


 音楽活動について・・・まあね、私は一時は音楽で身を立てようと・・・は思わんかったんやが、コンゴの音楽やアフリカの音楽を演奏して遊んでくれる人がいなくなったので、ブラジル音楽などをやってる人たちの邪魔ばっかりしている。2011/12/25にSalt & Uribossaの2枚目のフル・アルバム「約束の場所へ」が発売された。そのうちの何曲かに、私はパーカッションでお邪魔させていただいた。このブログでも何度か申し上げたと思うが、私は打楽器奏者でありながら、音楽にとって打楽器の役割は非常に抑制的である方が良い、あるいはその方が良い音楽というものが存在していて、むしろ私はそのような音楽と関わる、あるいは「関わらない」という関わり方をすることを好む。打楽器奏者がしゃしゃり出ていって全てをブチ壊してしまうことが巷に多いので、デリケートな音楽家の中には打楽器を排除しようとする動きが認められる。むべなるかな。さて今回の作品は、楽曲が非常に優れていて歌詞も良い。じっくり言葉が歌に乗って動き出し、展開される様子を聴いてほしいアルバムである。一応Bossa Novaを謳っているのでそれを踏襲するなら、おそらく日本語でオリジナルで歌われたBossa Novaとしては最高の作品であると思う。音楽というものは、もともと発せられた瞬間に消える儚いものであって二度と同じことは出来ない。だから優れた音楽というものは、その二度とない一生を輝かせるものであって元来ほかのどこにもないものであるはずである。優れた音楽家というものは、誰もやったことがないことをやるから優れているのであって、ただ物事をまねたり100点満点が決まっていて、そこへようよう辿り着いている程度では、聴くだけ時間の無駄、やるだけ地球の害というものである。似たようなテーマをどこかで聴いたような音色でだらだらと即興するのがジャズじゃないし、誰にも太刀打ち出来ないような技術ですべてをねじ伏せてしまうのがクラシックではない。良い腕を持っていながら開いた口の塞がらないような演奏が洪水のように垂れ流されていて気が変になりそうだ。そうじゃないだろ、まずあるべきは、ヤらずにはいられない腰から突き動かされるようなオリジナリティ、これをいまヤらなければ壊れて失われてしまうから、とにかく居ても立ってもいられないほどの独創性であって、そうして奏でられた結果それを聴く者がイけるかどうか、それのみが評価の基準である。誰かの演奏に近いかどうかとか、ましてや楽譜に忠実だったかどうかなんぞの議論はウンコや。さて、私はこのアルバムに最低限のシンブルなリズムを入れた。おそらく大半の人にとっては、パーカッションが入っていることすら意識されないであろう。質の高いオーディオ・セットかヘッド・フォンで聴かれれば、いつのまにか歌にまとわりついて楽曲を下支えしている鼓動にようやく気づくかも知れない。音楽に酔いしれている間に、気がついたら耳に唇が這い、指が触れるか触れないかのタッチで乳房をまさぐっているという風情だ。しかしその下からは、しっかりと愛のパルスが・・・知りませんよ奥さん・・・クセになっても・・・


 


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http://www4.kcn.ne.jp/~ortiz/ortiz.html


 


 もうひとつ、近年活動を共にさせていただいているグループがあって、それは日本を代表する古楽合奏団「Ortiz Consort」、2012/05/25に演奏会がある。今回のテーマは「シャッフル・コンソート」といって、各自の専門の楽器をメンバーの間で交換しながら演奏を進めていこうという実験である。中世からルネサンスの頃の器楽合奏音楽は、現代のように明確な楽譜が残されている訳ではなく、記譜法も確立していなかったので、伝承されている楽曲が、実際にどのように演奏されていたのかは明確でない。というよりも、おそらく一定のテーマなり展開、あるいは特定のメロディや空気に呼応して、持ち寄った楽器で繰り返し繰り返し演奏、あるいは変奏を楽しんでいたのではないかと思われる。どうにでも解釈出来るんやったら好きなようにやったらええやん、というグループももちろん存在する。しかし「Ortiz Consort」の偉大なところは、「なぜ伝承された楽譜にはそのように指定されているのか」ということを、一度立ち止まって考えようとする点にある。グループのメンバーはいずれ劣らぬ名演奏家の方々で、特にリーダーの坂本氏は、日本の古楽研究と演奏の草分け的存在「ダンスリー・ルネサンス合奏団」のオリジナル・メンバーであって、中世からルネサンス期の音楽についての考証学的研究の専門家であると同時に演奏家である。西洋音楽は、古くは主にカトリックの典礼音楽として栄えていったものであるが、ほぼ同時に世俗音楽も存在し、歌曲ばかりでなく合奏曲も多く作られている。合奏の多くは踊りの伴奏であって、舞曲の形によって呼び名がつけられて来た。よく知られているものに「Pavane」と「Gaillard」があって、これは言葉によって呼び方が違うけれども、15世紀頃に主にフランスで普及したものである。前者がゆったりとした、後者が早いダンス音楽であった。しかしダンスというものは時代によって流行り廃りがあって、16世紀頃には「Allemande」と「Courante」という新しい流行に取って代わられた。追いやられた「Pavane」と「Gaillard」は、ダンスの伴奏としては時代遅れとなったが、より音楽的な合奏に重きを置いたものへと成熟していく。だから例えば17世紀に作曲されたバロック音楽にも現れる「Pavane」と「Gaillard」の展開が、踊りへの予感を彷彿とさせながらも踊りへと燃え上がらず、抑制された音の重なり合いのうねりの中へと伸びていくのは当然であって、それこそが音楽の豊かさ、醍醐味、深みである。楽譜には「Pavane」と「Gaillard」の古き形式が踏襲されていて、ある部分から別の部分への展開の間に次を予感させる一種の緊張感がみなぎる。普通の舞曲であれば、展開後は派手に盛り上げてみんな楽しく踊って満足するはずなのだが、この時代のものはそうではなくて、もう一度テーマに立ち戻っても重ねられた音の組み合わせが変わり、よりいっそう重層的、あるいは和声的、時にはポリフォニックに展開していく。こうして演奏された音を聞くとき、そこには安易に展開された素朴さとは違って、慎重に重ねられた別次元の音の興奮、特にポリフォニックな展開にあっては同時に別々に始まっては繰り返される異なるメロディが、別々の生き物でありながら目の前で絡み合いながら一体的に進んでいくような、生きた音楽の鼓動を聴くのである。ポリフォニックとは、和音がコードの展開ではなく、複数の独立した単旋律の重ね合わせ、多くの場合ずらして重ねられる、後のフーガの技法に通じるものである。こうして技巧的な傾向が何百年にもわたって積み重ねられ、現在に伝承されていることが、クラシック音楽の良さであって、ただひとりの演奏家の即興の価値とは対極にあるものと言えるだろう。どちらが良いと言っているのではない。さて、当時の音楽が研究された結果、現在多くの楽譜となって伝えられているのであるが、合奏曲の場合、いくつもの「声部」に別れていて、平たく言えばアルト・テナー・バスなどの音域に別れていて、それぞれに専門とする演奏家がいるのである。しかし今回の試みは、それをシャッフルしてみようということ、なぜならおそらくこれらが演奏された頃には、こうした音楽的遊びも行われていたであろうからである。これはおそらく、少なくとも日本では初めての試みであって、なおかつこれを敢えて舞曲として成立させるために、打楽器奏者として私が呼ばれたという訳である。今回は、和声に重きが移りがちな音楽に、舞曲としての躍動感を与えるのが役割であるので、かなり自由に演奏することができる。先日の練習では、とりあえずサイド・ドラムひとつでどこまで多彩な表情を出すことができるかという試みであった。このグループには、このようにアカデミズムにあぐらをかいたりそれを振り回したりするような、鼻持ちならないクラシック臭さが微塵もない。そればかりか、どこの馬の骨とも知れぬ私を拾い上げて、高度な音楽境域を通過して来た自分たちと同等に並べてくださり、このように合奏しよう、そして演奏会に出ようと誘ってくださるのである。ミュージシャンにとってこれ以上の歓びが望めるだろうか ??

 
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2012年01月10日

20120110 farminhos

各位

寒中のお見舞いを申し上げます。
2月よりfarminhosの活動を再開しようかなと思います。
まずは昨年希望者がいなかったので中止した味噌作り、
これを2月初旬の希望者の多いときにやりましょう。
私の方では、丹波の黒豆・鶴の子大豆・空豆を味噌に致しますが、
皆様方におかれましては、市販の大豆と市販の米麹を別途ご持参、
あるいはこちらで購入して実費精算させていただくものとして、
こちらにございます大型ミンサーにて味噌をする作業を共同で致したく思います。
味噌は、普通に作って普通に漬けておけば、市販のものより格段においしいものが出来ますので、
この機会に是非ご参加ください。
手作りの米麹も使いますので、出来れば一週間以上前に意思表示していただけると助かります。


また昨日、イワシ1kgを塩漬けにしました。
キムチを漬け込む薬念醤のもとになるものです。
これを1ヶ月漬けておいて、餅米の粥とともにペースト状にし、ベースといたします。
ですので、2月の中旬以降の、これも希望者の多いときに薬念醤作りをやりましょう。



では、ご希望の方は、どうかお早めにご連絡ください。
今年もよろしくお願い申し上げます。





伊丹 正典
Itami Masanori
please reply to: jakiswede@mac.com

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