2012年09月30日
2012年09月29日
20120920 巨大冬瓜
ううむ・・・堆肥置き場の陰から急成長した冬瓜が、またもや実をつけ・・・たどころか、もうこんなに。慎重に種まきして育苗して定植して柵まで仕立てて丹精込めて愛ちゃんよ愛ちゃんよ愛ちゃんよと育ててきた冬瓜は一つの実を結ぶこともなくついえてしまったというのに、勝手に生えてきて軒先を貸してやったがつけあがりよってデカけりゃええちゅうもんとちゃうんやぞコラわかっとんのか・・・いやいや恨み言は言うまい。アラーの神が今年私が冬瓜を食べられぬ事態になってはかわいそうだと哀れんでお恵み遊ばしたものであろう。ありがたくちょうだいつかまつり、大切に育てて参る。このように植物というものは、ままならず、また不思議に満ちておるものよのう・・・
2012年09月25日
20120912 季節は秋へ・・・
鶴の子大豆が弾けはじめた。
育苗してきた元気な白菜を定植する。
一方、お隣の田んぼでは稲刈り終了。上流側にあたる私の田んぼの部分だけ、下のこの田んぼに水がしみ出し、雑草まで出張している様子がよくわかる。コンバイン刈り取りであるので、左奥のプレハブでは、既に籾摺機がうなりを上げている。窓から突き出した仮設のダクトから籾殻が排出され、早ければ今夜の食卓に新米が上ることだろう。
私の田んぼを下流側から見る。赤米の穂は、今が最も美しい時期。次の風雨で全体が倒されるであろう。そのまえに格子に柵を組んで予防策を講じる。丹波の黒豆もやがて実を結びはじめ、収穫の秋、今シーズンの終了が見えてきた。
中生と晩稲を分ける一枚の板、この方法が簡単で有効である。
赤米の脇で生長した稗、赤米の影響か、野毛がほんのりと赤い。
2012年09月24日
20120926 que romatchinco
Caorinho藤原 e 浪速のCaetano・マルタニカズのスーパーゴールデンデラックスお二人様ライヴ第二弾
「荒野の二人Vol.2」@Chove Chuva
Sentimient 溢れる二人のおじさん・による演歌Bossaと脱国境音楽の競演。
もう秋ですね。
暑さ寒さも・・・・と云うように秋のお彼岸です。空気が完全に入れ替わった感があります。Sentimient高まってきてる。
このHome&Away方式・・・同じメンツで2回のライヴ。
かおるちゃんもマルタニも曲を変え手を変え品を変えとなることでしょう。期待してください。
おそらく「お満月=中秋の名月」もその頃なのでは?「Que Romantico(ケ ホマンチコ)=なんてロマンチックなんだろう」そんな一夜をおれたちと過ごしましょう。
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19:00Open/19:30Start
Chove Chovaは靭公園のすぐ北の東西に走る通り(京町堀)の中ほどジ・アースカフェの2Fです。
2012年09月21日
20120913 carina forever
稲刈りの段取りが終わって昼間の猛暑も幾分穏やかになるにつれ、やり残したことを片付ける根気がわいてきた。まずは長年腐食するに任せてしまった愛車のぼろぼろをなんとかしよう。これじゃ美しい星の名前が泣くぜまったく・・・
あーあ、木工用のパテで応急的に詰め物・・・してもあかんかったよね、あたりまえよね・・・
あらら前も・・・
とりあえず補修部分の汚れを落としてサンダーかけて、金属用エポキシ・パテを練って練って詰め込んで、さらにサンダーかけてバリを落として、違和感のない (??) 程度に均して・・・とはいっても所詮素人のやること、ましてや均一に満遍なくが大の苦手の私のやること故、これが限界。こんなもんプロに頼んだらなんぼかかるか・・・
2012年09月20日
20120914 秋の味覚
毎年サツマイモの蔓を飾ることにしている。伸びやかで繊細で、この上なく美しい。
いよいよ大好物の秋刀魚も脂が乗ってきた。夏野菜も最後の力を振り絞るようにして実って来る。私も力を振り絞って、とことん喰らいつくしてやる。
20120917 我々は「六甲山カフェ」
我々は「六甲山カフェ」です。それだけなのに保健所や警察に何度も通報され、「大谷茶屋」のおでん販売のお手伝いという位置づけとなり、それに関して我々がどう対処するかが問われた夏だったと思います。私は、個人的には犯人探しは不毛との考えに立ち、我々は「六甲山カフェ」であるという希望を全員が明確に共有することによって、「六甲山カフェ」が何であるかを明確に提示することが解決につながると考えました。訳の分からん新参ものが「大谷茶屋」の軒先を借りて好き勝手やっとると思われたので、苦情が出たのではないかという判断です。だから、我々がどのような人間で、なぜここでこのような希望を持っているのかというビジョン、その具体化としての店作りやサービス、メニュー内容、伝統ある「大谷茶屋」でカフェを運営する意義などを、より明確に伝えることこそが「大谷茶屋」の存続のみならず、あの場所が末永く後世に引き継がれて行くための最良の手段という結論に達しました。そのために、まずは「大谷茶屋」と「高座の滝」と「六甲山カフェ」に関するシンプルなホームページを制作すること、「六甲山カフェ」に関する部分では、我々の希望する「山カフェプロジェクト」を明確に提示すること、次いであの場所に関わるあらゆる人たちの協力を得て「大谷茶屋」と「高座の滝」に関する資料を収集して同じホームページに残すことを目指します。そしてこれらをきちんと整えた上で、次のような文書を添えて保健所に正面から直談判に行く計画をもっています。すなわち「六甲山カフェ」の部分では、食品衛生法上「大谷茶屋」に許可された品目以外は絶対に販売しないこと、「六甲山カフェ」は屋号ではなく洞窟部分の便宜上の呼称であること、「山カフェ」・「ATEYA」・「どいぱん」・「cafeminhos」・「ROCKCAFE」等は「マスター」名ではなく担当者のニック・ネームであること、「六甲山カフェ」は明確に「大谷茶屋」の一部であり、世代を越えて受け入れられてこそ「あの場所」の歴史的な意義も継承されると結論づける文書をです。ところが私には最後の部分すなわち、我々が「六甲山カフェ」を運営することによって、保健所が廃止に追い込みたいと思っている「大谷茶屋」を存続させることを通じて、実はそれがもっと大きな価値につながっていると主張する根拠があやふやだったのです。そこを上手く衝かないと、結局保健所は物事を狭義に狭義に解釈して提案は破棄され、我々はまたぞろ「大谷茶屋」のおでん販売のお手伝いということになってしまう。しかし我々は「六甲山カフェ」でありたい。私は登山家ではなく、厳密には山の愛好家でさえないかもしれない。私は、六甲山の北麓に広がる田園地帯で農業を始めたばかりの、元都会人です。だから私が「六甲山カフェ」をやる意義は、自分の作った米や野菜を料理として提供して、そのおいしさを感じてもらうことによって、都市生活に農業を取り入れてもらいたい、その意義を共有できる人を増やすことによって、持続可能なライフ・スタイルを目指していきたいということです。各「マスター」それぞれにやる意義は異なると思いますが、価値観の多様性が内包されていることは豊かさにつながります。その多様性が散在するのではなく、「アルピニズム」という明確なコンセプトのもとに集約できるという視点を与えてくれた人がありました。山を愛する人、山に興味を抱きはじめた人は、当然、都会にない異種のものを求めて山に入る訳で、単に山に登るという征服欲のためではなく、生活の豊かさを求めてのことであることには間違いない。その実現を何に求めるかは人それぞれであって、たとえば私はそのうちの「食」の部分を提案しているということで有機的につながりうる、すなわち「もっと大きな価値につながっていると主張する根拠」になりうることを彼は教えてくれたのです。農閑期になれば、私は我々の「六甲山カフェ」を「大谷茶屋」の場で再興する計画を、実行に移したいと思います。
2012年09月19日
20120922-23 cafeminhos
定番メニュー (10:00-16:00)
おでん \100
ブレンドコーヒー (上り/下り) \350
ハーブティー (上り/下り) \400
ワイン (赤/白) \500/ glass, \2,500/ bottle
スパークリング・ワインはボトル販売のみです。
ウィスキー (バーボン/アイリッシュ) \500/ glass
焼酎 \500/ glass
2012/09/22-23 の日替メニュー・・・なんのこっちゃ ??
ランチ (11:00-15:00)
まかないタイカレー \500/ \300 (half portion)
fわりとフツーのチキンカレー \500
f赤と緑のアフリカン・シチュー \500
f自家製黒インゲンと腸詰豚肉のフェイジョアーダ \500
おでんセット (おでん3品 + ごはん) \500
f印のメニューはインディカ・ライスか自家製パンを選べます。
カフェ (10:00-16:00)
caffè espresso \200
caffè macchiato \200
caffè latte \400
affogato al caffè \400
シルクロードの香茶各種 \350〜 /pot
その他 (10:00-16:00)
ATE \100〜
チーズ \100〜
地ビール \500〜
地酒 \300〜
f揚げたて新じゃがフライ \200
f白ズッキーニの竜田揚げ \200
f初物 !! 朝採り丹波の黒枝豆の塩ゆで \200
f在庫処分 2011年産コシヒカリ玄米 \500/kg
f在庫処分 2011年産赤米 \1,000/kg
f在庫処分 2011年産黒米 \1,500/kg (上記3品いずれも農薬・化学肥料不使用、天日乾燥の手作り米、出来ればご予約ください。)
上記メニューのうち「f」マークのついたものは、自家製野菜を主に使っています。六甲山の芦屋ロックガーデン登山口にある「高座の滝」が目印・・・
http://www.mapion.co.jp/m/34.7424313888889_135.291656388889_8/
営業日: 土・日・祝 (ただし雨天の場合閉店の可能性あり)
彼岸花が咲けば、間もなくキンモクセイの香る季節・・・
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2012年09月17日
2012年09月15日
20120310 Фуркат отель
サマルカンドは、私にとって中央アジアの憧憬の地であった。何がどのように憧憬の地であったかということは、大変長くなるのでまたの機会に譲るとして、到着したのが夕刻であったのと、空気が大変冷たくて凍えそうなほどであったので、とりあえず最も有名な「レギスタン広場」だけを垣間みて寒さのあまりようやく見つけたレストランに暖を求めたのであった。なんせ通りがだだっ広くて建物が物々しくてなあーんもないんよね、ちっとも親しみやすくない。一日中窮屈なシェア・タクシーに揺られていたので疲れてもいたのだが、広場の前のメイン・ストリートに煌煌と明かりを灯してるレストランが、外国人観光客向けでない訳がないのは百も承知の上だったが、とにかく気が挫けそうになるほど寒かったので入ってしまった。これでもね、今回の旅行中でわりとまともな食事だったんよね。手前の丼に入ってるのが「ラグマン」といって、ウイグル由来の料理らしいのだが、要するに「ラーメン」である。これをメイン・ディッシュにしてヨーグルトや山菜のお浸しやナムルのようなものを選んで、ナンにチャイという「フル・コース」・・・これで2人前でUSD10くらいだった。てせもこれはここの庶民感覚からすると高いんよね。しかも、ウズベキスタンを代表する料理の一つとして名前の挙がる「ラグマン」・・・確かに具沢山でスープとしては美味い。ナンがもう少し美味ければある程度許せるのだが、中に入ってる麺があかん。私は常に箸を持参して旅行を致すので良かったのだが、これをスプーンでどやって食えちゅうねん。麺はくたくたで掴むとすぐ切れるし、ただの小麦粉のぼんやりした長いものでしかなくて「腰」という感覚がない。クノールのインスタント・スープに入ってるアルファベット・マカロニよりもあかんかったね。次に期待しょーか。
で、宿泊したFurkat Hotelの朝食がこれである。数種類の「ナン」というかパンと、スモモのシロップ付けのようなものとフルーツである。これにチャイが通常つくのだが、もう甘味攻めに嫌気がさしてきたのでコーヒーを頼んでおいた。むろんインスタントしかないので、ネスカフェと湯を持って来るのであるが、それとてこの国ではほとんど期待できない。コーヒーを飲むという習慣がなさそうだ。しかも、そういうイレギュラーなことを頼むと、それだけがとんでもなく遅くて、しかもぬるま湯だったりするので、ま、貧乏旅行やしあんまりごちゃごちゃ言わんようにしょーか。参考までにホテルの紹介記事のリンクを貼っておこう。
http://www.uzbek-travel.com/component/hotels/hotel/148.html
さてこのFurkat Hotelには、屋上に展望テラスというものがあって、それはこの長い閉鎖的な状況を耐え忍んできた国にあっては珍しいものなのだが、もともとラテン的な気性の激しい私としては、インターネットによる事前調査でめざとくこれを見つけ、宿泊希望候補に挙げていたのであった。しかし、この朝はどんよりと曇り、ご覧の通りの積雪とややもすると吹雪で、とても観光に出かけようという気がおこらない。テラスにも雪が積もっていて、腰掛け類すすらなく、全くリラックスできずに降りてきてしまった。
雪化粧のレギスタン広場を背後から遠望するのもまた、いと寒々し。
2012年09月14日
2012年09月13日
20120909 菊の節句
一方、こちらは私の畑の現状である。主要な畝が12本、これを2本ずつ6グループに分けて使い回している。西側から1-12の番号で呼んでいる。ここは5月までイチゴが植わっていた2畝で、秋から麦をまく予定である。1には苗とり用に株を数株養生してある。2畝とも、除草と鋤込みを繰り返して土作りをしながら種まきを待っている。
そのイチゴであるが、まだ暑いのであまり子づくりをする気になれないらしく、例年より子株は少ない。
3-4はウリ科である。3の手前はニガウリ、奥がカボチャ・バターナッツ・ズッキーニ、4の手前はキュウリ、奥は3の奥の蔓の伸び代である。
ニガウリはまだ結実を見ていないので、自家製の麹醗酵肥料を薄めたやつなどを与えて様子を見ている。キュウリは息も長くぼちぼち出来てくれているので助かる。生で食べきれなくなればキムチにつけている。
こちらでもトルコ原産の白ズッキーニが健在、秋からまた採れはじめるであろう。
一方、元気がないのが普通の緑のズッキーニで、蔓は伸びて来るものの雄花ばかりで結実は稀。この実も太るかどうか・・・
5-6はナス科、5はトマト・唐辛子類・ナスが植わっていて、6はジャガイモの跡地。現在大根の種まきを実施中。
5のトマトに元気がなく、辛うじて一番右のプチトマトが収穫できるのみ。トマトは苦手や。
ピリピリに花が咲いた。収穫が出来ないまでも、種だけは採りたい。
韓国のシシトウ。ようやくそれらしい姿に育ってきた。
こちらはブータンのシシトウ。赤くなりはじめている。
ナスはどんどん出来ている。ほぼ毎日焼きナスが食える。
6のジャガイモの跡地に蒔いた大根、7タマネギの跡地に蒔いた日常野菜が芽生えはじめている。
強烈な直射日光をさけるため、雑草を刈ってマルチングしてある。種はその下で芽生え、それを押し分けて伸びる。枯れ草をどけてみると、なかは大変な蒸し暑さである。これが幼い芽にとって良いのか悪いのか、注意深く観察を続ける。
7のオクラも極めて元気で、毎日10本程度は収穫できる。
8-9はサツマイモ、このように葉の海になってしまい雑草の生える隙もない。
10-11はマメ科、10は各種インゲン、11は手前が小豆で奥が大豆。これらは、株元に刈った雑草をかぶせることで雑草の抑制に効果が出ている。
黒インゲンは、夏の収穫期が一旦終わり、新たに秋の収穫期に入っている。
夏蒔きの白インゲン「たなばたまめ」が成長して一部開花している。
小豆も開花。
鶴の子大豆は枝豆としての最盛期。
12はソラマメの跡地で、次は現在ポットで育苗中の白菜を植える。除草と中耕を繰り返し、現在ひょうたんのこぼれ種が自然発芽している。
番外としてハーブのコーナーがある。手前左手より、発芽を待つ秋蒔きコリアンダー・採り忘れ里芋の自然発芽・オレガノ・バジル・レモングラス、奥はネギ・アスパラ・ベルガモット・さらにバジル。
バジルは既に2回収穫して切り戻してあるが、腋芽がさらに伸びて葉が茂っている。あと4回ほどはまとめて収穫できそうな勢いである。
オレガノも茂っている。トマト料理などをしたときに重宝する。
レモングラスはハーブティーに。
ベルガモットもハーブティーや夏野菜のパスタに使う。
田植えのときに余った赤米の苗を植えておいたら、短いながらも成長して赤い穂が出た。
コシヒカリは登熟段階、重く穂が垂れている。
同じ水管理の黒米は、しかしコシヒカリより幾分状態が遅い。
インディカと赤米はほぼ全体が出穂した。
2012年09月12日
20120915-17 稲刈り
20120909 菊の節句
farminhos新畑の観察。畝番号で示す。1-3、旧ナス科の跡地、1と2は日にちをあけて大根の種まきを進行中。3はナス科の夏野菜が成育中。1-3は、今秋からソラマメとエンドウを植え、隣接畝には続けて来春から大豆・小豆・インゲンを植える畝回しである。
草丈は春の苗のような大きさだが、ようやくピーマン結実。
ナスも結実。
トマトは完全に黙りこくってしまった。なかには一つも実をつけなかったものもある。成長も止まったままである。肥料分が足りないのであろうか。
4-6、穀類、4はタカキビ・5はアマランサス・6は空き。タカキビとアマランサスは、結実しはじめてから顔色も良くて元気そうだったのだが、猛暑のなかでやがて色を失い、登熟期には虫食いが目立つようになった。初めての取り組みなので、情報を調べつつ経過を観察する。1-6の6畝で1グループとして畝回しをして行く。マメ科のように多く栽培するものに関しては、6畝中4畝を使うこともあり得るが、基本的には、連作障害の強い品種を3畝に、弱いものを残り3畝に栽培して緩衝地帯を挟みつつ、3畝ずつずらして行って6年で1周期となるようにする計画である。
畝が空けば、この畑では基本的に緑肥の考え方でもって刈った草をそのまま土に鋤込んで行って作る。ここは現在ポットで育苗中の白菜を植える。
7-9はウリ科、7はカボチャとバターナッツ、8は手前がキュウリで奥がズッキーニ、9は手前がニガウリで奥がズッキーニの伸びしろ。この部分は、近いうちに除草が必要である。7-12の6畝も一塊で、来シーズンはナス科が来る。
野菜として売られていたバターナッツを食した後の種をまいたものだが、未熟な種だったのか、実を付けても成長しないままに蔓が枯れる。
ほとんど肥料分のない畑であるので、キュウリも葉が茂らず、実も疎らである。しかし通常は一人暮らしであるので、ぼちぼち収穫できてよい。味はこの上なく美味い。
ニガウリもしかり、ただし実は養分のある畑のものよりも格段に小さい。こちらも味はしっかりと苦い。
ズッキーニの部分では、猛暑のさなかにはほとんど収穫がなかったが、秋風が吹きはじめて再び実を付けるようになった。写真は、トルコ原産の白ズッキーニ。これがまた美味い。
10-12はアブラナ科の日常野菜、10と11は時期をずらして同じものを種まきした。12の手前はオクラ、奥は空き。
10の手前側では、べんり菜が食べごろを迎えている。
写真手前が11、奥が12番畝である。単に蒔き時をずらせただけだが、11は猛暑の前に成長したので枯れたものはなく、12は成長する前に猛暑が来たのでレタス以外に生き残ったものはない。
12の手前側のオクラ、非常に元気で毎日オクラ納豆をして食べている。
13-15はマメ科である。13は各種インゲン、14は大豆と小豆、15は大豆と丹波の黒豆。
13のインゲンのうち元気なものはブラジルのフェイジョアーダ用黒インゲン、ほかにアメリカの白・南米の茶・コンゴの緑のインゲンを栽培しているが、種を採集できた程度。
14の小豆、黄色い花が咲き、一部は結実している。全体に葉が多すぎるように思われる。
14-15の鶴の子大豆は、枝豆としての旬を迎えている。丹波の黒豆は開花。
16-17サツマイモ、18空き。下の写真は番外の里芋。
2012年09月11日
20120907 白露
白露、朝晩はさすがに涼しくなったけれども、真昼の猛暑は焼け付くようで、午後にはこのように方々から積乱雲が立ち上がるのである。こちらへ来てほしいときにはちっとも来ないくせに、まとまった作業をしている最中に限って邪魔をしに来る。
畑の除草や夏野菜の整理、冬野菜の種まきなどは一通り終えて、畦の草刈りをすませた。畦マメを植えているので、その株間は手刈りをするのが結構キツい。畦の丹波の黒豆は、ご覧のように絶好調。コシヒカリは種まきの遅れが響いて8/06出穂となったため9/26以降の稲刈りである。周囲より例年より約1週間程度遅くなる。
インディカと赤米は、さらにひと月遅れの10/26以降の稲刈りである。麦の種まきは、この場合稲刈り前の田んぼに行うそうである。いろいろ試してみまっさ。
2012年09月10日
2012年09月09日
20120309 Карщи-Самарканд
Boysun Crafts Centerでは、手作りのジャンダ織りなどを買い込んでSalim Akaの家へ戻り、早々に出発。タクシー乗り場では、さすがに地方都市とあってすぐには客が集まりそうにないので、元締めが、Karshiまで4人で14万Cymのところ、2人で10万Cymにするがどうかというので、多少エロ・・・失礼、イロをつけてもらって妥結。南ウズベキスタンの静かなたたずまいに後ろ髪を引かれる思いでBoysunをあとにする。
来た道を逆にとって北上する。中央アジアの南部からアフガニスタンにかけての山岳地帯の景観に思いを馳せる。
厳しい自然条件の中での、人々の質素な暮らしを垣間みる。しかし車をチャーターした訳でもなく、悪路続きということもあって、ゆっくりと風景を楽しんでいる心と肉体の余裕はない。さらに、南下してきたときは、検問所はすべてフリー・パスだったのに、今回はことごとく止められた。外国人であるので、当然のことながら別室ご案内となるが、応対は至って紳士的で今回の旅で官憲から不愉快な思いをさせられたことはない。
山岳地帯を抜けると、赤土と灌木の果てしない荒野が広がる。あちこちに油田があり、その間を鉄道が縫うように通じている。極めて質実剛健な電気機関車が、地平線の向こうまで続くかと思われるほど長大な貨物列車を牽いている。
Karshiの市域に入ったようだ。ウズベキスタンには、このように殺風景な景色を多く目にする。
無論どこをどう走ったかは全くわからないが、Karshiは結構大きな町で、往路に立ち寄ったバス・ターミナルではなく、Samarkand方面行きのバスやシェア・タクシーが発着するこのターミナルまで案内してくれた。旅人にとっては、こういうところがありがたいものである。ほどなく4人集まり、4人で16万CymでSamarkandへ出発。
Samarkandへの道は、ひたすらこのように平坦な舗装道路であった。時折なだらかな丘を越えたりカーブしたりはするものの、風景はほとんど変わらない。Samarkandの市域が近づくと雪になった。Registon広場までで良いというのに、この親切なドライバーは、慣れない外国人のために右の客と相談してわざわざ安B&Bまで横付けしてくれた。確かにホテル探しを楽しめるような状況ではなさそうだ。中央アジアの遺跡の都市、憧れのSamarkandとの出会いは、寒くてぬかるんで雪だった。
20120908 稲刈り
2012年09月08日
20120309 Бойсун
Boysunの街は、だいたいこんな感じになっている。非常に静かな街だ。バザールとその周辺の商店街以外は、取り立ててなにもない街だが、ここへ来た目的は、Unescoの文化遺産にも登録されている「ジャンダ織」を見るためである。「Boysun Crafts Center」という施設でやっていることは解っていたのだが、その場所がなかなか分からない。英語がほとんど通じないので、慣れないキリル文字や身振り手振りを交えてなんとか意思疎通を図った結果、意外にわかりやすいところにあった。この街を訪れる外国人は、おそらくこのCenterが目的であろう。Centerは、バザールの脇の坂道を300mほど上がったところにある。
ミュージアムの中は、このようになっている。ジャンダの他にスザーニや絨毯、陶器などが並べられている。入場料は特に必要ないが、併設されたショップでは、手作り品としては非常に安い価格で工芸品が販売されているので、バザールでボラれる事を思えばずっと得だし、店のおっちゃんやおばちゃんも強欲でなく、いろいろ教えてくれるので結果的に良い買い物が出来る。英語がほぼ問題なく通じる。
シーズン・オフとあって冬枯れの風情、あちこち修繕中。右の大きな建物がミュージアム、左に並んだ扉は工房。中では若い女性がジャンダを織る工程を、糸を紡ぐところから実演してみせてくれる。
Centerの前の道は、山懐の住宅地に入って行く。ウズベキスタンの南部の地方の街は、だいたいこんな景観である。人が集うところは万人に対して開かれているが、このような住宅街へ入って行くと緊迫した警戒感がみなぎっていて楽しめるというものではない。風景を遠望するのが良い。
バザール前の通りに戻る。Boysunで最も賑やかな場所である。
2012年09月07日
20120908 稲刈り
20120905 稲刈りシーズン到来
アマランサスが新畑を秋色に染めている。
川筋からこの集落に入る角の田んぼが稲刈りを始めると、シーズン到来である。9月に入ると、誰もがこの家の周りを犬の散歩がてらうろついて、いつ刈りはじめるか様子を伺うのである。集落の横のつながりに緊張の走る秋の訪れである。
コンデジのオートフォーカスがレンズを動かしている間に大型コンバインは画面の右端から左端まで走ってきてしまった。速い !! 6条刈りで98馬力だそうである。一反刈るのに10分少々 !! うんこしてる間に稲刈りが終わる。コンバインとは、稲刈りと脱穀がコンバインされているという意味である。機械の先端で刈り取られた稲は、中程で一列にまとめられ、ちょうど側面のオレンジ色のスロープを上がって行きつつ脱穀されて、籾はタンクに、藁は粉砕されて田んぼに振りまかれる。稲刈りと脱穀と藁霧を一度にやってしまうのである。しかも速い !! とてつもなく速い !!
まあそんなことはええ、こっちはこっちのペースでやるまでのことよ。
さて採り頃を迎えた鶴の子大豆の枝豆を蒸し焼きにしてビールを飲みつつ考えた。
結局のところ、いまの日本の商業ベースは、稲刈り一反あたり10分で脱穀と藁霧を済ませなければならない程度のすぴーどなのであろう。それを何人も何日もかけてやろうとする私、あるいは我々は、そこに現実生活とのどのような経済的整合性を見いだすのであろうか。私は、幸運にも空き家の管理人という「職」としてここに居住し、不足分はアルバイトしながら生計を立てている。ここに通ってくる仲間たちは、実生活は都会に本拠を置き、ここでの作業や収穫物からは見返りを期待しない。しかし本当はそれではダメなんよね。ここで収穫できるものが、ここへ通ってでも持ち帰ることによって、実際の利益が得られるのでなければウソなんよね。社会の仕組みが悪いのか ?? 私のアタマが悪いのか ?? この生焼けのところがまた絶妙の味・・・
2012年09月06日
20120903 赤米の出穂
赤米の出穂。
除草して、初めて採れる、ホワイトアスパラ・・・(没)
先日種まきした大根の発芽・・・今年採れた種はどれも元気だ。
こちらは、同じ日に種まきしたアブラナ科の日常野菜の発芽。
刈った草を緑肥として鋤込む、あるいはマルチングとして使う、鋤込んであっても伏せておいても、元気なものは一雨でこのように息を吹き返す。
いつぞやの除草時に抜けてしまったネギは乾かしておいて秋口に植えると生き返るのである。
堆肥置き場の陰から急成長した冬瓜が、早くも実をつけ・・・たどころか、もうこんなに。慎重に種まきして育苗して定植して柵まで仕立てて丹精込めて蝶よ花よ愛ちゃんよと育ててきた冬瓜は全滅したのに・・・いやいや恨み言は言うまい。アラーの神が今年私が冬瓜を食べられぬ事態になってはかわいそうだと哀れんでお恵み遊ばしたものであろう。ありがたくちょうだいつかまつり、大切に育てて参る。このように植物というものは、ままならず、また不思議に満ちている。
20120830 インディカ出穂
インディカ米「サリー・クイーン」出穂。畑の除草を続ける。
インゲンの株元を挟み込むようにして伸びる匍匐性の稗の一種、縦に伸びるものと横に伸びるものが絡み合うと始末に負えない。除草とは、育てたい株を優先して、自然淘汰の優先順位を人為的に壊す作業であるが、育てたい株にアドバンテージを与えることと同じくらい、作業性の観点から、そこで何をやっているのかを目で見て確かめられるようにするという狙いもある。特に蔓性の作物を扱っている場合には、何もかもがぐちゃぐちゃに絡み合ってて、どこをどう手入れしていいのかわからんようになるんよね、すぐに。
なんと大豆の間から芽生えたナス。もうすぐ花が咲く・・・ナスの自然発芽は、ここでは非常に珍しい。
それにひきかえ、土地柄、放任栽培が基本の丹波の黒豆は、まさかまさかの全滅でカゲもカタチもない。
20120829 MacMailがアカウントを
2006年10月購入のMacBook (いわゆるIntel MacのMacBookとしては最初期のモデルで、「Early 2006」・「MacBook1.1」などと呼ばれている) に、遅ればせながら、ほんまに遅ればせながらMac OS 10.6 (Snow Leopard) を入れた。ちなみに現在の最新MacOSは10.8で、私のマシンには既に10.7すら載せることができない。私はOSやソフトウェアのバージョン・アップには非常に慎重であって、もちろんカネがないからでもあるけれども、物持ちが良いというか、現にこの本体も間もなく6年が経過しようとしているが、特に重篤なトラブルもなく毎日エロエロ・・・失礼、いろいろ創造的活動に活躍しているという訳である。ほんまほんま。カネがなくて物持ちが良くて創造活動が盛んであるとどうなるかというと、どんどんデータが蓄積して行って、それらが一定のルールに従って整理整頓されて行くはずなのであるが、「一定のルール」とは必然的に一定のソフトウェアによって扱うことができる状態が必要があって、そうしたものの切り捨てが日常的におこるこの世界では、データそのものが生きながらえることが大変に難しい。できることならそのままでいたい。しかし最新の技術を少しずつでも取り入れて行かないと、インターネットでサイトを閲覧することもままならなくなる。ちなみにこの本体を購入するまでは、Macintosh G4 Cubeという名機を使っていて、モニタはなんとブラウン管であった。その前は、実に阪神淡路大震災で被災したアフター・フォロウとしてApple Computerから格安で手に入れたPerformaなんとやら・・・まだPower PCでもなく68Kといわれた代物であった。その前と言えばColor ClassicでOSは懐かしき「漢字Talk 7」、その前は・・・もおええて・・・
で、どうしてこのように時代遅れなのかというと、要するに自分の作業がパソコン内で自己完結していて、その作業が恙無く行えている限り改善の必要を感じないし、世の中の進歩を知らずに暮らしているからである。ディスクがいっぱいになったりパフォーマンスが悪くなったりしてはじめて抜本的な改善を迫られるのだが、そのとき現状のまま延命できる手段のないことを思い知らされて愕然となり、それから気を取り直して自分で調べ尽くして新機種を購入したり増設したりするので、対策には誠に時間がかかるのである。Color Classic時代に書きためたものや音楽データなどは、阪神淡路大震災で土に帰って行ったからまだいいのだけれど、68K時代に作りためたものをすべてPPCに対応させるには、当時莫大な投資が必要だったので、いわゆるClassic環境とOSXをデュアル・ブートできる最後の機種Cubeと、それを正しく表示できる最後のブラウン管モニタを購入したのであった。つまり莫大な投資ができないので手作業で財産を移し替える作業に取りかかった訳だが、それが終わらぬうちに「カーネル・パニック」という再起不能のパニックによってCubeちゃんが昇天した後、バック・アップをとっておいたデータをなんとか読み込める最後の手段として、互換性のあるMacOS 10.4を搭載したこのMacBookを購入した。Intel Mac用の10.4は、厳密にはClassic環境で作られたデータを読むことができないのだが、メーカーは保証していないし機能は制限されるとはいえ、私のやりたいことの一通りはできたのである。しかし時代は進み、10.4で走るブラウザのままでは、検索エンジンの画面表示も崩れっぱなしとなってしまい、このたびようやく重い腰を上げてOSの換骨奪胎に踏み切ったという訳である。
現在MacOSはCloudを前提に設計されているので、パソコンの内部は雲の上とつながっていることが求められる。私はこれが気に入らぬ。しかも先日の暴挙・・・すなわちカネを払って受けてきた「mobile me」というサービスの打ち切りによるホームページその他の閉鎖・・・これに至っては、もはやiPhoneやiPadなど、Appleが提供する数々のサービスに素直にカネを払い続けるユーザ以外の切り捨てとしかいいようがなく、自分がマック・ユーザであることすらも恥じなければならぬほど、ようするにキライなんじゃお前なんか・・・nalingaka yo, yo, yo te oh vraiment !! ・・・だからCloud前提のMacOS 10.7以降がルートの今後のモデルは買わない。もうパソコンは買わない脱リンゴ脱ネット脱ことえり脱パソコン脱クルマ脱原発脱税生活へ踏み出すぞ。
現在このMacBook 1.1に搭載できる最新のOSは10.6.8である。しかしこれでは、10.4で動作していたソフトウェアのほとんどが動作しない、というか認識すらしないので、仕方なく外付けハードディスクにパーティションを切って10.4のシステムをインストールし、起動ディスクを使い分けるという荒技で延命することにした。まあね、1年ほど前にバッテリとハードディスクとメモリとファンを交換したんで、動作としては余裕なんやけどね・・・
さて前置きが長くなってしまったがここからが本題である。さきほどCloudサービスが嫌いだということを書いたが、ために私はmobile me・・・いや「.mac」時代のアカウントを「iCloud」に移行しなかった。名実共にMacのサービスから離れることにしたのだが、ここに落とし穴があった。この本体を使い続けるということは、Apple Computerの方針すなわち、彼らが開発し続けるすべてのサービスに気前よく素直にカネを払い続けることに反して、自己責任でたったひとり荒海にこぎ出すことを意味する。私はコンピユータというものに詳しい訳ではなく自分ですべてを知り尽くしている訳ではない。便利な道具として使ってきたまでだ。使い方さえ守っていれば、不都合はメーカーに相談するのは当然という感覚だった。しかし、その「使い方」は、メーカーが決めるのである。メーカーは、最新の状態にアップグレードせよという。しかしそんなことしたら、すべてのデータを扱うために、ソフトウェアや周辺機器まで、すべてを買い替えざるを得ないし、この本体も買い替えの対象になる。使い続けるのは自由だし、機器としての故障の修理はしてもらえる。しかしサービスを受け続けることは別の仕組みになっている。つまり自己責任を取りきれない以上、この本体を使い続けることができなくなるという訳だ。
話せば長くなるので、サポートとやり合った結果の妥協できるぎりぎりの結論は、以下の通りである。Cloudサービスへ「.mac」時代のアカウントとメール・アドレスのみを復活させ、すべてのサービスをこのアカウントで受けられるように設定する。OSは10.6.8までアップ・グレードする。これにより、各認証やメーラ「Mac Mail」の設定のすべては、かつてのIDで行われることになり、サービスからの訣別を決意して新しく作成したメール・アドレスで送受信するには、その都度の設定変更が余儀なくされる。つまり向こうの言う通りにやれ、勝手にやったことはそれなりの代償 (手間) を払えということだ。そこでデータをバックアップしてOSを入れ替えて環境設定を終え、ソフトウェアの動作を確認していたところ、メールの送受信が全くできなくなっているのに気がついた。さてこれは購入したてのOS10.6の不具合と押し通して無償サポートを要求したところ、なんとか対応してくれて、「特別な技術者」による特別な操作が必要になった。
MacOS10.6に搭載されたMail4.5が前バージョンで使用していた「mobile me」のアカウントを認識しない場合の対応について。「Mail環境設定」の「アカウント」の内容がグレイ・アウトしていて変更できない場合、いったんそのアカウントを「-」ボタンで消去して、「+」ボタンで新しく作り直す。その際、右下の「作成」ボタンを押してしまうと表示状態のまま無効なアカウントが作成されてしまうので、「option」キーを押すと「作成」が「続ける」に変化し、押しながらボタンを押すとすべての設定が手動で行える。これが「特別な操作」である。さて順を追って説明しよう。「アカウント情報」アカウントの種類は「MobileMe IMAP」、「説明」は自分のわかりやすいキーワード、メールアドレスは「mobile me」時代のもの、氏名は自由。ここで「option」キーを押すと「作成」が「続ける」に変化し、押しながらボタンを押すとすべての設定が手動で行える。「受信用メールサーバ」は「imap.mail.me.com」(最近になって「mail」が追加されたらしい) 、ユーザ名とパスワードはあなたのもの、ここで再び「option」キーを押すと「作成」が「続ける」に変化し、押しながらボタンを押すとすべての設定が手動で行える。「送信用メールサーバ」は「smtp.mail.me.com」、「このサーバのみを使用」するかどうかは任意。つまり「option」キーを押すと「作成」が「続ける」に変化し、押しながらボタンを押すことによってすべての設定を終えようとするものである。繰り返す。「option」キーを押すと「作成」が「続ける」に変化し、押しながらボタンを押すとすべての設定が手動で行える。まあこれを説明してくれた「特別な技術者」がトクベツなかわいい声の親切なねーちゃんやったからトクベツに許したろ。
20120828 冬に向けて
冬に向けて、私の畑の行動を開始する。まずはイチゴの株の養生。これを新畑に仮植えしてこの2畝は麦をいくなあ。
雑草に埋もれたウリ科の畝を除草。刈った草は、ウリ科のマルチングに使うもの以外は、隣の麦畑の緑肥として鋤込む。
キュウリやカボチャなんかはええんやけどさあ、ニガウリの株元は細いから雑草と区別がつかんで、ついヤッちゃうんよね。ブチッてね・・・
ナス科の畝は、除草の前に毎回注意深く観察。というのは、ブラジルやアフリカから持ち帰った希少な唐辛子の苗が育っているからだ・・・しかし南米原産のペーニョちゃんは芽吹いたままの状態ではや4ヶ月・・・
コンゴのピリピリは、どうにか今までで最も大きく成長したが、本場からすると足下どころか・・・
ブータンのシシトウは問題なく、韓国のキムチ用唐辛子も順調・・・かつて虫に食われて行きも絶え絶えだった株も、添え木をして養生していたら、このように見事に復活して結実・・・現実の韓国と日本の関係もこうあってほしい。私、韓国の人も韓国料理も好きやからね。
ナスは丈は低いものの、たわわに結実し、毎日濃厚な味の焼きナスをいただいております。
という訳でこのように除草。
ナス科の隣に大根を、まずは1/3種まき、陽射しがまだまだ強烈なので雑草でマルチング。
20120827 秋の除草再開
ううむ・・・ちょっと目を離すとこのザマである。まあ、マルチングに使える藁をたくさん蓄えてる思たらええか・・・
緑肥を期して鋤込んだ畝もどうやら落ち着いてきたので、ぼちぼち大根の種まきでもしますか・・・
サツマイモもどうなることかと心配したが、ここまでくりゃあとは10月の収穫まで放置しても大丈夫。
マメんとこはちょっとヤッといたらんとかわいそうやな・・・
20120825 稲刈り準備・溝切り
休み明け最初の重労働は、稲刈り準備のため落水を円滑にする目的で、田圃の周囲と中程に溝を切るのである。私はこの作業を中干しの間に済ませてしまう。なぜかというと、泥というものを扱い慣れない都会人の私には無理だからである。土が固まっていてはじめて、「掘る」という作業ができるというもの。
しかしお百姓さんは違う。このような手鍬で、泥の中に溝を切るのである。天瓊を以て滄海を探るは農業の事始めとも言われているからまあこれも国生之尊の子孫たるお百姓さんにとっては、出来て当然のことなのかも知れませんな。写真は、作業中に見つけたちょっと一斉行動にはまり切らん愛すべき稲・・・株元を見れば稗のごとく、しかし穂はまぎれもなく稲穂。午前中で腰が割れた。飯にして腰アイシングして昼寝にしよ。鶏の唐揚げに畑の夏野菜のラタトゥイユ、できたてバジル・ペースト添え・・・
20120824 処暑
先日種まきした白菜が出そろった。元気な種である。
カボチャとバター・ナッツが、夏の暑さで息も絶え絶えなので、先に収穫して休ませる。
新畑で穂を出した黒米・・・ここがかつて田んぼであった名残である。どうやって生き伸びたものか、不思議なものよのう・・・
バジル・ペースト第2弾いってみましょか・・・
2012年09月02日
20120822 vacance
今日と明日は休む !! 誰がなんと言おうと、突然草が押し寄せてこようと、休むといったら休む !! でもどっか行くワケでもなく、一人田んぼの脇でピクニック気分・・・どや ?? エエヤロ (^^)
おお、ナスがたんとできとる。
ほなついでに苦瓜もとって今年初めてのゴーヤ・チャンプルーといこか・・・
飯を食ったら昼寝をする。後片付けなんていつでもええやん。
涼しくなったのでちょっと散歩に出てみる。ほっほう・・・インディカの出穂に合わせるように稗が穂をもたげとる。「ボクもイネですぅぅぅ」ちゅう顔しとんで (^^)
散歩したら腹が減ってきたんで夕飯にしよか。夏らしく鶏の唐揚げにちびジャガの素揚げ、畑のサラダに、こないだ作ったバジル・ペーストをあわせて・・・
20120821 堆肥か緑肥か
盆の後半から土日にかけて、5日間も毎日カフェ営業に潰して・・・しかもほとんどばうず (`へ'っ・・・しまったので、その間に見事なまでに雑草天国・・・ここまで伸びたらね、こいつらと敵対するんやなしに、こいつらと共存することを考えな体こわすよね。除草にはいくつかの考え方があって、抜いて撤去する・刈って撤去する・抜いて株もとに敷く・刈って株もとに敷く・・・とまあ大まかに4つのやり方がある。撤去する場合、その先は堆肥置き場で腐熟させる方法と、刈った草については燃やして灰を得る方法とがある。いずれも肥料として畑に戻す。一方、株もとに敷く方法は、すなわち夏ならば強烈な日射による土の温度の上昇と乾燥を防ぐ狙いがあって、これをマルチングという。抜いた草は根がついているので、この方法では一雨ごとに抜かれた雑草が息を吹き返して、抜く前より厄介なことになる。刈った草には根がついていないので、その大半は株元で腐熟して程よい被覆材料となるのであるが、上の写真のように、根が切られても、途中の節から発根して匍匐していく雑草もある。
さてここにもう一つの考え方、すなわち雑草を「緑肥」として利用するというものがある。つまり抜きたて刈りたての生のものをそのまま土に混ぜてしまうのである。それが良いのか悪いのかについては、様々な「農法家」によって議論の分かれるところであるが、私の畑もようやく5年目に入り、ほとんど無肥料で作ってきたので、堆肥と緑肥のブレンド畝を作ってみることにした。まずは、表面の草を刈り取って、そこへ積み込んでおいた堆肥を播いていく。
次にこれを混ぜるのであるが、なにせさっきまで生きていた雑草なので、繊維が強くて鍬に絡み付いてどもならん。
それでも苦労してなんとか畝を立て切った。まもなく8月も終わる。白菜と大根、すなわち冬野菜の種まきの季節である。
空いていたジャガイモの跡地、春野菜の跡地も同様に・・・水が多いのはお隣の畑が2年に一度の潅水消毒に入ったためである。溝を深くして排水を促しつつ、表層を混ぜる。このようにして、都合3.5本の畝を立ててみた。
3日ほど前に種まきした白菜が、早くも発芽してきた。
20120816 夏野菜の観察
夏野菜の観察。フェイジョアーダに使う黒インゲンが良い感じに熟してきたので収穫。
対比置き場にこぼれ種から自生したひょうたん。毎年抜いてもちぎっても生えてきて実を付ける。実に逞しい品種である。
それにひきかえ今年のなすとピーマンは全然ダメ。次行こ次 !!
20120810 Pesto Genovese
バジルの花が咲きはじめてしまったので、急いでバジル・ペースト第一弾。レシピらしいものは作っていない。バジルの香りの強さは、年によっても、花の前と後とでも、野生化した私の畑のバジルと市販のものとでも全く異なるし、副材料のニンニクや松の実やパルメジャーノもものによって全く異なるから数値化できないのである。写真からだいたいの量を判断してもらおか。私は、バジルの葉を洗わない。油漬けにするのだから、水分は状態を悪くするのみである。虫がつく前になるべく摘み取って、汚れがあれば拭く程度にしている。だから信用してはいけない。NC/NRでお願いします。
松の実は軽く煎る。必ず常温まで放熱する。バジルに熱は厳禁である。
使うのは、バジルの葉、ピュア・ヴァージン・オリーヴ・オイル、パルミジャーノ・レッジャーノのおろしたやつ、ニンニクのおろしたやつ、塩。これをひたすらミキサーにかけてペーストにする。注意点は、まずは油と葉だけでなるべく短時間でペーストにし、ほかのものは別に油でペーストにしてから後であわせる。特にチーズは粘り気が出やすいので、葉が粉砕されることを妨げる。一度別々に作っておいて、後で混ぜる方が結果が良いので、私はそのようにしている。
味は、イタリアを旅行中に金がないのでさんざん世話になった駅前のピザ屋の冷えたやつがお手本になっているので、かなりえぐくてきついと思うが、別に人に食わせるために作っている訳でもないので、気に入らんやつは食わんかったらええねん。こんな美味いもん俺が全部食う。