天は吾に試練を与えたもうた。落胆は大きく、怒りは心頭に達して流れ出でるべき道を知らない。やりきれない思いでいっぱいだ。一部の方は既にご承知のように、私は「六甲山カフェ」から全面的に撤退しました。私を支えてくださった皆様に、これについてご説明申し上げておく事は最低の礼儀と思い、これをしたためております。上の写真は、私が辞める事を決めたミーティングの次の営業日に、「六甲山カフェ」の創始者が、たまたまその日手伝いに来ていた事情を知らぬ元メンバーに書かせ、店内に掲示して写真に撮り、自分のブログに公開したものです。私は当時、代表を務めておりましたが、このような表現によって我々の置かれていた難局を曲解し、根本的な解決から逃げる事に反対しておりました。にも関わらず私の在任中に店内にこのような掲示をする事は、いくら創始者でも、余りにも人の気持を無視した排他的な行為と言わざるを得ません。まして写真に撮ってブログに公開するなど言語道断、降りかかった火の粉は払わねばならず、このような「自分たちさえ楽しければ良い」という、他を省みない自己中心的な「チーム」意識こそが、「六甲山カフェ」の活動を狭め、クレームが相次ぐようになった原因であるとの思いで、この記事を書かせていただきました。
私の言っている事は極めてシンプルで当然な事です。すなわち、「六甲山カフェ」は飲食店です。万人に開かれた店です。飲食店として営業するには、食品衛生法の規制を受け、食品を製造・販売するには、それに応じた各種許可が必要であり、その範囲内でしか営業できません。それが最低限のルールです。しかし「六甲山カフェ」をスタートさせた人たちは、そのことに全く無頓着だった。なんでもやって良いと思った。たとえば菓子製造業の資格がないのに、パンやサンドイッチ、クッキーやデザートなどを製造販売した。しかも衛生管理がずさんで目に余るものがあったので、市民の通報があって保健所から行政指導が入った。私は当然の報いだと思ったが、彼らはそうは思わなかった。私は世の中の仕組みが我々の思い通りになっていない事がわかったのだから、どうすれば問題なく我々の思いを実現出来るかを、みんなで考えようと提案した。しかし彼らは通報されたという被害妄想にとらわれ、全く欺瞞に満ちた詭弁を振り回して私を攻撃した。ここに、私と、私以外のメンバーとの間に修復不可能な亀裂が入り、ほかにもいくつかの問題を抱えていた私は、もうこれ以上彼らを束ねていく力が私にはないと判断して、全く不本意ながら撤退を決意した。以上がことのあらましです。
指導の内容は大きく分けてふたつありました。ひとつは「六甲山カフェ」という呼称の事。すなわち飲食店営業許可を受けている主体は「大谷茶屋」であって、それとは別の呼称を持つなど、個別の活動をしていると認定される全ての表現を用いることは許されないということです。具体的には、「六甲山カフェ」・「ATEYA」・「どいぱん」・「cafeminhos」などの呼称を用いること、「日替りマスター制」という責任の所在を曖昧にする表現、営業日・営業時間・連絡先・メニューなどについての独自の告知をしないようにということでした。
もうひとつは販売品目の事。すなわち「大谷茶屋」の営業許可の内容は「おでんやうどん」であって、直前に最終加熱されたものと、製造許可を受けた業者が製造し密封したものを、その場で小分けしたもの以外については本来販売出来ません。つまり、パンやサンドイッチ、クッキーやデザートなど、今風の「カフェ」を演出する殆ど全ての要素は販売してはいけないものだったのです。
この「指導」に対して、私はその内容については妥当と判断してそれを受け容れ、「六甲山カフェ」を屋号として使っている表示の全てを撤去し、運営メンバーに自分の考えを次のように説明しました。保健所の指導は、確かに市民の通報がきっかけになったものだが、指導の内容そのものは受け容れる以外に存続の道はない。まず通報されたという事実に対して、特定の人の理解が得られないような行動があったから発生したのであって、自分たちのプロジェクトが社会的に正当なものであれば、それを根気よくわかりやすく説明する機会を増やすことによって、理解が得られる事を目指すべき。まずは自分たちの行動を反省して、やりたい事の正当性をきちんと伝える仕組みを作る。具体的には、たとえば、飲食物の製造販売を伴う行動を取っている我々が原因で健康被害が出た場合、その責任は、食品衛生法によって、家主である「大谷茶屋」の食品衛生管理責任者にかかることになるので、我々が食品衛生管理責任者の資格を取得し、自分たちで責任を負えるようにする。たとえばこういうことが最低限の社会的責任である。その上でやりたい事が出来る具体的な方策を考えるべきである。
次に「六甲山カフェ」という呼称について、「六甲山カフェ」はプロジェクトの名称である。しかし現実には常設の飲食店として存在し、店舗の名前であると一般には認識されている。だから、当初のプロジェクトでの定義づけがどうであれ、状況に応じて臨機応変にその解釈は広げていくべきである。対外的には「六甲山カフェ」を店舗名として位置づけ、あらゆる責任を自己完結できる仕組みを作った上で、各マスターが個性的なメニューで時空間を演出していった方が、より多くの賛同が得られるし、プロジェクトそのものの可能性が広がる。
最後に販売品目について、自由に好きなものを製造販売しようと思うのなら、調理や販売に携わる各「マスター」が、必要な製造許可を取得して「大谷茶屋」に納品し、納品された「商品」の販売に携わるという意味合いで「大谷茶屋」に入れば良い。その際、納入業者として正式に「屋号」を名乗れば、「大谷茶屋」の中に各「屋号」が存在し、各自が元の呼称を名乗ることが出来て、呼称の問題も解決する。同時に、各「マスター」は製造業者すなわちメーカーなので、製造物責任法により事故があった時は自分に責任がかかるから、責任も自己完結する。これらの事がきちんと実現されてこそ、「六甲山カフェ」は堂々たる店舗として、またプロジェクトとして活動していける。解決策としてはそれが良いのではないかと、私はこのように説明しました。なぜなら、当時の状況では、逸脱行為が多岐にわたり、販売品目のみならず、マナーや社会性を疑われる事実まで、かなりの数のクレームが発生していたからです。そしての運営メンバーの合意を取り付け、態勢を立て直した上で、今後の事について、創立者を含めた全体でミーティングする事を呼びかけました。しかしそれは、半年以上も実現しなかった。
当初はこの方針に沿って進みはじめたように見えたのですが、やがてこれに不協和音が響きはじめ、最終的にはそれが全体の意向になっていきました。昨年末になって漸くミーティングが開かれました。ここで話された事について整理して申し上げます。まず通報されたという事実に対して、運営メンバーの間で取り沙汰されたのは「犯人探し」でした。ヤリ玉に上がったのは、店にたまに来るエライさん風の人で、彼が女性マスターの一人の体に触ったのを彼女が邪険にしたことに対する報復だから、そいつを探し出して黙らせてしまえば問題はないというのです。しかしこれにはなんの証拠がなく、むしろ、自分たちの不始末も含めて全てのクレームを彼ひとりになすりつける事によって、その議論を封じ込めようとする意図が感じられます。
次に「六甲山カフェ」という呼称について、これは屋号ではなくチーム名であるということでした。つまり、チーム名であるから、保健所がどう解釈しようとチームにはなんの関係もないということです。ここから、上の写真にある「チーム六甲山カフェ」という表現が出てきます。「六甲山カフェ」は店の名前ではなくチームの名前である。だから食品衛生法の規制など受けない。こんな欺瞞に満ちた詭弁に、私は賛成する事が出来ませんでした。なぜなら、我々が「六甲山カフェ」にどういう意味付けを与えようが、通りかかった一般のお客様には関係のない事であり、我々が飲食物を製造して提供している事は明らかな事実だからです。
最後に販売品目について、これに対する彼らの答えは次のようなものでした。「六甲山カフェ」は飲食業をやりたいわけではなく、情報発信をしたいのだ、その「場」として茶や茶菓子があった方が良いのであって、その旨は家主である「大谷茶屋」に予め伝えてある。営業許可の内容の詳細については「大谷茶屋」が関知することであって、企画を提案する我々の仕事ではない。「大谷茶屋」は営業許可内容を熟知した上で我々の企画に乗ったわけだから、今回の件は、そこを見落とした「大谷茶屋」に責任があるというのです。これは完全にコンプライアンス精神に反しています。かたや存続の危ぶまれる茶屋、かたや「山ブーム」の新しい風を吹き込もうとする若者、「おでんさえ守ってくれるのなら」という弱みにつけ込んだ強弁以外の何ものでもない。
よしわかった。百歩譲って「指導」の件はそうであったとしよう、しかし関係法令など社会の仕組みが我々の思い通りになっていないとわかった今、それに合わせて我々は軌道修正するべきではないのかと、私は問いました。これに対する答えは、何度も繰り返し言うようだが「六甲山カフェ」は店舗ではない。場所を借りている「大谷茶屋」は、それ自身が食品衛生法の施行より遙か以前から営業してきた老舗であって、超法規的措置で存続している。その軒下で営業する我々もそれに帰属するのだから、「六甲山カフェ」に対してだけ法令が厳密に適用されるのはおかしい。そのような場所であったからこそ、「六甲山カフェ」を展開したのであって、これはかねてからの主張であるが、感性や身体よりもルールや決め事を優先させる社会が、決して良い社会だとは思われない。「六甲山カフェ」を守るためには、より高い次元の理想を社会が共有することが必要だと考える。つまり「六甲山カフェ」はそのためのテスト・ケースであって、私の質問は、その理念を理解していないことによる迷妄だというのです。反社会的な行動によるクレームまで発生させておきながら、「より高い次元の理想」もないもんだと呆れてしまいました。
よしわかった。千歩譲ってそうだとしよう、しかし私が提案した『調理や販売に携わる各「マスター」が、必要な製造許可を取得して正式に「屋号」を名乗る』という案は、それが受け容れられれば法的要件も万全に満たし、このような議論も必要なくなるのではないか、と問うた。これに対する答えは、やはりこれも何度も言ってきたことだが、各自がどんな名前で互いを呼びあおうと自由であって、それは誰に規制されるものでもない。もちろん、各自が自分の意思で資格を取って屋号を名乗ることを妨げるものでもない。むしろ逆に、特定の「案」を受け容れるように求めたことによって各自の行動は萎縮した。それによって店に面白味がなくなり、客足が遠のいたことの方が深刻な問題であって、その「案」は現状の一側面しか見ていない。以上によって、全てを保健所の指導以前の状態に戻し、失われた信用を取り戻すことは、なんら問題のないことと考える。このとき全員から同意のため息が漏れた。私はもはや呆れて開いた口がふさがらず、返す言葉さえ見当たらなかった。
「六甲山カフェ」のコンセプトについて、媒体などで公表されている企画の趣旨や内容などについては、それを言葉通りに受け取るならば賛同できるものばかりである。しかし、それはあくまでも独り歩きした「言葉」であって、単なる字面である。去年は確かに「六甲山カフェ」にとって多難の年であった。それは、字面でなく行動を問われたからである。その行動を反省して盤石なものにしなければ、プロジェクトというものは社会的に存立しない。上に述べたように、私はそのための方策を具体的に提案したが、彼らは呆れるばかりの詭弁を弄してそれを回避した。私は、各自が現実と正面から向き合い、俗説や感情にとらわれず、愚かで空虚なプライドを捨て、正しい知識を得るために自ら努力し、その成果を分けあい、常に自らを検証し、修正する勇気を持ち、逆風が吹けばむしろこれを自分を高めるチャンスと捉えて進んでいかれることを望む。こんなことは、社会からドロップ・アウトして百姓をしてる私なんぞから、立派な社会人に向けて申し上げる言葉ではない。社会的に存立しないものは、ただの「ままごと」だ・・・
と、ここまで書いてきて、ふと気がついた。もしかしたら、彼らはこのプロジェクトを「ままごと」にしておきたいのではないか、「ままごとがしたいんです」なんて、ええ歳こいて言えんから、あのような屁理屈をひり出したのか・・・反対される気遣いのないゆりかごの中で、自分たちだけのものとして、限られた小さな楽園の温かみを、出来るだけ長く、しかも波風が立たない状態で、でもリスクは最小限に抑えたい、援助も欲しい・・・要するに、ただのええとこ取りチーム・・・だとしたら、「ままごと」は所詮「ままごと」として、それとは別に私は自分のやるべき事をやり続ける道もあったわけだ。しかし、もう遅い。
このようにして、私は全面的に撤退する事を表明した。「六甲山カフェ」は1月と2月を冬季休業とし、3月より問題を解決しないまま再開される事になった。全てをもとに戻す・・・いや実は殆ど元に戻っていたのだ。私に見えないところで、許可されていないものが恒常的に売られていた事実を私はつかんでいる。しかし、もうそんなことに悩まされる日々は終わった。辞めてから半月近く経って重圧から解放された今、つくづく思う事があります。秋以降の私の日常は、農作業とアルバイトの両立に加えて、彼らにルールを守ってもらう事を説得するやり取りに忙殺されておりました。実に瑣末な、細かい行動にまで判断を求められ、私はそれについて調べ上げた上で返事をしなければならなかった。ほとんど毎日のようにメールによる議論の応酬が続き、何かが起こるたびに八方調べ尽くして対応し、対応したらしたで全員の了承がないと批判され、しなかったらしなかったで無責任だと批判されました。しかし、いずれにせよ彼らは別の理由をつけて自分の好きなようにやるのです。私はその理由の不当性を立証しなければならなくなり、再び八方調べ尽くして対応するのだが、またしても対応したらしたで全員の了承がないと批判され、しなかったらしなかったで無責任だと批判されるということを延々と繰り返しておりました。年が明けてそのような瑣事から解放された今、要するにこれは、私の申し上げた内容に対する直接的な批判なのではなく、申し上げたのが私であったという不幸な事実に対する拒絶反応だったのではないかと思います。つまり、別の人が言えばすんなり通った話かも・・・と。まあ言っても仕方のない事です。私は辞めた人間だし、辞めたおかげで、私には自分の収穫物のさまざまな保存や活用について調べたり、これからの事を考える時間が戻ってきたのですから。自分の店だったわけではない。人と共同して物事を為そうとした私が甘かった。今年は、自分の収穫物を最大限活用して、私自身の食事のクオリティを上げる事に、もっと取り組みたいと思います。「六甲山カフェ」については、その実態は上のようなものであるという事を指摘したうえで、私が「六甲山カフェ」でやってきた事、やろうとしていた事を、別の機会に述べようと思います。