2013年01月26日

20130123 せやからいうてるやんか

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 さて、私が「六甲山カフェ」で何をしたかったかということについて、少し触れておきましょう。ご承知のように、私は六甲山の北麓である神戸市北区道場町で農業をしております。ひとりで、ほとんど「自然農法」に近いやり方で、農薬や化学肥料はもとより機械も使わず、放任栽培に近いやり方で作っておりますので、収穫物の均一性と収量は全く安定しません。従って、農産物を出荷して換金することによって生計を立てることは出来ません。しかしこの米や野菜たちは、立派に育っていて、きちんと調理すれば大変おいしい。農作業の手順も見極めもほぼ身に付いたし、そろそろ外へ出ていろいろ試したいと思っていたので、前々から打診のあったこの話に乗ったわけです。月に何度かの営業ですから、その程度ならば野菜や穀物を販売できるし、「指導」があるまではキムチ・味噌・バジルぺースト・赤シソドリンクなども販売していました。カレーやシチューに入れる野菜やスパイスはほとんど全て自家製、最近ではパンの小麦も自家製です。これは、私の身の丈に合った商売であると同時に、まあまあ健康な男一匹が、一生懸命働いて得られる作物を、最大限利用して換金出来るのがせいぜいこのくらいだということを、身をもって示すことになるのです。大切な事は、口先だけでなく、本当にやってる人間の姿を見せる事、話をしたり聞いたりするのが好きな人は多いけれども、また聞きではなく、やってる人間だからこそ直接出てくる会話の中身が大切だという事です。自分のためにベストを尽くす、それが人のためになる筈です。そこには、微塵も嘘があってはいけない。


 自分の作ったものを店に出してお客様に食べて頂いて対価を得る、「六甲山カフェ」から得られる現金収入は、月額にして合計3万円程度です。それに畑から採れたものを出来るだけ無駄なく使って料理を出したり加工食品を作ったりしてものをあわせても、所詮手作りでは物量が知れておりまして、年間50万円程度にしかなりません。これを日本国憲法第25条1項において定めているところの「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」に照らして、それを行使するに足る金額が単身世帯の場合年間300万円であるとすれば、なんとその6分の1ということになります。これは「誤差」ではなく「格差」であって、このケタ違いの格差で現代社会を生きている私という人間を、芦屋という土地柄の「六甲山カフェ」という場で目の当たりにして考えてほしかった。


 つまり、都会の雑踏を離れて山に登る人たちは、生活に「経済性」を持ち込みすぎることの歪みに気付いているであろう。現代の日本社会が、他国との経済格差の上にあぐらをかいて、化石燃料の相場に支えられて成立している事に、薄々気付いているはずだ。或いは「スロー・ライフ」や「田舎暮らし」にあこがれる気質があるかも知れない。しかし、それをどのように、どの程度、実際の自分の生活に取り入れるかは、極めて慎重に判断しなければならない。なぜなら6倍の格差があるからです。不用意に田舎暮らしなんて始めてしまうと、生活水準が6分の1に転落するからです。これを個人の努力で吸収することは容易ではない。しかし、持続可能な生活様式を探求するためには避けて通れないテーマであって、誰もが薄々感じている関心事であると思います。もちろん押し付けはしない。しかし私のパンや料理を食べてもらえれば、コーヒーの淹れ方だけでも見ていただければ、心ある人ならば自ずから感じるものがあるでしょう。それを切り口に話の進んだお客様も多く、その中には私の料理を食べて関心を持ち、私のところへ畑仕事をしに来た人達もある。そして一緒に味噌作りなどをする。このような考え方や行動をシェアしたい。私が「六甲山カフェ」で伝えたかったことはそういうことです。その意味で的中率は極めて高かった。


 この試みは、「六甲山カフェ」のなかで、かなり特殊ではあったかも知れないが、うまく機能していたように思います。毎週の早朝朝市では野菜は完売するようになり、山に来る人ばかりでなく、近所の散歩の人や、わざわざ街から買い物に来たり飲みに来たりする客もありました。中には小麦にアレルギーがあると思い込んでいたのに、私のパンを食べても反応が出ないので、よくよく調べてみたら、アレルゲンは小麦ではなく食品添加物だった事がわかった人もいた。ちなみに、私もおそらくそれが原因で舌癌となり、舌の一部を切除しています。アフリカ・ブラジル・中東の料理を舌でまねた料理が多く、母国の人たちに褒められたこともあります。ムスリムの人たちにも安心して食事をしていただけるように、完全にハラールな材料だけでランチを出し、その筋に情報を流したらインドネシア人を中心に来客が増え、彼らが山登りをするようになった。これこそ「六甲山カフェ」による国際貢献だったと思います。そして忘れて欲しくないのは、毎月テーマを決めて選曲したBGMです。音楽こそは「カフェ」に必須のものだからです。しかし、「銀シャリ」を正しい日本のご飯と思っている人に、私のシチューやインディカご飯をたたき返されたことや、パンというとふわふわの食パンが正しいものと考える人が、私のパンを犬にやってしまったこと、滝の音の邪魔になるといって静かなBGMでさえ消さなければならなかった事もあります。なにか新しい事を始めると、反発を食らうのは慣れっこなので、それなりにそつなく対応してきましたが、多くのお客様にとってみれば「面白い存在」だったのではないか。私の試みは、「山」そのものには直接関係ないけれども、このプロジェクトの趣旨を広い意味で捉えれば、充分馴染んで余りあるものだったはずです。


 2012/04/01より、「六甲山カフェ」の代表を私が務めることになりました。それを機に、私は、店内の衛生状態を改善するために徹底的に清掃し、恒常的な湿気から電化製品を守るためにそれらの保管方法を変更したり、漏電事故や感電から運営スタッフを守るためにアース設置工事をしたりするなどの改善に乗り出しました。排水が芦屋川に垂れ流しになっていることから合成洗剤の使用をやめて石鹸に切り替えたり、排水を浄化するための手作りの装置を考案しているグループと会合を持ったり、代表と運営スタッフ間の金銭の流れを見えるようにして、税務調査が入っても困らないようにバランス・シートを作ったり、コーヒーやワインの仕入れ先を変えて、それらの楽しみ方を提案できる情報をお客様と共有できるようにしたり、「大谷茶屋」の古くからのお客様と一緒に「高座の滝」周辺の文化的な価値を残そうとして資料を集めたり、興味を持つ人たちに開かれたホームページ作りを計画したりしてきました。「六甲山カフェ」を単なる飲食店とせず、お客様に安心して過ごしていただきたい、運営スタッフを事故から守りたい、家主様である「大谷茶屋」に迷惑をかけたくない、そして「文化」を守りたい、個人的には上に述べたような私のコンセプトを共有できる場として活用したい、しかし「山にカフェを持ち込む」事によって起こるあらゆる影響について、善悪の別を問わずにみんなで考えていきたいという気持から出た行動でした。善悪を問わずに考える事、都合の悪い事にも平等に目を向けなければならないと思ってきました。


 芦屋保健所から呼び出しがあって「行政指導」を受けたのは、手作りの排水浄化装置の設置に着手しようとしていた矢先のことでした。「やられた」と思いました。私には、それまで事故もなく「六甲山カフェ」が営業できてきた事の方が不思議でした。だから、代表を務める限り、急いでいろんなことを改善したかった。それに手を付けはじめたばかりだった。気がついたものから始めていたので、まさか「名義」について問われるとは思ってもみなかった。しかし逃げるのは嫌だったので、それについて調べはじめたら、いろいろな点で、私たちが「六甲山カフェ」を名乗る事は困難である事に気がついた。それで、わかった事をみんなに知らせて、ともに考えようと働きかけたが、結果的に全てはその時点で止まり、全く予想もしていなかった事だが、私が全面的に撤退する事になってしまったのは、別の記事で述べた通りです。

posted by jakiswede at 23:10| Comment(0) | cafeminhos | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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