2013年06月26日

20130626 what's going on?

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2013年06月12日

20130627 Estampies

http://www.naraken.com/musik/event/27/event98.html

要予約 満席となりました。ありがとうございました。
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20130612 one step beyond

 

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 「他を受け容れず、自分たちのゲレンデにされるくらいなら、草ぼうぼうになった方がマシ」


 長らくブログの更新が出来ないまま失礼を致しました。様々な励ましのメールを頂き、まことにありがたく感謝しております。上の言葉は昨年末、地主様に重篤な病気がある事がわかって、とても農作業を続けられないというので相談を受けたとき、私一人で彼の農地を切り盛りする事などとても不可能だから、私がお手伝い出来るとするならば、「自然農法」で実際に田畑を作る事を模索している友人が結構いるので、放棄されるかも知れない農地のうち先ずは3反、うまくいけば1丁程度をなんとか出来るよう努力しよう、ただし、一切を私に任せてくださるのならば・・・と申し上げた際に返ってきた返事である。重篤な病気に直面されたショックによる口の滑り過ぎを幾分差し引いたとしても、ここに彼・・・いや、農家というものの本音をみた思いである。以後の顛末は、このブログで書き記してきた通りであるので、敢えてここに繰り返す事を控える。


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 私がここに移り住んできた目的は、先ず第一に、食品の「裏側」を「舐め」尽くして舌まで切り落とした自分の体と心を癒し、自分で食べるものを自分で作る事だった。それはすぐに達成出来た。次に、自分の体ひとつで作り得る作物を直売するなり加工するなりして、一体どれだけの現金収入になるのかを知る事だった。それは凸凹はあるものの年50-100万程度である。これは最低限の文化的年収を300万とみた場合、その1/3から1/6にあたる。これは「誤差」ではなく「格差」である事を認識した。最後に、そのようにして出来た手作りの「食」については、これを高値で売りつけるのではなく、それを作り出せる人間を増やす事に目的を置いた。これが最も肝心なところであり、だからこそ困難を伴った。都会から、「田舎暮らし」を志す人の心理の背景には、安全な食物を手作りしたいという「思い」がある。しかし、「農家」の現実は、それとは全く異なる状況に置かれている。そのことを、お互いに良く認識し合わないままに、一方は他方に、他方は一方に、自分勝手な期待を抱いて相対するから、修復不可能なトラブルが発生する。「田舎暮らし」を求める「都会人」は、まずは身の程を客観的に知る必要があるし、「都会人」を受け容れようとする「農家」は、彼らの「思い」に対して耳を傾ける必要がある。両者が本気で歩み寄らなければ、バランスの取れた持続可能な農村はあり得ない。そういうことはわかった。しかし、私の目的は達成されていない。


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 さて、男一匹が体を張って耕作出来る面積は、先ずはおよそ1反。ところが平坦地の農家の農地所有もしくは利用権設定済み面積は、「丁」単位である。それをいきなり望んでも仕方がないので、まずは「特例」のない地域での、農地利用の下限面積5反すなわち自立しうる農夫5人を養成する事を目指した。募りに募って最盛期には35人のメンバーを数えた緩やかな体験的農作業グループ「farminhos」は、しかしその実態は同床異夢であり、「船頭」は身の程知らずであった。鍬ひとつ鎌ひとつ扱えないくせに「農法」の是非をめぐって対立が起き、事態を収拾しきれない私がいた。結局のところ、私は人に何かを伝える事が出来るほど農作業に精通しているわけではなく、期待に胸を膨らませてやってくる「都会人」たちの思いを吸収するには、まさに一挙手一投足つきっきりで作業に携わることを余儀なくされ、個々の対応に身も心も疲れ果ててしまった。おまけに「農地法」その他、農業を成立させている要素について知らなさ過ぎた私は、こうした一連の活動が表ざたになる事によって、行政処分まで受けることになった。


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 私は、合法的に百姓として生きる道を模索した。しかし結論としては年齢や制度等もろもろの制約があって、それは不可能である。しかし社会を批判している時間はない。移住を含めてさまざまに生きる道を検討し熟慮した末、私は、実は「田舎暮らし」をしたいわけでも「農家」になりたいわけでもなく、ただ自分の好き勝手に生きたいだけであるという結論に達した。


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 「都会」がダメなら「田舎」であるのか、だから「田舎暮らし」なのか・・・「都会人」は「田舎」を「上から目線」で見る。なぜなら、田舎からは「人が足りない」という声を聞くからだ。しかし「田舎」には「田舎」の現実があって、必ずしも「都会人」の期待に沿うようには出来ていない。当たり前の事だ。私は、集落を維持する事に生き甲斐を感じるような人間ではない。むしろ人間関係が希薄である事を望む。また、「安全な食品を作る事」が「農業」であるのか、これは、まったく「No !!」である。absolutely no, ezalisusu te, non rien rien absolument non, absolutamente não, Совершенно нет, 哪里的话错误であって、اي、kesinlikle hiçbir、절대적으로 없습니다である。「農業」とは、日本の「食」を量的に支える事であって、手作りで自然との調和を目指す「自然農法」のあり方とは根本的に異なる。私は日本の農業を担う気など、さらさらない。自分が食いたいものを作りたいだけの事だ。つまり好き勝手にやりたいが、社会としてそれは要請されていない。これも、考えてみれば当たり前の事だった。


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 年が明けて、地主家の経済状態の危機が判明し、上のような理屈もへったくれもなく、私はここに居ても先がない事がはっきりした。しかし、足掛け10年を農作業の体得に費やしてしまったので、動きたくても先立つものがない。制度的に、農家でない私が農家登録をする事は現実には不可。また、農家でない私が農家の家屋に居住している実態は違法行為であり、基本的人権と財産権以外の、すべての権利は保障されない。また、農家でない私が自分の生産した農産物を販売したり加工したりして現金収入を得ようする事も不可。さらに、農家でない私が農作業をシェアする活動をしようとしても農業基本法の制約があって不可。しかも住んでいる家は、地主家が破産すれば家屋も差し押さえられ、私は手足をもがれた状態でたたき出されて路頭に迷う。ないないづくしの八方塞がりとはこの事だ。


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 しかし、私は絶望するようには出来ていない。この状況をチャンスとして前向きに捉えよう。これまでの10年ひたすら我を忘れて農作業と食品加工の技術の修得に邁進したおかげで、私にしか出来ないものがいくつも手に残った。普通なら出る釘は打たれるべきところだが、地主様は黙って見ていてくれた。このことに私は心から感謝すべきである。人生の締めくくりには未だ遠いし、足りないものが沢山ある。私がここに移り住んできた最後の目的、すなわち「作り出せる人間を増やす事」は、ひとりひとりの規模としては最低生活水準の何分の一の小さなものであるけれども、これしか持続可能な生き方が存在し得ない事は明白である。しかし、この小さなものが何十と集まれば、それぞれの個性が互いを補完し合って、ひとつの経済的な循環を形成する。ここにしかないものが、互いに尊重されて実現の可能性が高まり、それが新たな可能性を自ら生み出していく。単なる夢物語なのか、それとも新たな「スマート・グリッド」への挑戦なのか・・・しかしいずれにせよ、現状ではカネがない。日本経済は、私の手作り経済の3-6倍の早さで回っているのだから、その「格差」を埋めてなおかつ独立した家と農地を持つための最小限の財をなすには、都市型の経済活動に一旦戻らざるを得ない。私はビジネスに戻る。この10年を修得の10年と位置づけるならば、これからの数年は「終の住み処」を得るための最後の蓄財の期間と位置づけよう。その間に、ゆっくり終の住み処にふさわしい場所を探し、自分で家を建てるための具体的なノウハウを習得し、志を同じうする様々に個性的なグリッドと繋がることを考えてもええわけや。


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 行動を開始する。具体的には、フルタイムで働きながら、1反の農地を管理する事を目指す。もちろん、機械・農薬・化学肥料などもってのほか、あくまで自然農法である。数年前の私ならば、そんなことはとんでもない発想であったが、今は違う。今の私ならある程度の目処が立つ。要らぬ作業に体力を消耗したり、深入りしたりせず、耕さず、草や虫たちを敵とせず、作物の健全な成育に、少しだけ手を貸してやる事に留めるならば、農作業の総量は、これまでの何分の一かにまで圧縮出来るからである。現にこの6月、例年ならば連日農作業に明け暮れる農繁期、さすがに田植えには手こずったとはいうものの、そんなに働いてないんよね。だから、ある程度の破綻は覚悟の上で、敢えて予告するなら、「フルタイムで働きながら、1反の農地を管理する事」は、可能である。それを本当にやってしまったとしたら、実際には、これは革命的な事だとくらいに、私は思っている。


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 以上により、このブログについても省力化する。これまで、農作業と食品加工の一挙手一投足を記録するかのような書き方をしてきたが、それはやめる。なぜなら、これからの数年は農作業の探求ではなく、何処まで手が抜けるかという、いわば逃走の道筋であるからだ。農作業の個々の実際については、それぞれの土地や気象条件、作る人の考え方感じ方の違いによって、結果は千差万別であって、これをいちいち記録する事にはさして意味はない。参考にされてきた方も多いとは思うが、一定の役割は終えた。私は、これまでブログに費やしてきた時間を、音楽を楽しんだりこれからの事を考えたりする事に充てたいと思う。まあときどきは書くけどね。というわけで、数年後にどうなってるか、彼の農地が我々のゲレンデにされたうえに草ぼうぼうになってたりして・・・乞うご期待 !! 


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posted by jakiswede at 01:04| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2013 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月05日

20130605 Yurtta sulh, Cihanda sulh

posted by jakiswede at 10:10| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする