2013年07月17日

20130715 初蝉


 ブログの更新が滞っており残念に思います。お問い合わせも頂いておりますが、現在「Farminhos」と銘打っての活動、および農作業体験の受け容れについては、全て辞退させていただいております。「農地法」、「食料・農業・農村基本法」及び「農業経営基盤強化促進法」に基づいて、農業委員会より、「農家」及び「認定農業者」以外の者が、自給を目的とした農作業と農地の保全を目的とした作業 (要するに草刈り) 以外の活動を行う事は、ブログなどを使って「広報活動」をする事も含めて、行政指導の対象になるとされたためです。


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 これに対しては、私個人としては全く従うつもりはありませんが、明確に従わないという態度を示した場合、行政指導が行政処分となり、不服申し立てから裁判へと至る事、また行政処分の前に、農業委員会から地区の農会長を経て地主に対して、モグリで農地を貸与している実態について行政指導があるはずですから、私は農地の返還と家屋からの退去を求められ、生活の基盤を失う事になります。そうなれば、これは単なる不法行為に対する当然の処分であるとして、社会的に黙殺されてしまうだけであって、なんらの影響も及ぼしえない。これではただの犬死にになってしまう。


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 しかしながら、田畑に育つ作物やその他多様な植物、いきものたちの営みを観察する事によって得られた知見を素直に表現すること、それが仮にいわゆる「慣行農法」の否定に繋がるものであったとしても、素朴な疑問として自問自答を重ね、その結果得られた考えについて自身のブログに記載することは言論の自由であって、憲法に保障された基本的人権だと思います。またその考えに賛同して集まってくれた人たちとともに、農作業を通じて、自分たちの「食」の安全について考える事は行動の自由であり、そうした観察と洞察と行動があって初めて言論の自由が保障されうると思います。机上の空論のみが言論ではない。持続可能な「農」のあり方と、そこに軸足を置いた生きかたで生活が成り立つ社会を、もうそろそろ真剣に考えても良い時期だと思います。


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 田畑のいのちはこうしている間にも、あるものは生涯を終えようとし、あるものは芽吹き、あるものは盛んとなり、あるものは侵略を始め、あるものはそれに苦しみ、多様ないのちの栄枯盛衰はまさに修羅場のごとく田畑に展開され、「食」を得ようとする私はその手入れに忙殺されています。私には、問題を提起したり示威活動に向ける能力と時間がない。したがって、私は、農薬と化学肥料を適切に用いる「慣行農法」を支持する立場に配慮して、仮にそれらを使わなかった場合、どのような経過を辿り結果を生むかという事を、ブログに書いて行く事にします。プロの農家が怖がって出来ない事を代わりにやって、情報を共有する事が狙いです。どうか行間を汲んでいただきたい。一介の素人が、たまたま見かけた自然を観察して短絡的に錯覚したものを勝手に「農法」などと誤認させるような言動は、「耕す」という行動が文化の根源であるという歴史的真実を否定し、宮沢賢治をして「神の救い」といわしめた農薬や肥料への永年に亘る知見を否定するものであって、幾世紀にも亘る農民や学者の苦難の歴史を軽んじるものである。


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 農業に限らず、社会の仕組みというものが、大きく管理社会へと加速している事の現れのひとつと考えられます。「自然農」というものが、単なる物好きの個人的な趣味にとどまっている間は問題がない。しかしいまやそれを希求する人たちの勢いはとどまるところを知らず、それは社会の進むスピードから振り落とされて右往左往する人たちの受け皿となりつつあり、それが結集すれば、経済発展がなければ不安を禁じ得ない人たちにとってにとって看過出来ない脅威となる。だから、これは芽のうちに潰しておくに越した事はない。農業に限らず、人が人として楽しむに値するあらゆる行動に規制がかかり、合法的に息の根が止められて行く。いまのところ、それらは散発的にしか発生していないので、人々の多くは特に気にしなくても自分の生活が脅かされる事はない。日本は、既に50年以上をかけて、借り物の民主主義で社会を少しずつ構築し熟成させてきたので、その基盤を壊される事に対しては異常なほど慎重である。だから急激な変化を望まない。


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 先日、親しくしていただいているトルコ人の友達に久しぶりに会った。もちろん話題はトルコの反政府運動にも及んだ。この運動は、イスタンブールの新市街にある観光名所タクシーム広場にほど近い「ゲジ公園」の緑地が、再開発によって失われる事に抗議するたった数人の市民によって始められたものだが、もちろん問題の核心はそこにあるのではない。再開発の内容が、オスマン帝国時代そこにあった兵舎を復元して博物館にするとされていたのが、実はショッピング・モールを建設するというもので、その利権を首相一族が牛耳る構造になっている事がわかったことをきっかけに、あらゆる抑圧に甘んじてきたトルコ人たちが、乾ききった枯れ草が一気に燃え上がるように、一斉に行動を起したと見る事が出来る。



 トルコも、他のイスラム諸国と同じく、民主主義の制限された国であるが、抑圧の程度は潜在的であって、何より世俗国家である事が「最後の砦」であった。しかし、エルドアン首相の時代に入ってからは、積極的な経済政策が奏功して、トルコは発展した。我々にとっては観光しやすい事や親日的である事が、トルコの明るい側面として印象づけられるが、その裏には、必ず負の遺産が大きくへたばっている。友達は言う。「ショッピング・モールもオリンピックも要らない。なぜなら、それで儲かるのはエルドアン一族だけだから。そんなことより、もっと国としてしてほしい事がたくさんある。」


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 弾圧の様子については、報道規制が敷かれているとはいうものの、個人の取材や録画、配信について遮断しきるまでには至っていないが、最近ではめっきり配信される数が減ってきた事を心配する。シリアでの弾圧のように、軍が無防備な市民に対して実弾を発射するという事態にまでは至っていないようだ。しかし、放水と催涙ガスで鎮圧を試みており、私の友人も、かつての岡田外相をアテンドしたほどのトルコを代表するCAのひとりでありながら、催涙銃の直撃を受けて目を負傷している。催涙ガスとはいえ、武器を持たない女性の顔に向けて発砲するという行為は、もはや言葉も見当たらない。一方、反政府運動にまで発展した「反体制派」も一枚岩ではない。純粋にゲジ公園の再開発に反対した人たちもいれば、民主化要求運動家・反イスラム主義者・イスラム原理主義者・民族主義者・・・などさまざまであり、反体制運動が実現したあとの混乱が非常に心配される。


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 「アラブの春」・・・スコールが降る直前の、喉を掻きむしるような湿気のなかを、私は日本人観光客として、幾分気楽にエジプトとトルコを旅したのであった。そして昨年にはウズベキスタンも旅行した。これらの国に共通の空気感がある。外国人はなるべく観光エリアに留めておこうとする事、その外側に隣接して、「危険」とされる普通の人々の住む町がある事、そこへ入れば独特の緊張感が漲っていて、それを乗り越えるのにしばらくかかる事、そのいわゆる「下街」から見た「観光エリア」のきらびやかさが異様に見える事などである。そして、たいてい観光エリアの真ん中に、国の威厳を示す象徴的なモニュメントが存在する。


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 ブラジルで、なんとサッカーのワールドカップに反対する抗議運動が起った。ペレ神様のお告げも空しく、人々は、ワールドカップを金の無駄遣いと断じ、そのカネを生活の向上に回せと訴えた。あのサッカー王国でのことなので大変驚いたが、これとトルコの反政府運動とは主旨が全く同じである。それにひきかえわれわれ日本人はどうだろうと、常々思ってしまう。梅田の北ヤードを再開発して巨大商業施設「グラン・フロント」がオープンしたが、それに誰が反対した ?? 阪急も阪神も青息吐息、まだまだ新しい「伊勢丹」でさえ既に寒風が吹きすさんでいるというのに。もともとそんなに大きなマーケットではない。しかも収入ジリ貧の中で、なぜ消費の場だけがこのように華々しく増殖し、他を侵食して行くのか ?? 経済発展に向けて走り続けなければ、アシアナ航空のように操縦不能に陥って失速してしまう事が、世界中の指導者にわかっているから、誰かが倒れる事を前提の上で、自己の安定を確保するために、ひたすら食い合いをしなければならない。それだけのことではないのか ?? 


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 イスタンブールのゲジ公園では、集まった人たちは本を持ち寄り、それを無償で交換した。これは暇つぶしという意味もあるが、様々な意見に耳を傾けて、横の連帯を深めるのに役立ったという。さらに無償の炊き出しやコンサートもあり、踊りの輪も広がった。バーレーンの真珠広場での映像でも、同じような光景が繰り広げられている。これを見て思い出した事がある。阪神淡路大震災から数ヶ月の間、あちこちの公園にテント村が出来、人々は助けあって暮らした。生活は不自由で夜は寒かったが、いろんな意見を持つ人と話し合いの時間が持てた。早く復興を望む人もあれば、巨大化し過ぎた都市構造に疑問を投げ掛け、なければないでやって行ける事を世に示そうという機運もあった。要するに、全く束縛を離れて、自由に将来を思い描く事が出来た。全てを失い、壊されてしまったから到達出来た境地である。しかし復興の歯車が噛みあい、資本が投入されるにつれて、そうした場は締め出され、テントは撤去されて行った。人々の多くは復興を選んだ。それに対して反対運動は起らなかった。日本人には、反政府運動にも発展しうる示威行動が起りうる機会がもう一つあったはずだ。日本の原発が一台も稼働しなくなった2012年の夏の事だ。物事を平等に見るならば、「原発のない社会」のありかたについても、充分議論されるべきチャンスだったはずだが、何者かに怖れるかのように、世論は「安全性」の議論に傾倒した。「安全性」を議論すること自体、稼働する事に振れたスタンスだ。かくして世界が注目した日本は、再稼働へかじを切った。


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 この日本で反政府運動が起らないのは、このように貧困に突き落とされる事の恐怖から逃れたい一心で、ただひたすらに日々の仕事に忙殺されしがみつき、疲れ切っていて思考停止に陥っているからではないのか ?? だれも穴の底を勇気を持って見ようとしない。そこに、そんなにきらびやかな消費文化のあるはずがない。糞尿と血と汗の醗酵した悪臭の立ちこめる暗闇、死と常に隣り合わせの食うか食われるかの修羅場、しかしそれにフタをし続ける事はもう出来ないはずだ。トイレのないマンションに住み続けるわけには行かない。しかし、そこまでわかっている人口は僅かである。枯れ草は、乾ききらないうちに燃やすと燻るだけだが、条件が揃えば一気に燃え上がる。結局のところ、私にわかっている事、私に出来る事は、自然に沿った形で私が食するに足るものを、手作りで作り続けて生活を維持する事。その経済規模が、日本の普通の庶民生活の3分の1や6分の1でしかない事、そしてその意味を人に伝えようと努力する事、いまのところそれだけだ。しかしその言論の自由でさえ、本気で脅かそうとするのであれば、その時私は全てを捨てて闘争に身を投じるであろう。


posted by jakiswede at 01:39| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2013 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする