昨シーズン収穫した小麦を粉に挽いて貯蔵する。小麦は、基本的に粉にしなければ食用にならない。粉は挽きたてが味も香りも良いのだが、パンにしようとすると、むしろひと月ほど寝かせたものの方が良いという。左手前から、玄麦を篩にかけてゴミや石を落とす→更に異物がないか目視検査をする→それを一番奥の製粉機で粉に挽く→これには麦の表皮である麬 (フスマ) が多く含まれているので、細かい目の篩で分ける→それぞれ袋詰めして計量する。おしなべて、玄麦の重さの3分の1が麬である・・・おっと、あぶねえあぶねえ・・・たぷん脱穀のあと選別に使った唐箕の釘が抜け落ちて混入したのであろう。小麦は、収穫してから一度も洗わずにそのまま粉にして食用にするので、めんどくさいがここで手は抜けない。
2014年01月09日
20140104 Ortiz Consort 初あわせ
今日はOrtiz Consort恒例の新年初合わせである。トルコ人の美しき友人が関空着のフライトで来日していたので誘って参加、まずは本格的な手作りお節料理に舌鼓。いやあ正月正月・・・
バンマスが興に乗ってカラデニズ・ケメンチェを持ち出してトルコ民謡を弾きはじめると、あわせて歌いだす彼女。
こちらはトルコの古典的なケメンチェ。バンマスの家には興味深い楽器がおびただしくコレクションされている。
これもそのひとつ。ウイグル人のフレーム・ドラムでダップという。見せてもらったのには理由があって、フレーム内側に取り付けられた多数の輪っかが、皮に接触するのかしないのかを確認したかったからである。私はこれらの輪っかが、スネア・ドラムのように皮に接触して雑音を出すものと思っていたが、写真のように皮には接触せず、フレームに接触したり共振したりして音を立てるものだとわかった。いざ楽器を学ぼうとすると、このような細かいことにも関心が向いて面白い。
その間にダイニングでは初合わせが始まっていた。新春早々から穏やかで様々な表情を持つガンバ・コンソートの妙なるハーモニーに酔いしれる。
それも束の間、私は夕刻からバイト、彼女はイスタンブールへのフライトが待っている。早々に中座して東大寺へ参る。何故かというと、彼女が初夢に自分の前世が東大寺と関わりがあるというお告げを見たので、行ってみたいというのである。時間がないので、大仏殿の前でデンしていそいそと近鉄奈良駅へ急ぐ。
さて日本ではもうトルコの反政府運動のことは報道されなくなったが、現地ではどうかというと、様相は混迷しているとのこと。つまり、国土開発の方針について政府側内部にも思惑の違いによる亀裂が入り、反政府側も一枚岩に結束出来ないでいる。特に、反政府のまとめ役であった勢力が、アメリカに支援を求めたことで、もともと反米感情の強い国民性の支持が低落し、民主化を求める動きの一部がトルコ東部の少数民族の分離独立運動に連帯するなど、まさに混迷の様相を呈している。イスタンブールでは、観光の中心地のタクシーム広場や、運動の始発点となったゲジ公園などは表面的には平静を取り戻しているが、有識者や活動家の逮捕監禁も多発していて、とても一筋縄では行かないようだ。日本からは原発を輸出しようという計画や、ボスフォラス海峡に海底トンネルを掘ろうという計画が持込まれており、これらが一部の支配層の利権に寄与するだけであることから、国民の間では反発が根強い。国内の報道機関でさえ状況が複雑になり過ぎて報道出来ないのが、情報が外に伝わらない原因のひとつになっているようだ。
20140103 新春初登
天気の良い正月三が日である。今日は朝からぶらぶらと近所の山に登って、百畳岩で日向ぼっこ。目の前を左上から右下にかけて、新名神高速が通り抜ける。だいたいその高圧線に沿って工事が進んでいる。山を崩し、谷を埋め、生き物の営みを経ち切って、金属やコンクリート出てきた建造物を造り、数十年でそれは使われなくなる。そのときに、人間は自分たちが造ったものを回収して元に戻す力を残しているであろうか・・・
百畳岩から南を望むと、薄もやの向こうに六甲の山並みがぼんやりと見える。まっすぐに大地の切れ目がこちらへ伸びている。この谷を鎌倉峡という。百畳岩は、引き裂かれた大地の一方に残ったささくれのようなものである。
静が池というため池である。ここも埋まる予定と聞いている。池にはたくさんの小魚が群を成していた。
帰ってランチは日の差し込む廊下でフェイジョアーダ。