2014年02月28日

20140228 イカナゴ漁解禁

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 兵庫県のイカナゴ漁が解禁され、朝網で上がったものを早速炊いてみた。初物にしては非常に大きく、5cm近くある (\1,580/kg) 。なかには銀色に光っているものもあり、例年だと3月中旬頃の大きさである。私は、イカナゴの釘煮は2cm未満の小さなものを好む。春のほんわかした柔らかな風味が生きているからだ。しかしこの時期のイカナゴは成長が早く、数日で大きくなり、5cm近くになると、独特のエグ味が出る。それはそれで良いのだが、やはり初物は澄んだ味わいが良い。ちなみに香川県沖などでは、兵庫県より10日ばかり早く解禁され、私好みの小さな状態のものが得られる。しかし香川から兵庫に送るとなると半日近くかかるだろうし、香川へ行って炊くことも出来ない。香川では釘煮にする習慣はなく、水揚げ直後に釜揚げにされるので、「新子ちりめん」として兵庫県でも手に入るのだが、その小ささを見てうらやましく思うのだ。しかし選択の余地はない。躊躇している暇もない。買ったらすぐ炊く。イカナゴは、静かに水洗いする。ボウルに水を貼り、ザルを沈めて、その中へイカナゴを流し込む。手を入れてはいけない。上の写真のように、ボウルとザルの間に水流を差し込むと、ゴミやアクが表面張力で引っ張られて流れ出る。漁船によっては規定以上の濃度で消毒していることがあるので、洗剤のような泡に気をつけながらザルを引き上げてボウルの水を換え、水洗を繰り返す。


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 大きくなってしまっているので、えぐ味に負けないように濃いめの味付けにした。イカナゴ1kgに対して、濃口醤油220cc・ざらめ250g・酒100cc・味醂70cc・ショウガ50g・柚子の皮少々。ショウガと柚子以外を鍋に入れて吹き上がるほどに煮立て、短冊に切ったショウガを先に入れる。再度煮立ったときにイカナゴを1kg全量を静かに流し込む。煮汁の温度が一気に下がるが、少しずつ入れるよりも結果的に温度の復元が早いのである。初めは強火にしておき、煮汁が少なくなってから、アルミ箔の落とし蓋をして、蒸発の行き過ぎを防ぐ。香りのものは、ある程度煮汁が残っているうちに入れるのだが、早く入れ過ぎない方が良い。鍋肌からの吹き上がりがなくなってきたら、鍋をゆすって煮汁を回す。今年のイカナゴは大きい。大きいからと思って、味醂を多くしたのだが、これがよくなかった。ことつら体ばかり大きくて、中身は淡泊なのであった。結果、甘味のしつこい釘煮に仕上がってしまった・・・今年はもうこれ以上炊かない。


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2014年02月21日

20140221 農水省からの回答

 先日農水省へお問い合わせをさせていただきましたが、ご返事が参りました。一部に不明なところがございましたので確認をさせていただき、正しい知識を得ましたので、ここに公開をさせていただきます。正しい認識を得ていただくために、誠に長文ではございますが、これから田舎暮らしや農的生活を始めてみようとされている方々や、ご関心のある方々に広くシェアしていただけることを望みます。本来ならば、原文のままのやり取りを公開した方が、説得力もあり分かりやすいと思いましたが、現在の私と地主様および地元の農業委員との関係を考えると、私は個人情報を明らかに出来ず、農水省のご担当者としても、特定出来ない個人の公開内容について検証出来ないことから、結論とその説明のみを公開させていただくことにしました。一部の表現は文脈に充分配慮した上で引用させていただいていますが、要領を得るには充分なはずです。


 新規に農業に関心を持って農村に住み、農地を利用して安全な食糧を頂きたいと思う気持は、食の安全が脅かされている現状から見て当然の欲求なのですが、一方で、農地は国内の食料生産の基盤であり、また、現在及び将来における国民のための限られた資源であることも当然の事実であります。農地には国が税金を使って整備してきた歴史があり、農村にはそれを共同で管理してきた歴史があります。ここが、私を含めた都市生活者 (ここでは便宜上「私たち」と表現します) が、街なかで土地や家を買ったり借りたりして、住んだり経済活動をする事とは事情の異なるところです。地主は農地の所有者でありながら、国内の食料生産の基盤を管理する役割があるので、税その他を優遇されている代わりに、農地の使用には以下のような規制があります。一般に私たちが田舎暮らしをして農地を使いたいと思うとき、農業委員会にとっては、私たちは「新規就農者」という扱いになりますので、ここでは「新規就農者」が農地を「使用貸借」するための方法ということで話を進めたいと思います。具体的な規制項目は、以下の三項目です。


 一 農業委員会の許可(農地法第3条第1項)を要する。

 二 当該許可を受けないでした農地の売買・貸借等は無効(農地法第3条第7項)。

 三 当該許可を受けずに農地の売買・貸借等を行った場合は、3年以下の懲役又は300万円以下の罰金の対象となる(農地法第64条)。


 このうち、上の第一項にある農業委員会の許可(農地法第3条第1項)の要件は、農地を効率的に利用して耕作の事業の用に供することができるかといった観点から、主に次のようなものが定められています。ここで、私たちは相異なる解釈に翻弄されることがありますが、先に正しい認識の方を説明します。


 一 農地のすべてを効率的に利用すること(農地法第3条第2項第1号)

 二 必要な農作業に常時従事すること(農地法第3条第2項第4号)

 三 一定の面積を経営すること(農地法第3条第2項第5号)

 四 周辺の農地利用に支障がないこと(農地法第3条第2項第7号)


 これらは、極めて常識的なことを私たちに求めています。詭弁的解釈ではない。要するに、農地を借りたまま放置しないこと、きちんと農地を管理出来る体制を整えること、定められた「下限面積」以上を管理すること、故意に他の農地を侵害しないことと考えてよく、具体的には地域や状態によって異なるので、このような書き方をしてあります。先ずこれらの条件を満たした後、農地を使用するにあたっては、「利用権の設定」という手続きが必要になります。具体的には、「営農計画書」・(自治会による)「同意書」・「新規就農にかかる確認書」・「農用地等貸付申出書」・「農用地等借受申出書」・「利用権設定各筆明細書」という6通の書類を農業委員会に提出することです。ご注意下さい。以前の記述よりも1通増えています。詳しく申し上げますと、前三通が「新規就農」させて下さいという申請、後三通が「利用権の設定」に必要な書類ということになります。前三通は、余程非現実的なことを書かない限り通ります。しかし後三通には地主の合意が必要ですので、ここは根回しが必要になります。農業委員は、書類の内容に不備がない限り、これを拒絶することはありません。そのあと審査があって、それに通れば、該当する圃場を一年間農業委員が観察し、利用権を認めて良いということになれば、利用権が設定されます。これが上にいうところの、「農業委員の許可」ということになります。これが得られて初めて、私たちは悪質な管理をした場合を除いて、農法や栽培品目になんの規制も受けることなく、自由に作物を栽培し、これを販売したり加工したりして利用することが出来るようになります。「悪質な管理」の詳細については、「利用権設定各筆明細書」という書類の裏面に記載されていますが、明らかに反社会的な行動を指しているものであって、私たちの考えとは相容れないものですので、ここでは割愛します。逆にこれを得ないで、「地主の手伝い」などという隠れ蓑を被って農地を利用している状態は違法状態と判断されます。現在の私の状態は、これに当たります。


 私たちが田舎暮らしをして農地を使いたいと思うとき、規制を受ける法的根拠は以上の項目のみであり、これ以外の法律に拘束されることはありません。複数の法律の解釈による総合判断ではありません。ここが大切なところです。これは農地法に集約されています。農地法においては、農家登録の制度もなく、農家でなければ農地を売買・賃貸・使用貸借できないということは、ありません。農家・非農家を問わず、農地をきちんと効率的に利用できる方であれば農地を売買・賃貸・使用貸借できるものとなっています。従って、農地法に規定されていないいかなる理由を以てしても、法的に私たちの行動が排除されることはありません。以上です。


 実に筋の通った分かりやすい話です。まったくなんの不当性もありません。粛々と手続きをし、信念を持って土や作物を育てれば、それを邪魔立てする何ものもないということです。日本もまだまだ捨てたもんじゃありません。私は、正しい信念に基づいてブレずにやって行けば、それは必ず社会に貢献出来るはずだと考えているだけのこと。このことになんの援助もいらないし、特別扱いもしてほしくない。そんなことをされたら行動や判断の切先が鈍るし、そもそもそれがなければ成り立たない状態が間違ってます。原子力発電所は、トイレのないマンションによく喩えられますが、日本の農業は給油口のない乗合バスのようなもので、燃料を使い切ったら終りです。しかも乗車券は結構高いし行き先もよくわからん。そんなものに乗りたいとは思わない。ありがたいことに私は満足に動く両手両足を授かっているので、それでぼちぼちやるまでのことです。自然農法はカネもかからんし。私は日本の農業の将来だとかムラおこしなど全く関心がない。好きなものを好きなように作らせてくれればそれで良い。都会の真ん中で1反の田んぼなんて確保出来ないから田舎を志向したまでであって、田舎暮らしが先にあるわけではない。


 さて、「相異なる解釈に翻弄される」ことがあると申しました。私を含め、私のシェアに応答して下さった皆様その他お会いした皆様ご連絡を下さった皆様のお話を総合すると、かならずしも上のように法は運用されておらず、不当な解釈で行動が制限されていると見受けられますが、その具体例についてお話します。


 「これまで農業者の方々しか借りることができなかった小規模な農地・・・」これは、大阪府が最近始めた「準農家候補者募集制度」の説明にある文句です。農水省の見解とは全く異なります。規模の大小に関わらず、きちんと利用出来るのであれば、誰でも農地を借りることが出来る。しかし、私は農業を始めたいと思ったとき、10年以上前のことですが、当時、農業委員会なんて知らず、農家の知り合いもなく、ましてや農水省に問い合わせるなんて思いもよらなかったので、インターネットで調べたり、飛び込みで農家に話を聞きに行ったり、農協で訊いたりした話を総合判断せざるを得なかった。そこで言われたことは、「農家でなければ農地を使うことは出来ない」ということであり、それはこの農水省からの返事を頂くまで、どこで誰に訊いても同じ答えであった。


 そして話は続く。本来使うことは出来ないのだが、特別俺が取り計らってやるから・・・なんだかどこかの国のポリみたいなもんで・・・または、こういう制度があるからそれを利用するのであれば・・・というかたちで、なんとかして私を給油口のない乗合バスに乗せようとする。例えば大阪府の件の制度、これについて詳しく話を訊きに行ってわかったことだが、たしかに下限面積以下の小口で合法的に農地を借りることが出来る、しかしバス代として農産物を加工せずに年間結構な金額まで出荷することが求められる。それを達成するためには、農薬や化学肥料の使用は前提条件とならざるを得ない。もちろん制度としてはそれらを使えとは言ってない。しかし、使わなければ到底達成出来ないようなハードルの高さが設定されてある。まあブラック企業と同じ論理ですな。日本の農業全体がブラックだから仕方ないのでしょうが・・・しかも、条件の良い圃場は農家が手放さないから、出てくる物件は日照や水はけなど条件の悪い圃場が多いのが実態である。つまり、この制度は管理に手の回らない農家を助け、あわよくばその濡れ手で専業農家を増やそうという虫のいい施策です。その本音を先に言ってもらわねば、入口の入りやすさだけを強調されても馬の鼻にニンジンである。残念ながら私という馬は、鼻先にニンジンぶら下げられたくらいで興奮するほどお人よしではない。


 農薬と化学肥料に言及したので、私が農水省に要望した第一項目、すなわち「第一種農地において、肥育管理を農地利用の条件から外してほしい」という要望に触れておきましょう。「肥育管理」は畜産用語で、私たちの場合、正しくは「肥培管理」という言葉を使うらしいのですが、この肥培管理は必ずしも農薬や化学肥料を使うことを意味せず、捨て作りや粗放な栽培を行おうとするものでさえなければ良いということです。つまり耕作放棄状態になる事を防止するという法の主旨があって、一定の考え方に基づく「農法」を実践している限り、慣行農法と差があるからといってそれを排除することはあり得ない。


 しかし実際には「効率的」の意味をはき違え、雑草一本生えていないキレイな田畑を以て良しとし、それと同じでなければならないという暗黙の圧力がムラ社会の常識になってしまい、それを農協が出荷金額という考え方でフォロウしている実態がある。しかし、なんのために作物を作るのかといえば、喰うためであって売るためではない。だから、たとえ規模は自給レベルでも、作物をいかに育てていかに喰うかという考えを、実践として共有することには、自給レベルを越える普遍性がある。しかも、きちんとやれば、男一人一年間で5人分くらいの食を賄えるのである。これを実践して行く人を育てれば、育てた分だけ日本の食生活は安全になる。これを第六次産業といって、農水省も力を入れて取り組んでいるところであるので、むしろ奨励されるべきことである。ゴミステーションが隣にあるからどうしても掃除してしまうねんけどね、ゴミを見たら食生活が見えてしまいます。農家は、農産物を生産することには熱心だが、利用することはもひとつですな。そこから変わらなあかんでしょ。


 以上を以て、私の発した三つの要望の二つ目以下は既に解決しております。すなわち「個人の自給的な農業のあり方」は排除されていないし、農地の利用に農家登録は不要であるから問題になりません。同時に、過去に私は全国の同じ悩みや経験を持つ人たちと情報交換する中で得た「解釈」についても、上の見解から全てナンセンスであることがわかります。ただ、上に言及していないことで、気をつけるべきことが2つあります。


 ひとつは、農家家屋が「農振法」適用地域内にある場合、その家屋を農業以外の目的に使うのであれば排除されることがあります。しかし居住目的であれば借地借家法が適用されるので排除の対象にはなりません。実際にあった話ですが、風景に魅せられてある農村の古民家を購入した写真家が、物件を引き渡された後、上下水道の配管を外されたというのです。彼は住居兼アトリエとしてその家を使い、就農する意図はありませんでしたが、そこは「農振法」適用地域内にあるから、農業に携わらないのであれば上下水道は使わせない、必要なら適用地域外から引き込めと求められました。しかしそれにはとてつもない費用がかかるので、彼はやむなく買ったばかりの家を手放しました。後日、外した配管の復元費用を請求されたということです。上下水道は居住自治体の行政サービスであって、転入手続をし市民税を負担するのであれば、職業の分け隔てなく受けることが出来ます。「農振法」を根拠にこれを取り外すことの方が違法です。しかし実際にそういうことが起った。その背景にはその村の成り立ちやその後の経緯、すなわち隣接する自治体と合併して市になり、村民の感覚も含めたインフラ整備が追いついていないことなどが考えられますが、いずれにせよ正しい法律判断が出来なかったことによって莫大な損失を被ることになったという事例です。


 もうひとつは農家登録の件です。全くもって不明確な制度ですが、私たちにとって重要なのは、まず農家登録と利用権の設定は全く別であって、利用権の設定さえ出来れば、基本的に農地を自由に使って良いという認識を持つことです。農家登録は必ずしも必要ではない。さらに、これは上に言及しなかったことですが、ひとつの農家家屋に複数の農家登録が出来ないというのは、全くの誤解であるということです。しかしこの誤解は広くまかり通っており、これが新規に就農したい人を、「親方農家のお手伝い」という肩身の狭い状態に追い込んでいます。なにごとも、自分で観察して判断し、やってみて失敗し、試行錯誤を自分で繰り返さなければ、技術は決して身に付きません。先ずは利用の自由を確保し、何年も積み重ねることで理解を得、自由にさせた方が地主にとっても得策だと理解してもらうことが大切です。だからそうなることを目指しましょう。


 これで、農民・農家・農地・農村というものがどういうものか、だいたいわかっていただけたかと思います。もちろん、以上のことが確かに不当であるかどうかは個別事情について照会しなければわからない、というのが農水省の担当者の考えですので確定は出来ませんが、法の正しい解釈としては以上のようなものであるということです。しかし私は農業委員会に、行政指導は三回重なると行政処分となり、不服を申し立てれば裁判になると言われたのであり、行政指導の根拠は複数の法律の解釈による総合判断であると言われたのです。これらは単なる脅しであってなんの根拠もありません。私たちはこれに屈してはなりませんが、同時に怒りは抑えなければなりません。いままでは何をどのように批判されているのかがわからず、対抗する根拠すら見えなかったわけですが、これからは不当な扱いを感じたとき、上の見解を根拠に対抗出来ます。むしろ、私たちは彼らがなぜそうまでして保身に走るのかということを、ある程度理解する必要があります。


 農地には国が税金を使って整備してきた歴史があり、農村にはそれを共同で管理してきた歴史があるので、それに最大限敬意を払う必要がある。彼らはそれを守ろうとして神経質になっている。神経質になり過ぎて誤解や偏見がまかり通ることがある。私たちはそれと対峙することになるが、あくまで他人の農地や農家を使わせてもらい、自分とは別の歴史を歩んできた共同体に入るわけなので、地主・自治会・水利組合など、その集落が歴史的に必要としてきた組織には敬意を払い、理解を得て行くことは全てに優先するということを肝に銘じるべきである。私たちは新参者であるので、意見の表明は極く慎重に段階的に、直接的な行動ではなく、忍耐も必要になる。もちろん過激な行動はいけない。破壊活動はもってのほか。地域に溶け込み、しかし流されず、正しい認識を持って、もし不当な要求があれば毅然とした態度で理路整然と説得し、私たちが新規に農業に関心を持って農村に住み農地を利用して安全な食糧を頂きたいと思う気持を理解してもらう必要がある。違法な営農状態に怯え、甘んじている人たちは、同じ認識と信念を持って、堂々と農業委員会へ申請に行きましょう。彼らの話を聞きましょう、私たちの考えを伝えましょう。それが度重なって行くことにより、だんだん新規就農者を受け容れる本当の下地が出来てくるのではないかと期待しています。私が身元を明かさず、特別待遇を求めず、正しい認識を得たいと思ったのは、もし農水省から県を通じて農業委員会に話が行った場合、彼らが態度を硬化させることは明白だからです。そうなってはますます互いの理解が遠のく。しかし正しい認識の許に行動する人たちが増えれば、徐々に相互理解が進み、それを積み重ねて行けば、それは必ず日本の将来を救う。


 

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2014年02月20日

20140222 谷上マーケット

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谷上マーケットに出店します。

2014/02/22 (土) 10:00-16:00

http://niufarm.blogspot.jp/


物販 丹波黒大豆2013 (特大\400/ 200g)

   インディカ米2013 (3分搗\300/ 2合)

   赤白黒の糯米ミックス2013 (玄米\300/ 2合)

   プチパン (\100) 

   フスマクッキー (\200)

 

食事 黒インゲンと豚バラ肉のフェイジョアーダとインディカライス (\300 上の写真は調理例です) 


 以上、出すものは殆ど畑で収穫されたものばかりです。設備が限られておりますので充分とは言えませんが、あのcafeminhosの味が再び皆様の元に戻ってきます。どうかご期待下さい。マーケット自体は、一般のフリーマーケットというよりも、オーガニックな生き方を目指す人たちの情報共有の場という性格が強いので、最初は入りにくいかも知れませんが、どうか勇気を持って入ってきて下さい。

 

場所: http://www.mapion.co.jp/m/34.75805904_135.16434957_10/

 有馬街道箕谷ランプ東「ヤキタテイ」駐車場南に隣接する古民家です。

 駐車場は上記地図内「皆森」交差点に隣接する「箕谷駐車場」をご利用下さい。

 電車でお越しの場合、神鉄箕谷駅か北神急行谷上駅下車、いずれも徒歩10分以内です。


http://jakiswede.seesaa.net/article/383011711.html




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2014年02月14日

20140214 my funny V

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2014年02月13日

20140213 Hommage a Kes.

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2014年02月07日

20140203 Pentacon F

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Pentacon F Nr.263391 (84600?) + C.Z.Jena Nr.63847, 1:2 F=58mm


 1949年に東ドイツZeiss Icon社 (当時) で発売されたContax Sは、普及機としては世界最初のペンタプリズム付の一眼レフである。実はその前年にハンガリーでDuflexというペンタプリズム付の一眼レフカメラが出ており、厳密にはそちらの方が先なのだが、殆ど流通しなかった。それまでの一眼レフは、Practica FXやExakta Varexのように、レンズから入った光をミラーで直角に曲げて、それをカメラ背面から観察するウェスト・レベル・ファインダーのカメラだった。これは天地は正像になるが左右が逆像になり、これを解消するために光路にプリズムを置いて、アイ・レベルでの天地左右正像すなわち見たままの画像を観察出来るようにしたものである。逆にいえば、それまで出来なかったということである。このPentacon Fは、Contax Sが2度目の改良を受けて生まれたContax Fというモデルの西側への輸出仕様であり、両者は全く同じものである。私はこのカメラの形をこよなく愛する。なぜなら、ペンタプリズム付の一眼レフのあるべき姿が、最初にして究極的に実現されているからである。無駄のない美しさ、手に持ったときの繊細さ、重々しい質感ともに、私はこのカメラをこよなく愛する。


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 Contax Sは三脚穴の中にフラッシュのシンクロ接点があったが、これを汎用ケーブルの使えるものに変更して巻き戻しノブの脇に移設したのがContax D、それまで手動絞りのレンズを標準装備としていたものを、プリセット絞りのものを付けて発売したものがContax Fとされている。


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 好き嫌いの別れるところだが、このカメラの特徴のひとつに、シャッター・ダイヤルの使いにくさがある。カメラ背面に見えるスライダーを右にずらせば、上部の花形に見える窓の右端に黒い矢印が出、左にずらせば左端に赤い矢印が出る。前者が高速側、後者が定速側で、窓の中の円板にそれぞれ黒字で・50・100・200・500・1000、赤字でB・1・2・5・10・20と表記がある。手前のダイヤルは傘型になっていて、それを押し付けて回すと、窓の中の円板が回ってスピードを選ぶ。高速側の黒い数字は黒い矢印を出してその矢印に、低速側の赤い数字は赤い矢印を出してその矢印に合わせるのである。シャッター・ボタンは前面に斜めに位置されていて、押し込むと「ジャッ」という音がする。この音を嫌う人が多い。


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 巻き上げ側のフタには、「Germany USSR Occupied」のスタンプが押してあり、東側から西側への輸出商品であったことが伺い知れる。カメラのPentaconという名称も、本来Contaxで良いはずなのだが、同じ会社でありながら西側に再建されたZeiss Icon社との間で商標権争いが起きて、やむなく変更されたものである。ペンタ・プリズム前面にはZeiss Icon社の象徴であるErnemann工場の塔がデザインされている。Pentaconではその基部にZeiss Iconのイニシャル「Z.I.」が掘り込まれていたが、Fにはない。ちなみに付いているレンズも、本来ならば、堂々と「Carl Zeiss Jena, Biotar  1:2 F=58mm T」と表記すべきところ、上のような略式のものになり、レンズ名の表示もなくコーティング表示も変えられた。しかしレンズは、立派なBiotarである。


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 このカメラは、右から左に開く。裏ぶたは左でヒンジで止められている。


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 巻き上げスプールは着脱式なので欠損しているものが多い。幸いにして私のものは、「Contax」と表記のあるものが無傷で付属していた。


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 フィルム装填は、このスプールにフィルム先端を挿入してからセットするのが良い。レンジ・ファインダー式の「Contax」や、その後の「Contax RTS」が順巻きなのに対して、これは一般的な逆巻きである。


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 巻き戻し側は、このように裏ぶたがフィルムを固定する仕掛けになっている。フィルムは、気持ち下から入れる。


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 一連のContax S系の一眼レフは、中古市場では不動品が多い。その最も大きな原因は、ミラー・セットにひもが使われていて、その切れたものが多いためである。私の個体はジャンク扱いで安く売られていたものだが、店頭で動作が確認出来たことと、レンズの状態が良かったので購入することにした。もっとも、これとていつ切れるかわからないので、頻繁に持ち出すカメラではなく、まとって気取るカメラではある。安かったのは、Contax表記でないこと、レンズも略式表記であるからだという。日本人の純正崇拝のおかげで、私は安く買い物が出来ました。


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 ファインダーの見え方はこんな感じである。当時のカメラの中でも暗い方だと思う。しかしピントの山が実に掴みやすく、プリントしたときのイメージと繋がりやすい。私はこの見え方が正しいと思う。その後のカメラのファインダーは、ピントのズレの検出に神経質になり過ぎて、ファインダー画像のイメージと、実際に写真として仕上がったイメージのズレが大きい気がする。芸術はその瞬間にどうするかが問われる。ピントなど少々ずれてても良い、それより写したいものがきちんとイメージ出来てるかの方が大切だ。そういう意味で、私は仕掛けの多いファインダーよりも、暗くても良いからマットなすりガラスのファインダーが良いと思う。

posted by jakiswede at 02:18| Comment(0) | もちものじまん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20140206 農地の利用権設定

 農地の利用権設定を地主が拒否する理由について、何件か質問が寄せられましたので、少し説明しておきたいと思います。
 たとえば10反の農地があって、5人に1反ずつ小作に出したとします。その後、国の政策が変わって20%減反せよということになると、全体として2反を減反しなければならないが、それを小作人に対してひとり0.2反ずつというのは割り切れないので、結局地主が全て被ることになり、3反しか作れなくなる。つまり20%の減反は、地主にとっては40%の減反になるのです。
 そのかわり、たとえば20反の農地があって、10反やりますわと言えば、割り切れるので問題ない。だから小口の利用権設定は嫌われる。
 つまり、10反 (1丁) 以上、せめて5反の農地でやり取りしないと、利用権設定という話になりにくい。さきの大阪府の取り組みの意義は、これまでの全ての新規就農支援施策が、既存農家の利益をどう守りつつ新規参入を受け容れるかに主眼が置かれていたのに対し、これから取り組む意欲のある人に初めて目を向けたことです。1反や2反で利用権設定ができるなら、こんなありがたい話はない。これができないから、手づくりでやろうとする人たちは、みんな地主にぺこぺこ頭を下げて、みつからないようにこっそりと雲行きを見ながらびくびくやらなければならない。「準農家」だろうが「偏農家」だろうが身分なんてどうでも良い、堂々と作品を世に問えればそれで良い。偽装も偽作も俺には関係ない。

posted by jakiswede at 02:07| Comment(0) | farminhos | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月06日

20140206 善は急げ

早速以下のような文面を、大阪府の担当部局へ送ってみました。これも字数制限がありますので、かなり端折ってます。

「準農家候補者を募集します」の詳細について質問があります。持続可能な農業を考える上で、大変素晴らしい制度だと思います。多くの人に活用されて、多様な農業が開花することを望みます。私は7年前に農的暮らしを目指して神戸市北区に移住し、2反の田畑を借りて自給的生活をしておりますが、事情があって利用権の設定や農家登録が出来ないまま、農家である地主のお手伝いという名目で耕作をして参りました。しかし、おそらく誰かが農業委員会に通報したらしく、2年連続で農地の不適正な利用をやめるようにとの行政指導を受け、やむなく移住を検討しております。「安全な食を得るために農薬や化学肥料を使っていないのですが、これは慣行農法である地主の手伝いとはいえない、「自給的生活を始めた私のところへ友達が来るのですが、一緒に田畑に入ることは農地のまた貸しにあたる、「借りている農地は第一種農地ですが、そこで自給的生活をすることは、国の食糧生産手段の私物化にあたる、などというのが主な理由です。そこで質問ですが、「大阪府内ならどこでも良いのですが、登録して農地が確定してから空家を探して良いか、「事業計画にある農産物販売目標金額は、純粋な出荷金額なのか、収穫物を加工したり調理したり様々に利用して得られる収入を合算して良いのか、「栽培品目や農法について制限を受けないか、「契約は無期限に延長出来るか、以上4点についてご回答いただければ幸いです。よろしくお願い申し上げます。

posted by jakiswede at 22:46| Comment(0) | farminhos | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20140206 灯台もと暗し

準農家候補者支援事業・・・こんなこと大阪府がやってるんや・・・

http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/20486/00000000/25youkou.pdf

これ、私が言うてること全部解決してるやん・・・あとは栽培品目や農法について制限を受けないことと、事業計画の中で農産物の加工販売分を算入して良いかということと、契約を無期限に更新出来るかどうかだけ確認出来れば、乗る価値ある。教えてくれた人、ありがとうございます。それにしても全国で初めての取り組みというから、やっぱりこれは府が取り組むほどに難しい問題やったんやな。個人では歯が立たんわ。未だ弁護士や法律相談、農水省からも返事ないしね・・・
とりあえず登録だけしといて、ダメモトで待っといて、その間はおとなしいにしといて、決まったらその農地の近所に空家が出るかどうか・・・それまでの間、移住資金を貯めるために仕事に就いてもええし・・・仕事決まったら春からここの農地は何も栽培せずに草刈だけしといたら農業委員会も文句ないやろ。やってなかいから苦情もないわな。そうならざるを得んよいまの仕組みでは・・・兵庫県もこれせえへんかな・・・
posted by jakiswede at 19:39| Comment(0) | farminhos | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20140206 DOĞA İÇİN ÇAL 1

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2014年02月05日

20140205 補足説明その2

 皆様より様々なご提案、アドバイス、励ましのお言葉を頂き、心より感謝いたしております。先のシェアは農林水産省への問い合わせで、フォーム入力に字数制限がありましたので、要約して書かせていただいたものですが、お寄せ頂いた疑問に答えるには、もう少し補足説明が必要と思われますので、加筆させていただきます。

 私が現住所に移ったのは2007年のことで、その5年前にここに住まわれていた地主のおばあさんが亡くなり、空家になっておりました。私は当時西宮市の都市部に住んでいて、主に食品業界で営業をしておりました。2002年頃に地主と知りあい、通いで農地3畝程を借りて野菜作りを始めましたが、やがて心安くなって、空家の管理に手が回らない地主と、田畑を耕作して自給的な生活をしたかった私の思いが通じて、この屋敷への移住が実現しました。

 私は正式な賃貸契約書を用意しましたが、地主の事情で書面での契約は出来ませんでした。それは、この家は地主家の本家にあたり、親族は売却にも賃貸にも反対、しかし管理は筆頭者である地主に迫ってくるという事情で、それを打開するために「住み込みの管理人」を置くという形を執ったからです。私は当時、田畑を貸してもらえるなら身分などどうでも良かったし、それまでにも何件か農家を貸してもらえる話があったのですが、どれも話を詰めていく段階で無理難題や難色が示されたりした経験があったので、この話に乗りました。今から考えれば迂闊だったと思いますが、当時としては農的生活を始めるにはそうするより仕方がなかった。

 数年貸農園に通って、それを耕作出来たからとはいえ、地主にとって、私がどれほど農作業出来るか、定着出来るかは未知数だったと思います。都市から農村に憧れを持って通って来たり移住してくる人たちを何人も見ましたが、そのほとんどは結果的に途中で投げ出して去っていきましたので、地主の気持は理解出来ます。だから手始めとして、彼は自分の農作業や少なくとも農地の管理を手伝ってほしいと期待したのでしょう。しかし、私は自給的生活に基礎を置いて、そこから持続的な生活のあり方をこの農地で考えたいと思っていたので、自分の好きなものを、自分なりのやり方で試行錯誤したいと思っていた。もちろん、屋敷や農地の管理はする前提の上でのことです。

 初めは、地主と同じような作り方をしていたが、だんだん独自のやり方を身に付けていった。農薬は当初から使わなかったが、牛糞などの有機肥料は使っていたし、除草は手作業でまめにやったし、土も良く耕した。しかし、やがてこのやり方に疑問を持つようになり、まず肥料を施すのを止め、次に除草を最低限とし、最後には耕すことも止めた。なぜなら、肥料を施した方が良いと考えるのは、自分の判断の方が自然の摂理よりも勝っていると考えることであり、除草を加減したのは、草があるおかげで土は乾燥せず、土を舞台として様々な生命の連関が見られ、その方が良いと思ったからであり、耕すことを止めたのは、こぼれ種に蒔き時を教えてもらうチャンスを失うからで、これらの総合体を「自然農法」ということは、後から知った。

 こうしている間に、私が農的生活を始めたことを伝え知った友人たちや、日々の作業を綴ったブログを見た人たちが集まってくるようになり、自然発生的にグループが出来た。私はこれを「farminhos (ファルミーニョス=小さな農夫たち??) 」と名付けて、決まった連絡方法をとることにした。リスト・メンバーの数は、最も多いときで百人近くにもなり、私の田畑での作業だけでなく、地主や友人の農家を手伝ったり、近隣農家の田植えや稲刈りを、事実上無償で請け負う形になったこともある。農家は金を払うと言ってくれたが、みんなボランティアで喜んで来てくれたのだから、交通費と昼食だけにしてもらった。この活動は、懇意にしてくれた近隣農家数軒に対し、3年間続けた。活動は、自治会の会報や地域の新聞に、新しい草の根の取り組みとして掲載された。私は、大阪からほど近いこの静かな農村が、このようにして後継者不足を解消出来て、それが食の安全に寄与することになれば、そんなに良いことはないと思った。こうして一件ずつ賛同者を増やしていきたいという思いで、仲間とも話しあったし、仲良くしてくれている近隣農家の人たちとも話し合っていた。「おかげで今年は農協にカネ払わんで済んだわ」と言われたが、「ウチも頼む」と言われたのを、段取りが確約出来ないので断ったこともある。

 しかし、グループ活動の維持は簡単ではなかった。鎌や鍬を持ったこともないくせに農法について対立が起ったりした。私はグループでの農地利用のあり方を考えざるを得なくなった。共同作業にすると分け前でもめる。自由参加にすると収穫時にしか来ない。貸農園にすると手入れしない人が出る。体験農園にすると自由がなくなる。こうした模索が本格化し試行錯誤が進み、farminhosとして拡張を望みはじめた頃から、地主の顔色が悪くなった。私の頭越しに直接メンバーに強い調子で言葉が投げ掛けられたりした。やがてそれは、彼がここでのリーダー・シップを侵されると感じはじめたことの現れではないかと気がついた。私はもちろんそんなつもりはない。地主の元に返されてくる農地の作り手を養成することは、直接彼の利益になるはずだし、そのための相談も怠りなく大筋では合意出来ていたはずだ。しかし、確かに我が物顔で母屋を使い、彼の活動とは別個に盛り上がっている状態は、彼にとって自分の屋敷にいづらくなることには違いなかった。結果的に、私はfarminhosを活動休止にし、現在は一人で出来ることだけをやる規模に縮小している。

 一方地主も、持て余す農地の管理をするために、地元の有志や学校と連携して、農作業や野外活動を体験するNPO法人を運営している。ただ、その本拠はこの屋敷ではなく、都市計画区域内の彼の自宅である。野菜作りでは、畑の脇に肥料を山のように積み上げて、野菜を作るにはこれだけの養分が必要だと説き、除草・整地・畝立を美しく仕上げ、畑のあるべき姿を教えている。しかしその横で、私は肥料も与えず、除草もそこそこ、耕すことすらしないで、友達と畑ごっこをして遊んでいる。作物が採れなかった当初はそれで良かったのだが、やがて自然の循環が回りはじめると着実に収量が上がり、やがて地主の田畑を凌駕する程になった。今では私には農夫のプライドというものがよくわかる。私は自分なりのやり方で、全てを自分で判断して穀物や野菜を栽培し、それを加工して貯蔵し、着実に農的生活を実現していく、そしてそこに人が集まってくる・・・このことが、彼のプライドをいたく傷つけているのではないかと想像する。しかし後戻りは出来ない。

 そのかわりと言ってはなんだが、共有部分の手入れや交渉は、彼の分も私が引き受けている。自分のところだけでなく、地主の田畑の周囲も、殆ど全て私が草刈りしているし、地主に代わって隣保組合・自治会・水利組合の用事も全て引き受けている。特に水利関係は、私も水を使わせてもらっているし、地区は高齢者が殆どであることから、台風や大雨の後には、水路の点検や掃除を、当番でなくても自発的にやっている。これは当然のことと思っているが、あるとき組合の人から「君にないのは権利だけやなあ」と言われた。話を良く聞いてみると、私は組合員が負うべき義務以上のことをやっているが、農家登録がないので組合員になれないということだった。そのとき初めて農家と非農家というものがあると知った。

 農業委員会から行政指導されたと書いたが、詳しく言うと、2012年の田植えの直前、農会長を名乗る人が来て地主に伝言を頼まれたのである。地主は普段はここに居ないからだ。内容は「無許可で農地を使っている実態を改善するように」ということで、農会長はそれだけを言い残して帰っていった。つまり彼は、私が当事者であることを知らない。当時、地主と私の関係は非常に険悪な状態だったので、この件は直接伝えず、自分で調べて「無許可で農地を使っている実態を改善する」には、私が農家になる以外道がないことを理解した。そこで、彼の機嫌の良いときを見計らって、農家になるためにはどうしたら良いかという一般論を訊く形で、彼に農地の利用権の設定について打診してみた。すると、だいたいの法的要因について説明してくれた後、法律上、私は彼の手伝いという立場になっていることがわかった。私が農家になろうと思えば、彼の農地を継続的に利用することの証明がいる。しかしそれを渡してしまえば、その分の国からの保証金がもらえなくなるので不利になるという話であった。だから利用権の設定は出来ないのだと。しかし調べてわかったことは、それは当時、年間1万いくらかのことなので、その分を補填するからと申し出たが、今度は別の理由をつけて断られた。要するに嫌なのである。関係をこじらせたくないので、それ以上は追求しなかった。私は自治会長に相談して、取りあえず事情を農会長経由で農業委員会に伝えてもらうことにした。だから、その時点でそれが行政指導であったかどうかは不明である。

 その年の冬、地主に重篤な病気がある事がわかって、とても農作業を続けられないというので相談を受けたとき、私一人で彼の農地を切り盛りする事などとても不可能だから、友人たちを集めて先ずは3反、うまくいけば1丁程度をなんとか出来るよう努力しよう、ただし、一切を私に任せてくださるのならば・・・と申し上げた。その際に返ってきた返事に私は耳を疑った。「他を受け容れず、自分たちのゲレンデにされるくらいなら、草ぼうぼうになった方がマシ」・・・しかし後継者のいない近隣農家から、庄屋である彼の許へは、前年の秋から続々と農地が返されてきた。それを後継者のある別の農家に作ってもらうように頼みに行ったり、彼のNPOで使う農地を拡張したりして凌いだ。もちろんその作業も手伝った。もめている間に草ぼうぼうになるからだ。

 翌2013年の田植え直前、別の農会長を名乗る人が来て、地主に対して同じ主旨の伝言を残していった。「農会長」は輪番制らしい。農繁期に入って忙しかったが、仕方なく私は農業委員会へ出向いて、事実を確認しようとした。しかし農業委員会が言うには、私には農家登録がないのでお答え出来ないということだ。非農民は行政指導の対象にならない、行政指導の対象者は地主であって、本人からの問い合わせがあれば、本人にはお答え出来る、とのことだった。そこで一般論として相談に乗ってもらおうと、農業関連法規が何をどのように規定しているのかを、私がしてきたことややろうとしていることに則して訊いてみたのだが、どうにも話がかみ合わない。例えば、安全な食を求めて移住した私のところへ友人たちが農作業を体験しにやって来るというと、それはまずいと言う。ではどこがどう違法なのかと訊いているのに、隣近所の田畑の畔に車を止めたら苦情が出るとか、夜中まで騒いだことはないかとか、無関係な話にばかりすり替えて、何度も問い質して漸く次の言質を得た。農民でない私が農地を触る場合、農民である地主の手伝いという立場でなら黙認出来るが、地主が現場にいない状態で農民でない私とその友人たちとが勝手に農地を触っているとすれば違法である、なぜなら農地のまた貸しにあたるからである、ということだ。安全な食を求めて実体験を通じて試行錯誤することが、なぜ農地のまた貸しにあたるのか、そうしなければ農民でない者が安全な食について知り得ないではないか、と問うたが、そういう話は貸農園でやってくれとばかりにパンフレットをくれたのだ。では一反の田んぼを貸してくれる貸農園があるのかと問うと、ご自分でお探し下さいという。あるはずがないのだ。貸農園などには別の法律があって、広さや料金について細かい規制がある。一反もの田んぼを貸農園として一括で解放すると、近隣農家と利害が対立しかねないので許可されるわけがないし、できたとしても賃貸料が高額になり過ぎる。わかっててこういうことを言うのだ。ひととおり辛酸なめて舌まで切っとんやこっちは・・・早よ全部吐かんかいやコラ!! 長時間かかったが、そこで農業委員会の一般的見解として確認出来たことは、「農民」でない者が、「農家」に居住すること、「農地」を生産手段として使用すること、「農地」をまた貸しすること、「農地」から得た収穫を利用すること、「農地」の維持以外の行動をとることなどは、全て違法行為であるということだ。そういうことがあれば、借り主ではなく、貸している地主に対して行政指導が行われると。私は重ねて問うた。では、その根拠となる法律の条文を示せと、答えは、これは法律の解釈であるので総合判断であると。では地主に対して文書で通達せよと申し上げたが、本人からの要求がなければ出来ないと・・・。

 先に「私は正式な賃貸契約書を用意したが、地主の事情で書面での契約は出来なかった」と書いたが、真実は農家登録の問題があったからだと思う。制度では、農家登録というものは住民票の所在地で登録され、代々世襲されていくものである。この屋敷は地主家の本家であるので、農家登録がある。私は本格的に農業を始めようとしていた。いずれ農家になりたいと言い出すだろうが、その時期は本当に出来るかどうかを見極めてからで良い。長期的展望ではない、その頃には風向きが変わっているかも知れないから。農家はそういう考え方をすることが多い。だから、あらかじめ農家登録に言及することは避けて、親族の意向ということにしておいたのではないか。農家登録は、たとえ空家になっていても登録自体は残り、同じ住所地で別の家系の者が農家登録することは出来ない。これは農業委員会で確認したことである。とすれば、耕作放棄地や空き農家はこれからどんどん増えるのに、新たに農家登録出来る空家はほとんどなくなり、新規に就農したくてもますます困難な事になる。

 どれだけの法律が、農業や農民や非農民を規定しているのか、私にはわからない。だいたい農業委員会という組織が先ずわからんし、農協・農会・農事組合・・・いろいろ団体があって更にわからん。それに行政指導というものがわからんし、これを守らなかったらどうなるかもわからん。本当に行政指導3回で行政処分なのか、そもそも法的根拠が全くわからん。日本は法治国家であるので、法を犯せば罰せられるであろう。そして、いくつかの法律を総合的に判断すれば上のような解釈が成り立つというのであれば、私のやっていることは違法行為になりうる。しかし、私のやろうとしていることは全く当然の正当なことであり、犯罪などではない。しかも、私は法律を守りたいから、守り方を教えてくれと頼みに行ったのだ。それに対する答えが上のようであっては、守りたくても守る術が無く、守っているつもりでも、いつどのような解釈で罰せられるかわからない。私は上のような解釈は詭弁だと思う。これがまかり通るというのであれば、法律など為政者の都合の良いように、どうにでも変えられるであろう。改正なんて面倒な手続きもいらない。もしそうであるというのなら、私の行動を違法とした解釈について、それを確定し、ひとつひとつ突き崩していく以外に方法はない。だから私は真実を知りたい。その上で対策を考える。さらには、日本の農業の持続的な生き延び方について、真剣に提案したいと思っている。

 もちろん、こうなってしまったことの直接の原因は、だいたい察しがつく。それはいくつかの要因が重なっている。ひとつは、キレイな農地を以て良しとし、雑草のある農地を嫌う人がどこかに居て、その人が通報した。または、たった数件とはいえ、farminhosの援農活動に仕事を奪われた農協が通報した。あるいは、私のところに都会から人が集まってきたり、楽しそうにいろんなことをやっている実態を悪く思う人が通報した。なぜなら、農業委員会でこうも言われたからだ。「米や野菜を作って、小麦を栽培してパンも焼いて、ハーブやスパイスを使った料理まで作って、いろんなことを実現出来てるじゃないですか、贅沢ですよ。ほとんどの農家はね、農薬に目をやられて化学肥料に手があれて、機械のローンに苦しんでるんですよ、それでも喰えないから働きに出て休みの日に農作業して、その横で楽しげにされたらどう思いますかねえ。」これが行政機関の言うことか ?? 日本の農業をそんな風にしたのはお前らではないか。それに、私は自分の欲得でこれをやっているのではない。持続可能な生活様式を提案しているのだ。農業委員会に何を訊いても無駄である。そのような目でものを見ていったら全てに疑いの目を向けなければならなくなる。farminhosに参加して意見の対立から去っていった人たちや、地主との軋轢・・・それを個人的な個別事情と捉えるのではなく、そこに農村・農家・農民という精神的風土が滲みだしているから、私はシェアしたのだ。それが結局自分の首を絞めていることに気付かないばかりか、それを農家の既得権益と履き違えて守ろうとする。明日のために何が出来るかを考える姿勢はなく、明日を考える者の素朴な疑問を煙に巻く。これが農村に蔓延しているからシェアしたのだ。これが行政機関の言うことか ?? もちろん私にはわかってる。この屋敷に住んでいて、この圃場を使っている人間を知っているのは、極く限られた人たちだけだから。可能な対策はここを去ることだということもわかってる。しかし、それでは何も解決しない。次の人がまた同じ目に合う。だから問題を突き詰め、結局のところ農水省に問い合わせた3点に絞り込んだというわけだ。すなわち・・・

 

1. 第一種農地において、肥育管理を農地利用の条件から外してほしい。

   この考えが農法の多様性を排除する。多様性のない種は滅亡する。これは科学が証明している。


2. 効率的で集約的な農地利用を推進する余り、個人の自給的な農業のあり方を排除しないでほしい。

   化石燃料は枯渇する。人力で出来る農業は従事者の約5倍の食が賄えるが、熟練には年数がかかる。

 

3. 農家登録の必要条件を緩和してほしい。

   農業を放棄した農家が資格を占有し、農業を志す無資格者が入れない矛盾を解決すべきである。


 農水省がまともな組織であれば、私の言っている意味がわかるはずである。農業委員会には上から行政指導してもらわなわからんやろ。気遣ってくれた皆様、ありがとうございます。だいたいこんなわけです。

posted by jakiswede at 23:50| Comment(0) | farminhos | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20140203 Praktiflex FX

 

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 Praktiflex FX Nr.79528


 一眼レフカメラは、「カメラ・オブスキュラ」というものが原理である。これは、レンズを通ってきた光をミラーで直角に進路を変え、その先に設置されたすりガラスなどに画像を映し出して観察するもので、おもにデッサンに使われた。ミラーの中心点からスクリーンまでの距離と同位置に感材 (すなわちフィルム)を置き、その直前に開閉できる遮光板 (すなわちシャッター) を配置し、ミラーの退避、シャッターの開閉を制御できるようにすれば、感光材に適切な画像が得られる。ミラーを置くのは、感材に投影された像を直接観察する事が難しい、なぜなら感光してしまうからであって、感材とは別に観察用のスクリーンを置く事で、画像をゆっくり観察できるようにするためである。このカメラは、そういうシステムを、35mmロール・フィルムという小さな画面で精密に小型化したものといえる。


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 それまでのカメラは、撮影レンズを通る光路と、被写体を観察する光路は別になっているものが主流であった。箱形で、撮影レンズの上部にいくつかの窓が並んでいるのはそういうカメラである。撮影者は、ファインダーを通してそのいくつかの窓から被写体を見て、フレーミングしたりピントを合わせたりする。そして合点がいったらシャッターを切るのだが、このシャッターは、撮影者が見ている光路とは別の撮影用のレンズに装備されている。しかしフレーミングするにしてもピントを合わせるにしても、撮影光路と観察光路が別になっていたのでは、原理的に両者は合致しない。この差の事をパララックスという。特に近接撮影ではその差は大きくなり、見ている位置が違うので映っている範囲がずれる。ちょうど、右目だけ、左目だけで、近くのものを見ると、両者の見え方が違うのと同じである。またピント合わせは、三角測量の原理を応用して二カ所から見た像を合致させるやり方が主流であるが、その装置とレンズの繰り出し量を検知する装置の工作精度や連動精度が、ピント精度を直接左右する。つまり靴の上から足を掻いているようなものである。一眼レフが生まれる前は、このようなレンジ・ファインダー式のカメラが主流であった。


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 映画用35mmロール・フィルムのカメラへの普及が進むにつれ、写真は様々な場面に使われるようになった。おそらく写真撮影の現場で最も厳しい精度が要求されたのは、接写・複写・顕微鏡写真の分野であっただろう。これらの世界では、撮影光路と観察光路が別になっていたのではほとんど用をなさない。そこで、見たままを撮影できる機材が当然の要求となった。これに最初に答えることができたのは、おそらくExaktaというカメラであろう。これは、スタンドに取り付けてレンズを下に向け、下に置いた原稿を複写するのに好都合であった。真下からレンズに入った光は、ミラーによって水平方向に向かい、撮影者はこれを自然な態勢で観察することが出来る。撮影するには右手でシャッターをレリーズして、右手で巻き上げレバーを巻く。Exaktaは、このように主として複写用に用いられた。しかし、このカメラを外に持ち出して風景を撮影しようとすると、ちょっと困ったことになる。スタンドに取り付けてレンズを下に向ける使い方では、シャッター・ボタンも巻き上げレバーも右手で操作出来るのだが、これを手に持って上から覗き込む使い方では、ふたつとも左手側に来るからである。なぜExaktaがこれに対応しなかったのかは謎である。


 おそらく普及型としては35mm一眼レフの最初はこのExaktaで1936年、実はその前年の1935年に旧ソ連でСпормという35mm一眼レフが開発されているが、普及には至らなかった。その2年後の1938年に東ドイツでPraktiflexが発売され、Bolsey、Alpa、Duflexはあるけれども、主なものとしてはContax Sが1949年に発売されて、35mm一眼レフ黎明期の役者は出そろった。その後各社改良を重ね、1952年にPraktica FXと、上位機種であるPraktina FXが発売される。Praktiflex FXは前者のアメリカ向け輸出モデルであり同一のカメラである。当時Leicaは未だバルナック型のIIIfの時代で、大勢としてはレンジ・ファインダー式のカメラが主流であったが、ExaktaはVarex Vに、ContaxはD型に進化しており、同年に日本では、国産初の一眼レフであるアサヒフレックスが発売されている。

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 さてPraktiflex FX、これは上から覗き込んで写真を撮るカメラである。この姿勢で撮影することをウェスト・レベルという。携帯時はスクリーンは折畳フードに覆われているが、背面のボタンを押すと、ワンタッチでフードが組み上がる。撮影者は、ミラーによってはね上げられた画像を、カメラの背後からスクリーンの裏側を覗いている格好になるので、天地は正像だが左右は逆像になる。スクリーンはコンデンサー・レンズのついたすりガラスで、少しディストーションがあるが快適にピント合わせが出来る。背面側のフードにはレンズが格納されていて、小さなレバーで引き上げることが出来る。このような緻密な工作が、持っていて楽しいカメラである。シャッター・ボタンは前面にあって、水平に押し込む。使い慣れると、あうんの呼吸でピント合わせが出来、カメラを目の前に構え (アイ・レベル) ないので、場の空気を壊しにくい。また、目線が低くなることから、少し日常の印象とは異なる作品が出来ることが多い。


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 前面フードを写真のようにはね上げ、背面フードのレンズでこれを支えると素通しのフレームが組み上がる。もちろんフレーミングやピント合わせは出来ないが、左右逆像の動きに悪酔い中に撮影を迫られたときなどに良い。これをスポーツ・ファインダーという。しかしアイ・レベルでこのシャッター・ボタンは使いにくい。


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 フィルムを入れる。カメラを構えた状態で左側面に↑のついたスライド・ボタンがあって、これを上げると裏ぶたが右へ開く・・・と見せかけて実は外れてしまう。


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 フィルム装填は巻き上げスプールの切り込みにフィルムの先端を入れる。市販されているフィルムの先端の幅に合っているが、スリットは軸を貫通していないので、確実にフィルムをくわえ込んだかどうかを確認する必要がある。


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 フィルム送り側は、バネになった押さえ金具があって、フィルム給送は安定している。


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 シャッター・スピードの設定は、ダイヤルの外輪をつまみ上げて、希望する数字のところへ落とす。内輪の矢印を基部の黒い矢印に合わせてあるときは高速側で、1/25・1/50・1/100・1/200・1/500秒、赤い矢印に合わせてあるときは低速側で、B・1/2・1/5・1/10秒である。フィルムの巻き戻しは、シャッター・ダイヤル手前の小さなバーを押し込んで、フィルム送り側のノブを右に回して巻き戻す。巻き戻している間中、バーを押し込んでいなければならないが、フィルム先端が巻き上げスプールを外れる感触が指先に伝わるので、先端をパトローネから出した状態で止めることも出来る。まあ自家現像する人は希少なので、こんな話してもわからんよね。


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posted by jakiswede at 23:45| Comment(0) | もちものじまん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20140128 米糀仕込み失敗

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 ようやく落ち着いてきたので、丹波の黒豆を使って味噌仕込み・・・でも今年はどうも糀の仕込みがうまくいかず、諸般の段取りの都合で乾燥糀を購入。


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 これが初めに仕込んだ糀の出来損ない・・・なんでこんなに水分を含んでしまったのだろうか・・・アルコール醗酵が始まっているようなので、取りあえず冷蔵して別の使い道を考える。


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 これは、先の失敗を予感してから慌てて仕込んだ第二弾、下のものと同じ蒸し器で同時に作ったのに、こちらはべとべとのおこわ状態・・・


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 こちらは粒状性は良いのだが、肝心のカビがちっとも生えてこず、臭いも発熱もない・・・xxx

posted by jakiswede at 23:24| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2014 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20140128 Karadeniz Kemençe

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 なんと、ヤフオクにカラデニズ・ケメンチェというトルコの黒海地方に伝わる伝統的なバイオリンがキョーレツな安値で出ていたのでゲット。いやあ・・・良く鳴ります。



posted by jakiswede at 23:15| Comment(0) | もちものじまん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20140119 初積雪

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 20140118 やけに空が赤いなと訝っていたら、


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 翌日は案の定・・・今冬は寒いという予報だったが、凍りつくほどの寒さは初めてかな・・・


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 ・・・と、不安を感じてサツマイモ・・・やっぱりサツマイモの貯蔵は、ここの気候には向いてないんかな・・・


 

posted by jakiswede at 23:09| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2014 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月04日

20140118 Biotar 1:2 f=5.8cm

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 Praktiflex FX Nr.79528 + Carl Zeiss Jena, Biotar 1:2 f=5.8cm T Nr.3420325


 旧東ドイツのカメラである。ボディはアメリカ向けに輸出されたモデルで、東ドイツ本国で1952年に発売されたPraktica FXと同一のものである。カメラについては、十分インターネット上に情報が行き交っているので、特に説明しない。ドイツ的に繊細で上品だが壊れない、またドイツ的に無骨でいなたいが素直で愛すべきカメラである。中古市場で多く見かけたが、個体差がかなりある。私の所有しているものはあたりが良かったのであろう。


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 ボディの事はいずれ書くとして、ここで取り上げたいのはレンズである。M42スクリュー・マウント、所謂プラクチカ・マウント、Carl Zeiss JenaからBiotarは数多く出ているけれども、「cm」表示の完全手動のこのレンズが最も好きだ。おそらく、このカメラに標準装備して出荷され、そのままの状態で使われ、転売され、日本にやってきたのであろう。両者とも60年以上経っていることになる。

 

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 同じスペックでありながら、プリセット絞りや半自動絞り、そして完全自動絞りを取り入れて行った後の製品よりも遥かに小型で、しかもずっしりと重く、60年以上の年月を経てもなお各部の動作は、軽すぎず重すぎず、滑らかにどうさして、確実な手応えで止まる。


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 このレンズには、ボディと連動させる一切の装置がない。良い画像を得る事だけを考えて設計されたのであろう。完全手動であるので絞りを高速運動させる必要もない。その最たるものがこの絞り。絞り羽根の枚数が、たぶん18枚くらいあって、ほぼ真円形に絞られる。


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 例えばこの写真は完全自動絞りのレンズで撮ったものだが、絞り羽根は6枚であるので、フレアに絞りの六角形が映り込んでいる。この後のカメラとレンズは速写性を高める方向、すなわちすべての動作が自動的に高速に連動するように開発の主眼が移って行く。その結果、レンズそのものの性能は向上したのに、レンズの絞り枚数は減らされた。画質よりも光量調節が優先され、絞りの摩擦を低減するためである。そういう点で、まだ自動化を知らず、画質に集中して設計されたこのレンズが、良好なコンディションで手許にあるという事は、実にありがたい。


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 一つだけ不満な点がある。それは最短撮影距離が長く、被写体に90cmまでしか寄れないことだ。セレクティブ・フォーカスを活かした作品作りをしている私にとっては、この焦点距離なら、せめて60cm位まで寄りたいところだが、当時まだ35ミリ一眼レフの黎明期。多くのレンジ・ファインダー機の最短撮影距離が1mそこそこであったことを考えると、だいたいそれに倣ったのであろう。私は、ボディとの間に薄いスペーサーを入れている。もちろん無限遠にはピントが合わないが、そんな写真は撮らないから大丈夫。


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 作例である。古いドイツのレンズは、だいたいこのような描写をする。絞り開放で1m程度に焦点を合わせてある。背景の地面までは2-3mで、そこにまだら模様をなすものがあると、ボケが渦巻くように流れる。これを不愉快と感じるか面白いと思うかは、価値観の相違である。このような立体感と背景が、このレンズの持ち味と言えるだろう。


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 ほぼ真円に絞られていく特性を活かして、木漏れ日の中で枯れしぼむ枝葉と戯れる光を撮る。やや逆光に弱いので、フードは必須である。光は絞り羽根の形に歪められる事なく、柔らかく結像する。こういう当たり前の事すら出来ない便利なレンズばかり作られ、それしか知らない人が多い事は、写真芸術にとって大きな損失ではないかと、私は思う。なにごとも、価値観は多様であった方が良い。言いたい事、やりたいことができる自由があって、個々の表現が多様な価値観を生んで、それを出し合ってより良い社会が生まれていくのだと思う。自由が封殺されると、社会は後退する。


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posted by jakiswede at 02:29| Comment(0) | もちものじまん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする