先日農水省へお問い合わせをさせていただきましたが、ご返事が参りました。一部に不明なところがございましたので確認をさせていただき、正しい知識を得ましたので、ここに公開をさせていただきます。正しい認識を得ていただくために、誠に長文ではございますが、これから田舎暮らしや農的生活を始めてみようとされている方々や、ご関心のある方々に広くシェアしていただけることを望みます。本来ならば、原文のままのやり取りを公開した方が、説得力もあり分かりやすいと思いましたが、現在の私と地主様および地元の農業委員との関係を考えると、私は個人情報を明らかに出来ず、農水省のご担当者としても、特定出来ない個人の公開内容について検証出来ないことから、結論とその説明のみを公開させていただくことにしました。一部の表現は文脈に充分配慮した上で引用させていただいていますが、要領を得るには充分なはずです。
新規に農業に関心を持って農村に住み、農地を利用して安全な食糧を頂きたいと思う気持は、食の安全が脅かされている現状から見て当然の欲求なのですが、一方で、農地は国内の食料生産の基盤であり、また、現在及び将来における国民のための限られた資源であることも当然の事実であります。農地には国が税金を使って整備してきた歴史があり、農村にはそれを共同で管理してきた歴史があります。ここが、私を含めた都市生活者 (ここでは便宜上「私たち」と表現します) が、街なかで土地や家を買ったり借りたりして、住んだり経済活動をする事とは事情の異なるところです。地主は農地の所有者でありながら、国内の食料生産の基盤を管理する役割があるので、税その他を優遇されている代わりに、農地の使用には以下のような規制があります。一般に私たちが田舎暮らしをして農地を使いたいと思うとき、農業委員会にとっては、私たちは「新規就農者」という扱いになりますので、ここでは「新規就農者」が農地を「使用貸借」するための方法ということで話を進めたいと思います。具体的な規制項目は、以下の三項目です。
一 農業委員会の許可(農地法第3条第1項)を要する。
二 当該許可を受けないでした農地の売買・貸借等は無効(農地法第3条第7項)。
三 当該許可を受けずに農地の売買・貸借等を行った場合は、3年以下の懲役又は300万円以下の罰金の対象となる(農地法第64条)。
このうち、上の第一項にある農業委員会の許可(農地法第3条第1項)の要件は、農地を効率的に利用して耕作の事業の用に供することができるかといった観点から、主に次のようなものが定められています。ここで、私たちは相異なる解釈に翻弄されることがありますが、先に正しい認識の方を説明します。
一 農地のすべてを効率的に利用すること(農地法第3条第2項第1号)
二 必要な農作業に常時従事すること(農地法第3条第2項第4号)
三 一定の面積を経営すること(農地法第3条第2項第5号)
四 周辺の農地利用に支障がないこと(農地法第3条第2項第7号)
これらは、極めて常識的なことを私たちに求めています。詭弁的解釈ではない。要するに、農地を借りたまま放置しないこと、きちんと農地を管理出来る体制を整えること、定められた「下限面積」以上を管理すること、故意に他の農地を侵害しないことと考えてよく、具体的には地域や状態によって異なるので、このような書き方をしてあります。先ずこれらの条件を満たした後、農地を使用するにあたっては、「利用権の設定」という手続きが必要になります。具体的には、「営農計画書」・(自治会による)「同意書」・「新規就農にかかる確認書」・「農用地等貸付申出書」・「農用地等借受申出書」・「利用権設定各筆明細書」という6通の書類を農業委員会に提出することです。ご注意下さい。以前の記述よりも1通増えています。詳しく申し上げますと、前三通が「新規就農」させて下さいという申請、後三通が「利用権の設定」に必要な書類ということになります。前三通は、余程非現実的なことを書かない限り通ります。しかし後三通には地主の合意が必要ですので、ここは根回しが必要になります。農業委員は、書類の内容に不備がない限り、これを拒絶することはありません。そのあと審査があって、それに通れば、該当する圃場を一年間農業委員が観察し、利用権を認めて良いということになれば、利用権が設定されます。これが上にいうところの、「農業委員の許可」ということになります。これが得られて初めて、私たちは悪質な管理をした場合を除いて、農法や栽培品目になんの規制も受けることなく、自由に作物を栽培し、これを販売したり加工したりして利用することが出来るようになります。「悪質な管理」の詳細については、「利用権設定各筆明細書」という書類の裏面に記載されていますが、明らかに反社会的な行動を指しているものであって、私たちの考えとは相容れないものですので、ここでは割愛します。逆にこれを得ないで、「地主の手伝い」などという隠れ蓑を被って農地を利用している状態は違法状態と判断されます。現在の私の状態は、これに当たります。
私たちが田舎暮らしをして農地を使いたいと思うとき、規制を受ける法的根拠は以上の項目のみであり、これ以外の法律に拘束されることはありません。複数の法律の解釈による総合判断ではありません。ここが大切なところです。これは農地法に集約されています。農地法においては、農家登録の制度もなく、農家でなければ農地を売買・賃貸・使用貸借できないということは、ありません。農家・非農家を問わず、農地をきちんと効率的に利用できる方であれば農地を売買・賃貸・使用貸借できるものとなっています。従って、農地法に規定されていないいかなる理由を以てしても、法的に私たちの行動が排除されることはありません。以上です。
実に筋の通った分かりやすい話です。まったくなんの不当性もありません。粛々と手続きをし、信念を持って土や作物を育てれば、それを邪魔立てする何ものもないということです。日本もまだまだ捨てたもんじゃありません。私は、正しい信念に基づいてブレずにやって行けば、それは必ず社会に貢献出来るはずだと考えているだけのこと。このことになんの援助もいらないし、特別扱いもしてほしくない。そんなことをされたら行動や判断の切先が鈍るし、そもそもそれがなければ成り立たない状態が間違ってます。原子力発電所は、トイレのないマンションによく喩えられますが、日本の農業は給油口のない乗合バスのようなもので、燃料を使い切ったら終りです。しかも乗車券は結構高いし行き先もよくわからん。そんなものに乗りたいとは思わない。ありがたいことに私は満足に動く両手両足を授かっているので、それでぼちぼちやるまでのことです。自然農法はカネもかからんし。私は日本の農業の将来だとかムラおこしなど全く関心がない。好きなものを好きなように作らせてくれればそれで良い。都会の真ん中で1反の田んぼなんて確保出来ないから田舎を志向したまでであって、田舎暮らしが先にあるわけではない。
さて、「相異なる解釈に翻弄される」ことがあると申しました。私を含め、私のシェアに応答して下さった皆様その他お会いした皆様ご連絡を下さった皆様のお話を総合すると、かならずしも上のように法は運用されておらず、不当な解釈で行動が制限されていると見受けられますが、その具体例についてお話します。
「これまで農業者の方々しか借りることができなかった小規模な農地・・・」これは、大阪府が最近始めた「準農家候補者募集制度」の説明にある文句です。農水省の見解とは全く異なります。規模の大小に関わらず、きちんと利用出来るのであれば、誰でも農地を借りることが出来る。しかし、私は農業を始めたいと思ったとき、10年以上前のことですが、当時、農業委員会なんて知らず、農家の知り合いもなく、ましてや農水省に問い合わせるなんて思いもよらなかったので、インターネットで調べたり、飛び込みで農家に話を聞きに行ったり、農協で訊いたりした話を総合判断せざるを得なかった。そこで言われたことは、「農家でなければ農地を使うことは出来ない」ということであり、それはこの農水省からの返事を頂くまで、どこで誰に訊いても同じ答えであった。
そして話は続く。本来使うことは出来ないのだが、特別俺が取り計らってやるから・・・なんだかどこかの国のポリみたいなもんで・・・または、こういう制度があるからそれを利用するのであれば・・・というかたちで、なんとかして私を給油口のない乗合バスに乗せようとする。例えば大阪府の件の制度、これについて詳しく話を訊きに行ってわかったことだが、たしかに下限面積以下の小口で合法的に農地を借りることが出来る、しかしバス代として農産物を加工せずに年間結構な金額まで出荷することが求められる。それを達成するためには、農薬や化学肥料の使用は前提条件とならざるを得ない。もちろん制度としてはそれらを使えとは言ってない。しかし、使わなければ到底達成出来ないようなハードルの高さが設定されてある。まあブラック企業と同じ論理ですな。日本の農業全体がブラックだから仕方ないのでしょうが・・・しかも、条件の良い圃場は農家が手放さないから、出てくる物件は日照や水はけなど条件の悪い圃場が多いのが実態である。つまり、この制度は管理に手の回らない農家を助け、あわよくばその濡れ手で専業農家を増やそうという虫のいい施策です。その本音を先に言ってもらわねば、入口の入りやすさだけを強調されても馬の鼻にニンジンである。残念ながら私という馬は、鼻先にニンジンぶら下げられたくらいで興奮するほどお人よしではない。
農薬と化学肥料に言及したので、私が農水省に要望した第一項目、すなわち「第一種農地において、肥育管理を農地利用の条件から外してほしい」という要望に触れておきましょう。「肥育管理」は畜産用語で、私たちの場合、正しくは「肥培管理」という言葉を使うらしいのですが、この肥培管理は必ずしも農薬や化学肥料を使うことを意味せず、捨て作りや粗放な栽培を行おうとするものでさえなければ良いということです。つまり耕作放棄状態になる事を防止するという法の主旨があって、一定の考え方に基づく「農法」を実践している限り、慣行農法と差があるからといってそれを排除することはあり得ない。
しかし実際には「効率的」の意味をはき違え、雑草一本生えていないキレイな田畑を以て良しとし、それと同じでなければならないという暗黙の圧力がムラ社会の常識になってしまい、それを農協が出荷金額という考え方でフォロウしている実態がある。しかし、なんのために作物を作るのかといえば、喰うためであって売るためではない。だから、たとえ規模は自給レベルでも、作物をいかに育てていかに喰うかという考えを、実践として共有することには、自給レベルを越える普遍性がある。しかも、きちんとやれば、男一人一年間で5人分くらいの食を賄えるのである。これを実践して行く人を育てれば、育てた分だけ日本の食生活は安全になる。これを第六次産業といって、農水省も力を入れて取り組んでいるところであるので、むしろ奨励されるべきことである。ゴミステーションが隣にあるからどうしても掃除してしまうねんけどね、ゴミを見たら食生活が見えてしまいます。農家は、農産物を生産することには熱心だが、利用することはもひとつですな。そこから変わらなあかんでしょ。
以上を以て、私の発した三つの要望の二つ目以下は既に解決しております。すなわち「個人の自給的な農業のあり方」は排除されていないし、農地の利用に農家登録は不要であるから問題になりません。同時に、過去に私は全国の同じ悩みや経験を持つ人たちと情報交換する中で得た「解釈」についても、上の見解から全てナンセンスであることがわかります。ただ、上に言及していないことで、気をつけるべきことが2つあります。
ひとつは、農家家屋が「農振法」適用地域内にある場合、その家屋を農業以外の目的に使うのであれば排除されることがあります。しかし居住目的であれば借地借家法が適用されるので排除の対象にはなりません。実際にあった話ですが、風景に魅せられてある農村の古民家を購入した写真家が、物件を引き渡された後、上下水道の配管を外されたというのです。彼は住居兼アトリエとしてその家を使い、就農する意図はありませんでしたが、そこは「農振法」適用地域内にあるから、農業に携わらないのであれば上下水道は使わせない、必要なら適用地域外から引き込めと求められました。しかしそれにはとてつもない費用がかかるので、彼はやむなく買ったばかりの家を手放しました。後日、外した配管の復元費用を請求されたということです。上下水道は居住自治体の行政サービスであって、転入手続をし市民税を負担するのであれば、職業の分け隔てなく受けることが出来ます。「農振法」を根拠にこれを取り外すことの方が違法です。しかし実際にそういうことが起った。その背景にはその村の成り立ちやその後の経緯、すなわち隣接する自治体と合併して市になり、村民の感覚も含めたインフラ整備が追いついていないことなどが考えられますが、いずれにせよ正しい法律判断が出来なかったことによって莫大な損失を被ることになったという事例です。
もうひとつは農家登録の件です。全くもって不明確な制度ですが、私たちにとって重要なのは、まず農家登録と利用権の設定は全く別であって、利用権の設定さえ出来れば、基本的に農地を自由に使って良いという認識を持つことです。農家登録は必ずしも必要ではない。さらに、これは上に言及しなかったことですが、ひとつの農家家屋に複数の農家登録が出来ないというのは、全くの誤解であるということです。しかしこの誤解は広くまかり通っており、これが新規に就農したい人を、「親方農家のお手伝い」という肩身の狭い状態に追い込んでいます。なにごとも、自分で観察して判断し、やってみて失敗し、試行錯誤を自分で繰り返さなければ、技術は決して身に付きません。先ずは利用の自由を確保し、何年も積み重ねることで理解を得、自由にさせた方が地主にとっても得策だと理解してもらうことが大切です。だからそうなることを目指しましょう。
これで、農民・農家・農地・農村というものがどういうものか、だいたいわかっていただけたかと思います。もちろん、以上のことが確かに不当であるかどうかは個別事情について照会しなければわからない、というのが農水省の担当者の考えですので確定は出来ませんが、法の正しい解釈としては以上のようなものであるということです。しかし私は農業委員会に、行政指導は三回重なると行政処分となり、不服を申し立てれば裁判になると言われたのであり、行政指導の根拠は複数の法律の解釈による総合判断であると言われたのです。これらは単なる脅しであってなんの根拠もありません。私たちはこれに屈してはなりませんが、同時に怒りは抑えなければなりません。いままでは何をどのように批判されているのかがわからず、対抗する根拠すら見えなかったわけですが、これからは不当な扱いを感じたとき、上の見解を根拠に対抗出来ます。むしろ、私たちは彼らがなぜそうまでして保身に走るのかということを、ある程度理解する必要があります。
農地には国が税金を使って整備してきた歴史があり、農村にはそれを共同で管理してきた歴史があるので、それに最大限敬意を払う必要がある。彼らはそれを守ろうとして神経質になっている。神経質になり過ぎて誤解や偏見がまかり通ることがある。私たちはそれと対峙することになるが、あくまで他人の農地や農家を使わせてもらい、自分とは別の歴史を歩んできた共同体に入るわけなので、地主・自治会・水利組合など、その集落が歴史的に必要としてきた組織には敬意を払い、理解を得て行くことは全てに優先するということを肝に銘じるべきである。私たちは新参者であるので、意見の表明は極く慎重に段階的に、直接的な行動ではなく、忍耐も必要になる。もちろん過激な行動はいけない。破壊活動はもってのほか。地域に溶け込み、しかし流されず、正しい認識を持って、もし不当な要求があれば毅然とした態度で理路整然と説得し、私たちが新規に農業に関心を持って農村に住み農地を利用して安全な食糧を頂きたいと思う気持を理解してもらう必要がある。違法な営農状態に怯え、甘んじている人たちは、同じ認識と信念を持って、堂々と農業委員会へ申請に行きましょう。彼らの話を聞きましょう、私たちの考えを伝えましょう。それが度重なって行くことにより、だんだん新規就農者を受け容れる本当の下地が出来てくるのではないかと期待しています。私が身元を明かさず、特別待遇を求めず、正しい認識を得たいと思ったのは、もし農水省から県を通じて農業委員会に話が行った場合、彼らが態度を硬化させることは明白だからです。そうなってはますます互いの理解が遠のく。しかし正しい認識の許に行動する人たちが増えれば、徐々に相互理解が進み、それを積み重ねて行けば、それは必ず日本の将来を救う。