2014年04月04日

20120317 TAS-ICN-KIX

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 仁川空港での乗り継ぎは結構タイトであったが、東アジアのハブ空港だけあって段取りは良い。Asiana Airlines OZ112, A330-300 仁川空港定刻出発→関西空港11:48着・・・着陸の瞬間というものは、機長の心の状態が非常に良く現れるような気がする。強い逆風であった。気体は翻弄されながら高度を下げていったが、着陸の最後の瞬間に戸惑ったような「間延び」を何度か繰り返した。車輪が地面に接しようかというその直前、エンジンがうなり声をあげて急上昇した。着陸のやり直しという初めての経験だった。室内は平静であった。私は10分間の大阪湾上空旋回クルーズというおまけを楽しんだ。

 旅を振り返る。ナンに象徴される小麦の食文化を直に味わってみたいという土井ちゃんと共通の旅のひとつの目的は、Tashkent到着直後に粉砕された。ナンというものはイーストなどの醗酵材料を使わずに作られると、ものの本に書かれてあったが、その著者は文頭に「本来は」と書くのを忘れたようだ。旅行中毎日何回となくナンを食べたが、恐らく中国製の安価なドライ・イーストが大量にぶち込まれているのであろう、大手パン・メーカーの工場の臭いが鼻を突いた。

 私にとってのもうひとつの旅の目的・・・それはイスラムの日常生活に触れることだった。それは礼拝への参加という形でも良かったし、音楽でも、遺跡の探索でも良かった。また、中央アジアの砂漠に沈む夕陽に身を置くことでも良かった。果てしないシルクロードへの憧れ、命を救う旅人のオアシス、そしてキャラバン・サライでの滞在・・・しかし、この地は19世紀後半にロシア帝国に占領されて以来、ソビエト連邦による数十年に亘る共産主義社会体制の中で、その文化は徹底的に破壊されたといえるだろう。私が見たものは、まさに砂上の楼閣のように辛うじて形を留めた建造物を、観光資源として木戸銭稼ぎせざるを得ない、虚ろなテーマ・パークのような世界だった。さもなくば砂漠の中に突如現れる油田に、ハイエナのように無秩序に突っ込まれたパイプラインだった。音楽の盛んな国では通りという通りに音楽があふれ出している。食事の旨い国では通りという通りが料理の匂いでむせ返っている。敬虔な宗教の国では日に何度も礼拝に誘うしめやかで温かな声が聞かれるものである。そういうものがこの国にはなかったのだ。捜してもなかったのだ。

 私は観光ジャーナリズムに言いたい。もちろんあなた方の仕事が観光地に客を誘致することである事は理解する。しかし、子供だましの遊園地に外国人を誘い込んで、その国の外貨獲得のお先棒を担ぐようであっては先がない。「地球の歩き方」も、創刊された当初は大手旅行ガイドブックの及ばない地に足のついた取材が持ち味だったはずだし、そこには単なる消費文化としての観光産業に対する、明確な反骨精神が見られた。しかし今やそんなものは見る影もない。

 そのかわり、バザールへ行けば商人たちが「ruska」と言って誇らしげに見せるロシア製の工業製品・・・それらは、まあ、ちょっと、・・・・だけれども、彼らが「ruska」と言うときの誇らしげな表情は、この地域が長い時代ロシアの文化の中に歴史を積み重ねてきたことを思い知らされた。私は、日本にいながらアメリカやイギリスの文化の中にあって、たまにはヨーロッパに触れ、アフリカや南米に触れ、ちょっとだけイスラムに触れたけれども、「western culture」と同じくらい大きく誇らしげな「ruska」という文化に触れたことがなかった。これが旅の収穫であったのかも知れない。

 荷物 ?? 土井ちゃんを放置する代わりに、ちょっとでも身軽になってもらお思て、旅先で不要なものは全部預って持って帰ってきたったわけよ。そのくらいはやったってもええ。やれやれ昼下がりに帰宅して夕方から即バイトでやんの、綱渡りはしんどいなあ・・・

posted by jakiswede at 13:44| Comment(0) | ウズベキスタンへの旅2012 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20140317 M42ぐるぐる比較

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 へっへっへ。面白いから手持ちのM42マウントのレンズを総動員して、絞り開放約2mの置きピンで、背景のぐるぐるボケ具合の比較実験をやってみた !! 各レンズの詳細については、個別に取り上げたときに詳しく書きます。まずはPrimoplan 58/1.9*プリセット。


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 Biotar 5.8cm/2 

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 Biotar 58/2*プリセット・・・これはM42→EOSアダプタにマウント出来ないので、レンズを手で押し付けて撮影・・・

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 Jena B 58/2 同上

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 Tessar 50/2.8*プリセット・・・ これもマウント出来ないもんで手持ち撮影・・・すんません。

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 Tessar 50/2.8* for Icarex 35 TM これは東ドイツJena製ではなく、西ドイツOberkochenのCarl Zeiss Tessarとしては最後期のグループとなるだろう、西側のTessarは若干硬い描写という感じがする。10m先あたりから、僅かに地面がまくれるようなぐるぐるボケが出ている。


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 Pancolar 50/1.8* これはBiotarと交替して登場した大口径標準レンズ。開放絞りが大きくなった分、背景のぐるぐるボケも強めに残る。


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 Pancolar Electric 50/1.8* これは電気仕掛けのPraktica Lシリーズの自動露出制御に対応したモデルで、マウント部に3つの電気接点を持っている。


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 Pancolar Electric 50/1.8*もいっぱつ (;_;) まあエロエロあって2本持ってるんですわ。


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 Ultron 50/1.8 これはマニア垂涎の的、Icarex 35 TM用の前玉凹面のUltron・・・高かったけどねえ・・・


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 Color Ultron 50/1.8 これはVoigtländerのシンガポール製レンズで、中身はPlanarといわれているもの。でも意外に渦巻きが・・・

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 Edixa Xenon 50/1.9

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 Edixa Lauder 50/2.8* ちょっと撮影失敗・・・

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 Auto Quinon 55/1.9*

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 Takumar 5.8cm/2 富岡光学製だったかな ?? 焦点距離や開放絞り値がBiotarと同じで、心なしか描写もよく似ている。

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 Auto Takumar 55/2*

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 Super Takumar 55/1.8 実は私はこのレンズを最も愛する。日本で大量に生産され、中古市場でも極めて廉価であるのに、その実力には全く目を見張るものがある。

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 SMC Takumar 50/1.4 その点、このレンズは性能がよくなった分、使い手を選ぶ傾向がある。撮影時のピントと仕上がりのピントの位置が、どうにもずれやすい。それだけ被写界深度の浅いレンズなのであろう。また私の場合、絞り開放での撮影が多く、晴天下では1/4000秒でシャッターが切れたとしても露出オーバーになる。フィルム・カメラを使っていた頃には、ISO25で絞り1.4であれば1/1000秒で、無理でもフィルム現像時に減感処理すればなんとかなる。そこで感度の低いFujiのネオパンF、それが製造中止になった後はイギリスのILFORDのPAN F Plusや、クロアチアのKB25などを使っていたが、もはやこれらも絶望的、手持ちのCanon EOS Digital KIss Nの最低感度設定はISO100なので、このように絞り1.4では露出オーバーになってしまうのである。やれやれ・・・

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 Auto Revuenon 55/1.4* 

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 Auto Cosinon 50/1.8

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 Auto Yashinon 5cm/2

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 Induster 50/2.8 M39変換・・・とまあ、見て参りましたが、まあ、ぐるぐるボケという観点から見れば、そうあんまり変わりませんな・・・

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20140315 新旧Primoplan比較

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 黎明期の35ミリ一眼レフに用いられた標準レンズとして、Carl ZeissのBiotarと双璧を為す名レンズにMeyer GörlitzのPrimoplanがある。上の写真は、私の所有する3種類のPrimoplan、左から、戦前型のコーティングのないもの・戦後初期のVコーティングの施されたもの・後期のプリセット絞りのものである。これらについて比較してみようと思う。

Meyer Görlitz Primoplan 1:1.9 f=5.8cm Nr.881647 for Exakta・・・写真左端のレンズである。資料によると、第二次世界大戦前の1936年ごろからExakta用に製造された。焦点距離が「cm」表示になっているものは戦前のものだとされている。ずっしりと重く、ガラスはコーティングされていないので、フードは不可欠となる。また同時期のBiotar 5.8cm/2 と同じくらい多くの絞り羽根を持っていて、ほぼ真円形に絞られる。プリセット機能もない手動絞りである。


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 状態としては、80年近い年月相応に年季が入っている。僅かに曇りがあり、埃の混入も見られる。前玉に細かい拭き傷が見られるが、全体として汚いという印象はない。絞りリング、ピントリングとも、やや動きが硬い。設計としては非常に古く、現在のレンズにない様々な欠点が見られる。最も大きな欠点は、絞りを開けてある程度近接撮影したとき、背景に表れる実に艶めかしい渦巻きボケである。これは非常に強烈で、これに取り憑かれると、まともな写真表現から遠く逸脱して、このねっとりとした渦の中に身も心もどっぶりと耽溺することにしか悦びを感じなくなる。精神をおかされる深刻な病である。これを治療するには、Primoplanの前身であるKinoplasmatという、描写の破綻したレンズを購入して底打ち現象を期待する以外に方法はない。しかしそのレンズは極めて希少であって、そのライカ・マウントの個体は1本数百万円もする。これを俗にMeyer症候群という。


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 その症例である。コントラストは低く発色は地味である。ピント自体も甘い。これを柔らかい描写というのかどうかはわからない。自転車のハンドルまで約2メートル、絞り開放、曇天であった。背景に反射光があれば、もっと渦は派手になると思う。


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 Meyer-Optik Görlitz Primoplan 1:1.9/58 Nr.1184778 for M42

 戦後の早い時期に製造されたと思われる。上のレンズと形状はよく似ているが、重量は非常に軽く、レンズは軽く青いコーティングがされているが、ガラスは僅かに黄色がかっている。絞り羽根は14枚あるが絞りの真円度は上のレンズよりも劣る。


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 少しピントが甘くなってしまったが、背景の描写の比較にはなる。ボケ味は戦前タイプと良く似ているが、僅かに日が差していることを差し引いても、色の抜けとコントラストはこちらの方がよりはっきりしている。


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 Meyer-Optik Görlitz Primoplan 1:1.9/58 Nr.1560780 for M42

 1950年ごろの製造と思われるプリセット絞りのついたレンズである。アイレベル撮影での保持のしやすさを考慮してか、わざわざ鏡胴を大きくした感がある。中のレンズそのものの大きさは上2者と変わりなく、特に鏡胴先端から前玉までが無駄に深いので、フードが要らないほどである。絞り羽根は上と同じく14枚であるが、絞ると明確に14の角が現れて、真円に絞ることとは逆の設計になっている。


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 同じ距離ではこのレンズのボケ味が最も特徴的である。ピントの合った部分の解像度も申し分なく、色の乗りやコントラストも、独特の地味さ加減を残しながらも今に通用する描写である。

posted by jakiswede at 08:13| Comment(0) | もちものじまん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20140312 神鉄日下部

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 神戸電鉄の撮影スポットがまたひとつ消える。道場南口と神鉄道場の間、田んぼを前景に、寺や竹やぶを背景に、編成全体を捉えることが出来る場所だったのだが、田んぼであった部分が転用されて宅地開発が始まった。

posted by jakiswede at 08:03| Comment(0) | 鉄道少年の夢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20120316 Ташкент

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 KhivaでオススメのBBね、Merosが良いと思います。なんといっても屋上に上がれるし、城壁とほぼ同じ高さからオープン・エアで周囲を眺められるのは多分ここだけだから・・・でも私が行ったときは未だ冬季休業中だった (;_;)


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 さあTashkentへ戻るとするか・・・もうこれで旅はおしまい。Uzbekistan Airways HY1052 A320、Urgench定刻出発Tashkent Terminal 3定刻到着・・・さてこのTashkent Terminal 3であるが、普通こういう呼び方をされると、ひとつの空港内の別の建物と想像するのであるが、Tashkentの場合、別の空港なので要注意。Tashkent Terminal 3は国内線専用空港で、国際線Terminal 2へは循環バスが出ている。そこへ11番のバスが来たので運転手に訊くと、Terminal 2を経てChorsuへ行くというので、おあつらえ向きだから先ずは国際線の搭乗手続だけ先に済ませよかと思いついたのだが、時間が早過ぎてあかんかった。


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 仕方なく走ってきた67番のバスでTemur広場まで戻り、これから中国への旅に出るくせになあんも調べてない土井ちゃんを、ネット環境の整ったHotel Uzbekistanに叩き込んどいて、私は最後の散策に出る。しかし雨・・・バザールから市街へ、モスクでCD買ったりイスラムの土産物買ったり、でもまた雨で最寄のスーパー・マーケットに立ち寄り土産物を買う。色とりどりのロシアのチョコレートどっさり一袋と、様々な香りのティーバッグたくさん・・・これが珍しくて軽くてええ。驚いたことにこのスーパー、各通路に一人二人と売場手直し美女が配置されていて、私が買い物をした後をささっと直す。いやあバイト先に見せてやりたかったね、みんな泣いてうらやましがるやろ。


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 砂漠の国やから雨なんか降らへんやろとタカをくくってたんやが、TashkentとSamarkandは雨・霙・雪で思うように出歩けず、Uzbekistan最後の今日もずっと雨・・・雨宿りしながらひたすら街を歩く、なにを見る、どこを見る、どう見る、知らない土地であるからこそ味わえる自由な発想、これこそがそぞろ歩きの醍醐味である。しかし、無慈悲にも時は過ぎ、雨は降る・・・暗くなりはじめた頃、漸く私は自分が道に迷っていることに気がついた。でも特段に焦りはない。ここは首都、空港へ行くと言えば最後にはたどり着くことが出来る。そんなところは気が大きいもので、手持ちの地図と通りの名前から戻るべき道を割り出し、光のある方へ進むとティムールの像が見えてきた。漸くHotel Uzbekistanに戻ると日本人旅行者が増えていた。みんな土井ちゃんを囲んで励ましている。私は心を鬼にして旅への確信が持てないならここで数泊して日本へ戻れと助言したが、それには納得出来ない様子・・・まあ良い、初めから互いに勝手に振る舞う約束だったので、どこでどうなろうが俺の知ったこっちゃない。そんなこう言うてる間に刻限が迫ってきたので、今夜の便で帰る出立組はタクシーに分乗して空港へ、旅を続ける組はそれぞれの道へ、土井ちゃんは独りロビーに・・・

 Tashkentから空路で出国する。この国では駅や空港は柵で囲われていて、一人ずつ検問所を通って入らなければならない。検問所ではパスポートとチケットのチェック、Terminal 2の建物に入るときに全ての荷物とボディ・チェックがある。それをクリアして、漸く航空会社のチェック・イン・カウンターに進めるのだが、個人でチェック・インする場合、この国では「乗り継ぎ」の扱いに慣れていないようなので、渡されたクーポンをよく確認する必要がある。私はアシアナ航空で韓国の仁川空港経由の関西空港行を予約していたのだが、チケットは仁川までしか発券されなかった。しかし機内預けの荷物の控えは関西空港までとなっていたので、すぐさま間違いを指摘したところ、アシアナ航空の係員から続きのチケットをもらうことが出来た。チェック・インの際にANAの、つまりStar Alianceのマイルの加算もしてもらおうとしたが理解してもらえず、これは後日ネットで加算した。その後、緊張する税関申告と出国審査へ進んだのだが、外貨申告書も滞在許可証も見ずにスルー、しかし出国スタンプを仁川→関空のチケットに捺されてしまうミスがあり、念のためにこれを指摘して訂正を求めたのだが、一旦捺したスタンプは消すことが出来ないからチェック・インからやり直せと言われ、手荷物検査が終らないうちに手ぶらでチェック・イン・カウンターに戻らされた。しかし既に税関申告を終えているので申告書控がなく、そのことを説明しても理解されずに滞っていたところへ交替要員が現れ、がやがやとなったところへ一部始終を見ていた別の係員が通りかかり、説明してくれて事無きを得た。出国審査をやり直したが今度は手荷物検査場から私の荷物が出てこずに抗議したら、頭を掻きながら笑って持って来よった。君らねえ、よその国なら大変なことになるよ・・・まあええ、この国とはおさらばなんやから・・・

 出国ゲートを出ると地味な廊下になっていて、何軒かの土産物屋がある。そこで現地のタバコや紅茶を買い求めて搭乗口の前で並ぶ。しかしこのゲートでもチェックがあって、今度は靴も脱がされてビニール袋を履き、全ての荷物を金属と非金属に分け、更に靴と上着も別々のカゴに入れて審査を待つが、そのカゴを複数の係員が持っていくので、チェックが済んだ後にそれらを回収する時に混乱が起きる。どうにか身形を調えていよいよ搭乗口というところにもまたチェックがあってうんざりした。Asiana Airlines OZ574, A330-300 Tashkent 22:30定刻出発。


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posted by jakiswede at 07:51| Comment(0) | ウズベキスタンへの旅2012 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20140309 Karadeniz Kemençe


 トルコ黒海地方の擦弦楽器Karadeniz Kemençeの演奏例としては、テンポの速いものが多いのだが、私はこの映像を愛する。

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 カラデニズ・ケメンチェを弾いているのだが、真ん中の糸に弓がうまく当たらないので、コマを自作してみることにした。


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posted by jakiswede at 07:34| Comment(0) | 音楽活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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