2014年04月25日

20140411 小麦の湿害

KIF_1752.JPG


 やっぱり麦の葉色が気になる。上が新畑脇田の「ミナミノカオリ」・・・麦踏みをしていないが、畑は一貫して乾燥気味に管理されている。


KIF_1753.JPG


 こちらは東畑脇田の「ユメシホウ」・・・葉色が薄いうえに下葉が黄色く枯れている。これはいかんのではないか。こちらでは麦踏みをしたが、すぐ隣の本田は冬季湛水中で、高畝にしてあるものの溝には水が溜まっている。地下水位も高いはずだ。・・・調べた結果、「湿害」と判断し、ただちに暗渠の栓を抜いて水を落とす。


KIF_1754.JPG

posted by jakiswede at 01:35| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2014 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20140408 タマネギ被害

KIF_1749.JPG


 気を取り直して畑の観察をする。新畑のタマネギが食われている。新畑では、モグラやヌートリアの被害が多く、彼等の掘ったトンネルを伝ってネズミが活躍する。補植用に残しておいた苗を植え付けるが、間に合わないかもしれない。

posted by jakiswede at 01:26| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2014 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20140405 歴史ひきずる農村

KIF_1742.JPG


 お隣のハウスが解体されている。何事が始まるのかと思っていたら、お隣さんが挨拶に来られ、なんと、この圃場と北に隣接する圃場に大規模なハウスを建設するという。解体工事は数日に亘り、私は農作業をしながら作業員の雑談や、時々視察に来る農協職員らの立ち話を聞くともなしに聞いていた。全く驚いた。

 私が使わせてもらっている1反の田んぼは、戦後の農地改革でこの一帯が圃場整備されたときに、三反田を隣家と2 :1 で分割し、両家の所有する面積の端数を調整したものである。つまり、この一帯は三反田がずらりと並んでいて、私が使っている一角だけが、狭い1反として欠けるように区切られている。ここを開発するに当たり、農協は、出来れば三反田2枚の長方形6反として開発したかった。なぜなら形が単純な方がコストも下がり、効率が上がるからだ。しかし、その一角に私が使っている圃場1反が食い込んでいる。当然、ここは所有者が異なるので、地主に対して打診があったらしい。しかし、私になんの話もなかったということは、地主はこれを断ったことになる。農協は、費用対効果の観点から、建設予定地を一区画北にずらして三反田2枚で開発するよう提案したが、その圃場は、隣家の北隣の家の正面に当たり、騒音問題を懸念して難色が示された。一帯は緩やかな段丘になっていて、ハウスを建てるには2枚の田んぼの高さを合わせる必要がある。三反田2枚なら法面は必要ないが、私の区画を避けようとすると、そのぐるりの法面を補強する必要があり、工事が複雑になってコストが上がる。交渉や見積は難航したらしい。結局、高いものにつくことを承知で予定地を元に戻し、一角が欠けた状態のまま見切り発車となった。

 このブログを読んで下さっていた方はご存知のように、私はこの三年間、「モグリ営農」を余儀なくされて苦しんだ。申請は受理されなかった。農業委員会は、私の法律遵守の意思に対して誠意ある態度をとらず、法律の条文を歪曲して適用し、行政処分をちらつかせ暗に退去を求めた。詳細については省略するが、なかでも「効率的な農地利用」に反するということを何度も言われたのである。わずか1反で何をどのように効率化せよというのかさっぱりわからなかったが、ようやく謎が解けたように思った。つまり、開発計画のある一角を私が使っていることが邪魔だったわけである。しかし合法的に私を退去させることは出来ないので、様々な方法で私に圧力をかけていたわけだ。

 地主は、私が農家登録への道を進むことに対して否定的であった。それは自分の主導権を明確にしておきたかったからであろう。もし、隣家との交渉で、私の使っている1反を他の圃場と等価交換出来るのであれば、彼は自分の主導権を発揮したことになるし、ともすれば飼い主の手を噛む犬を厄介払い出来るし、隣家との関係もうまくいくし、全ては丸く収まったはずだ。しかし、ここに地主家と隣家との複雑な関係が邪魔をする。

 地主家は、この一帯の有力者であって、隣接する宿場の駅馬を扱う役目を負っていた。現在も、納屋の壁に馬を繋いだ太い中梁が残る。付近一帯の田畑山林を所有し、現在の自治会組織のほとんどは地主家の小作であったという。つまり隣家は地主から見て小作に当たり、現在もたびたびその認識が邪魔をする。しかも驚いたことに、先代まで「捨て子」の風習があって、地主家で生まれた末の子は代々隣家に捨てられる。隣家では、その子を我が子として育てるという風習があったという。このような関係は、現在の世の中でも意識の底にすり込まれていて、地主は常に隣家を低く見る。しかし地主家は農業を継ぐ者がなく、かつての小作から農地が毎年のように返却され、その管理に頭を痛めている。NPO法人と契約したり、それに絡んで国や県の助成金を期待したり、いろいろ画策しているが、いずれもうまくいっていない。一方、隣家は専業農家として安定した経営を続けており、跡継ぎも出来てますます規模も拡大し、一帯でも有望視されている篤農家である。今回の開発もその一環である。

 先月、私はいろいろ調べた結果、意を決して地主に農家登録への手続を進めたいと相談してみた。すると、意外なことに了承されたので、手続を進めることになった。この詳細については別に詳述したいと思うが、ここに彼の意地を見る思いがする。すなわち、私を立ち退かせて隣家の利用権を承認すれば、地域において、いやがうえにも隣家の地位は高まる。かつての地主がこれを快く思うはずはない。つまり、私の利用権を承認したのは、文字通り、隣家の計画に楔を打ち込むことになるからである。そんなことを露とも知らない私は、一人前の農家になれると喜んで手続を進めたのであった。いやはや、かつての伊丹城主の末裔ともあろう者が百姓になれるといって喜んでいようとは、ご先祖様がご覧になられたらどのように思われるであろう。また、亡き父上はどのように見られるであろう。

 下のような景色は今シーズン限りで見納めである。もうすぐ私の1反は島のように取り残され、巨大なビニール・ハウスに取り囲まれるであろう。様々な思惑と有象無象の圧力、複雑な力が絡み合って、全く不透明に農村では物事が決定され、事態は進んでいく。とにもかくにも、私の農家登録への道は開け、隣家の開発計画も進みはじめた。私と隣家の息子との仲が大変良いのがせめてもの救いである。


KIF_1747.JPG



posted by jakiswede at 01:08| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2014 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする