2014年05月02日
20140501 farminhos活動再開
farminhosの活動を再開いたします !!
ブログの読者の皆様はご存知のように、私の新規就農の申請は受理され、農家登録への道が開かれることになりました。農地の利用権の設定手続も完了し、私は借りている農地で、自由に農産物を栽培して利用出来ることになりました。また、この農地を使って皆様と「農」や「食」についての集まりを開くことも出来るようになりましたので、ここに再びfarminhosとしての活動を再開いたします。現在田んぼの準備を進めておりますが、以前とは少し様子が異なっておりますので、ご無沙汰いたしておりました皆様のために、少しご説明をさせていただきます。「謹慎期間」の間に、私は栽培方法を、無農薬・無肥料・不耕起栽培に変えました。畑は既に3年ほど同様の考えでやっておりましたが、田んぼの不耕起栽培は2年目になります。そのため、田植えの方法がいつもと異なります。詳細はご参加いただける方に直接ご説明申し上げます。田んぼの一部で、裏作にパン用の小麦を栽培しております。晩稲の田植えの前、すなわち6月下旬までにはこれを収穫して、急いで田んぼに変える作業をしなければなりません。ここは、いわば「見もの」です。野菜の栽培は今まで通りの畝回しです。連絡方法は、個別にメールでご案内することは差し控え、このブログをご覧になった方の自発的なご参加を想定しております。なるべく事前にご連絡下さい。ただし、一度にご参加いただけるのは、現在の対応状況から5人程度とさせていただきたく思います。ご相談下さい。場所は以下の通りです。最寄り駅JR道場駅または神鉄道場南口駅まで送迎させていただきます。だいたい毎日何らかの仕事をしてますので、それに合流という形になります。以下に、これからの主な作業予定を書いておきます。作物の生育状況や天候の推移などで、作業内容や予定は大きく変わる可能性がありますので、ご了承下さい。参加表明頂いた方との個別のやり取りになります。どうかこれからも、よろしくお願い申し上げます。
2014/06前半 田んぼの準備・畔の補修・苗とり・夏野菜の定植
2014/06中旬 田植え・小麦の刈り取り・晩稲の田んぼの準備・畔豆の植え付け
2014/06下旬 晩稲の田植え
2014/07上旬 小麦の脱穀・選別
畑の方は、順次適時適切な細かい作業があります。
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farminhosのブログ
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20140427 わがルバン島の30年戦争
小野田さんが亡くなったとき、早速この本を図書館に予約したのが、漸く送られてきた。あっという間に読んでしまったのだが・・・ううむ・・・私はもう、物事を素直に感じ取れなくなっているのかもしれない。この文からは、小野田さんが感じられなかったのだ。小野田さんが亡くなったとき、改めて小野田さんのことを読んでみたり、映像を検索して見てみたりしたのだが、彼が靖国神社に言及するとき以外は、ほとんど全てにおいて共感出来る人物であった。戦後すぐの教育を受けている私にとっては、靖国神社というものを受け容れることが出来ない。逆に、戦争に行った人たちにとっては、靖国神社を抜きにして人生は語れないほどなのは見聞している。この溝は埋めがたい。一方は、靖国神社とは別に追悼施設を建てるべきだというし、他方はそれに反対する。おそらくこれは折り合いがつかないだろう。まあそれは良いとして、事前に得られた情報から期待したものが大き過ぎたのか、私はこの本をあっという間に読んでしまって、ほとんど満足感がなかった。もっとすさまじいものがわきあがると思っていたが、そうでもない。文章が整い過ぎているし、書かれてあることから湯気が立ち上ってこない。もちろん30年のゲリラ戦を戦い抜いた記録であるので、こまごまとしたことにこだわっていたらまとまらないのかもしれないが、ちょっとあっさりしすぎてる、というか、伝わってこなかったんよね、なにも・・・これもゴーストライターが書いたものか、と疑いたくなってしまった。
20140426 須磨フェス
田んぼの準備をした後、昼過ぎから「須磨ワールドミュージックフェスティバル」を覗いてみた。この場所は、かつて5月に不定期に催されていた「須磨の風」という幸せなイベントのあった場所だ。しかしそこでのコンサートが神戸市の圧力で中止に追い込まれて7年が過ぎ、今度はその神戸市が「盛り上げるためになんかやってくれ」といってきたらしい。「なにを今さら」というのが率直な思いだが、もうすでに7年も経ち、イベントをやる世代は交代して「須磨の風」など知らない人がほとんどだ。神戸の自然農グループにも声がかかって何組か出店するというので、顔出しに行ってきた。ステージといっても、このような簡単なものだった。それは良いとして、内容がどうもね・・・観客と出演者が近くなったのは良いことだが、こーゆーなれ合いムードが私には辛い。音楽になってないんよね。「こんなことやってますよ」っていうことを見せたい・・・ただそれだけ・・・ただそれだけかよ、それでステージ上がるんかよ君ら。日本人のくせしてアフリカ人の格好してアンサンブルの微塵もないジェンベぱかぱか叩いて、それで「アフリカ音楽やってます」みたいなこと、それでええんかよ君ら・・・・私には非常に辛い。でも、それでお客さん大満足みたいやったから、それはそれでええんかな・・・須磨海岸を流れる風は、今も昔も変わらなかった。
http://jakiswede.com/3photos/31works/312fetes/3127sumakaze2007/index.html
20140425 アルムリーノ奥出雲へ3
事後処理はまだまだ続く。今回の移転は、アルムリーノ起死回生の最後のチャンスである。日本の天然酵母パンの草分け、妥協を知らぬ彼等には、この店舗兼住宅の規模は余りにも大き過ぎ、ランニング・コストがかかり過ぎた。おまけに「自分が法律」の独善的批判主義に就いていけたスタッフはなく、たった二人で膨大な数のパンを毎日焼いては発送していたのだ。
その強烈な個性ゆえの社会性と常識の欠如、しかし、だからこそ日本の天然酵母パンの地平を切り開き得たのであり、それだけでなくパン一筋で、なんと1億数千万といわれる借金のほとんどを返済したのである。まったく、常人に出来る仕事ではない。
しかし引っ越し作業は難航を極めた。自分の健康を顧みない情熱家であるから、自分たちの住空間さえ満足に省みないのは、考えてみたら当然のことである。その結果分別不可能な雑多なゴミがヤバいほど溜まって明らかにオーバー・ワークである。いくら情熱があっても、見るからにげっそりと痩せ衰えた老体を放置するに忍びなく、いつもの悪い癖で、とにかく奥出雲の店舗のオープンに専念してもらうことにした。
なぜなら今回の話は先方からのたってのお招きであって、恐らくこれを逃すと引退以外に道はない。おとなしく引退出来る気性も財産も持ち合わせていないので、この話には乗る以外にないのだ。だから急な話だったのである。このGWを逃すと、島根の山奥の観光地には夏まで人が来ない。後片づけなどしている場合ではないのだ。とにかく店を開けることだ。
なぜそこまでするのかというと、やはり私にとって彼等、特にマスターは人生の師匠であり、生き方の手本であるからだ。わざわざ他人のところに出向いてまで、初めから徹頭徹尾批判する態度は流石にいかがなものかとは思うが、その明晰な論理展開は、田んぼの泥に曇った眼を洗い流してくれる。しかも、単なる天然酵母ではなく、いまや自家製糀菌を使って酵母すら自給し、そのノウハウによって、私もこの写真前面に広がる自家製小麦によるパンの自給に成功したといえるからだ。
一緒に来ないかというお誘いもあった。行きたい気持はやまやまであったが、折角三年越しの懸案に決着をつけた今、そう易々とここを離れる気にはなれない。なぜなら、ここは大阪平野から最も近い本格的な農村であって、農業を続ける環境が全て整っており、しかも過疎の問題を抱えている。私の目的は、引きこもって農業をするのではなく、都市生活者と農業を結びつけることにある。都市は都市、農村は農村と、まるで消費者と生産者のように二手に分かれて責任をなすりあっているようでは、物事は絶対に解決しないからだ。私は解決を望んでいる。
なにより六甲山周辺は私の故郷だ。古くからの友達も多いし、気が向けば訊ねてきてくれる。都市と農村がほど良く混じっていて、悪くいえば中途半端な田舎なのだが、多様な好奇心をまだまだ捨てきれない私にとっては、いくらでも楽しみ方がある。盆地なので、駅へもバイト先へも自転車で行くことが出来るし、殆ど全ての人間関係は極めて良好だ。永年の懸案も解決し、ここまで揃った好条件を捨てて、全くゼロからやり直す気にはなれないのだ。木の灰は土壌の酸性化を中和するという。これが冷えたら撒いてみよう。アルムリーノの再起を天に祈るばかりである。
20140424 小麦出穂
初夏の陽気が続いている。働いた後は、このようなデザートが欲しくなる。
小麦のために、田んぼの冬季湛水は断念した。塗り畔が乾くと、早速モグラが活動を開始した。これでは折角腰を痛めて塗り上げた苦労も水の泡である。小麦を刈り終るまでは水を入れられないので畔の補修も出来ない。仕事の重なる時期に、またひとつ仕事を増やしてしまった。来年からは冬季湛水は諦めて段取りしよう。
小麦に混じって稗が穂を出している。小麦も穂を孕んでいる。
夏の糖分補給ために、梅酒の梅を採り出してジャムにしておく。忙しくなる前にやっておかなくてはならないこと・・・タマネギ・ペースト作り、ドライ・ニンニク作り・・・いずれもそろそろ限界であろう。こんなブログ書いてる場合やないで・・・早速醤油を搾っとこか・・・
20140424 鼠多く私屋根に上る
家屋の修繕に左官屋さんが来ておられるので、ちょっとお願いして屋根に上らせてもらった。
私の住んでいる離れの天井裏が、ネズミやイタチのスプリント・コースになっているからである。見ると、もともとの瓦屋根の下に、建て増しされた廊下のトタン屋根が突っ込んであり、壁との接合部分が養生されていなかった。つまり、上の写真で陰になっている部分が、丸ごと向こうの端までフリー・パス状態だったのである。しかしここを塞ぐとなると、瓦屋かトタン屋根のどちらかを引きはがさねばならず、大工事になる。我慢するしかない。
屋根というものは形が単純なほど長持ちするという。複雑に接合された屋根は、その継ぎ目から傷み出して雨漏りが始まる。または動物が掘る。そういう部分には、このような壁土を用いて補修する。なんとこの左官屋さん、齢84にして背筋もまっすぐ伸び、重い鋼鉄の脚立を担いで梯子を上り下りされるのである。弟子は3人、一目見て補修か所を見抜く穏やかな眼は、次の世代に受け継がれている。
20140419 NIU Farm
「NIU Farm」へ行ってきた。神戸市北区の衝原湖の東に近い六條八幡神社の西北に広がるなだらかな斜面にある。河口さんの「赤目自然農塾」のスタッフもしておられる。今シーズンは、私も田んぼで本格的な稲の不耕起栽培に取り組むため、半陸稲でも栽培出来る根の太い品種で、自然農法の先駆者福岡正信氏が交配して固定することに成功した品種「ハッピー・ヒル (福岡の漢字そのまんま当て英語) 」の種籾をもらいに行ったのである。お返しに私のインディカ米の種籾を差し上げた。ここは田んぼ、現在だいたいこんな感じである。このままの状態で代掻きせずに田植えとなる。「ハッピー・ヒル 」は、「コシヒカリ」よりも2週間程度晩稲になるはずなのだが、穀雨を明日に控えた今日、早くも水に浸けて苗代に播いてしまわれた。選別も消毒も発芽処理もせず、ただ運を天に任せて播いてしまわれたのである。この方が良いのだそうで、穀雨を頂いて健康に育つそうである。インディカもそのまま播いてしまわれた。私は、昨シーズン「コシヒカリ」を4/25に浸水しているので、「ハッピー・ヒル 」は計算上はその2週間後に浸水することになるのだが、少し早めに水に浸けて様子を見ようかと思っている。
20140415 アルムリーノ奥出雲へ2
しかし妥協を知らぬマスターは自分が法律。「アルムリーノ」がスタッフとしては誰もついていけなかったのと全く同様に、つるんで走るということの出来ない彼は、私を置いて猛スピードで走り去った。
しかたがないので私はのんびり旅行気分でロング・ドライブ・・・カリーナちゃんもこういう風景の中で写真に撮ってやると似合うねえ・・・ホレボレ
こーゆー絶景のレストランで、
鯖の煮付け定食が喰えるところが鳥取県の偉大なところだ。
紆余曲折を経て、なんとか到着。
場所は、道の駅「奥出雲おろちループ」という施設に隣接する観光牧場の一角、このプレハブが店舗である。辺りをもう少し撮影・・・
転居先はJR木次線出雲坂根駅に近い国道沿いの一軒家である。
と、そこへ頭上から列車の音が降り注いできたので鉄道少年のスイッチが入り、駅へ戻ってみると、なんと日に何本もない木次線の列車が入ってきた。ここは日本で唯一の三段式スイッチ・バックで子供の頃から来てみたかったところだ。
奥出雲のアルムリーノはGW開業予定。連絡先は0854 52 3006。