2014年07月26日
20140726 谷上マーケット
201407124 ・・・異常・・・
キュウリがようやく1本・・・異常・・・
新畑のジャガイモもほぼ全滅であった。原因は不明。種芋は、自家採種したものと購入したものをどちらも半数ずつ植えたが、結果は同じであったので、種芋の問題ではない。私が植え付けたものはほぼ全滅、昨年以前の自然発芽のものが、ほぼ順当に仕上がっている事、近所のジャガイモはむしろ豊作である事からして、連作障害や土壌の問題とも考えにくい。私に原因がある。例年通りの作り方なのだが・・・2年連続とは・・・ナス科は一から勉強のしなおしや・・・その畝に自生していたトマトを整枝して支柱を立てる。こぼれ種からの発芽だが、茎はどれよりも太い。ジャガイモが全滅しているのに、放任したトマトがこの状態という事は、地力の問題でもない・・・ううむ・・・
トルコ産のドライ・トマトから採取した種から出来た実・・・サン・マルツァーノに近い品種か・・・
サツマイモの周囲の除草。サツマイモは、蔓の節々から根を出して地表を匍匐前進していく。横に伸びる蔓と、縦に伸びる草が絡まると始末が悪いので、蔓の下を除草し、その場に敷いておく。節から出る根も芋になるので、放置すると極めて小さな芋ばかりとなる。刈敷はそれを幾分緩和する。
20140721 刈られても刈られても
3日前に私はこのように書いた。「今回は次のように考えた。・・・略・・・従って、基本的にはこれを抜かず、刈る事にする。しかし稗は、葉を残して刈ると、数日後には蘖が10cm近くに延び、より逞しくなるので、根本ぎりぎりを刈る。」根本ぎりぎりを刈っても結果は同じであった・・・
誤って刈ってしまった稲も・・・
生命は巡るのである。田んぼの地下水位が下がったので、畔に空けられた多数のモグラ穴を補修する。畔豆の際もついでに刈っておく。
こちらは畑の応急除草の際に誤って刈ってしまったサトイモの茎であるが、既に葉が出ている。自然は豊かで力強い。
2014年07月20日
20140719 不耕起の田の除草
畑の手入れもそこそこに、田んぼの除草に取りかかる。はっきり言って農作業の中で何が辛いといって、田んぼの除草ほど辛い事はない。しかし、どうしても避けては通れぬ。私は、今回は次のように考えた。足許を上から見る。左の靴のあるところに稲が植わっている。画面では、ほぼ30cm間隔に、2x3=6株の稲が植わっているのだが、特に稗が稲を凌いでしまっていて、見分けがつきにくい。稗の下の細かいのは、今までの経験上、抑えつければなんとかなる事が解っている。しかし、稗は稲を圧倒し、根に絡みついて、稲の分蘖を阻害する。安易に抜けば、ぽっかりと穴が空いて、その下の草の種に発芽のチャンスを与える。田んぼには水が入っているので、これから芽吹くのは、夏に蔓延り稲と強く競合する水生雑草である。これらは、ちょうど稲が出穂する頃から勢いを増して、稲の登熟を阻害する。開花後は田んぼには入れないので、これらの草が稲を凌駕していくのを、指をくわえて見ていなければならなくなる。春の生存競争の勝者となった稗が周囲の雑草を抑えている事は事実だ。従って、基本的にはこれを抜かず、刈る事にする。しかし稗は、葉を残して刈ると、数日後には蘖が10cm近くに延び、より逞しくなるので、根本ぎりぎりを刈る。
こうなるようにイメージして作業する。注意すべきは、間違って稲を刈ってしまわない事である。しかし、一本一本を稲であるかどうかを確認しながら広い田んぼの全てを刈る事は現実的でないので、努めて上から見下ろして、稲の植わっている位置を頭に叩き込んでから、稲と稲の間を刈るのである。
言うのは簡単だが、実際には非常に難しい。写真にすれば、このように稲と稗は難なく区別がつく。あ、ちょっとイモチが出ているな。刈っている最中はこの目線で作業している・・・つまり、株間に座り込んで、左手で稗の根本を掴み、右手の鎌で刈るのである。代掻きされた田んぼのように、屈みこんで右手のみで草を抜いていくようなわけには行かない。従って、ただでさえ時間のかかる田んぼの除草は、不耕起の田んぼでは更に時間がかかる。ということは、田んぼ全体を除草し終えるのに日数がかかるので、終った頃には始めたところは既に草ぼうぼうになっていることだろう。それから、今は未だ苗の丈が低いので問題ないが、伸びてくると株間に屈みこむ事が困難になる。それを考えると株間は40cmはとっておいた方が良かったのかもしれない。いくら私が痩せていても、30cmの株間に体を沈める事は出来ない。二巡目の除草の課題である。
などと考え事をしていると、誤って稲を刈ってしまったり、指を刈ってしまったりする。
このようなケースが最も難しい。稗が稲にまとわりついている。このままでは稲が絞め殺されてしまうので、この稗は抜くのであるが、不用意に抜くと、根が絡まっているので稲も抜けてしまう。徐々に両者を引き離すようにしながら根を露出させ、ほぐして稗の方を抜くのである。時間がかかる。
このようにして除草していくと、だいたい稲の姿が見えてきた。これは譲り受けた「ハッピー・ヒル」である。生育そのものは非常に良い。
2014年07月17日
20140716 新畑の応急除草
新畑マメ科グループ。
赤花豆の株元を除草。
ウリ科グループ。左は収穫後のイチゴなので、移植するまで養生しつつ今は放置。
キュウリが全然ダメである。ちょっと触っただけで枯れてしまったものもある。今年のウリ科は・・・
ナス科グループの養生。右は全滅に近いジャガイモ、土が乾いてから掘り起こす。
ナスに柵を仕立てておく。手前は日本のもの、左はトルコ産のもの。品種が異なるためか、気候に合わないのか、茎や葉の色が薄い。
トマトも腋芽を掻き支柱に這わせる。
アブラナ科はほとんど全て葬り去った。
番外の畝にあるサトイモとショウガ。これらも腰まであった稗の群生の中から救助。
サツマイモは、蔓をひとつひとつ剥がして除草しなければならないので、応急的には後回し。とりあえずここまでやっといて、来週から田んぼの除草。やれやれ、梅雨だから出来る事、明けてしまえば熱中症。
20140716 東畑の応急除草
さて今度は田んぼをとりあえず放置して、全く手入れ出来てなかった畑の応急手当。東畑から・・・ウリ科グループ3畝。
今年はモグラが異常に多く、田んぼの畔があちこちで破られ、このように畑が水浸しになっている。そのためか、トルコの白ズッキーの調子が悪い。
最後に植えた苗は、植えたときのままの大きさで草の中から姿を現わした。写真ではわからないが、土には蟻がぎっしり。
オクラを救出して、アブラナグループは全て葬った。
オクラも、心なしか元気がない。
ジャガイモは既に全滅しているので梅雨明けに掘るとして、ほかは全て葬った。
辛うじて生き延びたトウガラシ類を救い出し、各国インゲン類にはネットを張った。
ここも水浸し。
ネパールのインゲンも、蔓を雑草の中から引っ張り出してネットに這わせる。
ツルムラサキも同様に養生。
田んぼの周囲の草刈りにとりかかる。このようにモグラが空けた穴から水をが吹き出している。草を刈っただけで、いくつもの穴が顔を出した。これらも内側から塞ぐ。畑の作物の根腐れを防ぐために、止むを得ず田んぼの暗渠の蓋を開ける。
ハーブ園からバジルを救出、幼苗も探して救出。
20140711 畑の観察
田植えに縛られて2週間以上放置してしまった畑の状態です。晩稲を不耕起栽培で田植えする場合、田植えそのものに大変な時間と労力がかかるので、同時期に草との戦いを強いられる野菜の幼苗の管理まで手が回らなくなってしまいます。東畑の状態。ウリ科の3畝。ズッキーニ周辺は一度除草していますが、それでも草の勢いがすさまじい。何が植わっているのかわかりません。
アブラナとオクラ (右) ですが、ここもさっぱりわかりません。
夏でもサラダを切らしたくないので、時期をずらして種蒔きしたアブラナとジャガイモ (右) の畝。全然わからん。
真ん中にインゲンがあって・・・いよいよわからん。
ハーブ畑ですが、咲いているのはオレガノの花で、あとは皆目わからん。
新畑。豆グループ、左が赤花豆で順調。その他はエンドウとソラマメを収穫した跡地。
左にイチゴが埋もれていて、あとはウリ科なのだが、ちっともわからん。
ナス科グループこれまたわからん。
自分でもなにがなんやらからっきしわからん。
サツマイモと黒インゲンが雑草の海に浮いている。
フェイジョアーダ用黒インゲンが根切り虫にやられてる。苗はよくやられるが、こんなに太くなってからやられたのは初めて。実をつけはじめているので非常に腹が立つ。軒並みやられてる。
春に蒔いた野菜は食べ尽くし、リリーフで数回種蒔きしたものも、手入れが出来なかったので、葉を繁らせる前に種族ほぞかの本能のスイッチが灰ってトウ立ちしてしまった。集めても集めても、サラダとして食べられるものは、たったこれだけ。1反5畝の田畑を借りていながら、野菜を買う羽目になりそう・・・
2014年07月16日
2014年07月09日
20140709 田植完了
20140708 今シーズン最後の田植えである。苗が老化して健康なものが少なくなっているので、苦肉の策、兼、疎植栽培の実験のために田植え枠の目印を約40cmに広げる。フレットを動かして微調整出来るサズーやタールのように、昔の道具はこういうところがフレキシブルで良い。
圃場の除草を終えて、稲藁や麦藁を敷いておき、ガイドロープと枠をセットする。
慣れとは恐ろしいもんで、これが一度も休まずに2時間で出来るようになった。空いた時間で右隣の区画を除草・・・半分ほどやってバイトへ Go !!
翌日、除草を終らせて余った麦藁を敷き、午後から田植え・・・
この圃場は、かつて黒米の田んぼであったので、こぼれ種の発芽が多く、状態の良いものは丁寧に抜き取って植え替える。小麦「ユキチカラ」を栽培した跡地を整地して軽く代掻きし、そこへ植え込む事にした。
夕刻の明るいうちに、余裕で今シーズンの田植え完了。終った・・・やっと終った・・・2週間ぶっ続けの田植えは流石に堪えた。来シーズンはもっと勉強してからにしよ。
最初に植えはじめた部分はこういう状態。今週後半は畑や畔の手入れをして、来週から田んぼの除草を始める。
赤花豆が実っている。
フェイジョアーダ用黒インゲンも実ってきている。その脇に条播きしたアブラナ科の野菜も発芽しはじめている。今日はバイトは休みだが、台風が近づいてるので、暗くなるまで柵ものの補強。よー働くのう・・・
2014年07月08日
20140705 東畑脇田田植完了
脇田の除草をしていると、稲が数多く芽生えているのである。ここには昨シーズン「サリー・クイーン」を植えたのだから、そのこぼれ種が発芽したものかと思っていたが、かなりの黒米が含まれている。ということは、昨秋に麦を蒔いたときに籾殻を入れたのだが、その中に選別されずに残ったものがあったのかもしれない。折角生き延びてくれたのだが、品種の混入を避けるために、目で見てわかる黒米だけは確保して別に植え直す事とし、他のものは全て廃棄する事にした。
その日に植える事が出来る分だけを苗取りする。そうしないと牛乳ケースの中で苗が傷むのである。左が正常な苗、真ん中が徒長しはじめたもの、右は徒長した苗である。徒長した苗の事を「ぶわか苗」とよぶのだが、語源を探ってみると面白い。リンガラ語で「捨てる」という動詞を「kobwaka」と申し上げるのだが、「捨てる苗」つまり「kobwakaする苗」すなわち「ぶわか苗」ということであるらしい。
うそやで (^^;
うわぁぁぁぁっ・・・イモチがこんなに出ている。健全なものだけを厳選し、bamisusuはkobwaka nyonsoしてひたすら植える。その甲斐あって脇田は3日で完了。
20140704 畑の観察
昨シーズンまでは、中稲と晩稲に分けて栽培していたので、中稲の田植えを終らせてから晩稲の田植えまでに2週間程度あり、その間に幼少期の野菜の手入れが出来たのであるが、こう田植えに手間ひまをとられては畑まで目が行き届かないのである。
アブラナ科の日常野菜は、間引きもしてやれず、雑草に巻かれて苦しみ、葉を繁らせる暇もなく子孫を残してしまおうとしてトウ立ちする。
舶来のトウガラシ類も、今シーズンは埋没して姿がない・・・しかし捜してやる事も出来ない。
ズッキーニはなんとか生ってるが、カボチャは完全に草に没してしまっている。葉にウドンコ病の兆候が見えるが、これも手当してやる時間がない。
バジルに至っては栄養不足で葉がいじけ、摘心するまもなく花が咲いてしまった。もはやハーブとしては味が落ちていく一方である。この数株以外は、全て草の陰に斃れてしまった。今シーズンは「バジル・ペースト」が出来ないかもしれない。
20140703 東畑本田田植完了
「サリー・クイーン」を植える。強い雨の中での田植えとなった。二人で植えてるんぢゃないよ。ぢゃんくさいからふたつ並べて2列一気に片づけてるだけや。こうすると余分な運動量が減って、結果的に効率が上がる。とにかく疲労が大敵なので、考えなくても済むように段取りしておく。疲れると思考が停止し、厳しい判断を常に求められる農作業で複数の作業の同時進行が難しくなる。その結果、ひとつの手間で済む事に何度も手間取って体力を消耗し、疲労が更に蓄積する悪循環に陥る。
苦しみながら、ようやく東畑本田田植え完了。この5畝ほどの田んぼに8日かかったことになる。続けて脇田の除草を始めておく。この8日間の間にすっかり草だらけになってしまった。
20140702 インディカ苗の不調
「サリー・クイーン」の苗取りを始める。いつもなら6割程度の発芽率なのだが、今年は発芽率が良過ぎて過密状態になってしまった。したがって育ちが悪い。疎播すればよいかというと、結局雑草に入られるので同じことなのだが、このように競り合ってしまっては互いに足を引っ張りあうのみである。足の引っ張りあいは人間社会だけで充分だ。
どのくらい悪いかというと、このくらい悪い。ほとんどの苗は5cm未満で哀しくなる。少しでも芯のある物はOKとして、ひたすら選別。実は、この苗取り作業も、根を詰めて前かがみになり、目を凝らしてやるので腰に来る。これも1時間半が限界なので、それを目安に作業する。今日は、連日の疲労が蓄積して腰がすぐによじれだし、結局、苗取りをしただけであえなくダウン・・・
隣家の施設は基礎工事を終って柱が立ち上がりはじめている。
20140627 田植事始
私も田植えを始めている。茨木の友から貰ってきた「豊里」を先ず植え、続いて「ハッピー・ヒル」を植えはじめたのであるが、案の定、両方合わせても本田の半分をなんとか満たせる程度であった。
この時期の田植えは簡単ではない。不耕起であるので雑草の繁殖が酷く、除草しても除草しても三日経てばこの有り様である。左手前の部分を除草しただけでカゴがいっぱいになる。この調子で対岸に行き着くのに1時間半かかる。この区画を除草するのに4時間半かかり、その後、稲藁を沈めてやっと田植えにかかることが出来る。田植えは、枠一列を対岸まで植え尽くすのに1時間半かかるので、この区画は4時間半で完了出来る計算になるのだが、実際は疲労のために作業は大幅に遅延する。
不耕起の田んぼでの田植えは、代掻きした田んぼの田植えとは全く異なる。地面は畑同様硬いままなので、植え位置に鎌で穴を開けて植えていくのである。予め植える区画を除草してかかるのだが、植えながらも除草するので、通常の田植えとは比べ物にならないほど時間も体力も消費する。特に疲労は著しく、通常の田植えの姿勢では続かないので、座り込んで鎌でごしごしやって、鎌を置いて苗を手に取って植えて、必要があれば近くの草は取り除いて・・・という動作をひたすら繰り返す。ときどき腰を伸ばしても30分で腰がよじれ、我慢しても10分、そこで休憩を入れてリスタートしても、今度は15分ほどで腰がよじれるのでまた休む・・・無理をするとやがて足ががくがくして立っていられなくなり、否応なしにへたり込む。したがって、最初の枠一列を対岸まで植え尽くすのに1時間半としても、その日のうちに続けてやるとすれば、次の枠一列を対岸まで植え尽くすのに3時間は覚悟しなければならない。これは非効率であるので翌日に回す。バイトもあるし。すなわち本田は枠10列分あるので、その田植えを完了するのに計算上10日もかかることになる。しかしこの計算には雑草の繁茂が加味されていないから、実際にはもっとかかる。雨でも降ろうものならさらにかかる。だからこの時期に田植えの主要な部分が来る晩稲は控えた方が良い。今回、結果的に全ての植え時が重なってしまったことにより、多いに田植えに手こずらされることになった。
2014年07月04日
20140625 苗とり
苗とりを開始する。まずは左手の「ハッピー・ヒル」であるが、全く以て意外なことに発芽率が非常に低く、植える予定の面積の4倍程度は充分に確保出来る量を播いたにも関わらず、予定面積の半分も満たせないであろう。苗の状態もばらつきが大きく、発芽したものの中でも使えるものが少ないと思われる。一方、右手の「サリー・クイーン」であるが、こちらは通常私の苗代での発芽率が6割程度なので、そのつもりで多めに播いたのだが、これがほとんど発芽してしまって過密状態になり、途中で生育が止まったように思われる。いずれにせよ、両者の植え時が重なってしまったことで、作業が追いつかない状態であり、大変苦しい。文句を言っても始まらない。とにかくひとつずつ片づけていくしかない。
夕方、赤目自然農塾で知り合った茨木の友達の田んぼを見せてもらいに行く。田植えが始まっている。様々な品種を試している様子で、苗の状態も良い。私の方で余る「サリー・クイーン」と、彼のところで余る「豊里」を交換してもらった。彼の圃場は2反である。管理が行き届いている。ここは茨木の山奥であるが、新名神高速の工事が始まっており、山中の棚田も切り開かれている。農家は自分の田んぼを供出させられ、工事の終る7年後には、はげ山が戻されるそうだ。しかしここらへんも後継者がおらず、7年後にはげ山で返されてもあとを管理する人材がない。そこで彼が考えているのは、自然農を志す者同士が手を組んではげ山を再生し、集落として自然農や不耕起栽培に取り組むモデル・ケースに出来ないか、ということである。なぜなら、慣行栽培が主流の農村に自然農や不耕起栽培を持込むと、様々な軋轢や誤解を生じて、最悪の場合ムラから追い出される事例も珍しくないからである。廃村に近い状態になることがわかっていれば、そこへ隠るようにして生き存えることも、この際止むを得ないのかもしれない。
20140620 ユメシホウ脱穀
ブルー・シートで毎日干していた湿害で生育不良の「ユメシホウ」を脱穀する。丈が短くて足踏み脱穀機にかからないので、砧 (横槌) で叩く。左が未脱穀の束、右上が脱穀済みの麦藁、右下が脱穀された玄麦と藁屑の山である。この山を両手でおおまかに掬う動作を繰り返すと、重い玄麦が下に落ちて、軽い藁屑が浮き上がる。
脱穀そのものには時間がかかるが、足踏み脱穀機でやるより藁くずの混入が少なく、選別は却って楽である。藁屑を除去して唐箕にかける。
唐箕で殻やごみを飛ばすと、玄麦がよく見えてくる。
とりあえずここまでやっておけば、袋詰め出来る。あとは製粉するときに掃除する。いまは時間がない。
梅雨の晴れ間を有難く頂戴して乾燥させておく。湿害の影響か、収穫量は8kg・・・種蒔きは2kgだったので、たったの4倍にしかならなかった。麦はブレが大きい。
2014年07月03日
20140619 梅雨の晴れ間
室内で貯蔵して冬越しに成功し、発芽したので盆栽にして鑑賞していたサツマイモを、試しに畑に植えてみることにした。秋に収穫出来れば、サツマイモの苗の自給に成功することになる。
梅雨の晴れ間が続いている。その間に乾き物の始末をつけておく。スズメという鳥はアホであるから、昨日まで攻撃してきた麦が刈り採られて画面奥に干してあることに気がつかず、刈り採った後の空ろな畑を未だに攻撃し続けている。しかし気付かれたらおしまいではある。
気付かれる前にソラマメとエンドウを先に収穫しておく。こちらはハトに気付かれたのと、特にエンドウは、枯れたあとに雨が当たるとカビやすいからだ。とりあえず軒下に避難させておいて、あとで脱穀する。
2014年07月02日
20140628 ムラハラ
手短に書こう。隣家の息子さんが数年前に帰ってきて専業農家として実家を継ぎ、ハウス栽培で独自ブランドを立ち上げて一定の成果を収めているのだが、今シーズンからはその規模を3倍に拡大すべく、春から施設の造成に取りかかっていること、それについて近隣から苦情が出ていることについては既に書いた。ムラというところは、都会ではおよそ想像も出来ないことが起り、びっくりするような判断がまかり通るものだ。いろいろ勉強になる。
さてこの施設の建設計画について、3月ごろに本人より説明があった。私は隣で田畑を作っているので、年明けには「なにかやるんだな」と気付いていた。説明のあった時には私の地主もいた。その後集落の人とすれ違うたびにそのことが話題になったので、近隣関係者で知らない人はいなかったはずだ。
工事に取りかかるために既設のハウスを撤去しはじめたのは4月に入ってから、造成が始まったのは5月のことである。ところが先日、急遽この計画についての「説明会」なるものが行われたのだが、私はそれに参加して驚かされ、あきれ返り、止むを得ずある提案をしたがために現在のところ孤立した状態になっている。
全く驚かされたことに、参加者のほとんどは、この計画について「正式には説明を受けていない」と言うのである。私のところの地主もそうだ。建設計画について、3月ごろに本人より説明があったことは事実だが、地主は「正式には説明を受けていない」と言う。何を以て「正式」とするのか私は問いたい。関係者全員は、少なくとも計画を知りうる立場にいたし、充分な時間があった。その時点で苦情は出ていなかった。しかし、基礎工事もあらかた終り、もはや計画を撤回出来ないところまで来てから、集落の誰もが一斉に苦情を訴えはじめたのである。苦情を言うほど不安であるならば、私なら計画を知った段階で、正しい知識を得るために努力したであろう。誰もそれをせず、今になって急遽「会合」という形で苦情を言い募るのは、その苦情の内容以外の別の目的があるように思われてならない。
会合では、初めに本人から動機について説明があった。先祖から受け継いだ農地を専業農家として経営するには、ある程度規模の大きな施設園芸しか道はないと判断し、この集落でも実質的な農業後継者がいないなかで農業の火を絶やすまいとの気持から事業に取り組む決断をしたとのこと。施設の概要については、規模は農地5反、環境負荷の低減にも充分配慮された最新型の施設で、老人でも腰を屈めずに作業出来、地元に10人の雇用を生むことで、地域に貢献したいとのこと。計画については充分説明したつもりではあったが、行き届かぬことがあったかもしれないが、地域の農業を守るためにも、是非ともご了承を頂きたいとのことであった。ところが残念なことに、彼の情熱や地域に対する配慮は、参加者には一顧だにされなかった。話がボイラーの件になった途端、参加者から次々と苦情が出されたのである。
数年前から稼働している既存の施設には、冬場の暖房用のボイラーがある。その稼働音は、数百メートル先の国道を走るトラックの音より小さく、耳を澄まさなければわからないほどだ。今回計画されている施設は面積にしてその3倍程度あり、当初の計画段階では、それを3基のボイラーで暖房するはずだった。会合では、それによる騒音の心配が訴えられて、ボイラーを1基に集約し、しかも集落から最も離れた角に設置するようにとの要求がなされた。会合では、その提案が暗黙のうちに了承され、更なる騒音の不安が並べられた。最も驚かされたものをひとつだけ紹介すると、既存の施設内で作業している家族の腰に付けた携帯ラジオの音がうるさいと、数十メートルも離れた家の人から苦情が出たことである。それより近いところにいる私には、耳を澄ましても聞こえないほどの音だ。それをもって騒音というなら、集落の住人は身動きすら許されないであろう。誰もが呆れるはずのその発言は、しかし、会合ではもっともらしく受け容れられたのである。
さらに「意見はないか」と問われたので、私はだいたい次のようになことを述べた。騒音について話し合われているが、いずれも怖れや憶測の域を出ず、一体新しい施設からどの程度の音が出るのか明確な根拠がない。そのなかで、3基のボイラーを1基に集約するという根本的な設計変更について、専門知識のない我々が議論するには無理がある。そもそも施設というものは、当初の設計通りに運用されて初めて最適なパフォーマンスが得られ、それを基準に販売計画や経営戦略が検討されるものであるので、それを変更すると必ずロスが出る。設計変更や設備工事費の増加の他に、ランニング・コストが上昇する。3基でまんべんなく暖房する設計の施設を、1基で暖房しようとすれば、3倍以上の出力の設備を要するであろうし、そうなれば燃料コストが計画より上がり、暖房のムラは製品ムラを生じて製品ロスが増える。例えば30年後の原油価格は今よりかなり上昇しているはずだから、燃料コストのロスが同率であっても金額が膨らんでしまう。これらは必ず将来の経営を圧迫するであろう。私には、この要求は次の世代にツケを回すものに見える。そこで、現在の施設から出ている騒音と、初期計画の施設から出るであろう騒音と、ボイラーを1基に集約した場合に出るであろう騒音とを数値化して比較し、たとえば各戸への防音窓の設置などによって、次の世代にツケを回さない方法がないかどうか検討してはどうかと提案したのである。
しかし、直後に示された参加者の反応に私は耳を疑った。曰く、「100年後のことなんか訊いてない (私は30年後と言ったのだが) 」曰く、「燃料費の上昇くらい経営者なら折り込んでいるはず (私は燃料費のロスのことを言ったのだが) 」・・・揚句の果てには「そんなことを言う人にはこの村にいて欲しくない」「夜は蛙の声しか聞こえないほどの良い環境なのに、それが解らない人が近くに住んでいるなんて」・・・私はそれ以上何を申し上げても参加者の態度を硬化させるだけだと悟って口をつぐんだ。
会合はうやむやのうちに閉会した。私は、田植えの段取りその他作業が山積していたので、先に出て昼食の準備をしていた。そこへ、ボイラー集約を提案した老人が来て、「私は君の言うことを聞いて驚いた。ここで暮らしたいのなら発言に気をつけた方が良い」という意味のことを言われ、出来るだけ冷静に対応したのだが、余りにも非礼な言動が続いたので逆上した。以後、集落の人とは道で会っても挨拶を返してもらえず、回覧板も回ってこなくなった。バイト先にも探りが入れられた。
もちろんこれは、独り勝ちを許さないムラの共在感覚がなせる陰湿な嫌がらせであり、会合は自治会という隠れ蓑によって誰も責任をとらずに済まそうとする方策であり、それを白日の下に晒して解決しようとする者は消そうとするのである。いいよ、その方がさっぱりする。しかし私は三年越しで獲得した新規就農者としての経過観察中の身、自治会というものは単なる任意団体であり、なんの法的根拠もないものであるはずなのだが、農地法の仕組みとして、農地の利用権の更新には自治会の了承を要することになっている。これが実際にどのように運用されるのか、田植えが終ったら調べてみなければなるまい。だからといって主張を曲げることはないけどね。