苗とりを開始する。まずは左手の「ハッピー・ヒル」であるが、全く以て意外なことに発芽率が非常に低く、植える予定の面積の4倍程度は充分に確保出来る量を播いたにも関わらず、予定面積の半分も満たせないであろう。苗の状態もばらつきが大きく、発芽したものの中でも使えるものが少ないと思われる。一方、右手の「サリー・クイーン」であるが、こちらは通常私の苗代での発芽率が6割程度なので、そのつもりで多めに播いたのだが、これがほとんど発芽してしまって過密状態になり、途中で生育が止まったように思われる。いずれにせよ、両者の植え時が重なってしまったことで、作業が追いつかない状態であり、大変苦しい。文句を言っても始まらない。とにかくひとつずつ片づけていくしかない。
夕方、赤目自然農塾で知り合った茨木の友達の田んぼを見せてもらいに行く。田植えが始まっている。様々な品種を試している様子で、苗の状態も良い。私の方で余る「サリー・クイーン」と、彼のところで余る「豊里」を交換してもらった。彼の圃場は2反である。管理が行き届いている。ここは茨木の山奥であるが、新名神高速の工事が始まっており、山中の棚田も切り開かれている。農家は自分の田んぼを供出させられ、工事の終る7年後には、はげ山が戻されるそうだ。しかしここらへんも後継者がおらず、7年後にはげ山で返されてもあとを管理する人材がない。そこで彼が考えているのは、自然農を志す者同士が手を組んではげ山を再生し、集落として自然農や不耕起栽培に取り組むモデル・ケースに出来ないか、ということである。なぜなら、慣行栽培が主流の農村に自然農や不耕起栽培を持込むと、様々な軋轢や誤解を生じて、最悪の場合ムラから追い出される事例も珍しくないからである。廃村に近い状態になることがわかっていれば、そこへ隠るようにして生き存えることも、この際止むを得ないのかもしれない。