2014年11月28日
20141124 JT☆Starsリハ2
久しぶりに音響機材とセットで出動なので動作確認もかねて・・・。いやあ、あんまり仕上がりが素晴らしいので、このセットで農閑期ドサまわりしようかなあ・・・
20141120 船坂ビエンナーレ
「船坂ビエンナーレ」も終ろうという頃になってようやく行くチャンスを得た。
http://funasaka-art.com/
やっぱりコレ最高 !!
年々しょぼくなる。しかも500円の協力金が設定されていた。船坂はこのサイハテ感が良い。
2014年11月19日
20141129 Afrika meets Kansai
2014/11/29 15:00 IMPホール 各線京橋駅前
内緒ですが、JT☆Starsに混じってシレっと演奏します・・・(^^♪
20141122 谷上マーケット
谷上マーケット出店します。新米の季節です。今シーズン主力栽培のインディカ米「サリー・クイーン」の販売と、試験栽培「タイの香り米」の試食を兼ねたカレーを出します。
わりとフツーのチキンカレー (「タイの香り米」8食・「サリー・クイーン」8食限定) \300
インディカ米「サリー・クイーン3分搗」2合 \500
干し芋 \200
干し柿 \200 (予定)
場所: http://www.mapion.co.jp/m/34.75805904_135.16434957_10/
有馬街道箕谷ランプ東「ヤキタテイ」駐車場南に隣接する古民家です。
駐車場は上記地図内「皆森」交差点に隣接する「箕谷駐車場」をご利用下さい。
電車でお越しの場合、神鉄箕谷駅か北神急行谷上駅下車、いずれも徒歩10分以内です。
わりとフツーのチキンカレー (「タイの香り米」8食・「サリー・クイーン」8食限定) \300
インディカ米「サリー・クイーン3分搗」2合 \500
干し芋 \200
干し柿 \200 (予定)
場所: http://www.mapion.co.jp/m/34.75805904_135.16434957_10/
有馬街道箕谷ランプ東「ヤキタテイ」駐車場南に隣接する古民家です。
駐車場は上記地図内「皆森」交差点に隣接する「箕谷駐車場」をご利用下さい。
電車でお越しの場合、神鉄箕谷駅か北神急行谷上駅下車、いずれも徒歩10分以内です。
20141116 サリー・クイーン脱穀2
20141115 摩耶山へ・・・
今日は、「摩耶山リュックサック・マーケット」と同時開催の「摩耶山アコースティック・ピクニック」今季最終日なので、脱穀作業を午前中で中断して行ってきた。今回は、摩耶ロープもフル稼働になったので、従来通りの掬屋台での開催である・・・しかし残念な事に、ミュージシャンとしての参加者は、私を含めてたった3人であった。まあ良い。次回開催の3月までに、なんとか参加者を募ってこのイベントの主旨を広げたい。することもなかったので周囲の出展者の売り物を見ていたら、なんと前からほしかったミゾカンナ (機械作里) が売られていた。主は、音楽を趣味とする家具職人で、仕事で使っていたのだが、工具が重複するのと溝幅3mmのカンナが要らないのとで出品したとの事だ。あわせて皆川達夫氏編集の、世界音楽年表 !! これなんかサラっと「グローバルな視点から」なんてサブタイトルがついてますけど、キョーレツな内容ですよ。こんなのが普通にあるこのマーケット、侮り難し。そしてさらに、全くの偶然だったけど、いつも夙川でyamsaiから野菜を買って下さっているお客さんの一人と遭遇。元気の塊のような息子にシンバルをたたき割られまいかとはらはらしながらも楽しいひとときであった。夕風が出てきたのを期にバイトへGo !!
20141114 道場マルシェ
初霜である。秋ジャガの葉が枯れた。サリー・クイーンの脱穀が終ったら収穫する。
さてこちらは自転車で数分のところにあるJAの道場支店で行われた「道場マルシェ」の風景。あちこちでイベントやフリーマーケット、更には闇市がにぎやかであるので、とうとう道場町もそこに目をつけたかと期待したのだが、まあご覧の通りで推して知るべし。客を装って・・・客であるのには違いないのだが・・・「渋柿詰め放題」なんて書いてあったから干し柿の作り方などを訊ねていると、何人もの職員や農家の客が寄ってきて説明してくれるのだが、話題を変えて「出店するにはどうしたら良いですか」と訊ねると、すぅぅぅぅっと彼等が退いていく。「担当者」として紹介された人も、私の質問には上の空で、訪れた他の客にちらちらと目をやりながら、曖昧な返事を繰り返す。やがて比較的仲良くしてもらっている (であろう) 職員も合流したのだが、どうも奥歯に物の挟まったような返事しか返ってこない。苦労して訊き出せた内容は、だいたい次の通りである。まず作り手と出品者が同支店に口座を持っていなければならず、つまり農協に加入しなければならず、そのためには当然農家登録が必要で、出品するにはJAへの出荷実績やJA直営店での販売実績と、JAの認定する栽培履歴が必要。更に、「マルシェ」には開催当日に納品し、売れ残りは引き取る。売上は一旦JAが取りまとめ、後日各口座へ振り込む。出店料は不要。加工品は食品衛生法で定められた食品加工業の許可が必要。そして最も意外だったのは、販売はJAが行うので、出品者は納品と引き取りのみを行い、直接店頭での対面販売は出来ないということであった。また、納品された商品はJAが陳列するので、出品者独自の売場作りなども出来ない。また、商品の表示はJAに登録された名義とし、それ以外の「屋号」や「ロゴ」を入れてはならない。つまり個性というものを打ち出す事は全く出来ない・・・というか、徹底的に個性をたたきつぶす仕組みになっている。何故かと問うに、一人にそれを認めてしまったら、ワシもワシもと言って収拾がつかなくなるからだという。・・・絶句・・・
20141113 菊芋収穫
20141113 サリー・クイーン脱穀
20141112 干し柿と干し芋
この渋柿をとらせてもらえる事になった。実は前々から目は付けていたのである。本田の隣の田んぼ、つまり三反田の土手を鎌で刈るおばあちゃんの柿の木である。家族は渋柿なんかに目もくれず、つるし柿にも興味がないので、収穫すれば売る先はあるし加工も出来るのだが、もう腰が・・・わかったわかった、ほな採らせてもらう代わりに柿は山分けにして、ついでに農作業の見極めをいろいろ教えてえな。土手の草刈りも手伝うし・・・ちゅうわけで商談成立。
先ずは小豆を干して砧で叩いて鞘から出して選り分ける作業実演・・・いや早いのなんの・・・お見逸れしました。「お陽ぃさんはありがたいのう・・・」ヘヘェェェェッ m(_ _)m
早速頂いた柿で早速つるし柿を作る。
これがまた巨大なので5つぶら下げても相当な重さである。糸や竹が持つかと気にかけつつ、130個程度を吊るす。ここは頑丈な蔵の張り出しなので良いのだが、並の家の軒下では、角材が細いので軒が下がる怖れがある。
傍らで干し芋も作る。白サツマイモの「イズミ」を4時間ほど蒸して慎重にスライスして網戸に並べる。
最近特に日が短く、3時過ぎには寒さと湿気が押し寄せる。夕刻にはこのように車内に避難。カリーナちゃんほんまに役に立つ車やわあ・・・
20141110 タマネギの定植
20141105 ハッピー・ヒル稲刈
ハッピー・ヒル稲刈開始。この品種、立ち姿が良いのよね。
藁の手触りも力強くて・・・
しかも、これホンマに光って見えるねん。コケヒカリとはカクがちゃいまっせ。
ところが圃場の一部、帯状に立ち枯れたものが散見される場所がある。
立っているように見えるが、周囲の茎に支えられているだけで、実は根から腐っている。
そこにはアブラナ科に多くつくダイコンサルハムシが多く見られる。両者の関連性や立ち枯れの原因は、これから調べる。
あな不思議や、稲の間にこのような藁糸玉が・・・
取り除こうとすると、中から声がしたのでそっと開けてみると、生まれたてのネズミである。寒さに震えている。目は未だ開いていない。本来ならばこの害獣、たちどころに鎌の錆にしてくれるところであるが、干支が同じで親近感が湧くせいか、この姿を見て命の重さに思いが至るのか、とても殺す気にはとてもなれない。取り合えず稲刈の済んだ場所に藁カゴを作って避難させたが、親ネズミが授乳しなければ、とても生きてはゆけまい。そのうち天敵の餌食になるであろう。それまでの命だが、私にはこれを救ってやる事が出来ない。今シーズンの稲刈これにて完了。
20141104 晩秋風景
20141029 母とドライブ
今日は、母を連れて蒜山高原へ紅葉ドライブ・・・のはずであったが、まだぜんぜん紅葉しとらんでやんの。
まあいい、もうこのカメラもお疲れでピントが合わんようや。孝行のしたいときに親はなしという。幸いにして母は健在でなにより。そのかわりこっちは孝行のしたいときにカネはなし。のんびり一泊旅行にでも御連れしたい気持だけはあるものの、そんな余裕はないので、早朝から深夜に及ぶ日帰り強行軍である。
大山のお気に入りスポットである「植田正治写真美術館」にて・・・
ファッション雑誌かなんかであらう、モデル撮影をやっている。
その足で、作品入れ換え初日の「塩谷定好写真記念館」へ向かう。
前回とは全く異なる作品の階調を見る事が出来、大変良かった。母も、写真とは写実するものとばかり思っていたのを、絵画的に表現された多くの作品を目にしていたく感動された様子である。
強い海風をものともせず浜辺を散策する母。私より歩くのが速い。朝早く出発し、帰宅したのはもう深夜になっていたのに元気いっぱいの母。頼もしく誇らしい私の母である。
20141022 網干の提灯祭
網干の魚吹 (うすき) 八幡神社の秋祭、いわゆる「網干の提灯祭」に来ている。農繁期だというのに毎週遊んでていいのだろうか・・・夜だから良いのさ。姫路の白浜の宮の「灘のけんか祭」よりも知名度は低いのだが、参加する村の数とその範囲は遙かに大きく、屋台練りのバリエイションや芸能も多様である。ところが一般の人には地理的に行き難い。というのは、JRや山陽電鉄の最寄り駅からかなり遠く、しかも広い田園の真ん中にある小さな集落の神社であるので場所を特定しにくい。公共交通機関もそう頻発していないので、成り行きで車で出てしまう。ところが、この近辺は普通の農村に工場がチラホラあるだけで特に駐車場というものがないから、ついついそこらの田んぼの畔に勝手に駐めて、音のする方向へさまよい出るのである。初めてこの祭に来たときは、得意先の人に案内してもらって良い隠し場所を教えてもらったのだが、やがてそこも開発されて駐められなくなった。列をなす駐車車両は、明らかに周辺の交通を阻害していて、その片棒を担ぐのも嫌だったので、最近は電車とバスで行くようにしていた。
ところが、今年も前もって調べていたら、なんと、初めての試み、近隣の大きな工場の駐車場から巡回シャトルバスが運行しているという。これはええわってんで、地図をプリントして出発、例によって懐かしい例のコースで1時間半で難なく近くまで来た頃にはもう暗くなっていて、周りは果てしない田んぼだから、さて道が解らん。目を凝らして交差点名を確認して曲がったは良いけれど、集落の細い路地へ連れ込まれてきつねにつままれてもの世界。そこを脱出して警備に当たっている警官に訊いてみたら、暗闇を指さして「あそこだ」と言う。・・・略・・・結論から言うと、来年も同じ工場の駐車場が使われるとするならば、余部北 (よべきた) 交差点を東に入ると、道なりに集落に向かっていくが、途中南側に大きな工場の門がふたつある。その二つ目、つまり東の方の門の奥が駐車場である。なぜこれがわからなかったか、それは道には看板が出ていないからである。「臨時駐車場」とか「シャトル・バス乗り場」とか書いてあると普通思うやん。そんなのが全くないのである。道理で、その道をうろうろしている車が非常に多く、諦めてそこらの田んぼの土手に駐める人も多くみられた。ようやく探し当ててバスの隣まで行くと、暇そうなおっさんが赤いランプで導いてくれるのだが、他に車が見当たらない。当惑しつつバスの隣に駐めると、無人のバスに導かれ、乗り込んだ途端に発車した。貸切である。なんでも広報が間に合わず、本宮の今夜は私が初めての利用者だという。バスは10分ヘッドで運行される予定だが、無人で走っても意味がないので、発着点で連絡を取り合いながら、客が来たら走るようにしているという。なんちゅうこっちゃ。バスは、工場と魚吹八幡神社の御旅所広場とを結んでいる。
まあいい。祭である。着いた頃はちょうど屋台の宮入りも終って一休み、壇尻の舞台で様々な園芸が披露されているリラックス・タイムであった。境内に入ると、本田の両側と右奥にずらっと電飾を施した屋台が並んでいる。夜店もたくさん出ていて、いや祭である。その雰囲気を味わい飽きた頃、「やぁぁぁぁっ !! 」と大きな掛け声が上がって、一台の屋台が担ぎ上げられた。宮出しの始まり。網干の祭では、白浜の祭と違って、屋台を担ぎ上げるのにぎっこんばったんとシーソーをやらない。「やぁぁぁぁっ !! 」という掛け声一発ですっと上げるのである。「ヨーイヤサァァッ」の掛け声や練り合わせをするのは同じなのだが、全く異なるのは、「チョーサァァッ」という掛け声とともに、屋台を上へ放り上げる事である。これに至る一連の動作はこの祭一番の見せ場であって、宮入りの時や宮出しの時、更に要所要所に設けられた「チョウ場」という地点で、あるときはわぁぁぁぁぁぁっと走ってきて「アレワイサァノサァッ、コレワイサァノサァッ、ソリャッ !! 」という掛け声と同時に、担いでいた屋台を地面すれすれまで落とし、それをすぐさま担ぎ上げ、再び「ソリャッ !! 」の掛け声と同時に両腕を伸ばして屋台を差し上げる。太鼓の間合いを取ってその姿勢のまま「チョーサァァッ」という掛け声とともに屋台を上に放り上げ、その姿勢で受ける。これを2回やるのである。この一連の動作がふらつく事なく、「チョーサァァッ」が高ければ高いほど大きな拍手がわく。これは村の境や交差点、広場などでも行われ、あるときは槍回しをしながら、また回転しながら放り上げる事もある。このとき、絶対に屋台を地面につけない事が、屋台を地面に打ち付ける白浜とは対極的な、網干の人たちの美徳なのであろう。「ヨーイヤサァァッ、ヨーイヤサァァッ、アレワイサァノサァッ、コレワイサァノサァッ、ソリャッ !! 」ドンドコドン「ソリャッ !! 」ドンドコドン、ドンドコドンドコ「チョーサァァッ、ソリャッ !! 」ドンドコドン「ソリャッ !! 」ドンドコドン、ドンドコドンドコ「チョーサァァッ」ドーン、ドーン、ドーン・・・2回目の「チョーサァァッ」が終ると、太鼓のテンポは急に落ちて、担ぎ手たちは差し上げていた屋台を肩にうけ、すっと歩きはじめる。この動と静のコントラストがたまらん。こういう美的感覚は「灘のけんか祭」にはみられない。これこそが「網干の提灯祭」の醍醐味である。
もうひとつ「灘のけんか祭」と異なるのは、太鼓叩きが子供である事だ。「灘のけんか祭」では大人が叩くのであるが、ひとつの太鼓を四方から囲み、先頭に座る者が「ドンドコドンドコ・・・・」と拍子を取り続け、ほかの三人は拍子の頭だけを「ドーン」ととっている。そのかわり、左右交互に、空いた手を肩から上に高く伸ばす・・・まあこれは映像を調べてよく見てもらったほうが分かりやすいのだが、その動作を太鼓が鳴っている間中続けるわけだからごくろはんなこっちゃ。網干の場合、子供は太鼓を叩きながら一定の文句を唱和している。それが担ぎ手への合図にもなっていて、所作の次第を決めているようである。しかし子供である。なんどもなんども「チョーサァァッ」をやられているうちに酔ってしまい、本宮の夜ともなると、太鼓のリズムもなにもかもへろへろに失速していて呼吸が合わず、なかなか「チョーサァァッ」が上がらない屋台も見かけた。子供は祭の間中地に足を付けてはいかんのであろう、交代の時は大人が肩車して交代するのを見かけた。「網干の提灯祭」、「灘のけんか祭」と異なって激しさと情緒、芸能の豊かさを味わえる播州オススメの祭である。
20141020 秋土用
20141015 灘のけんか祭
台風も過ぎて大きな被害もなかったので、出荷のあと姫路へ祭を見に行く。第二神明なんて乗んの何年ぶりやろ ?? 名谷から大蔵谷にかけてのアップ・ダウンや。はははは懐かしいのう。関西に住んでてなにがおもろいちゅうてそら、播州と泉州の派っ手゛ェな祭をハシゴ出来るこってすがなほんまに。とくにこの姫路の灘のけんか祭と岸和田のだんじり祭と、どっちがエエかちゅうて、姫路の人と岸和田の人が祭の自慢話始めたらそんなもん自慢話で終るはずがのうて素手でやってるうちはええけんども刃物が出たりしたら・・・
もうすぐ土山や。ははははは、懐かしいのう。姫路のもんにしたら岸和田のだんじりなんてクルマにヒモつけて走り回ってなんどいやてな感じやけど、岸和田のもんにしたら姫路の屋台なんてわざわざ仰々し飾り立てた金ピカ担いでなんぼのもんぢゃちゅうてね、まあヨソもんからしたらどっちもどっちやねんけど、そのどっちでもええことを真剣にやる、それも怪我人や死者が出るほど真剣にやるところが祭の祭たる所以であって、そこにリクツもなんもないんですな。
加古川バイパス・・・これまた懐かしいのう・・・でもなんか知らん新しい道やジャンクション出来ててちょっと困乱。岸和田のだんじり祭は、やはりあの疾走感がたまらなく良い。「ソーリャッ、ソーリャッ、ソーリャッ、ソーリャッ」という掛け声とともにうわぁぁぁぁっちゅてヤリまわす豪快さ不安定さ、屋根に乗った大工方の捌き、おんどりゃいてもたろかいわれってな血の気が多くて気の短い気性がもっともよく出てる。だいたい掛け声が2拍子やもんね、2拍子は音楽でもどつきまわすような単純で乾いたつっぱしる感じ・・・問答無用やね。
姫路バイパスもただなんで、姫路東で降りて市川沿いを南下、勝手知ったる白浜の工業地帯の公園の駐車場に一台空きがあったんでシレっと止めて・・・それに対して播州の祭の掛け声の代表的なものは「ヨーイヤサー、ヨーイヤサー」で、これは明らかに4拍子。2拍子よりもうちょっとタメというかコシというか、なんとも知れぬ味わいがあって、そのぶん破壊的なスピード感は薄れる。しかし私は、サンバの2拍子よりもルンバの4拍子の方が性に合うてて、そのためか播州の祭の方が体感的には好きだ。でもときどき泉州の祭も懐かしくなる。
おお・・・やっとるやんけ・・・泉州が「だんじり」であるのに対して、播州のこれは「屋台」といって、テキヤの屋台と違って後の「イ」にアクセントがある。もちろん祭全体としては壇尻も神輿もあるし、幟や提灯や獅子舞もある。屋台練りは祭の一部である。けんか祭といわれるが、ぶつけ合うのは屋台ではなくて神輿である。屋台の方は、練り合わせというて仲良く調子を合わせてひっついて練る。今日訪れたのは姫路の松原八幡神社の秋祭であって、今は本社から出た屋台が写真前方の広畑 (ひろばたけ) という練り場へ入ってゆくところであろう。スタジアムのようになった広大な桟敷席から湧き上がる群衆のどよめきがすさまじく、ここが日本とは思えないほどである。ここがいわば祭最大の見せ場なのだが、あまりに混雑するので、先回りして山に登る。
山とは、前の写真のスタジアムの尾根に当たる部分であってお旅山とう。練り場でひとしきり練り合わせた屋台がその尾根を登っていくのを、観客はぞろぞろとついていくのであるが、なにがおもろいかというて急坂である。広畑で練り疲れた担ぎ手がこの坂をまともに上れるはずがなく、しょっちゅう「うわぁぁぁぁぁっ」ガシャッちゅうて屋台を落としてしまう。そのたんびにドーンドーンドーン「ヤァァァァァッ、ショイッ」ドーンドーンドーン「ヤァァァァァッ、ショイッ」ドーンドーン「ヨイヤサアヨイヤサア、ヨイヤアーサアァッ、オッショイ」ちゅうて担ぎ直すのであるが、そのさい屋台を激しくガシャンガシャンとシーソーのように揺らせて、その反動で担ぐのである。それを見るのが面白い。担ぎ直すと太鼓のテンポも上がり、ドンドコドン「ヨーイヤサァァッ」ドンドコドン「ヨーイヤサァァッ」ドンドコドン「ヨーイヤサァァッ」ドンドコドン「ヨーイヤサァァッ」ドンドコドン「ヨーイヤサァァッ」はははは・・・「うわぁぁぁぁぁっ」ガシャッ・・・ドーンドーンドーン「ヤァァァァァッ、ショイッ」ドーンドーンドーン「ヤァァァァァッ、ショイッ」ドーンドーン「ヨイヤサアヨイヤサア、ヨイヤアーサアァッ、オッショイ」ドンドコドン「ヨーイヤサァァッ」ドンドコドン「ヨーイヤサァァッ」ドンドコドン「ヨーイヤサァァッ」ドンドコドン「ヨーイヤサァァッ」ドンドコドン「ヨーイヤサァァッ」はははは・・・「うわぁぁぁぁぁっ」はははは・・・これを山の頂上まで繰り返す。
祭に生きるというか、一年を祭で過ごすというか、つまり村のしきたりにどっぷり頭の先まで潜り込んで、その中でなんの疑いもなく暮らすというか、外の世界がどうなってとか全然関係ない人が、実は非常にたくさんいるのであって、そういうもんなのである。この祭も、播州の祭として有名ではあるけれども、その村の散在する範囲は、山陽電鉄の白浜の宮駅の両隣くらいの狭いもので、しかも旧の浜街道の沿道沿いの漁村であって、互いにほんの目と鼻の先である。それが祭のために屋台その他を飾り立て、参加者の衣装や設備やその他もろもろの費用たるや莫大なものであって、おそらく一年の稼ぎを祭のために使い果たす、文字通り祭に生きて祭に死ぬる人生、それを誇りに思い、疑いもしない人生というものが、現実にここにはある。
この群衆、この熱気、たしかにこいつら命がけで祭やってる。全体がクレイジーだ。祭だから当たり前なんだが、しかしそれにしてもすごすぎる。この人の人生を思う。そしてあの人の人生も思い巡らしてみる。ドンドコドン「ヨーイヤサァァッ」ドンドコドン「ヨーイヤサァァッ」ドンドコドン「ヨーイヤサァァッ」ドンドコドン「ヨーイヤサァァッ」ドンドコドン「ヨーイヤサァァッ」はははは・・・そうそう、祝祭である。祭礼である。無礼講である。問答無用である。思い巡らす事など野暮である。電車道を突っ走ってこそ男である。ますらおぶることこそ男らしさの最たるものである。
ふと我が身を思う。私は集落に裏口から入り込んで居着き、ために集落のしきたりによって苦しめられ、それを改革しようともがき、その結果村人と対立する事にもなった。それが、しきたりの中にどっぷりと浸かって疑いも持たない人々の作り出す祭を観て楽しんでいる。これは一体どうしたことであろうか。
ふりかえって思うに、どうせ人生なんてまあ生きててもそんなにたいしたことないんだよ、村からたたき出されたからといって、いまんとこ治安の良い日本であるからして、命まで取られる事にはならんでしょうよ、そんなことより今ヤルべきことちゃんとヤッて楽しもう・・・
屋台を降ろしてリラックスしてる逞しい担ぎ手を片ッ端゜からナンパして回る厚化粧のJKのようにね・・・楽〜〜〜〜にイコうぜ==Э.:・'゜☆。
雑踏を抜けてスタジアムを見下ろせる高台に出る。前方は白浜の埋め立て地とその向こうは播磨灘。
桟敷は村のしきたりで関係者しか入れないのだが、急斜面の通路を歩くのは自由である。進み出ると興奮の坩堝を目の当たりに見る事が出来る。谷がうなっている。谷底が沸き返っているかのようである。これこそ狂喜乱舞、祝祭の喧騒、問答無用の突込み合い、この祭の醍醐味である。