
Black Uhuru: The Dub Factor (LP, Mango/ Island, MLP9756, 1983, US/ CD, Island, 510 066-2, UK))
Ion Storm
Youth
Big Spliff
Boof 'N' Baff 'N' Biff
Puffed Out
Android Rebellion
Apocalypse
Back Breaker
Sodom
Slaughter
Black Uhuruを初めて聴いた頃、彼等はブリティッシュ・レゲエのグループだと思っていた。主にイギリスのIslandレーベルからリリースされていたし、音の感じからしてそう思い込んでいたのだが、彼等はれっきとしたジャマイカン・レゲエのグループである。1970年代末から、ジャマイカでは、それまでのメロディアスな歌心あふれるレゲエ・ミュージックよりも、より強力にビートの骨格を前面に出した「Dancehall」や言葉の韻律とメッセージ性に重きを置いた「DJ Stylee」が流行して、いわゆる「歌もの」は影を潜めてしまった。と同時に私自身、レゲエへの興味を徐々に失って、カリブ海やアフリカの音楽に傾きはじめた。その頃、流行に反するようにメロディアスなルーツ・ロック路線を貫いていたのが、このグループである。
結成は1974年、前身バンドの録音を含め、この「The Dub Factor」までに10枚のLPをリリースしているが、聴くべきはIslandに移籍した1980年から1983年までの作品、「Sinsemilla」・「Red」・「Black Sounds of Freedom」・「Tear it Up Live」・「Chill Out」であろう。その次の「Anthem」も良いが、当時ロンドンを席巻していたGary Numanのシンセ・ポップ風アレンジがどうも好きになれないので除外。それ以降は興味の対象外。それ以前、すなわちジャマイカのTaxiレーベルからリリースされていたLPやシングルは、Island移籍以降の彼等の音とは全く別物と考えて良く、それが本来の彼等の音なのかも知れない。1970年代も後半になると、レゲエの世界全体にプロデューサーの存在感が増し、その手腕次第で音はどうにでも変えられるといっても過言ではないほどになる。つまり、1980年以降の彼等の音は、明らかに作られた音であり、その初期の段階を完結したのが「Chill Out」といえる。来日したのは、「Anthem」リリース直後の1984年の「レゲエ・サンスプラッシュ」千里万博公園「セレクト・ライブ・アンダー・ザ・スカイ」で、打ち込みも多用されたデジタルなビート感の強いステージだったのを記憶している。
そんな彼等であるので、いっそギミックにダブ・アルバムを推薦する。このレコードは愛聴盤である。両面、ほぼ切れ目のないメドレーとなっていて、彼等のリズム・セクションであるSly & Robbieの作品である。その手法は、当時のレゲエ・ファンの間では賛否両論であったが、特にレゲエと意識せず、レゲエのルーツ性、当時の時代背景から見たポップ性、ダブの実験性のバランスが見事に実現されたダブとして最高傑作に推したい作品である。このダブに飽きたら、Prince Jammyがプロデュースした「Uhuru in Dub (LP, CSA Records, CSLP2, 1982, UK) 」もあり、これも非常に良い。ただし、復刻されたCDはジャケット三種類、曲順も異なるので要チェック。この後の彼等は、ご多分に漏れずポップ路線に転換していくのであるが、そのルーツなメロディを生かしきれずに分裂してしまう。原点に戻って作品を作り続けていたなら、おそらくボブ・マーリー亡き後のレゲエ「歌もの」シーンを充分盛り上げてくれたと思われるだけに、非常に惜しい気がする。
posted by jakiswede at 14:45|
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変態的音楽遍歴
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