20年前から冬が辛いという宿病を負ってしまった。12月に入るとその兆候が始まり、1/17にピークに達する。私はあの轟音と振動と、生き埋めになった苦しみから逃れることは出来ないだろう。4年前からは、それに3/11という日付が加わった。春に向かって恢復しつつある精神状態が、再びどん底に突き落とされ、砂ぼこりの記憶に触発された花粉症がそれに追い討ちをかける。今年からは、2/01にbeheadされる錯覚が私を責めさいなむだろう。もうだめだ。冬がもたない。どんどん生き辛くなっていく。無音状態の中で、否応なしに農閑期の自分と正面対決させられる。
アンプは未だ直らない。折角の農閑期を音楽三昧で過ごそうとの企みは頓挫したまま春を迎えつつある。その間にレコードやCDの整理をしていて驚愕した。なんと、棚の奥の方に押しやられたそれらは、深刻なカビに侵されている。なかにはジャケットがどろどろに蝕まれてしまったものもある。ここは田んぼだから湿気がすごいのだ。特に冬場の湿気は、暖房の結露と相まって、窓や壁をびしょぬれにしてしまう。やれやれ、おかげで毎日、これらの清掃をし、諦めるべきは処分し、気分は最悪だ。つまり、もうこれらは耐用年数を過ぎているのだ。これらを全て聞き終えるのに、たぶん5-6年はかかるだろう。ということは、大半は二度と聞かれないということだ。ならば、もうコレクションを温存するという考えは捨てて、自分にとって大切なものだけを残し、他は全て社会的存在にする方が現実的だ。
アンプの修理に4万、先日、自転車が2台とも同時に深刻なダメージを受けた。その修理に2万。これで私の月収が飛ぶ。おかげでバイト先へは毎日歩きだ。おまけにバイト先は立派なブラック企業であって、4時間の契約時間でおよそなしうる作業量の2倍程度の作業を強いられる。当然達成出来ないので勤務評定は下がり続け、先日、終に次回の契約更新は諦めるようにといわれた。たかが時給780円、しかし見せかけだけで出来たことにするのも、嘘の報告を上げるのも嫌だ。仕事を探さねばならない。求人情報にエントリーしても30分後には不採用通知が来る。それが深夜であっても、どこへ出しても文面は同じなので、自動的にはじかれていることが解る。最近この古いパソコンも調子が悪い。2007年製のIntell Core DuoではMacOSも10.6.8から上げられない。現在かろうじて乗っかるアプリケーションと周辺機器でどうにか凌いでいるが、Facebookでさえ表示に障害を来している。iCloudに頼らずに自己完結出来る最後のモデルだから温存しているが、これをやり替えるとなると50万仕事だ。唯一の遠方移動手段である愛車カリーナちゃんも既に30歳で累積走行距離は63万キロに近づいている。こいつが故障したら、もう部品はない。廃車費用だけでも残しておかなければならん。これで手持ちは完全に底をつく。要するに、私のスロー・ライフの現実はこんなものだということだ。脱ネット・脱クルマ生活を決断し、コレクションをオークションにかけて当座を生き延びるか。それは、とりもなおさず、還暦を迎えるにあたって、自分が死ぬための準備を始めておくということのようにも思われる。
さて生き辛くなってきたのは何も経済的に困窮しているからばかりではない。私の身の周りに起ることは、恐らくすべからく世界で起っていることと同じ、と考えて良さそうだ。ということは、世界中が生き辛くなっているのだろうか。いまこれを書いている動機は、辛い冬を終りにして、春に向けて地面を蹴りたいからだ。1995年1月17日に体験したことは、建造物の直撃や圧迫による死からの奇跡的な生還だった。そこで私の世界観はすっかり変わってしまった。形のあるものは必ず壊れる。それに例外はない。自治体も国もジャーナリズムも事実が見えない。信用出来るのは自分の脳みそだけであり、それは誰にも干渉出来ない。2011年3月11日の昼過ぎ、私はイカナゴの釘煮を作っていた。その前年に世界一周旅行をしたのだが、その写真展を東京にいる友人が企画してくれていて、翌日に私は上京してトーク・セッションに参加することになっていた。釘煮は来場者へのお土産にするつもりだった。その時刻には私は何も感じなかった。釘煮を完成させ、荷造りをし、畑に出て夕食のための野菜をとった。現実を知ったのはラジオをつけてからだった。
まだ大学生の頃、反原発運動に関わった。1980年の事だ。たしか扇町公園から大阪城公園へとデモ行進している最中、大川を渡っている時に一部のデモ隊が暴れた。原因は解らなかったが、収拾するのに時間がかかった。隊列は崩れて一部が河川敷の公園に散った。背後から警官隊が押し寄せてきて、整然と行進していた我々を引きずり倒し、それに抗議した者を連行した。私は数人の仲間とともに留置場へ入れられた。そのとき感じたことは、これはなにかが違うんだという違和感だった。つまり、反対運動などしても、所詮我々の自己満足に過ぎず、我々の希望は到底かなえられないと、そのとき確信した。
当時はスリーマイル島の原発事故の記憶が生々しく残っていた。チェルノブイリは6年後だ。日本の反原発運動は非常に白熱していたが、推進派との議論はかみ合わなかった。なぜなら、学者たちは様々なデータを持ち出して、原発の有効性や安全性や経済性を主張するのだが、そのデータを検証する手段がなかったからだ。だから、漁民が奇形の魚を見たと言った時、学者は放射能と奇形との因果関係を証明しろと漁民に迫った。我々は黙り込むしかなかった。反論の根拠が用意出来ていなかったからだ。
私がそのとき言いたかったことは極めてシンプルだ。核分裂を起す前の状態では核物質は安定している。核分裂が始まるとそれが不安定化して、猛烈なエネルギーを放出する。それを制御して湯を沸かすのが原子力発電の仕組みだが、一旦不安定化させてしまった核物質は、さまざまな核物質を作り出しながら複雑な連鎖反応を続け、全体が安全な程度に終息するまでには数万年という年月がかかる。核燃料が核分裂を始めてから使用済核燃料になるまで、使用済核燃料が安全な程度に終息するまでは、人類が責任を持って自然環境からこれを絶対に隔離・密閉・冷却し続けなくてはならない。しかし、そんなことは当然不可能だ。だから、原発の安全性という議論は、それそのものが無意味だ。これが35年前の私の認識だった。しかしそれが今もって有効であることを知って、却って驚いた。資源エネルギー庁自体が、使用済核燃料の処分方法が決まらないまま原発事業を進めていることを認めているからだ。
4年前と今とでは、世の中の空気が大きく異なる。世の中に、本当はない方が良いのだけれども、なくすことのできないものに囲まれて、我々は暮らしている。だから、私はこんなに生き辛いのではないかと、思うのである。原発が世の中にない方が良いことは、原発推進派の人たちも、たぶんわかってると思う。当然、安倍もわかってる。しかし、なぜかやらざるを得ない。そこにはどうしても抗いがたい特別な事情があるようだ。それについては様々な論説があるが、そこに深入りしたくない。しかしなにかある。だから、反原発運動をいくら理論武装しても、恐らく効果はない。彼等はわかっててやってるのだから・・・35年前に感じた違和感の正体は、恐らくこれだ。だから矛先は、その特別な事情の方にこそ向けられなければならない。私には、原発推進派も原発反対派も、その特別な事情の主催者によって対立させられ、国民の関心をそちらにそらせることによって、事情の本質に目を向けないように仕向けられているように見える。国の方針と市民運動が対立しているということは、それを見ている勢力は国外にいると考えるのが最も自然だ。
ここ数年で顕在化してきていることは、要するにエネルギー資源の争奪戦が、いよいよ深刻な局面に至っているということだ。そのなかにあって日本は、結局のところアメリカの属州に過ぎず、完全な主権国家としての独立を果たしていないということだ。日本はその立場に甘んじることと引き換えに、アメリカの影響力の許に、安全保障や、エネルギー資源や、経済発展を享受してきたと考えられるのではないか。特別な事情とは、すくなくともそのような二国間関係を互いに承認するような、なんらかの密約が交わされていて、国民にはそれを知らせないようにすることが合意されているのではないか。とすれば、反原発運動の矛先は、2018年に失効する日米原子力協定にむけられるべきではないか。
ドイツのメルケル首相の忠告に耳を貸さず、原発再稼働を公言した背景にあるものと、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定、特定秘密保護法の成立、そして近い将来懸念されている憲法改正は、実は日本はアメリカの属州であったと解釈すれば充分説明出来る。だから、もうお互いにお芝居は終りにしたらどうかと。日本は、自由も民主主義も、一応保証されてる国だから、話しあえるものなら話しあってみたい。
私は、日本は完全に独立して当然だと思う。日本にしか出来ない役割と、独自の哲学を持って、自然に振る舞うべきだ。アメリカの属州たるべしとされるなんらかの取り決めが存在するならば、それは断固破棄すべきだ。そういう点では55年前に日米安保闘争を闘った先人たちの行動と哲学は正しかった。まずはそこを再評価して日米安保条約を破棄し、脱原発へ向けて、どのように日本経済を軟着陸させて行くかを、冷静に議論すべきだと思う。そのうえで、唯一の被爆国である日本にしか出来ない仕事、つまり放射能が人体や生物、自然界に及ぼす影響の徹底的な疫学調査、チェルノブイリや核実験場周辺に於ける同様の調査によって、既に得られている筈の知見に基づいた福島第一原発事故の事後処理をすべきで、もしかしたらそれには首都東京の深刻な汚染を認めざるを得なくなるかも知れない。しかしそれでもやる必要がある。集団的自衛権・特定秘密保護法・憲法改正という名目で現在議論されていることは、その内実は、アメリカの属州として、その影響力の行使の片棒を担ぐことを意味しているので、これを白紙に戻し、エネルギー利権に絡む帝国主義的な影響力の行使の構図から撤退する。同時に、アメリカが言うところの「テロとの闘い」には加担しない。あらゆる対立の構図に中立的な立場で臨むべき。日本は独自の立場であって良い。対立の一方に加担する必要はない。対立している両者ともに、本来は救われるべきであって、その方法を提案出来るのは、日本のような、利害の外にあって賢明な判断を下し得る独立した国家であると思うし、そのような国になって欲しい。
しかしこれを実現するためには、非常に厳しい大きな苦痛を耐え忍ばなければならないだろう。要するに、化石燃料のほとんどの供給が断たれるであろうから、一次産業による自給体制を中心にした、現在の何十分の一という経済規模に向かって、全ての国民が生活レベルを下げる必要に迫られる。プラスが多ければ多いほど、実はマイナスも多かった筈なのである。それを覆い隠してプラスだけを追い求めた結果が現在の日本であるので、その現実を見つめ直すということは、マイナスの連鎖を断ち切る勇気を持つということである。しかもそれを、例えば江戸時代の約4倍の現在の人口で実現しなければならない。しかも治安を維持しながら、しかも発展ではなく、後退して行くことの困難さから来る矛盾の全てを、外的要因にすり替えず、自国で処理しきらなければならない。独立を完全なものにする事と、外国を侵略することとは、全く別の問題だからである。もちろんこれは極論である。実現出来るとは思っていない。しかし、すくなくとも発展の速度を緩め、やがて後進をかける勇気を持つ哲学というものが、まったくないということは、どう考えても不自然だ。まずは三年後の日米原子力協定の継続阻止、これがさしあたっての具体的な目標となるであろう。