2015年04月17日

20150412 Adieu, Mingiedi !!


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20150412 Bona-Wanda-4

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 塩屋の「旧グッゲンハイム邸」にて、第4回「ボナワンダ祭」http://bonnaroocafe.com/wp/schedule/2077

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 あまり計画性がなく、イベントなどに遊びに行く時でも出演順をチェックしない。日本随一のウード奏者なら、あとの方に出るだろうなどと勝手に思い込んで昼過ぎに出たのであった。残念なことに、見たかったいくつかのアーティストの出番は終っていた。朝からやっていたのだ。ちゃんと確かめておけばよかった。

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 しかし、いくつもの知らないアーティストで、とても心動かされた演奏があった。上の上の写真、「Tim Scanlan & Toshi Bodhran」アイリッシュ・ポップスを演奏する人たちだが、その枠に全くとどまらず、ストレートなリズムとノリがあってものすごくエモーショナルだった。そして、こちらは親しい中にも親しいわが師匠「後藤ゆうぞうとワニクマデロレン&マキ」泣きましたよ久しぶりにセットで聴いたんで、男泣きに泣いた。特にMarvin Gayeの"What's going on"を現代の国際情勢に解釈した「どないなっとんねん」は、タイトル"What's going on"のリフをそのまま「どないなっとんねん」と歌い替えて、「兄ちゃんがどんどん死んでいく、父ちゃんもうやめて、暴力で解決するのは沢山だ、話し合えばわかる筈」と歌い継いで、アフガニスタンは、イラクは、北朝鮮は、シリアは・・・「どないなっとんねん」と続き、ひいては最近の日本の事件や政権批判にまで言及され、「どないなっとんねん、もう沢山や、やめてくれ」と歌い継がれるや、観客もどっと湧き上がり、"What's going on"と「どないなっとんねん」のコール・アンド・レスポンスの応酬となったのでありました。1971年の名曲といって手放しでは喜べない、歌い継がれて教訓になったかというと、人間なんてそう簡単に変わるもんではなくて、原曲の歌詞が全くそのまま今にあてはまってしまうことの恐ろしさよ。ならばこの名曲をそのまま日本の反政府運動のテーマソングにでも出来そうなほど核心を突いている。ブルース・ソウル・アフロ・ラテンと海千山千の修羅場を乗り越えてきた熟練の演奏、唐突に割り込む河内音頭も本場仕込みの櫓ノリ、彼等にかかってはこれらの音楽は全て渾然一体となってストレートに心に体に染み込んでくる。ブルースもなにも、音楽は内容。

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 最後のトリは、関西レゲエ界の神様、C-Rag。かつてZound Systemを率いて「Reggae Sunsplash Japan 琵琶湖ジャミング '85」に出演、このイベントは実質的に空前絶後の本格的なレゲエ野外コンサートの成功例であった。JamaicaからはJimmy Riley・Judy Mowatt・Freddie McGregorなど、日本からはI & I ・Kaja & Jamming・河内家菊水丸とエスノリズムオーケストラ (すなわちほとんど今のワニクマ) ・Zound System・Cool Runningsなど、そしてまだ活動初期だったMC Rankin Taxi !! これだけの布陣を迎えながら一万人を無料招待 !! 今では到底信じられぬ興奮の時代でした。関西ではRoots Rockersが結成されて活動が始まった時期、Karly Chockersはまだなく、Nonstop Caïmanもまだ初期であった。それまで「レゲエ」というとナリの穢い都市の浮浪者を意味していた言葉が、官民上げての若者へのバブルの火付け役に一役かって、アサヒビールまでがラスタ・カラーの缶ビールを発売するなどなど、まさに夏はレゲエ一色の日本だった。あの混沌と希望に満ちあふれた夢を知っている人間が、もうそんなに多くない。さらに夢を追うことを実践し、行動出来ている人となると、ほとんどいないのが現実だ。夢もバブル、希望も泡と消えたのか・・・で、C-Rag・・・真に失礼な言い方だが、歌がうまいわけでもない、声が良いわけでもない、ギターもヨレヨレ、なのに、なんでこうかっこええんやろ・・・もうここまできたらキャリアとかジャンルとか実力とか内容とか、全然問題じゃない。存在そのものがかっこええ。そこにすわってギター構えてくれてるだけで充分。今回はなんと書家とのコラボレイション・・・いやあほのぼのしてて夜の締めくくりにふさわしいひとときであった。

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 演奏後に久しぶりに彼と話しあっていると、「きのうなぁ、ピリピリの夢みたんや」・・・そうかやっぱりな、「須磨の風」の流れをちょっと引くこのイベント、これだけ楽しそうに人々が集まってたら降りて来たくもなるやろ。まあ肉体がないぶん、カネも要らんし酒も飲まんでええし、どこへでも行きたい放題で却って都合ええんとちゃうか・・・と笑いながら点滅する星の光の中で夜が更けて参ったのでありました。夜空に向けてビールで乾杯、雰囲気はまさにキンシャサのマトンゲ・・・

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2015年04月16日

20150412 霧桜

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20150411 友あり遠方より来たる

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 トルコの友人が日本に遊びに来ることになり、関西での滞在中の宿泊と案内などのお世話をして差し上げた。しかし全く不運なことに、彼女の10日間の日本滞在期間中、晴れたのはほんの数時間限りで、あとはずっと雨が降り続き、最終日に東京へ向かわれたのだが、JR山手線がまさかの事故でほぼ全日不通、JRのクーポンで観光することをあてにしていた彼女は、困乱の羽田空港を脱出するだけで数時間を空費し、本当に残念な旅となってしまった。「雨の京都は日本のララバイね」と言っていたその言葉に少し救われた。私は、友人を訊ねて旅行するということをしたことがないのだが、お世話をしてみていろいろなことに気付かされた。会話は、お互い不慣れな英語によってしか成立しない。彼女の望むことを、こちらで解釈して、最も近いと思われる候補を選んで行動することになる。京都や奈良の観光は自力で終えられたので、この日は「海が見たい」という彼女の希望をかなえるべく、ざっと舞子から須磨までを流しつつ、会話によって彼女の好奇心の動く先を導き出す。どうやら、神戸の海浜リゾートではなく、日本の漁師町をイメージしておられるようなので、JR須磨駅前を目的地とした。まあここから東は市街地になるのでここらが限界なのだが・・・

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 外国人は日本のどんなところを見て興味をそそられるか、我々日本人にはなかなか予測がつけにくいのだが、会話をしていくにつれてお互いをよく理解しようと努力するようになり、拙い言葉によるコミュニケーションであるにも関わらず、いや拙いからこそ多くの言葉を並べて意味が広がり、互いの真意を推し量ることが出来る。私の方こそ、居ながらにして外国を旅する自分を、つまり外国人として日本を見ている人を、案内する日本人の視点を持つことが出来て、大変貴重な体験であった。彼女は現在Istanbulに住んでいて、大きな会社の役職ある地位で働いている。話すうちに、極めて自発的な活力があって、聡明で洗練された人物であることが伺い知れた。トルコ航空のトップ・アテンダントを含め、幸運なことに彼女にはトルコの大手企業の役職を務める友人が多いが、そんな交友関係を背負った空気が感じられる。彼女の故郷は、トルコ第6の都市Gazi-Antepである。ISILに後藤さんが拘束されていた時に、欧米の報道陣の拠点となっていたので記憶に留められている方もあろうかと思う。トルコ南東部、シリア国境にも近い。実際、彼女はよく友達と語らって、車でシリアのAleppoへ行楽に行ったものらしい。ここ数年は帰郷してもシリアへは行けず、静かな夜などは、ときおり南方から低い爆発音が聞こえてくるほどだが、脅威は感じつつも生活そのものは至って平穏だという。しかし、ここ数年の国情の変化で、自由にモノが言いにくくなってきたというのは、どこかの国と同じである。まだ日本の場合は、一般人が政権批判をしたところで命が狙われることはないが、トルコでは緊迫感がより増してきているようだ。事実、彼女も彼女の友人も、ここは日本だというのに、しかも外国語で会話しているというのに、ちょっと政治的な話題になると、辺りをうかがい声を潜める。クセになってしまっているようだ。滞在出来る時間が限られているので、こちらからの話題より、彼女からの話題を優先したために、あまりつっこんだ話は出来なかった。これは彼女自身の旅であるからだ。

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 須磨駅前を選んだ理由は、駅舎から海が見渡せ、その下に漁船を引き上げる舟屋などが並んでいて、素朴な漁村の風情を辛うじて残していたからであったが、今回訪れて驚愕した。駅の南側に立ち並んでいた舟屋は全て撤去され、下の写真左に見える埋め立て地の施設に集約移転した。跡地には、西は海岸線が山と接する須磨浦公園付近で国道2号線から分岐し、東は須磨海浜公園を経て若宮で国道に合流する、東西に海岸を貫く道路が通され、海岸全体を海浜公園として整備するというのである。もちろんこれは漁師でないがために自力での退去を迫られている食堂のおばちゃんから聞いた話なので、まだウラを取った訳ではないが、たしかに「粛々と」事業は進められているようである。舞子・垂水・平磯と海岸線を埋め立てて娯楽施設を次々にオープンしてきた「株式会社神戸市」、ポート・アイランドでしめた味を六甲アイランドでも忘れられずに失敗したというのに、性懲りもなく空港まで建設してその辛酸から学ぶところなく、ついに歴史的砂浜にまで手を出そうというのか・・・反対する者の家を「不審火」で焼き払い、震災で疎開した地主の不在を幸いに既成事実を積み上げる、生命と財産の危機を平気で封じ込めるそのやりくちは何十年も変わらない。まさに独裁国家へ突っ走っていくかに見える日本の縮図を、この須磨海岸にも見た想いがする。海水浴シーズンが来る前の、初夏の須磨海岸のそぞろ歩きが遠い過去のものになるのだろうか。

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 トルコも日本も状況は良く似ている。独裁を強める政権、締めつけられる国民、国を運営するためにとにかくカネになるものを誘致しようとする政権、そうじゃないんだと声にならない声を発する国民、異なるのは、トルコ国民の方が、よりストレートに意思を表現する。トルコという民族、歴代国家が辿ってきた複雑な歴史、多民族国家であるがゆえに抱え込んでしまった葛藤、その複雑さは島国日本の比ではない。まもなく100年を迎えるアルメニア人との悲劇的な出来事、このひとつの事件を取ってさえ、何が正しいのか、一体何人の人が死んだのかさえわからないほどの歴史を積み重ねてきた人々だからこそ、はっきりと意思表示をするのだろうか、しかし私の感じるところでは、トルコの人々は日本人に似て、意思表示をすると同時に気配りも細やかである。対立と批判を通じて弁証法的に物事を解決していく欧米人の思考的傾向とは、趣がずいぶん異なる。アルメニア人・ジョージア人・クルド人・イラク人・シリア人、そしてギリシア人・・・対立の潜在的要素は無数にある。コーカサスから東トルキスタンまで、トルコ系民族国家が連なっているが、それらも一様ではない。日本にいると想像しにくいし、こういうことを書くのも彼等に対して失礼に当たるのだが、当然、彼等一人一人に家庭もあり、親がいて子供がいて、子供たちは学校へ行って、お父さんは働いて、日本と全く同じ生活が繰り返されている。日本人の我々に想像しにくいのは、他民族が一緒に暮らしていて、彼等はお互いに個人と個人の間では非常に仲が良いこと、にも関わらず時として彼等の主権国家同士が戦争状態にあること、仲の良かった異民族の者どうしが突如殺し合いを始めることがあること、しかしそんななかでも日常生活は変わらず営まれていること、登校したり通勤したり買い物に行ったり娯楽があったり・・・こういうことが想像しにくいのだ。彼女も、我々が戦場を連想する風景の中で生きてきたのだが、持ち物や趣味、話題などは日本の女の子と全く変わらない。日本に来るくらいなので、日本のことを知らない私よりもずっと良く日本の「今」のことを良く知っている。そして、ひとりの人間として洗練されていて尊敬に値し、友情を抱く。彼女がトルコ人だからではない。私はアルメニアの音楽が大変好きなのだが、もしアルメニア人の友人が出来て、その人が日本に旅行に来たら、全く同じことをしただろうし、その人が同じように尊敬に値したら、やはり友情を抱いただろう。もしジョージア人・クルド人・イラク人・シリア人、そしてギリシア人であっても、まったく同じことになるはずだ。さて、日本がそんななかへ武器を携えて出ていった場合、どこの誰に銃を向けるのか・・・今の私には、この疑問を発するところまでしか、書くことが出来ない。

posted by jakiswede at 19:45| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20150410 散桜

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20150409 カラスノエンドウの侵入

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 しまった !! 3/28に↑であったものが、↓なっていた。↑でこんもりとカラスノエンドウが繁りはじめているのを見て「まずいな」とは思っていたのだが春眠暁を覚えずなどと風流がっとる間に、↓んなことになってもた。↑の右下から斜めに延びる草跡を兆しと見なかった私が迂闊であった。↓は角度は違うが、明らかに土手から侵入していった道筋を示すものである。春は、このようにして少しずつ私を「目覚めよ目覚めよ」と導いてくれるのだ。少しずつであるので、早くそれに気付けば多くを失うことはない。

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 ↑んな状態だが、手で探って鎌で刈っていけば、↓のようになんとか現状に復することは出来る。

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20150409 ジャガイモ植付

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 ジャガイモの植え付けざっと60株である。モグラの穴に入り込むネズミとの戦いが始まる。下の写真、ここらはGWを過ぎても遅霜の可能性があるので、念のため不織布をスタンバイしている。

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20150409 スポーク交換中

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 スポークの張り替えである。私は自転車のスポークというものが、なぜにあのように張られているのかを知らないので、現物交換で行く。真空管アンプと同じく、ひとつずつ元の状態に交換していくのである。張り替えそのものはさして難かしくはない。しかし張り終ったあとは↓のように劇的にぐにゃぐにゃである。これを張力のバランスを取りながら調整して、真円に限りなく近づけていくことが大変なのだ。

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posted by jakiswede at 19:32| Comment(0) | もちものじまん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20150403 干柿最終

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 本日ありがたく最後の干柿を頂く。左はもとの渋柿を冷凍保存してあるもの、直径7cmほどある。この渋味が凝縮されて濃厚な甘味となる。これを干したのが昨年の11/20のことなので、吊るしておくだけで粉を噴いて半年の常温保存に耐え、毎日の食後の寛ぎに花を添えてくれたのである。自然の恵みと先人の知恵に支えられ、今日私はこれを楽しむことが出来る。ありがたいこっちゃ。今秋もよろしうたのんます。

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2015年04月07日

20150418 摩耶アコースティック

 4月になりました。菜種梅雨の雨続きで桜も残念ですが、皆様いかがお過ごしですか ?? さて今月もやってみましょう音楽の冒険。いつ来てもいつ帰ってもOK、事前申し込みもお金も不要。ただ音楽を楽しむためだけの数時間です。

 2015年4月18日(土)11:00〜16:00

 とりあえず、ないよりはあったほうが良いかも、なので、テーマは前回と同じく「テキーラ !! 」でいってみたいとおもいますが、よろしいですか ?? 他にもアイディアあれば大歓迎です。


 暫定的にこのキー、このコード進行で、テーマと「テキーラ !! 」の掛け声だけはきめておいて、その間のインタープレイを参加者で回していきたいと思っています。ルールはひとつ。何をやっても良いがいつかは必ずテーマに繋ぐこと。出来れば繋ぐ前に合図が欲しい。その場で打ち合せ出来なければ、事前にこのページにご提案下さっても構いません。もちろん楽器のソロだけではなく、歌ってもらうのも大歓迎です。叫んでも良い。とにかく思いの丈をぶちまけて、最後は「テキーラ !! 」とみんなで叫ぶ。ただそれだけ。
 このテーマにこだわらず、ほかにもいろいろできます。ソロでやってきた人、歌を作る人、仲間を必要としている人・・・伴奏サポート出来ます (たぶん) 。ギター片手に弾き語りしてきた人、リズムとベースがつきます (たぶん) 。歌はあるけど、どう演奏して良いかわからない人、リズムとベースの他にハーモニーとコーラスがつくかもしれません (たぶん) 。バンドやりたいけど具体的にどうしたら良いかわからん人、ここへ来ればその場で永年音楽活動をしてきたミュージシャンのリハーサルを体験出来ます (たぶん) 。そのほか、集まった人の数だけ、アイディアは広がるでしょう。とにかく、やってみること。音楽は自由で、みんなのものです。お待ちしております。
 なお、「摩耶アコースティック・ピクニック」は、「リュックサック・マーケット」と同時開催ですので、開催要項は「リュックサック・マーケット」に準じます。当日朝7:00の時点での天気予報で兵庫県南部の午前中の降水確率が50%以上の場合は中止となっています。念のため・・・でも私は駅の庇の下にいるかも・・・(たぶん) 。
 なお、主体イベントである「リュックサック・マーケット」の詳細については、こちらをご覧ください。

●日時:2015年4月18日(土)11:00〜16:00
※当日朝7:00の時点での天気予報で兵庫県南部の午前中の降水確率が50%以上の場合は中止。
※当日開催状況のお問い合わせは“神戸市総合コールセンター(078)-333-3330まで

●場所:摩耶山 掬星台 (まやビューライン ロープウェー星の駅下車すぐ)

摩耶ケーブル下までは…
阪急王子公園駅から坂バスで8分
JR灘駅からから坂バスで11分
各線三宮駅、JR六甲道駅、阪急六甲駅から
神戸市バス18系統乗車摩耶ケーブル下下車

車でのご来場はできません (以上主催者HPより抜粋) 
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2015年04月04日

20150404 It's not my wish...

 ...that I should fight.・・・20年前に部屋がブッ壊れて以来、私はテレビを持っていないので、リアル・タイムで放送を見ることはないのだが、インターネット上でも、古賀さんの言動について、例の番組を降ろされたのなんのというしょーもない話題を目にしない日はなく、どうにも気になったので、先日YouTubeで番組自体を検索して視聴した。

 全体を見て率直に思ったことは、とても大切なことを率直に語っているということだ。しかも、単なる「反対」ではなくて、きちんと行くべき先を提示している。話として良く解った。もちろん古賀さんは出演者だから、番組の主導権は放送局側にあるだろう。前半と最後の一部でそこを逸脱したことは否定出来ないし、逸脱するには大き過ぎる内容であるので、どうせなら、もっと視聴者が判断出来る材料や裏付けをとって、そこから推測出来る事態や、様々な立場からの主張が整理して提示されるべきだった。しかしそうなると、別の番組を組むに足るボリュームになるだろう。あの場であのような形で話を持ち出し、古館さんにあのような反論をさせ、ネット上で様々な流言飛語や誹謗中傷が飛び交い、見たい音楽番組を探し当てるのに時間がかかるほどの事態を招いたことは、たしかに不用意だったのかも知れない。しかし、それは当事者の平穏な信頼関係が、既に崩壊していることを意味する。あるいはそのおかげで、事の重要性と緊急性を世に知らしめたのもまた事実だ。なぜなら菅官房長官が放送法まで持ち出して恫喝したからである。これも少し性急に過ぎただろう。まだコクミンは、そこまで政府の言い分に慣れていないからだ。

 主にネットで騒いでいる人たちは、この放送事故をめぐるルール違反を批判しているだけで、古賀さんが言った内容に耳を傾けていない。これも誰が言ったか忘れてしまったのだが、「民衆というものは、小さな嘘にはなかなか騙されないが、大きな嘘にはころっと騙される」という主旨の言葉があった。いま最も危険な状態で日々着実に進行している大きな嘘に、決して騙されることなく、自分たち日本人がどういう在り方を望んでいるのか、自分がどういう生き方を目指していくのかを、いま常に意識しておかないと、どんどんこの大きな嘘に巻き込まれていって、気がついた時には自分自身がその大嘘をつき続けなければ生きていけないことになってしまうと、彼は警告している。それは第二次世界大戦に社会全体が流れ込んでいった歴史を見ても明らかだし、ブラジルやコンゴ、エジプトやトルコの私の友人たちからも言われることである。日本にいると気がつきにくいが、彼等から見ても、ここ数年で日本は大きく変わろうとしているようだ。私は今までに中国や韓国やロシアの友人を作ってこなかったことを後悔している。そして学生時代にクサいメシを食わされて以来、社会的な示威活動とは関わってこなかったことをも後悔しているが、今は春眠から目覚めざるを得ないのかも知れない。ひとつの番組などめちゃくちゃになっても構わないし、プロデューサーが乱入して乱闘しても構わないから、進みつつある危機に対して話題を喚起することは、ジャーナリズムの当然の役割だ。それをキャスターが果たさないのなら、コメンテイターが果たすべきであって、両者ともに黙ってしまったら、一体我々はどこから事実を知れば良いのかさえ解らなくなる。放送事故をめぐるルール違反を批判している人たちは、事の重大性を矮小化することで論点をすり替えようとしているだけだ。彼等はいずれそんなルールなど跡形もなく消えるかも知れないという危機意識すら持っていない。

 何故私がこんなことを言い出すのかというと、古賀さんが言ったこと、すなわち誰もが政権を怖れて口をつぐんでしまうというこの構図は、独裁政権やブラック企業だけでなく、私の環境にも直接的に全く同じことが見られるからである。つまりこれは日本中で、世界中で起っていることだと考えて良い。具体的に書こう。ある日私は売切りをしていて、刺身のパックの表示にある賞味期限が、製造日から3日もあることに気がついた。刺身というものは製造当日が賞味期限である。不思議に思って上司に報告すると、なんとそれは本社のデータ上の間違いで、それは現場で常に修正することにしているそうなのだ。私が見つけたものは修正漏れだという。そもそも一日中店にいてそれに気付かない社員も社員だが、その間違いを本社に指摘して、データを修正してもらうのかと思いきや、そうではないという。百何十もの店舗で毎日出されるこの商品を、ひとつひとつ手作業で修正する無駄を考えるだけでも気が遠くなる。会社全体のことを本当に考えるならば、そして何よりお客様の安全を考えるならば、早急にデータを修正して間違いが起らなくするのが当然であって、それで膨大な無駄も解消出来るのだが、それをするためには、まず商品データが商品部と販促企画部で別々に管理されていて、それぞれが個別に店にデータを送っている実態にメスを入れなければならないが、本社の派閥争いに一社員が言及することなどタブー。せめて間違いを減らすためにデータを入力するアルバイトを増員しなければならないが、これも予算的に無理、仕方がないので、限られた社員がカラ残業で対応しているものの充分な管理が出来ないので、文字入力の省力化を図るために自動的にコピペする機能を導入したのだが、それが裏目に出て間違いに気付きにくくなった、本来やるべき校正作業も、複数人での読み合わせはおろか、入力件数が多過ぎて見直しすらしていない、それがわかっているから、本社の担当にこれ以上の負担はかけられないというのである。日本人の心の優しさというべきか、このような無駄を自ら進んで引き受けて誰も文句を言わず、自分で自分の首を絞め、不都合をひた隠しに隠し通して上層部に報告すれば、会社が行き先を見誤るのも当然である。日本が行き先を見誤る構図と同じではないか。

 もうひとつ書いておこう。例の万引き未遂事件その後、わかってきたことは、その人は私の勤務する店の入る商業施設に土地を貸している地主と懇意であって、その事件の後もやって来ては、「誰のおかげで商売できる思とんじゃあ」と暴言を吐き散らかしとる。本社もビビってしもてとにかくトラブルだけは回避するようにという、抽象的な表現でスタッフに圧力をかける。事件に直接関わった社員には、本社から注意があったらしいが、私はお咎めなしである。こいつは私の住んでいるの集落の前の農会長と同級生で、自治会での発言力が絶大であることは経験済である。ただでさえ村八分同然の身、これ以上のトラブルは直接私の生存に関わる。村の人間は、じっと黙して動かない。日本が行き先を見誤るとき、懐柔してその既得権益が守られるのは有力者である。生きていくためには、ますます彼等にすり寄っておかなければならなくなるだろう。田舎というものはそういうものである。では私はどうするか。ひしひしと身の危険を感じている。それでも言うべきことは言い、これまでの無関心な態度を改めて、集落に対してもバイト先に対しても、上司や組織の枠を飛び越えて、要求すべきことは要求していくのか。古賀さんの発言によって知らされた、ガンジーの次の言葉は、私に重くのしかかる。

「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」



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20150404 変態的音楽遍歴のススメ

 「アフリカ音楽だから良い」のか、「良い音楽がアフリカに多い」のか、「アフリカ人のように演奏するのが良い」のか、「良い演奏を心がけていたらアフリカ音楽みたいになってた」のか、これは非常に重要な問題だと思うのです。

 私は1960年生まれ、ロックに飽きてしまったのが1978年頃で18歳、そこからいろんな国の音楽に興味をもったが、それらはあくまでポピュラー音楽であって、決して民族音楽ではなかった。幸運なことに、ちょうどその頃から欧米以外の国々でポピュラー音楽の録音が多くなる。

 それ以前、民族音楽は、いわばその国のポピュラー音楽に関する理解を深める助けにはなっても、興味の対象にはなる事は殆どなかった。当時のポピュラー音楽は、多かれ少なかれロックやジャズやキューバ音楽などの影響を受けている。つまり多くの場合、彼等はそれらの音楽を聴いて、自己表現として演奏しはじめたものだ。

 顕著な例が、コンゴ人が普通にロックをやった結果が「リンガラ・ポップス」だという事実である。つまり、彼等は「アフリカ音楽」を演奏しているのではなく、ロックをやっているのだ。私が20年前までやっていた「カーリー・ショッケール」も同じである。この価値観の共有があったからこそ、私は彼等と深く交友することが出来た。

 従って、私は「アフリカ音楽だから良い」と思ったことはない。良い音楽は、アフリカに「も」多いし、ブラジルに「も」多いし、ペルーにも、アルゼンチンにも、ベネスエラにも、アンゴラにも、トルコにも、アルメニアにも、アゼルバイジャンにも、シリアにも多い。世界は多様な音楽に満たされているからこそ楽しいのであって、その楽しさに夢中になって様々な音楽を聞き込んでいくうちに、その広大さを意識して演奏を心がけるようになり、自然にアフリカ音楽みたいになってたこともあり、ブラジル音楽みたいになってたこともあるというわけだ。決して「アフリカ人のように演奏するのが良い」などと思ったことはない。「脱国境音楽」という言葉を使って、この音楽性を表した私の心の師匠がいるのだが、この言葉は非常に良くこの気持を代弁している。音楽が湧き上がってくるのは、あくまで自分の内側からであり、決して他者ではない。

 しかしこれは音楽へのアプローチのひとつの姿であって、現実には全く別のアプローチもある。ひとつは伝統を「習いに」入るという行き方で、そこに自己表現の介入する隙間はない。上のような在り方とは全く逆だ。例えば、ギニアのジェンベを習っているグループがあって、彼等はよく現地へ行くそうなのだが、「Bembeya Jazz National」という、ギニアが世界に誇る、有名なオルケストルの名前を知らない。これは、実は全く驚くべき、というか呆れる事態で、この、ギニアの伝統美の上に、キューバ音楽の影響を受けた、全く独自の美しい音楽を彼等は知らないどころか、ギニアのジェンベに専念するためにそれに耳を傾けようとはしないのである。彼等の価値観では、「アフリカ人のように演奏するのが良い」のは自明であり、「良い音楽がアフリカにも多い」などという考え方は、師匠に対する冒涜になるらしい。それは彼等の師匠の周囲だけに通用する、ごく狭い価値観といわざるを得ず、私には彼等が何故そう判断するのかが、さっぱりわからない。

 いまひとつは、国際交流や慈善事業の一環で例えばアフリカに興味をもって、その音楽も演奏するようになったという例である。この場合もともと音楽に関心が強かったわけではないので、「世界は多様な音楽に満たされている」といってもピンとこない。むしろ自分の関わっている事業など、音楽以外の要素との連関の上に音楽が位置づけられていればそれで良いのだ。彼等の場合、「アフリカ人のように演奏する」ことは、現地の人たちとの関係を良好にするというメリットがある。それで充分なのだ。しかし日本人である彼等が、慈善事業として「上から目線」でアフリカに関わり、現地人たちがそれを「外国人にしてはよくできた」と褒める。それで認められたと錯覚して「社交界的」なコミュニケーションに満足する。私には到底受け容れられないことだ。ここでもやはり、「良い音楽がアフリカにも多い」などという考え方は全く埒外である。

 要するにこれは価値観の問題で、当人が良ければそれで良い。それをとやかく言う気はない。ただ私は、それを公の場で演奏するということに率直な違和感がある。しかも先日のイベントでは、「それで良い」当人たちで満たされていて、あれほど多くのアフリカ音楽に関心または関わりのある人たちが集まっていながら、自分の内側から沸き起こる歌や演奏に出会えなかった。「カーリー・ショッケール」活動期に頻繁に催されたこのてのイベントでは、自己表現としての「脱国境音楽」を演奏する様々なグループの、強烈な個性のぶつかり合いの場であって、それが当たり前のことだった。そもそも「習う」とか「慈善」なんて言葉は我々の辞書にはなく、間違っていようが独断と偏見であろうが、思うがままを音楽にしたはずである。今は、現地の音楽が多く紹介されるようになった代わりに、それに捕らわれてしまった人も多く、それがそのままの状態で公に出てくることも多くなった。それらは「習う」人にとっても「慈善」の人にとっても、「守ってあげるべきひ弱な存在」だから、当たり障りのない表面的な優しさで繋がってしまうのではないか、参加者の殆どがそんな笑顔を全ての人が浮かべているような空気に、私は自分の理解を越えたどうしようもない違和感を禁じ得なかったのである。誰が言ったか忘れてしまったが、「カバーとは、すなわち原曲に対する仁義なきケンカである」という言葉があって、これは名言だと思う。こんな話にもう少し付き合ってみようと思う人は、下をクリックしてみて下さい。ずいぶん前に書いたものだけど・・・


 http://jakiswede.com/2music/21acts/213karly/2130karly_fr.html


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2015年04月03日

20150401 冬越し豆に支柱

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 エンドウに柵、ソラマメにガードレール。

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20150401 醤油麹の仕込

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 春である。醤油を仕込む。まずは醤油麹の仕込である。大豆を先に浸水しておく。丹波黒大豆の場合は、大きいので一昼夜つけた方が良い。大豆を先に浸水するところが、味噌とは異なる点である。なぜなら、味噌は米糀と大豆と塩を合わせて摺るのに対して、醤油は大豆で麹を作り、それを食塩水で割って仕込むからである。

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 大豆を蒸す。蒸し加減は、やっと形を保っている程度であり、味噌が指先で潰れる程度であるのに対して相当に柔らかい。1kgを2段式蒸し器で蒸した場合、4時間ほどかかる。蒸している間に小麦を煎る。小麦はパン用に使われる品種の玄麦を用いる。煎り加減について言及された資料がないのだが、焦げず色づき、少しふっくらして香りが立ってしばらく、という感じでええんとちゃうか。これを冷ましてから粉砕する。

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 これは、蒸し上がった大豆を覆う程度であれば良く、製粉器にかけるほどではない。私はミキサーで軽く粉砕する程度にしている。これを広げて種麹を振る。

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 蒸し上がった大豆と挽き割りにして種麹を振った小麦を混ぜる。

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 これを木綿の袋に入れて皿に乗せ、温度調整しながら養生する。

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20150401 April Foolish

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 40年来愛用の自転車のスポークを交換しようとして調べたり捜したりしていたのだが、いずれも72本セットで買うか、バラ売りを希望するなら交換工賃込で何万円という店しか見つからず、ええかげんアタマにきていたのだが、「自分の信じることを貫いてブレークスルーしなかったら、そこから先も絶対にやりたいことはできない」という山下達郎氏のお言葉を思い出し、スポークを製造しているメーカーを探し出して直接交渉したら、ていねいに対応して下さって感謝している。ある自転車屋なんか、「前輪と後輪合わせて72本ですからセットで買えば良いですよ」なんて暴言こきやがる。アホいうな、自転車ちゅーもんはなあ、前輪は左右とも長さが同じで36本買えば良いけれども、後輪はフリー・ホイールがあるから左右で長さがちゃうんやぞ。しかも前輪とは寸法が違うから18本ずつ別々やないか。おまえら完成品ばかり売っとるから知らんねやろ。騙されへんぞオレは・・・
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20150329 African Festa

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 「Afrikan Festa Kansai 2015」・・・ううん・・・考え込んでしまった・・・まったく、隔世の感がある。ひとつは、なんと関西にアフリカ人の多いことか、そしてまた、日本人との夫婦がなんと多いことか、当然のことながら、黒人と日本人のハーフもまた、なんと多いことか。いまひとつは、なんと出演した日本人アーティストがアフリカ人の格好をしてアフリカ人のようにふるまっていることか、そして何故そうするのか、またそうしている自分になんの違和感も感じないのだろうか・・・まったく、私の理解を越えている。そしてそれが当たり前に存在することに、まさに隔世の感を禁じ得ないのだ。日本とアフリカが親しくなることはとても良いことだ、とは思う。しかし拭えぬこの違和感は、一体なんだろう・・・

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 そこには、恐らくこのイベントに出演した殆ど全ての人たちと、私との間に、音楽的スタンスの根本的な違いがあるからだと思う。解りやすく言えば、アフリカ音楽だから演奏しているのか、それとも、良いと思った音楽がアフリカ音楽だったから演奏しているのか、これは根本的に異なるものであるが、ここで持論を展開することは、あるいはこのイベントに関わった人たちに不快感を与えるかも知れないのでやめよう。それが目的ではない。私が言いたいのは、音楽というものは自己表現の手段であって、それは心の内なる叫びに従って行動することだと思う。日本に住み、日本語を話し、日本のものを食って生活している日本人の自己表現としての音楽が、どこか別の国や民族の既成の音楽の形として現れることなど、本当はあり得ないと思うのだ。だから、なんの違和感もなく、アフリカ人の格好をしてアフリカ音楽を演奏している (ように見える) 彼等に、理解を越えた違和感を感じざるを得なかった。これは私の率直な感想であって、価値観の違いである。このイベントの主旨や関係者に対する批判ではない。そして、私も出演してアフリカの楽器を演奏した。私は共演者のやっている音楽のことを全く知らないのだけれど、楽曲のリズムの中に共感出来る部分があって、使用した楽器の音色を用いて自己表現として面白く成り立つから演奏したのである。このセットで演奏を重ねて行けば、かなり面白いことが出来るという手応えがある。「アフリカ的なもの」という漠然たる帰結点があって、そこへ向かって進んで行く行き方は、「自己」の外側に究極的な目的を置くものであって、音楽を自己表現の手段と考える価値観とは異なる。

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 さて、私の過去に音楽活動を通じて知り合ったアフリカに関係する人たちに殆ど会わなかったこともまた、隔世の感を強くするものであった。つまり、私は全く異なる人間関係の中に身を置いたのである。若い頃から自己表現としての音楽のひとつであるロックを聴いて演奏し、それを突き破ってレゲエやラテンからアフリカへ触手を伸ばし、表現のアイディアだけでなく、エモーションやスピリットや・・・要するにさまざまに吸収しまくった挙句に体の内から湧き上がってくるリズムを表現することに余念が無かった当時のミュージシャンたちには、一人も会わなかったのである。まさに「隔世」・・・それだけのことだ。唯一、懐かしく再会したのは、音を作ってくれたチーフ・オペレータである。若い頃、私は「音」というものがどのように作られるのかに関心があって、とある師匠を頼って音響・舞台・照明の仕事の世界に飛び込んだのだが、結局理想と現実を整合させることが出来ずに挫折した。多くの修羅場を経験し、地獄を見た。その頃、やはりこの世界に飛び込んできた人があった。彼はやがて師匠も認める非常に数少ないオペレータになった。その彼と、たぶん十なん年ぶりに再会出来たというわけだ。同じ師匠のもとで修業した身である。仕込み方、動き方、トラブルや変更に対する処し方の全てが納得のいくものであった。無理難題ともいえる不当な要求や変更にさえ、穏やかに冷静に、できる限りの対処をする彼あってこそ、当日の段取りは成功したと言っても決して過言ではない。また、出演者全員が彼を良く知っていて、彼の指示に喜んで従ったからこそ混乱は避けられた。通常では、あれだけの出演者を仕切って、ほぼタイムテーブル通りに運営することなど、ほとんど不可能に近い。しかしそれが出来たのは、ほぼ一人でイベントを企画し、実際の制作をして出演までこなした主催者の意思の許に、参加した人が心を合わせることが出来たからだろう。そのような温かい一体感が、確かにあの場所にはあった。このように人と温かく繋がるという経験は、私のような鼻っ柱゜の強いワガママおやじにはなかなか出来ないことである。みなさん本当にありがとう。そしてお疲れさまでした。

https://www.facebook.com/events/796706627051641/
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20150331 味噌仕込最終

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 米糀の仕込も安定して出来るようになった。これで4回連続で成功したので、わかったとして良かろう。丹波黒大豆味噌最後の仕込。
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20150330 新畑の観察

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 新畑脇田の裏作パン用小麦「ユキチカラ」・・・ひちらも田の裏で水が抜けきらずに長雨にあったためか成長が悪い。

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 一方、これはインゲンとサツマイモの裏に蒔いたパン用小麦「ユメシホウ」、今までの栽培があまりうまくいかなかったのだが、今回水はけの良い環境が整いリベンジ出来た。

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 畑部分を北側からアブラナの跡地、今シーズンはオクラなどの夏野菜。

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 越冬組をまとめて運用してみた3畝、左からソラマメ・ニンニク・エンドウ。

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 ソラマメは芽掻きの時期、間もなくガードレールをたてる。

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 エンドウも支柱を立てる時期。

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 ナス科の跡地、今シーズンはウリ科。

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 こちらは今シーズンナス科。下は花芽の出はじめた大根。

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20150328 東畑の観察

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 三ヶ月放置した畑の観察。東畑の西側から、アブラナ3畝跡地、花が終り次第今シーズンはナス科の予定。

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 左2畝は昨シーズン増産した大根の跡地、右は越冬して成長中のタマネギ。

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 その詳細。そろそろ除草と中耕しとこか・・・貯蔵出来る作物は、なるべく力を入れる。

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 増産欲が出たのと段取りを間違えたのとで畝回しが変則になった3畝、左から白菜・タマネギ・イチゴ。片づき次第今シーズンはウリ科。

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 ここも変則的、左から越冬したウスイエンドウ、右2畝は今シーズンナス科の増産分でジャガイモにあてる。

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 ウスイエンドウに巻きひげが出はじめているので、近日中に柵を立てる。

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 冬枯れのハーブ・コーナーは除草しつつしばらく温存。

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 脇田の裏作パン用小麦「ミナミノカオリ」だが、播き方蒔き時期ともに問題なかった筈なのに、何故か不作の兆候、冬に雨続きだったから二年連続で湿害がでたのかも。

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 本田部分でも欲を出して裏作にソラマメと、越冬出来ずに消滅したタマネギがその脇に生えていた。
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20150328 清明

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 春である。週末に旅鴉がテラスのサッシに押しかけて干してある貴重なタマネギを食い破り、内部に淀んでいた催涙性の刺激物をあたりいちめんに撒き散らしたおかげで、私は月曜日の朝、図体の大きなイエネズミの朽ち果てた栄耀の腐臭と、気温の上昇によって始まった山土の醗酵臭を運ぶ生暖かい穏やかな風によって、三ヶ月わたる惰眠から目覚めた。

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 春眠暁を覚えずというが、時節は既に清明である。もはや引きこもりは許されず、否応なく畑に出なければならない。どうせクソ面白くもない畑仕事、やるなら一気に片づけて朝寝の続きをしてくれる。上は一年間ため込んだ食品残渣のコンポストをあけて土で覆ったものである。商品の指示通りに土で覆ったは良いが、こんなくらいでは烏に散らかされて当然ですわなあ。下は、今まで苗代として使っていた部分を脇田と繋げて、晩稲の増産を目論むものである。かるーくウォーミング・アップよ、さ、昼寝昼寝・・・

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20150325 のれそれ

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 のれそれ・・・アナゴの稚魚・・・イカナゴの新子に混じっていた。刺身でも美味、また掻き揚げにしても泣ける (:_:)
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20150325 Bonaloo Cafe

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20150323 ‎بسم اهللا الرحمن الرحیم

 人生というものは、ええこともあってわるいこともあるんだが、死ぬ時にはプラマイゼロになってるんやと思う。先日は大変に有意義かつ楽しい思いを致したので、まあバイトに行かんなんくらいはその代償と覚悟しておったのだが、なんかちょっと悪い予感はしていた。案の定、火事による道路封鎖に巻き込まれて遅刻や。で、なんでそれが深刻なダメージになったかというと、私は真面目である。しかるにバイト先はブラック企業であって、いろいろと出来る筈のない無理難題を押し付けてきたり、全く誤った考えに同意して行動するように強いたりする。それらが私さえ我慢すれば良いものなら我慢するのだが、お客様に誤ったご案内をすることになるからそれは間違っていると指摘しているのだが、そんな理屈はブラック企業には受け容れられない。服務規律に反し、職能もないということで、勤務評定が下がり続けて、次回契約は絶望と宣告され、事実上の謹慎処分中の遅刻であった。
 さて、仏の顔も三度という言葉があるが、これだけなら未だ二度残されていた筈だ。ところが、やれやれ、もう書く気もしないのだが、昨日のことだ。バイト先の店舗の地主は近隣の大農家で、高速は出来るわジャンクションは出来るわ商業施設は建つわで、カネなんか現金詰めるのに倉庫立てんなんほどの俄成金で、悪趣味な背広に腕も通さず肩で風切って店に入って来よる。昭和のヤクザ映画に出てくる安もんのチンピラと一緒や。その知り合いにバイト先の会社の重役と懇意なのがおって、こいつが万引きの常習犯や。
 昨日もそいつが店に来て、陰でこそこそやってるから「やるな」と思ってさりげなくマークしてた。こいつもやり慣れてるから衣服に隠したりはしない。マイバッグやカートにつけた傘などに巧妙に隠してレジを通過するので、そのタイミングを見計らって、かねてから段取り通りに社員に合図した。万引きを捕まえるのはレジを通過した後にするのが常識である。なぜなら精算後でないと未精算商品を持ち出したことの立証が難しいからだ。しかし、なんと、そいつはレジ前で背後からマークしていた社員に気付いた。私も含めて複数のバイトがレジ出口に集結していたから始末が悪い。そいつは開き直って責任者を出せ本社につなげと大声でわめき散らした。なにしろ大地主の知り合いで重役と懇意である。しがない一店舗の責任者など縮み上がってしまう。しかも精算の前では、いくらでも言い逃れが出来る。非常にまずい事態となった。合図を出したのは私である。「おまえか・・・わかっとるやろな」社員は平謝り、そいつは私に唾でも吐きかけんばかりの顔をして出て行った。今度も沈黙が支配した。まあ恐らく、事実を誤認したこと、お客様のご機嫌を損ねたことで、レッド・カード一発退場でしょうな・・・仕事も半分以上放置することになったし・・・やれやれ・・・
 まあ、一連の出来事を冷静に考えると、そろそろバイトなんかに頼らんと百姓一本でいけという、神様の思し召しかも知れんなあと思われんでもない。死に物狂いでせんなんやろなあ、神はどこまで私を苦しめたら気が済むんや ??
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20150321 Maya Acoustica

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 2015/03/21、今年の「摩耶山アコースティック・ピクニック」が始まった。これから毎月第三土曜、摩耶山掬屋台にて、淀みない気持で音楽的な一期一会を求めて、ここに通うことにする。この日に出会ったのは、たぶん12人ほど、そのうち歌を歌える人が7人・・・
 当初、マンボの名曲「Tequila !! 」をみんなで合奏、インタープレイの部分を代わる代わる即興、というアイディアでやろうとしたが、まあ最初の試みとしては失敗はしなかった。続けて行けば色んなバリエイションが出てきて面白いのではないかと想う。
 で、そればかりでなく、歌を歌える人たちが自曲を披露し、他のミュージシャンがそれをバッキングするという試みも行われた。このアイディアは、日頃一人でやっていたり、同じメンバーとやっている歌でも、伴奏がついたりメンバーが変わることによって、歌や曲が様々に変容し、思わぬアイディアに繋がることがある。そしてなにより、歌を作って曲にしてみたいが、具体的にどうしたら良いのかわからない人たちの助けになるだろう。色んな歌が生まれてくることを期待する。
 そしてまた、全くルールを決めない即興演奏の試みも行われた。それは、たまたま打楽器奏者以外のみんなが休憩に入ってしまった時に、私は常に手足を動かし続けている必要があるので、カホンを踏みながらボンゴを叩きはじめたのだが、そこにジェンベが加わったことでリズムに幅が出来、声で合わせてくれる人が現れ、そこに笛や鳴り物が加わって、ある意味フリージャズ的な、或いはプログレ的な、またはアンビエントな音の流れが出来、それは形のないエモーションの波動となって蠢いた。
 このように、どのようにでも展開出来るところが音楽の面白さである。これを限られた人たちの閉鎖的な自慰行為とせず、志さえあればどんな人にでも開かれた場所にしたいと思う。というわけで、私にとっても大変なごやかで有意義なひとときでした。ご参加頂いた皆様、来月からもどうぞよろしくお願いします。出来るだけ広めて下さい。集まり過ぎて収拾がつかなくなったら、どんどん分裂して良いと思います。
 掬屋台は広いので、あっちでジャズやってて、こっちでフォークやってて、向こうでブラジル音楽やってて、手前でジェンベ叩いてる・・・もちろん、こっちではシンガー・ソングライターの卵が、ぐっと年上のギタリストにコードを決めてもらってたり、よくわかんないけどオレの曲てヤツが、またよくわかんないけどなヤツとともによくわかんない音だしてたりとか・・・やったことないけどやってみたい人を私は最も歓迎したい。それぞれの間を渡り歩いても良し、アドバイスを求めに行っても良いし、それこそとても有意義な音楽的体験になるでしょう。初回でこれだけ腕利きのミュージシャンが集まられたのですから、あなたの鼻歌をCDに仕上げることも、全く夢ではない。バンドが巣立って行く事にでもなれば、素晴らしいと思います。
 満たされた感動を胸に山を降りたのですが、実はこの後が最悪だった。土曜日は夕刻よりバイト、しかも一人勤務の激務が待っているので、バイト先へは30分程度早めに着ける余裕をみて出発した。私は低賃金肉体労働に甘んじることによって、このような自由で幸せな時間を享受出来ていることを社会に感謝する気持を、つねに忘れずに持っているのでやなあ、その社会的責任というものはいかに最低賃金しか支払われないとはいえ、これを徒や疎かにすることはあってはならんと思うとるわけですよ。ところがやねえ、

 http://www.ktv.jp/news/sphone/douga.html?bctid=869275932002

ちょうどこの火災が発生した時に現場の近くまで来ていて突然車列が止まった。場所は山中の細い一本道で封鎖されてしまった。状況に見切りをつけて前方で転回出来た車は対向車線を戻って行ったが消防車が逆行して来て、その車も後退させられ前方へ去って行く。ただならぬ事態が起ってるのはわかったが、どうすることも出来ず、やがて対向車線も車で埋まり、約30分後に後端から車の排除が始まった。丁子が辻まで戻って公衆電話からバイト先に電話を入れたが、先述の通り私は「戦力外通告」を受けた謹慎中の身、受話器の先の沈黙が全てを物語っていた。六甲山メイン・ルートの東半分が通行止めになっていたので、西廻り「小部峠」谷上経由で先を急いだが、到着したのは45分遅れで、あとは推して知るべし。ここのバイトはトラブルを起さなければ半年はながらえる。今回の一件をどう判断されるかは数日後には解るだろう。
 たしかに遅れた私に弁解の余地はない。バイトだからといって甘える気持もない。しかし、私がここへ来てから経費節減で人員は半減している。売上も下がっているが半分になっているわけではない。一人当たりの作業量はほぼ倍増していて、もともと無理な状況で業務を回していることは誰にも明白だ。バイトであっても社員並の根幹的な業務をこなさなければならない。全員が強烈なストレスに曝されていることは理解する。そこへほくほく顔で乗り込んでこられたら気を悪くするという空気も読める。しかも、それが原因で遅刻するなどもってのほか・・・いくらリカバリーしようと努力しても報われない壁が出来てしまう。この状況って、日本の農村に良く似てると思った。農民は土地に縛りつけられて苦しめられてきた、という意識が少なくとも彼等には刷り込まれている。そこへブームに乗って都会から移住してくる奴らが来る。屈託のない笑顔でもって、友達なんか呼んできて楽しげに暮らしとる。癪に障る。だから絶対に仲間になんか入れてやらない。いくらこちらから理解しようと努力しても、ダメなものはダメ、無駄なことは無駄。都会と違って農村では、村八分にされると事実上、生きては行けない。
 思えば、私は世界の音楽に親しんでいるのだが、ひとつだけ、というか、一定の傾向を持つ音楽だけは総じて受け容れられない、というものがある。それは「ブルース」だ。「ブルース」は世界中にある。私は、それは純粋に土着的であった民謡や仕事歌などの民俗音楽が、工業化とともに農村などから都市への出稼ぎ労働者や流浪の民が流れ込んで出来てきた、都市型の音楽と考えているのだが、その根本的な部分に、誰かに聴かせるというよりは、自分を慰めるために歌う、すなわち「ブルース」が存在すると感じている。何故受け容れられないのかはわからない。特段に個人的にこれに危害を加えられた覚えもない。悪意はないのだが、どれを聞いても、全部同じに聞こえてしまって、全く良いとは思えない。しかし知識としては、ブルースがジャズの源であり、R&Bの、そしてロックの根源であることは理解している。だから、ロックについて語ることがあっても、ブルースについての感性が欠如していることを見抜かれてしまうと、「まったく理解してないじゃないか」などと言われて返す言葉もなくなってしまうのだ。そう、私にはわかりません。この歳になってもわかりません。その「わからなさ」が、農村と関わる時の「わからなさ」と酷似しているのだ。
 こうした「壁」は至るところに屹立して、言わば私を取り囲んでいる。独身でいるのも、結局のところ、そもそも女性がどんな生き物なのか解らないためだ。もちろん50年以上も男をやってきて、どうすれば女性とうまくいくかくらいは解ってる。でも、そんなことできません、おっしゃるようにはやれません、そうしようというきもちになれません、すみませんごめんなさいできません。このように現実の私生活ではボロボロの私だが、ブルースも人情も女も解らん私のような人間にも、もしかしたら世の中の役に立つことがあるんかも知れんと思うてね、どんな目に遇わされようとも後指さされようとも、めげずに好きなようにやっとるわけですわ。だからさ、文章ながいけど、あんまりまじめに読んだらあかんよ。






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20150320 ソラマメ味噌の仕込

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 米糀が射精・・・失礼、破生したので、ソラマメ味噌を漬ける。

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 ソラマメは硬いので浸水時間を長くし、芯が残らないように長めに蒸す。蒸し加減は大豆と同じく、指先で潰れる程度だが、大豆と違って豆の大きさにばらつきがあるので、大きいものに合わせている。蒸し汁を少し多めにかけて混ぜておき、全体が良くしなびてきてからするようにしている。配合割合は大豆と同じ。

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20150310 Garifuna

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Andy Palacio & the Garifuna Collective: Wátina (CD, Cumbancha/ Stonetree Records, CMB-CD3, 2007, BLZ)

Wátina (I Called Out)
Weyu Lárigi Weyu (Day by Day)
Miami
Baba (Father)
Lidan Aban (Together)
Gaganbadibá (Take Advice)
Beiba (Go Away)
Sin Precio (Worthless)
Yagane (My Canoe)
Águyuha Nidúheñu (My People Have Moved On)
Ayó Da (Goodbye My Dear)
Ámuñegü (In Times to Come)

http://www.cumbancha.com/the-garifuna-collective-biography-eng

 2007年です。いきなり40年近く時代が下ります。小アンティル諸島を西の端まで降りた後で、極端ですがカリブ海沿岸の中米ベリーズという国の、Garifunaという民族のポップスです。ベリーズという国は、メキシコの南、グァテマラの東にあるカリブ海沿岸の小さな国です。Garifunaという民族は、1635年に座礁した奴隷貿易畝かの生き残りとインディオとの間に出来た混血民族で、ベリーズ・グァテマラ・ホンジュラス・ニカラグアのカリブ海沿岸に約60万人が暮らすと言われています。
 Andy Palacioは1960年生まれなので私と同じ年だが、このアルバムを発表した翌年に亡くなっている。彼の功績は、StonetreeのプロデューサーであるIvan Duranとともに4カ国に散在するGarifunaの歌を集めて録音し記録したこと、それらをもとに次なる音楽の姿を描いたことである。その業績の一部は、翌年に発表された「Umalali, the Garifuna Woman's Project (CD, Cumbancha/ Stonetree Records, CMB-CD6, 2008, BLZ)」に収録されている。これは各地に残る一般の女性歌手の歌の録音を集めて、後でバッキングを付けたもので、足掛け10年もの歳月をかけて取り組まれた貴重なプロジェクトなのだが、真に残念なことに、歌と伴奏の録音が全く別に行われたことで、音楽的な一体性が致命的に損なわれており、プロジェクトの重要性には最大の敬意を表しつつも、出来上がった作品には納得出来ないので割愛させていただいた。
 一方、Andy Palacioのこのアルバムは全曲彼のオリジナルで、現地ミュージシャンとの長いセッションやリハーサルを経て仕上げられた一貫性のある作品になっており、アフリカ系歌手のソロ作品としては非常に良いと思う。Garifunaの音楽といっても、形式として特有のものがあるわけでなく、カリブ海の様々なポップスの影響を受け、更に近年のZoukによる色付けが明らかに残っている。特長があるといえば、先に紹介したGuadeloupeのGwokaに使われる大小の樽型の太鼓の音色、それも打面側に紐を張って、一種のスネア的効果を出していることが上げられる。これはフラメンコ風のカホンの感触に近い乾いた音色である。歌詞は英語から派生したクレオールであるから解らないのだが、音の処理の簡潔さや寂寞感は特筆に値する。
 それもそのはずで、Stonetree Records傘下のCumbanchaレーベルの創立者は、Putumayoというワールド系快適音楽のアンソロジーをシリーズで出版したレーベルの敏腕プロデューサーのJacobs Edgarという人物である。おそらくそのためか、全体に物悲しいエキゾチシズムに満ちた繊細な音感が充満しているのだが、その間にAndy Palacio本人の声と思われる力強さが光る瞬間があって、それが彼の本質なのだろう。その芯の強さは、AngolaのRui MingasやElias Dya Kimuezuに通じるものがある。この色付けというものをどう感じるか、評価の別れるところだと思う。
 さて、以上にてキューバとプエルト・リコ以外のカリブ諸国の音楽の紹介を終る。もちろんTrinidadのCalypsoをやっていないし、カリブ海沿岸という切り口で捉えるならば、コロンビアのCumbiaを取り上げるべきところだが、それは後のSalsaとの関連で言及した方が良いし、そもそも良い音源を持っていたかどうか、聞いてみないとわからない。
 Calypsoについては、Mighty Sparrowというミュージシャンが有名であるが、たしかに1960年代の彼の作品は良い。しかしCalypsoという音楽は、もともとTrinidadの炭鉱労働者のブルース・ソングとして発祥した経緯があって、実は私はこうした音楽が苦手なのだ。なぜなら音楽の比重が演奏よりも歌詞に置かれており、歌詞が解らないことには楽しめないものが多いからだ。1920年代以降の初期の録音を聞いても、解説を読んで初めて全体を把握するという状態なので、とても音楽的に楽しんだとは言えない。その点、Mighty Sparrowの時代になって、ようやくソウルフルなものが感じられるようになるが、それも1960年代の限られた時期である。それとほぼ同時に、廃棄されたドラム缶を加工して作ったスティール・パンを使って演奏するPan Calypsoが産まれたが、これはブルース・ソングとしてのCalypsoとは全く別物である。日本では「カリプソ」というと、これを指すことが殆多い。
 キューバとプエルト・リコ以外、言い換えれば「ルンバ・クラーベ」を基調とするラテン音楽以外のカリブ諸国の音楽とよく似た感触を持つ音楽は、南米大陸の東海岸沿いに多数存在するが、その最たるものは、ブラジル北東部に起ったFrevoであろう。これは非常に速いテンポを持つ2拍子の音楽で、大変奥行きが深いのだが、ご紹介申し上げるのはキューバと北米大陸をやったあと、南米大陸の最後にブラジルを訪問する予定であるので、半年ほどお待ち頂きたい。ここで申し上げたいのは、たぶんこれらの音楽はカーニバル用のダンス・ミュージックとして発祥し、ポピュラー音楽にまで発展、定着して行ったものと思われるということである。ひとつの傾向としてこれらをまとめて捉えると、様々な音楽の共通点や相違点が整理出来て、楽しみの道標になるであろう。ほなキューバへ行きましょか・・・




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20150309 Gwo Ka

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Anzala Dolor Vélo: Tumbélé (LP, Celini Disques, RCG 10 007, 1972?, FR)

L'Auto Là
Crabe Qui Déclaré
Tifi La Ou Té Madam'
Cécile

Renélia
Soulagé
Dit Bonsoir
Chauffeur

 Guadeloupeへ参りましょう。Martiniqueと同じくフランスの海外県です。Gwoka Musicといわれる太鼓と歌を中心とした音楽で、ここではサックスや、一部ベースも使われている。おもにGuadeloupeに伝わる音楽で、ルーツはGuinéeやCongoにあるといわれ、最低、大 (boula) 小 (maké←リンガラ語の「moke」か? ) の二つのずんどうの片面太鼓で伴奏される。大きいものは写真左のように台座を使って横向けにして、胴の上に触って叩く。太鼓の形は同じで大きさが違うだけである。その形状からして、もとは打ち捨てられてあった樽を胴にして作られたことは確実である。打面には薄い皮が使われていて、縁を叩くと強烈な倍音が発せられ、テンションはかなり高い。皮を支えるリングが太く、縄で縛ってあるのは、リムの補強と緩み止めの役割を兼ねている。音色も奏法もジェンベに近いことが、西アフリカの影響を強く窺わせる。しかし形がゴブレット型でないので、ジェンベほど胴鳴りが強くない。むしろコンガを短く、或いは太くしたような形状であることが、コンゴのルーツを感じさせられ、特に低音を担当する奏者にコンゴ風の奏法が見られる。カーニバルや儀式に多く用いられ、歌とコーラスに多数のシェケレ、スリット・ドラムなどがつく。また伴奏、というか賑やかしに管楽器が用いられることもある。
 さてこのジャケット、涙が出るほど素晴らしくダサい。中途半端で絶妙な背景色、センターも合わせてない杜撰なまでに見事な構図、特に左端をトリミングせずに出してしまうぞんざいな自信、そして三人三様のボーズ・・・左はマエストロたる風格を具現した毅然たる静止、この掌を見よ。これが大口径の太鼓の打面を叩く正しい掌の形ぞ。掌が平面でありながら、完全に脱力した一枚の板のような状態。その心の状態も全く平らかである。かたや右を見よ。これこそがタイコタタキの心意気である。照れ隠しなのかそのまんまなのかわからん動態、その決定的瞬間に思わずシャッターを切ってしまったカメラマンに、真ん中の人が「お・・・おい、ちょっ・・・待・・・」と戸惑いをカメラ目線で隠したはいいがポケットが裏返ってる・・・もう最高。Yvon Anzala・Dolor Méliot・Marcel Lollia (Vélo)・・・なかでも最後のVéloは、GuadeloupeにおいてGwoka Masterと称せられ、像も建っているほどの人物で、そのパーカッション・アンサンブルは、Gwokaの伝統にしっかりと根ざした確たるものが感じられた。



















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20150308 Exile One

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Exile One: Exile One Greatest Hits (Revised) Volume 1 (LP, Barclay, 80.657, 1977, FR)

Jumbolo
Reggae Medley
One Favor
Pot Pourri Creole

Music Is Revolution
Gardez Derier
Don't Bite The Hand
Which One Is Me Home

 Exile Oneのリーダーは、Gordon Hendersonといって、その英国風の名前が示すように、小アンティル諸島にある旧英国領であった「ドミニカ国 (Commonwealth of Dominica) 」出身である。ハイチと国土を約1:2で分割するイスパニョーラ島のドミニカ共和国República Dominicanaではない。Gordon Hendersonは、地元で音楽活動を試みていたが、設備や環境の面で思うに任せず、「Les Vikings」の中心人物として活躍していたPierre-Edouard Décimusを頼ってGuadeloupeへ出た。そして1970年に「Exile One」を結成し、私の知る限り1974-76年にかけて5枚のLPと6枚のEPを発売、さらにフレンチ・カリビアン音楽の綜合プロデューサーとしてのし上がっていたHenri Debsを頼って1975年に渡仏し、翌年までにBarclayから2枚のLPと2枚のEPを発売している。このアルバムはBarclayからの3枚目のLPになるが、内容は、その副題が示す通りベスト盤で、Guadeloupe時代に録音された曲から選んでParisで再録したものである。
 Gordon Hendersonは、Cadence界のGodfatherまたはSoulと呼ばれ、英語話者であることもあってか、この世界では特異な存在である。そこがまた良いのだ。曲目紹介では細かいタイトルを省略しているが、うち何曲かはメドレーの形で旧い曲が取り上げられている。しかしなんといっても彼等の看板曲は一曲目"Jumbolo"であろう。これを初めて聴いた時は大変驚いた。分厚いホーンの入ったテーマ、cadance特有のねじれたリズム、そして「ダッセェェェェェッ、ジャンボロ !! イェェェェェェッ、ジャンボロ !! 」という含蓄のカケラもない歌詞が何度も繰り返されたあと、テーマに戻って曲が終って了うのである。たったそれだけ。はっきり言って「勢い」だけです。しかも他の曲も全編その調子、もちろんレゲエであったりファンクであったり、スタイルの違いはあるけれども、含蓄のカケラもないという点では同じ。そしてさらに、出た頃に買ってから気付いたことだが、Barclayから発売されたこれ以前の2枚のLPも、収録曲の半分はダブり、裏ジャケットの写真まで同じ服装の別カットという、これで悟りました。フランス植民地からの移民 (アフリカも含めて) の仕事はこういうもんだと・・・いやしかし、しかし、当時CompasもCadenceも知らなかった我々、いやこれらの音楽が「ニュー・アフロ」とか「アフリカン・ルーツ」とかいうフレーズで売り出されていた文字をまともに受けて、アフリカ音楽だとさえ思い込んでいた我々は、この楽しくて単純で勢い一発のリズムを指して、ほかに呼びようがないので「ジャンボロ・リズム」と呼んでいたほほ笑ましくも懐かしい時代があったことよのうと、しみじみ思い起こされる・・・まあ要するに個人的思い入れだけで紹介したので、知らなかった人はスルーしてもろてOKです。






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20150307 Les Vikings

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Les Vikings: Boum Vacances (LP, Celini Disques, RCG 10 002, 1970-1972 ?, FR)

Mazora   
Guaganco In Jazz   
Bon Gens Vent   
One, Two, Three, Four   

Vincent   
Emparo   
You Made Me So Verry Happy   
Assez Palé   
Cha Cha   

 1970年代初頭のCadenceのなかで、きりっと立った演奏が聞かれたので紹介してみた。のちにZoukの代表者として世界に君臨することになるKassav'のリーダーPierre-Edouard Décimus (1947- )が在籍していたグループの初期と思われる演奏である。年代はレコード番号から類推した。もちろんこの頃の演奏にはZoukの陰はない。しかし、Guadeloupeの島の形のごとく飛ぶチョウを射止めたような演奏は、当時の他の録音にあまり聞かれないくらい、音が立っている。Cadenceに限らず、アフロ・ポリ・リズムを骨格とする音楽は、往々にしてその複雑さから音の進行が饒舌になりやすく、リズムも流れやすい。それがこのジャンルの醍醐味とは言え、そこをすっきりまとめようとした演奏は、あまり例がないように思われる。Zoukという音楽は、その複雑さを単純化したためにワールド・ミュージックを席巻することになるのだが、不幸にしてその単純さゆえに後が続かなくなって衰退した。その一瞬の輝きに向かって突き進んだZoukへの道筋を、はやくもLes Vikingsの演奏の中に聞くことが出来たといえば穿った見解すぎるというものだろうか・・・

 
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20150306 Kali

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Kali: Racines (LP, Hibiscus Records, HR88020, 1989, FR)

Mwen Desan'n St. Piè
Manicou volan
Abandon
Conversation

Vlopé Mwen Doudou
La Fèt St. Piè
La Vi Artis Rèd
Ralé ralé
Racines

 Kali・・・グループ名のような印象を受けるが、Martinique出身のJean-Marque Monnervilleという作曲家・歌手・バンジョーの名手である。1956年生まれとあるので、ま、私の6つ年上ですな。そんなこたどーでもええし、別に何か書く必要があるかちゅーと、ないんですよねこれが。とにかく写真のように理屈抜きでほんわかしていて楽しくて和める。繊細で美しくて平和。素朴なカリブのトロピカルな音楽として、恐らく最高の出来ではないかと思う。タイトルの"Racines"とは「根っこ (roots) 」という意味だが、先述したようにカリブ海の先住民族は絶滅してしまっているので、そもそもカリブのルーツ・ミュージックという意味ではない。しかし、かといってハイチのVoodooから産まれた宗教音楽であるRaraから現代に派生したMizik Rasin (Musique Racine = Roots Music) とも関係ない。これは、カリブの音楽がZoukに席巻されてその陳腐さが露呈された時期に、一種の回帰運動のようにして現れた。つまり、Compas・Cadance・Calypsoの時代をも飛び越えて、彼等のポップ・ミュージックの源泉であるBeguineやValseに戻ろうという意図と思われる。写真やクレオールの意味が解らない私にとっては、外観的な感触で判断する他はないのであるが、もちろん彼等の歴史が平和であったのではなく、むしろ平和とはほど遠い運命を負わされてきたからこそ出来る、幸せの音楽を集めて残して行こうという彼の意思が現れたものであろう。同じタイトルで2014年現在第5集まで出ており、彼には他にも多くの作品がある。CD化も進められており、入手は困難ではないので、良質なカリブの音楽を、良い録音状態で鑑賞出来る例として推薦したい。





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20150305 Rolland P-C.

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Roland Pierre-Charles: Bal Boutché, Accordéon des Antilles (CD, Hibiscus Records, 082 060 WM321, 2002, FR)

La Guadeloupéenne (A. Beauregard)
Félicia (P. Rossin)
Cé filon (F. Vinduc)
Manicou volant (V. Coridon)
Patio belasso (D.R)
Enfants du pirée (D.R)
Grand tomobile (Folklore)
Ti citron (Folklore)
Ya ya (Folklore)
Pou ki langue (Folklore)
Vlopé moin doudou (Folklore)
Rue fleurie (Stellio)
Fok ni Tché (A. Théodose)
Post colon (R. Pierre Charles)
Complainte (Valse, Stéllio)

 「アンティル諸島のアコーディオン」という副題の通り、形式としてはBeguineやValseを中心にアンティル諸島のいろいろな音楽をアコーディオンをソロにしたアンサンブルで聴かせてくれる、全曲インストゥルメンタルの、非常に上質なイージー・リスニング・アルバムである。Rolland Pierre-Charlesという人は、長いキャリアを持つMartinique出身のアコーディオン奏者で、本国の他、Compas Direct成立期のHaïtiやCubaで、その後ParisやNew Yorkでフレンチ・カリビアンのミュージシャンの作品などに多くの録音を残しているが、割愛するがCadence界の重要なアーティスト & グループである「Simon Jurad & Opération 78」で、キーボードとシンセサイザーを担当したのが最も長い「定職」であった。基本的にはスタジオ・ミュージシャンで、現在までに200枚を超えるアルバムに参加しているが、自身のリーダー・アルバムは、たぶんこれ1枚である。ミュージシャンの極意は最良の伴奏者たること、と常々思っているのであるが、彼のアコーディオンは、奇をてらうでなくでしゃばるでなく、かといって流れ過ぎない確たる品性を感じる。素朴でありながら深い。喩えていえば、万感を読み尽くした古書店の主人の穏やかな笑みとでもいえばよいか・・・アンサンブルも極めて質素で、必要最小限の伴奏で録音されている。おそらく1980年前後、後半の数曲は少し録音状態が違うので、それらは新しく追加されたものかも知れない。出典はFolkloreが多く収録されており、ほかにも往年のBeguineのピアニストであるAlexandre Stéllioの曲が2曲、綴りは少し異なるがP. Rossin・・・これがPaulo Rosineだとすれば、伴奏は「Malavoi」か ?? 同じHibiscus Recordsのひとつ前の番号は「Malavoi」の1975から数年の録音、ホーン・セクションが入った頃の珍しい彼等の音姿を記録した名盤があるので先ず間違いないだろう。ともあれ、フレンチ・カリビアンの伝統的な曲を集めた、良質のトロピカル音楽集として傑作である。


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20150304 Malavoi

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Malavoi (LP, Productions Georges Debs/ Sonodisc, GD003/ 4, 1982, FR)

Gram é Gram
La Filo
Quadrille C
Conversation
Pasillo Mat'nik
Amelia

 カリブ海に浮かぶ島々のうち、地理的な並び順は前後するが、先にフランスの海外県であるMartiniqueへ参ろう。MartiniqueといえばZoukと呼ばれるジャンルの音楽があって、Zoukといえば「Kassav'」が最も有名なのだが、実は私はこのバンドがそんなに好きでないので、「Malavoi」という生粋のMartiniqueのバンドを紹介する。
 その前にZoukについて少し説明しておくと、これは、もともとカリブ海全域に流行していたMéringueやCadenceがもとにあって、MartiniqueにはBeguineという洒落たダンス・ミュージックもあった。そこへ1960年頃にはHaïtiにCompasが発生して広がった。1970年代後半になると、それらのジャンルのクロス・オーバーも盛んになって、Compasの柔らかな感覚も次第にシャープに、テンポも速くなり、Zoukに酷似した演奏も聞かれるようになった。1979年にフランスのパリで結成された「Kassav'」が、当時パリで流行していたカリブやアフリカの音楽に影響されて、電気的電子的でシャープでロックっぽい独特の演奏をしはじめたのだが、これが後にZoukと呼ばれるようになったのである。
 語源は、おそらくMazurkaというポーランド風の舞曲の名前であろう。中庸より少し速いテンポで、第1拍に付点がつくことが共通する。リズムのアクセントはCompasと同じ、ルンバ・クラーベ「3-2」の前半のみをとった2拍子だが、テンポは♪=110-130くらいが多く、それはCompasより速くMéringueよりやや遅い。旧来のこれらの音楽との根本的な違いは、まさしく都会的な洗練の度合いであって、それは奏法にも現れ、例えばドラムの基本奏法は、MéringueやCadenceのようにスネアを撫でるように柔らかく連打するものや、Compasのようにミュート・クラッシュを基本とするものから、本格的にハイハットをタイトに使うことが始まった。これはあきらかにコンゴ (当時はザイール) のSoucousの影響である。そしてカウベルとフロア・タムを、アクセントとしてドラマーとは別のパーカッショニストが叩くこともなくなった。これにより第2拍半にドーンと響く独特のラテン的重さがなくなって、リズム全体がタイトで軽快になった。それにあわせてベース・ラインもシンプルになり、ホーン隊はシンセサイザーに置き換えられ、ギターが強調されコード展開も変化して全体の曲調が軽快になった。打ち込みも多用された。
 これはフランス的な洗練感覚に見事に共鳴して世界中に広まった。1980年代後半になると、既にアフリカ大陸をほぼ席巻していたコンゴ (当時はザイール) のSoucousとZoukの融合が始まり、これはSouk-Zoukと呼ばれて大流行した。またブラジル北東部の多様なアフロ系ポップスや、Cabo VerdeのColadeiraやAngolaのKizombaなどとも融合して、ポルトガル語圏のアフリカ諸国やそのコミュニティを中心に広がって行った。しかし、これらは様々な要素を取り込んで発展したのではなく、むしろ収斂して分かりやすくなったのがウケただけで、旧来の音楽に比べて最大公約数的に平板であったことや、音楽媒体がレコードからCD主流になったことで粗製乱造を招き、やがてマンネリズムが蔓延たことなどが重なって、熱狂は嘘のように消えた。旬は、Compasより遅い1980年代前半のわずか数年だった。私はこの音楽がそんなに好きではないので、Zoukについての言及は以上で終る。
 「Malavoi」はZoukのバンドとして分類されているが、少なくとも私の持っている音源で彼等はZoukを演奏していない。演奏しているのはBeguineが中心で、Méringue、Cadence、そこへ感傷的なBoleroやValse、さらにキューバ音楽やサルサなどが加わる。もちろんこれらは互いに溶け合っており、流行に従ってZouk的要素が入ることはあったかも知れないが、中心的ではない。
 彼等はMartiniqueを拠点にしたアマチュア・バンドであり、そのほとんどが公務員であるという。ホーン・セクションが入っていた時期もあったが、特色は分厚いストリング・アンサンブルで、これが彼等の音楽の優雅さと豊かさを決定づけている。あきらかにクラシック音楽の専門教育を受けてきたキャリアがあって、きわめて緻密でアカデミックな作曲とアレンジが基礎にあり、その上に情熱的で自由なエネルギーの発露があり、カリブ音楽特有の躍動的なリズムがそれを支えている。その醍醐味はVenezuelaのEnsamble Gurrufíoや、その室内楽団であるCamerata Criollaを彷彿とさせる。Compasが黒人音楽の可能性をカリブ的に大きく広げたものであるとすれば、「Malavoi」の音楽は、カリブのあらゆる音楽の可能性をクラシック的に大きく押し広げたものといえるかも知れない。
 彼等の音楽はひと括りにジャンル分けが出来ない。こういうクロス・オーヴァーが可能となった要因には、おそらくBeguineやValseという音楽の構成が関係するのではないかと思う。これらはペア・ダンス用の音楽であって、適当な時間を置いて相手を交代するのだが、特にValseでは、それを促すために曲を短い楽章で区切る。演奏は解りやすいブレイクで終り、曲のテーマで再開される・・・ということを繰り返す。しかも、これがダンス・パーティーに参加したペアの数だけ繰り返されるとなると、全ての楽章で同じ演奏をしていたのでは、さすがに踊る方も演るほうも退屈するので、そこに様々な要素を即興的に入れるようになった。これらに限らずヨーロッパの舞曲でも、変奏という形で様々な要素が取り入れられることはあるのだが、カリブ海は音楽の宝庫であるので、そのインター・プレイの中身を、そっくりそのまま別ジャンルに入れ替える例は珍しくない。Beguineのリズムでテーマが始まって、インター・プレイになると拍子が変わってBoleroになったり、その部分だけSonになったりということはよくある。そのような遊び心と即興バトルが、彼等の音楽的センスを磨いたのではないだろうか。
 さて、「Malavoi」の作品のなかで選ぶとすれば、この2枚組LPである・・・ダブル・ジャケットの内側にしか曲名も時間も書いてないから、たっぷり2枚分聞けると思てたら、A面B面が1曲ずつC面とD面が2曲ずつで全体で45分、B面なんか7分ちょいで終るんやで、こんなもん1枚に入るやろ、これで値段は2枚分やったから買うたときは怒ったよ。でもね、そのB面を占める「La Filo」を聞いた時、その演奏の緻密さ、畳みかけるようなアレンジと演奏の勢い、心に染み入るような音の襞の深さ、表情の豊かさ、ストリングスの繊細さ・・・とにかく美しくて情熱的で、参りました。もしかしたらこの曲だけは、他の曲の続きでなく、単独で聴かせたいがために、わざわざ2枚組にしたのかも。ちなみにその次の作品も2枚組。残念ながらこれらのLPに収録されている中期の彼等の曲をはじめ、ごく初期の音源やブレイクする前までの作品群は、ほとんどばらばらにCD化されており、版権の多くを持つSonodiscが倒産しているので、再録されていない曲も多数ある。再録された曲も、データを見る限り時間が短縮されているものがあり、必ずしも良好な状態ではない。それは、彼等がアマチュア活動にこだわったからでもあろうが、演奏が素晴らしいだけに残念である。特にこれと同じジャケットで再発された編集盤のLPやCDが複数あり、それらは収録曲が一部異なり、相互に重複しているので、必ず曲名を確認して購入されることをお奨めする。上のLPは、外観から曲名の確認が出来ないので開封する必要がある。




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20150303 R.Guillaume

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Raoul Guillaume et son Groupe: Gerbe De Chansons Haïtiennes (LP, IBO Records, ILP-133, 1967, Haïti)

En quatrième vitesse
Qui gen'ou rélé
La vie musicien
L'orphelin
Chi li ling
Interdit aux moins de 16 ans

Voyage sur la lune
Côté ou rété
Baiser pour Haïti
Mesdames ci-là
To to to to to
Ti Marie

 ハイチの1960年代、Troubadour 、Méringue、CadenceからCompas成立前夜の頃の音源を求めるには、IBOというレーベルがほぼ一手にリリースしているので探索しやすい。私が集めたものは全て再発モノであるが、盤質や録音状態も良く、リストもきちんと管理されており、Mini RecordsなどによりCD化も進められている。彼等の音楽に対する姿勢を窺い知ることが出来る。さて、このアルバムは、Raoul Guillaumeという歌手の、SP盤時代から数えて、たぶん11作目のLPであり、ハイチの歌謡を集めたIBOのシリーズ3作目にあたる。ポップスとしてのワールド・ミュージックの歴史的音源というものは、往々にして単調で変化がなく、余程その世界のマニアでないと違いが解らない退屈なものになりがちなのだが、このアルバムは、当時ハイチで流行していたと思われる、いろいろな形式の楽曲を、聴きやすいショウケースのように集めてあるのでお奨めしたい。なかでも1曲目は、Compas DirectからMini Jazzへ移ろうとする前のリズムの変化・・・充分マニアックか・・・特にドラム奏法の変化が録音されている。つまり、全てのアフリカやラテン音楽に共通する、伝わった当初のキューバ音楽の編成から、アメリカのジャズが流入してモダン楽器へ移行する時期、たとえばリズム・セクションの基本は、ギロ・マラカス・タムタムまたはコンガ、あるいはボンゴなど複数の奏者による分業されたリズムの複合体であったものが、一人のドラマーによってプレイされるようになる過渡期の演奏が聞ける。Compasに於ては、恐らくドラム・セットの導入とほぼ同時に、あのミュート・シンバルによるリズム・キープが始まったと思われるが、この曲では、ハイハットを通常の奏法で演奏し、アクセントの位置で僅かに開いたりクラッシュ・シンバルでキメを入れたりしている。おそらくそのたたきわけが煩雑になるので、クラッシュ・シンバルに一本化してミュートする奏法が産まれたのではないかと想像できる。ま、そんなマニアックなことを度外視しても、1967年ともなるとハイチのポピュラー音楽も成熟と分化へと向かいつつあり、様々な他の音楽の影響が聞かれるのである。それ以前はというと、伝わってきたキューバ音楽やジャズを、恐らく楽譜の通りに模倣することが基本で、そこに労力のかなりが費やされていたであろうので、どんなグループのどんな曲を聴いても、よそ者には同じ曲に聞こえてしまう。そういう意味で、このアルバムは当時ものとしては珍しく、変化と現代性に富んだものになっている。以上で私の持っているハイチの音楽の紹介を終る。もちろんハイチにはCompas以外の音楽も行われている。Twoubadou (Troubadour) は、キューバに出稼ぎに行った農民たちが戻ってきて伝えた素朴な歌謡であるが、私の持っている音源は打ち込みを基本とした実に平板なものなので、ここでは紹介しなかった。また、MéringueやCadenceも、更に発展した形式に細分化されて行われているが、1980年代後半からは他事に忙しくてこれを追っていない。さらにハイチのVoodooから産まれた宗教音楽であるRaraから、現代に派生したMizik Rasin (Musique Racine = Roots Music) の有名なグループであるBoukman Experyansは、確かに一聴に値する。では更に東へ泳いで、フレンチ・カリビアンの島国を巡って参りませうね。

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20150302 Shleu-Shleu

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Les Shleu-Shleu: Acé Frapé (LP, Haïti Records, SS010, 1973, Haïti/ CD, Mini Records, MRSD 1011, 1991, US)

Acé Frapé
Diable La
Belle Ti Machande
Angélina

Dans La Vie
Solange
Banda

 「Les Shleu-Shleu」・・・Compasの創始者といわれるNemours Jean-Baptisteの流れを汲む。「Mini Jazz」からモダン・コンパへの過渡期の音を聞きたくて手に入れたのである。結成は1967年、バンマスは当初Tony Moïse (sax alto)だが、1969-70年にメンバーのSerge Rosenthal (guitar solo)が、ほぼのちのSkah Shah #1となる面子を集めて「Les Shleu Sheu de Serge Rosenthal」という別バンドを結成する。彼は1973年まではTony Moïseの「Les Shleu Shleu」にもとどまり同年脱退、のれん争いがあったのか、1974年以降のTony Moïseのバンドは、「Original Shleu Shleu (略してOSS) 」と称して活動を続け、一方のSerge Rosenthalは1976年に脱退してまたバンド名が変わるのである。
 で、ここで紹介するのは「Les Shleu Sheu de Serge Rosenthal」の方、Serge Rosenthalが「Les Shleu-Shleu」を脱退した年のもので、翌1974年には、なんと自分たちを取り立ててくれたSerge Rosenthalを除いたメンバーで結成された「Skah Shah」のデビュー・アルバムが発売されている。こーゆー離合集散がたまらんのよね、内部に様々な音楽性の葛藤を孕みながら、それがせめぎ合い、どろどろの抗争を繰り広げてる。裏切りも当然あっただろう。本人らはたまったもんぢゃないやろけど、傍で聞いてる者にとっては、もうその複雑な味わいに射精しそうになります。ただでさえ複雑過ぎる要素を内包するCompas、その最骨頂のバンドを生み出した母体の出産寸前の音ですからね。ファンク・ソウル・ジャズ・ソンなどが既に入り乱れてひとつのアンサンブルの中でざわめいてますわ。「Skah Shah」時代のトンデモギターも既に鳴り響いてるし。ドラムも、あのミュート・シンバルとハイハットが併用されてたり、一時代前の「Compas Direct」からモダン・コンパへ移る過渡期、試行錯誤と新しい発見、体内の矛盾と、互いを牽制し、それを乗り越えようとするエネルギー・・・もうたまらん・・・これは名作です。

http://musique.haiti.free.fr/haitian%20records%20vol%2001/fiches/lesshleushleu00pagedr.htm
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20150301 D.P. Express

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D.P. Express: David (LP, Superstar Records, SUP-111, 1979-81?, Haiti)

É,É,É,É
Corigé

David
Ensem', Ensem'
Cèso

 「D.P. Express」の通算5枚目、Mini Records傘下、ハイチのSuperstar Recordsからのリリースで、番号からして1979-81年の作品と思われる。しっかし・・・16人も横一列に並んで、モニタもないステージで、さぞかし互いの音、聞こえにくかったやろなあ・・・いやいや、「D.P. Express」は、「Tabou Combo」によって引き起こされたハイチのギター・バンド・ブームに呼応して1970年に生まれた「Les Difficiles de Petion Ville」を母体とし、そこから分離した「Les Gypsies de Petion Ville」、さらにそこから「Scorpio Universel」と、この「D.P. Express」に分裂する。ちなみに「D.P. …」は「Les Difficiles de Petion Ville」の略。人脈の重要性や話題性からすると、蠍軍団に軍配が上がるのかも知れないが、実は私の好みはこちらである。なぜなら、蠍軍団が新しい世代を意識しつつも比較的ゴージャスなホーン・アンサンブルを重要視していたのに対して、このバンドは、ホーン・セクションを用いながらも、ギター主導型のバンドであったからである。これでもかこれでもかと畳みかけてくるような重層的フレーズ、失速寸前のスロウ・テンポな演奏に、リード・ヴォーカルのハスキー・ヴォイスがかぶさる、なんとも言い知れぬ良い雰囲気を持っている。豪快・厳か・重量級・パワー全開・単刀直入・・・なんていうんでしょうね・・・特にこの5枚目が聞き応えあり、A面1曲目からエンジン全開で暑さを以て暑さを凌ぐ心意気、2曲目でハイチ風に粘ったサルサ・・・これがまたエエんよね、キューバやプエルト・リコでは決して出ない、ましてやニューヨークでなんかムリムリ、ハイチでなければ出ない音、B面に入ると急にテンポ・ダウンしたスロウなコンパが2曲続き、最後はメレンゲ風の高速カルナヴァルが車止め突き破って・・・あーあ、レコード盤がイテもうとるだけか・・・
 「David」は、1979年にイスパニョーラ島をCategory 5 (日本でいう「猛烈な」勢力) で直撃し、アメリカ東海岸に沿って北上した「ハリケーン・ディビッド」の名に因む。ちなみに西アフリカの大西洋上にある島国Cabo Verde近海から発生する低気圧が西に進んでカリブ海でハリケーンになるケースが多く、これを「カボ・ヴェルデ型」という。Cabo Verdeはアフリカから新大陸へ黒人奴隷を輸送する集積地であった。それはともかく、このハリケーンはイスパニョーラ島で2千人以上の死者を出し、プエルト・リコ、キューバ、アメリカに甚大な被害を及ぼした。言葉が解ればそのへんの事情が理解出来るのかも知れない。ジャケットからも、裏ジャケのカーニバルの写真からも、なにか不屈のハイチ人魂を感じる。
 ここでCompasのリズムについてちょっとだけ。Compas Directの初期、MéringueやCadenceの演奏には、基本的にドラム・セットは入らず、細かく高く鋭い音でリズムを刻む役割はギロであり、しかもリズムはスクゥエアであった。それが1960年代に入ると、ルンバ・クラーベでいう「3-2」の前半部分だけをとった2拍子になる。このとり方は世界中にあるのだが、ハイチの場合は、直接的にはキューバ発祥である。黒人がやるものだから、黒人的にまろやかになり、むしろコンゴの「Soucous」(日本で所謂「リンガラ・ポップス」) との相性が抜群に良いので、ギターその他の奏法に互換性がある。リズムの骨格を担うのは、とりあえずドラマーであるが、リズムをキープするのは一般的にハイハットではなく、クラッシュ・シンバルをハイハットの近くにセットして、それを片手でミュートしながら叩くのが、世界の他に例を見ない大きな特長である。ハイハットを使えば両手が使えるのに、またハイハットを使わないのなら邪魔になるから外せば良いものを、なぜかそうせずに、邪魔になるハイハット越しにシンバルを片手でミュートしてハイハットのように刻む。しかもそのシンバルたるや、スプラッシュなどの小口径のものではなく、16インチ以上あるような、結構まともにクラッシュ・シンバルを使う。手に汗もかくであろうし、演奏が終ったあとのシンバルの手入れを心配するのだが、それでもそうしなければならない理由があるのだろう。とにかくこれがCompasのリズムの特長なのである。
 「D.P. Express」の演奏は、これは紛れもないハイチ風の演奏なのだが、Compasはその後1980年代後半になって、同じリズム・アクセントのまま、Zoukのニュアンスを取り入れた演奏が流行するようになる。同時にデジタル楽器が流入し、ほとんど全てのバンドのホーン・セクションやストリングスが多くこれに取って替わられ、音楽そのものが大幅に陳腐化した。これは世界中で同時に起った現象であり、デジタル楽器とCDの普及は、むしろ音楽全体にとっては粗製乱発の傾向が顕著になった。無論、全てがそうだったとは言わない。
 さてハイチの音楽シーンも離合集散を繰り返して発展して行くのであるが、母体となったバンドも多く現存している。これはハイチ人の音楽文化の高さを示すものであって、下は「Les Gypsies de Petion Ville」の2001年New Yorkでのライブである。このユルさ、この黒さ、充満する熱気と体臭・・・これが普段着のハイチの夜会なのでしょう。堪りません。以上を以て1980年前後に隆盛を極めたハイチのモダン・コンパについては終る。結論としては、1970年代後半から1980年代前半にかけてのものを集められれば大きな間違いはないと思う。まあ世界中のポピュラー音楽がその傾向にあるんやけどね。なんでやろね。次回からは、もちょっと古い音源へ行きましょか・・・

https://www.youtube.com/watch?v=mx3nf-RcEiw


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20150228 Scorpio

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Scorpio Universel: 1980 (LP, Mini Records, MRS 1103, 1980, US/ CD, P-Vine, PCD-2209, 1990, JP*)

M'Pap Crazé (Pap Cis)
1980

Peace & Love
Retounin
Pransan Ou (Carnaval 80)

Map Mande Courage (Bonus Track on CD*)
Vi'n Pran Piyay (Bonus Track on CD*)

 「Scorpio」・・・1970年代に入って新しく沸き起こった「Mini Jazz」ムーヴメントの中で発生した「Les Difficiles de Petion Ville」というバンドを母体とする。そこにいたRobert Martinoを中心に「Les Gypsies de Petion Ville」が分離し、更に彼を中心にした、この「Scorpio Universel」と、「D.P. Express」が成立する。いずれも音楽的な感触が僅かずつ異なっていて、少しずつ新しい感覚になる。「Scorpio Universel」と「D.P. Express」の違いは、前者が構成美をより重視したホーン・アンサンブルに重きを置いていたのに対して、後者はギター主導のストレートなニュアンスを重要視した。しかしわれわれ聞く側にとっては、いろんな味わいがあってそれぞれに楽しめるのである。このアルバムは「Scorpio」としては4作目にあたり、まったく気迫充分、技術も体力も絶好調の時期である。しかもP-Vineの日本盤CDには、1979年に出された12'シングル (EP, Mini Records, MRS-S111, 1979, US) の2曲が収録されている。圧巻は2曲目アルバム・タイトルともなった "1980" で、アップテンポのイントロに始まり、途中でAORの名曲Bobby Caldwellの"What you won't do for love" が挿入されるなど、その奇想天外さ無節操さは、狂おしいまでのアメリカへの憧れを体現して止むところなく、続くcadenceでも畳みかけてくるストップとキメ、リズムの絶妙な崩しと散らし、さらにエンディングでその全てをひっくり返してしまうような完璧な遊び心を発揮してくれたりする。言葉は悪いがハイチは世界最貧国のひとつ、海を隔てて間近なフロリダは世界最強国アメリカである。Compasの醍醐味のひとつは、このように、全く意外な曲の断片やフレーズ、或いは音色が突然挿入されることにより、曲の進行の中で夢と現実の間を彷徨う不思議な感覚を味わわせてくれること、しかも、それがとってつけたようでもあるが、実に見事にアレンジされていて、念入りなアンサンブルの中で見事に消化されているところである。このようなことは、伝統を守っているだけでも、勢いだけでも、訓練だけでも、あれだけでもこれだけでもできることではない。これこそまさに、アメリカにも中米にも南米にも近いカリブの国、しかも旧フランス領というハイチ独特の立ち位置がもたらした賜物ではなかろうか、ホレこんで飽くことがない音楽である。

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20150227 Tabou Combo

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Tabou Combo: The Masters (LP, Mini Records, MRS 1050, 1975, US)

Inflacion
Lovely Mama
Loneliness
Oh! La La

Spitfire
T.C.E. (Tabou Combo Experience)
Wrong Number

http://www.taboucombo.com

 Compasの魅力はなんだろうと、よく考える。私がこれらを聴きはじめたのは、大学に通いはじめたころ、バイトでカネがある程度入ってくるようになって、レコードがより自由に買えるようになったころである。高校時代までは、バンドといってもせいぜい音楽室から出られなかったものが、いよいよ外に向けて活動出来るようになった。いろんなミュージシャンに会い、いろんな音楽の話を聞き、視野が広がった。もうありきたりなロックには飽き飽きしていた。しかしパンクはあまりにも無味乾燥なものに思われた。ジャズは敷居が高過ぎた。ブルースは暗過ぎるように思われた。そのころは、まだ「ワールドミュージック」という言葉はなかった。小泉文夫の「世界の民族音楽」をひたすら録音していた。アフリカに大いにそそられていたが、実際紹介される音源には馴染めなかった。レゲエへの熱狂も一過性のものに終り、南へと興味は向きつつあったものの、いきなり「さあ踊りましょう」なんて能天気な音楽を、私は嫌悪した。踊るに足る音楽、もともとヨーロッパやイギリスの音楽にどっぷり浸かって生きていた精神が、踊りたいと思えるような、深みがあって、なおかつ躍動的な音楽を求めて遍歴は続く。そんなことを漠然と思い描いている時に、ラテン音楽の一種として入ってきたのがハイチのCompasだった。声とリズム、曲全体から来る空気感は、明らかにアフリカのものである。しかし、どこか海の匂いがした。おおまかにはフランス風の優美さ、そしてフラメンコのメロディに現れるスペイン風の物悲しさ、それはアジア独特の哀感であった。そしてアフリカ的な重さと、カリブの明るい躍動・・・いま思い起こせば、これらが見事に調和した音楽など、ほかに存在しないと思う。ハイチで偶然に融合されたものだったのだ。そこで初めて出会ったもののひとつが、この「Tabou Combo」だった。ロックの泥沼から這い上がってきた私の耳は、新しい出口を求めつつも、やはりロック・ギターをよりどころとして求めていた・・・
 「Tabou Combo」はギター・バンドである。それまでの、ホーン・セクションの入ったゴージャスなダンス・ミュージックとしてのCompasにロックの新風を吹き込んだ恐らく最初のバンドであり、その後あらゆるブラック・ミュージックのエッセンスを取り入れて見事に消化し、「Compasの大使」と呼ばれるほどハイチを代表するグループになった。現在も活動中である。現在は穏やかなサロン・ミュージックを演奏するオルケストルになったが、初期はホーン・セクションを敢えて廃し、ギターを前面に出した。とてつもないスピード感と迫力である。そんな演奏が聴ける彼等の初期6作の詳細を記す。いずれも何度かCD化されているが、入手困難なものと注意すべきもののみデータを記録しておく。他はタイトルで検索すれば出る。

Tabou Combo: Haïti / Ya Patia (LP, IBO Records, ILP 146, 1969, FR/ CD, Sonodisc, CD IBO 146, 1996, FR)
Tabou Combo: A la Canne a Sucre (LP, Mini Records, SU 100, 1972, US)
Tabou Combo: Respect… (LP, Mini Records, MRS 1039, 1973, US/ CD as "Hoola-Hoop Compas", P-Vine, PCD-2528, 1990, JP*)
Tabou Combo: 8th. Sacrement (LP, Mini Records, MRS 1044, 1974, US/ CD as "New York City", Unidisc, SPLK-7082, 1994, CA)
Tabou Combo: The Masters (LP, Mini Records, MRS 1050, 1975, US)
Tabou Combo: Indestructible… (LP, Mini Records, MRS 1056, 1976, US/ CD as "Hoola-Hoop Compas", P-Vine, PCD-2528, 1990, JP*)

 *…「Hoola-Hoop Compas」(CD, P-Vine, PCD-2528, 1990, JP) として復刻されているCDは、「Respect…」全曲と「Indestructible…」7曲のうち5曲しか収録されていないので、完全なコレクションを捜す場合は要注意。

 上記リストのうち、特にお奨めしたいのは「Respect…」以下の4作である。この作品から明らかにロック的になる。その次の「8th. Sacrement」は、彼等が世界を舞台に活躍するきっかけとなった名曲"New York City"を含む (疑似?) ライブ・アルバム。「The Masters」は、その勢いをそのままに、演奏やアレンジが磨き上げられて、心・技・体すべてが充実した彼等の最高傑作。ギター・バンド、ロック・バンドとしての集大成になっている。特に冒頭の "Inflacion" の、いきなり疾走するストレートな演奏がすさまじい。ドラマーは、もはやクラッシュ・シンバルのミュートではなく、いきなりスネアの連打で始めている。全編、まさにハイチの疾走。文句なしのアルバムである。その後、彼等の結成10周年記念アルバム「L'an X (1977) 」では大々的にホーン・セクションがフィーチャーされ、全く別物のバンドになる。とはいえ、1980年作、通算10枚目の「You, You, You」まではロック・バンドとしての勢いが強く感じられ、ちなみにこのアルバムで"New York City"をホーン入りで録りなおしている。この演奏もまた別の意味で良い。しかし、それ以降はマンネリズムに陥り、ご多分に漏れずデジタル楽器やZoukを取り入れて演奏が平板になり、やがてトゲも取れて普通のバンドになって行く。現在の彼等は、かつて自分たちが打ち破ってきたサロン・ミュージックの中に、肩までどっぷり浸かっているようにさえ思われる。それが悪いとは言わないし、その良さも解る。しかし私としては、やはり「Tabou Combo」はギター・バンドであってほしいのだ。このようなギターとドラムの感触は、まさにコンゴの「Soucous」(日本で所謂「リンガラ・ポップス」) に通じるものであり、恐らく相互に影響しあったのであろう。ちなみになんと彼等がリンガラ語で歌っている曲を見つけたので、最後にリンクしておきたい。

https://www.youtube.com/watch?v=PUPnEv2-ljk



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20150226 Skah Shah

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Skah Shah #1: Message (LP, Rotel Records/ P-Vine, AC-10004, 1978, JP)

Manman   
Pour Demain   
Aide M Rele   

Message   
Yaveh   
Zanmi

 またしてもRotel RecordsのリリースをP-Vineが日本盤で出してます。この価値を認めて自国で生産したのは日本だけです。その見識にただただ脱帽。私にとってKompaの究極は「Les Frères Déjean: Bouki ac Malice」とこれの2作です。素晴らしいです。「Les Frères Déjean」がゴリゴリした感触であるのに対して、こちらは同じだけのアクの強さを持ちながら、より洗練されていて優美でゴージャス。それは彼等が1967年結成の「Les Shleu-Shleu」を母体とするバンドだったからかも知れません。ちなみにドラマーのUlrick "Touco" Bouziは、後に「Dixie Band」を結成します。このジャケットからは想像もつかない過激さ、奇想天外さ、もうなんといいますか、突然なにが飛び出してくるかホンマにわからんのですよ。よくもまあ次から次へと、抱腹絶倒のエピソードのつづら折りを聴くような、そんな感じです。それが「Les Shleu-Shleu」譲りの鉄壁のオーケストレイションでもって、完璧なアレンジで加速しながらガツーンと大きく打ち出したと思ったらそこは断崖絶壁で、ヴォーカリストがだけが虚空に放擲されて、一瞬にして足許から消えたリズム・セクションを奈落の底に見ながら飛んで行く感覚。当のバッキングはというと、核があって自由があるのではなく、自由と自由のせめぎ合いの中で核が産まれてくるような・・・いや、わかりにくいな・・・要するにリズムも何もかも一気に抜けてしまって、あっという間に曲が浮遊するんですよね。ガイド・リズムも何もないまま、演奏は見事に着地して同じテンポで走り続ける。しいていえば、ある一瞬はカウベルとタムタムが、別の一瞬はコンガが、という具合にリズムのアクセントさえタライ回し、本来リズムをキープすべきドラマーは完全にどっか遊びに行ってます。しかし伴奏者全員がほたえ散らかしながらもアタマの隅っこで同じクロックがセコンド打ち続けていて、小節の頭でガツーンとまた分厚いテーマを入れはるんですわ。もう天国。こんなにも自由な演奏ね、巧いだけじゃ絶対出来ません。これを同時代で体験出来たことを音楽の神に感謝します。もうサイコーーーッ !!
 しかし、このアルバムは恐らく彼等とって特異なものだったのであろう。この感動を胸に彼等の他の作品をあたった結果、これほどのやんちゃぶりは拝聴出来なかったからである。しかし、「Les Shleu-Shleu」でさえ当時の常識から逸脱したバンドであったし、「Skah Shah #1」もその音楽的雑食性は他を寄せ付けないものがある。彼等の他のアルバムは、そのゴージャスさと複雑なアレンジ、分厚いコクと味わいが、より正統的に表出されていて、それはそれでものすごく良いのである。ただし1980年代後半になると、その醍醐味は薄れる。これは「Dixie Band」も同じ。


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20150225 L.F. Déjean

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Les Frères Déjean: Bouki ac Malice (LP, Rotel Records/ P-Vine, AC-10005, 1978, JP)

Arrette
Qu'est-ce Que La Vie
Mots Créoles

Debake
Zott
Bouki Ac Malice

 「ハイチ」と書いたが、これは「Haïti」を日本語でローマ字読みしたものであり、この国は旧フランス植民地であったのでフランス語で読むと「アイティ」、独裁政治が長く続いたので、カリブ海を密航してアメリカに亡命する人が後を絶たず、彼等はマイアミやニューヨークにコミュニティをつくったので、亡命ハイチ人の間では英語も使われており、その読みは「ヘイティ」、「H」音が発音出来るスペイン語やポルトガル語でも「アイティ」である。「ハイチ」という発音は彼等には通用しないことを確認したうえで、以後「ハイチ」と表記する。「ハイチのコンパは1950年代にNemours Jean-BaptisteとWebert Sicotという2人の音楽家によって始められた」と前に書いたが、そのころまでのハイチのポピュラー音楽の主流は、隣国ドミニカ共和国を含めイスパニョーラ島を中心としたカリブ全域で流行していた「カダンス」や「メレンゲ」であり、これもドミニカ共和国などスペイン語圏では「Merengue (メレンゲ) 」と発音されるが、ハイチではフランス語「Méringue (メラング) 」と発音される。これは、そのリズムのテンポと音が卵の白身を泡立てるのに似ているからであって、速いものでは♪=150程度になる。イスパニョーラ島を分けたふたつの国家は、旧宗主国の言葉も違い、歴史的事情や戦争などの経緯があって、文化的にもかなり違った進み方をする。ドミニカ共和国の「Merengue」は更に過激にヒート・アップして行く傾向を見せるが、ハイチの「Méringue」はアコーディオンをフィーチャーし、そこへ管楽器のアンサンブルが入り、リズムにベース・ギター・ギロ・コンガを中心とした構成になる。ドラム・セットは未だ一般的でない。「Méringue」の表情に及ぼしたアコーディオンの効果は大変大きく、それは全くフランス人好みであり、つまり明らかに中世フランスに始まる舞踏音楽「Musette」に汎用されるアコーディオンの奏法の移植であって、それは音楽の全体に優雅で物憂げな彩りを添える。このことが、その後のハイチのポピュラー音楽の性格を決定づけることとなり、Nemours Jean-Baptisteは「Méringue」のテンポを♪=100程度にまで落として、その表情をより豊かなものにしようとした。これが「Compas Direct」である (以前、クレオールの表記により「Kompa」と書いたが、混乱を避けるために、以下「Compas」と表記する) 。
 Compasを紹介するにあたって何から始めるか・・・普通は「Mini Allstars」からであろう。というのは、マイアミに1970年ハイチ人ミュージシャンのために設立されたレーベルの名を「Mini Records」といい、そこに所属するミュージシャンの緩やかな連合体を「Mini Allstars」と名付け、これがハイチ人によるハイチ音楽の国際的展開の草分けになったからである。「Mini」とは、ハイチがアメリカに占領されていた時代にビッグ・バンド・ジャズが流入し、当時の「Méringue」から「Compas Direct」になってもその傾向が続いていたのだが、その反動から、より小編成のコンボがもてはやされることになり、これを「Mini Jazz」と呼んだことに因む。その後、恐らく1976年には、ニューヨークのブルックリンに「Rotel Records」が創設された。1970年代から1980年代前半にかけて隆盛を極めるCompas Directは、主にこの二つのレーベルから発売されている。
 「Les Frères Déjean」・・・4人のDéjean兄弟を中心とした実に複雑怪奇で雑味充分なゴキゲンのグループである。強烈で分厚いホーン、派手なシンセ・ストリングス、多彩で頻繁なストップとブレイク、レゲエ・ファンク・ジャズ・サルサもさらっとアレンジに組み入れる見事さ、それらを包み込むようなフランス系クレオールの柔らかく滑らかな歌声、その優雅さや物憂げな空気感、狂おしいまでに湧き出て演奏の合間に溢れる夥しいアイディア、全体を支配する雑味と腰から突き上げてくるようなダンス・グルーブ・・・完璧です。奇想天外なのか無節操なのか、器用貧乏なのかオールマイティなのか、それは聴く人によってまさに賛否両論。それで結構。好きな人には堪らん音世界なんよね。別に無理に好きにならんでも良いが、ちょっと興味を持ったならば、曲全体が長くて繰り返しが多くてコテコテで、しつこくてうざったいのんだけ慣れてもろたら、だんだん味わいが出てくると思います。1970年代前半までのCompasは割と穏やか、しかし後半になるにつれその定石を打ち破るバンドが続出してきますが、彼等もそのうちのひとつ。いくつか味わいの異なるバンドがあって、それぞれに良い。個人的には、黒人音楽のエッセンスを全てブチ込んだ、真っ黒なエグい系の、もうひとつのフュージョン・ミュージックの究極だと思っとります。
 「Bouki ac Malice」・・・なんと日本盤 (原盤は1977年) です。当時の「P-Vine」は、果敢にも中南米やアフリカの実に味わい深い作品を良く選んで日本に紹介していました。シリーズ物で結構まとめてリリースされたので、カネが追いつかなかった。当時としては、「またかまたかもう鬱陶しい」と思てましたが、今になって全体を振り返ってみますと、よくぞまああの時代にこれだけのものをリリースしたと感心します。迷ったら「P-Vine」レーベル丸ごと買っても良いくらいです。よくぞ残して下さった。しかしそれにしても、このダサいジャケット、いなたいというか、もうそのまんまCompasの本質を物語ってる。大好きです。これは「Les Frères Déjean」の3作目、Rotel Recordsのリリースとしては4作目にあたり、これが好きなら1982年ごろまでの彼等及びこのレーベルのリリースは全部「買い」です。破竹の勢い、疾走感と意外性、はちゃめちゃさ加減が全然違う。次から次へと白昼夢を見さされてるような、奇妙で美しい陶酔に浸れます・・・好きならね。




posted by jakiswede at 00:13| Comment(0) | 変態的音楽遍歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする