2015年10月16日

20151013 播州曽根秋祭

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 播州の祭見物その2: 姫路で一番好きな場所がここ「小赤壁 (しょうせきへき) 」である。的形と八家の間の海側の山の南斜面が断崖絶壁になっていて、ほとんど来る人もない穴場スポットである。この日も高砂から姫路にかけての漁村は、村を挙げてのお祭り騒ぎだというのに、のーんびり手作りグライダーを飛ばしてトンビと遊んでる見知らぬ風流なおっさんと男二人、昼下がりの静かなひとときを過ごす。松原神社の方から屋台を担ぐ人たちの掛け声がここまで響いてくる。

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 わざわざ祭の日の姫路へ来て、祭を見ずに帰るのもなかなかオツなもんだとは思ったが、やっぱり行ってみることにした。今年は脇から攻めてきたので、灘のけんか祭は風に乗ってくる掛け声だけで善しとし、姫路を失礼して高砂の大塩から曽根へ向かうことにした。

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 高砂の大塩天満宮は、たしか鳥居の直前を国道250号線が横切っていた筈なのだが、もう何十年も行っておらず村の様子はすっかり様変わりしていた。現在は海側の埋め立て地の区画整理された一角に社殿があり、鎮守の森など厳かな雰囲気は全くない。屋台は姫路と同じ様式のものだが、四隅の縄が非常に豪華であり、重量感がある。別所から高砂にかけては毛むくじゃらの獅子舞が有名だが、村の余りの変わり様に興が冷めて早々に退散、曽根へ向かう。

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 曽根天満宮。やはり神社の風情はこうでなくちゃいかん。日本の秋祭りらしい風景である。姫路と大塩の祭は10/14が宵宮、10/15が本宮だが、曽根は一日早い。今日が本宮である。

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 曽根天満宮では祭の神事が多く残されている。これは唐人行列、馬に乗った稚児 (ヒトツモノ) が地に足を付けずに拝殿に上がり、神の憑依によるお告げを受ける。

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 馬駆けの神事

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 境内や拝殿で神事が進められる間、屋台は据え置かれて宮出しを待つ。屋台の形式は姫路と大きく異なって反り屋根型布団屋台であり、別所の宮大工を呼び寄せて作らせたと伝えられる。この形は曽根から東播や北播地方へ広がった。別所は今では姫路市に入っているが、地勢的な流れとしては、むしろ曽根や高砂に繋がる。文化的な空気も共通するものがある。

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 ヒトツモノの宮入りの際に、長さ10メートルにもなる太い青竹がこれを先導し、村の幟とともに境内に立てて安置されるのだが、神事が全て終ると宮出しの前に境内の地面に激しく叩きつけて割るのである。これは、竹を立てたまま四方に張られたロープで釣り合いを取りながら、底を男達が激しく地面に叩きつけ、歌を歌い、あるいは竹によじ登り、何度もそれを繰り返して割るのである。上の写真ではわかりにくいが、竹が割れる瞬間である。割れるというより縦に裂ける。竹がどちらへ倒れるか解らないので、境内はこの神事のあいだは立ち入り禁止となる。そのあと竹は倒されて更に割られ、束ねられて村の男達によって走って宮出しされる。結構激しい神事である。

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 神事が進むうちに夜になる。屋台練りは竹割神事の終りを待たずに始められる。夜の屋台は派手な電飾が施される。

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 曽根天満宮の祭の特長は、様々な芸能と神事が良く残されているところと、屋台練りが「灘のけんか祭」ほど殺気立っていないところである。写真のように、屋台の上の前後で舵を取る人は一種の演者であり、担ぎ手の志気を高めるばかりでなく、観衆の笑いもさそう。太鼓の叩き手までがこのパフォーマンスに口出ししたりして、更に祭の楽しさを盛り上げる。観衆からもヤジが飛び、爆笑に包まれる一瞬もある。担ぎ手も、確かに屋台は重いので上げたり差したり練ったりしているあいだは苦渋の表情を浮かべてはいるが、一旦上げた屋台を故意に降ろしたり、その場にへたり込んだりして、気ままに祭を演じる。そんな緩さが曽根の祭の楽しさと見た。祭に命を懸けるのも価値観、しかしこのようにさらっとやるのも価値観。

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 祭を見ていてつくづく思うことがある。なぜ彼等はこれほどまでに祭りに夢中になるのか、その祭がなぜ楽しいか、どこが楽しいか、それと自分とがどんな関係にあるのかが、論理的な整合性を持って体系的に論証されなければ、安心して祭を楽しむことの出来ない私のような性格の人間にとっては、「ヨーイヤサァ」の掛け声を聞くだけで水を飲んでも一杯機嫌になれるという村のおっさんの心情を推し量ることは難しい。播州の祭は、東は神戸市北区淡河町から西は赤穂市まで、少しずつ日程をずらせながら10月いっぱいやっている。平日であっても学校や企業は臨時休業、村人でありながら地元の祭に参加しないなどということは、たとえ言論や思想信条の自由の保障された今の世の中であっても厳しく制限される。そればかりか、祭に命を懸けている地区などでは、自分たちの祭の日に他所の祭を見に行くなど言語道断、練習に打ち込むべき祭の前に他所の祭を見に行くことも、祭が終ってから遅い他所の祭を見に行くこともご法度で、発覚すれば半殺しの目に遇わされるという。実際、姫路の友人で他所の祭を事を知っている人は非常に少ない。祭を見物するのは好きだが、祭のある村に産まれなくて本当に良かったと思う。私のような人間はとても生きてはゆけまい。

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20151011 播州三木秋祭

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 秋祭りの季節である。播州の祭が好きなので、何度か姫路や網干の祭には行ったのだが、今年はちょっと変わったところのものも見てみたくなった。上の写真は、三木への行きしなに通り掛かった淡河の祭の屋台である。町内に屋台はひとつしかないので、その巡航に出くわすのは大変珍しい。幸運であった。上の写真ではわかりにくいが、形は下の写真と同じである。屋台に台車を履かせるために傾けてあるものと見え、白い平屋根が見えている。淡河は播州の祭屋台の最東端である。八多と道場にはなく、下がって西宮市下山口になると、西宮の甑岩神社由来の壇尻に変わる。言葉は播州弁だが、祭文化は阪神地区と同じになる。

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 これが三木など東播地方に特有の屋台の形で、屋根に重ねられてあるのは布団である。上部が平らなので平屋根型布団屋台とよんだりする。

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 これは北播地方に多い反り返り型布団屋台とでもいうべき形のものである。概して三木の祭は姫路に比べて荒々しさはなくのんびりしている。神社の境内に上がる階段を、これを担いで上がるところが最大の見物だが、バイトの時間との関係で見ずに帰った。
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20151014 せやからいうてるやんか

このような要望をしました。どうなることか・・・

 UAゼンセン御中

 はじめまして。わたしはUAゼンセンに加盟する企業のアルバイト従業員です。「マイナンバーを勤務先に提示するに際しての要望」を送りたいと思います。私は組合に加入していないため、こ の要望には根拠がなく、なんらの影響も受けませんが、職場環境が改善されれば働きも良くなり、ひいては勤務先に貢献出来るものと考えてお送りします。本来 ならば、このような要望は、勤務先の上司を通じて、しかるべき段階を踏んで成されるものでありましょうが、社内の現状を見ると、このような動きは握りつぶ され、マークされて不利な状況に追い込まれる合理的な怖れがありますので、頭越しに送らせて頂きました。また、この要望がお聞き届けいただければ、それは 私の勤務先の企業だけでなく、更に多くの労働者にも小さな改善の一歩として共有出来るのではないかと思います。
 マイナンバーの告知が始まり、勤務先でも、これを2016年1月23日までに提出するようにとの告示が出されました。業務が膨大になるので速やかにとい う但し書きとともに、提出方法として、所定書類に書き込んで所属長に提出すること、となっております。「特定個人情報の適正な取扱に関するガイドライン」 には、本人確認を厳格に行い、情報管理を徹底する義務が明記されておりますが、具体的にどうするのか会社側からの説明もなく、質問の機会も予定されていま せん。これについて、慎重に周囲に打診してみましたが、事実、全く手付かずで、そんな余裕はないということでした。また、別紙において、就業規則の中に、 マイナンバーを提示するという一項目を追加したという告示もあります。これらをみると、従業員は、勤務先の書式に応じて自発的にマイナンバーを提出し、提 出しない場合は辞めろということになっているようにさえ感じられます。
 マイナンバーというものは、それ自体に個人情報が含まれるわけではありませんが、各行政機関に分散管理された個人情報を開く合鍵のようなものです。マス ター鍵は自分で保管しますが、勤務先にマイナンバーを提示するということは、合鍵を渡すに等しいことです。その合鍵を、受けとったあとどこに保管するの か、誰がどのように運用するのか、なにも説明がないまま、無条件に渡せ、さもなくばクビだと迫られるようでは、到底健全な職場にはなりません。私の勤務先 の場合、これまでに発生した様々な業務上のトラブルに対処する本社の方針から判断して、このような高圧的な態度を取ってくる可能性は非常に高いと思いま す。本人確認については提出するその場で出来ることですから措くとして、情報管理の徹底について、次のような要望項目を考えてみました。
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 「マイナンバーを勤務先に提示するに際しての要望」
 

・「特定個人情報の適正な取扱に関するガイドライン」の完全な遵守と、その具体的な方法の説明。

・マイナンバーの管理責任者の指定と、その氏名の公開。

・マイナンバーの管理場所を明確化 (運用開始前も含めて) し、電磁的だけでなく物理的に遮断、つまり専用の部屋を設け、そこへ出入りする職員を限定し所持品検査を徹底すること。

・マイナンバーの目的 (税・社会保障・災害) 外使用禁止の徹底 (特にマイナンバーによる労務管理の禁止) 。

・就業規則でマイナンバーの提出を義務づけるにあたって、以上の項目についての説明と同意を条件に加えること。

・以上の件を文書化し、全従業員が参加出来るように説明会を開き、充分な質疑応答の時間を設けること。
 
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 以上です。「厳しい罰則があるから」ということでは済まされません。なぜなら、企業というものは、リスクが充分に低ければ、それを負ってでもコストを削減しようとするからです。この要望が、当然解決されるべきものとして受け容れられることを切に望みます。
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20151010 せやからいうてるやんか

 日本は、少なくともあの日までは、まだアメリカにもロシアにも、シリアに関係する全ての国や勢力に対しても、「とにかく武器を捨てろ、その爆弾一発が無駄にする金で、どれだけのシリア人が救われると思ってるんだ」と言い得る世界で唯一の国だったと思う (それが仮に中東の人たちの日本に対する認識の不充分さが原因だったとしても) 。日本は、そんなかけがえのない可能性を、自ら好き好んでドブに捨ててしまった。
 爆撃される街の一般市民の身になって想像してほしい。私はキンシャサの中心街で突発的に発生した市街戦の下をかいくぐったことがあるが、どこから撃ってくるのかわからない。機銃掃射の音はカタカタカタカタと乾いていて軽い。おもちゃか花火の音のようだ。しかし物陰からごろっと血を噴きながら男が転がり出てくると、空気は一変して地獄の様相になる。ずしっと腹に響く爆発音がすると、コンクリートのベランダが崩れ落ちてくる。どこへ逃げれば良いのかも解らない。頭を手で覆うのがやっとで、路地の角の鉄扉の中から差し招く手に向かって走って良いのかも解らない。数メートル先のコンクリート片が砕け散る。幸いにして、そのときはものの数分で銃声は止んだが、いまでもその恐怖は身にこびりついている。日本も第二次世界大戦で無差別な空襲を受けた。爆撃される街の一般市民にとっては、戦争の大義名分など関係ない。戦争は恐怖でしかない。その実態は膨大な資料として残されていて、それらはいつでも誰でも閲覧可能である。少しだけ想像力を働かせれば、その恐怖は想像出来るはずだ。
 シリアの人たちは、「なぜここでやるんだ、やるならだだっ広い砂漠でやってくれ」と叫びたい気分だろう。しかし絶対そんなことにはならない。街を占領した勢力は市民を盾にして身を守り、市民が犠牲になれば相手を非難する宣伝材料になるからだ。爆撃する側も、動くものはとりあえず撃つ。たとえ協力者であっても戦闘員が紛れ込んでいる可能性がある以上、撃てと命令されているからだ。市民が巻き添えになったとしても、せいぜい「誤爆」で片づけられ、撃った側から「遺憾の意」が伝えられるくらいだ。見切りをつけてカネのある奴は安全な国を目指すが、ない者はせいぜい頭を低くするしかない。血気にはやればテロリストだ。
 権力の空白が生まれた時に、そこへ進出してくる「ならずもの勢力」を排除することは国際貢献であるとされている。これを「抑止力」というのだが、実際に世界中で起っている紛争は、二元論的に善悪を決められるものではない。一方に集団的自衛権があるとすれば、当然他方にもある。それぞれは、より強い武力を提供してくれるスポンサーを頼んで、小競り合いをエスカレートさせる。ひとつの紛争地に多くの勢力が巻き込まれ、紛争にかこつけて漁夫の利を得る勢力も暗躍する。状況は混沌とし、収拾をつけることがより困難になる。つまり「抑止力」という考え方ではこれを抑止出来ない。
 こういうことになるから、日本は戦争を放棄した筈だと、私は理解している。憲法9条に「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という一文があるのは明らかにそのためだ。これほど明確に書かれてあることが、集団的自衛権の行使と矛盾しないという有識者のアタマが全く私には想像出来ないのだが、南スーダンでは、確実に上のような状況が起る。日本は、紛争当事者の片方に立ったのである。南スーダンの一般市民は、それまで信じていた日本の「自衛隊」に、これからは撃たれるかも知れないということを考慮しなければならなくなった。しかも日本が拠って立つのは中国が絡んだ石油利権を守るための行動に繋がる。もはや、その先を考えることは憂鬱だ。
 国際紛争は必ず起る。それを武力で解決したいと思う人々は、自分たちが先ず汗水垂らしてカネを造り、その金で地球以外のどこかへ行ってチャンバラでもやって雌雄を決してくれ。二度と帰ってくるな。一生やっとれ。一般的地球人の税金を使うな。それがイヤなら黙っとれ。先ずこいつらを排除してからでないと、紛争は解決しないと思うんだがね・・・
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20151010 本田落水、その他

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 本田落水。

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 苗箱で観察していたサリー・クイーンも苗の大きさのまま結実、水もやらなかったのに、雨と朝露だけで枯れなかったのは大したもんだ。

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 全くの不振に終った今シーズンの黒インゲン。柵だけが空しくたたずむ。

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 ズッキーニとバターナッツの交配したとおぼしきこの個体、中身が黄色く外が緑のところがブラジル国旗に似ていることに因んで、ポルトガル語で混血の人を指す「caboclinhos (カボクリーニョス) 」と名付けよう。一方、白ズッキーとバターナッツの交配したとおぼしき個体は、外が黄色く中身がズッキーニのように白いから、ナポリ国際空港の通称に因んで「capodichino (カポディキーノ) 」、既に名付けられた緑のカボチャ「caboverde」、茶色のカボチャ「カボ茶」ともに永遠の幸あれ・・・

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 逞しい空心菜にしては可憐な白い花・・・

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 白サツマイモの試し掘り、良く出来た株でさえ、殆どネズミに食われて残すところわずかである。

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 落花生に至っては、結実した端から食われた痕跡があり、未熟果と殻ばかりが出てくる。

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 気を取り直してソラマメの播種、来シーズン休ませる田んぼに植える。

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 花オクラの実

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 ニンニクの植付け。

posted by jakiswede at 12:07| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2015 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20151007 せやからいうてるやんか

 マイナンバー制度について充分調べたつもりだが、依然解らないことがいくつかあったので、内閣官房と厚生労働省の、それぞれ管轄するサポート・ダイヤルに電話して訊いてみた。
 ひとつは、マイナンバーに付随するとみられる個人情報が、どのようにどこで管理されるのかという点と、それにアクセスするのにどのような安全対策が採られているのかという点。私は、個人情報というものが、マイナンバーに付随する一連のデータとして一本化され、どこかに集約管理されるものと思っていたが、そうではなく、現在それぞれの行政機関に分かれて保存されている個人情報を、呼び出す時のキーワードがマイナンバーということであり、個人情報そのものは今までと同様各機関に保存され、アクセス権の仕組みも今までと変わらないという。つまり分散管理を原則としていて、データそのものが統一され集約されるという計画はないとのこと。
 もうひとつは、事業者はマイナンバーを適切に管理する義務があるとされているが、それが充分に適切であるかどうかは、誰がどのように判断するのか、あるいはそれを検証する第三者機関、または充分に検証された安全管理のための組織などがあるのかという点。これについては、現在のところ「特定個人情報保護委員会」という組織が「特定個人情報の適正な取扱に関するガイドライン」というものを定めていて、各事業者はこれに従うべきものとされている。それ以外にこれを検証する仕組みはない。で、事故が起ってから、その原因が事業者がこのガイドラインを守らなかったことによると認められた場合には、様々な罰則規定による処罰を受けるということになる。従って、従業員が事前に、自分を雇用している事業者が、特定個人情報の適正な取扱いをするかどうかを検証する手段はない。これに付随して、勤務先からマイナンバーを使って社員の労務管理を一元化させたいので年内に速やかに提出するように求められているが、これはマイナンバーの目的外の使用に該当し違反ではないかと問い合わせたが、これは明白な違反であって事実とすれば処罰対象になる。しかしそれを従業員が検証する手段はない。事前準備のために、早期に提出を求めることは認められているので、速やかな提出を求めることが違反とはいえない。あくまで事故が起ってからの対応になる。
 最後に、従業員は事業者にマイナンバーを提出する際に、事前に特定個人情報の適正な取扱について説明を受けることが出来るかどうかという点。これについては管轄が異なり、厚生労働省であって、各地域の「綜合労働相談コーナー」が対応してくれる。それによると、残念ながら、事業者が従業員に対して、事前にそれを説明する義務はない。やはり、あくまで問題が起ってからの対応である。苦情の相談先は、上の「コーナー」で良い。またそれに付随して、労働契約を更新する時に契約条項の中にマイナンバーの提出を求める条項を入れる事は違法ではなく、また正社員の服務規律の中にこれを追加することも違法ではない。しかも、それについて事業者は従業員に充分な説明をすることは求められているが、その義務があるとまでは定められていない。
 以上、何れにせよ、制度の全体が不透明な状態での見切り発車であることは否めないので、マイナンバーの提供に際しては、事業者に対して充分な説明を求める権利は最大限行使して主張し、納得いかなければ保留する (拒否ではなく) という態度で臨まざるを得ない。ただし、労働者には法律上その権利は保障されておらず、事業者にも説明責任を果たす義務がないことは欠点であると思う。現時点で、私の勤務先では、マイナンバーに対する準備は全くなされていない。また、マイナンバーの提出にあたって従業員が守るべき項目については詳細に掲示してあったが、勤務先がしてくれることには一切言及されていない。それについて質問しても回答はなく、示されたのは労働契約内容にマイナンバーの提出義務を追加するということだけだった。つまり、こちらからは何も知り得ず、向こうの知りたいことは黙って出せ、いやなら辞めろということだ。東証一部上場企業でありながら実態はこれである。
 さて、年内にこの問題についてトラブルになった場合、私は上の欠点について全国的な闘争を呼びかけることにする。労使はあくまで平等でなければならない。このような片務的な法制度が改善されるべきなのは、全く当然のことであると思うが如何 ??
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20151003 せやからいうてるやんか

 私個人の個別的自衛権を正当に行使する手始めに、今月送られてくる「マイナンバー」についてどう対処すれば良いか、法律その他の情報を子細に検討した結果、次のような方針で臨むことにした。
 私はアルバイトで生計を立てているが、勤務先に番号を教える義務がある。これを拒否することは法律に違反するが、今のところ罰則規定はない。一方、勤務先は番号の取扱について、未だ対応方法が決まっていない。にも関わらず、番号の通知が完了する予定の11月から速やかに従業員に番号の提供を求めるという。法律では、事業所が従業員の番号を保管するにあたっては、安全管理措置を適切に講ずる必要があるとされていて、不充分であった場合、多岐に亘る非常に重い罰則が規定されている。しかし、文面には「むやみに」とか「充分な」などという曖昧な表現も散見され、恣意的な運用が為される心配を排除出来ない。
 そこで当面の勤務先への対応としては、番号の提供は拒否しないが保留する。すなわち責任の所在を明確にすることと、どのような安全管理措置が講じられるのかを解りやすく説明すること、及びその文書化を勤務先に要求し、それを検討したうえで番号を提供するかどうかを判断する、という対応をとることにする。それ以外については、公共機関に対してのみ開示し、それ以外については一切拒否する。これが、現時点で出来る、この制度に対する合法的な抵抗手段ではなかろうかと思う。
 なぜそのようにするのかというと、この制度が政府の説明するように、公共サービスや税の徴収を一元化して効率を上げるためだけに使われるのであれば問題はないのだが、三年後に予定されている民間利用が始まると、あらゆる個人の活動や言論が把握されてしまう危険が充分現実的であり、むしろそちらの方に制度の目的があると考えられるからである。税金や年金や社会保険と直結されるだけなら合意出来るが、銀行、信販、インターネット上のSNSにおいても個人が特定されていくだろう。現在でも検索エンジンを使えば、誰がいつどこでどんな言葉を使ったかを検索出来る。中国で、天安門事件の記念日と関連のある「89」や「64」という数字がSNS上で監視されていた事実は、記憶に新しい。これは、神経質な問題に対する発言や行動に対する監視と統制が、インターネット上で実行し得ることを示した。日本でも安保法案の陰に隠れて刑事訴訟法の改正案が衆議院までは通過したが、この案には、取り調べの可視化など透明性を確保する要素と同時に、事実上の盗聴の自由、すなわちネット上の発言を合法的に監視出来る法律が成立寸前まできて、監視社会へ道を開くものになっている。その危険から逃れるためには、マイナンバーを受け取りはするが出来る限り使わないこと、インターネットを介したクレジット・カードによる決済も止めこと、ポータル・サイトで常に自分の個人情報を監視すること、皮肉なことだが・・・。結局のところ、自由を得るためには非常に高くて不便な代償を払わざるを得ない。それでもやる。
 国家権力が国民に対して牙を剥いて襲いかかってきていることをひしひしと感じる。そこから逃れるためには、有効な自己防衛の方法論の共有と、人によって自分を変えられない強い意志を持つことしかないだろう。
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