2015年12月31日

20151230 せやからいうてるやんか

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 もう全く、なんて言うたらええんやろね、言っておきたいのだが、私はマイナンバー制度を曲解してるわけでも通知カードの受取を拒否してるわけでもない。むしろこれらは積極的に受けとって、自分の個人情報がどこでどのように扱われるかをきちんと監視したいと思ってる。だからね、3回も事前に再配達予約入れてるわけやから指定日時通りに持って来んかいや。なんでおらんときに持って来る ?? おまけに初めての不在の翌日に一回、更に今日も事前に確認して郵便局まで足を運んどんのにやね、一度は外交員が持って出てます、今日は既に保管期限切れてますて、せやから予約しとんやないのずっと前から・・・
 言ううとくけどね、私は制度に反対しとんやない、制度を運用するんやったらきちんとやってやて、頼んでるだけや。勤務先に対してもそうや。従業員が本社に個人番号を渡した後、それをどのような管理体制の許で運用するのかを具体的に知りたい、と要望しただけや。なぜならそれはもう決まってる筈やから。でないと法令違反や。個人番号は、言わば個人情報を開く合鍵や。それを渡せちゅうんやから、その前に自ら安全管理体制について説明してくるのがスジや。それが間際まで説明もなく、しかも提出を急かしてくるから、こちらから要望を出したんや。しかるに非公式に得られた返事らしきものは、制度の目的や説明、次に従業員が本社に提出するやり方についてやった。違うんや、オレが訊きたいのは、提出したあと本社がどう扱うかや。はっきりそう言うてるやんか。
 見かねたのか直属の上司が、非公式に社内の個人情報取り扱いマニュアルをプリントしてくれた。全部読んだ。しかしそこに書いてある大半は総務省のホームページをそのままコピペしただけのもので、要するに法の主旨と従業員への対処の仕方だけや。しかも、それらは取扱手順であって、管理体制ではない。手順通りに仕事をしないのが当たり前のブラック企業で、個人情報の取り扱いだけが手順通りに行われる訳がない。ほななんや、最近従業員出入口の脇の壁に、完全取得店舗とそれに次ぐ店舗の名前が星取り表として張り出されて、おまけに「あと3人やて」なんて噂がまことしやかに流れてくる。嘘や。オレは未提出の奴5人は知ってるぞ。先日、上の人から「どないなっとんでしょうね」て言われたから「こっちが訊きたいくらいですわ」と答えたった。あのね、オレは一言も拒否してない。質問に答えて欲しいだけや。
 まあオレは子供の頃からそうやったから「またか」て感じやけどね。みんなで赤信号渡ろうちゅうのに躊躇して捕まるんはオレひとりや。オレは渡ってないやんけ。なんでオレを捕まえるんや。窃盗の嫌疑痴漢の嫌疑ストーカーの嫌疑嫌疑嫌疑嫌疑嫌疑嫌疑嫌疑嫌疑嫌疑嫌疑・・・不当な嫌疑嫌疑は枚挙に暇がないぞ。NOx-PM法の時も、新規就農の時も同じや。オレは法律を尊重してる。守ろうと努力してる。そのかわり法律もオレを守る義務がある筈や。それがなんや、今回は法律がオレを守れるかどうかを知るための番号が知らされへんねやんけ。番号を知らせろよ、簡易書留の扱いごときでこんなけトラブって安全ですから安心しろという方が全く無理な相談やろ。特にオレみたいな人間にとってはな。
 ほんまに、こんな不愉快抱えて年越したないわ。
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20151225 iMac MK142

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 「今年の自分へのご褒美は、なし」と言いながらiMac (MK142)を買ってしまいました。愛用中のMacBook 1.1 (2006) の冷却ファンがいよいよ抜き差しならない状態になってきたらしいので、こいつが生きているうちにファイルを整理してバック・アップを取り、来年からiMacに必要なものだけを移植して新年のスタートを切りたいと思ったのです。どうしても調べものにインターネットは欠かせないし、どんどん新しい技術が入ってきて、端末がそれに対応できないようでは、実際に困るからです。まあしかしMacBook生活も10年、酷使した割には良く動いてくれたと思います。来年からはOSを10.3に落とし、CPUの負担を軽減した状態で、インターナルな作業専用にしようと思います。

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で、未整理の音楽ファイルを整理していましたら面白いのが出てきました。Cyrano de Bergeracの話が出てきましたが、当時17世紀の宮廷サロンでの音楽詩の朗読を紹介したもので、「L'autre monde ou les Etats et Empires de la lune (もう一つの世界、あるいは月の諸国と諸帝国)」の冒頭の部分を器楽の伴奏とともに演出したものです。当時の宮廷では、フランス語の正しい発音や抑揚を大切にすることが良いとされていて、それが貴族のステータスだったようです。このようにフランス語特有の話し方が誇張され、後の歌劇やオペラへ発展して行ったものでしょう。17世紀のヨーロッパの音楽は、中世における典礼音楽一辺倒の世界から、徐々に宮廷音楽が盛んになってきた頃です。ルネサンス以前においては、音楽は、人知の及ばぬ神に近づくための手段として位置づけられ、それとは別に庶民の音楽があって、教会の権威というものは絶対的なものとして、庶民の生活にも深く君臨していたものと思われます。だから典礼音楽には、仮にそれが作為であったとしても、神への畏敬の念に満ちた真剣な気持、人に媚びていない清純な響きが聞かれます。しかしルネサンス期以降になると、徐々に科学の目や論理学の目が宗教的価値観の中にも向けられ、神の権威を現実的なものと捉え、あるいは世俗の権威と神の権威を分けて考える、すなわち今で言う政教分離の考え方が産まれたことによって、音楽も典礼音楽とは別に、宮廷音楽というものが発生してきます。世俗権威の象徴である宮廷におけるサロンでは、音楽や演劇、詩の朗読などの文化が発展し、古楽からバロックへと時代は進み、やがて大演奏家たちの時代になって、今に引き継がれるクラシック音楽のひとつの大きなジャンルを形成することになります。私は基本的にクラシック音楽が嫌いで、その理由のひとつに「クラシックくささ」があると思います。それが臭いはじめるのが、ちょうどこの17世紀の宮廷音楽からで、もちろん教会と密接に結びついて活動していた当時の作曲家たちの典礼音楽にも、その手垢は練り込まれていて、そうじて17世紀以降の西洋音楽は、一部の例外を除いて聴くに堪えないものになって行きます。まあ、そうして限界線あたりの音というのは、なかなか意味深長なもので、わりとどのように表現されてたりもするので、ファイルの整理にも時間がかかるというわけです。まあこういうことをやってる時間が最も平和ですな。


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20151223 今シーズン総括

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 ようやく冬野菜がたけなわに。加工品も合わせて出荷、キムチ漬込み用トウガラシセット・干し柿・ドライニンニク・コリアンダーシードなど、乾かして保存が効くもの、ほつとくと劣化するものは加工して現金化する。といっても微々たるもんやが・・・今日は日本の祝日で、明日はキリスト教国の祝前日で、まあなんとなくおめでたいような気がせんでもないし、農作業は一応全滅続きで終ったし、たまにゃあワインでも飲んだくれて昼真っ赤らべろんべろんになろうかいなあ。選んだワインは、ボルドーの南Bergerac 、17世紀に月への旅に出て現地人と楽しく交流するというSFの草分け的作品を書いたことで有名な哲学者のCyrano de Bergeracとは縁もゆかりもないそうだが、豪快なることその名のごとく「猪の血 (Sang du Sanglier) 」の2011年、どっしーんとくるフルボディにむせ返るような分厚い芳香・・・こーゆーのんにはウチの小麦の麬を伸ばして焼いたクッキーとトルコ産ブラックオリーブのペーストなんちゅのが良う合うんや。胃袋のバイアス電圧がかかったところで、長芋そうめんに卵かけて喉を滑らかにしてメインに備える。メインは鶏鍋にハモの天ぷら、体が温まると酔いもぐんと加速して既にぐらんぐらんの状態で、ちょっと冷やし系デザートに自家製干し柿のリベンジバージョンとジャスミン茶、しめくくりは今日の出荷の際にお客様から頂いたシュトーレンにエスプレッソ・・・次の瞬間床に突っ伏して暗くなるまでおっ昼寝~~~zzz

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 しかしなんやねえ、今年はいろいろ馬鹿馬鹿しいことが重なって国の方向が大きく変わったり、プライバシーに土足で踏み込んでくるような制度が出来たり、呆れるような決定の連続で原発が再稼働したり、異常気象で得意作物がほとんど全滅したり、親しい友人が三人も亡くなったり、もうこんぐらいにしといてや、ショックに耐えられへんから・・・

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 まあ今年の農作業の総括でもしときましょか。今年は全滅が多かった。よって綜合得点は40点、したがって今シーズンの自分へのご褒美は、なし。CD爆買いも、なし。あるものを聞きましょう。さてと原因が解らん。去年まで2年続きのジャガイモの全滅も、たぶんモグラの掘った穴を通ってきたネズミによる食害であろうとは思うけれども、花の咲く前に黄色く枯れはじめたので、タイミング的に芋が出来るよりはるか前なので、ネズミの食べるような状態でなかった筈。今年は同じ条件で場所を変えただけだが、全く順調に収穫できた。

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 そのあとがいかん。キュウリニガウリ冬瓜が全滅、トマトピーマンししとうトウガラシもほぼ全滅、サツマイモが全滅、インゲンもほぼ全滅、大豆は昨年より質量ともに半減以下。おまけに干し柿全滅。結局稲作だけは昨年より良かったので食うには困らんけれども、これらの全滅の原因がさっぱり解らん。カボチャとジャガイモなど腹の足しになるやつをちまちまと出し惜しみしては食いつなぐ日々である。葉っぱものは、既に土手の雑草に切り替わりつつある。俗に言う「土が痩せてきた」状態が深刻化しているのだろうか、ためしに来シーズンは畑を二年一策とし、休ませる間に自然由来の藁などを積んで土作りにあてることにする。

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 稲作は結果的に昨年を上回る出来だった。しかし改善の余地もある。先ず苗代作り、圃場を仮の苗代にして、苗取りの後田んぼにする転換作業は以外に手間がかかり、異種混入のリスクも増える。また、密に播いてしまうと互いに牽制しあって良い苗が出来ず、疎播に心がけると間に雑草に入り込まれて稲苗が負ける。多く播きすぎると良い苗を選ぶのに時間がかかり、少なすぎると全滅の危機に曝される。来シーズンは、全く別の遊んでいる区画を苗代とし、冬のあいだにそれを整備することから始めたい。定植後の除草も、鍬で表土ごと除去すると根が傷み、除草された亡骸が堆積して栄養の分布に偏りが出て稲が徒長する。これを改善するために、間歇溝の幅を広くして鋏で除草できるように圃場の溝の作り直しを終えた。これでたぶん大きな圃場の変更はせずにすみ、来シーズン以降は3年2作に減反するので、作業にかなりの余裕が出来る筈だ。そのぶん、現金収入を増やす方策にあてたいと思う。

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20151219 Angel Canales

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Angel Canales: Different Shades of Thought (LP, Selanac, LP-8882, 1982, US)

Tenemos Que Echar Pa'lante   
Quantanamo   
A Usted   

Nadie Como Tu   
Faro De Luz   
Baby Please Don't Go   
La Sombra

 サルサいきましょか、その膨大な音楽シーンと華麗な演奏やダンス、おしゃれで開放的で華やかで、男女のロマンスをこれでもかこれでもかというくらい肯定的に押し付けてくる音楽もこの世にまたとないといえよう。日本にもファンは非常に多く、私ごときがなにかものを申し上げることは非常に憚られるのであるが、敢えて言いたい。「わたしはアンヘル・カナレスがこよなく好きだ。」サルサといえばアンヘル・カナレス、なにをもとりあえずアンヘル・カナレス、もろ手を上げて、泣きながら笑いながら「わぁぁぁぁぁぁぁぁいっ」て、もう全身全霊でアンヘル・カナレス、本当に大好きなんですよこれが。
 なにが良いかといって全部良い。とにかく良い。しかし私が良いというからには何かある、そう考えるのは至極当然です。アンヘル・カナレス・・・はっきり申し上げて、好き嫌いが極端に分かれるアーティストです。なぜなら、サルサの真骨頂である構成美、美しさ、軽快さというものを、言わば土足でぶち壊して行くように聞こえる、あるいは全く解ってない、はっきり言って下手、たんなる下品、などなど、散々な酷評を聞いたことがあります。しかし、演奏を良く聞いてみれば、ものすごく強固な土台の上に、緻密に構成されたバッキング、しかもそれでいて、全ての音符に濁"点"がついているのかと思われるほどのアクの強さ、雑味の厚さ、エグだらしさ、なんといってもティンバレス奏者がキックを踏んでいるのをみたのは初めて、それらをミュージシャンたちが実に楽しんでいる様子が録音を通してさえありありとわかる。それは想像しにくいことです。きちんとした楽譜によるアレンジがなければ実現できないアンサンブル、楽譜に基づいて演奏されていながら、それをぶち壊して行くような躍動感とセンス、まさか楽譜にその様な指示があるわけでもなかろうに、それがものすごいのです。更に、その上で暴れまくるようなスキンヘッズのおっさん、彼こそはアンヘル・カナレス、自分のレーベルを設立し、名字のアルファベットを逆さ読みして「Selanac」と名付ける人をくった性格、要するに変態はげおやじ・・・だから嫌いだという人と、だから好きだという人に、評価はまっぷたつ。
 LPが8枚出ていて全部持ってます。調べてみると、まだまだレア音源はあるようですが、持ってるもので充分です。これらは盤としてはもう入手困難ですが、音はいくらでも聴けます。そのなかで紹介するのは1982年の7作目、もうこのジャケットで私ヤラレました。破天荒な彼の音楽世界の中でも、心・技・体が充実しきった溶岩のような演奏です。それでいてジャジーで、ブルージーで、ラティーノで、ゴージャスで、派手で、えぐくて、もう堪りません。なんとトランペットに若き日の大野俊三氏の名前、ボクサーのようなギラついた顔してはりますなあ・・・
 言葉だけでは足りますまい、ちょっと古い曲で故郷Puerto Ricoを歌った曲の、おそらく故郷でのライブ、壁にバンド名が書かれてあるので、おそらく本拠地でしょうか、また、多分曲が出来た当初でしょうか、イントロがシャープに始まって彼が歌おうとすると、なんと観客が歌詞を大合唱し、その歌声はマイクを通した彼の声を上回って、彼は感激のあまり泣いてしまって歌になりません。でも観客が後を引き継いで合唱し、演奏と観客が呼応して盛り上がっていくのです。彼は目を泣きはらしながら、ようやくBombaに入って行きます・・・私ももらい泣き。



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20151218 Cuarteto Mayari

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El Cofre Musical del Recuerdo Cuarteto Mayari de Plácido Acevedo (LP, Guarani, GLP-200, 19??, Puerto Rico)

Tema-Orlando Rimas
Boda Gris
Tempestades del Alma
Amarga mi Existencia
Tus Besos
Inferno y Cielo
Entre los Golfos

Pobre Bardo
Fantasia
Desvario
Risa Loca
La Cruz de mi Dolor
Hierme sin Compasion

 これをカリブのイージー・リスニングとくくるわけには行かないけれども、LPジャケットのイメージからは、明らかにそういう戦略が見て取れる。これはPuerto Rico人のフルート奏者Plácido Acevedo (1903-1974) が率いた「Son」のグループである。
 キューバに革命 (1959) が起った後、キューバはアメリカと断交した。それにともなって、アメリカ在住のキューバ人も帰国することになり、カリブ音楽の一大旋風であったキューバの「Son」の演奏家が少なくなった。それを救う形になったのが、ドミニカ島を挟んで東にあるPuerto Ricoである。第二次世界大戦後のPuerto Ricoは、カリブ海の主要な島国が独立を遂げるなか独立運動もあったが、結局のところアメリカが内政自治権を与えることによってこれを懐柔することに成功した。現在も、カリブ海諸国の中で唯一アメリカの自治連邦区 (commonwealth) という特殊な位置づけとなっており、住民はアメリカ国籍を持つ。しかし、住民はスペイン語を話し、人種構成や文化はカリブ海地方のものであり、音楽的な影響も、他のカリブ諸国と全く同じ経緯を辿っている。しかしジャマイカではスカからレゲエが、ハイチではメラングからコンパが、ドミニカではメレンゲが・・・という具合に、個々のアイデンティティを規定する音楽があったのと、国外への渡航であるか否かというハードルの高さの違いなどがあって、Puerto Ricoのミュージシャンたちが、アメリカの音楽シーンにキューバ人に替わって流れ込むようになった。まだ「Son」は、他の音楽と融合しはじめていなかったので、彼らはキューバ風のスタイルで演奏しはじめた。その後、1970年代に入ってブラック・ミュージックの旋風が吹き荒れるとともに、彼らの演奏する音楽もそれらと融合して、様々なラテン的なポピュラー音楽に発展分化していく。そのうち最も大きな流れとなったのが「Salsa」である。
 まあそんな歴史的な概観は措くとして、混沌の過渡期というものは、どんな動きでも非常に面白いものだ。「Cuarteto Mayari」の演奏は、あきらかにキューバ風の「Son」である。しかしキューバの、なんというか乾ききった、枯れきった、しかしどこか憂いのあるブルージーな世界とは少し違う、より拡張性があるというか、ものすごく良いのである。
 このレコードを手に入れたのは、まだラテン音楽のことなど少しも知らなかった頃、とあるラテン音楽専門のレコード屋へおそるおそる入って行って、ほとんど問答無用に半ば強制的に買わされたもののひとつである。もう30年以上も前のことだから、まだCDは我々にとっては一般的ではなく、インターネットも当然なかった。このようなレコードを手に入れるには、それこそ専門店の主人と仲良くなって、いろいろ教えてもらって、奨められたものを買っていくしかなかったのである。一見で店に入っても、最初はほとんど口も利いてもらえない。大抵そこには、その世界のマニアがたむろしていて、新入りは先ずその序列の最下位に甘んじなければならない。新譜や良い作品は、取り巻きのマニアたちが先に買ってしまうので、新入りには手が出せない。新入りは、主人の勧めるままに、店の不良在庫を一通り買い終らなければ、まともに取り合ってもらえないのが、暗黙のしきたりのようなものだった。私がそれに耐えたかというと、決してそんなことはなく、その店に行ったのはほんの数回だけだったのだが、たしかこのLPは、2回目に行った時くらいに渡されたものではないかと記憶している。店のカウンターの脇にはカーテンがあって、主人が「マイペの2番」とか、レコード番号だけを言うと、奥から「はい」と女のひとの返事が聞こえ、もうすでに袋に入れられてカネを払わなければならない雰囲気になっている。黙って払ってそこを出るのである。持って帰って一度だけ聞いて、「もう二度と行くか」・・・なんともやりにくい店であったのだが、たしかもう一回だけ行って、ハイチのコンパのことを訊ねたら、なにかえらく叱られた覚えがあって、それ以来行っていない。それを今回何十年ぶりかに出して聞いてみると、上のような様々なことが思いが至されて、内容もとても良い演奏だということに気がついた。あの頃は若くてもまだ何も解らなかったのだ。歳を重ねてこそしみじみと良さが解る音楽もある。ああオレも歳とったんだな・・・


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20151218 Namorados Caribe

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Orquestra Namorados do Caribe e sua Música Maravilhosa (LP, RCA Victor, BBL-1370, 1966, Brazil)

Girl (Lennon-McCartney)
Thunderball (Barry-Black)
Lara's Theme (M. Jarre)
Nessuno mi può Giudicare (Panzeri-Pace-Beretta-DelPrete)
Una Casa in Cima al Mondo (Donaggio-Pallavicini)
Michelle (Lennon-McCartney)

Day Tripper (Lennon-McCartney)
Moment to Moment (Johnny Mercer-Henry Mancini)
J'aime (S. Adamo)
Aline (Christophe)
Dio, Come ti amo (D. Modugno)
Yesterday (Lennon-McCartney)

 名前に「カリブの・・・」とあるがブラジルのグループである。これぞまさに究極のイージー・リスニングといえる演奏で、ロックでさえもラテン・テイストに仕上げてしまう熟練の演奏は、音楽という音楽の地獄を舐め尽くした後に訪れる穏やかな笑みのようですらある。1966年というと、ブラジルでは軍事政権が強圧的になりはじめた頃であり、第二次大戦以降比較的リベラルな政治が続いていたものを、キューバ危機で飼い犬に手を噛まれたかのように思ったアメリカが、ときの軍部にテコ入れして傀儡政権を樹立させ、広大な南米大陸に於ける利権を確保しようとした。クーデターによって政権を握った軍部は、その後国民に対する弾圧を強め、民主主義が大きく制限された。音楽シーンでは、既にBossa Novaはマンネリ化しつつあって次のステージへ脱皮しようとしていた。そのひとつがトロピカリア運動であり、それは反戦平和と民主化運動へと繋がった。そして当然、軍部はこれを弾圧し、多くのミュージシャンやアーティストが亡命した。他の国でも似たような状況だった。アメリカは、自らの裏庭と見做しているカリブ海から南米大陸をより自らの勢力下に引き締めておきたいという外交政策の許、その利権に甘んじようとした各国で軍事政権がこれを牛耳り、民衆がそれに反発し、それを政権が弾圧し、民衆が過激主義に走るということを繰り返して、様々な不幸が沸き起こった。ブラジル・ペルー・チリ・アルゼンチン・コロンビア・ベネスエラ・ニカラグア・エルサルバドル・メキシコ・・・要するにカリブ海から南米大陸の全てである。どこかの国もそうならんことを祈りますが、そんななかでさえ、このような幸せな音楽が演奏され、録音され、楽しまれてきた。音楽とはそういうもんかも知れない。現在のブラジルでは、そのような歴史からか、非常に反米感情が強く、果たしてこのような音楽が可能かどうかは解らない。この録音は、ブラジル人たちが、今のように反米感情を抱く以前の、幸せなバランス感覚の中で実現したものなのかも知れない。とすれば、アメリカも貴重な知的財産から反感を喰らったもんだ。そろそろ黙って人々の声に耳を傾けたらどうだ。
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20151218 Felipe Dulzaides

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Felipe Dulzaides y su Orquesta: As Time Goes By (CD, Bomba Records, BOM814, 1998, JP/ 原盤はLP, Discuba, LPD 546, 1960?, Cuba)

Danza Negra
EBB Tide
Quiet Village
Manhattan
Concierto de Otoño
Tenderly
Casa Blanca (As Time Goes By)
Candilejas
Cerezo Rosa
Verano de Amor (Summer Place)
My Reverie
Pic-Nic

 Puerto RicoからSalsaへ参ろうと思っていたのだが、ひとつ大切なことを忘れていた。Salsaへ行ってしまうともうNew Yorkにどっぷりはまりこんでしまうので、その前にカリブ海ならではの良質のイージー・リスニングをいくつか紹介しておきたい。
 Felipe Dulzaides・・・キューバ人である。ライナー・ノートによると、録音はキューバで1960年2月に行われたとある。革命 (1959) の翌年、しかし当時のキューバは革命を社会主義革命とは位置づけておらず、カストロ議長もゲバラも、アメリカとの良好な関係を模索していた時期である。その後のアメリカの敵視政策によって、キューバは翌年(1961) にソ連への接近を始め、東西冷戦下最悪の「キューバ危機」を招くことになる。いってみれば、この録音はそんな激動の時代の最中に録音された。革命は、当初自由と解放を目指したもので、反米でも親共でもなかったが、革命の理想はアメリカ帝国主義の現実の前に取り舵をいっぱいに切って対抗せざるを得なかった。生き残るために。そこに様々な矛盾と残忍な粛清が横行し、楽園を目指した筈のキューバは、血塗られた歴史を辿ることになる。アルバムのジャケットからは、全くそんな惨劇を想像できない。音も全く同じである。他に類をみないほど、神経に触らず、何かを主張するでもなく、媚びるでもなく、ただひたすらにおだやかで、幻想のカリブの楽園を表したかのような良質のトロピカル・インストゥルメンタル・ミュージック。しかしだからといって、腫れ物に触るような腰の引けた音ではなく、きりっと引き締まったベース・ラインとリズム・セクション、こんなことがあって良いのかとさえ思う。いまになってしみじみし思うのだが、やりたい音楽は究極のイージー・リスニングかな・・・と・・・

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20151218 Buena Vista

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Buena Vista Social Club (CD, Nonesuch, 79478-2, 1997, US)

Chan Chan
De Camino A La Vereda
El Cuarto De Tula
Pueblo Nuevo
Dos Gardenias
¿Y Tú Qué Has Hecho?
Veinte Años
El Carretero
Candela
Amor De Loca Juventud
Orgullecida
Murmullo
Buena Vista Social Club
La Bayames

 やはりキューバ音楽を語るにあたってこの作品に言及しないわけにはいかんでしょう。Ry Cooderとその息子がキューバに渡り、現地で地道に活動を続けていた老ミュージシャンたちと知りあってセッションを重ねて仕上げた企画作品。アルバムは世界的に大ヒットし、ワールド・ツアーが行われ、ドキュメンタリー映画も制作され、参加ミュージシャン個人のアルバムが同クラブ名義で続々と発売されて、一大ムーヴメントを引き起こした。しかしメンバーの半数は既に亡く、残ったメンバーを集めてなおもソロ活動を続ける様子は痛々しくもある。
 一連の同クラブの作品のうち端緒となったこの作品と、Ibrahim Ferrerのソロが良い。個人をフィーチャーしたアルバムは、やはり主役を引き立てることに主眼が置かれているので、もちろんそれはそれで良いのだが、それよりもっとざっくばらんに様々な演奏が聞ける本作の法が内容が豊かだ。おそらく初めて国際的な場に立つことへの戸惑いや悦び、意気込みや実験的試みが随所に散見されてとても面白い。もちろん演奏されているのは、「Son」全盛期のキューバ伝統的な音楽形式を尊重したもの、María Teresa Veraの項でも紹介した「Nueva Trova」の名曲中の名曲 "Veinte Años" のように、もっと古くから歌い継がれているものもある。アルバムのクライマックスは、その"Veinte Años" 以下4曲であろう。特に古き良き「Son」のアフリカン・オリジンな空気感が色濃く滲み出た名曲 "El Carretero" は、まさに新録だからこそ出来た歴史的名演、往々にしてトランペット・トレス・ボンゴの甲高い音が交錯するキューバ音楽だが、もっと低くて深く豊かな情感を持つことがしみじみと感じられる。この曲は、後にコンゴの老ミュージシャンたちを集めて企画された「Kekele」も採り上げて演奏しているが、ルンバ・クラーベを反転する際の挿入節の使い方、というかキューバでは挿入するのだがコンゴでは削除するのが美的感覚に合う、という音楽的美意識の違いまでが映し出されて、全く奥深い名曲である。もうちょいいろんなん持ってるけど、紹介しておきたいと思うのんはこんくらいかな、ほな隣のPuerto-Ricoからサルサへ参りましょか・・・

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20151218 NG La Banda

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NG La Banda: En La Calle (CD, Qbadisc, QB 9002, 1992, US)

La Expresiva'
Los Sitios Enteros"   
Necesito Una Amiga'
La Pritesta De Los Chivos    '
To´el Mundo E´ Bueno Camará    '
Un Tipo Como Yo   
Por Que Tu Sufres Con Lo Que Yo Gozo"
Lo Que Siento Es Lo Ley'
No Se Puede Tapar El Sol"

 1992年の事、作家の村上龍氏がプロデュースして日本に紹介したことで日本で知られるようになったキューバのバンド、「NG」とはNueva Generationの略である。日本語では「エネヘ・ラ・バンダ」と紹介されている。1989年にHavanaでフルート奏者のJosé Luis "El Tosco" Cortésを中心に結成された。彼はそれ以前に、いわばキューバン・フュージョンともいうべき「Irakele」や「Los Van Van」に在籍しており、「Son」を中心としたキューバ音楽に様々な変革をもたらした一連の流れに位置づけられる。「Son」が、歌とトランペット、トレス (あるいはギター) とボンゴという、シンプルな編成で演奏されるのが基本であるのに対して、ニューヨーク・サルサの影響から、様々なオーケストレイションを施すようになり、あるいはソウル的に、又はロック的に、多彩な表現に対応できる形に変わって行った経緯がある。これらを総称して「キューバン・サルサ」ということもある。これらを彼らは「Nueva Generation」(新しい世代) と位置づけた。
 音であるが、非常にモダンな中にもキューバ風のマンボのニュアンスの色濃い、ゴージャスで彫りの深い演奏である。当時ニューヨーク・サルサでもドラムセットが盛んに用いられ、ベースの他にアタックの効いた重低音が喜ばれる傾向にあったが、「NG La Banda」の音は当初からそんなロック的なニュアンスが多く取り入れられている。サルサにドラムを入れるというのは案外難しく、時間を等間隔にぶった切って行く感覚で演奏するドラムを、ルンバ・クラーベの螺旋状に回って行くリズム感覚のなかに、どのように融合させるかということで多くの試行錯誤がなされてきた。ひとつの答えは、ハイチのコンパやマルチニークのズークのように、キックを等間隔で入れて高音でルンバ・クラーベを出す方法、あるいはサンバ・エンヘードのようにざらついたスネアの音色を柔らかく使って、アクセントでルンバ・クラーベを出す方法など、いろいろあったが、いずれもドラムと一線を画してキックの入らない特有の軽さを身上としてきたサルサの嗜好性のなかに、なかなか美味く溶け込まなかったのである。そこで試みられるようになったのが、拍子の頭を外して入れるベース・ラインのアクセントに沿ってキックを入れ、スネアを極めてタイトにミニマルに入れる方法であった。しかしこれが技術的になかなか難しい。なぜなら、右利きの場合、右足の裏拍と左手の裏拍が交錯するからである。なかなか両手両足のスムースな流れを作ることが出来ない。しかし一旦慣れてしまえば、このテンションの効いた、いわばひねくれた演奏方法は、これらのやや屈折した音楽性にかなりしっくりする。そんな緊張感が全編を覆う良い作品である。
 「NG La Banda: En La Calle」というタイトルは、実は彼らの1989年のデビュー盤 (LP, Egrem, LDS-4656, 1989, Cuba) と、その後に録りためられていた数曲を合わせてCD化したもので、上記曲タイトルの末尾につけた「'」印がデビュー盤LPに収録されていた曲である。このCDの曲名表記のうち2曲目の"Los Sitios Enteros"は、CDでは単数形になっているが、文法上複数が正しく、他の収録盤でも複数形になっていることから複数形で表記した。またCDのスリーブの裏側は、デビューLPのジャケットがあしらわれている。「NG」のバックの地色が本来緑色であるという違いはあるが・・・このLPからはCD化に際して"Que Viva Changó"という曲が外されている。また、同年に日本で発売された村上龍氏のプロデュース・アルバム「NG La Banda: Nueva Generation (CD, Kitty Records, KTCR-1182, 1992, Japan) 」とは「"」印の3曲が重複している。この日本盤CDは、これら3曲以外はかなりラップ調で、ルンバよりも8ビート系のロック的な感覚が前面に押し出されている。同年に行われた日本公演でも、大半の曲がそんな感じであったことを記憶している。「キューバン・サルサ」のひとつの時代を画したバンドであり、現在も活動中で村上龍氏もプロデュースを続けておられるようである。

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20151218 Tito Puente

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Tito Puente: Tito's Puente in Percussion with Mongo Santamaria, Willie Bobo & Patato (LP, Tico Records/ Sonodisc, JMTS-1422, 1978, FR)

Four Beat Mambo
Stick On Bongo
Congo Beat
Timbales Solo

Tito On Timbales
The Big Four
Swinging Mambo
Tito And Mongo On Timbales

 ラテン・パーカッションの大御所が一堂に会して叩きまくるアルバムである。これは一般的なリスナー向けのものというより、ラテン・パーカッションを志す人が、先ずは打楽器同士でどのようなアンサンブルが成り立っているか、それぞれの音がどのようなグルーヴを持っていて、それがどの音とどのように絡み合ってひとつのリズム・セクションをなし、それがオーケストレイションの中でどう活かされるかを研究する教則音源として実に適当な内容である。タイトルを見れば解る通り、様々な音楽形式や局面のなかで、どんな楽器をどう活かすか、非常に解りやすく演奏されている。これほど良いサンプルを私は知らない。ヘタな教則DVDなんか見て儚い夢を見続けるよりも、これをじっくり聴いて到底自分には才能がないことを思い知れば良い。それで良いのだ。音楽は身の丈に応じて楽しめば良い。そこから自分の音楽が始まる。それに早く気付くためにも、ジャンルを問わず打楽器のアンサンブルに興味のある人は、是非一度聴いてみられたし。ちなみにこれは1978年にフランスで再発されたLPだが、オリジナルは1956年 (Tico Records, Tico-1011)で、データによるとオリジナルではA-1とB-1が逆になっている。
 参加者はいずれ説明の必要もないラテン音楽界の第一人者、Tito Puente (1923-2000) は「ティンバレスの王」、それまで歌や演奏の合間にアクセントをスパイスのように効かせるのが主な任務であったティンバレスに、ソロを中心とした恰もリード楽器のような奏法を導入して確立した。それにとどまらずラテン・ジャズやサルサの確立に大きく貢献した神様のような存在。Mongo Santamaria (1922-2003) は、主にBoogalooの世界でまろやかな皮の響きをとどろかせた。8ビートのラテン・ジャズでコンガの音が聞こえれば、かなりの確率で彼が叩いているといって過言ではない。Willie Bobo (1934-1983) のみ他の3人より10歳ほど若く、しかも早逝している。コンガとティンバレスを主とするが、どちらかというと歌や楽曲のアンサンブルの中で骨格を支える縁の下の力持ち的な演奏が持ち味、ジャンルは8ビート系のラテン・ジャズに多い。Carlos "Patato" Valdez (1926-2007) は、上2人よりも土着的な音を持ち味とするコンガ奏者で、なんといっても、現在我々が普通に目にするチューニングできるコンガ、すなわち金属のリングをネジで締める形式は、実に彼が発明し特許となったものである。それまでのコンガは、長いくりぬき胴に牛皮を釘付けし、チューニングには熱を使うコンゴ風の片面太鼓であったが、彼が創設間もないLP社と組んで発売した"Patato Model Congas" はコンガのスタンダードなスタイルとなり、世界中にラテン・パーカッションが広まる結果となったことはあまりにも有名。
 要するにみんな若かった。録音された時点で、だいたい20代後半から30代前半、レコード・ジャケットから受ける印象よりはずいぶん若い筈だ。しかもニューヨークに於けるキューバ音楽を中心としたラテン音楽のシーンは全盛期から爛熟期に差しかかり、コミュニティは音楽に満ちあふれ、アメリカ社会は内包してきた黒人社会とともに、新たに参入してきたヒスパニック系の社会の定着が始まっていた。そこにさまざまな社会問題が発生し、矛盾が怒りを呼び、行き場のないエネルギーのはけ口が音楽に向かった筈だ。熱い奔流が様々な音楽を生んで互いに融合しあい、シーンにどれだけの活気があったかを想像するだけで身震いがする。そのような空気の中から、膨大な数のミュージシャンの中から頭角を現わした若き日の4人の演奏である。よくぞ残してくれました。打楽器奏者なら一家に一枚のマスト・アイテム。

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20151218 Sexteto Nacional

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Sexteto Nacional: Como Se Baila El "Son" (LP, Bravo, BR-104, 1950s?, Cuba)

Esas No Son Cubanas
Suavecito
Alma Guajira
Castigadora
Echale Salsita

Mayeya No Juegues Con Los Santos
El Bardo
Lejana Campiña
Canta La Vueltabajara
El Guanajo Relleno

 おそらくコンピレイションである。カリブ海の音楽を広く紹介するためのシリーズ物レーベルが「Bravo」であって、レコードの裏ジャケットに101から135までの作品が列挙されており、そのなかで「Sexteto Nacional」を紹介している一枚。「Sexteto Nacional」(6人) あるいは「Septeto Nacional」(7人) は、Ignacio Piñeiro (1888-1969) によって1927年に結成されたキューバにおける最も重要なバンドのひとつである。Ignacio Piñeiroは、カリブの島の歌謡のひとつだった「Son」に、トランペットとパーカッションとギターやベースなどの弦楽器、所謂ジャズ編成による伴奏のスタイルを整理して、形式として確立したといわれている。それはArsenio Rodriguezによる、より躍動的なキューバ音楽の次の時代「Son Montuno」へと繋がる基礎を作った。そしてそれらはキューバ革命によってオリジンから切り離されたアメリカで、ジャズやロックその他様々なブラック・ミュージックなどと融合して「Salsa」を産むことになる。
 「Sexteto (Septeto) Nacional」の録音は、現在では様々に編集されたCDに分散している。このLPに収められている曲は、主に再結成後の1950年代に録音されたものが中心で非常に音質が良い。「歴史的録音」といわれるものにありがちなことだが、1940年代以前の録音のものはほとんど音質が悪く、例えば「Son」のスタンダード曲を多く産みだした「Trio Matamoros」の録音は、躍動の空気が当時の磁性体のレンジの狭さに押し込められて、息苦しささえ感じられる。個人的には好きな録音も多いのだが、初めて聴く人には退屈な印象を与えかねないので割愛した。そこから演奏の良さを聞き分けるには、かなりの慣れが必要なのである。「Buena Vista…」以下一連のシリーズは、全盛期の空気を今に甦らせたいという意図で企画されたものだが、当時と今とでは音楽を取り巻く空気がまるで違っているので、録音された音質がいくら良くても、全盛期に鳴り響いていた音を感じとることは難しい。そういう点で、ここに収められた音は、ちょうど全盛期の彼等の蜷局を巻くような黒いうねり、切ないまでに繰り返されるキューバ的なリフレインが現実のものであった間に、録音技術の向上が追いついて捉えられた名録音といえるだろう。このあとキューバに革命が起ってアメリカとは国交断絶、殆どのキューバ人ミュージシャンはアメリカを去って、アメリカに於ける「Son」は低迷を余儀なくされる。そういう意味で、実に幸運なタイミングで録音されたこの曲集は、「Son」を味わうには格好の内容となっている。このアルバムそのものは入手困難だが、曲名から検索して復刻音源にあたってもらいたい。そうすれば、より深いキューバ音楽の魅力のひとつに出会えることは間違いない。
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20151216 北林純を送る夜

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 「狂気の天才ドラマー・北林純を送る夜」チラシに寄せられたマルタニさんの言葉・・・

 おれたちはよく「リードVo.のようなドラマー」と言ってた。
 どちらかというと貶し言葉だが褒め言葉でもある。
 そのドラミングには「華」があったね。
 単なるドラマーに留まらない。だからこそ長くやれたね。
 おれたちは共に「新しい音楽を作る」ことしか興味なかったから。
 奇しくもカオリーニョも弔電の中で
 「一緒に音楽を作っていた時代が懐かしい」と言っていた。
 アタマの中には音楽のことしかなかった、
 それをおれは一番よく知っている。
 この無慈悲な世の中・音楽の世界で、
 カネにはならないがブランニューな音楽を作って演奏する、
 その素晴らしさを40年近く共有できたことに感謝しています。
 出演してくれるみんなを代表して、Adieu !
 ーーーーーーーーーーーマルタニカズ
 
 そうなんよね、結局のところ全部で13曲演ったんだが、サポートかなにかで仮にも演奏に参加したことのある曲は1曲だけ、演ったことはないが知ってはいた曲は2曲、あとの10曲は全く不明で全容が解ったのが三日前、演奏するメンバーとの初対面が当日、リハのあいだに細かいことが、これが決まらずに本番突入・・・て、案の定やっちゃいましたよドデカイのんを一発、しかも北林純師匠のオリジナル曲の冒頭で、変拍子のアタマ取りきれずに脱線転覆・・・まさに恥も供養のうち、なぜならこんなキョクメンに立たされた時、北林純ならこういう風に乗り切ったのにな、とか、そのまま突っ走ってなんや知らん気ぃついたら自分が間違えたん違て周りが間違えたような結果になったのにな、とか、まあしみじみと故人を偲ぶことが出来るというもんだからである。私は身をもってそんなチャンスを皆に与えてやったのだ。修羅場をくぐり抜けてこそ人は成長する。55歳になんなんとして尚且つこのようなチャンスを与えてくれたマルタニさんに心から感謝。
 そうなんよね、おれたちは共に「新しい音楽を作る」ことしか興味なかったからね、曲そのものは土台であって、その上で何をどう演じるかは、その時のその人の力量なんよね、だから前もって綿密にリハーサルして、リハーサルした通りに本番やるってのは、ちょっと違うんよね、だから出てこいよ、やってみろよ、本番だぞって、こんなこと言うてくれる人はなかなかないんよね。マルタニさんの音楽も、私が参加してた「カーリー・ショッケール」の音楽も、別にどこかの国のなんとかいう音楽ではない。そんなことはどうでもよい。当然特定の演奏を聞いて、それらの産まれた国とか民族とか状況に敬意を表することはあっても、それをそのままやるってことは自分たちのすることじゃない。その演奏に感化された自分を音楽の上でどう表現するか、ということだった。彼等がどう演奏しているか、ということではない。そこが、楽譜通りに演奏される音楽との根本的な違いだ。楽譜を否定するつもりはない。私は楽譜の読み書きが出来ないが、自分に解るようにメモは書く。つまり楽譜だ。しかし、それはあくまでメモに過ぎず、それを基にどう演奏するかはその時次第だ。なぜなら、いくら楽譜に綿密に書かれたところで、楽器から引き出される音は千差万別で無限の幅があるからだ。楽譜の通りに演奏するということ自体、所詮不可能なことだ。
 繰り返しになるが、私は楽譜を否定しない。それどころか、各自に楽譜が配られ、初合わせまでにそれらを完全にマスターして持ち寄り、度重なるリハーサルでは、各自が楽譜通りに演奏した結果、全体としてどのように響くかを真剣に聴くクラシック音楽の演奏家たちと何度もご一緒させていただいているので、楽譜の重要性はよく認識している。しかしその場合でさえ、全体の響きを調整するために、与えられた楽譜にはしばしば変更が加えられる。それは慎重に行われるが、必ずしも楽譜が金科玉条でないことは、当のクラシック音楽家の大家達が常識として明言しておられる。それはあくまで、ある時代に演奏されたフレーズが優れていたために、それを是非とも書き留めておきたいとして後世に伝えられたものにすぎず、そのとき別の素晴らしい演奏がなされていれば、別のフレーズが楽譜として残されたであろう。同様に、同じ音楽的キョクメンにおいて、全く異なる解釈が素晴らしければ、それらは楽譜として残され、事実変奏曲として様々に伝えられているところである。
 先日このようなことがあった。やはり音楽を演奏する緩やかで開放的な集まりの中で、楽譜を中心に演奏が楽しまれていた。しかしそれはかなり古い時代の音楽で、様々な地域の音楽の要素が溶け込んでいる。ある曲が演奏されている時に、私はそれが別の地域から影響を受けた曲であることから、敢えてその地域の音楽の基本的なリズムで伴奏に加わった。それは楽譜には指定されておらず、また参加者が慣れ親しんでいる音楽とは、少し異質なものだった。しかしそれでも、基本的なリズムは別の奏者が出していたし、音楽としてそのようなテンションを与えることは、遊び心を刺激して楽しいものだ・・・と私は思っていたが、彼等の反応は全く違っていた。すぐに演奏が止まり、私の入れていたリズムを止めるようにと言われた。そこでの議論は割愛するが、要するに彼等にとっては、楽譜に書かれていないニュアンスが演奏の中に入ることは、全く相容れない演奏が土足で踏み込んできたほどに不愉快だったようなのである。私はその集まりには、始まった頃から長く参加しているし、その曲も永年親しんだものであった。年月を重ねるにつれてその集まりに参加する人たちのレパートリーも増え、調査研究によって様々な楽譜が手に入り、多くの曲が知られるようになった。その興味から、今は楽譜の解釈に集中したい時なのであろうと理解はするけれども、視野が広がったからこそ、楽譜によって木目の襞の美しさに感じ入ることと同時に、森がどこまで広がっているかをも知るべきではないのか。本の少し視野を広げただけで、その曲のそのフレーズがどこから来たものなのか、いとも簡単に知るところとなるだろう。そうすれば、その寄って来たる地域にあっては当たり前のフレーズのうち、たまたまひとつがその楽譜に採録されたことも自ずから解り、そのフレーズが持つ根源的なリズムが、私の奏でたものと同じであることも理解されるであろう。そのようにして好奇心が広がって行くからこそ、世界の音楽を聴くことは面白い。そして奏でられた瞬間に消えて行くのが音楽の宿命であるからこそ、神経を研ぎ澄ませて演奏に臨む。それは楽譜の解釈の上に立つものであると思う。そういう意味で、私は「現場主義」だ。
 北林純追悼ライブのリハーサルの最中、変拍子からルーツロック・レゲエ、更にヨーロッパ中世の古楽へと展開する複雑な組曲の中で、ワン・ドロップのドレッド・ビートから手ダブを挿入したとき、そのリズムの断絶の飛び石を、共演者であるクラシックのヴァイオリニストと売れっ子のアコーディオン奏者とソウル音楽大学主席卒のベーシストが、各人各様の対応でサーフするのを振り返ってニヤリとしたマルタニさんの表情が印象的だった。そのとき天井からひらひらと舞い落ちるものがあった。誰もがリハーサルに夢中であって、目には入っていても演奏が止まるようなことはなかったが、今思い起こせばそれは生きた蝶、複雑な構成と個々の演奏のフレーズの回数、挿入節や変拍子の扱いなどに難渋する我々の苦労を、舞いながら一瞬のひらめきの中に射止める蝶に化身した北林純だったのかもしれない。
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20151214 丹波黒大豆全滅

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 小春日和の昼下がり、陽だまりで丹波黒大豆の殻をむく。今シーズン全滅シリーズとどめの一発、この地では、ほっといてもできるという丹波黒大豆、150株くらい植えてたったこれだけ、しかも虫食いや腐敗、成長不良、変形だらけで、質量ともに全滅です。汚すぎて味噌の原料にもなりません・・・ (;_;)

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2015年12月18日

20151218 人情の兄

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 私には実の兄も義理の兄もないのだが、人情の兄というべきものがあって、その人が亡くなった。人はいつ死ぬかわからんものである。今年は、後半になって既に親しかった友人が二人も旅立った。過去に多くの友を失ったが、私の友ゆえいずれ不摂生の報いであって、死ぬ前には癌が蔓延って手の付けられぬ状態になる。したがって末期は所謂緩和療法で、要するに麻薬漬けである。あれほどヤバい橋を何度も行きつ戻りつして苦労して手に入れていたものを、今度は望んでもいないのに潤沢に体内に注入される。本人は嬉しくも何ともない。そして、あれほど明晰であった頭脳が、見る影もなく妄想に蝕まれていくのを見ることになる。我々のようなカスミを食って生きているような人種にとっては、神経からやられるののが一番こたえる。余命が限られているというのに、神経をシャブ浸けにされて死への坂道をまっしぐら、痛くもなんともない。そんなさなかに友は何かを語りかけようとする。しかし意味するところが解らない。こちらが解しかねているのを見て、寂しそうに薄笑いを浮かべて友は諦める。それを見るのは何より辛い。なぜなら、心を分かち合った友だから。
 先月病床の彼を見舞いに行った。20年も前に解散したバンド仲間であるから、一番「効く」のは過去のライブ音源を肴に、その演奏をこき下ろすことだ。
「うるっさいなお前のギター・・・」
「なに言うてんねんお前が走るからこうなるんや」
「人のせいにすな、細かいとこつまずくから全体たてなおさなしゃあないやんけ」
「なんでここでテンポ落とすねん」
「お前がソロ入れるから落とせ言うといて本番なったら忘れとんやんけ」
「ほななんかリフ入れて隠さんかい」
「そない自分の都合のええようにばっかり行くかいや、お前のために伴奏しとんちゃうぞ」
・・・とばかりに、まあ20年以上たっても自分らの演奏を聞くと、ライブ直後の楽屋の喧嘩が再現されてしまう。おかげで麻薬漬けで神経の飛んでた友も、やがて現実に舞い降りて論争に加わり、揚句の果てには、全員楽器を持ちだして20年ぶりの再々結成セッションとなった。最後の奇跡であった。
 兄の死は、事情があって今日まで伏せてあった。連絡の行き渡らなかった友には申し訳なく思う。兄の最後のパートナーとなった女性との幸せな年月は短かった。しかし彼女は心からの誠意を行動で示し、最期の時まで彼の側から離れなかった。寝たきりに近い状態になってから独学で介護を学び、一通りの手当を身につけて彼のために尽してくれた。彼のこれまでの人生、そこに蓄積されてきた50年余りの年月、そこに彼女の人生が共鳴し、「ジェットコースターのよう」に一瞬で駆け抜ける、命がけの共同生活だったという。幸せとはかくも凄まじいものであることかと、しみじみと思い知らされる。
 その凄まじい共同生活の場から、彼がいなくなった。物言わぬ彼を送り出した後の彼女の心境を思いやると、心が引き裂かれそうになる。訃報は彼が亡くなった日の午前中に届けられた。奇しくも先日亡くなった師匠の追悼ライブのために家で曲の確定に取りかかっていた最中だった。涙は、まずはライブ本番を終えてから、ゆっくりと・・・かつての我々の演奏を聞きながら、ゆっくりと・・・

http://jakiswede.com/2mus…/21acts/213karly/2130karly_fr.html

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2015年12月10日

20151210 畔シート外し

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 全ての田の畔シートを外す。東畑本田は既に溝位置や幅の修正も終えているので、シートを撤去するだけである。7列植え8レーンである。

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 今シーズンは除草の効率が思ったほど上がらなかったことが課題として残った。植え枠と植え枠の間に身を潜めて横方向に除草するという目論見は良いとして、身を潜めるのに幅が狭かったので、それを少し広げて余裕を持ってしゃがみ込めるように測量し直す。 東畑脇田は両端が決まっているので、溝を広げようとすると、植え位置を1列削らざるを得ない。ここのみ6列植え3レーンとなる。このあと掘り上げた土を全体にちりばめ、茅葺き職人から頂く予定の古茅を敷き詰めることにする。

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 新畑脇田の仮畔は少し狭かったので、これを期に広げることにして、畔土は仮畔の上に上げておく。同時に圃場から来シーズンの畔土を寄せておく。モグラの被害は、特定の場所に集中している。これは彼等の通路がだいたい一定していることをあらわしている。

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 ここも除草用溝幅を広げる。植え枠7列 + 3列 の切り方で4レーン行くと、隣家の林の下の日陰に入り込むことになるが、日陰だからといってさほど大きくは作柄に影響しないことを経験済なので、横に規定幅分だけずらすことにした。稲藁を敷き詰めて完了。

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20151210 麦踏み

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 なんとか努力の甲斐あって、第一期干し柿のうち、これだけは救出出来ました。状態をよく確認して、一度黴びたものであることを周知の上で、半額にて出荷します。

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 畑の小麦「ユメシホウ」の成長著しいので、一度麦踏みしておこうと思います。田んぼの小麦の方はまだ姿が現れないので、土質の違いが原因と思われます。したがって、稲の裏に麦をやるのではなく、麦の表に稲をやるという考え方に変えようとお寝います。つまり、稲を栽培した後の冬は土を乾かし、翌年は稲の作つけをせずに秋に麦を蒔く、翌々年に麦を収穫したら稲を作つけする。

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20151209 冬の出荷

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 出荷は冬野菜と穀物が中心になってきました。

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20151209 丹波黒大豆収穫

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 丹波黒大豆収穫。今シーズンは新畑脇田の畔豆には全て青大豆を植付けたのと、用意した苗数が足りず、東畑の一部の畔には植付けが出来なかったことが原因で、栽培出来た株数が少ない。さらに枝豆として収穫したものも多く、黒豆として残されたものが少なくなった。しかしそれを勘案しても、一株あたりの出来がかなり悪い。実つきも品質も良くないように思われる。取りあえず鞘のみ外して天日干し。

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 三日ほど干すと全体が乾いてはじけはじめるので、順次様子を見ながら脱穀して行く。

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 量が全く少ないので、むしろの上に広げて麻袋越しに砧で叩く。それを唐箕にかけて風選する。・・・ううむ・・・豆が良くないなあ・・・

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20151209 マイナンバー郵便

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 幸いなことに私の不在中「マイナンバー郵便」が送られてきたようだ。別に欲しくもないので取りに行く気もないのだが、その後、私と勤務先との間で、マイナンバー提出についてどのようなやり取りがあったかをまとめておこうと思う。予め断っておきたいのだが、私は制度の詳細や主旨を曲解しているわけではない。私は現在個人事業者であり、勤務先とはアルバイト契約である。税金は全て確定申告しているから、勤務先がマイナンバーを必要とする事務処理は雇用保険の申告時だけである。だから実際に必要となるのは2017年1月以降ということになる。私は制度に対して反対の意思を持っているが、勤務先に番号の提出を拒否しているわけではない。従業員は、最終的には勤務先に番号を提供しなければならないが、勤務先は個人情報を適切に管理しなければならないと法的に規定されている。だから、従業員は勤務先が自分の個人番号を、どのように管理するのかを知りたいと思うのは当然のことと考える。私が勤務先に求めているのは、この一点のみであり、制度そのものについて勤務先にはなんらの要求もしていない。極めて単純明快で至極真当な要求としか思われないのだが、これがなかなか通らないのが現実である。
 つい先日、私の勤務先の別の店舗で、従業員がタイムカードを規定時間で切った後、閉店までヤミ残業している実態が、防犯カメラの映像で押さえられ、労働基準監督署が立ち入り調査した。それ以来、早出の正社員は8時間後には全員いなくなってしまい、それ以降は、ほぼ店長とアルバイト従業員だけで通常業務を回す状態が続いている。全体の作業量は年末を控えて増える一方であるにも関わらず、正社員は仕事を放置して帰らざるを得ず、残されたアルバイトだけでは判断出来ない事態が頻発し、それらは当然翌日に積み残され、翌日はその残務整理からスタートするので、積み残しが雪だるま状に増え続けている。あちこちの売場で品切れしている商品が、バックヤードに積み上げられた入荷商品のどこかに埋もれている筈だが、整理仕分けをする人員が足りないので補充出来ない。こんな状態をいつまで続けるのか、と真剣に問うたことがあるが「当分のあいだだ」という返事しか得られない。つまり、ほとぼりが冷めたら、またやるということだ。作業量に対して全く人の手配が出来ておらず、その予算もない。その膨大な隙間は社員のタダ働きで埋めるしかなく、それを支えるのは強制と精神論だ。それを問い直し、現実を見つめようとする姿勢は会社にはない。
 こんな会社であるので、当然、私の要望など本社に届きようがない。労働組合や、その上の組合連合でさえ、この問題に関してはほぼ無能といって良い。私は両者に対して、具体的に解りやすく項目をまとめて要望事項を提示したが、得られた回答は組合連合からの「ガイドラインに沿った対応を求めて行く考えです」という全く抽象的なものだけだった。個人番号の扱いについては、社員の携帯端末から本社にアクセスすれば、取扱マニュアルを閲覧することが出来る。しかしそれをプリント・アウトすることは出来ない。社内に掲示してある関係書類には、従業員が本社に番号を提出する手順や、その間の書類の管理方法については説明があるが、運用開始後の管理体制については言及がない。横つながりの情報としては、全社的に番号の提出に難色を示している従業員が少なからずあるという。しかし上からは「あとは君を含めて数人だ」といわれている。しかし私は提出に難色を示したことは一度もないのだ。運用開始後の会社の管理体制について問い合わせただけだ。しかし得られているのは、上の通り総務課からは運用マニュアルの存在と提出の仕方のみであり、一方人事課からは契約更新時に提出を義務づける項目を追加するということと、来年度からはアルバイト従業員は順次某派遣会社への登録制となるということだけだ。少なからずあるという提出に難色を示している従業員が、全員契約更新が出来なかったらどうなるのだろう。個人番号が未提出であることだけを理由に雇い止めが行われたことが明らかな場合、労働基準監督署は、明らかな労働法違反と判断する可能性が高い。勤務先がこれ以上従業員との関係を踏みにじるのであれば、横の連帯を軸に出るところへ出ざるを得ないのかも知れない。そんなことを私はちっとも望んでいないのだが、またそんなことをしてもほとんど私にはメリットはないのだが、毎日毎日バカげたことに従事していると、どんどん自分がバカげた人間になって行くような気がしてね、自分の精神はそんなに強くないんでね、会社には迷惑至極なこととは思うが、もうちょっと従業員のことも考えてほしいんよね。
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20151206 caboclinhos

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 畑の片づけに取りかかる。まずは秋までに成長して取り残したものを丹念に拾って行く。勝手に生えた品種不明のジャガイモ、おそらく秋ジャガの一種であろう、モグラの通り道から外れたからか、ほぼ手付かずで残っていた。

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 特に堆肥置き場の周囲に生えたものは栄養状態が良い。この日、しめてジャガイモ沢山、菊芋も沢山、どこからかか紛れ込んだ蔓が根付いたのか、私のやっていない紅サツマイモ、それにカボクリーニョスがひとつ。

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 さっそく採れたてのランチに・・・しかしこのカボクリーニョス、切ってみなければ中がズッキーニなのかカボチャなのかが解らないところが面白い。マダラ模様の色の淡いところが、わずかに黄色いのがカボチャかも・・・ではほとんどマダラのないものはどうなのか・・・後日切って食べてみる。

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2015年12月05日

20151205 干し柿リベンジ

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 ほうぼうで「干し柿が黴びた」「干し柿が黴びた」「干し柿が黴びた」「干し柿が黴びた」「干し柿が黴びた」「干し柿が黴びた」「干し柿が黴びた」「干し柿が黴びた」「干し柿が黴びた」「干し柿が黴びた」「干し柿が黴びた」「干し柿が黴びた」「干し柿が黴びた」「干し柿が黴びた」「干し柿が黴びた」「干し柿が黴びた」「干し柿が黴びた」「干し柿が黴びた」とわめきちらしていると、「うちの晩生の渋柿で良かったら・・・」

「いやいや、そないな滅相もない・・・」

「この秋は暖かかったもんで、こういう年はお互い気ぃつけなあきまへんなあということを・・・」

「おやまあこんな立派な柿・・・りんごほどもありますやん」

「いやそんなご好意、お言葉だけ有難く・・・」

「そうですかあ・・・??」

「それにしてもこんな立派な渋柿、千金を・・・いや、百均を積んででも・・・」

「え ?? なに ?? 1個50円 ?? そんな、罰当たりますわうちかて商売人の家系ですよってに・・・」

「そうですかあ・・・??、ほなお言葉に甘えて・・・」


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 ちゅうわけで、なんとこんなぎりぎりの時期に巨大な渋柿を50個もワケていただきまして、それやったら二度と同じ轍を踏むわけには参らんとて、百金との差額を投じてそらもうショウジョウバエの入る隙間もないくらい緻密な干し柿専用の網箱をパンバンバンと作ってしもて、がぁぁぁんと干したったわいコラショウジョウバエ、入れるもんやったら入ってみいこのあほんだら。


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 折角作るんやから柿と柿がひっつかんように横釣り出来るような構造とし、垂れ下がり防止用の縦糸を通して補強とし、縦枠が張力で歪むのを支えるスタビライザーも入れて、上から釣れるようにフックもつけたんやが、フルに柿かけたらとても重さに耐えられないことがわかったんで、まあ転倒防止程度の役割として、手前の網はこれもフックで着脱可能にして手入れをしやすくした。柿自体は、私はタコ糸で干すのが良いのだが、横釣りするとなるととても持ち切れず、やむなくポリロープにした。しかしこれなら横に棒を通して、そこへ1個ずつ吊るした方が合理的であることが作業中に解ったので、こいつら干し終ったら早速改造したろ。


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2015年12月04日

20151216 北林純を送る夜 Vol.2

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 さて大変なことになってしまった。先日なくなったドラムの師匠「北林純」師の追悼ライブで、師匠の代役を務めろという。なんと、人前でまともにドラム叩くのなんて20年ぶりのことだし、ハコは立派なライブハウスだし、対バン共演の面々は、いずれズラリ居並ぶ強者ぞろいだし、できるんかなあ・・・という不安を他所に、「スケジュール入れて名前のっけちゃったし、んじゃ、よろしくねー」て、走り書きの曲名リスト送ってこられてさあ、これがまた読めんのよ、取りあえず解る曲からmp3に落としてディクテイションして行って、それ大音響で鳴らしながらドラムの練習ね、なんせぶっつけ本番やからね、20年ぶりに人前でドラム叩きながら大恥かく私の姿見たい人は是非・・・


2015/12/16 (

Adieux mad dog JUN <狂気の天才ドラマー・北林純を送る夜 Vol.2>

@ 西天満 Ganz toi toi toi


[出演]

Sentimiento'15

ザモルモッツ

ターボー&muniels

すっぽんぽんaomi

マルタニカズ


OPEN 19:00START 19:30 

前売¥2500/当日¥28001drink500別)高い !!



 http://ganztoitoitoi.com/201512.html


 なんせ「狂気の天才ドラマー」の代役ですからね・・・左足でキック踏まなあかんしね・・・

posted by jakiswede at 02:23| Comment(0) | 音楽活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20151129 大前家住宅にて

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 すぐ近所に移築された小さな茅葺の家で、ゆるいイベントをやっていたので脱穀の手を止めて行ってみた。これを知った時点で申し込み期限を過ぎていたので、イベントそのものには参加出来なかったが、アフター・タイムに皆さんが歓談されているところへ入り込んで、お抹茶やお菓子を頂き、郷土の伝説や方言を収拾して出版されたばかりの本まで頂いて、裏千家のお師匠さんのお点前もさることながら、農作業そのままの穢いなりをしたこのどこの馬の骨ともわからん無法者を、なんと気品に満ちた温かい笑顔で迎え入れて下さったお心の広さよ、さらにこの萱の葺き替えをした淡河の「くさかんむり」のメンバーとも話しあうことが出来て、なんだか申し訳ないやら厚かましいやら、慌ただしい合間の「束の間の癒し」でした。
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20151130 豊里脱穀籾摺

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 さて最後の山場のメイン・キャスト「豊里」である。半陸稲で根が強く多収品種である。周囲の百姓に言わすと「ブタに投げてやるようなコメや」と散々な悪評だが、調子に乗って「またあんたとこのブタは美味いもん食てまんねんな」と褒め称えたりすると、ムッと嫌な顔されてまた悪評が広まるので黙ってる。

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 「豊里」を栽培する利点は、なにをかくそう、この籾離れの良さである。足踏み脱穀機にかけるだけで、ほとんど唐箕による風選を必要としないほど、籾だけが奇麗に外れてくれる。ゴミや藁クズの飛散も少ない。立ち姿の美しさといい、散り際の潔さといい、そしてまた水加減を少なめにして炊いた時の美味といい、私は日本のコメとして、この「豊里」をこよなく愛する。誰がなんと言おうと・・・

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 唐箕にかけた順に網戸に広げて干していく。雨が心配なので、このように網戸の上に小さな替え網を敷いて、その上に籾を広げる。いざという時に、この替え網の四隅を持って回収出来るからである。

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 まったく有難いことに、無肥料不耕起のズボラ栽培でありながら、「豊里」は70kg超、今シーズンの稲作全部合わせて150kg近い収穫となった。誠に有難い。

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 最後に全ての機械の清掃をする。足踏み脱穀機の周りに飛び散ったり、唐箕で飛び過ぎたり、それらや籾摺機の内部や周囲に残った籾や玄米を全て回収する。品種は入り交じっているが、これらも立派な米である。しめて3kgほどになった。有難く精米して、感謝して、いただく。

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20151129 芒あっての神丹穂

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 今シーズン農作業最後の一山いってみましょか・・・まずはややこしいのんから片づけて本チャンは明日以降一気にまいりませう。私の栽培品種の中で最もややこしいのが、この赤米「神丹穂」・・・脱穀された状態がこれ、このキョーレツな芒 (ノギ・ノゲとも) ・・・まさに、この芒あっての「神丹穂」、「神丹穂」でこそのこの芒である。籾を玄米にするのに「籾摺」という作業を経る必要があるが、これを人力でやるのはおよそ現実的でないので、この部分だけは機械を使っている。他の品種は、脱穀して乾燥状態に問題なければ、即、籾摺にかかれるが、芒の長い品種ではこれがダクトに挟まって詰まり、機械を壊すことがある。そのため、これをなんとか取り除く必要がある。脱穀機から落ちる時に実の方が重いから、おのずと芒が上を向く。それを利用してこの状態で鋏でじょきじょきやって取り除いていた頃がある。それでほぼ除去出来るのだが、最近では循環式精米機を手に入れたので、専らそれを使っている。

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 一方、こちらは「緑糯」という品種、芒はあるが「神丹穂」と比べると屁ぇみたいなもんである。

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 さてその循環式精米機、構造は至って簡単で、底部に螺旋状のロールがついていて、上の口に籾を入れると画面の右手から左手へ籾を送り出し、左の底部から上の口へと戻されるのである。籾はロールに送られる時に籾どうしがこすれあって、やがて籾殻がはがれ、更に糠の薄皮もはがれて精米されるという仕組みである。それを注意深く満遍なくやれば、しつこい芒だけを除去することが出来るというわけだ。もちろん、これで玄米を作ることが出来るが、それには長い時間と注意力や忍耐力が要るので、芒さえ取れてしまえば、あとは籾摺機に任せた方が良い結果が得られる。

 http://jakiswede.seesaa.net/article/382218537.html

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 だいたいこんな程度に除去出来れば、籾摺機にかけても負担にはなりません。

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 このとおり、スカッと一発で作業完了、数十秒の出来事でした。

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 ざっと排出。

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 「緑糯」も機械の音を変えることもなくあっさり終了。ちょっと「神丹穂」が混ざりましたが、どうせ混ぜて食べるからこれで良いのです。

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20151127 待望の氷点下

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 ついにきた、神戸ノルデスチの地に待望の氷点下 !!

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 ウリ系は全て枯れるやろから、なってる実を全部収穫。ズッキーニ・バターナッツ・カポディキーノス・カボクリーニョス・・・

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 来シーズン減反しようというのは、このように畑でいろいろな作物の栽培に取り組んでは失敗を繰り返し、労力の無駄が多過ぎるからである。とくにナス科作物は不得手であるので、ナスとジャガイモ以外は最小限にする。

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 なんとかこの地でピリピリちゃんの栽培を成功させたかったが、このように何度やっても同じ結果しか出ないということは、ここの土や気候が彼等には合わなさ過ぎると結論づけざるを得ない。

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 空心菜や自然に生えた秋ジャガイモも枯れ落ちた。

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20151126 わりとフツーの・・・

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 インディカ米つくったら、とりあえずコレでしょ・・・
posted by jakiswede at 00:15| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2015 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする