






「狂気の天才ドラマー・北林純を送る夜」チラシに寄せられたマルタニさんの言葉・・・
おれたちはよく「リードVo.のようなドラマー」と言ってた。
どちらかというと貶し言葉だが褒め言葉でもある。
そのドラミングには「華」があったね。
単なるドラマーに留まらない。だからこそ長くやれたね。
おれたちは共に「新しい音楽を作る」ことしか興味なかったから。
奇しくもカオリーニョも弔電の中で
「一緒に音楽を作っていた時代が懐かしい」と言っていた。
アタマの中には音楽のことしかなかった、
それをおれは一番よく知っている。
この無慈悲な世の中・音楽の世界で、
カネにはならないがブランニューな音楽を作って演奏する、
その素晴らしさを40年近く共有できたことに感謝しています。
出演してくれるみんなを代表して、Adieu !
ーーーーーーーーーーーマルタニカズ
そうなんよね、結局のところ全部で13曲演ったんだが、サポートかなにかで仮にも演奏に参加したことのある曲は1曲だけ、演ったことはないが知ってはいた曲は2曲、あとの10曲は全く不明で全容が解ったのが三日前、演奏するメンバーとの初対面が当日、リハのあいだに細かいことが、これが決まらずに本番突入・・・て、案の定やっちゃいましたよドデカイのんを一発、しかも北林純師匠のオリジナル曲の冒頭で、変拍子のアタマ取りきれずに脱線転覆・・・まさに恥も供養のうち、なぜならこんなキョクメンに立たされた時、北林純ならこういう風に乗り切ったのにな、とか、そのまま突っ走ってなんや知らん気ぃついたら自分が間違えたん違て周りが間違えたような結果になったのにな、とか、まあしみじみと故人を偲ぶことが出来るというもんだからである。私は身をもってそんなチャンスを皆に与えてやったのだ。修羅場をくぐり抜けてこそ人は成長する。55歳になんなんとして尚且つこのようなチャンスを与えてくれたマルタニさんに心から感謝。
そうなんよね、おれたちは共に「新しい音楽を作る」ことしか興味なかったからね、曲そのものは土台であって、その上で何をどう演じるかは、その時のその人の力量なんよね、だから前もって綿密にリハーサルして、リハーサルした通りに本番やるってのは、ちょっと違うんよね、だから出てこいよ、やってみろよ、本番だぞって、こんなこと言うてくれる人はなかなかないんよね。マルタニさんの音楽も、私が参加してた「カーリー・ショッケール」の音楽も、別にどこかの国のなんとかいう音楽ではない。そんなことはどうでもよい。当然特定の演奏を聞いて、それらの産まれた国とか民族とか状況に敬意を表することはあっても、それをそのままやるってことは自分たちのすることじゃない。その演奏に感化された自分を音楽の上でどう表現するか、ということだった。彼等がどう演奏しているか、ということではない。そこが、楽譜通りに演奏される音楽との根本的な違いだ。楽譜を否定するつもりはない。私は楽譜の読み書きが出来ないが、自分に解るようにメモは書く。つまり楽譜だ。しかし、それはあくまでメモに過ぎず、それを基にどう演奏するかはその時次第だ。なぜなら、いくら楽譜に綿密に書かれたところで、楽器から引き出される音は千差万別で無限の幅があるからだ。楽譜の通りに演奏するということ自体、所詮不可能なことだ。
繰り返しになるが、私は楽譜を否定しない。それどころか、各自に楽譜が配られ、初合わせまでにそれらを完全にマスターして持ち寄り、度重なるリハーサルでは、各自が楽譜通りに演奏した結果、全体としてどのように響くかを真剣に聴くクラシック音楽の演奏家たちと何度もご一緒させていただいているので、楽譜の重要性はよく認識している。しかしその場合でさえ、全体の響きを調整するために、与えられた楽譜にはしばしば変更が加えられる。それは慎重に行われるが、必ずしも楽譜が金科玉条でないことは、当のクラシック音楽家の大家達が常識として明言しておられる。それはあくまで、ある時代に演奏されたフレーズが優れていたために、それを是非とも書き留めておきたいとして後世に伝えられたものにすぎず、そのとき別の素晴らしい演奏がなされていれば、別のフレーズが楽譜として残されたであろう。同様に、同じ音楽的キョクメンにおいて、全く異なる解釈が素晴らしければ、それらは楽譜として残され、事実変奏曲として様々に伝えられているところである。
先日このようなことがあった。やはり音楽を演奏する緩やかで開放的な集まりの中で、楽譜を中心に演奏が楽しまれていた。しかしそれはかなり古い時代の音楽で、様々な地域の音楽の要素が溶け込んでいる。ある曲が演奏されている時に、私はそれが別の地域から影響を受けた曲であることから、敢えてその地域の音楽の基本的なリズムで伴奏に加わった。それは楽譜には指定されておらず、また参加者が慣れ親しんでいる音楽とは、少し異質なものだった。しかしそれでも、基本的なリズムは別の奏者が出していたし、音楽としてそのようなテンションを与えることは、遊び心を刺激して楽しいものだ・・・と私は思っていたが、彼等の反応は全く違っていた。すぐに演奏が止まり、私の入れていたリズムを止めるようにと言われた。そこでの議論は割愛するが、要するに彼等にとっては、楽譜に書かれていないニュアンスが演奏の中に入ることは、全く相容れない演奏が土足で踏み込んできたほどに不愉快だったようなのである。私はその集まりには、始まった頃から長く参加しているし、その曲も永年親しんだものであった。年月を重ねるにつれてその集まりに参加する人たちのレパートリーも増え、調査研究によって様々な楽譜が手に入り、多くの曲が知られるようになった。その興味から、今は楽譜の解釈に集中したい時なのであろうと理解はするけれども、視野が広がったからこそ、楽譜によって木目の襞の美しさに感じ入ることと同時に、森がどこまで広がっているかをも知るべきではないのか。本の少し視野を広げただけで、その曲のそのフレーズがどこから来たものなのか、いとも簡単に知るところとなるだろう。そうすれば、その寄って来たる地域にあっては当たり前のフレーズのうち、たまたまひとつがその楽譜に採録されたことも自ずから解り、そのフレーズが持つ根源的なリズムが、私の奏でたものと同じであることも理解されるであろう。そのようにして好奇心が広がって行くからこそ、世界の音楽を聴くことは面白い。そして奏でられた瞬間に消えて行くのが音楽の宿命であるからこそ、神経を研ぎ澄ませて演奏に臨む。それは楽譜の解釈の上に立つものであると思う。そういう意味で、私は「現場主義」だ。
北林純追悼ライブのリハーサルの最中、変拍子からルーツロック・レゲエ、更にヨーロッパ中世の古楽へと展開する複雑な組曲の中で、ワン・ドロップのドレッド・ビートから手ダブを挿入したとき、そのリズムの断絶の飛び石を、共演者であるクラシックのヴァイオリニストと売れっ子のアコーディオン奏者とソウル音楽大学主席卒のベーシストが、各人各様の対応でサーフするのを振り返ってニヤリとしたマルタニさんの表情が印象的だった。そのとき天井からひらひらと舞い落ちるものがあった。誰もがリハーサルに夢中であって、目には入っていても演奏が止まるようなことはなかったが、今思い起こせばそれは生きた蝶、複雑な構成と個々の演奏のフレーズの回数、挿入節や変拍子の扱いなどに難渋する我々の苦労を、舞いながら一瞬のひらめきの中に射止める蝶に化身した北林純だったのかもしれない。
posted by jakiswede at 14:18|
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