2016年02月28日

20160225 米麹の仕込み

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 昨シーズン丹波黒大豆はほぼ全滅に終わったので、今年の味噌作りは一昨年の豆を使って仕込む。まずは米麹作りから。米は栄養価の観点からすると玄米でも良さそうなのだが、麹菌の繁殖を考えると精米した方が良い。米を一昼夜十分に浸水し、これを一昼夜かけて十分に水切りする。ここが大変重要。


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 水切りが不十分だと、おじやのような糀になり使い物にならなくなる。最悪の場合、麹菌醸成中の温度管理に失敗して、つまり水分が多いと温度が上がりにくく、それを補うために加熱しすぎて部分的に温度が上がり、納豆菌が繁殖して腐敗したり、乾燥して麹菌が死滅したり、過熱を抑えるために温度を下げようとして下がりすぎて菌が醸成する前に腐敗が進んでしまうなどである。いずれも経験済み。あとで蒸すのだから水切りは適当で良いと考えがちだが、それは大きな間違いである。触っても手につかないほどになるまで水切りする。足りない場合は、袋に入れて洗濯機の脱水機にかけたり、大きく広げて清潔な布で水気を取ったりする。


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 これを蒸す。蒸し加減は、ようやく芯がなくなる程度。火力や蒸し器の大きさにもよるが、30-45分くらいである。


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 これを手早く冷ます。ここが重要。できることなら木製のお櫃が良い。ステンレスのバットでは底に水が付いて蒸し米につくので、その水気をとる工夫が必要になる。手早くしないと水分が必要以上に吸い込まれる。数分で人肌程度に戻ることを目指して、仰いだりバットを振ったりして急冷する。


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 糀の種をまく。麹菌は40℃以上で死滅すると言われているので、くれぐれも人肌以下を厳守する。ここが大変重要。また、糀の種は非常に軽い微細粉なので、この時温度が高いと湯気に巻き上げられて飛散する。人肌以下で作業するか、室温が低くて飛散を免れない場合は、バットを覆ってその中に手を突っ込んで撒くなどの工夫が必要。


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 これを晒し木綿の袋に入れて平らに伸ばし、厳密に温度管理しながら加熱と保温を調整する。私は写真の暗室作業用の現像液保温ヒーターを使っている。微妙な温度管理がつまみひとつでできるので大変重宝、大雑把にはコタツでも代用できる。麹菌の種類にもよるが、私の使っている麹菌は「五日糀」とよばれているものなので、仕込み時の温度30℃前後、発酵が始まる頃35℃前後、自己発熱が始まった頃に過熱をやめて保温に転じ、様子を見ながら30℃今日を保つように努力すると、五日程度で派生する。その頃に味噌摺りをしますので、やってみたい人は連絡を頂戴。今年はお分けできる豆がありませんので、参加者はすべて原料は調達してきてください。その代わり無料です。見学ももちろん無料。する作業だけを共にやり、その前後の諸作業について詳しく説明します。


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20160225 萱場

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 すぐ近所の耕作放棄地の草刈りが終わった。ここは戦後の農地改革で圃場整備がされて以降、持ち主の相続の関係で権利関係が複雑化し、誰も管理しない状態で放置されてきた。何年かに一度、こうやって自治会で草刈りをするのだが、ただただ荒れ放題で、真ん中には木の切り株まである。私も何度かここを借りられないかと方々に打診したのだが、様々な障碍があって果たせない。個人の資格で利用権を設定するのは、たぶん不可能だ。そこで最近、ふとしたきっかけで思いついたことがある。


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 神戸市北区淡河町には、「くさかんむり」という茅ぶき屋根保存会がある。近隣の茅ぶき屋根は、順次彼等の手によって葺き替えられている。昨秋、近所の葺き替え済みの農家でイベントがあったときに、メンバーと知り合いになり、話すうちに、茅の調達もさることながら、葺き替えで出た古茅の処分にも困っているという。私の田畑は借り物ではあるが、2年続きの不作であり、何らかの手段で地力を少し助ける必要性を感じていた。そこで今シーズンより減反し、二年一作の運用でいくことを考えた。休ませている間は草刈りのみをして、枯れ草を積み、それが土に戻って土を肥やす。そこで考え付いたのは、両者を安直に結びつけることであった。


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 茅については全く無知である。これを育てるには、早春に株分けをして、初冬の刈り取りまでは手を入れない。それを刈り取って彼等に供給し、彼等のところで出た古茅を田畑に戻して肥料にできないものか。これは、二年一作かそれ以上でなければできず、毎年肥培管理をする普通の農家には無理だが、私にはできる。両者の思惑は、大筋では一致した。そこで先日、彼等の仕事場を見せてもらうことにした。茅は2メートル以上になることもあり、根は大きく強い。そして、大きな家一軒の葺き替えで出る茅は、1畝弱の圃場に積み上がり、それが風化して土に戻るのに二年ほどかかる。


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 私の借りている圃場と、管理している土手部分、ここでそれをやるとどうなるか、地主や近隣農家、水利組合・農業委員会はどう考えるのか。慎重に打診してみたところ、次のような返事が得られた。まず地主は「現状に戻せるのならば良い」、近隣農家は「害虫や害獣の住処にならないのなら良い」、水利組合は「土手が崩れなければ良い」、農業委員会は「茅は農作物ではないが、肥培管理の一環として栽培することは問題ない」・・・物事をストレートに表現してしまう私と違って、彼等の表現には「節度」というものが含まれている。これらをありていに言うならば、「現状に戻せないからダメだ」・「害虫や害獣の住処になるからダメだ」・「土手が崩れるからダメだ」・・・ということになりそうだ。


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 ほんとうにそうなのだろうか・・・と考えてしまうのが私の悪い癖で、仮に真実を究明した結果、茅を栽培することによって、「現状に戻すことができる」・「害虫や害獣の住処になはならない」・「土手はむしろ補強される」ことが立証されたとすればどうだろう。彼等がそれを受け入れるだろうか、いや、彼等はまた別の理由を持ち出してこれに反対するだろう。それにもおそらく「節度」が多分にまとわりついていて、論点をはっきりさせるだけでもかなりかかりそうだ。では、さらに私がそれらを論破してしまった場合どうなるだろう。果たして広範な支持が得られるだろうか。支持が得られないまま、私が信念を通し、正面を強行突破するとどうなるか・・・

 私一人でこれを解決しようとするのは、少なくとも得策ではない。二年一作の自然農法で茅を栽培して保存会に供給し、処分に困った古茅を田畑に戻して肥料とする。これはおそらく痩せ地においても非常に有効な循環農法のあり方である。化学肥料や農薬によって「草一本生えていない美しい景観」、「虫も獣も来ない安全で安心な田畑」をもって良しとする慣行農家の感覚と折り合っていくには、彼等の意識がもう少し寛大になる必要がある。その捨て石になるために個人が一生を捧げなければならないのか、あるいは、それまで自然農法しかありえなかった昔、初めて農薬や化学肥料を、恐る恐る使うことになった農家が、「あそこも使ってうまいことやりよったからウチも・・・」という意識の変化と同じような変化を、社会的な共通の課題として広がることのために努力するのか、とりあえず、何も供給できるめどが立たないのに、もらうことが先走って恐縮なのだが、近日中に古茅を頂いて圃場に敷き詰めることにしよう。そのあと、例の耕作放棄地を自治会としてどうするかという難問についての、一つのアプローチとして、茅場にすることを提案してみることにする。


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20160302 キムチ作りWS





白菜キムチ本漬けと薬念醤作り

日時: 2016/03/02 () 14:00-17:00 

場所: ボングー宝塚

https://www.facebook.com/pages/ボングー宝塚/871375719548661?fref=ts

参加費: 無料 (希望者にはボングー・ランチ\1,000あり)

伊丹が用意するもの: 

白菜キムチ本漬け用

 白菜・薬念醤・ボウル・保存瓶

薬念醤作り用

 原材料・ミキサー・ボウル・保存容器

試食用出来上がり白菜キムチ

以上は、伊丹が個人的に製造するものを実演して見せるもので、お持ち帰りはできません。販売もいたしません。

お客様のうち、ご自分で当日お作りになりたい方は、以下のものをご用意願います。

白菜キムチ本漬け用

 塩漬け白菜・薬念醤 (市販のものでOK) ・お好みで風味材料適宜

薬念醤作り用

 餅米粥・カタクチイワシの塩漬・アミエビの塩漬・にんにく・しょうが・松の実・キムチ用唐辛子粗挽き・同極細挽き

 分量については諸説ありますので指定はいたしません。各自お調べになってご用意願います。



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 キムチ作りワークショップの前に、本場の薬念醤を調達しておく。正面奥の「神戸商会」が永年の師匠。


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 例年、古漬用薬念醤の原料としては、生のカタクチイワシの塩漬けを作り、オキアミの塩漬けを購入するのだが、これらは入手が難しく高価なので、今年はこれらを乾物で代用することにした。


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20160223 新田排水溝新設

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 草が枯れている間に、水はけの悪い新田に排水溝を作っておく。


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20160223 The Best of Malo

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Malo: The Best of Malo (CD, Compilation, GNP Crescendo, GNPD 2205, 1991, US)


Nena

Suavecito

Pana

Everlasting Night

Chevere

Love Will Survive

Cafe

Oye Mama

I'm For Real

Latin Woman

Moving Away

Close To Me

Dance To My Mambo

Merengue

Latin Bugaloo

Suavecito (Radio Edit Version)


 「Santana」を出したついでといってはなんだが、Carlos Santanaの弟Jorge Santanaが加入していたラテン・ロック・バンドで、音楽性はいわゆる「The Old Santana Band」とほとんど同じ。よりBoogalooやSalsaをも忠実に取り入れ、そのまま形式にのっとってやっている曲もある。主に1972-74が活動最盛期で、選曲もこの時期にリリースされた4枚のアルバムからのものが多い。時代背景からか、サイケデリックなラテンの雰囲気に満ちている。聞いていて懐かしくも楽しい音楽である。


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20160222 Santana Lotus

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Santana: Lotus (2CDs, Columbia, C2K 46764, re-issued, US/ Originally released in 1974)


CD-1

Meditation

Going Home

A-1 Funk

Every Step Of The Way

Black Magic Woman

Gypsy Queen

Oye Como Va

Yours Is The Light

Batuka*

Xibaba (She-Ba-Ba)

Stone Flower (Introduction)

Waiting

Castillos De Arena, Part 1 (Sand Castle)

Free Angela

Samba De Sausalito



CD-2

Mantra

Kyoto

Castillos De Arena, Part 2 (Sand Castle)

Incident At Neshabur**

Se A Cabo

Samba Pa Ti

Savor***

Toussaint L'Overture


*“Batukada”という表記もある。

** オリジナル3LPsではF (LP-3B) に単独収録されている。

*** 日本盤では”Mr. Udo”に差し替えられている。これは招聘元となったウドー音楽事務所に敬意を表してのこととされている。


 ジャズへ行く前に「Santana」を書いておきたくなった。というのは、ちょうど彼らの結成時期のアメリカではBoogalooが盛んに行われており、これがキューバ人からプエルト・リコ人へと手渡された”Son”が、ジャズやブルーズなどと混血していくなかで過渡的に通過したスタイルであり、それが一方ではSalsaへと、他方では「Santana」のようなラテン・ロックともいうべき系譜へと繋がっていくからである。事実、彼らが取り上げてきた曲にTito Puenteの名曲を含むラテン音楽が多く取り入れられているし、そもそもCarlos Santanaの弟Jorgé SantanaFania Allstarsに随行して「Zaïre ’74」に参加しているのだから、人脈としてはここに入れるのが適当だと思う。

 「Santana」は、もはやロック殿堂入りを果たした世界的ミュージシャンなので、私が何かを解説する必要などない。私にとって「Santana」のベスト・アルバムは、この「Lotus」につきる。これはまさに私の人生を左右したものである。19737月、大阪厚生年金会館で2日間にわたって行われたライブからの編集録音である。当時、私はまだ中学一年、日本の世の中は高度経済成長の真っ只中とはいえ、いたるところに「戦後」を引きずっていた。世の中の大人の多くは戦前の教育を受けていたので、学校で民主主義は教わっていたけれども、実際の世の中は戦前の価値観が色濃く残っていた。社会がそうであるから、家庭の内側に至ってはなおさらである。教育とは子供を勉強机に縛り付けておくことであると信じて疑わない風潮が蔓延し、思い込みの強い親の元では絶対服従しか生き延びる術のないほど過酷な牢獄であった。しかし、束縛が強ければ強いほど外の世界に対する関心も高く、圧力が大きければ大きいほど反発も強い。どこでどうして手に入れていたのかは私にも具に思い出せないが、私はアメリカのポップスやロックを知っていたばかりか、「Santana」の来日を知っていた。もちろん、「Santana」のアルバムも4作目の「Caravanserai」までは聞いていた。そのアルバムは私にとって非常に大きな衝撃だった。音楽というと、「歌」かクラシックの演奏しか知らなかったので、インストゥルメンタルでロックに使われる楽器類で宇宙的なイメージを奏でる音楽の世界などあるとは思ってもみなかったからだ。しかもなんという熱い音だろう。コンガやボンゴの音を聞くのも初めてだったし、ラテン的なコードや展開を聞くのも初めてだった。なにしろ、まだほんの13歳の子供である。何もかもが衝撃だった。思うに、当時まだ本当に珍しかったアメリカ衣料の専門店が宝塚にあって、何かのついでに通ることがあるたびに、用もないのにそこへ入り込んでいた覚えがある。おそらくそこのにいちゃんか誰かが聞かせてくれたか、ラジオで聞き覚えたものであろう。やがて、落ちているラジオなどを修理してベッドの下に仕込み、イヤホンで深夜放送を聞くようになった。当時センセーションを巻き起こしていたバンドだったから、かなり頻繁に曲がかかったはずである。イヤホンで耳が痛くなるのも構わず、朝どうしても起きなくてはならない刻限まで粘っていた。ハンダ付けなどできないので銅線をセロテープで貼り付けただけの修理であったため、接点が過熱してマットを焦がしたこともある。しかし何事も隠密に済ませなければならなかった。ジーンズを履いてきただけで親が呼び出され、みんなの前で履き替えさせられるような時代だった。ちょっとでもそんな音楽のことを話しでもしようものなら、誰に告げ口されて誰の耳に入り、そのあとどんな目にあわされるかわからない。電車でほんの30分そこそこで行われているライブのことを、知っていながら行くことができない悔しさを、今でもありありと思い出すことができる。

 「Santana」は1966年結成のSantana Blues Bandに端を発し、1969年に「Santana」と改称してデビュー・アルバムを発売、第二作「Abraxas」で評価を不動のものとする。そのなかに彼らの代表曲”Black Magic Woman””Oye Como Va””Incident at Neshabur” が含まれる。その次の「Santana III」までは、便宜上「The Old Santana Band」と呼ばれる。この三作の内容はBlues Bandを引きずっていて、1970年前後のカリフォルニアのサブ・カルチャーの匂いがプンプンし、実に自由爛漫で多様な曲があり、要するにサイケデリック、演奏も勢い一発のものから、単なる曲想のデッサンそのままという感じのものもある。土臭くラテンくさくBoogalooも多く取り入れられている。のちのCarlos Santanaに比べて、バンド内での彼自身の役割も、バンドの一ギタリストとしてのバランスが保たれていて、メンバー同士の演奏の駆け引きも対等で闊達で面白い。この三作は、彼独特の、ディストーションとハーモニックスを極端に強調した、あの「泣き」のフレーズこそ際立っていないが、その後の彼らの演奏を象徴するアイディアがすでに散見されて聞きごたえがある。

 しかし彼はその状態に満足できなかったようだ。「Santana III」発表後、彼はバンドを再編成し、「The New Santana Band」と称するようになる。そのいきさつにはいろいろあった模様だが、結果的に彼は宗教色と独裁色を強めていくことになる。第4作「Caravanserai」はインド哲学に題材をとった瞑想と宇宙に関するロック的アプローチを試みており、これは当然その頃ロック界を席巻していたプログレッシブ・ロックの流れに影響されたものである。次作「Welcome」では宗教色がさらに推し進められ、音楽は宗教的境地に達した者から見える平和や安楽や天国を表現したものになる。ちょうどこのアルバムが制作された後に行われたのがこの日本公演であって、オープニングは「Welcome」のそれである。自由気ままな「The Old Santana Band」とは異なり、コンセプトの明確なプロ集団としての「The New Santana Band」は、彼の宗教色を音楽的な核として、彼の独裁が全体を引き締める、統制された場における表現の自由ではあったが、結果的に演奏能力や技術、表現の豊かさは、格段に向上することになる。それをライブという場で凝縮しえたのが、この「Lotus」であり、もうはっきりいって、どこをどう切り取っても文句なし。緻密なアレンジ、演奏のディテールの細やかさ、音の美しさ、音圧のダイナミクス・・・1970年代、まだまだ暗い世の中、日本中が、何か新しい価値観を求めてさまよっていた。どんなに苦しくても、努力すれば必ず報われるという、何の根拠もない希望を持ち得た。そこへ全く新しい世界がまばゆいばかりの光と音を放って、猛然たる迫力で迫ってきたのである。全編ハッタリとコケオドカシとド派手なパフォーマンスと陶酔したフリで埋め尽くされているが、それを「ああ本当にそうだ」と信じてやってる側と、「ああ本当にその通りだ」と思って聞いている側が、一つの空間で貴重な体験を共にしたことは間違いない。圧倒的な音圧が、実は単なる電圧の高さだけのことであったとしても、当時の日本人は、そんな音を聞いたことがなかったのである。その場に居合わせなければ体験できなかったのである。エンターテインメントとは、そういうものである。

 全体としての音量バランスは、極端にCarlos Santanaのリード・ギターに集中している。ほとんどメドレー形式で矢継ぎ早に繰り出される長尺の曲を、ほぼ全編休むことなく7人のメンバーが緻密なアレンジに従って、その枠内で実に生き生きと演奏し掛け合う様子は、全く音楽の楽しさを見事に体現している。ギターとメロディを交代するキーボートセの音色の美しさ、そのストーリー・テリングの見事さ、ブリッジに入れるアクションの巧みさ、ラテンならではの雰囲気を強調するコンガやティンバレスのアレンジの見事さ、そしてなにより、音楽の屋台骨を支え、平常時はじっと縁の下でバランスを取っているだけだが、節々の決めるべきところにシャープなフィルを決めてくるドラミングの見事さ。外に向かっては熱狂を発し、ステージの中ではクールそのもの・・・音楽のアンサンブルの全てを、この作品から学んだと言っても過言ではない。ライブとして、これほど何度も聞き返したアルバムはない。オリジナルのLP3枚組で、横尾忠則の豪華22面ジャケット、それも複雑に組み合わされたポップ・アップ・ジャケットの幾つかの場所にレコード盤が入っているという凝った造りのものだった。もちろんそんなものを買うカネはなかったので、友達に借りてカセットに録音したものを今でも持っている。

 さて、この後「Santana」は、「Borboletta」という、宗教的な穏やかさを残しつつ、幾分ポップなアルバムを発表した後、天下に悪名高き「哀愁のヨーロッパ」を含むアルバム「Amigos」を発表して墜落、その頃には肝胆相照らす仲であったはずの多くのミュージシャンがその元を去り、カネだけが目的の阿諛追従の輩ばかりが残って、もはやなんの空想的無限性も音楽的意外性もない、ただドギツイだけのつまらんバンドに成り下がってしまった。思えば「Lotus」の頃が、結成当初からの情熱に裏付けられた勢いと、独裁を始めた頃のコンセプトの明確化が、うまくバランスが取れて良い結果を生み出したものと思われる。合掌。

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20160220 干し柿•ウリ終了

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 干し柿は日向で干すものとされているが、天邪鬼な私は、半分を日陰で干してみた。結果は同じである。無理に日向で干してハエに群がられるよりも、日陰に確保しておいたほうが安全だ。


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 ウリやカボチャの類がそろそろ限界にきたようだ。いよいよ貯蔵がなくなってきた。


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20160219 玄麦麩クッキー

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 小麦を脱穀したものを玄麦という。これを製粉機にかけると小麦粉になるのだが、表面の薄皮も粉砕されて混じるので、目の細かいふるいでこれを取り除く。しかし完全に取り除くことはできず、しかも家庭用の小型製粉機では、市販の小麦粉のように細かく製粉できない。結果として、目の粗い小麦粉7割と薄皮の粉である麩3割ができる。この3割の麩の活用法について、最近はまっているのが、そのまま薄く伸ばして焼くクッキーである。


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 だいたい麩1合に小麦粉1割程度を混ぜ、2割程度の水で練る。粉を混ぜるのは、麩だけではどうにも繋がらないからである。水は少ないので、かなり混ぜるのに根気がいる。それをまな板にのせて、少しずつ麺棒で伸ばして限界に挑戦する。カードで割るときの筋を軽く入れておく。


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 180℃で表裏10分ずつ焼く。粗熱が取れたら、筋に沿って割る。


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 パン生地をこねて発酵させている間に上の作業は何回かできる。目の粗い小麦粉でも、なんとかこの程度には膨らむ。生地300g、酵母は去年の醤油酵母や味噌酵母の統合された、なんやようわからん半液体を薄めて粉で繋いだ種で、それを中種にして混ぜ込んで、スチロールの箱にコタツを入れて一晩寝かせるのである。私は上手いと思ってこれを毎日食っている。けっこういける。


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