2016年04月26日

20160426 R.I.P Papa Wemba

https://www.youtube.com/watch?v=ETiT4Av0iYo&feature=share


Papa Wembaは、私の人生を変えた男だった。私はこの男のおかげで人生を棒に振ったも同然だ。思い起こせば、あれは確か1985年の冬、当時のザイールから帰国した故ピリピリ師匠が現地で買ってきた (たぶん) 一枚のドーナツ盤を前に、大阪梅田の今は亡きレコードショップVICのターンテーブルを囲んだ常連客がじっと考え込んでいた。そこに雁首を並べていたのは、後にKarly Chockersを結成することになる主要メンバーだった。ドーナツ盤の曲名は「Melina Parisienne」、こんな激しく乾いた、迸るようなスピード感のある、激しくてストレートで複雑で熱い音楽がこの世にあったのか・・・当時の私は、とっくの昔にプログレに飽き、パンクに馴染めず、オルタナにも距離感があって、レゲエを皮切りにどっと押し寄せてきた、聞いたこともない国々の様々な音楽の洪水に、進むべき道を見失っていた。キューバ・ラテン・ブラジル・レゲエ・ハイチ・アジア・アフリカ・・・サルサもよく聞いたしアフリカではフェラ・クティやサニー・アデをよく聞いた。当然、レコードもたくさん買ったしライブにも行った。週末や休日は、決まってレコード屋めぐりとバンドにもならない連れ同士の音出し練習に費やされた。しかし、どんな体験や試行錯誤も、この「Melina Parisienne」を聞いた後では、すべてがままごととしか思えなかった。その衝撃は、それまで自分たちがやってきたことのすべてを、まさにあざ笑うかのようにぶった切って空中の放り投げ、ドカンとどでかい花火をぶち上げて上空から白日のもとに暴き出し、自らは火の粉となって我々に降り注いだ。それまでの自分たちの試行錯誤など、もはやなんの意味もなかった。自分たちが欲しかったものはこれだった。ドカンと一発ぶち上げて火の粉をまき散らす。それほどのエネルギーを音にしてみろ、いてもたってもいられず、とりあえず、やもたてもたまらずに、我々は集まってバンドを結成した。Papa Wembに、偉大な精神性や深遠な思想があるとは思わない。しかし、彼がやったことは凄まじい。というか、やっちゃった・・・なにも考えずに勢いに任せて才能を信じて突っ走ったら、やっちゃったのである。だからすごい。考えてないから嘘がない。花火のように、ミサイルのように、ロケットのように、飛び続けても人生はまだ短すぎる。あるいは流星のように、隕石のように、閃光を発しながら崩壊する。それでも足りない。これは生き方であり行動なのだ。考えてる時間なんてない。おそらく彼も、自分が死んだことすらわかってないだろう。これだ。人生は短い。ぶちかましていかんと、あとなんぼもないんやで。それがリンガラ的な生き方や。その甲高い声とは裏腹に、彼の地声は非常に低くて重い。こちらから何を語りかけても、特に含蓄のある言葉は返ってこない。そんなものは不要だ。ただ、ぶちかますようにその時を生きる。ど真ん中を正面突破する。それだけだ人生は、と、確かに彼はそうだった。1978年に彼がバンドを始めた頃、自分が国を代表するようなミュージシャンになることなど望んでいなかったに違いない。売れるとさえ思っていなかっただろう。なぜなら、当時のザイールは、今からは考えられないくらい保守的で、因習に縛られた国だったからだ。だからこそ当時の政権は30年に及ぶ独裁体制を維持できた。それを明らかに壊しかねないエネルギーのほとばしりだったから、単なる若さの発露以外の何をも期待していなかっただろう彼は。私も彼と何度も同席したが、当時は国民的英雄と膝を交えているとさえ思っていなかった。だから、安らかにとは言わんよ俺は。

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2016年04月23日

20160423 落橋

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 新名神高速橋桁落下事故、一夜明けた現場は、規制線は張られているものの、落ち着いていました。現場を北側から見る。右が神戸JCT.、左が高槻方面。


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この下を有馬川が流れ、両岸に国道とその旧道が並走する。


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 手前が国道176号の旧道、対岸が本道、右手が三田方面、左手が大阪方面で、いずれも交通は規制され、右手の山の向こうを並走する有馬街道へ迂回することになる。


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 その遠景、右端が現場。奥に見えるのは六甲山。


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 道場町日下部、国道と有馬街道の分岐点で迂回の指示が出されている。


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 私の畑からも目と鼻の先。まあこういうのんを野次馬というんでしょうな。

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2016年04月22日

20160421 稲の種下ろし

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 穀雨。稲の種を下ろそうと思い、今日の雨を集める。今年の稲作は、うるち米は「豊里」とインディカの「サリー・クイーン」、糯米は黒が「朝紫」・赤が「神丹穂」・緑が「みどり糯」とした。「タイの香り米」は、栽培はよくできるのだが、味がもひとつなので今季とりやめ。以上5種類、余裕のある苗代に下ろすので、籾がだいぶ余ると思うから、欲しいひとは早めに連絡ください。苗代の準備ができないひともご相談に応じます。


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 苗代は、冬期湛水による雑草防除の目論見は効果覿面。代掻きをすると周囲とこれだけ違う。それともうひとつ気がついたことがある。「神丹穂」と「みどり糯」は種籾が手に入ったのだが、塩水選をしてみてはっきり自家採種のものと品質が違うことがわかる。自家採種のものは塩水に浮く確率が高いが、さすが種籾として販売されているものは、すべてが合格。


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 「豊里」は、まだ良いが、「サリー・クイーン」は軽くてほとんど浮いてしまう。糯米並みに1.08まで下げてようやく沈みはじめる程度。塩水選とは、充実した籾を種とするための選別方法で、糯米の場合、比重1.08から、うるち米の場合、比重1.13の塩水を作ってその中に籾を入れ、沈んだものだけを合格とする方法である。専門の種子販売業者では取り扱いのない品種は自家採取するしかないのだが、種が更新できないと、年を追うごとに合格とする割合が減っていく。作柄にも影響が出る。これ以上歩留まりが落ちるならば、塩水選を収穫直後に行って、種籾を先に確保せざるを得ないかもしれない。


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 さて塩水選の方法だが、これも比重で論じられていて、濃度ではない。だいたいの目安としては、例えば、水1ℓに対して塩300gを溶かせば、だいたい比重1.13に近くなる。厳密には比重計で計る必要があるが、生卵が水面に顔を出す程度とされている。濃度としては23%を超えるので熱湯に溶かさねばならず、これを必ず冷却してからでないと籾を浸けることはできない。また、溶かすのに高温が必要なので、まず23%程度の濃い食塩水を作っておき、これでうるち米をテストしてから、徐々に水を混ぜて濃度を下げ、軽い品種の選別に移る方が良い。なぜなら、薄い塩水を濃くしようとすると、もう一度温度を上げなければならなず、籾の選別分岐点がわからなくなるからである。


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 塩水選を終えた籾は、速やかに真水で洗って塩分を落とし、水切りをして乾燥させ、その後温湯消毒をする。


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20160420 穀雨

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 玄関先にこぼれた麦が穂を出している。


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 大根の花もたけなわ。


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 タケノコをもらった。こんな高級食材、もらうしかないので貴重。


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 早速天ぷらにして、ブリのカマの照り焼きと合わせていただいた。もはや畑には大根の花しかなく、日々の野菜は路傍の草である。セリ・ヨモギ・カラシナ・タンポポ・・・手作り醤油が効く。


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 今シーズンから新しい出荷先にも出します。よろしく。

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2016年04月19日

20160418 to be or ... ??

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 「こいつ、ほんまにやっていけんのか ??  」・・・農家に生まれた友達の全員が「家を継ぐのだけはごめんだ」と言う。彼らの話をよく聞かずに「百姓になる」と豪語した私に対して、「おまえ田舎を知らんからや」と諭してくれた友人がいる。当時はなんのことか話がわからず、ただ自分のやりたい気持ちだけが先走って、彼の言葉をまともに受け止めはしなかった。彼は諦めたように微笑みながら、それ以上言うのをやめた。今になって、彼の気持ちが身にしみるようによくわかる。おそらく、田舎暮らしを始めたいが躊躇している人にとって、最大の不安のひとつはそこにあるのではないかと思う。

 私も正直言って、もうこんな毎日はごめんだ。せっかく美しい環境と豊かな自然があって、土に語りかければ必ず答えが返ってくるほど、田畑の世界は生き生きとしているのに、なぜかくも人間は奪い合い、争い、陰口をきき、足を引っ張り、密告し、群れ、排除し、時には抹殺しようとするのか。こんなに美しい世界に住んでいながら、なんと醜い行いを飽きることなく繰り返すのか。まったく理解できない。

 歴史的に農村集落というものは、外敵から団結して身を守ってきたことは理解する。田に水を安定的に供給するために一致団結して利水を行わなければならなかった事情も理解する。集落というものが、一つの家族のように、固い絆で結ばれていなければ生き残れなかったことも理解する。だから常に互いに信頼できる相手かどうかを確認し続け、疑わしきは排除しなければ、身に危険が及ぶほどの状態を生き抜いてきたのだ彼らは。何世代にもわたって念入りに刷り込まれた価値観は、今でも根強く残っていて、いくら学校で自由や平等や民主主義教育などが行われていても、学校を一歩出れば、それは「教科書に書いてあること」として封印されてしまう。同じ日本人、しかもそんなに遠くないところから来た人間であっても、よそ者は絶対信用しない。自分たちと全く同じことができない人間は、信用できないのだ彼らにとっては。ましてや、まったく別の価値観を持って、生業である農業を捉える人間など、近くにいるというだけで恐怖すら感じる。歴史的に農村集落というものは、国の食糧を供給するために、完膚無きまでに搾取されてきたことは理解する。その伝統は、複雑に絡み合った制度の中で、もはや変えることなどできないほどに固く絡み合って社会の仕組みに連動しているので、それに疑いを抱くということすら思いもつかないのだ彼らにとっては。自分の父親が農薬中毒で断末魔の形相のまま、宙をかきむしり目を見開いて死んだとしても、年に一度しか使わないのに必ず故障する農業機械のために支払い続ける多額のローンや法外な修理代を請求されても、農協の言う通りに農薬や化学肥料を使っているのに、虫がたった一匹混入していただけで全て廃棄処分になっても、それら全ての損失を補うために、先祖代々受け継いでしまった巨大な家屋敷と農地や山の維持管理のために、夫婦でダブル・ワークさえしなければやり繰りができなくなっても、ひとことも口答えしないように我慢強く生まれつき、育てられてきたのだ彼らは。だから余計、希望に満ちた顔をして、嬉々として新しい試みを続け、ときには都会から農業体験に人が集まるような新参者にたいしては、心からの憎しみを禁じえない。

 農村とはそういうところである。村人の心は、先祖代々屈折していて、いやそうならざるをえず、そこへフラットな気持ちを持って移住しようというのである。田舎暮らしはのんびりしていて良いと想像するのは勝手だ。しかし考えてみればすぐわかる。仕事も豊富にあって、何もかも揃っている都会でこそ生きていける者が、そんなものが何もない場所でのんびりできると思うか。環境を変えれば事態は改善するのであろうか、会社で正当に評価されないと嘆く者が、自然なら自分を正しく評価してくれるはずだと期待するのであろうか、そんなことは絶対あり得ない。安全な食とやらを求めて、無農薬や有機栽培を掲げて、田んぼや畑を草まみれにしてしまう新規就農者を、何世代にもわたって黙々と営んできた彼ら農家が、喜んで受け入れるだろうか、そんなことは絶対あり得ない。だから、友人は、「おまえ田舎を知らんからや」と諭してくれたのである。だから彼らは、「こいつ、ほんまにやっていけんのか ??  」と心配するのである。農作業を、仮に熟知したとしても、いや、したからこそ、徹底的に潰される。建前では歓迎だが、裏からいくらでも手を回して制度を歪曲し、自治権を行使して、合法的に排除することができる。農村とはそういうところである。田舎暮らしとは、そういうところへ入っていくことである。そんなことをやりたいか ??

 方法は確かにある。移住する前に、必ず集落の正面玄関から入ること、自治会にお伺いを立て、ひたすら平身低頭して許しを請うこと、自我を捨て、その村の人間に生まれ変わるほどの強い覚悟と、卑屈を通り越して無に等しい謙虚さをもって、村の仲間入りをしたいと心から願うことである。全て言われるがまま、決して反論せず、言い返さず、訊き返さず、全てなるように良いように・・・ひたすら従順に、相手をあるがままに受け入れれば、道は開ける。耕せと言われれば耕し、抜けと言われれば抜き、いじめろと言われればいじめ、殺せと言われれば殺し、ノーキョーのセンセーが仰る通りに農薬や肥料を買い、機械のローンを組み、選挙でも投票し、これを栽培せよと言われれば従い、そうしているうちに村の人間として認められ、農業を生業として認められ社会的信用も確立する。しかし、気がついてみれば、都市生活で蓄積した財産も使い果たし、さらにきついローン地獄に陥った自分がそこにいる。しかしみんなやってるからなるようになるさという安心感があり、平穏無事であり、それこそが幸福であるといえなくもない。深く考えてはいけない。出荷した米や野菜は、自分が食べるわけではないから。そんなことをやりたいか ??

 ゴミ掃除の当番が回ってくるたびに憂鬱になる。私は二週間に一度、「燃えるゴミ」しか出さないのだが、たいていの家から出るゴミには目をみはる。加工食品の包材で膨れ上がっているからだ。恵まれた環境、しかも農家でありながら、共稼ぎで料理を作る時間などないのである。遠距離通勤で早朝から深夜まで、家にいないからである。ならば都会にいた方が良くはないか ?? 

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2016年04月18日

20160416 リュックサックマーケット

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 春の陽気に気分が昂揚しているところへ三連休が取れたもんだから、ひたすら農作業と食品加工に寝食を忘れとったんで熊本の地震を知らずにここまで来てしまった。それゆえのこの笑顔、あらためてニュースに触れ直してみると、蘇ってくる21年前の記憶、途端に咳き込み、悪寒が始まり、気分が落ち込んでいく・・・どうやらPTSDらしい。

 私は常々、私に対して向けられた言葉なり行動なりは、私自身を映す鏡だと思っている。人それぞれ、私に対する理解は様々だと思うけれども、ある人の理解が、私の本意とは違ったものになっている場合、その原因はその人にあるのではなく、私自身にある。自分一人で物事を進めていると、往往にして、自分の頭の中の鏡に照らすしかなく、それは狭い独断の中で窒息する。しかしいろんな人と話していると、あちこちから鏡を当ててくれるので、私の見え方が様々になって、大変面白い。

 私のブログなりFBへの投稿は、文章が理屈っぽくて長くてわかりにくい。端的に説明することが苦手なので、あることを説明しようとしてあることが舌足らずとなり、それを恐れるあまり、全体が饒舌になる。しかし、何人かの人が、私の言葉なり行動なりに興味を持ってくれていて、その成り行きを心配してくださっていることは、大変ありがたいことだ。

 そのうち、おそらく最も核心的な心配事のひとつは、「こいつ、ほんまにやっていけんのか ??  」ということだと思う。答えは、実は限りなく「No」だ。その結論を出して撤退する時期は、意外に間近に迫っている。現在、私の経済状態は地面すれすれに低空飛行しており、上昇はおろか、高度を維持するだけで精一杯である。想定外の出費があれば墜落する。その日に備えて、所持品の本格的な処分を始めている。音源・楽器・写真機材その他もろもろ・・・すべてを処分し終え、なおかつ貯金が尽きることが明確になった時、現在の住居を辞して都会に戻る。まことに残念だが、私が現在の生きかたを変えない限り、そうするしか生き延びる手段はなく、そうした場合、百姓も何もできないことになる。これが私の現実だ。


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 私は過去の長年の仕事において食品の裏側を舐め尽くした結果、その舌に癌が出来てそれを切除し、発音障害に悩みながら起死回生を図るために脱サラして、現在の地に移住して新規就農の道を目指した。合法的な就農にはなんとか成功したが、それを認めたくない (と思われる) 近隣農家との間に軋轢を生んでいる。その原因は次のようなものである。安全な食品を求めて農村に活路を求める気持ちは都市住民にとっては正当なものだが、それを求めるために農村への移住するのは極端な行動である。一方、農村とは、隣との一分の違いをも認めぬほどに保守的なものであって、それは21世紀の神戸市といえども極めて堅い。つまり両者は相容れない。私はこのことを甘く見ていた。だから、これから農業を夢見て移住を考えている人たちにお知らせしたい。全財産全人生をかけて農村に移住するのは非常にリスクが大きい。田舎暮らしブームとやらに惑わされるな。特に独身男性の中高年者で、生涯を全うできる財産を持っているわけでない人は、夢は夢として封印したほうが良い。

 何度かブログや投稿で繰り返しになるが、私の考えている百姓仕事のやり方は極端で、それは私流の「自然農」である。田畑には隣地とは違って草が多く、特に田んぼは代搔きをしないので、全く様子が違う。農薬・肥料はおろか、動力も公共部分の草刈り以外には使わない。それにこだわって始めたわけではないが、目の前に起こる事象を観察していってたどり着いたやり方である。いわゆる雑草や害虫あるいは害獣の発生源になっているという苦情や嫌がらせは日常的にある。農業委員会に通報されることも年に一回か二回ある。結局のところ、近隣との農法をめぐるトラブルを解決するには、農法そのものを変える以外にない。つまり、肥料と農薬をきちんと使ってきちんと耕す・・・しかしこれでは、なんのために百姓を目指したのかわからない。だから絶対出来ない相談である。

 経済はどうか、というと、上のようなやり方で一反5畝 (約15a = 1,500平米、計算上30m x 50m、実際には2箇所で不定形 ) を使って、米・麦・穀物と季節の野菜は一通り栽培し、ほぼ自家消費、一部を出荷したり調理加工してイベントなどで販売している。たとえばこの日の売り上げは\13,500であったので、この手のイベントとしては多い方であろう。それは、都市住民の関心の深さを表していると思う。しかし、だからといってそれで生活できるわけではない。自家消費の余剰分を金に換えても、せいぜい年間で50万円、バイトもせずに専念したとしても100万円いかない。しかも極めて不安定である。だから昼は農作業、夕刻から深夜にかけて週5日のバイト、それでほぼ月収8万程度、さすがにこれでは急な出費に耐えられないので、うち3日は昼過ぎから早出している。これで月収10万そこそこ。週休二日だが、その二日は暗くなるまで農作業に消える。冬場も食品の貯蔵と加工と研究にほぼ消える。百姓仕事を続けようとすれば現金収入が制限され、現金収入を増やそうとすれば百姓仕事がおろそかになる。つまり身動きが取れない。

 私が現状を書くのは、移住して百姓をすることの現実を、広く知ってもらいたいからである。決して泣き言を並べているわけではない。知らずに起こしてしまうトラブルを事前に回避する方法を具体的に書いているつもりだ。しかし人それぞれ、私に対する理解は様々なので、「貴方は出来るはずのことを、出来ないように出来ないように運んでいって、ああ出来ないと嘆いているだけだ」とか、「いくらでも出来ることがあるはずなのに、なぜ最低賃金のバイトにしがみつくのかわからない」という言葉を頂戴する。ありがたい限りだ。現在のところ、具体的な打開策は見いだせない。同じように移住して、同じような考え方で百姓をしている友達は、私より厳しい経済状況にありながら、将来に不安を抱かず暮らしている。私が現状を書くのは、頼れる人を探したり、困難を制度のせいにするためではない。困難があるからといって諦めることはない。しかし、現状は客観的に把握しておく必要がある。このままいけば二年後には破産する。だからとりあえず売れるものを金に換えながら、百姓仕事を続けながらどれだけの現金収入の上乗せが可能なのか、シビアに検討している。年内には結論を出そうと思う。打開策が見出されていなければ、借りている農地の利用権の更新を辞退して、フルタイムで働くなり、なんらかの手当てをしなければ生きていけない。そういう状況に追い込まれるので、農業移住を検討している人はよほど覚悟したほうが良いですよ。


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20160414 晴れ続き

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 今日から三日続きの晴れ間なので、近日挽く予定の小麦と、芽が出はじめて中身がスカスカになる前のニンニクを干しておく。


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20160412 遅霜

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 季節外れの氷点下と遅霜にジャガイモの新芽がやられた。敷き藁を十分にしてあるので大丈夫だと思っていたら甘かった。やはり不織布で被覆したほうが良いのだろう。


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2016年04月17日

20160411 亦楽山荘

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20160411 亦楽山荘

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2016年04月13日

20160416 cafeminhos

cafeminhos @ 摩耶リュックサック・マーケット
2016/04/16 (土) 11:00-16:00 一切無料・予約不要・自由参加・自由撤退
 場所: 摩耶山上「掬屋台」(摩耶ロープウェイ「星の駅」前)
 http://www.mayasan.jp/?page_id=64

わりとフツーのチキンカレー インディカライス又はチャパティのセット \500
自家製小麦全粒粉のチャパティ \100
自家製小麦自家製酵母のパン \100から
インディカ米 \500/ 2合
三色もち米Mix \500/ 2合
など販売します。よろしければぜひ・・・

 ご参考までに、JR六甲道駅からの場合、往復交通費\2,000程度、片道所要時間乗り換え時間を含めずに40分程度かかるのが難点ではありますが・・・ちなみに車で上がってしまって、「天上寺駐車場」に駐めれば終日\500です。
 http://www.navitime.co.jp/poi
 ご参考までに周辺情報などを・・・
 http://tokiwatrekking.web.fc2.com/pag…/a_maya_kikuseidai.htm
*当日朝7:00時点での天気予報で兵庫県南部の降水確率が50%以上の場合は中止。
*開催状況は「神戸市総合コールセンター」(078) 333-3330でも確認いただけます。
開催の場合も山上は天候が不安定なので、雨具等の準備もお忘れなく。
・・・なのですが、仕込み期限である木曜日の段階で、当日の降水確率が50%を超えている場合、私は不参加とさせていただきます。イベントそのものは、当日朝7:00時点での天気予報で兵庫県南部の降水確率が50%未満であれば、開催されます

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20160411 移住計画その後

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 移住計画その後。地主からは、未だ金額の提示がないのだが、まあおそらく敷地図面とか広さの確定とか、諸手続きに要する書類が揃わんのやろ。この物件の条件が調う調わんは別にして、一般論としてこのテーマは重要だと思うので、FBおともだちの皆様、できれば各分野の専門家に届くように広くシェアしていただきたいと思います。テーマをひとことで言うならば、「持続可能なライフスタイルの提案として一人一反百姓いかに育てるか」・・・これです。実現には、非常に複雑に絡み合った法制度の枠組みを突破し、明文化されていない不透明な霧の川を渡りきらなければなりません。どうかお力をお貸しください。問題は、大きく三つに切り分けることができると思います。


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 まずは建築の分野で、どういう家がふさわしいかを様々な意見を出し合って考え、農業をするにふさわしいシンプルな家屋のデザインを考えること、次に不動産関連法規の分野で、都市計画法の適用を受ける市街化調整区域内の更地に家を新築するための特例措置をいかに獲得するかを考えること、最後に農業関連法規の分野で、農地の利用権設定や継続の諸条件、集落自治会、農会、水利組合などとの折衝において、様々な知見や調整のノウハウについて考えること、そこへカネはありあまってるけど使い方がわからんよって、いっちょ山でも買おうかと思っているお金持ちの方がおられれば、心から大歓迎します。


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 農地法第三条たったひとつを正面突破するのに、一人で苦しんで足掛け三年もかかった経験からして、このような大きなテーマは老体一人では到底進めることなどできそうにありません。しかし制度や仕組みや国家に反対してばかりでは、その反対の先が見えないように思うのです。たとえば原発に反対するのなら、それにまつわって利用できなくなるすべてのものが、なくても生きていけるライフスタイルをきちんと描けなければ、その反対の声は不安にかき消されてしまう。無農薬野菜が良いのはわかりきったこと、農薬や化学肥料がなければ、誰がどうやって野菜を供給するのか、これもきちんと描けなければ、ただのわがままです。今の世の中のすべての便利には、必ず負の要素が付随していて、それを差し引けば、結局人間は人力以上のものが得られなくなる。それを認めることができなければ、常に負の遺産を次の世代にツケ回ししていくだけで、ちっとも持続可能なライフスタイルにならない。だから気がついた人から、なんとか力を合わせてやり方を探っていきたい。私はそう思ってます。たまにはええこと言うやろ (`へ’っ

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2016年04月08日

20160407 醤油加圧搾取

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 自重だけで落とした清醤を取った後の醪を集めて加圧してさらに搾る。最も簡単安価にやるには、このような漬物器の底に穴を開けて鍋などで受けるのが良い。春なのでコバエが飛んでくるから作業は迅速に、全体を袋で密封することも忘れずに。


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20160404 一億総一反百姓社会

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 場所はまだ言えないのだが、今住まわせてもらってるところから車で30分ほどのちょっとした山あいの村に、独り住いをするには最適な小さな土地を紹介された。ここでは集落との関係その他でまあいろいろあって、かねてから移住先を探しているのだが、私は斜面に生まれ育っているので、今住んでいる盆地のようなくぼみが体に合わない。しかも建物の周囲は囲まれていて、眺望は全くのゼロ。日本の古い農家の造りが私の感覚に合わず、何をするにもその違和感との戦いから出発しなければならないことに、最近正直いって疲れてきた。私も今年で56、このままここに居候して人生を終わらせるわけにはいかない。たとえ崖ッ縁゜であろうが、広々と解放された空間で、のびのびと思う存分人生を開花させて終わりたい。かといってカネはない。ここに全くおあつらえ向きの空き地がある。しかも遠くない。また、手入れが行き届かないのを処分したがっているので、価格も驚くほど安い。これはやるしかないでしょ・・・


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 25歳で人生を棒に振ってから、人生ウラ街道ひたすら自分の好きなことだけをやってきた。社会からドロップ・アウトした身、人並みのことはなにひとつやらなかった。だから当然、家を持つなんて考えてもいない。もちろん夢としては持ち続けていた。たかが野郎一匹、雨風をしのぎ煮炊きをするのに大した設備はいらぬ。アウトローの身の丈に合ったシンプルな家のイメージも、常にある。しかし夢は夢。あくまで夢としての設計図を、空想の中で改良していくのは楽しいことだ。家の建て方を実地に学ぶのも、また楽しいことだ。しかしそれが突然、実現可能な範囲にぶらさがってきた。ちょっとジャンプすれば届きそうなところに人参がぶら下がっていて、まだまだ棺桶に突っ込むには元気すぎる足を活用しないウマはおらんだろう。


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 何を考えているのかというと、極端な話だから8割がた差し引いて読んでもらいたいのだが、私は、持続可能な社会を目指すには不都合な真実を受け入れて、極めて厳しい生活に立ち戻らざるをえないと考えている。それは一億総一反百姓社会だ。それしか生き残る道はない。なぜなら、人間が出しうる体力以上のものは、いずれ化石燃料であれ夢のエネルギーであれ、いずれ手に入らなくなるからだ。人間の体力以上のことは、人間にはできない。これが真実だ。では人間の体力だけで、どれだけの土地から恵みをいただけるかというと、一反が最初のハードルである。機械やケミカルは一切なし、原始的な道具だけで、健康な男が管理できる田畑の広さが一反。それを十全に活用してまかなえる食が、まあ4人分、嫁さんと子供2人である。それが確実にできれば、もはや政府などいらないし、資本主義ともおさらばできる。それができなければ、人は大樹の陰に寄らざるをえず、大樹は暴走して覇権主義へ向かわざるをえない。それを止めようと思うならば、そう思う全ての人が、この生活を貫徹する勇気と覚悟を持たなければならない。今の日本は解体されて一億総一反百姓が自給する国に生まれ変わらざるをえない。好むと好まざるとにかかわらず、我々の次の世代には必然的にそうなってしまう。いまから軟着陸の可能性を真剣に検討するのか、墜落して乗員乗客全員死亡を覚悟の上で飛行し続けるのか、目を背けることは単なる欺瞞だ。


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 だから農村を解体する。現在の農村は、元来大所帯で営農していたことを、長男あるいは養子一人に押し付けることによって次男以下と分家を排除し、排除された者たちを都市へ流出させることによって資本主義を実現し、機械とケミカルを売りつけることによって一人大規模営農を可能とし、農村と都市の共存関係を維持してきた。この共存関係を崩さないために、農村の既存の集落と家制度を温存する必要があって、大所帯で営農していた田畑を分割することを、様々に入り組んだ法律によって禁じている。これがすなわち農村の排他性の根拠である。これが解体されない限り、一億総一反百姓社会は実現できない。すなわち持続可能な社会を実現することもできない。具体的には、都市計画法のなかの市街化調整区域に関する規制を緩和して、一反単位でそこで営農することを条件に宅地開発を認めること。そこから始めなければならない。今回紹介された土地は、そのテストケースになりうるのである。一軒の農家で一反の農地を、完全に自給し得ること、自己完結した形として提示すること、それに足りうる必要十分な家屋とは、果たしてどんな形と設備を持っているのか・・・そこには現行の建築基準法の規制も関わってくる。しかし、あくまで持続可能な生活を模索するという観点から、それに適した住宅のデザインを考えてみても良いのではなかろうか。どうかみなさん、これをプロジェクトに育ててみませんか ??


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2016年04月07日

20160403 ちょっと写真散歩

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 ちょっと写真散歩。

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20160402 Kinoplasmat C

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 Kinoplasmat 1inch/1.5 C ・・・ライカマウントだったら100万超えだもんね、ミラーレスM4/3によって実現できたCマウントの直接ピント合わせ・・・単独距離計で数値合わせで撮影してた苦労が懐かしい・・・
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20160402 麩しょうゆ仕込み

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 初夏並みの陽気が続いているので、醤油の最終仕込みを早めにやった。今回は、試しに自家製小麦粉の製粉段階で大量に出る外皮である麩を麹にできるかどうかの実験である。自家製丹波黒大豆のB級品と合わせて醤油麹が作れるのかどうか、まずは麩を煎ってみる。


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 しかるのちに前と同じ手順で大豆と混合して養生した結果、精白した小麦よりは時間がかかったものの、翌日には定着を見た。約18時間後には自己発熱が始まり、手入れしたのち、加熱を保温に変えて様子を見たところ、品温の上昇は精白小麦よりも著しかったため、手入れののち、むしろ送風して冷却しながら温度管理した。早くも4/02には全体に菌が回って破生したので、これをもって出麹とし、その日のうちに本仕込みとした。


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 麩は精白小麦よりも密度が低いため、仕込む塩水の量は大きく前回と異なる。測定の方法は前回と同じ。麹の容積は3,580cc、その重量は2,300g、前回と同じ計算方法により、3,051ccの水に1,058gの塩を溶かし (実は飽和食塩水の濃度を超えていたので、解けなかった分は醪に混ぜ込んだ) 、醪の塩分濃度を規定範囲の16.5%に収めた。 

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20160401 dia da mentira

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 物持ちの良いのが身上ではあるけれど、ちょっとこれはやりすぎたか、豆蒸し中にコンロの天板崩壊。補強して油汚れ削り落としてまだ使うのが悪い癖。原型を留めぬほどになるまで使う。そのうち火事起こして借家の原型がその通りになったりして・・・

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20160331 ソラマメ味噌の仕込み

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 適度に暖かくなってきたので糀造りが好調だ。今日はソラマメ味噌を仕込む。ソラマメは表皮が硬いが、十分に浸水して長めに蒸せば、ミンサーの勢いでヤッちまえばなんちゃない。


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20160327 春の植え付け

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 エンドウ (リベンジ・バージョン) の発芽が出揃ったので定植。


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 冬越ししたものと、大きさはあんまり変わらん。もっとも、冬越ししたものは、一度-15℃の寒気にヤラレてるから、今出てきてるのは二代目やけどね。


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 冬越しの小麦の様子がおかしい。手前が畑の方にこぼれた種から出たものだが、大きく緑色も濃いのに対して、奥に種まきした本来のものは、まだ小さくて葉も黄色い。


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 ジャガイモを定植、ここは遅霜の心配が大きいので、だいたい4月に入ってから植え付けるのだが、今年は春の展開が早いので本日定植。芋は昨年から食べてきたものの残り、芽の多いものは、あらかじめ芽かきしてたから定植した。


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posted by jakiswede at 22:22| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2016 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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