2016年04月19日

20160418 to be or ... ??

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 「こいつ、ほんまにやっていけんのか ??  」・・・農家に生まれた友達の全員が「家を継ぐのだけはごめんだ」と言う。彼らの話をよく聞かずに「百姓になる」と豪語した私に対して、「おまえ田舎を知らんからや」と諭してくれた友人がいる。当時はなんのことか話がわからず、ただ自分のやりたい気持ちだけが先走って、彼の言葉をまともに受け止めはしなかった。彼は諦めたように微笑みながら、それ以上言うのをやめた。今になって、彼の気持ちが身にしみるようによくわかる。おそらく、田舎暮らしを始めたいが躊躇している人にとって、最大の不安のひとつはそこにあるのではないかと思う。

 私も正直言って、もうこんな毎日はごめんだ。せっかく美しい環境と豊かな自然があって、土に語りかければ必ず答えが返ってくるほど、田畑の世界は生き生きとしているのに、なぜかくも人間は奪い合い、争い、陰口をきき、足を引っ張り、密告し、群れ、排除し、時には抹殺しようとするのか。こんなに美しい世界に住んでいながら、なんと醜い行いを飽きることなく繰り返すのか。まったく理解できない。

 歴史的に農村集落というものは、外敵から団結して身を守ってきたことは理解する。田に水を安定的に供給するために一致団結して利水を行わなければならなかった事情も理解する。集落というものが、一つの家族のように、固い絆で結ばれていなければ生き残れなかったことも理解する。だから常に互いに信頼できる相手かどうかを確認し続け、疑わしきは排除しなければ、身に危険が及ぶほどの状態を生き抜いてきたのだ彼らは。何世代にもわたって念入りに刷り込まれた価値観は、今でも根強く残っていて、いくら学校で自由や平等や民主主義教育などが行われていても、学校を一歩出れば、それは「教科書に書いてあること」として封印されてしまう。同じ日本人、しかもそんなに遠くないところから来た人間であっても、よそ者は絶対信用しない。自分たちと全く同じことができない人間は、信用できないのだ彼らにとっては。ましてや、まったく別の価値観を持って、生業である農業を捉える人間など、近くにいるというだけで恐怖すら感じる。歴史的に農村集落というものは、国の食糧を供給するために、完膚無きまでに搾取されてきたことは理解する。その伝統は、複雑に絡み合った制度の中で、もはや変えることなどできないほどに固く絡み合って社会の仕組みに連動しているので、それに疑いを抱くということすら思いもつかないのだ彼らにとっては。自分の父親が農薬中毒で断末魔の形相のまま、宙をかきむしり目を見開いて死んだとしても、年に一度しか使わないのに必ず故障する農業機械のために支払い続ける多額のローンや法外な修理代を請求されても、農協の言う通りに農薬や化学肥料を使っているのに、虫がたった一匹混入していただけで全て廃棄処分になっても、それら全ての損失を補うために、先祖代々受け継いでしまった巨大な家屋敷と農地や山の維持管理のために、夫婦でダブル・ワークさえしなければやり繰りができなくなっても、ひとことも口答えしないように我慢強く生まれつき、育てられてきたのだ彼らは。だから余計、希望に満ちた顔をして、嬉々として新しい試みを続け、ときには都会から農業体験に人が集まるような新参者にたいしては、心からの憎しみを禁じえない。

 農村とはそういうところである。村人の心は、先祖代々屈折していて、いやそうならざるをえず、そこへフラットな気持ちを持って移住しようというのである。田舎暮らしはのんびりしていて良いと想像するのは勝手だ。しかし考えてみればすぐわかる。仕事も豊富にあって、何もかも揃っている都会でこそ生きていける者が、そんなものが何もない場所でのんびりできると思うか。環境を変えれば事態は改善するのであろうか、会社で正当に評価されないと嘆く者が、自然なら自分を正しく評価してくれるはずだと期待するのであろうか、そんなことは絶対あり得ない。安全な食とやらを求めて、無農薬や有機栽培を掲げて、田んぼや畑を草まみれにしてしまう新規就農者を、何世代にもわたって黙々と営んできた彼ら農家が、喜んで受け入れるだろうか、そんなことは絶対あり得ない。だから、友人は、「おまえ田舎を知らんからや」と諭してくれたのである。だから彼らは、「こいつ、ほんまにやっていけんのか ??  」と心配するのである。農作業を、仮に熟知したとしても、いや、したからこそ、徹底的に潰される。建前では歓迎だが、裏からいくらでも手を回して制度を歪曲し、自治権を行使して、合法的に排除することができる。農村とはそういうところである。田舎暮らしとは、そういうところへ入っていくことである。そんなことをやりたいか ??

 方法は確かにある。移住する前に、必ず集落の正面玄関から入ること、自治会にお伺いを立て、ひたすら平身低頭して許しを請うこと、自我を捨て、その村の人間に生まれ変わるほどの強い覚悟と、卑屈を通り越して無に等しい謙虚さをもって、村の仲間入りをしたいと心から願うことである。全て言われるがまま、決して反論せず、言い返さず、訊き返さず、全てなるように良いように・・・ひたすら従順に、相手をあるがままに受け入れれば、道は開ける。耕せと言われれば耕し、抜けと言われれば抜き、いじめろと言われればいじめ、殺せと言われれば殺し、ノーキョーのセンセーが仰る通りに農薬や肥料を買い、機械のローンを組み、選挙でも投票し、これを栽培せよと言われれば従い、そうしているうちに村の人間として認められ、農業を生業として認められ社会的信用も確立する。しかし、気がついてみれば、都市生活で蓄積した財産も使い果たし、さらにきついローン地獄に陥った自分がそこにいる。しかしみんなやってるからなるようになるさという安心感があり、平穏無事であり、それこそが幸福であるといえなくもない。深く考えてはいけない。出荷した米や野菜は、自分が食べるわけではないから。そんなことをやりたいか ??

 ゴミ掃除の当番が回ってくるたびに憂鬱になる。私は二週間に一度、「燃えるゴミ」しか出さないのだが、たいていの家から出るゴミには目をみはる。加工食品の包材で膨れ上がっているからだ。恵まれた環境、しかも農家でありながら、共稼ぎで料理を作る時間などないのである。遠距離通勤で早朝から深夜まで、家にいないからである。ならば都会にいた方が良くはないか ?? 

posted by jakiswede at 01:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする