Inglan is a bitch イギリスの決定を聞いて、初めに頭に浮かんだのは、1980年に発表されたアルバムの中のこの曲だった。当時と今とでは、まったく状況は異なる。ロンドンには一度だけ行ったことがある。2005年のことだ。美しい街だが、移民が非常に多かった。まあそれはヨーロッパの主要都市のすべてに言えることだが、ロンドンの友人も、実はアフリカからの移民で、生活も住居も医療も教育も、すべて無料だった。ヨーロッパの多くの国が同じような政策を取っている。それは過去の帝国主義的侵略戦争の罪滅ぼしだと言われているが、ロンドンがイギリス人のものでなくなりつつあることを、イギリス人が苦々しく思う気持ちもわからぬではない。パリも、市北部は似たような状況、ブリュッセルも然り、現実にそこにいるフランス人やベルギー人の気持ちも、わからぬではない。EUは、共生によって広がる可能性に賭けた。しかしその理想が高ければ高いほど、現実の闇もまた深いものになった。その闇を克服することは、極めて困難な問題だ。まったく異なるバックボーンを持つ人たちが共に暮らす。違いや対立は必ずある。しかし、国は一つであり、大きく見れば地球は一つしかない。否応無しに共存と共生を迫られる。どうすれば良いのか、本当にわからない。いまアメリカで起こりつつあること、そして来月日本で始まるかもしれないこと、結局、共生や平和という理想は、その時の多数の民意によって、近づいたり遠のいたりするものなのかもしれない。実現に向かえば平和な時が続き、反対に向かえば悲劇が続くだろう。考えてみれば、人類は飽きもせずにこれを繰り返してきた。本当にどうなるのか、わからない。多くの友が、世界中にいるだけに、強くそう思う。