田植え開始、例年より2週間も早い。まずは古代米と糯米から。苗取りの時間が、実は全農作業中で最も幸せな時間だったりする。
三種類あるので、竹を渡して区分してある。通常の田んぼとはずいぶん様子が違うのでわかりにくいかもしれないが、よく見ると植わっているのがわかる。この状態で田植え完了。
田植え開始、例年より2週間も早い。まずは古代米と糯米から。苗取りの時間が、実は全農作業中で最も幸せな時間だったりする。
三種類あるので、竹を渡して区分してある。通常の田んぼとはずいぶん様子が違うのでわかりにくいかもしれないが、よく見ると植わっているのがわかる。この状態で田植え完了。
左から「朝紫」と「神丹穂」、いずれも順調な仕上がり。
「緑糯」と「豊里」、古代米ともち米は、計算上は時期尚早だが、状態としては植えても大丈夫。
ところが「サリー・クイーン」の不調が目立つ。左の「豊里」と比べても一目瞭然。インディカの「バスマティ」とジャポニカの「日本晴」という異種の掛け合わせに無理があるのか、状態が安定せず、出足が特に悪い。種の入手ができなくなったので自家採種に頼っているが。年々悪くなる。苗代に置きすぎるとイモチ病が多発する。
ウリ科の発芽は順調で、特にズッキー系の一部は定植可能。
雨模様なので、取り外しできるように竹棒を重りにしたシートで覆う。
降り出した雨を利用して畦塗りをする。今シーズンは畑の半分を休耕にしているので、そこへ大豆を植えることにし、畔豆にはしない。これは畔の草刈りの省力化にもなる。とにかく農作業を減らすこと。
おそらく梅雨前最後の快晴、無駄とは思いつつも全体を鳥よけネットで覆い、余った部分を使って下からの攻撃にも対処する。実際こんなことしても無駄である。鳥達はわずかな隙間をかいくぐり、そこに集中して穴を開け、ネットの内側を自由に移動する。裸で置いておくよりちょっとはマシかなという程度の効果しかない。従って長く干すことはできない。さらに雨が降る。とりあえず干したら、雨の止み間をついて脱穀し、穀物貯蔵庫に放り込んでおく。梅雨が明けて強い日差しが来たら、改めて網戸に広げて干す。
葉色が悪くなったので、玉ねぎは未熟のまま収穫。ニンニクは取り時を迎えたのと、タマネギからの病気感染を警戒して収穫。
小麦も一部青いものが残っているが、鳥害を警戒して早めに刈り取る。
穂が白っぽいのが特徴の「ユキチカラ」が束ねられて夕陽に映える。
芒の長い「ミナミノカオリ」のはヨーロッパ的な色調。
なんてことを言ってる間に小麦がヤラレはじめた。鳥は片ッ端゜から引き倒して穂を地面に落として実を食らうので、みるみる畑中の麦を引き倒されるし、食い残しは畑に残って発芽するしするので、これが始まったら食い尽くされないうちに刈り取って干して脱穀してしまわねばならぬ。しかも梅雨間近・・・
麦の刈り旬は、実を爪で押してみてわずかに型がつく程度とされているが、げんじょうはとてもとても、まだ乳液状態である。しかしこの乳液を取りは好むので、放置すれば全滅する。昨シーズン以来の全滅シリーズの続編はごめんやし、ここは嫌でも刈られてもらう。
周りの田んぼでは田植えが始まった。
これは田植え、すなわち移植栽培ではなく直播栽培の例・・・近くにいろんなやり方をする師匠達がいるので幸せだ。
あれこれ翻弄されてる間もなく、私もとにかく畔作り、いよいよ農繁期突入。
いわゆる「便所サンダル」略して「便サン」・・・昔はどこにでも売られていて、数百円で何年も持つ丈夫なものが当たり前だったのだが、希態に小洒落たサンダルが幅を利かせてこーゆー基本アイテムが入手困難になった。先日インターネットで千数百万円もするのんを探し出してようやく注文できたのだが、昨日たまたま通りかかった履物屋に懐かしくぞんざいに置かれてあったので、種類の異なるものを二つ購入して、これから履き比べてみることにする。左のものが日本製、右二つは中国製である。
遊んでる間に、麦やソラマメはは熟成の時期にさしかかった。
ソラマメは、初期に病害にやられてかれてしまう株があるが、放置しても周囲に影響しないようだ。葉色が衰えても結実は旺盛で、特に摘芯などしなくても大きな収穫が得られる。この土は豆と相性が良い。ありがたいこっちゃ。
エンドウも本格始動、合間に生える小麦も色づきはじめた。
セリと並んで出荷を待つ。
続く日曜日、京都堺町画廊にて、コンゴにディープに関わる日本人の集まるイベント、私とともに写っているのは、なんと中央が山極壽一京都大学総長 !!!! 、右は昨年『たまたまザイール、またコンゴ』という本を出版された作家の田中真知氏・・・全く異なるアプローチでコンゴに迫る3人の、それぞれの立場による同じ国の見え方感じ方が大変面白かった。
山極教授はゴリラの研究のフィールドワークで40年以上もコンゴと関わられ、その研究成果を人類の平和共存の模索に繋げようとしておられる。
また、田中氏はジャーナリストとしての豊富な体験をバックに、コンゴ河を下るという場面に現れては消えていく現地の人間模様を、ありのままに浮かび上がらせる。
私は私で遥か彼方に見える光明に向かって、手段も方法も選ばず闇雲に突っ走る音楽バカ。それぞれの生き方、それぞれにまつわる秘話、そしてそれぞれの立場を共にする人々が、普段は全く接点を持たないのに、今日この場所で一堂に会したことが、このイベントの意義。ひとつのありかたとして、三者三様のコンゴへのアプローチを、一般に向けて公開していくことができれば面白いことになるだろう。
cafeminhos @「摩耶山リュックサック・マーケット」x「摩耶山アコースティック・ピクニック」のFeijoada
肝心の小遣い稼ぎの方はそっちのけで・・・
ええ音が聞こえてくるとつい・・・
人の迷惑も顧みず見知らぬ人の演奏に乱入し・・・
あきれつつも温かく包み込んでくれる古い仲間に守られて・・・
今日も一日幸せにすごしました。
まあ陽気も良くなって苗もそこそこに成長してきて、生命の高まりが感じられる今日この頃・・・
「豊里」も三葉に伸びてきたのだが・・・
例年通り「サリークイーン」は足踏みしとる。古代米や固定種と違って、「バスマティ」と「日本晴」という異種交配がかなりのストレスになっているのだろう・・・美味いねんけどねえ・・・
それより気になるのがタマネギとニンニクの葉色、ここ数日で急に色が抜け茎も弱り、昨日のちょっとした風で倒されるものも出た・・・おかしい・・・
とりあえずソラマメとエンドウは最盛期に向けて出荷を急ぐ。
この時期、冬越しした田んぼに蔓延る草の主役は稗である。もう少し酣になってきたら、刈り取って肥やしになってもらう。
04/29に種下ろしした「神丹穂」その他、もち米や古代米の発芽は早い。
田を整えて苗代を見守るのか、整えられた田を苗代が見守るのか・・・
The Ornette Coleman Double Quartet: Free Jazz (LP, Atlantic, SD1364, 1961, US)
Free Jazz (Part 1)
Free Jazz (Part 2)
Left Channel;
Alto Saxophone – Ornette Coleman
Bass – Scott LaFaro
Trumpet [Pocket] – Don Cherry
Drums – Billy Higgins
Right Channel;
Bass Clarinet – Eric Dolphy
Trumpet – Freddie Hubbard
Bass – Charlie Haden
Drums – Ed Blackwell
Engineer [Recording] – Tom Dowd
Recorded December 21th., 1960, in NYC
Design [Album] – Loring Eutemey
Supervised By – Nesuhi Ertegun
Inner Photo ≪ White Light ≫ by Jackson Pollock
もとい、もちっとまじめにこのレコードについて書いておかなければならない。この録音は、上の通り二つのカルテットが同時に演奏したもので、LP両面に分割して収録されている。まったくフリーに別々に演奏したわけではなく、リズムとモードは共通、インプロヴィゼイションも基本的にソロで、登場する順序も決められていた。試みとしては斬新であり、演奏自体も独特の型破りな緊張感を持っているが、極めて偶発的なセンスに依存しているため、演奏の核をなす部分が曖昧にならざるをえず、またその緊張感を長時間持続、あるいは録音するために反復して再現することなどが非常に困難だったことから、左右別々に同時に演奏するという試みの斬新性の割には、結果として中途半端な仕上がりになった印象は否めない。しかし、演奏内容のそれぞれをよく聞いてみると、その場その場における周囲の演奏の呼びかけに呼応して、ときにはチャンネルを越えて呼応しているのがよくわかり、しかもその演奏がその場の予定調和性を突き崩そうと試みている不断の努力を垣間聞けるのである。そいうい点で、この録音はまさにジャズにおけるFree Jazzの初めての試みといえ、既成の型を打ち破ろうとしたエネルギーの迸りを聞くことができる。しかしそれがOrnette Coleman彼独特の、魂をかきむしられるようでありながら、慟哭する直接的な肉声すなわち実際の泣き声、ではなく、別の次元への昇華を図った・・・それがまさにジャズであると私は考えているのだが・・・別な形での叫びに似た音声に求められた価値観をこの演奏に求められるかというと、少し困難があるように感じられる。私は何度も繰り返しこの録音を聴いていたので、そこに現れては消えていくエモーションの移り変わりを見るのが好きだ。
夏への扉。玄関先にこぼれた種は大麦であったか・・・
大根は、花の季節を終わって種を孕みはじめ、玉ねぎやニンニクは黒いまでに緑濃く、春の日常野菜も間引きの時期を迎え、夏の主役のウリ科も発芽が始まった。
田んぼの使い方を変えた。毎年米作りをするのではなく、1/3を畑にして冬の間パン用小麦やソラマメ・エンドウを作り、その区画は夏は休ませて草を積む。他の2/3で米作りをしたら、その冬は1/3を畑にして・・・これを1/3ずつ繰り返していく。畑の方も半分ずつ休ませて2年1作とする。肥料を人為的に入れない分、地力より生まれる草を積み上げて土作りを兼ねようという試みである。
さて、そのパン用小麦を挟んで育つソラマメ・エンドウが今年は強烈。
ソラマメは下から結実しはじめていて、草丈は私の肩に達する。エンドウも巨大な莢をつけている。
脇の溝では田芹が程よく育っていて、除草のついでに収穫して出荷する。一部はキムチに漬ける。ありがたや・・・
しかし、小麦に芒のあるのとないのがあるのは何故だ ??
高槻ジャズストリート初日。今年はだいぶええのんが当たった。しかし全体として聴きやすいジャズが増えて、ぐっと下半身から突き上げてくるようなエロいグルーブ感の響き渡りが聞こえなくなってるのは、時代の流れかもしれんな。もうちょいよく調べてからならあたりも増えるかと思うんやが、なんせこのガイドブック、昔からいつどこで誰がやるかはわかるんやけど。誰がいつどこでやるかがわからん。まあそれもそれで偶然の出会いがあっておもろいといえばおもろい。
失礼・・・先ほど気がついたのですが、あー書いておきながら実は逆引きできることがわかりました。凡例には説明がないのですが、アーティスト名の次に数字が書いてあって、それが会場の番号なのです。たしかに初めの頃は逆引きができず、手持ちの第10回のガイドブックのものにはこの数字がありませんが、第13回のガイドブックにはその数字が見られます。すくなくとも5年前からは逆引きができるようになっていたようです。気が付きませんでした。間違ったことを書いてしまい、実行委員会の皆様には大変失礼をいたしました。とにかく、今では押しも押されもせぬ日本一の楽しいフェスティバルだと思います。
浸水と催芽処理を終えた種籾は、表面が乾いて手につかなくなる程度、通常は数時間から半日乾かす。これを「籾振り」という。
で、これを網の目のグリッドに一粒ずつ落としていく。苗代の土は冬期湛水して冬越しの種を窒息させてあるので、その一部をシート上に乾かしておいて、篩いながら覆土として使うと良い。
2010年の世界一周旅行では、ブラジルのヘシーフェでカルナヴァルを見ようと思って計画を立てていたのだが、期間中は旧市街は閉鎖されて宿泊できるところがなく、遠く離れたBoa Viagemというリゾート地のボッタクリドミトリーか、隣町のOlindaでベンサォンを借りるかしか方法がなかったので、ヘシーフェのカルナヴァルは無理かと半ば諦めかけていたところ、現在の家主さんが天理教の教会長さんであって、知り合いの方がヘシーフェで教会を営んでおられ、常時100人くらいは寄宿しているから一人くらい潜り込んでも問題なかろう、なんなら口をきいてやっても良いぞとおっしゃるので、藁をもすがる思いでお願いしたところ快諾を受け、旅先ではそのご好意に甘えて有意義に滞在させてもらったのであった。
天理教というのは誠に寛容な宗教であって、私のような不信心者であっても、助けを求めて門を叩く者は全て信者であるといって、嫌な顔ひとつせずに迎え入れてくだされ、目的があってきたのであろうから一切口出しはせぬ、好きなように過ごすが良いといって、なんの詮議もなく門の鍵と部屋の鍵を渡してくだされ、カルナヴァルの期間中夜通し遊び呆けて日も高くなる頃に帰り着いてもなんのお咎めもなく、見てきたこと聞いてきたことを面白そうに聞いてくださる、なんというか、この人がおられなければ、私のブラジル滞在は成功しなかったであろう。心からの感謝の気持ちをいつかお返ししたいと常々心がけてきたのであったが・・・
その教会長さんがブラジル人の信者さんを10人引き連れて天理に滞在しておられるという。天理教は世界宗教であるので、世界中から聖地巡礼として、人生のうち一定の期間を天理で過ごすことになっているのだが、多くの場合、日本の炊き出しの食事が口に合わず、留学生は苦労する。わが家主さんはブラジルに移民されたご家族があり、やはり天理教の信者であらせられるのだが、来日して天理に滞在して一週間もしないうちに、食事が合わずに恐慌を来してしまい、近隣のブラジル食材店で売られている缶詰を食べるだけでも涙を流して喜ぶという。ならば私が舌で覚えたフェイジョアーダをお届けすればさぞかし喜んでくださるだろう、ああこれでやっとご恩返しができると喜んでガッツリ作ってみました。いやあやっぱり俺もこれがええわ。太陽の加減もスルドク夏日和やし、インディカ米も香気を盛大に放っとるし、こーゆーのんガバッと食うて畑に出て、力強く野良仕事をすんのが幸せや。ありがたいこっちゃ。
今年は季節の運行が早い。梅雨に水不足になるような予感がする。古代米の朝紫・神丹穂・緑糯が浸水五日目にして早くも発根。
慌てて冬期湛水していた苗代予定地の水を抜いて表面を出し、播種。
今回はバーベキュー用の網を利用して、1cm間隔を目指し、数量の凡そも把握する。例えば、豊里を植える田んぼは、田植え枠6列 x 3筋で、延長24mに大体30cm間隔なので80列、掛け算すると1,440株。一本植えを基本とし、発芽不良や生育不良の分を見込んでも3,000粒あれば足る。バーベキュー網は50 x 75の格子になっているので、これ一枚で充分という計算。
その豊里も、今見てきたら根が出はじめていたので、明日には苗代に降りてもらいます。さて大量に籾が余ります。朝紫・神丹穂・緑糯・豊里・サリークイーン、そして今シーズンお休みのタイの香り米。ほしいかたどうぞ。なお、苗代レンタルは締め切りました。田植え予定は、苗の成長が早まりそうなので、6月中旬です。これもやってみたいひとは早めにご連絡を・・・
農家になってしまうと、毎年いろんな役所に「私は国の大切な農地を利用して、これこれの作物を栽培し、国の食糧生産に貢献するとともに、これこれの収益を上げて生活します」という一種の事業計画書のようなものを提出しなければならない。ビジネスの世界におけるものと違って、まったく洗練されてないというか、課題の切り分けがムラ社会的農村政策的泥沼田んぼ的に不分明であって、古色蒼然たる専門用語が整列してお出迎えである。印鑑も左に頭を下げて押すのが礼儀らしい。
端境期というやつである。冬野菜を出し尽くして、春野菜の収穫はおろか、種まきすらまだの時期、食卓の大切な青物は田のいわゆる雑草である。たとえばセリ、ソラマメやエンドウの世話をしながら除草がてら収穫する。天ぷらやおひたしにすると良い。
麦も花をつけはじめている。脇にはヨモギやスギナも見られる。ギシギシの新芽を集めて、これも天ぷらやおひたしにする。というわけで、出荷できるものは生鮮品は少なく、貯蔵していた加工品や穀物で糊口をしのぐ。
Papa Wembaは、私の人生を変えた男だった。私はこの男のおかげで人生を棒に振ったも同然だ。思い起こせば、あれは確か1985年の冬、当時のザイールから帰国した故ピリピリ師匠が現地で買ってきた (たぶん) 一枚のドーナツ盤を前に、大阪梅田の今は亡きレコードショップVICのターンテーブルを囲んだ常連客がじっと考え込んでいた。そこに雁首を並べていたのは、後にKarly Chockersを結成することになる主要メンバーだった。ドーナツ盤の曲名は「Melina Parisienne」、こんな激しく乾いた、迸るようなスピード感のある、激しくてストレートで複雑で熱い音楽がこの世にあったのか・・・当時の私は、とっくの昔にプログレに飽き、パンクに馴染めず、オルタナにも距離感があって、レゲエを皮切りにどっと押し寄せてきた、聞いたこともない国々の様々な音楽の洪水に、進むべき道を見失っていた。キューバ・ラテン・ブラジル・レゲエ・ハイチ・アジア・アフリカ・・・サルサもよく聞いたしアフリカではフェラ・クティやサニー・アデをよく聞いた。当然、レコードもたくさん買ったしライブにも行った。週末や休日は、決まってレコード屋めぐりとバンドにもならない連れ同士の音出し練習に費やされた。しかし、どんな体験や試行錯誤も、この「Melina Parisienne」を聞いた後では、すべてがままごととしか思えなかった。その衝撃は、それまで自分たちがやってきたことのすべてを、まさにあざ笑うかのようにぶった切って空中の放り投げ、ドカンとどでかい花火をぶち上げて上空から白日のもとに暴き出し、自らは火の粉となって我々に降り注いだ。それまでの自分たちの試行錯誤など、もはやなんの意味もなかった。自分たちが欲しかったものはこれだった。ドカンと一発ぶち上げて火の粉をまき散らす。それほどのエネルギーを音にしてみろ、いてもたってもいられず、とりあえず、やもたてもたまらずに、我々は集まってバンドを結成した。Papa Wembに、偉大な精神性や深遠な思想があるとは思わない。しかし、彼がやったことは凄まじい。というか、やっちゃった・・・なにも考えずに勢いに任せて才能を信じて突っ走ったら、やっちゃったのである。だからすごい。考えてないから嘘がない。花火のように、ミサイルのように、ロケットのように、飛び続けても人生はまだ短すぎる。あるいは流星のように、隕石のように、閃光を発しながら崩壊する。それでも足りない。これは生き方であり行動なのだ。考えてる時間なんてない。おそらく彼も、自分が死んだことすらわかってないだろう。これだ。人生は短い。ぶちかましていかんと、あとなんぼもないんやで。それがリンガラ的な生き方や。その甲高い声とは裏腹に、彼の地声は非常に低くて重い。こちらから何を語りかけても、特に含蓄のある言葉は返ってこない。そんなものは不要だ。ただ、ぶちかますようにその時を生きる。ど真ん中を正面突破する。ただそれだけだ人生は、と・・・確かに彼はそうだった。1978年に彼がバンドを始めた頃、自分が国を代表するようなミュージシャンになることなど望んでいなかったに違いない。私も彼と何度も同席したが、国民的英雄と膝を交えているとさえ思っていなかった。だから、安らかにとは言わんよ俺は。
新名神高速橋桁落下事故、一夜明けた現場は、規制線は張られているものの、落ち着いていました。現場を北側から見る。右が神戸JCT.、左が高槻方面。この下を有馬川が流れ、両岸に国道とその旧道が並走する。
手前が国道176号の旧道、対岸が本道、右手が三田方面、左手が大阪方面で、いずれも交通は規制され、右手の山の向こうを並走する有馬街道へ迂回することになる。
その遠景、右端が現場。奥に見えるのは六甲山。
道場町日下部、国道と有馬街道の分岐点で迂回の指示が出されている。
私の畑からも目と鼻の先。
昨年、いもち病に結構手を焼いた経験から、今年は種子消毒を丁寧にやる。温湯消毒する場合は、低温浸水にはせず、自然環境下における最低水温が10℃を下回らない時期を見極める。60℃の温湯に正確に10分浸ける。種籾の種類が多いので、すべて網袋に入れたままつける。その際、全量を入れるのではなく、失敗を見越して必要量より少し多めに小分けしておく。温度低下が考えられるので、風呂に湯を張って温度を見ながら一つずつ丁寧にやる。温度の均一化を図るために網袋をもむ。60℃は結構熱い。経過したら速やかに常温まで冷却して浸水に入る。写真ではかなり窮屈だが、もう一回り大きなたらいなら十分。考え方としては、1日の平均水温を積算して100℃を目安に発芽するとあるが、私の経験では、これは当てはまらないように思われる。「神丹穂」・「緑糯」・「朝紫」などの古代米系統はこれよりはるかに短く、半分以下で発根しはじめる。逆に「豊里」はやや遅く、「サリー・クイーン」はもっと遅い。水温が7℃を下回る場合、積算水温に加算しないことになっているが、そればかりか、低温にさらされると発根率が極端に落ちることを経験している。特に「豊里」の落ちは著しく、これを初めて栽培したときは、大半の籾を腐らせてしまい、苗をもらいにほうぼう走り回ったことがある。調べてみると、その年の4月下旬から5月上旬にかけて低温が続いていたので、これが原因と思われる。
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