2016年08月15日

20160815 シーズン前半終了

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 シーズン前半の農作業終了。お盆を迎えるにあたって集落をきれいにしておくのがどったらこったら言う無言の圧力に配慮して周囲の草刈りも済ませた。


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 猛暑が一段落して、雨がないものの朝夕に秋風が感じられる時候となって、畑では次の季節が実りはじめている。四角豆。


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 いろんなウリ・・・カボチャとカポディキーノス。


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 トルコ原産のナス。


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 畑全体の除草も完了、管理という、百姓の精神衛生の都合上、一旦砂漠化もやむなし。雨を待つ。


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 陸稲状態で追加で植えたインディカ米「サリー・クイーン」も、悪条件下にもかかわらずたくましく育っている。


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 暑さが和らいだのを見て、トルコ原産の白ズッキー (Sakiz Kabak) がいくつも実りはじめた。


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 ちょっと遅まきだったが、やっとオクラに花。


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 茨城原産「黒花豆」定植。


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 全く除草していないのに、このように溝が見通せるほど、これは古茅の抑草効果と結論付けてよいと思う。 


posted by jakiswede at 16:41| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2016 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20160815 もうええかげんに

 私は、誰がいつなんどき靖国神社を参拝しても良いと思う。公人であれ私人であれ、思想信条の自由が保障されているからだ。それについて懸念を抱くことも自由だし、批判することも自由だ。またそれに反論することも自由だ。だから、政治家であるなしを問わず、その人の思想信条に従って行動すればよい。その結果「みんなで」参拝することをよしとするならば、それはそれでよいと思う。ただ、靖国神社に参拝することの意味するところは多岐にわたり、公人が参拝することは、そのすべての意味合いにおいて責任を問われることもまた当然である。たとえば日本の政治家が参拝したことを説明する場面で、靖国神社に祀られている「英霊」が「日本の繁栄の礎を築いた」というならば、その繁栄のかなりの部分に、アメリカ、朝鮮半島、ベトナム、その他特に東南アジアにおける紛争や戦争の特需があったことが考慮されていなければならない。また、当然のことながら、日本が行った侵略戦争によって他国の人々が犠牲になったことは事実であるにもかかわらず、旧日本軍戦没者のみを祀っている宗教施設に、政教分離を国是とする日本の政治家が参拝することは、公平性を欠く行為と考えざるをえない。だから、日本の政治家が靖国神社に参拝して日本の繁栄について感謝の気持ちを表するというのであれば、同時に、日本の政治家はそれらの国々の戦没者の慰霊施設をも訪問して同様の行動をとるのがよいと思う。そうすれば、その政治家は立派な人物として近隣諸国から評価尊敬されるだろう。天皇陛下はそれを実行しておられるから諸国から尊敬されているわけだし、私もそれゆえに尊敬している。外交以前に、それが人として当然の感覚ではないか。

posted by jakiswede at 16:39| Comment(0) | NO MORE ABE !! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20160809 Ornette Coleman: Townhall 1962

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Ornette Coleman: Town Hall, 1962 (LP, ESP 1006, 1965, US)


Doughnut

Sadness

Dedication to Poets and Writers

The Ark


 私はOrnette Colemanが好きである。彼の音に浸っているだけで幸せを感じる。この感覚は、たぶんジャズの本流を行く人にはさっぱりわからんだろう。それで良い。音楽なんて、所詮好きか嫌いかで決めれば良い。Ornette Colemanは、1959年に究極の名盤「The Shape of Jazz to come」を発表してしまって以降は殆ど余生といっても良いくらいで、いろんな試みをしてはうまくいったりいかなかったり、好かれたり嫌われたり、調子に乗ったり壁にぶち当たったりで、まあいろいろやって音楽人生を楽しんだはる。1960年に「Free Jazz」でダブル・カルテットの試みに失敗してからは、もっといろんな形に手を出すようになってきて、その後の彼の多様な音楽性に発展していくのであるが、1962年に録音されたこのライブは、なぜか私の愛聴盤なのである。明らかに寝不足で機嫌の悪い顔、眉間にしわを寄せて俯き加減でおでこから下は鼻以外黒くつぶれている。セルフ・ポートレートとして最低の出来だと思うのだがこれをジャケットに持ってくるあたり、さぞかしなにかあったんだなと想像できるのだが、演奏が良いのか悪いのか、やってて楽しいのか投げやりなのか、それでも一曲として同じアプローチはなく、A3ではviolinとviolaを従えていわゆる現代音楽やってます。基本フリージャズですが、4ビートから定石通りに崩して、普通なら止めるところを止め処なく奈落の底まで落ちていくような・・・落ち切ったそこでこんな困った顔になったのか、なにしろ悲痛なまでにシリアスで、なおかつその後かれが手を出すあらゆるジャンルのショウケースみたいになってて、これはおすすめの一枚です。個人的に。で、1970年くらいまでは、いろいろと試行錯誤が続いて、その間、「Chappaqua Suits」(1965) という名演奏ながらお蔵入りになった映画音楽のスウンド・トラック、これはクラシックの弦楽コンソートとフリージャズのコラボレイションで、個人的には好きだがオススメするには躊躇を禁じえないので割愛。同年「At the Golden Circle」のライブ盤2作で、なんかフツーの演奏してジャズファンをホッとさせたらしいが私にはどうも、でこれも割愛。1967ドラムがJack DeJohnetteに代わった「Love Call」あたりから光明が見えはじめ、「Crisis」 (1969) 、「Friends and Neighbors」(1970) あたりで、主要作品でベースを務めてきたCharlie HadenらとともにJCOA関係の若手フリージャズのミュージシャンと繋がりができたあたりが一つのピーク、その後の大きな転機は、いわゆるPrime Time Bandの先駆けとなる「Dancing in your Head」(1976) まで待たねばならない。ま、いずれにせよ長い余生、ぼちぼちレッドゾーン振り切った演奏がいろいろたまらんのよ彼。

posted by jakiswede at 16:37| Comment(0) | 変態的音楽遍歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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