2016年09月21日

20160922 思い出の山カフェ

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 懐かしい写真、この写真を撮ってもらったときのことはよく覚えてる。場所は、芦屋の六甲登山口高座の滝の麓にある「大谷茶屋」に併設された洞窟カフェの「六甲山カフェ」だ。私はそこの代表を務めていた。写真を撮ってくれたのは、香港から来た、旅先の日本を取材している女の子のグループだった。リンク先によると2012/11/14とあるので、「六甲山カフェ」を辞める直前の頃だ。懐かしい。苦しかった時期だが、今思い返すと非常に懐かしい。

 当時、私は複数の深刻な問題を抱えて苦しんでいた。「六甲山カフェ」は、衛生状態・漏電・苦情などが相次いで保健所・消防署・警察からの呼び出しがしょっちゅうあり、なんとか法令を守りながら活動を続けたい私と、プロジェクトを優先させたいメンバーとの間の、考え方の対立が極限に達していて、その年の年末で私は辞めざるをえなくなった。また、その4年前に亡くなったある友人の遺品の処分をめぐって遺族と4年越しのトラブルが続いていた。そしてなにより、農地法など農政に関する制度を知らずに自然農による栽培を試みていた私は、集落の一部の人から違法営農を指摘され、農業委員会の行政指導、さらに告発に至る直前の状態になっていた。さらにもうひとつあるのだが、それはちょっとここでは言えない。とにかく苦しかった。なぜこうなるのかさっぱりわからず、打開策も見えず、濁流の中で無闇矢鱈にもがき苦しんでいた時期だ。

 写真を撮ってくれたグループは、高座の滝のそばにある祠を珍しがって写真に撮っていた。滝には業をする人もいて、それも彼らには珍しかったようだ。しかし、話す言葉を聞き咎める人たちがいた。彼らは中国人が嫌いなようで、神聖な場にふさわしからぬ態度で傍若無人に振る舞っていると見えたようである。彼らは強い調子で香港人のグループを罵った。罵られた側は日本語がよくわからないのでキョトンとしていたのだが、その態度にさらに腹を立てた日本人のグループが彼らを取り囲み、その騒ぎを聞きつけた別のグループがそれに輪をかけることになって、現場は一時騒然となった。一部始終を見ていた私は、そこへ割って入って彼らを店に引き入れた。日本人グループが追ってきて店に入ろうとしたが私は立ちはだかって口論になった。彼らは古くからのこのルートの常連で顔見知りではある。保守的な考えは服装を見ただけで分かるほどだったのだが、私が頑としてその場を動かなかったため、彼らはなんとも恥ずかしい捨て台詞を放って山を降りて行った。そんなことがあって高ぶった気持ちが、次第に落ち着いてきた時に撮ってもらった写真だ。「六甲山カフェ」では時々こういうトラブルがあった。

 その後、私はそこを辞め、友人の財産問題も遺族の中から理解者が出て解決し、新規就農の手続きもなんとか乗り越えて今がある。しかしその頃とは全く別の困難に直面していることも事実だ。これらも同じくらい困難な問題だ。ただ違うところは、この写真の表情にも表れている通り、この頃の私は、自分の信念を貫いて生きていた。そのために発生したトラブルに苦しんでいたわけだ。当時は、まだバイトもせず、自由に生きていた。真剣に努力すれば農業で生きていけると淡い期待に支えられていた時期だ。しかし今は違う。私のやり方では格差を乗り越えることはできないことが分かった。溝を埋めるには日本経済の恩恵を受けざるをえない。そのことはすなわち、自分が否定し、そこへ二度と戻らないことを誓ったはずの生きかたに、部分的ではあれ戻ることを意味する。つまり、その分だけ自分を欺いて生きるわけだ。そして現実は厳しい。百姓仕事をする前提で就ける仕事には限りがある。そして、その収入では、やっていけないのだ。新しい仕事にありついた。そのことは幸運だった。しかし、それはとりもなおさず、より多く自分を欺いて生きざるをえないことを意味する。弱った体、諦め、裏切り、それらを抱えて生きていかざるをえない私は、もう二度とこんな笑顔はできないに違いない。


https://www.e123.hk/ElderlyPro/details/201320/sc



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2016年09月20日

210160921 夏の終わり

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 台風が過ぎて夏が終わった。西日本の夏は長い。そして自然農の畑では、巷で夏野菜と思われているものは、秋に本格的に取れはじめる。


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 私はナス科が苦手なはずだったのだが、今年はヤケに調子が良い。


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 トマトは青いうちから割れてくるが、こんなにたわわに実ることは珍しい。


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 今年のヒットは唐辛子類、ペーニョちゃんを筆頭にあらゆる激辛唐辛子がすくすく育つ。


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 茨城の黒花豆も、栽培が困難と言われながらも半分は生き残って実をつけはじめた。


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 そしてこれはなんとガルバンゾ、何度目かの挑戦でここまで生きながらえた。おそらく日本では梅雨明け以降に蒔くと良いのかも、しかし夏が短いから実をつけるまで行くのかどうか・・・


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 これはトルコの白ズッキーの緑斑種、たぶん緑のズッキーの花粉が飛んだのであろう。


posted by jakiswede at 16:38| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2016 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月19日

20160912 「朝紫」稲刈

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 田んぼ右手前から黒米「朝紫」・緑米「緑糯」・赤米「神丹穂」、「朝紫」のみ中生で刈り旬を迎えている。


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posted by jakiswede at 16:33| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2016 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20160914 直前の悪夢

 「摩耶アコースティックピクニック」と「リュックサックマーケット」には、今後参加しないことを決めました。お客様には大変申し訳ございませんが、やむを得ない判断です。直接の原因は、「リュックサックマーケット10周年記念ピクニック」のトークライブが「アコースティックピクニック」のステージと一体化して行われることがわかったからです。誰が決めたのでしょうか、私はなにも聞いておらず、私たちは自分たちのイベントを自分たちで決めて良いはずでした。でもそうではなかった。私はこういうことが一番嫌いです。自由にやって良いというならば自由にやって良いはず、端で見ていて美味そうになったら横取りする、こんな百姓みたいな根性が私は大嫌いです。

 「リュックサックマーケット」というのは、もともと「六甲山カフェ」のプロジェクトの一環で、芦屋の高座の滝のたもとにある「大谷茶屋」周辺で始まったものです。「カフェ」と名のつくとおり、これは飲食の提供を伴ったものでした。私は途中からこのプロジェクトに賛同して活動に加わりました。「山にカフェを持ち込む」ことにより広範に山を楽しむきっかけ作りは広がりを見せ、摩耶山においてはmayasan.jpにもあるとおり、様々な活動に発展的解消を遂げていきました。その時点で、「リュックサックマーケット」は「六甲山カフェ」の手を離れて公的な運営主体に委ねられました。

 一方、大谷茶屋を拠点にした飲食提供を目的とした実店舗の「六甲山カフェ」は、「日替わりマスター」制を敷いて定期的な活動を続けており、途中参加の私がその代表を務めることになりました。しかし「洞窟カフェ」として人気が出た反面、湿気や漏電、衛生管理状態など多くの問題があって、苦情が相次ぎ、警察・保健所・消防署から行政指導を受ける羽目になり、その対応に追われました。

 最も厳しい指導は保健所のもので、そのうちの一つに「六甲山カフェ」という屋号が「大谷茶屋」の営業許可の要件を逸脱しているから使用しないようにというものがありました。活動を続けるには、一時的に「六甲山カフェ」を名乗ることをやめなければなりませんでした。そのうえで、合法的かつ安全に、しかも「六甲山カフェ」の名称を復活させるために私は様々な努力をし、排水設備や電気系統を改善したり、知り合いの厨房を借りて製造許可を得る努力をしたりしました。また、事故が起こったとき、現状では責任はすべて大谷茶屋が負わなければならなくなっていたのを、資格を修得して私が負えるようにしました。こうした努力で、法的要件を満たしながら「六甲山カフェ」の名を守るめどが立ったのですが、日替わりの各マスターにも、彼らが担当するメニューに応じた資格をとってもらわねばならず、そこで猛反対にあいました。

 その後、何度も話し合いをし、理解を得ようと努力したのですが、ついに意見はまとまらず、私は「六甲山カフェを潰した男」として退場せざるをえなくなり、復活した「六甲山カフェ」では「大谷茶屋」で許可されていないナマモノなども堂々と販売され、代表者として私の連絡先が公表され続けたために、苦情や指導はすべて私の元に寄せられるようになりました。こちらから何度も改善を申し入れましたが現状は変わっていません。つまり、彼らは自分たちのやりたいことを実現するためには手段を選ばないのです。

 その中心人物が、「リュックサックマーケット10周年記念ピクニック」のトークライブに名を連ねている面々です。そしてこれは同窓会なのです。そんなステージには、私は死んでも立ちたくありません。私はmayasan.jpにも問い合わせましたが、人脈が繋がっているので当然ですが、これらの活動は「六甲山カフェ」との一貫性を失ってはいなかった。しかも、「六甲山カフェ」のブログにも、これを期に「リュックサックマーケット」へも積極的にコミットしていくという意思表明がなされており、主催者もその通りという方針を述べられた。

 もちろん反論して戦う方法もあります。しかし、何の関係もないお客様の前で論争なんてできないし、主催者側で決まってしまったものを、私の個人的意見で変えさせることもできない。しかも彼らはエリート中のエリートで頭脳の出来が私とはかけ離れていて、限られた時間で私が彼らを論破することなど到底不可能だと思います。情けなく、残念なことですが、私が退場するしかないのです。

 まあ大体そんなことです。いろいろ楽しかった。感謝してます。次なる活動の場を見つけようと思います。ありがとうございました。

posted by jakiswede at 16:29| Comment(3) | 音楽活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20180904 さなぶりの証

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 「さなぶり」という、たぶん農村でしか通用しない風習があって、これは田植えを終えた時期に田の神に感謝の気持ちを捧げるものである。当地方では、田へ水を引く入口に稲の苗を植える。例年は、神に捧げるものなので、その名も神にちなんだ赤米の「神丹穂」を植えるのだが、昨シーズン「豊郷」と交配して赤くない「神丹穂」ができたので、すなわちこれを「神丹穂アルビーノ」と名付けて種を取っておいた。今年はそれを区別して育苗し、「さなぶり」のときに取水口を挟んで両者を植えてみたら、見事に紅白の「神丹穂」が並んで穂を出した。田の神への感謝と畏怖の気持ちが伝わっただろうか。


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 「神丹穂」は草丈が高く、膝から頽れるように倒れるので、穂首を支えてやる必要がある。観賞用としては邪魔になるが、収穫するには出穂前に何らかの手当てをしておく必要がある。



posted by jakiswede at 16:21| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2016 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20160831 トマトの芽かき

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 トマトの芽かき、主幹と側葉の間に生えるのが脇芽で、エネルギーの分散を防いで実を大きくするためにそれを掻き取るのだが、この場合・・・

posted by jakiswede at 16:19| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2016 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20160825 新しい仕事決まる

 過ぎ行く夏へ・・・

 生活の困窮から、年末までに何らかの打開策が見出せなければ、一旦百姓から撤退して地獄の沙汰もカネ次第と閻魔大王様に魂預けて守銭奴に成り下がろうかと思いつめていたのだが、残すところ3ヶ月という土壇場になって、まったくおあつらえ向きの仕事にありついた。月10日稼働・直行直帰・自家用車持込・経費全額支給・車両手当・走行距離手当・みなし時給・・・業種は守秘義務の関係で明らかにできないが、職種は営業、つまり昔取った杵柄である。手触りも握り具合も酸いも甘いもよぉぉぉぉっく覚えとる。しかも担当エリアは得意中の得意の播州。時間制限がうまい具合に噛み合って現在のバイトを辞めなくて済むのだが、百姓入れてなんとトリプル・ワーク・・・しかしそれでもやらにゃ生きては行けん・・・

 これで毎日の仕事探しの徒労から解放された。まったく先の見えない不安、苦痛と焦りの連続、少しでも脈のありそうな情報には全てエントリーした。当然のことながら夜のバイトを終えた深夜にパソコンに向かって毎日何時間も過ごす。夜半過ぎにエントリーしたのに、数分後には断りのメールが来る。つまり登録情報で自動的に選り分けられていることがわかる。返事をくれるのはまだ良い。半数以上は梨の礫。疲れ果てて失意のうちに眠る。それでも数ヶ月に一度くらい手応えがある。そのうちの何分の一かの確率でさらに返事が来る。一喜一憂。書類選考を通過して面接に及ぶ。もちろん「誠に残念ですが・・・」という、わかった話もある。しかし書類選考を通しておきながら、「いままでなにやってきたんですか」と面白半分に突っ込んでくる面接官もいる。全部履歴書に書いてあるやろ採る気がないなら呼ぶなこの忙しいのに、と何度叫び声を噛み殺したことか。こんな無駄な努力を、いったい何年、毎日毎日繰り返してきたことか・・・それがために、楽しいはずの生活が台無しになり、余裕がなくなり、できるはずのことを諦めて仕事さがしに振り向ける。なんという無駄、そしてなんという自分の弱さだろう。できるはず、できるはず、といくら自分に言い聞かせても、下り落ちる速さは増すばかり。これが、身の程も顧みず、きちんとした計画性もなしに、勢いだけで飛び込んでしまった今の生活10年の成れの果て。生活保護を受けるために、できるだけ無駄なものをカネに替えようと身辺整理を始めていた矢先だった。

 現金なものとは私の今の心境である。最前までの暗い追い詰められた過激思想はどこかへ飛んでしまい、貧しさゆえに封印してきた様々なことを始めたい意欲が湧いてくる。楽器をセッティングして一人リハーサルなんてやってみる。自分の演奏する動画を撮って、手元の動きを注視して、弱点を克服しようと考える。つくづく、人間は社会的な生き物だと思う。自給自足なんて、本当にそれだけで生きていけるのなら、簡単なことだ。生きていけないから難しい。私は「食品の裏側」を舐めつくした反省から今の生活を選んだ。しかし、いまこの仕事にありついたということは、以前の生活に戻ることを意味する。そうしなければ社会生活が成り立たないという現実は、そのまま現代社会を象徴しているようだ。これでやっと、生活を立て直すことができる、という安堵が半分、しかし再び「裏側」を舐めて生きていくことになるのかという、自分に対するやり切れなさが半分、結局、その矛盾を色々な刺激で解消していこうとする自分の悲しさから目を背け、紛らわし、ごまかして俺は生きていくんだな、という諦めに満ちた酔いのような・・・

posted by jakiswede at 16:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20160824 晩稲出穂2週間早い

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 ちょっとお前えら、気が早すぎんぢゃねえか ??



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20160821 Song For Chè

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Charlie Haden: Liberation Music Orchestra (LP, impulse!, AS-9183, 1970, US)


The Introduction / Song Of The United Front

El Quinto Regimento (The Fifth Regiment)

 Los Cuatro Generales (The Four Generals)

 Viva La Quince Brigada (Long Live The Fifteenth Brigade)

The Ending To The First Side


Song For Chè

War Orphans

The Interlude (Drinking Music)

Circus '68 '69

We Shall Overcome


Ornette Colemanのオリジナル・トリオやカルテットのほとんどでベースを担当してきたCharlie Hadenは、ジャズ・ファンク路線への転向後もオリジナル・コンセプトでの演奏によく参加していたのだが、それと並行してCarla Bleyを中心とした、のちのJazz Composers Orchestra Asociation (JCOA) を形成するメンバーとのセッションを盛んに繰り返していた。このアルバムが発売された1970年当時、Ornette Colemanは、アルバム「Crisis」の時期で、参加メンバーも重複している。前者が、よりコアでエモーショナルな演奏であるのに対して、こちらは次世代らしい軽快さと、進取の気迫がフリー・ジャズに込められている。

 A面は全体で一つの組曲を構成しており、スペイン市民戦争の時期に替え歌として市民の間で歌われていた歌にインスパイアされている。行進曲風の憂いを帯びた荘重なテーマを繰り返しながら、その情感を損なわずにフリー・フォームに崩していく様は、まさに彼らならではの持ち味。演奏へのモチュベーション、集中力、反応の鋭さ、音の臨場感、全体の緊張感、バックグラウンドに忍び寄る戦争・・・どれを取っても研ぎ澄まされた刃が放つ一瞬の閃きのような、宝物のような音空間。素晴らしいの一言。

 B面はCharlie Hadenの曲で、Ornette Colemanのアルバム「Crisis」にも収録されたErnesto Chè Guevarraへの讃歌で始まる。前者がエモーショナルな発露の連続として演奏が維持されているのに対して、こちらは実験的要素が強い。途中でCarlos Puebraの作曲でキューバの国家的名曲である"Hasta Siempre ≫が挿入されている。次の曲はOrnette Colemanの曲だが、以下要所要所の作曲とアレンジをCarla Bleyが締めることによって、そのコミカルなテイストが生かされ、全体として明確な反戦コンセプト・アルバムであるにもかかわらず、重苦しくなりすぎないトータルな仕上がりとなっている。このアルバムも、ジャズ史上に確実に残るゼッタイオススメの名盤中の名盤 (^^; 。

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20160820 David Murray

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David Murray: Children (LP, Black Saint, BSR 0089, 1985, Italy)


David - Mingus

Death


All The Things You Are

Tension


Bass – Lonnie Plaxico

Drums – Marvin "Smitty" Smith

Electric Guitar – James "Blood" Ulmer

Piano – Don Pullen

Tenor Saxophone, Bass Clarinet – David Murray


 多作の人で、偶然買ったこのアルバム以外に予備知識もなく、これが大当たりの愛聴盤になった全く珍しいケース。こういう場合、これだけ良い演奏をする人だから、もっと他の演奏も聞いてみたいと思うのが人情だが、それをやると大抵失敗する。この人の場合も同じで、他のアルバムをつまみ食いした限りでは、これのみワン・アンド・オンリーで私にがっつりはまった。

 前評判になった James "Blood" Ulmerとの共演はA1のみ。非常にソリッドで緊張感あふれる演奏が素晴らしい。タイトルの通り、キャリアから精神性に至るまで、この人たちがっつりMingusの影響を受けてるみたいで、その頑固で骨太でわがままで本質的なジャズ精神と、まったく別物だがなぜか波長が合っちゃったUlmerのせめぎあい、というか噛み合いが素晴らしい。ジャズ・ファンク路線の絡みでUlmerにも触れたい気持ちは山々だが、これ以上深入りするとジャズの一線を越えてしまいそうなので、こんくらいにしとこ・・・

 そしてなにをおいてもB1、これぞ全く稀代の名演。曲は非常に有名な、メロウなジャズのスタンダードだが、それを15分近くにわたって崩しまくり暴れまくる変奏曲。まさに神がかったかのようなDon Pullenのピアノ、この人の他の演奏を聴いてもここまでの発露は聞かれないのに、この演奏は全く別物。名曲のメロディをフリー・リズムで奏ではじめ、そのメロウな情感そのままに、原曲の展開の枠もそのままに進行させつつ、演奏の中身を換骨奪胎して噴射し、ぶちまけ、叩きこわし、再構築し、ものすごい演奏。「フリー・ジャズ」なんて言葉がむなしく聞こえるほど。その根性は、まさにMingusの亡霊が、全員のケツの穴から脳天までウッド・ベースのサオを突き刺したかのよう。ジャズ史上に確実に残るゼッタイオススメの名盤中の名盤、ホンマホンマ (^^; 。

posted by jakiswede at 15:59| Comment(0) | 変態的音楽遍歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20160818 Jamaaladeen Takuma

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Jamaaladeen Takuma: Renaissance Man (LP, Gramavision, GR 8308, 1984, US)


Renaissance Man

Flash Back

Let's Have A Good Time

The Next Stop


Dancing In Your Head

There He Stood

The Battle Of Images in Four Movements

Sparkle


 Ornette Colemanのジャズ・ファンク路線への転向を支えたベーシストのリーダー2作目にして、私見では最高傑作がこのアルバム。バック・ミュージシャン、特にリズム・セクションの人がものしたリーダー・アルバムというものは、おうおうにしてバックからフロントに出たいのがホンネの駄作が多いものだが、彼の1作目と、この2作目は、数少ない例外と言える。想像するに、触発された源泉がOrnette Colemanであり、その高度な精神性ゆえの「初志」が良い形で結実したのであろう。ジャズ・ファンク史上に残る名盤と評価する。

 A面は彼のバンド「JAMAAL」を率いての、実にタイトでコアな、緊張感あふれるジャズ・ファンクの演奏で、この演奏こそがOrnette Colemanの目指した世界の一つの体現ともいえるだろう。ただ惜しむらくは、全員のテクニックが高すぎて、アヴァン・ギャルドにフリーに崩していく演奏が、あらかじめ予定調和されていてキレイに元のテーマに戻るかのように聞こえる点。小憎ッたらしいほど上手い。混沌とした精神的なエモーションの発露としての「崩し」と、技術に裏打ちされた可能性の探求としての「崩し」とでは、まったく意味合いが異なる。それでも前者における、慟哭しながら崩壊していく音の断片のぶちまけられた美とは別の、後者における引き裂かれ分裂していく理性とでもいうべき崩壊感覚は美しい。

 B面はそれぞれ録音された場所も時期もメンバーも異なる4つのセッションで、なかでも1曲目、この世界の金字塔的な曲となった「Dancing In Your Head」をOrnette ColemanとPrime Timeのメンバーを招いて再演している。当時はまだプログラミングされたリズムの上でフリーな演奏をすることが新鮮であったが、今聴くと窮屈さを感じざるをえない。2曲目以下は作り込まれていない分、より自由な空気に満ちた演奏が聞かれるが、凝縮された緊張感は最後まで変わらず、実に聞き応えのある作品となっている。

 しかしそれ以降、残念なことに技術のある人というものは、技術に呑まれてしまうというか、「初志」を貫徹できないというか、演奏は上手いし展開なども見事なのだが、スピリチュアルな意味での内容が無味乾燥な作品が連なり、その最骨頂たる「Juke Box」なるアルバムがグラミー賞にノミネイトされるなど、まったく別の世界へ入ってしまった感がある。俺ぁ違うと思うんだけどなあ、でも世の中の大勢の評価というものがそうなのだから、そういうもんなんだろう。んぢゃPrime Timeやこのアルバムでの演奏はなんだったんだ ?? というギモンもさることながら、私のレビュー読む人は気をつけてね。

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20160817 SEALDs解散に思う

 SEALDsが解散するという。率直に言って、なぜだかわからない。学生が主体であれば、次の世代に引き継いででも活動すべきだと思う。政治的な主張を掲げて示威行動をしたのであれば、その時点でその主体は公的な性格を帯びる、いわば社会的存在になったと考えるのが普通だ。彼らはそれを望んでいたはずだ。政治活動を含めた社会的な運動は、半ば恒久的に継続されるべきものだ。なぜなら社会問題は無くならないから。SEALDs KANSAIが解散に当ってのステートメントを出しているので読んでみたが、やはりわからない。メンバーは、個々の活動に移っていく決意表明のようなものが読み取れるのだが、なぜ彼らの一代限りで解散するのかの、明確な論拠が見出せなかった。甘いと思う。

 SEALDs KANSAIが主催した集会に一度参加したことがある。そのとき、主催者の中心的と思われる人物に質問してみた。私はもちろん (当時の) 安保法案に反対しているが、あなた方が反対する根拠と、その反対の先にあるビジョンについて聞きたいと申し出た。つまり、反対するのであれば、その反対の先にどのような世界が広がっているという何らかの展望が示されなければ、現状の中で不満を持ってはいても、変化に不安を感じる人たちの、広範な支持が得られないのではないか、という疑問だ。驚いたことに、これに対して彼らは明確なビジョンを持っていなかった。「とりあえず止める」、確かにあの時点ではそれも必要なことだった。その効果や社会に与えたインパクトには、敬意を表する。しかし、反対の先にどのような未来を思い描いているのか、最後まで見えなかったこと、そのまま解散してしまうことは、非常に残念である。

 反対の先にあるもの、安倍政権の独裁を止め、あらゆる利権と戦ってそれらを解体し、富の偏在を正してそれを再分配し、本当の意味であらゆる人が地に足をつけて再出発すること、そこから出直す社会には何が待っているか、不都合な真実の全てと向き合って、それらを自然に戻す社会とはどんな社会か、そのなかで人々はどのように生きられるのか・・・この反対の先にあるものを示すことは、今の繁栄した日本社会で享受してきた当たり前のことのほとんどを手放さなければならないことを意味する。誰もがそれを恐れ、そんな主張を掲げて支持が得られるわけがない。だから、誰もそこまで突っ込んで主張しない。

 その点、三宅洋平氏は正直だ。産業利権を解体すれば、自給的社会しか残らないことを率直に認めているからだ。要は、そこへどのように、今の高度に文明化された社会をソフト・ランディングさせていくか、そのビジョンについて、広範な意見交換なり議論なりがほとんどなされていないことが問題なのであって、それを言わないままに反対を表明することは、私は無責任だと思う。SEALDsは解散するかもしれないが、なんらかの受け皿が必要だ。私は安倍政治に反対する。その反対の先にあるものは、残念ながら暗い。その暗い未来をどのように見れば明るく見えるのか、それが広く人々に受け入れられるようになるのか、そのことをフランクに話し合える場が欲しい。

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20160816 Of Human Feelings

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Ornette Coleman: Of Human Feelings (LP, Antilles/ Polystar, 25S-3001, 1982, JP)


Sleep Talk

Jump Street

Him And Her

Air Shi


What Is The Name Of That Song?

Job Mob

Love Words

Times Square


 Ornette Colemanはレコーディングも多く、また大御所であって巷での評価も高いため、何とかこれを理解しておきたいという気持ちにかられることは音楽ファンとして理解できる。しかしほとんどの作品は、フニャフニャフニャフニャブリブリブリブリと、全く訳のわからん音の渦巻きや、厳かなクラシックの弦楽合奏に合わせたモンタージュであったり、はたまた1970年代後半からは、やたらハードなファンク・ビートとフリー・ジャズが混在したり、その他エロエロ、全くつかみどころがなく、どこからどう切り込んで聞いていけば良いのかわからんという苦悩も理解できる。しかし私は思う。特に好きでもなければ、無理して今更聞かなくても良い。どうしてもということであれば、極言して ≫Lonely Woman ≫ 1曲で良いと思う。アレやっちゃったら、もうあとすることないもんね、というOrnette Colemanの虚脱感も理解できる。そしてその穏やかな笑みも・・・

 さて、なぜか彼の音が好きになってしまった私であるが、そんなに多くのアルバムを持っているわけではない。友達から借りたり色々して大雑把に全体を把握した上で申し上げられることは、1976年の作品「Dancing in your Head」の前後で二つに分けられるということである。前半は、まあフリー・ジャズ的余生、後半は、それにジャズ・ファンクを加味した余生、近年はそれらが混沌として融合している極楽・・・まあそんなとこでしょう。で、前半のうち、特に重要と思われるものに「*」印をつけ、まあ特に重要と思われる録音とともに羅列すると、「The Shape of Jazz to come*」(再発膨大なため品番省略以下同様) ・「Free Jazz*」・Town Hall Concert 1962*」・「Chappaqua Suite」・「At the Golden Circle 1/2」・「Love Call」・「Crisis*」・「Friends and Neighbors」・「Science Fiction」となる。もちろん選考の基準は、好きだから。

 で、まあエロエロあって大きな転機を迎えるのが、先述した「Dancing in your Head」である。これ以降、Ornette Colemanは、オーソドックスなTrioやQuartetを続けつつも、新しいメンバーによるThe Prime Time Bandの活動に軸足を移していく。主なメンバーは、Bass - Jamaaladeen Takuma・Drums - JackDejonette, Ronald Shannon Jackson, Denald Coleman・Guitar - Bern Nix, Charles Ellerbieなど。演奏は劇的に変わる。もはやジャズとは言えないほどである。最大の特徴はギターが入ったことによるリズムの変化、明らかなファンクの影響、その試みとして最初の「Dancing in your Head」は、タイトル・チューンのインプロヴィゼイションが2バージョンA/B面に分かれて収録され、余った時間にモロッコのJajoukaの現地録音の上に自分のサックスを被せたもので、確かに色々と意義深いことは理解するものの実験的要素が多すぎ、その次の「Body Meta」も好きなアルバムだが紹介するとすれば、やはりこの「Of Human Feelings」、ジャズ・ファンクにおける一大境地を確立したと言ってよく、またもやOrnette Colemanは時代を切り拓いたのである。

 私にとっても自分の一生を変えた・・・とまでは言えないものの、かなり大きな影響を受けた作品となる。発売当時は「Viola Renea」を抜けた主要メンバー3人でひたすら音の実験を繰り返していた時期であり、レゲエ・ダブ・オルタナポップ・フリージャズなどなどがごっちゃになった即興演奏を、誰に聞かせるでもなくひたすらメンバーの一人の旧家の屋根裏で演奏して録音していた幸せな時代であった。何年にもわたるその蓄積が「Karly Chockers」における鎖で泥をかき回すような独特の重さと粘りをたたえた鉄壁のリズム・セクションとして実を結んだことは、私の音楽キャリアにとってかけがえのないものだった。

 まあそんなことはどうでもよい。とにかくジャズ・ファンク路線へ突っ込んでしまった彼の音は、いわば開き直りの美学というか、きわめてシンプル、悪くすると幼稚ですらある短いフレーズをひたすら繰り返し、そこから得られるヴァリエイションを積み重ねては突きくずし、積み重ねては突きくずして何が残るかという実験、特に複雑化することをもってよしとするジャズのリズム美学を、とことんまで単純化して崩れ落ちる崩壊の美学に持ち込んだ、というか、よくそんなことをJackDejonetteやShannon Jacksonにやらしたな、それもOrnette Colemanの威光あってこそ、さらにそこへ息子をあてがってナンセンスなノリまで醸し出してしまうという、その壊し方が半端ではない。で、良い味、というかジャズ・ファンには耐えられない音だろうが、2本ばかり極めてハード・ロック的な電気ギターの音が炸裂して、うねりと混沌と破壊の連続であって、これが好きか嫌いか、諸刃の刃という意味でお勧め出来る作品なのです。で、その後やっぱり疲れちゃったのか、「Virgin Beauty」いがいはちょっと残念な出来で、またあっちへいったりこっちへいったりはながら、ついでに日本にも来てくださり、まあそのまま天へ召されてしまわれた。

 ジャズであるのでセッションによってメンバーが異なり、その編成を追って聞くのも方法です。例えば、ジャズ究極の名曲≫Lonely Woman ≫ の編成で聞くならば、Alto Saxophone – Ornette Coleman・Cornet – Don Cherry・Double Bass – Charlie Haden・Drums – Billy Higginsで録音されたものには、やはりその匂いがする。ベースはCharlie Hadenが、Prime Time結成までのかなり多くと、それ以後の比較的オーソドックスなコンボで努めているのだが、その人脈から生まれる「Jazz Compose'rs Orchestra Association (JCOA) 」の新しい流れとの関連で聞くのも、Prime Timeとは別な意味で良いし、ジャズ・ファンクに傾倒した流れから、ベーシストのJamaaladeen Takuma及びJames Blood Ulmar・・・さらに、ロンドン・パンクの流れから「Pop Groupe」・「Rip Rig and Panic」との関係で録音されたものを追うなど、アプローチの仕方によって様々な表情を見せてくれるところがOrnette Colemanのつきせぬ魅力でありますが、これ以上は長くなるのでやめときます。



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2016年09月08日

20160908 jakilokole

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ドラム関係ヤフオクに出品しました。

http://sellinglist.auctions.yahoo.co.jp/user/jakilokole2000…


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2016年09月04日

20160904 Timbales !!

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なんとTimbalesをもらいました。これは憧れの楽器でありながら、今まで縁のなかったものなのです。古くは小学生時代、サンタナの音楽に憧れてこの楽器の存在を知り、そのごファニア・オールスターズなどを通じ、Jose Chepito Alias, Nicky Marrerro, Victor Perezと尊敬する演奏家を知ったものの、自分で演奏する機会はありませんでした。いまでもないんですが、楽器が手に入ったので早速やってみました。初めて叩きましたので大変ヘタクソです。演奏家の方のツッコミをお待ち申し上げております。なにしろこの楽器、高低の位置がドラムやコンガなどとは逆なので、手順に迷うのです。そんな慌て振りも合わせてみていただければ楽しいよ。きょくはなんと、Angel Canalesの名曲に無謀にも挑戦。いただいたのはTimbales本体のみで、手持ちのドラムセットで組んでみました。




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2016年09月03日

20160903 estate ...

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 過ぎ行く夏へ・・・

 生活の困窮から、年末までに何らかの打開策が見出せなければ、一旦百姓から撤退して地獄の沙汰もカネ次第と閻魔大王様に魂預けて守銭奴に成り下がろうかと思いつめていたのだが、残すところ3ヶ月という土壇場になって、まったくおあつらえ向きの仕事にありついた。月10日稼働・直行直帰・自家用車持込・経費全額支給・車両手当・走行距離手当・みなし時給・・・業種は守秘義務の関係で明らかにできないが、職種は営業、つまり昔取った杵柄である。手触りも握り具合も酸いも甘いもよぉぉぉぉっく覚えとる。しかも担当エリアは得意中の得意の播州。時間制限がうまい具合に噛み合って現在のバイトを辞めなくて済むのだが、百姓入れてなんとトリプル・ワーク・・・しかしそれでもやらにゃ生きては行けん・・・

 これで毎日の仕事探しの徒労から解放された。まったく先の見えない不安、苦痛と焦りの連続、少しでも脈のありそうな情報には全てエントリーした。当然のことながら夜のバイトを終えた深夜にパソコンに向かって毎日何時間も過ごす。夜半過ぎにエントリーしたのに、数分後には断りのメールが来る。つまり登録情報で自動的に選り分けられていることがわかる。返事をくれるのはまだ良い。半数以上は梨の礫。疲れ果てて失意のうちに眠る。それでも数ヶ月に一度くらい手応えがある。そのうちの何分の一かの確率でさらに返事が来る。一喜一憂。書類選考を通過して面接に及ぶ。もちろん「誠に残念ですが・・・」という、わかった話もある。しかし書類選考を通しておきながら、「いままでなにやってきたんですか」と面白半分に突っ込んでくる面接官もいる。全部履歴書に書いてあるやろ採る気がないなら呼ぶなこの忙しいのに、と何度叫び声を噛み殺したことか。こんな無駄な努力を、いったい何年、毎日毎日繰り返してきたことか・・・それがために、楽しいはずの生活が台無しになり、余裕がなくなり、できるはずのことを諦めて仕事さがしに振り向ける。なんという無駄、そしてなんという自分の弱さだろう。できるはず、できるはず、といくら自分に言い聞かせても、下り落ちる速さは増し、駆け上がる速さは鈍るばかり。これが、身の程も顧みず、きちんとした計画性もなしに、勢いだけで飛び込んでしまった今の生活10年の成れの果て。生活保護を受けるために、できるだけ無駄なものをカネに替えようと身辺整理を始めていた矢先だった。
 現金なものとは私の今の心境である。最前までの暗い追い詰められた過激思想はどこかへ飛んでしまい、貧しさゆえに封印してきた様々なことを始めたい意欲が湧いてくる。楽器をセッティングして一人リハーサルなんてやってみる。自分の演奏する動画を撮って、手元の動きを注視して、弱点を克服しようと考える。つくづく、人間は社会的な生き物だと思う。自給自足なんて、本当にそれだけで生きていけるのなら、簡単なことだ。生きていけないから難しい。私は「食品の裏側」を舐めつくした反省から今の生活を選んだ。しかし、いまこの仕事にありついたということは、以前の生活に戻ることを意味する。そうしなければ社会生活が成り立たないという現実は、そのまま現代社会を象徴しているようだ。これでやっと、生活を立て直すことができる、という安堵が半分、しかし再び「裏側」を舐めて生きていくことになるのかという、自分に対するやり切れなさが半分、結局、その矛盾を色々な刺激で解消していこうとする自分の悲しさから目を背け、紛らわし、ごまかして俺は生きていくんだな、という諦めに満ちた酔いのような・・・

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