2017年01月24日

20170124 CANNED BOX

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Can: Tago Mago (2LPs, United Artists, UAD60009/ 10, 1971, UK)

Paper House

Mushroom

Oh Yeah
Hallelujah
Aumgn
Peking O.
Bring me coffee or tea


2016年はPierre Baroughの訃報で終わり、2017年は、師匠Jaki Liebezeitの訃報で明けた。世の中は確実に不寛容に向かって驀進しており、もはや正義を語ることさえ虚しく感じられる。いかに自分を守るか、正義のためではなく、自分が自分らしく生き伸びるために、それを脅かす物事に対しては、決然と「No !! 」と言おう。一昨年は友人が10人死に、去年は3人死んだ。ビジネスのあり方も変わり、もはや私のような老ぼれに出る幕はない。やるべきことを、いかにやりとげるか、生きている間に、どれだけやりおおせるのか、もはや「やる」しかない。残された時間も、自分の気力体力経済力も、もはや有限で、しかも多くはない。とりかかって散在している細々したことを、形になるまで待っているゆとりはない。行動だ。

Canは、のちの音楽シーンに極めて大きな影響を及ぼしたドイツのプログレッシブ・ロック・バンドである。1968年に結成され1979年に解散するが、重要な時期は1973年にボーカリストであった「ダモ」鈴木が脱退するまでと言えるだろう。この間、「Monster Movie」・「Soundtracks」・「Tago Mago」・「Ege Bamyasi」・「Future Days」という5枚のオリジナル・アルバムを発表している。その次の「Soon Over Babaluma」はまあまあだが、同年に発売された、それまでの未収録曲を集めた「Unlimited Edition」という作品集は非常に重要である。メンバーは、当初Irmin SchmidtHolger CzukayDavid JohnsonMichael KaroliJaki Liebezeitであったが、それは西洋クラシック音楽の素養に基づいた延長線上における実験音楽であり、電気楽器や電子楽器やロック的な手法、さらにアフリカ・南米・アジアの民族音楽を題材にとった演奏を取り入れることにより、新しい境地を模索するものであった。このことは、彼らがロック・バンドでありながら、全くその枠に収まらないスケールの大きさとダイナミズムと、実験的精神を持ち得た源泉であり、これこそCanがのちのちまで高く評価される所以であると思う。しかし、彼らの音楽性がロックに傾倒していったことからDavid Johnsonは脱退し、ボーカリストとしてMalcolm Mooneyを迎えることになる。彼は「Monster Movie」と「Soundtracks」の一部に録音を残すが、精神的な要因で脱退する。その頃のCanの活動は、アルバムに残されたような「楽曲」を演奏するばかりでなく、ライブ・パフォーマンスの上で、極めて長時間、時によっては何日も演奏し続けるようなキョーレツなことをやっていた。肉体的実験音楽の極みである。そんななかでアメリカからヨーロッパを放浪していた「ダモ」鈴木と出会って、その日のうちにライブに参加し、そのまま三人目のボーカリストとして加入することになる。そして彼こそがCanの音楽性を決定付けたと言って良く、その在籍時代の彼らの演奏は他に類するものがないほど素晴らしい。上記のアルバムは、すべて、包括的総合的な意味合いにおいて、私の人生を決定付けた。

 特に、彼らの3作目「Tago Mago」は、最も深く心身に刻み込まれた作品である。なかでもLPB面全体18分強を費やして演奏される ≫Hallelujah ≫は、混沌と反復・呪術的陶酔と刺激的覚醒の連打であって、彼らの音楽的見聞や体験や実践や、その他あらゆることを「缶」にぶち込んで発酵させ、煮詰め、熟成させてぶちまけたものに他ならず、これこそまさにCanCanたる真骨頂、他に適当な言葉が見当たらないが、要するに宇宙 !! である。特にリズムを重視したこの曲と、逆にリズムをことごとく無視した、C面全体17分強の ≫Aumgn ≫2曲は、長時間に渡ったという彼らのライブ・パフォーマンスを彷彿とさせるものであり、多様性に満ちた彼らの音世界の様々な側面を見せてくれる。A面の3曲は比較的まとまった歌もの、そして最後のD面は、狂いに狂いまくった挙句、激しい射精とともに虚脱状態に陥ったかのような、深くだだっ広い虚無感に突き落とされる。この作品は、常にここから始まり、常にここに立ち戻ることができ、しかも無限のアイディアを今も私に与え続けてくれ、可能性という夢に満ちた力で私を奮い立たせてくれ、最後に力つきるほどに脱力させてくれる、かけがえのないものである。

 私の持っているものはイギリス盤の再発ものであるが、ドイツ原盤はボックスセットのスリーブ写真がジャケットになっている。上記の他の諸作品について概説すると、「Monster Movie」は極めてシンプルで一本調子でパンク的ですらあるロックンロール、「Soundtracks」は映画のために作られた小品集、「Ege Bamyasi」は混沌からポップへと徐々に広がりを見せ、「Future Days」は極めてシンフォニック且つプリミティブな宇宙的音世界を現出して彼らの最高傑作と評価されている。「Unlimited Edition」は、結成当初から録りためられたものから選ばれた作品集で、単なるアイディアのスケッチから、額装された大作という体裁を保つものまで、雑多にぶち込まれている。


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このシンバルはあなたの形見になってしもた (;_;) なんということだ。私にとっては、もうこれ以上の悲しみはない。私の全て、私の血肉といって良い。言葉もなく、ただ悲しみだけがある。


https://www.theguardian.com/music/2017/jan/23/jaki-liebezeit-drummer-of-seminal-krautrock-band-can-dies-at-78?CMP=share_btn_fb

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2017年01月18日

20170117 Ditumba

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 今日で阪神淡路大震災から22年たった。毎年どん底に落ちる心身状態をなんとかしたいといつも思っているのだが、ひとりでいると、どうしてもあの時あの場所に立ち戻ってしまう。今日は、たまたまお誘いをいただいて、淡河のジェンベ名人宅にて、家主様所有の破れたジェンベの皮の張り替えをお願いする傍ら、私も皮の張りが不十分だったディトゥンバの胴体の補修と皮の交換をすることにした。写真では見えにくいが、この太鼓の道は柔らかい白木でできていて、底のささくれが気になっていたのを、このような手作りの道具で改善していく。


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 このディトゥンバは、2010年にコンゴを訪ねた時に、現地の太鼓作りのにいちゃんに作ってもらったものだ。名前はPapy Kingoloというので「金吾郎」君と呼んでいた。エッジはかなり大雑把な仕上げだったものを、ちょっとは日本人らしく平らに仕上げ、両側からエッジを立てていく。白木なので工作は早い。所々に名人のアドバイスが突っ込まれる。


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 で、さらに名人のアドバイスに従って、前日から水に浸けてあったヤギ皮を叩いて伸ばして柔らかくしておく。これをやるのとやらないのとで、皮の持ちや鳴りはじめが大きく違うらしい。ちなみに、真ん中に一本通っている筋が背骨にあたり、これを太鼓の中心線に合わせるのが必須とのこと。私なんも知らんと今までメンテしとったわ。


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 ディトゥンバはゆるゆるに張るので、そんなにテンションを上げる必要はなく、リングを使わなくてもこの程度の引っ張り加減で良い。完成状態を載せるの忘れてたが、これで周囲を釘止めし、余分の皮をカッターで落として出来上がり。鳴り具合は皮を馴染ませたあと後日アップします。


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 一方、ジェンベの方は、皮を載せる前に、一度リングの外周をくぐらせて余白に穴を開け、中心に向かってこのように絞り込んでおく。これで少し水を切れば絞られた部分の滑りが悪くなって締込み中に緩むことがない。このプロセスを入れなければ、ジェンベとして十分なチューニングまで行かないか、行ったとしても、リムが異常に下がって演奏がしにくくなるとのこと。その後、全体にロープを通して、このように仮締めしていく。いやあ勉強になります。


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 何度も増し締めをするのだが、素手で手に負えなくなったら、くわえたら離さないタイプのストッパー付きプライヤーで上を止めておいて、下を棒巻きにして増し締めしていく。何度か増し締めしたら、皮が濡れているうちは無理せず馴染ませる。


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 一週間程度陰干しして皮が完全に乾いたら、この縦ロープにクロスするようにして横にロープを巻き込んで行って、最終締め付けになる。。私はそのプロセスで自転車用のパンク修理レバーを使います。いや勉強になりましたホンマに。ここでコンゴ風の太鼓やディトゥンバ制作したら売れへんかなあ・・・


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2017年01月14日

20170114 Le Pollen

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Pierre Barough: Le Pollen (LP, Nippon Columbia, YF-7056, 1982, Japan)


L'Autre Rive

Pépé

Sans Parler D'Amour

Perdu

La Lettre


Le Pollen

Parenthèse

Les Uns Et Les Autres

Demain


 今年のレコード・レビューをピエール・バルーから始めなければならないことに複雑な気持ちを持っている。昨年も多くの世界的アーティストが亡くなったが、最後の最後になって届けられたのが彼の訃報だった。大きなショックでかなり落ち込んだ。なぜならこのアルバムに出会って以来、彼の音楽や彼の祖国であるフランスの文化に深く興味を持つようになり、実際彼にも何度かお会いしたこともあるからである。2016年という年は、一体なんという年だったんだろう。世界が崩壊していく予兆を強く感じる。絶望的な暗い闇に向かって加速度的に下り落ちて行くエスカレーターを、人々がひしめき合って駆け上ろうとしている。エスカレーターの速さを超えなければ登ることができないのに、下り落ちる速さがどんどん増している。

 世の中がここまで緊迫していなかった頃、その絶頂期は日本では「バブル時代」と呼ばれている。すべてのものが根拠もなく高級化し、なんとなくクリスタルな空気に酔いしれることのできた時代、どこからともなく、とめどなく金が沸いて出た時代だった。自由な発想、芸術的実験、精神活動の発露が、戦後を振り切るように高度経済成長に邁進した1970年代、これまたなんの根拠もなく無邪気なほど希望に満ち溢れていた1970年代を通り抜け、社会格差から厳しい状況に追い込まれていった欧米先進国を尻目に、ガラパゴス的に守られた楽園の中でひとり勝ちを続けていた1980年代の日本は、その頃になってようやく社会や技術や要するにインフラが整って本当になんでもできる、夢を具体的な形に実現できる、かのような手応えを音楽業界全体が感じ始めていた頃、「テクノポップ」も日本に定着したのであった。飛ぶ鳥を射落とす勢いまさに絶好調、あらゆるものを吸収し、世界の音楽を消化して、泉のように湧いてくる音に満たされていた時代だった。そんな「時代」の音が詰まっている。

 Pierre Baroughは「トレビアーン」な人である。フランス人は、他国の人と比べて感動を重要視する傾向があるように見える。何かと何かを比較してここが違うからこれは良い、とか言わない。俺が素晴らしいと言ってるんだからこれは素晴らしいのだ、と押し込んでくる。しかしフランス人の好きなところは、いや俺はこっちのほうが良いと思う、というべつな考えにも素直に耳を傾けてくれることだ。しかし「トレビアーン」の強い人は多い。感動したら気持ち一発で突っ走ってしまう。途中であきらめたり、客観的総合的判断で軌道修正したりしない。それが非常に良い結果をもたらすことがある、というか、そういう人は、なにがなんでも良い結果を作り上げてしまうのだ。Pierre Baroughにとっては、映画「男と女」であり、「Saravah」レーベル設立すなわちフレンチ・ボッサの確立と実験的シャンソンの創出であり、そして日本との出会いである。このアルバムは、ちょうど私の音楽的な関心が世界へ向き始めていた頃と同時代的にマッチしてくるものだけに、ひときわ感慨が大きい。このアルバムの最も優れた点は、ともに多感で繊細で、微妙な感情の機微を、芸術的な美に昇華することに長けたフランス人と日本人という、まったく異なるけれども世界に類を見ない感性が、アルバムとして音世界に美しく溶け合っていることにある。ロマンチックな、情緒的な、はかない美が、シャンソンという形をとって、時にはそれを乗り越えて垣間見られるフランスの詩の世界、テクノという形をとって、あるいはそこから滲み出るように奏でられる日本の感性、これらが見事に融和した作品になっている。素晴らしい名盤である。

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2017年01月05日

20170105 ベッドDIY

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 農作業の終了とほぼ同時に年末より部屋の改装に取り組んだのであった。というのは、一昨年は友が10人、昨年も3人と旅立ち、生きている同世代の演奏家も散り散りになっていくなか、世の中はますます生き辛く、安心して働けるような場所もなく、このままでは単なる食えない鈍百姓で一生を終わってしまいかねないので、思い切って持ち物を徹底的に処分、部屋の空間を再編して、常に音楽と接し、いつでも楽器を手にとって演奏できる空間を手に入れ様と目論んだ。所持品の不用品のうち、オークションにかければ売れそうなものは分別して和室に並べた。音源や資料は吟味した上で分類するので、これらは嵩を減らして一旦収納する。膨大なレコードは、カラーボックスを横置きにして何台も積み上げてあったのだが、そうするとカラーボックスの幅の45cmが、LPレコードの高さの30cmちょいを大きく超えるので、これを圧縮すべく寸法きっちりのものを作った。写真の両端にある4つの木箱がそれ、合わせてデスクサイドの本棚も一つ、入れる本の寸法に合わせて変則的な棚組とし、これらに収納できないものは処分するという切り方でいく。もう人並みの人生なんて望み得べくもなくなった裏街道、やれるうちに好きなことやっとかんとホンマにいつ死ぬやわからんのでね、今まで寝てた和室は所持品を順次オークションにかけていく作業スペース、パソコンと机の他は大量の音源や資料庫になっていた真ん中の部屋をスタジオ兼寝室にしてフル活用、光陰矢の如し、成年老いやすく学成り難し。


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 知性が、民主主義が、論理的思考が、人を幸せにする、少なくとも人が幸せを掴む道標になると信じていたし、少なくとも日本やこれらを是とする社会に生きる国々の人達にとって、広く共通に是認されているものだと思ってきた。しかしそれは、衣食足りて礼節を知る人の認識であって、今じわじわと足許から衣食が崩れ流されているのである。社会的経済的肉体的精神的に弱い人から流されていくのである。その割合は、かつては社会のセフティ・ネットで吸収できる程度のものだったが、おそらく今は、実感として2割から3割にのぼるだろう。貧困が最も大きな原因だが、必ずしも経済的弱者が犠牲になるのではない。裕福で社会的地位を確立した人であっても、別な要因で流されるように見える。彼らの多くは「知性が、民主主義が、論理的思考が、人を幸せにする」という価値観に反発する。むしろその多くは、これに反発することによって自己を確立してきたとさえ言える。私には、人がそういう向きに進む原因がどこにあるのかはわからない。しかし察せられることは、この価値観の共有によって一定の社会性を得たと意識している人たちの側にある種の仲間意識のようなものを醸し出す要因があって、我々はそれを快く感じ安堵するのだが、それを嫌悪する性質の人も少なからずいるということ、そして我々はそのことを意識しなかった、彼らが仲間外れにされていると感じていることに気がつかなかったのではないか、その気持ちを汲みとる努力をあまりにも長い間怠ってきたのではないか、と思うのである。なぜなら、それは知性的でも、民主的でも、論理的でもないから。しかし人間は感情で動く生き物である。彼らは、学校で教わり、社会で叩き込まれ、メディアを通じて押し付けられるこの社会通念を、苦々しい気持ちで耐え忍んできたのではないか。知性的で民主的で論理的であるがゆえに、自分たちの本当の力がないがしろにされていくのではないか、と彼らは長い間気を揉んできた。しかしそれを言葉にすることは憚られ、また論理的に説明することに疎かった。彼らの気持ちは封じ込められる。そして社会との違和感に打ちのめされた者は貧困に落ちてゆき、逆手にとってビジネスに転嫁し得た者は実業家になる。そこに彼らの悔しさを吸収する一つの思想が生まれる。それは当初全く目えず、その実態も明らかにならなかったが確実に浸透を続け、社会の上下を分け隔てなく不満分子の受け皿となって、気がついたら大きな勢力を形成していた。


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 形こそ違え、安倍政権とトランプ政権とトルコのエルドゥアン政権とシリアとイラクの「イスラム国」は、そういう点で成立要因が共通する。中国やインドや韓国は夫々にちょっと違う。世界にはもっとたくさんあるだろうし、人が集まる組織は多かれ少なかれ同じようなものだ。要は程度の問題である。その最も重大な危険性は、自分たちの弱さを認めないことである。論理というものは人間の欲得に影響されないから、「不都合な真実」をも白日の下にさらす。弱さを認めない者はそれをなきものとし、その論理性を封殺しようとする。知性と民主主義と論理的思考はひとつながりであるので、結局これらを否定することにつながる。その結果、彼らは「不都合な真実」のないバラ色の未来を描くことができ、繰り返し繰り返しそれを宣伝することによって、人々の脳裏に虚構の安心感が浸透していく。一方、知性的で民主的で論理的な人々は、その思考行動が知性的で民主的で論理的あるがゆえに「不都合な真実」を量産する傾向にある。人類が多様である以上、合意を得ることは難しい。民主主義は「決められない」ものなのである。攻撃されると最も痛い脇腹である。そしてマンの悪いことに事態は緊迫している。活動すればするほど伸びしろがあった時代なら共存できた思想家や指導者たちも、何かを壊さなければ自分たちの伸びしろが確保できない。壊すのも人間なら、壊されるのも人間、深刻化すれば戦争になる。人は「戦争反対」と言う。私も「戦争反対」と言おう。しかし戦争は起こる。人間に欲がある以上、人間が全き知性的で民主的で論理的存在でない以上、そして欲のない人間には将来もない以上、人類は戦争を止められない。我々がこの敗北主義という「不都合な真実」に足を取られている間に戦争は勃発する。どこかで誰かが、いずれかの段階で、彼らの暴走を阻止してくれることを期待するしかない。それができなかったら、その責任の一端は我々にもある。つまり、いい気になって論理万能主義を高く掲げるあまり、彼らの長年の気持ちに寄り添えなかった自分たちの傲慢さに、その結果不満を持つ人たちを量産してしまっていることに今の今まで全く気がつかなかった我々の無神経さに、平和を叫びながらその真実についてはオブラートで包み続けている自分たちの不条理を知ろうともしない論理的姿勢の欠如に。


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 社会への関心にとらわれるあまり、自分を省みることの少なかった半年を深く反省して、私は来シーズンギリギリまでは農作業をしない、シーズンに入っても得意中の得意品目しか基本的に栽培しない、苦手な野菜はスーパーで買うことに決めた。とにかく生活に音楽を取り戻さなければ、その時間を作らなければ、自分がダメになってしまう。私は自分の農業を事業化できない。その道を歩まない。そのかわり多様態をめざす。農閑期中に環境を整えて、夏までにはある程度形にしたい。まずは自分を大切にする。この土地の冬の、地面からひしひしと上がってくる湿気を帯びた寒さに、畳一枚布団一組で対抗するのは疲れた。私は生まれてこのかた、ずっとベッド生活だったのである。ある程度高い位置でないと落ち着かない。急ぐ。勢いに任せてこれらのベッドのすのこ製作。棚に乗せてハイベッドとして使うつもり。木工はどちらかというと苦手なんやが、既製品では到底収納できず、背に腹は代えられんから強行突破。別に難しくはないが、カホンを作るのんと違て2メートルの長ものの場合、ねじれが強烈で修正に手間取った。棚類を設置してすのこを乗せたら、頭に描いていた部屋のイメージが現実のものとなる。マットレスが来た。セミダブルなんでね、細身の女性ならご一緒できまっせ。


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2017年01月04日

20170104 キャベツ

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手ぇも肥料も抜きまくっとるから、うちじゃあキャベツなんてこんなもんよ、一畝にひとつかふたつ。直径8cmほどのキャベツが・・・なに売ってくれ ?? どうしてもちゅうんやったら5万円くらいで売ったらんでもないけど俺が食い終わらんうちに言うて来いよ。

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