2017年01月14日

20170114 Le Pollen

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Pierre Barough: Le Pollen (LP, Nippon Columbia, YF-7056, 1982, Japan)


L'Autre Rive

Pépé

Sans Parler D'Amour

Perdu

La Lettre


Le Pollen

Parenthèse

Les Uns Et Les Autres

Demain


 今年のレコード・レビューをピエール・バルーから始めなければならないことに複雑な気持ちを持っている。昨年も多くの世界的アーティストが亡くなったが、最後の最後になって届けられたのが彼の訃報だった。大きなショックでかなり落ち込んだ。なぜならこのアルバムに出会って以来、彼の音楽や彼の祖国であるフランスの文化に深く興味を持つようになり、実際彼にも何度かお会いしたこともあるからである。2016年という年は、一体なんという年だったんだろう。世界が崩壊していく予兆を強く感じる。絶望的な暗い闇に向かって加速度的に下り落ちて行くエスカレーターを、人々がひしめき合って駆け上ろうとしている。エスカレーターの速さを超えなければ登ることができないのに、下り落ちる速さがどんどん増している。

 世の中がここまで緊迫していなかった頃、その絶頂期は日本では「バブル時代」と呼ばれている。すべてのものが根拠もなく高級化し、なんとなくクリスタルな空気に酔いしれることのできた時代、どこからともなく、とめどなく金が沸いて出た時代だった。自由な発想、芸術的実験、精神活動の発露が、戦後を振り切るように高度経済成長に邁進した1970年代、これまたなんの根拠もなく無邪気なほど希望に満ち溢れていた1970年代を通り抜け、社会格差から厳しい状況に追い込まれていった欧米先進国を尻目に、ガラパゴス的に守られた楽園の中でひとり勝ちを続けていた1980年代の日本は、その頃になってようやく社会や技術や要するにインフラが整って本当になんでもできる、夢を具体的な形に実現できる、かのような手応えを音楽業界全体が感じ始めていた頃、「テクノポップ」も日本に定着したのであった。飛ぶ鳥を射落とす勢いまさに絶好調、あらゆるものを吸収し、世界の音楽を消化して、泉のように湧いてくる音に満たされていた時代だった。そんな「時代」の音が詰まっている。

 Pierre Baroughは「トレビアーン」な人である。フランス人は、他国の人と比べて感動を重要視する傾向があるように見える。何かと何かを比較してここが違うからこれは良い、とか言わない。俺が素晴らしいと言ってるんだからこれは素晴らしいのだ、と押し込んでくる。しかしフランス人の好きなところは、いや俺はこっちのほうが良いと思う、というべつな考えにも素直に耳を傾けてくれることだ。しかし「トレビアーン」の強い人は多い。感動したら気持ち一発で突っ走ってしまう。途中であきらめたり、客観的総合的判断で軌道修正したりしない。それが非常に良い結果をもたらすことがある、というか、そういう人は、なにがなんでも良い結果を作り上げてしまうのだ。Pierre Baroughにとっては、映画「男と女」であり、「Saravah」レーベル設立すなわちフレンチ・ボッサの確立と実験的シャンソンの創出であり、そして日本との出会いである。このアルバムは、ちょうど私の音楽的な関心が世界へ向き始めていた頃と同時代的にマッチしてくるものだけに、ひときわ感慨が大きい。このアルバムの最も優れた点は、ともに多感で繊細で、微妙な感情の機微を、芸術的な美に昇華することに長けたフランス人と日本人という、まったく異なるけれども世界に類を見ない感性が、アルバムとして音世界に美しく溶け合っていることにある。ロマンチックな、情緒的な、はかない美が、シャンソンという形をとって、時にはそれを乗り越えて垣間見られるフランスの詩の世界、テクノという形をとって、あるいはそこから滲み出るように奏でられる日本の感性、これらが見事に融和した作品になっている。素晴らしい名盤である。

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 変態的音楽遍歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする