2017年05月18日

20170518 Passu

Uyghur-Pamir 2017.05.18.2 Passu

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 旅は一変した。なんという素晴らしい風景、雄大な、心研ぎ澄まされる、空に吸い込まれるような、山・山・山・・・筆舌に尽くしがたい感動、片時も目が離せない興奮・・・山登りにも、山岳写真にも、何の興味もない私だったが、ただ暇つぶしに、中国とパキスタンの陸路国境越を興味本位でやってみようと思い立っただけなのだが、途中フンザも通るし、パキスタンを半分縦断できるなんて・・・と面白半分の思いつきだったのだが・・・なんという風景、なんという人々の笑顔が私を出迎えてくれたのだろう・・・それまでの予備知識や、一夜漬けの旅情報なんて、一瞬にして消し飛んだ。中国の複雑な現状や、印パ両国の事実上の紛争地であることなど、この自然の前に、一体どんな意味があるというのだ。私のような、不純で取るに足りない旅行者を、こんな天国が迎えてくれるなんて・・・大げさではない。かつて、なぜこの地に、カシミール・カラコルム・パミール・ヒンドゥークシからアフガニスタン北部にかけて紛争が絶えないのかわからなかったが、いまはっきりとわかった。あまりにも素晴らしい場所だからだ。パワー・スポットなんて、聖地なんて、所詮人が考えたことだ。この自然、地球に生まれて本当に良かった。何もかもが報われた。感謝の感動に包み込まれた。この地のためになら死んでも良いとさえ思った。

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20170518 Tashkurgan-Passu

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 いよいよタシュクルガンから中パ国境を越えてスストへ行く。今回の旅のハイライトである。カラコルム・ハイウェイ (K.K.H.) で最高標高4,600メートルなにがし。舗装道路による国境越えとしては世界最高の峠を越える。当然、万年雪の白銀の世界。凍てつく峠越えのために、すでにダウン・ジャケットを着込んである。場合によっては酸素吸入も必要と聞かされたが、周囲のパキスタン人によれば、そんなものは全く必要ないとのことだった。さて荷物を背負って息急き切ってバス・ターミナルに着く。切符を買うのは問題なくノー・チェック、で、バスはどこから出るのかなとキョロキョロしていると「custom !!」と声がかかった。「税関 ?? 」・・・きょとんとしていると、近くにいた職員が腕をとって私を外に連れ出し、近くにいたバイク・タクシーに何か耳打ちすると、その荷台に私を押し込んだ。バイク・タクシーは「塔什尔干路」を西へ向かい、三叉路を左折して「中巴友公路」を全速力で南下しはじめた。おいおい、これでクンジェラブ峠を越えるのか ?? と真剣に疑ったほどかなりの距離を走って、バイクは大通りの右手にある紅其拉甫口岸」に到着した。

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紅其拉甫口岸」は、すなわちクンジェラブ峠の中国側の税関・出入境検査所である。つまり私がバス・ターミナルと思っていた場所は単なる切符売り場で、バスはこの「口岸」から出るのである。つまり、有効なパスポート・パキスタンのビザ・中国から出国するための切符の三点の必要書類を揃えて、ここで出国手続きをするというわけだ。「口岸」は、大通り側の門から敷地に入ると中に建物があり、そこで税関検査と出国手続きをする。それが済めば建物の裏手に出てそこにバスが来る。それに乗って出国するという段取りだ。したがって、建物の裏手に出てしまえばもう中国にはいないことになる。敷地は全体が管理されていて、表と裏は直通できないし、外からの侵入もできない・・・はずなのだが、まあ、広大な敷地を短絡するために、物売りやいろんな人が近道として通過してた。建前としては、このバスに乗った以上、パキスタンの入国手続きが済むまでは、勝手な行動は許されないことになる。

 さて、そこに着いた時は数人が開門を待っていた。朝日に照らされ、南に広がるパミールの山並みを遠くに見渡しながら、先客といろいろ話をしているうちに時は過ぎ、やがて数十人のパキスタン人が集まってきた。私を日本人と見て、訛りのきつい英語で色々と話しかけて来る。フレンドリーなことは、中国新疆における人民の硬い表情とは全く対照的だ。ここにいる人たちがみんな中国を後にするパキスタン人であるからかもしれない。解放感漂う笑みを浮かべている。10時過ぎに門は開かれ、高圧的な職員に促されて一列縦隊で建物に導かれる。ほんまに交通機関の職員はなぜいらんとこまで偉そうなんかねこの国は。まあ忘れよう。もう俺もここから出て行くのだ。どうでもいい。お前ら死ぬまでやっとれ。中国は初めてやしこんぐらいにしといたろ。

 出国手続き、静まり返った館内で、空港によくあるものと同じパスポート・チェックの窓口があって、順に並んで審査を受ける。カウンターではカメラが作動していて、おそらく電子的にパスポートの顔写真との照合や、入国時のデータとの照会そのた、体温なども測定されているのかもしれない。審査官は女性で愛想よく、全く威圧的なところはなかった。「中国の旅はどうでしたか」「パキスタンから帰国の便は」「どうぞお気をつけて」と、流暢な英語で友好的に接してもらい、こちらも型通りに紳士的に受け答えをして終了。旅が旅だっただけに、国境越えという緊張する場面ながら心和むひと時であった。パスポートにスタンプをもらってその場を離れようとすると、手元のモニタが光り、「出国審査官の仕事を評価してくれ」と出たので、正直に「大変良い」というのを押したら、なんと日本語で「どうぞ、よい旅を」と音声が帰ってきたのにはびっくりした。さよなら中国、もし今度また来るようなことがあれば、そのときは中国語ちゃんと勉強してからにするよ。

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 建物の裏手に出ると、青い大型バスが停まっていた。結局、私以外は全てパキスタン人だった。バスのドアが開いて乗車を許された。おお・・・こんなバスは初めてだ。座席ではなく三列二段式の寝台になっている。びっくりしながらも、最後部で見晴らしの良い特等席を確保して、早くも寛ぎ体勢。いやあ、なんか楽しいね旅。結局バスは昼過ぎに発車。カラコルム・ハイウェイを快調に飛ばし、途中何度か検問所で全員降ろされたりしながらも、明るいパキスタン人に囲まれながらワイワイガヤガヤと楽しい旅、英語が普通に通じる奴らなので、全く問題なく友情が育まれる。途中の村で乗客がトイレに走ったりして缶詰の鉄則が崩れそうになるのを、ウイグル人の運転手がやきもきしてたりして、そこへ別の男がちょっと買い物してくるとか、俺も俺も・・・と相次いで降りて行くので「もーやってらんねえよ」とお手上げ状態になったり、そこかしこに現れる真っ赤な服のメーテルのようなタジク女性に見とれながら、気がつくと周囲は銀世界。気圧と気温の低下から物音が遠くなり、一人二人と寝台に没する奴らが出てきたが、私は絶好調で、車窓風景を見ながらはしゃぎまくっとった。

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 やがてバスは巨大な楼門のような国境で停車、係官が乗り込んできて車内を一瞥した後、問題なくスタート、門をくぐった途端、乗客全員が大きな歓声を挙げ、拍手喝采とともに大合唱が始まった。多分パキスタンの国歌だろう、イスラム的で勇ましいメロディが何度も繰り返されるので、私も調子に乗って口真似で歌ってたらみんな喜んだ。私と同じように、中国ではみんな色々あったのだろう、故郷に帰れたという以外にも、解放されたという喜びがひしひしと伝わってきたものだ。それほどまでに、中国はきつい空気に満ちていた。

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 しかし今から考えてみると、車内を一瞥して降りていった兵士が、私を不審者と見ていたら厄介なことになっていたはずだ。私以外乗客全員がパキスタン人、もちろん運転手が乗客名簿を出していて、そこには国籍も明記されているはずだから、日本人一人が乗り込んでいることを知らないはずがない。「口岸」と違って国境検問所は国防に関する最後の関門で、担当する人物によっていかようにも判断されうるので、ここは微妙なところだった。まあ入ってくるものは警戒するが、出て行く分にはお咎めなしなのかもしれないが・・・とりあえずラッキーだったということで・・・

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 さあ、新しい旅が始まる。道路の状態は中国ほど良くないが、舗装はされていた。しかし時々穴があって、その度に車体は大きくバウンドする。特に私の座席は頭上が低いので、うっかりしていると天井に頭をぶつける。その鈍い音を聞いて乗客のパキスタン人が一斉に振り向いて大笑いした。濃い顔の髭面の男たちが目を輝かせて笑う。そこに、無表情な極東アジア人とは全く異なる反応を見て、遠くまで来たことを実感した。道はどんどん下って行く。やがて沿道から雪が消え、石と草原の世界になる。羊を放牧している家族を車窓から見る。男たちは民族服であるシャルワール・カミースを着ていて・・・もちろん乗客もそれが多いのだが・・・ゆったりとした服地が石の崖に映える姿が美しい。ここはパキスタン、つい数十年前までは中央政府の力が及ばず、古来からの藩王国が支配していた北部辺境、厳密にはインドと帰属をめぐって係争中の地域である。途中、外国人のみクンジェラブ国立公園の通行料を取られたりしながら、バスは5時間ほどでスストに到着。

 バスはパキスタン側の入国管理局の広場に横付けされ、乗客は順次建物に入って行く。まずは健康チェックと言いつつ、通過する客のモニタを誰も見ていない。次は入国手続きね、と並んだものの私以外は全員帰国者なので、検査そっちのけでみんな塊になって係員と笑顔で握手しあったり抱擁を交わしたり、実に和やかな雰囲気で、私はそれをにこやかに眺めながら自分の順番を待っていたが、その節度ある態度が気に入られたのか、「おいパスポートを貸せ」ガチャッ、「良い旅を !! 」て感じであっけなく入国。係員は次のパキスタン人グループと笑顔で・・・だいじょうぶかねこの国は・・・

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 パキスタンは、北京時間よりも3時間遅いので時差を調整、つまりまだ昼過ぎでなんか得した気分。スストは国境連絡のみの小さな村で、K.K.H.沿いに数百メートル町があるだけである。バスの止まった場所にほど近いカレー屋にみんなで入ってチキンカレーとチャパティをいただく。これが大当たりで、今回の旅で食べたチキン・カレーで最高に美味かった。その数軒先の食料品店で飲み物を買うついでに、余っていた中国人民元 (1CNY ≒ 18JPY) をパキスタン・ルピー (1PKR ≒ 1JPY) に両替。レートはかなり良かった。パスーへ行くというと、その隣に止まってるワゴンが行くというので運転手に運賃を払って周囲を散策、「クラクション鳴らして拾ってやるから散歩でもしてろ」というので果物屋やチャパティ屋などで保存食をちょっと買っておいて、川を眺めたり山を眺めたりして、果てしない風景にため息をついていると、さっきのワゴンがクラクション鳴らしながら迎えにきたので、それに乗ってパスー村へGo !! あまりにもスムースなので逆に恐縮する。さあ、新しい旅が始まった。

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