2017年07月27日

20170727 自家製ラグメン

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 梅雨の間は雨がなく、梅雨明け三日を待たないうちに曇天の連続、天然の日傘のあるうちに田んぼの除草をほぼ終了。想像してほしい。稲の成長をはるかに超えてはびこる草が田んぼ全面を覆い尽くしている様子を。敷きわらを厚くすれば、除草剤を使わずにここまで草を抑制することができる。旅の思い出に、ウイグル料理のラグメンを真似てみる。一つは焼うどん風、ゴーヤと夏野菜のラグメン、もひとつはそうめんを使ったトマトシチューぶっかけラグメン。右脹脛の状態がまだ良くないので、農作業半分、室内作業半分に軽減する。温度の上がる時期、瓶ものの乾燥剤を交換する。フンザで買って来た干しあんずを水で戻してジャムを作る。極めて濃厚美味 !!




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2017年07月21日

20170721 梅雨明け三日

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梅雨明け三日。暑い時こそ・・・こすりすぎて破れてしもたらイケんので、おとなしく穀物の乾燥とゴミ取りをしとる。余った種もみも精米すりゃ大事な食料。

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2017年07月20日

20170719 蜂伏

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畑に行く度に蜂に刺され、蜂に刺される度に何千円もの出費を強いられるようではとても持たんので、原因を根本的に究明せねばならん。ジーンズと厚手の作業着の上に山岳用レイン・スーツ、長靴の裾を密閉して総ゴム張りの軍手着用、目を残して頭部は布でぐるぐる巻きにしてレイン・スーツのフードをかぶり、畑へ向かう。「見て、また伊丹さんけったいな格好したはるわ」「しっ、黙っとき、なにされるやわからんで」とまあ、相変わらずの変人扱いを横目で素通りして、最後に設置した柵に近づく。やがてどこからともなく蜂が集まってきてほうぼうに止まるが私は動じることなく彼らの巣を探す・・・あった !! なんと、コンクリート・ブロックの破片の穴に営巣していた。小型のアシナガバチや。近づくと蜂は狂ったように攻撃してくる。手薄なゴム軍手にとまったやつを払う以外は、とまるに任せておくと、やがてパニックは収まって巣に戻るやつが出はじめる。こちらもそれ以上近づかずにじっと座っていると、とまっていた何匹かも巣に戻った。ブロックは、穴が貫通していないタイプだった。静かになったのを見計らって、それをひょいと俯けにしてやった。これで出られまい。蜂さんにはわるいが、俺も食うていかなあかんのでね。おかげで汗びっしょりや。昨日やられたところがそろそろキテるんで、今日は保冷剤身体中に貼って横になっとこ。体はいたって元気なんやが、皮膚が擦れると痛い・・・しゃあないな。

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2017年07月19日

20170719 初蝉

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やっと農作業が季節に追いついた。三日ほど前に初蝉を聞いた。今日は夕立があったが、空も空気も、なんか「抜けて」夏になったような気がする。畑で夏野菜の柵物を設置している最中に、突然蜂の群れに襲われた。完全防備していたので、分厚い作業服越しだが、何箇所か刺された。背中や頭部など、見えない届かない場所はひたすら冷やし、見つけ得る場所は順次絞り出して流水で洗うのだが、軽い吐き気と目眩がして動悸が高まった。いわゆるショック症状だろう。とすると、先日足をやられたのは、蜂だったのか・・・とにかく作業中断、再び予約なしで皮膚科に押しかける。ここんとこ立て続けに狙われているが、巣のようなものは見なかった。突然、頭部を襲ってくる。背中と首の処置は、結局刺されてから一時間経過しているのでかなり毒が回っているだろう。自分で手当てした部分は、軽微な腫れで済むかも・・・帰宅してから夕刻、後片付けに畑に戻ろうとすると、20メートルほど手前まできたら、まっすぐ蜂の群れが突進してきた。走って逃げた。あかん。畑に近づけない・・・まあ、柵物の設置はあそこが最後だったし、あとは鎌仕事で盆までちまちまやりゃええんで、三日ほど休養するか・・・しかし夜になって、全身がずしーんときてますね・・・いややなあ、今度は全身ずる剥けか ??

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2017年07月15日

20170715 やりすぎる

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もらった草刈機を手入れする。同じものが近隣のホームセンターで一万円ほどで売られていた。店員さんの話によると、これを修理や調整などしようとするとその経費の方が高くつくが、この店のお客さんの中に三人、これを手入れしながら15年近くも使い続けている人があるという。そんな話を聞くとやりたくなるのが悪い癖で、メーカーに問い合わせてアドバイスをもらった後、自分で手入れして使うことにした。なにしろ連続30分以上は使わない方が良い、一日2回以上使わない方が良い、エンジンが過熱して止まってしまうからである。回転数を上げると早く止まる、かと言って上げなければちょっと大きい株に刃を取られて止まる。要するに騙し騙し使うことだ。草刈機で全部やろうとは思わず、鎌で手刈りするよりはマシだと割り切って、他の作業と並行させながら・・・辛気臭・・・

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というわけで並行して遅ればせながらジャガイモの収穫・・・といえるほどでもないんだこれが・・・というのは、やりすぎる、というのも私の悪い癖で、茅を厚く積みすぎて、土から地上までの距離が長くなりすぎ、結果的にジャガイモの芽が陽の目を見るのが遅くなり茎が大きくならず、そのまま収穫期を迎えて減収になってしまった。過ぎたるは及ばざるが如し。子供の頃から何度も親に諭された教訓だが、まだわかってない。

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前半に田植えした「神丹穂」・「緑糯」・「豊里」の葉色が濃くなった。これは根が活着した徴である。代掻きをする普通の水田では、このタイミングで「初期一発除草剤」というのを撒く。農薬散布をこれ一回に限る栽培方法で収穫された稲からできた米を「特別栽培米」という。この薬はペレット状になっていて、一反あたり1kgを撒く。田んぼをゆっくりと歩きながら、三歩に一回、片手でひとつかみずつを振り撒くと、一反を歩き終えた頃に1kgがなくなっている。白い無臭の錠剤のようなものだが、なんとなく化学的に臭いを消したような感じがあって、一反を撒き終わる頃には、胸の奥に重い圧迫を感じる。効果はてきめんで、実に見事に秋まで草が生えない。これを撒かずに同じ方法で栽培すると、たちまち水性雑草の緑の絨毯に覆われ、あるものは稲を凌駕する。盆までに5回ほど全面的な除草をしなければならなくなるが、炎天下、泥の匂いの立ち込めるぬかるみを這いずり回るその作業は、まさに死と隣り合わせである。全体を枯草で覆う現在のやり方に変えてからは、除草の労は劇的に軽減され、根の張りも強くなったが、このやり方に適した品種を選ぶ必要がある。

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2017年07月14日

20170714 Zaïre 74

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 田植えが終わった翌日、長らく放置した畑の点検を兼ねて圃場周囲の草刈りに出た。実は先日、中古の草刈機をもらった。それまでは家主さんの30ccのでかいやつを振り回していたのだが、もらったものは20ccの最も華奢なやつだった。手加減したつもりだったが、小一時間も振り回すとエンジンが止まってしまう。だましだまし使ってもすぐ止まるので仕事にならず、昼の休憩でなんだか疲れが出てしまった。草刈機の調子が悪いのか、体の調子が悪いのか、斜面を踏ん張る右足が妙に重いというか・・・とぼやきつつ長靴を脱いで、靴下も脱いでなんとなく右のふくらはぎを見て驚愕した。全体がケロイドのように真っ赤に腫れ上がってパンパンに膨らみ、大小無数の水ぶくれで覆われ、そのうちのかなりがすでに破裂して踵まで膿にまみれていたからだ。思わず全身に悪寒が走り、堰を切ったようにかゆみが襲い掛かった。今朝までは違和感はなかった。田植えに没頭して異変に気づかなかったのか、とにかく草まみれの田んぼでの死闘で、確かに無数の虫に刺され、完全防備の作業服の中にも入り込む。棘や藁や小枝が突き刺さることも多い。いちいち気にしてたらきりがないし、いつしか何も感じなくなっている。そのうちの何かがまずくて、田んぼの水に潜む何かが入り込んだのか、とりあえず写真を撮って、そのまま皮膚科を探して、予約なしに押しかけた。お見せできないのが残念だが、こんなものが世に出たら二度とお嫁に行けなくなってしまうので秘匿することにする。火傷のように花開いたふくらはぎを見て医者は激怒し、三日間の安静が命じられた。作業中断。強制休養である。一日目は一日中寝ていた。二日目に「さなぶり」のお祝いとしてCDを注文した。今日それを聞いた。

 このCDね、発売されたのはもちろん知ってたんやが、田植えの最中で封印、いや、買うまいと思うてたんやな。内容が素晴らしく貴重な音源ということはもちろん知ってた。でもどうせそのうちYouTubeで流出するやろし、それでええわと思うてた。でもね、Muhammad AliGeorge Foremanんの世界ヘビー級タイトルマッチ、「キンシャサの奇跡」ですよ、それに合わせて開催された一大ブラック・ミュージック・フェスティバル「ブラック・ウッドストック」ですよ。「ソウル・パワー」ですよ。1974年ですよ・・・それらをずっと聞いてきた、なんちゅうか、積み重ねがね、やっぱり私はこれを持っとかなあかんなと・・・まんまと敵の策にはまってしまう自分に抗えない自分を別の自分が嘲笑してるねん。どうせこのあと次から次から出てくると思うよ、なにしろ、あれほど巨大なイベントでね、どれほど巨大かというと、去年これについて書いたものがあるから引用するとね、だいたいこのようになるんや・・・

 Zaïre 74は、アフリカの音楽にとって大きな出来事だっただけでなく、アメリカ在住のアフリカ系の人々 (African-Americanと呼ばれることに違和感を感じる人もあるが) にとって、文字通りアフリカへ回帰して演奏するという大きな意味を持っていた。大西洋を越えて旅行することが今ほど一般的でなかった当時としては、それはリアリティがある。いまほど情報はない。行く側も迎える側も、驚きと発見の連続であったはずだ。その手探りの末に遭遇する驚きや喜びが、映像に記録されている。

 このイベントの噂は、私が南の国の音楽に興味を持ち始めた当初から耳にしていたが、全貌はわからなかった。Fania All StarsJames Brownの動画を、ごく短いものを何かのイベントで垣間見た程度だ。Faniaのデスカルガの模様を含めたドキュメンタリーがVHSで出たのが1995年の確か数年前、同じコンサートでCelia CruzをメインにFaniaのバッキング、ゲストにJorge Santanaというライブ映像がDVDで出たのが1998年、しかしこのDVDにはAfricaに関する記述はなく、装丁からしてもなんとなく流出モノくさかった。James Brownの映像も細切れに流出していたと思う。しかし正式にこのイベントと出演者の映像が公開されたのは2008年である。そこで初めて、我々はアメリカ・アフリカの全出演者をはじめ、日程やイベントの企画から開催までの詳細を知ることになる。

 いまでは、「Soul Power」と題されたコンサート全体のダイジェスト版と、Faniaに関する上記2つの記録は、「Fania All Stars in Africa」として2枚組のDVDで発売されている。

 アメリカからJames Brown, The Spinners, The Crusaders, Fania All Stars, Celia Cruz, Danny Ray, Sister Sledge, Bill Withers, B.B. King、現地ザイールからFranco et le T.P.O.K. Jazz, Tabou Lay et l’Afrisa International, Abeti Massikini, Stukas, Pembe Dance Troupと、クレジットはないが、映像からFaniaを迎える面々の中で歌っているTrio MadjesiL'orchestre Sosolisoの姿が確認できる。また南アフリカからMyriam Makeba, Hugh Masekela,、カメルーン人だが当時Dr. NicoAfrican Fiestaに参加して多分キンシャサにいたManu Dibango・・・

 コンサート日程は1974.09.22-24Muhammad AliGeorge Foremannの試合が1974.10.30、当時のモブツ大統領はイベントの開催を了承したが、すくなくともコンサート部分については、たしかイタリアの某実業家が私費を投じたと言われている。調べたはずだが記録を取い・・・云々・・・

 こんなイベントでね、流出したFaniaのライブ映像のクオリティの高さはものすごくて、おそらく当時の最先端技術だったと思うんよね。それだけの投資をして、あれだけの出演者があって、映像や音が残ってないはずがない、絶対どこかにあるはずや、と、これはもうファンならずとも何十年も前から噂されていたことや。それが、やっぱり、あったんや・・・

 まあくどくど言うてもしゃあないし、内容を紹介しときましょ。内容は2枚組CDセットで観音開きのブックレットになっている。CD1は、Tabou Ley et l’Afrisa International, Abeti MassikiniCD2は、Franco et le T.P.O.K. Jazz, Myriam Makeba, Stukas、つまりMyriam Makeba以外はすべてZaïre勢。つまり、全体のイベントの、ほんの序の口というわけや。序の口でこのラインナップでっせ、そらもうコアなファンなら飛びつきますわな。でもね、一応これね、1974年という時代背景、そしてメイン・アクトが、たぶんFaniaJBという当時のアメリカのカラード音楽の最先端を迎え撃つZaïre音楽のショウケースという、かなり特殊なものであるということに興味のある人でないと、ちょっとピンとこないかもしれないなあ。

 まあくどくど言うてもしゃあないし、内容を紹介しときましょ。Tabou Leyね、あんたちょっとJB意識しすぎやねん。なんぼ嬉しいか知らんけど、全体にテンポ早いし音が硬いしもっとあんたらしいええ歌たくさんあんねんからそっち出した方が良かったんちゃうか、ということでAbeti MassikiniとともにCD1についてはノーコメント !! (うわあ) ・・・で早くもCD2、やっぱりね、さすがFrancoですよ、だいたい普通に録音して1曲が15分くらいあるのんを、11曲もやって30分そこそこに納めてるんやが、それでもそのまったり感が違いますね。実にええ味が出てる。特に#4に出てくる"Kasai"、これは本来"Kinsiona"というBas-Zaïreのフォルクロールをもとにした曲で、曲名が違うから気づかんかったんやが、曲が流れ出した途端、苦難に満ち命の危険にまで晒された1991年のZaïre奥地への旅のことを思い出してどっと涙が溢れてきてしもた。すごい情感や、それをメドレーの中に挟むなんて・・しかし曲名間違うてもろたら困るなあ。"Kinsiona"やで。まあそんなこと、一般のファンにとっては本ッ当にドーでもええことなんやけどね。アルバム全体を通して、限られた時間内に多くの曲を詰め込もうとしてメドレー形式で演奏されてるんやが、本家本元に遠慮してか華を持たせるためか、ルンバやファンキーな曲を避けてフォルクロールが多く選ばれてる。しかしその中でピカッと光ってるのんが#6"Balingaka Ngai Te"や。これも曲名を見てあれっと思うた。というのは、この曲は74年にはまだなかったはずや。事実、曲が流れ始めて後半のFrancoの有名なギター・フレーズが出たのでわかったんやが、これは"Monzo"という曲や。この曲にも"Balingaka Ngai Te"という歌詞が出てくるが、それは「俺はみんなに嫌われてる」という、まあ男がよくぼやく文句で、よく歌詞に使われる。よう調べんと曲名つけたんやろ。まあこれもほんまにドーっでもええことなんやけど俺が訂正しといたるわ。まあついでやし#11にもFrancoの有名なギター・フレーズが出てくるが、それは"Minuit Eleki Lezi"という70年代TPOK Jazzの名曲中の名曲のものや。これもわからんと"Instrumental"なんて書いてあるから俺が補足しといたろ。ともあれ、CD2前半のFranco et le T.P.O.K. Jazz編は、大御所らしいアフリカ色に満ちたフォルクロールの中にルンバ感覚が随所に光る凝縮された名演や。で、Myriam Makebaを飛ばして (^^; Stukasや。もうこれがすごい。なにがすごいというてとにかくすごい。最高や。おそらく彼らの録音の中で最も良い音質で残されたもんちゃうか。当時のザイールには8トラックもまだ普及してなかったやろから、彼らの現存する録音は、そのエネルギーを吸収しきれずに、ほとんどクリップしてて音が伸びてこない。それがこの録音では、低音から高音までの分離と伸びがすごい。演奏の方やが、やはり若いだけあって、これより前の大御所たちが色々と気ぃ遣て策を弄してるのを尻目に、いつもやってることをそのまんまやってる。すかっとする。ルンバでありファンクでありパンクであって、最初っからスロットル全開や。この疾走感は彼らだけのものや。FaniaやろうがJBやろうが関係ない。StukasStukasや。もうすばらしいのひとこと。大好きや。で、後日行われたFaniaのライブでRay Barretto"Que Viva la Musica"と叫ぶのを聞いていた若き日のPapa Wembaがそれを自分のバンド名にしようと決めたその同じステージに、自分を引き入れてくれようとしたLita Bembo率いるこのStukasが立っているのを彼が見ていなかったはずはない。今は亡きWembaもまだ独立してなかった。Vivaの結成前や。そう、これはもう43年も前の歴史的出来事なんや。まあ俺も歳とったちゅうこっちゃな。

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2017年07月11日

20170710 Fandango 30周年

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ライブ・バー大阪十三Fandango 30周年記念ライブにお呼ばれいたしまして、なんと「カーリー・ショッケール」一夜限りの再結成でございます。むかしこんなバンドが一緒になって・・・そう、こんな音楽を本気でやってたんよね。素晴らしい時代だった。たぶん、10/07の早めの時間になると思います。まあ聞いてやってください。他では絶対に聞けません。誰にも絶対に真似できません。音楽は根性です。老体に鞭打って、せいいっぱいさせてもらいます。

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2017年07月10日

20170710 田植え終了

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田植えが終わった。例年より数日遅く始め、例年通り約15日かかって終わった。やはり例年通り途中で二度ダウンを取られ、後半は割れた腰を布で縛り上げ、保冷剤を腰に巻きつけての作業となった。毎年のことだが、田植えはきつい。今シーズンは、タネモミを購入した黒米が、まさかの発芽全滅。メーカーに再度送ってもらって種まきしたものもほぼ全滅。したがって今年の「Farminhos三色玄米」は、田植えすらできずに敗北宣言。こんなのは初めてだ。そこへ友人が中生の黒米の苗が余ったからと言って持ってきてくれた。ありがたくいただき、苗代を潰した跡を代掻きして田植えする。これが私のところで唯一見られる「普通の田んぼ」、夕刻に時間が余ったので植え終わった部分を見直して歩く。茅を積みすぎたのか、苗が隠れるほどになっているものの中にはも虫に食われて葉が欠けているものもある。余り苗で補植。白米うるち「豊里」・インディカうるち「サリー・クイーン」・赤うるち「神丹穂」・「緑糯」苗が余っています。ご入用の方はお早めにどうぞ。私の「さなぶり」は、ささやかに初なりのトルコ原産白ズッキーにレンズ豆のトマトシチューその他・・・以下、バイト (;_;)

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2017年07月07日

20170707 田んぼめくり

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 九州豪雨災害に見舞われた皆様へ心からのお見舞いを申し上げます。近畿地方は、皆様には申し訳ないくらい何事もなく、天然の日傘のおかげで屋外にいてもさほど苦もなく過ごしております。

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 先日、発芽しなかったので蒔き直した黒米、やはり時期が合わなかったのか、苗代との相性が悪いのか、私のことが嫌いなのか、浸水時には発根を確認していましたが、苗代におろしてはほとんど発芽しませんでしたので、引き続き黒米の苗を余らしておられる方がいらっしゃいましたら、何卒よろしくお願い申しげます。

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 雨が適度に降るので、丹波黒大豆の残りを小麦の跡地と、田植え後半の畔にすべて植え終え、田植え後半戦に備えて、畦塗りと整地をした。茅を敷いた田んぼは表面から見ると草が抑えられているように見えるが、それをめくると、特に田芹がこのようにびっしりと地下茎を張り巡らしている。これを放置しておくと、やがて田んぼ中に網の目のようにネットワークが広がって、或る日突然一斉に地表に姿を現し、あっという間に葉を展開させて稲の根を締め上げるのである。そして翌年はさらに蔓延る。しかし不用意にこれをむしり取ると、散らかった地下茎が節目から発根して個体数が増える。したがって、泥の中の根本を探り当ててそれを抜き取らない限り対策にならないのである。自然農は草を敵にしないというが収穫が得られなければ「農」ですらなくなるので、ここはこちらのつごうにあわせてご退席願う。

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 田んぼ全体をめくり取った後、再び茅を被せて田植え後半戦「サリークイーン」スタート。

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2017年07月03日

20170627 スローライフ

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 「スローライフ」というものは、ニンゲンがスローに生きるということではなく、ニンゲンが地球環境に与える負荷をスローにしようという生き方だと思う。ところがニンゲンというものは社会的存在であるので、どうしても社会と関わって生きていかざるを得ない。今回旅した中国やパキスタンは言うに及ばず、2010年に旅したブラジル・南アフリカ・コンゴ民主共和国・エジプト・ポルトガル・トルコなどでも、また2012年に訪れたウズベキスタンでも、主要都市ではすでに日本と同じくらいカネがかかった。1989年や1991年当時では、ザイール (現在のコンゴ民主共和国) の首都の物価はおしなべて日本の1/30くらいだったから私にも師匠を頼んで音楽修行ができたのだが、大多数の「発展途上国」のおかげでごく少数の「先進国」が豊かさを享受できた時代が過ぎ去った今、もはや呑気な貧乏旅行など過去の夢となりつつある。

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 ニンゲンが地球環境に与える負荷をスローにしようという生き方をしようと思えば、このようにおそらく世界中が自動車で走り回っている時代に、足でその速さに追いつこうとするようなものである。私が死ぬほど忙しい根本原因はまさにここにあるのであって、別に私が欲深いわけでも凝り性なわけでも性急なわけでもない (たぶん) 。だって、この梅雨の晴れ間で急に丹波黒大豆が伸びてきて、早く植えなければ徒長して倒れて水浸しになって腐ってしまうからである。

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 すべて自然のなせる業、それに寄り添って生きるということは、今やってる田植えを中断して、夕立が来る前に黒豆を畔に植え終わらせなければならないということである。西の空が暗くなり雷鳴が聞こえる。強雨に叩かれて幹が折れてしまう予備に半分を軒下に避難させておいて、脱水症状でクラクラする頭をシュマグで縛り上げ、どうにか日没までには田んぼのぐるりを終わらせた。田植えそのものも翌日なんとか終えた。くどいようだがニンゲンというものは社会的存在であるので、どうしても社会と関わって生きていかざるを得ない。つまりこのフラフラの足取りのまま深夜までバイトし、帰って一息ついたら日付が変わっているのである。ううむ・・・そろそろこの悪循環から脱却しないと、たぶん老いがこれを許してくれなくなるだろう。

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