今年も色々ありまして・・・要するに人間関係がうまくいったりいかなかったりという、些細なことは日常茶飯事なのだが、時々でかいやつに、それも立て続けに、なかでも相反する評価を受けてしまうと、戸惑う・・・を通り越して、なんか自分のマインド・セットが別のものにすり替わってしまって、それがいいのか悪いのか・・・やはり戸惑ってしまうのです。
人生にはチャンスやピンチやいろんなきっかけがゴロゴロしていて、チャンスと思って飛びついたら穴に転げ落ちたり、ピンチと見て避けて通ったら獲物を逃していたり、そんなことを繰り返していくうちに、あちこちで頭をぶつけたり天狗になったりして、世間のことがわかってくる。自分の行動は、大体自分の考えの及ぶ程度にしか展開されないので、その結果も自ずと一定の範囲に収まってきて、それを見ている自分の心というものも、やはり一定のパターンに収まってきて、それがいわゆる「マインド・セット」として頭に刷り込まれてしまうので、私は同じ失敗をよく繰り返すし、うまくいく場合のパターンもよく似ている。
しかも歳を重ねるにつれて、周囲には自分より年下の人の方が増えてくるから、彼らは年長者である私に対して多くの場合、下手に出て来がちである。すると、余程気をつけていないとなんとなくその場をすり抜けてしまうので、自分は問題なく通過できたと勘違いしてしまう。歳をとるにつれてそれが積み重なっていくから、悪くすれば決定的にズレた年寄りが出来上がってしまう。私も時々、そうなりかけている自分を感知することがあって、はたと思い当たっては手が止まり、足が止まり、思考も止まって、しばらくは動けなくなることがある。
そんなことが農作業シーズン前半を終えた盆以降固まって押し寄せたので、気候が良くなったのに一向に気分が盛り上がらない、すべて停止状態に陥っていたのだが、こないだ急なことで、ストレートな若いやつに出会って、とりとめもない話をしているうちに、不思議に気が晴れて元気が出た。なぜといって原因はわからないし、おそらくお互いにそんなことは意識していなかったに違いない。初対面にもかかわらず、ただなんとなく気が合って、短い時間だったが大変楽しく過ごしたのである。食材を通じた話であったので意気投合できたのだろう、特段の煩わしい説明抜きで、思考がポンポンと目的地近くに落下していく、それを相手が拾ってまた投げる、さらに私が走って追いかけて投げ返す・・・こんなことができる相手はそう多くない。偶然となればなおさら、いや偶然だからこそ為し得たものか・・・そしてその翌日さらに新しい展開が別の場所で別の人物と広がった。続けば続くものである。
それまでの憂鬱な日々を、掴もうと思えばすり抜けられ、すり抜けようと思えば捕まり、いくら説明しても、こちらの意図とは全く異なる解釈をされて苛立ち、理解を求めようとすればするほど誤解され、さらには窮地に追い込まれて、一文の得にもならないことに時間と労力を (カネはないので) 浪費してしまって噴火寸前だったからなおのことか・・・
考えてみれば簡単なことだ。掴もうと思ってすり抜けられてしまったのは相手が優っていたせいであり、すり抜けようと思って捕まってしまったのは自分が至らなかったせいであり、こちらの意図と全く異なる解釈をされてこそ知見が広がるのであって、所詮、自分を理解してくれなどと頼む方が虫が良すぎるのである。そのときにそのことに気がつかないのが私の幼いところであって、後で落ち着いて考えて見たら解決法はいくらでも転がっていたりする。初心に帰れていなかっただけのことである。
しかし今回はただ一つだけ、どうしても解決できずに終わってしまったことがある。相手が男であれ女であれ、長年の人間関係が破綻するほど精神の消耗することはない。しかも若い頃に切磋琢磨しあった相手であればなおさらである。切磋琢磨とは、自分の心身をギリギリまで追い詰めることである。常に最良を目指し、自分を向上させる。そうしながら歳を重ねていくのだが、先述したように、精神の老化から徐々に視野が偏狭になり、やがて程度の差こそあれ、お互いのズレに戸惑うことがある。そのズレがいくら努力しても埋まらない程度に広がってしまっていることを互いに認識することは、絶望的に悲しい。断腸の思い、身を裂かれるような苦痛、虚脱感・・・
・・・まあそんなわけで色々ありまして、とりあえず元気は取り戻したのですが、20年ぶりKarly Chockers一夜限りの再結成、リードギタリストが変わります。かつてボーカルを担当していた今井くん老舗Fandangoの大舞台で、人前で初のリードギターです。フロントが少し薄くなりますが、各位20年の放浪の末に集って再燃するロック魂を聞いてやってください。