小春日和のうちにやってしまわんなんこと・・・日に日に熟成しすぎていく柿をジャムにしまくる。陽のあるうちに干し芋を蒸しまくって干しまくる。ずっと軒下で生き延びてきたサボちゃんを植え替えたら細かい棘に全身ヤラレまくる。南の国原産の秋ウコンをばらして洗って新聞紙に包みまくる。コンゴのピリピリちゃんが熟成する前に凍結して全滅して落胆してたら、天の救いのごとくいただいたタンザニアのピリピリちゃんを、鮮度が落ちないうちにペーストに・・・あかん、これ以上近づいたら死ぬ・・・息つめて目ほそめて、なんとか2瓶・・・明日から師走、これ以上また忙しなる。
2017年11月30日
2017年11月29日
2017年11月26日
20171126 ヤツガシラ
さあ、今シーズンの農作業も大詰め。一ヶ月早く訪れた本格的寒波のため作業も前倒し、遅れている作業と重複して重荷になる。毎日朝夕稲木を点検する。スズメは稲を引きずり下ろしてついばむ。寒さのため丹波黒大豆の熟成が早まり、刈り取って稲木に架けて乾かす。青いものは今年最後の枝豆として味わう。インゲン類も急速に枯れたので、収穫して柵を撤去する。その跡地にも小麦を捲く。土が凍る前にショウガを救出する。ウコンはまだ白い。熟成が始まる前に冬が来て枯れてしまったからである。真ん中のヤマブキ色の部分に期待する。これらの跡地には玉ねぎを定植する。小麦と玉ねぎのために、来週以降の小春日和と、適度な降雨を期待する。頼まれていた柿取りをする。もうかなり熟んでしまって、めぼしいものは鳥に食べられた後である。それでも200個ほどあって選別する。そこのおばあちゃんに、サトイモやサツマイモの越冬の仕方を教わる。この地では土が凍るので、地中での越冬は凍結することが多く、そうならないまでも虫や獣にやられる。そこでこの地に伝わる方法は、土を少し盛り上げた上に芋を置いて、1m標高くらいの籾殻の山をその上に作り、さらに稲わらの束で覆うというものである。おばあちゃんが持っているのは、ヤツガシラという、盆で仏前に供える、ズイキをとるための里芋の一種である。さあここまでやり切って、残す作業は、ソラマメとエンドウの定植、稲の脱穀と籾摺りとなった。ゴールが見えてきた。夢の農閑期はもうすぐそこだ。
2017年11月23日
20171122 仁義なき殲滅戦
さて先日のショーロの会の当日は、予定では稲刈りも終わり、ハザ架けされた稲穂が夕陽に染まるのを眺めながら、ビールでも飲みつつ脱穀を待っているはずだった。一年の労苦を癒すべき、自分に対するご褒美の予定だったのだ。ところが実際には、相次いで来襲した二つの台風と、それに刺激された秋雨前線による一ヶ月近い長雨で農作業が遅れに遅れた上に、近所から柿とりを頼まれたり、農繁期を終えて暇を持て余した近隣農家の嫌がらせに応対しなければならなかったところへ、一ヶ月も早く真冬の寒波が押し寄せて土の作物の救出を優先しなければならなかったり、きわめつけに直前になって洗濯機・ミキサー・掃除機・自動車がほぼ同時に、しかも使ってる最中に故障して、もはや万歳三唱しながらヘラヘラ笑ってる状態だった。いうまでもなく、天上の宴の翌日は泥沼の地獄の始まりであった。次の寒波が来る前にパン用小麦の種まきと、これも遅れに遅れたタマネギの苗の定植を終えなければならぬ。そのためには一刻も早く稲刈りを終わらせなければならないのに翌々日には次のまとまった雨があり、その後もう一段強い寒波が予想されていた。通常の倍のスピードで、まさに地を這いずるようにしながら稲刈りを終え、田んぼを踏み荒らした余勢を駈って麦播きをし、草をかき分けて苗を植え、なんとか急場をしのぐことができた。この哀れな百姓を、高圧線の上から無数のスズメが嘲笑するかのように見下ろしていた。夜のバイトへ向かうために急いで角を曲がったのと、彼らが編隊を組んで稲木めがけて急降下する羽音が鳴り響いたのは、ほぼ同時だった。こうして次なる闘い、スズメとの仁義なき殲滅戦の幕が、無慈悲にも切って落とされたのである。
2017年11月22日
20171122 Choro Ansonia
ブラジルに「ショーロ」という音楽がある。成立は19世紀ごろでサンバよりも古い。ヨーロッパのクラシック音楽が基礎になっていて、そこにアフリカ系、インディオ系、アラブ系の音楽要素などが混血してできた、まさにブラジルらしい都市ポピュラー音楽である。これの面白いところは、ジャズにも似た即興的な器楽合奏が中心になっていて、ある程度の形式は踏まれるものの、演奏自体は非常にスポンテニアスなものなので、様々な解釈と実験による変奏が可能なところである。それゆえに、これに興味を持った人なら誰に対しても、探求を極めたい人も直感を重んじる人に対しても、門戸が広く開かれているところが良い。事実、ショーロの楽曲を具に聴いていくと、ルネサンスの宮廷舞曲風のもの、東欧からコーカサス地方の吟遊詩、アラブやイベリア風のもの、またアフリカからカリブ海に渡ったであろういくつかの音楽形態の残滓が色濃く残るものがある。これらが数百年の時を越えて楽譜に刻まれ、しかもそれを金科玉条とするでなく、即興的器楽合奏の底本として、今でも自由に演奏表現を膨らませることができることは実に素晴らしい。おそらく世界中を探しても、こういう遺産を忠実に後世に伝え、なおかつ後世がそれを自由に使えるような音楽形式というものは、なかなかないのではないか。さらにショーロは多くの場合、円卓を囲んで飲食を共にしながら気の向くままに演奏されたのである。ここに縁あって先日、京都祇園の小さなレストランを借り切って、解禁されたばかりのボージョレ・ヌーヴォーと、シェフ自慢の手料理をいただきつつ、昼過ぎから日の暮れるまで、ショーロの名曲という名曲をほぼ総なめにしたのであった。集まった友たちは、私のようなブラジル音楽にほぼ造詣などないに等しい輩でも別け隔てなく受け入れて、これに快く参加させてくれたのであった。彼らの心の寛大なことは、まさにショーロを純粋な音楽などと気取らず、ブラジル音楽の粋たる混血性を正統に受け継いで全てを受け入れようとするところにあった。おそらくショーロの創世期には、とりあえず楽器の持てる者たち、人種も民族も、音楽的背景も雑多な楽師たちが集まって冠婚葬祭の席に喚ばれたものであろう。そこでは、とりあえずのテーマとコード展開を簡単に取り決め、あとは各自の音楽的素養に基づく様々な演奏が繰り広げられたに違いない。そこから生まれてきた名曲の数々を、曲として固定化された楽譜を考証学的に探求するのではなく、その上に独自に何を積み上げていくかに力点を置いているところが、この友たちの偉大なところであって、だからこそ共に演奏できるのである。祇園という、私にとってはほぼ縁のない世界で、類い稀なる至福の時間を過ごさせていただいて、みなさん本当にありがとう。またやりましょう。
2017年11月18日
20171118 作業が団子
今年は秋の作業が団子状態・・・柿が不作の年に近所の農家に「柿を採らせてくれ」と頼んだばっかりに、大豊作の今年は千個を超える柿の選別に追われ、二つも連続しておいでなすった台風と長雨の影響で稲の刈り旬が二週間も遅れ、そのくせ一ヶ月近くも早く訪れた氷点下の朝に、それより早く採っておくべきだった作物を慌てて採り入れ、雨の日は夜っぴてそれらの加工に追われ、稲刈りを始めたは良いが、台風で四方に倒れまくった株の根元に穂が絡み付いて、刈り取り作業が大幅に遅れ、いまごろはとっくに秋晴れに輝く稲木を眺めながら脱穀を待っているはずだったのに早朝から深夜まで泥沼状態。一週間経ったのにようやく半分。明らかに去年よりも低下した体力を意識しながら「豊里」刈り取り終了。明日明後日とイベントが続くが、全く準備できてない状態で、これから・・・