2018年02月05日

20180205 都会はええのう !!

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 私が百姓になろうと決心する直接のきっかけになったのは、舌癌で舌を部分切除したことである。早いもので、もうその手術をしてから13年になる。今日は、年に一度の経過観察で、久しぶりに電車で大阪へ出た。私の住んでいる六甲山系の北麓は、山一つ隔てただけで日本海側気候となり、冬はずっとどんよりと曇っている。特にこの冬は、11月以来平年より寒い状態がずっと続き、年末から早くも氷点下5℃が最低気温の標準となってしまった。まだ二桁はいかないので、例年よりブレは少ないものの、ずっと寒いのは体にこたえる。大阪は、寒風吹きすさんで寒かったが、よく晴れていた。山ひとつで大きな違いだ。久しぶりに住み馴れた冬の気候に身をおくと、体が思い出したようにめぐり始める。

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 私は長年食品業界に身を置いていて、フリーランスでいくつものメーカーと契約し、業務委託を請ける形でその製品を流通に乗せて販促していく仕事で生計を立ててきた。もうかれこれ30年も前に始めたことだ。当時は今と違ってまだまだ市場に開拓余地があって、というより、ほぼ手つかずの荒野に近かったので、私のように、性格上、宮仕えに支障のある人間は、一匹狼として野放しにしてくれた方が、ずっと実績効果が上がった。また社会、クライアントの側も、それを許容し、うまく使う懐の深さがあった。バブルの余韻の残る時代、我ながらよく働きよく稼ぎ、よく遊んだ。その人生に悔いはない。しかし、時代は変わる。また、自由の代償も、いつかは支払わねばならない。最後の仕事となった超有名冷凍食品メーカーの仕事の途中で、私は体調を崩し、舌に癌があることがわかった。癌は複合的な原因で発生する。だから一概に確定はできないのだが、長年「食品の裏側」をなめ尽くしてきたツケがここに回ってきたものと思っている。

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 それを見つけてくれたのは、当時行きつけだった歯医者さんである。私は大のみかん好きで、和歌山の友人が送ってくれるみかん一箱を、カビる前に全部食べてしまうほどだった。ところがある時からそんなに食べられなくなった。舌にしみることに気づいたのは、ある虫歯の痛みに耐えかねて、その歯医者へ行こうとしていた頃だった。いつもの通り、荒っぽい治療が一通り済んで放免されることになった時、私は舌を歯医者に見せた。彼の顔色が変わった。「お前、すぐ診てもらえ。紹介状書いたるし。」「なんですのん ??」「まあお前やから言うたるけどな、癌かもしれんて。」・・・それからのいきさつは長くなるので省略するが、最初に行った阪大口腔外科では、舌1/3切除・咽頭再建・食道閉鎖・・・要するに食べることと喋ることは諦めろと言う。冗談やない。食品業界で営業する人間が二つとも取られたらどないして生きていけまんねん ?? 「ほな、死にますか ??」それから説明を受けた。舌癌はリンパに近く転移が早いので、全身に回って死ぬ確率が高い。しかもわかりにくい。しかしなんぼなんでも・・・とにかくそこを逃げ出して、かかりつけの内科に泣きついた。そこで森ノ宮の大阪府立成人病センターを紹介してもらったのが13年前である。舌は、前1/3は歯科口腔外科の縄張りであるが、後ろ2/3は耳鼻咽喉科の縄張りで、私の癌はその境界付近にあったらしい。もっと前部にできてたらバッサリやられて、今頃全く異なる人生を歩んでいたことだろう。いまこうして満足に人と話し、美味しいものを食べられるのは、とにもかくにも、執刀してくれた医師、発見してくれた歯医者、そして、当時の私の年齢で同じ舌癌に見舞われ、手術を恐れたためにのたうちまわって死んだ私の祖父の「虫の知らせ」のおかげであった。

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 状態を説明する時、彼は次のようなことを言った。「化学療法は、『癌を叩く』というように、まさに体を叩き続けるものです。しかも全身です。その痛みや苦しみは尋常なものではありません。また、放射線治療は、『癌を焼く』というように、まさに口の中が焼けただれるのです。これも尋常なものではありません。あなたの癌は舌の上にできていて、すぐそこに見えている。しかもまだ非常に小さく、切除するに何の造作もない。しかも確実に除去できる。それがわかっていて、患者に上のような負担を強い、しかも完治するかどうかも不確定な治療法を採用することは、私は医者として心が痛む。」・・・この、最後の表現、「心が痛む」という言葉を聞いた時、私は思わず泣いてしまった。こんなに心のある医者がこの世にいるのかと思い、私は彼に委ねることにした。「術後管理については、すべて私の方針に絶対に従ってもらいます。それが約束できるなら、切除範囲を約1/10に縮小して、食べることと喋ることの機能を残すことを約束しましょう。しかし、術後経過で少しでも異常が出たら、そのときは諦めてください。」もう、従うしかなかった。

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 森ノ宮にあった病院は大手前に移転し、「大阪国際がんセンター」と名前も変わっていた。経過観察は、術後当初は毎月だったが、その後、三ヶ月に一度、半年に一度と緩和され、10年を無事故無違反で経過してからは年に一度となった。しかし、当初触診だけでよかったものが、ファイバー・スコープによる検査が追加された。これは鼻から管を通して喉を見るもので、実は私はこういうものを挿入されると体が激しくよじれて反射的に侵襲を拒否するのである。胃カメラなどは、全身麻酔して意識を失ってからでないと入らないほどである。医者は「力を抜いて」と言うが無理なのだ。よじれてえづくのもかまわずにずんずん挿入されても、体内の管も硬直しきって閉じてしまうので検査ができない。そこでまた「力を抜いて」となるのだが、やっぱり無理なものは無理で、やがて医師も諦めて管を抜く。検査は不十分に終わるのが常だ。しかし料金は請求される。まったく理に合わない。しかし絶対服従を誓った手前、一旦は死んだ命を救ってもらったのだから、もう一度死ぬつもりで必死に耐えるのだが、やはりファイバー・スコープは入らない。しかも、これをやられると鼻や喉の粘膜が傷ついて炎症を起こし、治癒が遅れると花粉の季節に突入して5月ごろまでの3ヶ月、重い体調不良に見舞われる。実に1年の1/4だ。そんなことを2度繰り返したのち、今日も実は重い気分で診察に臨んだのだが、なんと先生、会うなり明るい表情で、「伊丹さんのために、喉に一切触れずにファイバー・スコープを挿入する技を身につけたから、私を信じてください。」と言うのである。この先生に「俺を信じろ」と言われれば殺されても信じるよ。なんと、麻酔も何もなしで、ただ単に口を大きく開けて息を吐き続けただけで、本当にどこにも触れずに、喉の奥まで検査してくれたのでした。医者としてのこの魂、神業とはこういうものかと、なんとも心に迫るものがありました。不思議な出来事でした。私は、本当にいろんな人たちに救われながら生きている。私は自分の人生を絶対に無駄にできない。

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 という思いをつらつらと胸に、大手前から大阪城のお堀端を歩き、法円坂を経て森ノ宮へ、かつて入院した古い建物を懐かしく見て、環状線に乗って鶴橋へ出た。30年来付き合いのある韓国食材店のお母さんに、毎年私が仕込んだキムチ用薬念醤の味見をしてもらっているのだが、10年ほど前にようやくOKが出てからも、ちょっと足りない唐辛子などを買い足すついでに味をみてもらっている。「もう、あんたの味やなあ。私らのんとは違うけど、これはこれで真似のでけん味や。」そこから上本町を経て谷九へ、調子の悪いドラム・ペダルを見てもらってスプリング交換したあと、日本橋で蘭州ラーメンを食べて、アメリカ村の古巣などをさまよいつつ梅田まで長途街歩きをしてから夜のバイトへ行ったことよ・・・都会はええのう !! 雑踏に身を紛れ込ませると、ホッとして心がほぐれるわ。

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 写真散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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