2019年01月26日

20190126 道路の左端にタイヤ痕

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 道路の左端にタイヤ痕、その左手の土手に何かを引きずったような跡・・・「ファイヤー」をやってるときに、廃品回収業者が通りかかった。隣家のおっさんが敷地内の全ての金属を持って行って良いという話をしたようで、ガラクタの山から洗いざらい金属製のものをトラックに積み込んだ後、業者の若者は畑の隅に転がっていた耕運機に目をつけた。それは風雨にさらされて錆び付き、とっくに動かなくなっていたものだが、どうしても運び出したい。しかしエンジンもかからなければ車輪も動かない。彼は済まなさそうな顔をしながら「ファイヤー」の番をしている私に手伝ってくれるように、拝むように頼み込んできた。たどたどしい日本語を話す、中国の貧しい村からやってきたというその若者は、明らかに焦っていた。おそらく、ボスからノルマでも課されていて、とにかく重くて大きいものを持って帰らないと痛い目に合わされそうな悲壮感であった。仕方なく、私は「ファイヤー」が鎮火するのを待って彼に手を貸した。見ると、ゴム引きですらない安物の軍手と、作業服上下に普通のスニーカーを履いている。帽子もヘルメットも、要するにこのような、錆びてけがをしやすい重量物を扱う際に身を守るべき何物をも、彼は持ち合わせていなかった。しかもやってることが力づくである。錆びたハンドルを、いくらウンウン担ぎ上げようとしても、肩で担いで動くものでないことは明らかであるのに、彼は一緒に担げという。私は思案してから、自分の車から足場板の切れっ端とジャッキを持ち出して、まずそれをあてがって本体を溝から脱出させた。その上で、隣から足場板を4枚借りてきて、それを畑から道路へ導くために車輪の幅に平行に敷いた。落ちていた鉄骨をテコがわりにして少しずつ本体を送り出して、その足場板の上に車輪を乗せてやった。そこまでしてやってから、後の段取りを身振り手振りで彼に説明してやり、最終的に土手からトラックで耕運機を引きずり上げた痕が、この写真というわけだ。

 彼は中国からの出稼ぎ労働者である。身なりや素振りから見て、ちょっとやばい橋をいくつも渡って現在があるようだ。しかも、今の状況も相当にやばい。当然、労働基準法どころか、基本的人権さえもない状態で日々を送っているのかも、いや、そんなものさえ知らないかもしれない。耕運機の状態や重さを見て、それを一人で肩に担ぐことなどできないということがわからない。担げないほどの重さのものを動かすにはどうすれば良いかという知識もない。それどころか、寒さ厳しく寒風強く、雪さえ混じる条件の中で、泥にまみれ、足を取られ、ずぶ濡れに近い状態でありながら、彼は作業服一枚だったのである。それでも耕運機をトラックに積もうと奮闘する姿を見て、私は手を貸しながら暴力というものの恐ろしさを痛感した。彼に温かい食事や寝床はないであろう。しかし、彼は私の差し出した、頑丈なゴム引き軍手や、古着の防寒具や長靴その他を受け取らなかった。その顔からは、受け取れない状況にある自分の苦境と、私に対する感謝の気持ちが、痛いほど読み取れた。彼が耕運機を積み込んだ頃にはほぼ日も暮れて、彼は濡れ鼠のような状態で走り去っていった。風邪など引かねば良いが、そんなことになったら、この異国で彼は命を落とすかもしれない。そうなったとしても誰も見向きもしない。おそらく彼は合法的に滞在してるわけではなさそうだから。私もバイトに遅れそうになり、急いで夕飯を掻き込みながら、まだ温かいものを食える自分は幸せだと思った。彼のような苦しい状態にある人たちは、おそらく世界にごまんといて、ウイグル自治区でも、パキスタンでも、ウズベキスタンでも、あるいはチベットでも、内モンゴルでも、北朝鮮でも・・・それこそごまんといて、彼らを搾取する勢力が着実に力を蓄えていくのであろう。ことの善し悪しは別として、それが世界の経済を動かし、やがて勢力争いはいずれかの勝者に軍配を上げるのだ。その壮絶な争いの最中で、言論や民主主義が、どれほどの実質的な力を持ちうるであろうか。私はそういう意味で、国を憂うるのである。

 バイトからの帰りしな、雪に滑りながら交差点を渡っていると、タイヤが空転する音が聞こえる。見ると暗闇の中で一台の車が中央分離帯に乗り上げて四輪を宙に浮かせている。にも関わらず運転者はアクセルを踏んで脱出を試みている。私はお節介とは思いながらも車に近づいて、それが無駄であることを身振りで示した。降りてきた運転者は中年の女性で、明らかな酒の匂いがした。話す言葉も日本人ではない人の話す日本語であった。しかも、自分がなぜそういう状況にあるのか、車が今どういう状態なのかを、全く把握していない、つまりパニック状態だった。ジャッキを積んでいるか、JAFを呼べるか、そういうセフティ・ネットとは縁がなさそうだ。おそらく保険にも入っていないだろう。そんな状態で酒を飲んで事故を起こしている。目撃した人が通報したのか、パトカーがやってきた。残念ながら万事休すである。私は事情を説明し、身の証を立てて帰途についた。もう遅くなっていた。激しい労働の一日が終わった。しかし家事が残っている。外は雪だ。明日の朝は積もっているだろう。外国人との共生を現実のものとして考える夜・・・

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20190126 天地返し

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 正月から「ファイヤーファイヤー」と言ってただ喜んでいたわけではない。昨シーズン私の田んぼでは紋枯病・赤枯病が多発し、従来からの稲熱病と複合してかなりの病変が見られた。幸いにして、収量や食味に影響するほどではなかったが、これらは病原菌が同じ圃場で越冬して、翌シーズンからも被害を及ぼすとのことなので、できるだけの対策を打つことにした。稲熱病は、種もみや苗代での感染が多く、私の田んぼでは苗稲熱がほとんどであり、これは稲の成長とともに彼ら自身が克服して行く様子である。しかしここ数年、高温多湿と強風にさらされることが多く、稲の高温障害や立ち枯れが散見されるようになり、昨シーズンはかなり大規模に紋彼病・赤枯病の病変が観察された。さらに不耕起栽培を続ける中で、表土に枯れ草を敷き詰めるやり方によって、かえって地中にランナーを伸ばす種類の植物に有利な条件を与えてしまった結果、とくに田芹の大規模な繁殖を見た。主にこの二つの問題を克服するために、圃場の表土を焼いて菌核を焼き殺し、さらに地下茎を寒気に当てることによって根を枯らすことを企図した。ファイヤーの後、程よく灰が落ち着いたので、表土20cm程度の表面積をなるべく大きくするために、ショベルで少しずつ土を反転した。写真に写っている部分の作業時間が約30分であったので、数日あれば一反全てを反転することができるであろう。病気への対策、雑草防除に薬剤を使わないとすれば、それに代わる何らかの処置が必要になる。安全な食事のためでもあるが、隣接する専業農家の圃場に伝染させてしまっては補償問題にも発展しかねない。オーガニックを唱えることは簡単だが、実践することは難しい。結果は来シーズン示されるであろう。

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20190526 Karly again !!

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 このように取るに足りない私が命がけでやっているバカなことがもう一つある。それが「カーリー・ショッケール」というバンドであって、これほどバカなこともおそらくないのではないかと思う。

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 というのは、このような音楽をやっているのは日本に二つしかなく、もう一つの方も最近またメンバーが集まって再結成したらしいのだが、そっちはまだ良い。

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 なぜなら、オリジナルに敬意を表してリンガラ語で作曲して歌っているのだから。これはコンゴ人にも、コンゴ音楽を愛する世界の人々にも通用し、実際に世界的に紹介されたこともある。

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 しかし「カーリー」は違う。自分たちの言葉は日本語だから日本語でしか歌えない。しかしこのジャンルの音楽はほとんど日本人にアピールしないのだ。

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 スタイルはコンゴのものを土台にしているが、それを聞いていた1980年代後半で時計が止まってしまっているので、今のコンゴ人でさえ呆れてものも言えないくらい古臭い歌い回しやダンスを、そろそろ老境にさしかかろうかというおっさん連中が青筋立てて合奏している。

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 確かにかつての彼の国の国民的大スターたちと共演した栄光の時代はあった。しかし日本で八代亜紀や北島三郎がいかに国民的大スターであっても、若者がそんなものを聞くだろうか ?? 側から見ててこれほど無様なものもない。

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 ミュージシャンを標榜しながら、誰も楽譜の読み書きすらできない。自分たちの曲は自分たちにしか通用しないルールに従って展開されるので、ほかへの応用が全く効かない。

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 ましてや芸術的価値なんて皆無だ。なぜこんなものを始めてしまったのか、さらに再結成なんてしてしまったのか・・・どうせなら、もうちょっと気の利いたジャンルの、もっと広い人脈の中で通用する、開かれた音楽に命をかけるべきではなかったか・・・

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 そう思って、「カーリー」が解散した後に、手持ち無沙汰のあまりブラジル音楽に接近したことがあった。

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 いまだから白状するが、あれは全くの下心からだった。なぜならブラジル音楽ファンにはキレーなねーちゃんがたくさんいたからだ。

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 しかし私はそんな世界でヤッてイケるような人間ではなくなっていたのだ。「カーリー」をやっていたおかげで・・・音楽の奈落の底と自分自身の生の事実を見てしまったからだ。

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 もうこうなってしまっては我が道を行くしかない。私が生きた証として、世の中にふたつとない「日本語によるリンガラバンド」を、命ある限り、無様であろうが、途中で野垂れ死にしようが・・・

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 あのパパ・ウェンバのようにステージでずっこけて死ねたらモォォォォッサイコーッ !! ・・・そんとき「やりきった」と笑って死ぬため、ただそれだけのために、俺はやるぜ。

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 こんなバカなことを命がけでやるなんて、ほんまに意味のないことですが・・・もうちょい待ってください。5/26 (日) ・・・おっとっと・・・まだ発表できませんですが、お待たせしました。フルバンドでたっぷりやりまっせ・・・日曜日なんで空けといてください。

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