2019年05月30日

20190530 梅雨入り間近

KIF_4211.jpgKIF_4212.jpg

さて梅雨入りが近い。おそらく晴れはあと四日ほど、その間に乾き物や土を扱う仕事を終わらせねばならぬ。まずはニンニク収穫、ニンニクは、葉の半分ほどが黄色くなった頃に収穫するのが良い。あまり遅くまで畑に置くと貯蔵性が悪くなる。一方タマネギは、葉が倒れるほど置いた方が良い。しかし長雨に当たると腐りやすくなる。いずれも、収穫期が近くなると草勢が落ちるので、周囲の草に埋もれてくることから、それを目安にする。

KIF_4245.jpgKIF_4246.jpgKIF_4250.jpg


ニンニクは、とにかく種ニンニクが高価なので、その購入は最低限に控え、他は貯蔵したものを植えるようにしている。今回は見込み違いでタネが足りなかったので、貯蔵していたもののうち、身がスカスカに空いたものも使ってみた。結果、やはり購入タネのものはほぼ間違いなく大きく育ち、ありあわせのものはその確率が落ちたが、スカスカの種のものも、そんなに遜色ない出来だった。

KIF_4216.jpgKIF_4217.jpgKIF_4252.jpgKIF_4251.jpg

昼は暑いが朝晩はかなり寒く、夏野菜の発芽はようやく・・・一方ソラマメが、まさかまさかの全滅街道。

KIF_4175.jpgKIF_4239.jpg

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2019 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月26日

20190526 Karly@Fandango

61285582_10156343249739033_1662181278746673152_o.jpg

5/26 Karly Chockers live @ Fandango Juso

生存確認同窓会ライブ的な側面もあるのだが、Karly Chockersにとっては夢にまで見た再結成ライブで、この再結成が果たして意味のあるものなのかどうか試されるくらい重要なものと位置づけております。Karly ChockersFandangoが産まれた1987年に結成され、事実上1995年の阪神淡路大震災をきっかけに活動を継続できなくなって尻切れとんぼで終わった感がありました。その後、メンバーは別々の人生を歩み、やがて一人二人とこの世からいなくなってしまうのを見て、もういちど、きちんと自分たちの音楽をやり尽くしたいという思いで集まった。ピリピリが亡くなったときと、Fandango30周年記念イベントに呼ばれた時に、急ごしらえで集まったが、そのときは、まあ懐かしく楽しめたらええか、くらいでその場限りのつもりでやったのだが意外に結果が良く、20年のブランクを経てもなお、自分たちの中にKarly Chockersの血が脈々と流れていることを感じたので、せっかくここまでできるのならもう一度・・・と本格的再結成を決意したのでありました。しかし中心メンバーはすでに50代半ば、フロントはともかくリズム・セクションは還暦間近という状態で、若かった頃の体力がない。また選曲も、全盛期のような長時間の複雑な構成を持つ大曲をこなすだけのスタミナがない。むしろ初期の頃の、シンプルでストレートなロックに無理やりリンガラ・ポップスのダンスをくっつけたような曲しかできない・・・というのが却って幸いして初心に帰ることができたような気がします。動画は、なぜかアルバムに収録されなかった初期の代表曲「Kinshasa Rhapsody」・・・イントロはPapa Wembaの名曲「Analengo」のものをそのままパクリ、無理やり歌に続ける。著作権問題が心配といえば心配だが、まあ本人の前で演奏して本人が歌うたこともあったしええやろ・・・歌詞が良いです。

「冷たくされて僕は、星の降る路地を、チンピラみたいに、ただ歩く・・・」

6曲やります。全部は紹介しきれんのですが、まあうちのやりたかった思いを言葉に変えて、当日の楽しみの足しにしてもらえたら幸いです。

61609708_10156343246104033_1270524907536515072_o.jpg61607644_10156343251579033_1316550636073910272_o.jpg61498993_10156343250939033_7250263683115253760_o.jpg61349506_10156343246049033_119553502765645824_o.jpg61438521_10156343248839033_6834242327507107840_o.jpg61537077_10156343245569033_3163350212160782336_o.jpg61323875_10156343248779033_1514761328084910080_o.jpg61301401_10156343248669033_4152358533343477760_o.jpg61372949_10156343250089033_1599891492606836736_o.jpg61948782_10156343253164033_2016148839488028672_o.jpg61684582_10156343247649033_9205428380751626240_o.jpg

5/26 Karly Chockers live @ Fandango Juso

Karly Chockers1986年に結成されたが、その経緯は少し複雑だ。もともとピリピリがやってたOrchestra Pili-Pili (初代) から発展したNonstop Caïmanに在籍していたメンバーは、大体三つのグループに分かれていて、一つは現在リーダーを務める福丸和久とその兄などの若手 (当時の) 、いまひとつは後に河内家菊水丸や大西ゆかりなどのバックを務めることになる河内音頭系グループ、もうひとつはラテン音楽に傾倒した音楽教師などアカデミックなインテリ・グループであった。それを首謀たるピリピリが酔った勢いだけでなんとかまとめてたものだから、演奏内容は実に雑多というか大雑把で、今聞くとこれが音楽かと耳を塞ぎたくなるものも少なくない。そんな状況に嫌気がさしたピリピリ本人が、リンガラ・ポップスを軸に自らの信じるアフリカ音楽路線を究明すべく、上の後者二つのグループを排除して、もっと気の合ったメンバーとともにバンドを結成したいと密かに考えていた。それとは別に、関西の最も前衛的なオルタナ音楽レーベル「かげろうレコード」のViola Reneaというバンドに在籍していた冨依と大西と私の三人は、その解散後、毎週のように集まっては名もない即興演奏を延々と繰り返し、録音を重ねていた。こちらもReggaeJazz FunkJuju Music・リンガラポップスの真似事など雑多に入り混じった名もない演奏を続けるうち、よりしっかりとした核を求めるようになっていた。このふたつが1985年ごろに接触する。ピリピリは、Nonstop Caïmanと並行して、そのメンバーに我々三人その他を加えた編成でNonstop Caïman New Lookを結成し、現在大阪ミナミのアメリカ村Big Stepの敷地にあった南中学が取り壊される前のお別れイベントに出演している。その後、ピリピリは3度目のアフリカ旅行へ旅立ち、KinshasaPapa Wembaと夢のテレビ出演を果たし、当時のザイール全土にピリピリの名が知れ渡った。ところが日本では、ピリピリ不在のNonstop Caïman New Lookのメンバー全員が福丸和久をリーダーとして造反し、ピリピリとは別バンドとして独立してしまった。こうしてKarly Chockersが誕生し、ピリピリは自分を欺いたメンバーのバンドに、ギタリストとして参加することになる。
さて、この動画は「ワニの王国」という曲で、冨依と大西と私の三人が果てしなくセッションを繰り返していた時期におぼろげながらできつつあった曲なので大変古い。曲は多数の楽章に分かれた組曲のようになっており、これは彼の作風である。楽章が複雑でもっとも長かったのは「ナゼダカ」という曲で、完成した当初は通して演奏するのに実に45分を要した。あまりにも長いので強引に三分の一に縮めたものがCDの冒頭を飾っている。この「ワニの王国」も紆余曲折を経ているのだが、曲想の源泉は萩原朔太郎の「およぐひと」である。これは「かげろうレコード」時代によく一緒に共演した「He Was」というユニットで、演奏、というか朗読に楽器音をひたすら通奏する形でやったものだが、詩の一つのフレーズを果てし無く繰り返す中で派生して来るイメージを言葉にしたものを連ねて行ってひたすらにかきくどく。だから彼の作る曲の歌詞には繰り返しがほとんどなく、延々と口説きが展開するのである。そんな曲を我々は下痢するほど練習するので、すっかり覚えてしまうのである。この曲も短く整理されたものがCDに収められているが、今回のライブでは、体力の限界からさらに短くしたものを演奏することにしている。

「夜の海に出でて、くりかえしくりかえし、寄せては返す黒い波のようなお前を呼ぶ。波の間をしなやかに舞う、透き通るようなお前のからだ、ななめにのびてさまよいながら、月の光を優しく乱す。」

これは歌詞のほんのワン・フレーズだが、こういう詩の世界が延々と続くのである。音楽は表現である。バンドは演奏という形で思想を具現する。人の営みは単純ではない。複雑に重なり絡み合った思想を表現するに、リンガラ・ポップスという形式は我々にとって全く格好の器になった。だから我々はこれを演奏しているのである。だから我々は別にアフリカ音楽を演奏しているわけではない。だから我々の音楽を「アフリカでもなんでもない、大阪そのものだ」と評した人があるが、それは全く正しいし、それを誇りに思うのである。Karly Chockersというバンドは、リンガラ・ポップスを演奏しているのではなく、我々の音楽はリンガラ・ポップスという様式でないと演奏できないのである。これは、ややもすると見過ごされてしまいがちであるが、非常に重要なことである。

61986082_455197951985532_5778832824085774336_n.jpg62038345_455198268652167_1659934912066617344_n.jpg62116924_455198701985457_4480110975214682112_n.jpg62077702_455198235318837_7234757687240556544_n.jpg61998157_455197911985536_8490374565724160000_n.jpg61986427_455198001985527_2933031010364817408_n.jpg62270925_455198895318771_2270757932473778176_n.jpg62318267_455197855318875_48369440651214848_n.jpg62013177_455198041985523_5945187159546789888_n.jpg62057498_455198735318787_4709498431100420096_n.jpg62339796_455198968652097_4618092017983946752_n.jpg62453362_455198171985510_5306913053235740672_n.jpg62489250_455198108652183_2454505721547456512_n.jpg62366822_455198428652151_3558994804102660096_n.jpg63980757_455198141985513_6843693506121170944_n.jpg62466027_455198318652162_3530728310067691520_n.jpg


posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 音楽活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月25日

20190525 カリーナちゃん帰還

KIF_4194.jpgKIF_4195.jpg

カリーナちゃん車検から帰ってきました。あと一年は生きながらえそうです。ワイパーの台座がすり減ってボンネットを擦っていた箇所も、なんと補助金具を製作した上で60℃で軟化し冷えると強靭な塊になる原料を探し出してくださり、それらを使って無事に補修されました。こんな修理までしてくださる技術者に心から感謝します。カリーナちゃんも私も、多くの師匠に守られて生きています。

KIF_4179.jpg

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | もちものじまん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月23日

20190523 苗代開帳

KIF_4150.jpgKIF_4151.jpg

苗代開帳。神丹穂・緑糯・紫黒苑・豊里まで順調・・・しかし、またしてもサリー・クイーンが・・・どうも女王様ご気分がすぐれないみたいで、致し方なく撒き直し・・・間に合うかな ?? 今年初まめごはん (^^)

KIF_4177.jpgKIF_4183.jpgKIF_4182.jpgKIF_4181.jpg

KIF_4141.jpgKIF_4142.jpg

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2019 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月21日

20190521 Fandango

KIF_4158.jpg

ええ歌いっぱい聞けて幸せやった。しかしFandangoのステージにドラムセットがない !! のは初めて見た。さて次はうちの出番や !!

KIF_4159.jpgKIF_4167.jpgKIF_4156.jpgKIF_4162.jpgKIF_4160.jpg

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 変態的音楽遍歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月18日

20190518 畦塗り

KIF_4112.jpgKIF_4113.jpgKIF_4114.jpgKIF_4122.jpg

畦塗り。あがた取りを終えて土寄せされた硬い泥を少量の水を合わせ足で練って掬ってあがたの上に乗せ、鍬の背で押し付けて滑らかに塗りあげる。これをあがたの上面と側面と内側の底面丁寧に塗り固めて畔とする。この作業を田んぼぐるりやる。もう一枚の田んぼも水を入れて全体を鋤き上げて水位の上昇とともにあがた取りをしておく。水の浸透を待って適度な水量になったらこれも畦塗りを田んぼぐるりやる。焦って急ぐと腰が割れるのでゆっくりやる。

KIF_4126.jpgKIF_4127.jpgKIF_4128.jpgKIF_4136.jpgKIF_4143.jpgKIF_4144.jpg

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2019 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月15日

20190515 生き延びてやる

KIF_3889.jpg

皆様お祝いのメッセージや投稿ありがとうございます。還暦にリーチがかかってしまいました。

KIF_4101.jpg

こんなもんを入れんとものも食えんようになってしまいました。もともと私には近年まで虫歯はなく、歯が傷むのは、生まれ育った六甲山東麓の風土病「なすび歯」によるもので、これは診断名を「斑状歯」といって、水道水中に含まれるフッ素が多すぎることが原因とされています。

KIF_4062.jpg

私は幼少期にその多発地帯で育ったのですが、当時はまだ原因や治療法などが十分究明されておらず、また私の歯が全て乳歯だったため、診断の対象から外され、後年に対策法が成立した時には成年を迎えて移住していたので、これも対象外となり、相前後して救済措置の集団訴訟があったのですが敗訴したと聞いています。

KIF_4100.jpg

また、よく歯医者から指摘されることですが、ものを噛み過ぎたり、歯をくいしばる癖があることとされていますが、これも幼少期より「よく噛んで食べろ」と言われて食事をし、『歯を食いしばれ」と言われて毎日殴られていたことが影響していると思われます。

KIF_4104.jpg

いずれにせよ、歯の磨き方や頻度は申し分なく、このような原因によって歯が割れ、磨り減ったことが原因で虫歯となり、しばらくはブリッジでしのいで来たものが、先日大きく割れて部分入れ歯となってしまいました。まあそれでも舌癌で食事と言葉を失うよりはマシなので、満身創痍ながらも生き延びてやる。

KIF_4105.jpgKIF_4124.jpgKIF_4138.jpgKIF_4153.jpgKIF_4174.jpg

・・・くそっ、あの三叉路さえなかったら・・・

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月12日

20190512 須磨から京都へ

KIF_4073.jpgKIF_4078.jpgKIF_4077.jpgKIF_4086.jpg

いくら生活のためとはいえ毎日毎日朝早くから土に埋もれ、夜遅くまでバイトばかりしてたんでは精神の実りがない。今日は音楽三昧で須磨から京都までハシゴするのである。「須磨の風」というフリー・コンサートがあった。細かいことは下記のリンクを見ていただくとして、それがいろんな事情で継続されなくなった後も、毎年この季節になると暗黙の申し合わせで、かつてステージを仮設した周辺に集まってひたすら演奏するのである。その主催者、私にとって魂の音楽の師匠というべき中野いち朗師の心の広さ暖かさがとにかく素晴らしい。それは例えようがないほど素晴らしいのであって、どれほど素晴らしいかというと、あるとき「須磨の風」のステージに、10年前に死んでしまった大阪がアフリカに誇る泥酔の音楽伝道師ピリピリが毎度のごとく乱入した。そこらへんにどこにでもころがっとるありふれた主催者ならば当然乱入した側を責めるであろう。私もそれは当然だと思う。しかし師匠は違う。たかがピリピリごときに乱入されたぐらいで演奏を妨害されるような出演者の根性を問うたのである。私はこの勇気ある行動に涙した。そのときそこに居合わせた全ての人が、最初は理不尽と感じながらも、次の瞬間、このフリー・コンサートの意味を理解したのである。こんな素晴らしい主催者がかつてあっただろうか。これは素晴らしい体験だった。その空気が、この季節の須磨海岸へ行くと、たとえ周辺が開発されて薄汚くなって来たとしても、やはり生き生きと感じられるのである。演奏は、ほぼへべれけに酔っ払ったおっさん連中による、フルーズトもレゲエともよくわからぬ、鼻歌のようなゴタクのような、まあ幸せなひと時でした・・・

「須磨の風」写真集 by Itaminho

http://jakiswede.com/…/31works/…/3126sumakaze2001/index.html

http://jakiswede.com/…/31works/…/3127sumakaze2007/index.html

http://jakiswede.com/…/31works/…/3128sumakaze2007/index.html

こんないべんとでした・・・の巻。

http://jakiswede.com/2…/21acts/710sumakaze/7100sumakaze.html

KIF_4089.jpgKIF_4093.jpg

さてその後、私は京都へ走った。いや、走ったのは新快速であって私は座っていたのだ。おかげで大変京都が近くなった。駆け込んだのは、ブラジルからやって来たショーロのギタリストのワークショップである。ヘタなドラマーである私がギターのワークショップに参加したのは、私は常日頃からドラムやパーカッションなど、なくて音楽が成立するならそれに越したことはないと考えていて、できるだけ叩かないように、もし万一叩くようなことがあっても、できるだけ私の音が聞こえないように努力しているほどである。つまり私は最低限のリズム伴奏者であって、それ以上にで謝儀ってはいけない。そのためには、弦楽器のアンサンブルが基本となっている、この古き良きブラジル都市音楽の原型の、弦の絡みによるリズムのうねりをよく体得しておく必要がある。参加者は多かったのだが、驚くべきことにリズムのうねりがそれだけ分厚く、その美しさは言葉に言い尽くせないほどであった。

このようにこの日は前半と後半で全く相反するほど対極的な音楽のあり方に身をおいて、魂を洗浄したのであった。

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 音楽活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月11日

20190511 冬越し作物

KIF_4052.jpg

パン用小麦・ニンニクと玉ねぎ・ソラマメとエンドウ・・・冬越しの作物の実りも間近い。

KIF_4045.jpgKIF_4046.jpgKIF_4048.jpgKIF_4071.jpgKIF_4070.jpg

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2019 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月09日

20190509 八十八夜の別れ霜

KIF_4039.jpg

「八十八夜の別れ霜」という言葉とともに「九十九夜の泣き霜」という言葉もあって、全く油断は禁物である。95夜目にまた霜が降りた。念のため不織布かけておいたが、強風で煽られた部分が凍って枯れた。ジャガイモの新芽が枯れると全滅する恐れもある。一部でも芽が残るか、脇芽が出れば助かる。最悪のタイミングは、ある程度成長して脇芽もかき捨てた後で霜にやられることである。そのため植え付け時の見極めが大変難しい。ここらあたりは遅霜が多いので、ジャガイモの植え付けは、寒冷地並みに4月に入ってからの方が良い。

KIF_4037.jpg

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2019 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20190509 やると言ったらやる

KIF_4057.jpg

とにかく始めた以上終わらせねばならぬ。先方も、やると言った以上やらねばならぬはず。やると言ってやらない、やらないと言ってやるのがムラ社会。俺は違う。やると言ったらやる、やらないと言ったことはやらない。さて、やるのである。今回は、隣家の立木の影響で使えなかった日陰の部分も、隣が立木を処分すると言ったからその境界線ギリギリまで復旧し、病気の出た土壌の消毒のために、稲刈り後に表面を満遍なく焼き、その後天地返しして草の根を寒気に当てて枯らした。そしてこれから全体を鋤き上げて浸水するのである。この手順は、一般的な農法の田んぼの作り方と同じである。このあと、田植え直前に代掻きをして表面を作れば慣行農法の田んぼである。さて具体的には、まず畔を作るために、畔ぎわの草を取り除いて畔に土を寄せ、これに水分を含ませながら練って壁を作る。必ず練った泥で壁を作る必要があり、団粒構造の土を積んだだけでは水漏れを起こす。水分が多すぎると流れて壁を形成しないので、供給する水の量、練る度合いに対する注意が必要。一度にはできないので、何度かに分けて作る。これを「あがた取り」という。

KIF_3852.jpgKIF_4040.jpgKIF_4043.jpgKIF_4044.jpgKIF_4054.jpgKIF_4059.jpgKIF_4066.jpgKIF_4072.jpg

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2019 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20190507 農業指導員

KIF_4028.jpg

隣家の立木の件、隣家の主人と激しい怒鳴り合いをした直後、彼は体調を崩して入院し、そのまま帰らぬ人となった。集落の近隣隣保の三割ほどがその親族であり、最後に対立する形となった私に対する近隣の視線は厳しい。当然、直接の親族とは口も聞いてもらえず、状況も改善されないまま時が過ぎ、改善されることを前提に始めた準備が滞っているところへ、農業指導員の巡回が来てしまった。これに記録された内容をもとに、今シーズンの私の営農状態が報告され、翌年の指導に反映される。田舎暮らしが、百姓生活が、のどかで心豊かなものであると思っている都会の友たちよ、俺の二の舞を踏むな。

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2019 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月06日

20190506 保育園草刈り

KIF_4018.jpgKIF_4016.jpgKIF_4015.jpgKIF_4017.jpg

貧窮している私に救いの手が差し伸べられた。某保育園が所有する農園の草刈りである。三反ほどあるが平地なので楽勝。5月から11月まで月一回の草刈りでCGマンなので悪くない。道場にある松原城跡のすぐ近くで、風景ものどか。帰ってから最近ハズレばっかり引き通しだったので蘭州ラーメン風リベンジ面。

KIF_4008.jpgKIF_4020.jpgKIF_4022.jpg

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2019 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月05日

20190505 阪急6008F

・・・で、その友達が待ち合わせに遅れるというので、その前にちょっと時間つぶしに阪急塚口駅へ。なぜというに、実は阪急電鉄少年の私、最もよく乗り親しんだ3000系が、もはや4両を残すのみとなっているというので、もし出会えたらと思ったのである。残された4両とは3054-3502-3551-3003という4両編成1本のみで、この下り方先頭車両の3003は、竣工した試運転のピカピカの状態を、幼稚園へ通い道の清荒神駅でみたときの感動を今も鮮烈に覚えている、私にとっては思い出深い車両なのである。それが最後まで残っていることは誠に感慨深い。で、その4両編成のうち3551だけが、もと3052Fの梅田から3両目に入っていたものであって、残りの3両は紆余曲折がありながらも同じ編成で生まれて現在にいたるのである。で、その3551がどういう経緯ここに入ったかというと、全盛期には全て8両編成で活躍していた3000系だが、阪神淡路大震災で神戸本線や今津線の車両が損傷を受けたり廃車されたりしたことをきっかけに、3000系の今津線での運用が始まった。そのとき、この3054Fもそれに選ばれて本線運用から外され、中間付随車を2両抜かれて6両編成で今津線に入った。このとき抜かれたのが、2021系の付随車で、それは廃車された。ところが、のちにこの編成は8両編成に戻されて本線に返り咲くのである。そのころすでに2000系の廃車が進んでいたので、並行して廃車の始まっていた兄弟系列の3100系をふくめて、3000系内で間に入れる2両の中間付随車を調達することになり、このときこの3054Fの付随車に3100系の3652が選ばれ、3052Fに入っていた3551を外して3054Fに入れかえられた。一方の3052Fには3100系から3651が入れられ、3100系が全廃された後も一両だけ残っていたのを写真に撮ってここに投稿したことがある。その編成は去年廃車になって、これが現在残された最後の3000系になったという経緯である。もしこのとき、36513652をどちらか一つの編成に入れ、35513552を一つの編成に入れていたら、3000系唯一の3000系のみによる8両編成が誕生していたかもしれない。しかしそれはかなわなかった。8両編成の3000系は、2000系などの他形式を含んだ編成しか存在せず、純然たる3000系のみによる8両編成はついに存在しなかったのである。

KIF_3975.jpg

そのような記憶をざっと流していたら塚口駅に着いた。伊丹線ホームに停車していたのは7034-7154=7035-71554両編成である。これは7000系の8両編成を10両編成にして運用するときの増結用の編成で、それを二つ繋げて4両編成にしたものである。いまや7000系も10両編成の主役の座から降りつつあるのだろう。

KIF_3978.jpg

時代の流れを感じつつ発車していくそれを見送ると、入れ違いに6008Fが入ってきた。6008-6508-6698-6158・・・むむむむむ・・・なんぢゃこりゃあ・・・6698? そんな車番はもともと6000系には存在しない。し・・・しかも・・・下二桁が50以上なのにパンタグラフが、しかも二丁パンタが原則の系列なのに、近鉄じゃあるまいに下り方に一つしかついていないではないか ??

KIF_3982.jpg

阪急電車には3000系以降9000系にいたるまで、厳然たる車番の付け方のルールがあって、100の位が5未満は先頭車、5以上は中間車、10の位が5未満は電動車、5以上は付随車と決まっている。パンタグラフは電動車に付くものであって、6698なる番号を持つ車両にパンタグラフなど付き得ない。だいいち、6000系の増結用4両編成はパンタグラフが大阪方先頭車にしかないぞ。

KIF_3980.jpg

程なく発車したこの便のモーター音に耳を凝らしてみる。すると、音は6698からは出ていない。よく考えてみればおかしな編成である。6000系の8両編成を4両化するならば、素直に6008-6558-6568-6108くらいにしておけば良いではないか・・・しかし電動車を2両続け、もともと電動車だった2両を電装解除してまで付随車化している。しかもそのうち1両にパンタグラフを追加して隣の電動車に送っている。なんでこんなややこしいことをしたのか。強烈な金属音を響かせながら急カーブを・・・そうか、このカーブで万一脱線した場合、パンタグラフが一両にしかないと、それが逸脱したら身動きが取れなくなる。しかも6000系は初期に電動車を隣接させて節電設計に変更された経緯がある。だから6008-6508という組み合わせは外せなかったのではないか。しかもこの急カーブである。パンタグラフが逸脱した時の用心に予備のパンタグラフを追加したかったが、二丁パンタに近接して立てると、逸脱防止の意味が薄れるので一両離して付随車に付けたのではないか。同じ例は過去にもあって、京都線の特急専用車であった2800系は、私が幼少の頃初めて見たときは確かに5両編成だった。そのうちの京都方先頭車にも二丁パンタが付けられてあって、両端にパンタグラフを振りかざして走る姿が格好よかったのを鮮明に覚えている。ところがその京都方先頭車は電動車ではなく、集電した電気は隣の中間電動車へ送っていた。なぜなら、その中間電動車にパンタグラフを付けると、3両目の二丁パンタと近接するからである。そうか・・・それでこのような形になったのか・・・と時間つぶしをしたつもりが、しっかり鉄道少年の童心に戻った幸せな思いがしたものよ・・・が・・・じゃあ3000系は一両にしかパンタグラフがないのに改造されずに運行されてきたのはなぜなのか・・・という疑問がふと湧いてきて眠れぬ夜をこのように無駄に時間とエネルギーを費やしてしまっているのであった・・・結局3000系みれんかったし・・・

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 鉄道少年の夢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20190505 一天一面

KIF_3984.jpgKIF_3986.jpg

ちょっと友達と待ち合わせて神戸散歩。目的は蘭州牛肉麺「一天一面」・・・ここは以前、大阪日本橋で「大秦」という蘭州牛肉麺の店をやっておられた人が麺を打つ新店で、三ノ宮から近い北野坂にある。

KIF_3991.jpg

行ったのは二度目だが・・・ううん・・・食べ慣れてきたせいか、「大秦」の衝撃が強すぎたからか、その期待値が高すぎるのか、GWで混雑していて確かにスタッフがテンパッてたのも事実だが、面にあのコシがなくスープは薄すぎて、麻辣油と全然馴染んでない。ちょっとブレすぎてんちゃう ?? ・・・ということで、南京町で色々買い出し、トアロード上がる途中で紅茶、山本通のハラール食材店で山羊の冷凍肉を購入し、しばし散策していると元町商店街につい先日オープンしたての蘭州牛肉麺の店を発見。

KIF_3992.jpg

早速入ってみたが、ここも行列ができるほどで店内は混雑し、スタッフもテンパッてて出てきたラーメンもちょっと残念でした。「大秦」が一番良かったが夢のまた夢。あの店は多分マスター自身の経営だと思うが、「一天一面」は人気にあやかった事業者がマスターを引き抜いたか、こういう世界の仕組みがわからんので断言できないが、なんかスープだけでなく影も薄いような気がする。新たに見つけた「中華蘭州牛肉拉麺」は、たぶんチェーン店。で、現状のところ大阪大国町の「周記蘭州牛肉面難波本店」に軍配。

KIF_3994.jpg

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20190505 三重苦を切り抜ける

KIF_4004.jpg

世間ではGW10連休だというので、私もちょっとくらい遊んでもいいだろうと思って、三日ほど遊びに行った。といっても、稲の種籾は浸水して膨らみ、芽が出はじめたので、早朝から数時間かけてこれを苗代に降ろしまして、素早く着替えて電車に飛び乗る。

KIF_4005.jpg

後のことを気にせず遊んでいられた日は一日限りで、あとは夕方からのバイトに遅れないように電車に飛び乗って帰る。まあ農繁期に遊ぼうと思うたらこんなもんですな。音楽がやめられないので、どんなに疲れていても忙しくても、良い演奏を探し求めにいく。体力的にも時間的にも経済的にも三重に制約されているところを切り抜けるから私の私たる値打ちがあるのであって、これが音楽ばかり聞き惚けていたり、音楽など捨てて土百姓になりさがったりしたのでは、もう私が私ではなくなるのだ。

KIF_4006.jpg

しかし無理をすればしただけ、自由を享受すればしただけ、自然の成り行きを見逃せば見逃しただけ、あとで当然の報いを受けるのであって、発芽たけなわなる種籾をなだめつつ、取り急ぎまたしても泥の平面に這いつくばって、ひたすら腰を痛めながら一粒ずつこれを撒いて、ようやく24千粒の種籾を苗代に降ろしまして稲の播種完了。

KIF_4007.jpg

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2019 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月04日

20190504 高槻ジャズストリート肥大化

KIF_4003.jpgKIF_3996.jpgKIF_3997.jpg

 高槻ジャズストリート肥大化しすぎ。今年は郊外にも会場が増え、富田にも会場ができ、茨木音楽祭とも合流したか・・・招待アーティストにも目玉や斬新さはなく、あまりにも雑多な顔ぶれで、中にはもはやジャズと言えないものまで・・・ホールなどでのコンサートは当然まともなものが見られるものの長蛇の列。本来の姿であるストリートはけたたましいだけの轟音の渦で耳を塞ぎたくなるばかり、カフェや小店で聞こうとしても入り口で必ずワン・ドリンクは要求され、これが結構高い。しかも入ってみると、お前ら人前でやる前にちゃんと練習しろやと怒鳴りたくなるほどの有様で、なんで客が拍手するのかげんなりの連続。結局、無難無難に野外ステージへ足を運ぶことになるも、執拗に投げ銭迫られ、そこも逃げ出す始末。カネカネカネカネ高槻ジャズストリート、始まった頃の初心に帰ってほしい。ちょっと歩けばグッと引き込まれるような演奏に巡り会えた。バック・ステージから奏者の手元足元を凝視することで得られるものも多かった。ジャズの原点に戻ってくれ頼むから。あの頃の厳しい音源審査徹底してくれ。良い演奏であれば、言われなくてもチップ置いていきますよ。地域活性化か何か発信したいんか知らんけど、このままでは豚みたいに膨れ上がって吐く息のくっさぁぁいグロテスクなモンスターのどんちゃん騒ぎになってまうで。もうなってるかも。今回の救いは、師匠に会えたこと。40年近く前に師匠と共に活動しておられたピアニストに救いを求めて並んでる最中に出会えた。演奏が始まると、ただひたすらに音が紡ぎ出され、すべてスタンダードな名曲でありながら、即興が空想的にどんどん広がっていく。伴奏者との掛け合い想像に満ちていて、その場その場で繰り広げられるやりとりが実に新鮮でスリリングだった。余分なMC一いなく、曲が終わったかと思いきやそのまま次の和音に導かれ、新たな世界が始まる。最後にお辞儀をして去って行かれた。これこそジャズ。ロビーに出て、連れの用足しを待っている間にご本人が出てこられ、真っ直ぐ私の方に向かってこられた。驚いたことに私のことを覚えておられたのだ。私は当時その人の主催するスクールでドラムの師匠に手ほどきを受けていたのだが、自己流わがまま放題が治らず破門されたのだ。それが印象に残っていたらしい。と、そこへ師匠も合流され、しばしゆっくりと移動した。次の現場、師匠が一曲だけゲストで叩かれた。私はその手元を埴輪のようになって凝視していた。師匠の黄金の左手は健在だった。師匠のスティックは、まるで射精中のちんぽのように生き生きと跳ね回るのである。プレス・ロールもダブル・ストロークも、一切音が潰れないし流れない。一つ一つの音が綺麗に立っている。師匠の黄金の左手、別名「闇の左手」・・・それを見られただけで涙がにじんできた。毒気の塊のようなリズムだ。降りてこられて曰く、「毒気も色気もない演奏なんか何がおもろいねん」70歳超えてこの台詞。しかもジャズスト発祥のメイン・ステージの主催者の目の前で臆面もなく豪語するこの老人。若い時にこの人に出会っていて本当に良かったと思う。で、私は結局ジャズには進まなかったのである。なぜかというと、要するにジャズがそんなに好きでなかったことと、ほかにやるべきバンドが出来はじめていたからである。ジャズの世界で活動していくには、ロック・バンドのように、気の合ったもの同士でエイ、ヤア、とはいかない。一定の人脈、一定の店の派閥の中に入り、上下関係を重んじつつ、人間関係を構築していきながら、先輩から学び、鍛えてもらったり、後輩の面倒をみたり・・・私には絶対できない団体行動の中でやって行かなくてはならない。ロック・バンドは解散してしまったらたいがい終わり、ミュージシャンは、そのバンドでしか通用しない奏法しか身につけていないので、ジャズのように開かれた世界では通用しない。改めてその世界に入ろうとすると一からやり直しになる。そのかわり、この体育会系的な人間関係の中で耐え忍べば、末長く音楽を続けることができる。・・・まあ私がそうならなかったのは、そうならないように生まれ育ってきたからであって、一度に複数の人生を歩めない以上、これは致し方ない。私はジャズを演奏できないので批判するしかない。師匠は、そして老ピアニストは、演奏を以って、巷の腐った演奏に対するアンチ・テーゼを行ったのである。素晴らしき師匠達・・・

posted by jakiswede at 00:00| Comment(1) | 変態的音楽遍歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月01日

20190501 屋根裏糞害

KIF_3956.jpg

今年は屋根裏にイタチが走り回ってうるさい夜が多いので、屋根裏に入ってみることにした。この家を借りて10年弱、まだ屋根裏は見たことがなかったのだが、イタチの走り回る天井裏がどうなっているのか見ておいて、問題があれば早めに対策をしておきたいと、前から思ってはいた。しかし特段不都合もなかったので放置して来たが、今年はいよいよやかましくなって来たのと、数日前に、どうやらイタチが子を産み、さらに天井板に奇妙なシミが現れたからである。

KIF_3957.jpgKIF_3959.jpgKIF_3961.jpg

私の住んでいる部屋は、大きな農家の蔵の内部を改装して住居にしたものである。蔵の壁が30cmほどもあるので、てっきり部屋の壁も同じと思ったいてが、中に入って驚いた。蔵の内部の壁を落として、その中に合板作りの小屋を建ててある。その壁が蔵の柱や梁に打ち付けてあるという状態だ。したがって、内装に見える柱や梁や鴨居は全て後付けのハリボテである。天井板に至っては、数ミリの化粧板が一枚渡してあるだけで、根太もなにもない。要するに、ハリボテのあやふやな板壁を伝って、蔵の梁にぶら下がりながら動くしかない。外側の蔵の土壁は至る所はげ落ちていて、そこら中に光漏れがある。つまり動物はいくらでも天井裏に入って来れる。これを防ぐことは容易ではない。

KIF_3962.jpgKIF_3963.jpgKIF_3964.jpgKIF_3966.jpg

イタチの子は数日でかなり大きくなるようで、鳴き声がはっきり聞こえるようになって来た。しかし複雑な増築や改築を繰り返された古民家の屋根裏は迷路のようになっていて、ついにそのありかを特定できなかった。

KIF_3960.jpg

しかし、例のシミの正体はわかった。イタチによる大量の糞尿である。見渡せばあちこちに大小の塊がある。怖気と悪臭に耐えながら、袋を用意し完全武装して立ち向かい、これらをすべて除去した。そして糞尿がしみ込んでずり落ちそうになっていた天井板を部分切除して、応急的にベニヤ板で養生した。やれやれ、いろいろありますなあ・・・

KIF_3971.jpg

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする