2019年05月05日

20190505 阪急6008F

・・・で、その友達が待ち合わせに遅れるというので、その前にちょっと時間つぶしに阪急塚口駅へ。なぜというに、実は阪急電鉄少年の私、最もよく乗り親しんだ3000系が、もはや4両を残すのみとなっているというので、もし出会えたらと思ったのである。残された4両とは3054-3502-3551-3003という4両編成1本のみで、この下り方先頭車両の3003は、竣工した試運転のピカピカの状態を、幼稚園へ通い道の清荒神駅でみたときの感動を今も鮮烈に覚えている、私にとっては思い出深い車両なのである。それが最後まで残っていることは誠に感慨深い。で、その4両編成のうち3551だけが、もと3052Fの梅田から3両目に入っていたものであって、残りの3両は紆余曲折がありながらも同じ編成で生まれて現在にいたるのである。で、その3551がどういう経緯ここに入ったかというと、全盛期には全て8両編成で活躍していた3000系だが、阪神淡路大震災で神戸本線や今津線の車両が損傷を受けたり廃車されたりしたことをきっかけに、3000系の今津線での運用が始まった。そのとき、この3054Fもそれに選ばれて本線運用から外され、中間付随車を2両抜かれて6両編成で今津線に入った。このとき抜かれたのが、2021系の付随車で、それは廃車された。ところが、のちにこの編成は8両編成に戻されて本線に返り咲くのである。そのころすでに2000系の廃車が進んでいたので、並行して廃車の始まっていた兄弟系列の3100系をふくめて、3000系内で間に入れる2両の中間付随車を調達することになり、このときこの3054Fの付随車に3100系の3652が選ばれ、3052Fに入っていた3551を外して3054Fに入れかえられた。一方の3052Fには3100系から3651が入れられ、3100系が全廃された後も一両だけ残っていたのを写真に撮ってここに投稿したことがある。その編成は去年廃車になって、これが現在残された最後の3000系になったという経緯である。もしこのとき、36513652をどちらか一つの編成に入れ、35513552を一つの編成に入れていたら、3000系唯一の3000系のみによる8両編成が誕生していたかもしれない。しかしそれはかなわなかった。8両編成の3000系は、2000系などの他形式を含んだ編成しか存在せず、純然たる3000系のみによる8両編成はついに存在しなかったのである。

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そのような記憶をざっと流していたら塚口駅に着いた。伊丹線ホームに停車していたのは7034-7154=7035-71554両編成である。これは7000系の8両編成を10両編成にして運用するときの増結用の編成で、それを二つ繋げて4両編成にしたものである。いまや7000系も10両編成の主役の座から降りつつあるのだろう。

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時代の流れを感じつつ発車していくそれを見送ると、入れ違いに6008Fが入ってきた。6008-6508-6698-6158・・・むむむむむ・・・なんぢゃこりゃあ・・・6698? そんな車番はもともと6000系には存在しない。し・・・しかも・・・下二桁が50以上なのにパンタグラフが、しかも二丁パンタが原則の系列なのに、近鉄じゃあるまいに下り方に一つしかついていないではないか ??

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阪急電車には3000系以降9000系にいたるまで、厳然たる車番の付け方のルールがあって、100の位が5未満は先頭車、5以上は中間車、10の位が5未満は電動車、5以上は付随車と決まっている。パンタグラフは電動車に付くものであって、6698なる番号を持つ車両にパンタグラフなど付き得ない。だいいち、6000系の増結用4両編成はパンタグラフが大阪方先頭車にしかないぞ。

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程なく発車したこの便のモーター音に耳を凝らしてみる。すると、音は6698からは出ていない。よく考えてみればおかしな編成である。6000系の8両編成を4両化するならば、素直に6008-6558-6568-6108くらいにしておけば良いではないか・・・しかし電動車を2両続け、もともと電動車だった2両を電装解除してまで付随車化している。しかもそのうち1両にパンタグラフを追加して隣の電動車に送っている。なんでこんなややこしいことをしたのか。強烈な金属音を響かせながら急カーブを・・・そうか、このカーブで万一脱線した場合、パンタグラフが一両にしかないと、それが逸脱したら身動きが取れなくなる。しかも6000系は初期に電動車を隣接させて節電設計に変更された経緯がある。だから6008-6508という組み合わせは外せなかったのではないか。しかもこの急カーブである。パンタグラフが逸脱した時の用心に予備のパンタグラフを追加したかったが、二丁パンタに近接して立てると、逸脱防止の意味が薄れるので一両離して付随車に付けたのではないか。同じ例は過去にもあって、京都線の特急専用車であった2800系は、私が幼少の頃初めて見たときは確かに5両編成だった。そのうちの京都方先頭車にも二丁パンタが付けられてあって、両端にパンタグラフを振りかざして走る姿が格好よかったのを鮮明に覚えている。ところがその京都方先頭車は電動車ではなく、集電した電気は隣の中間電動車へ送っていた。なぜなら、その中間電動車にパンタグラフを付けると、3両目の二丁パンタと近接するからである。そうか・・・それでこのような形になったのか・・・と時間つぶしをしたつもりが、しっかり鉄道少年の童心に戻った幸せな思いがしたものよ・・・が・・・じゃあ3000系は一両にしかパンタグラフがないのに改造されずに運行されてきたのはなぜなのか・・・という疑問がふと湧いてきて眠れぬ夜をこのように無駄に時間とエネルギーを費やしてしまっているのであった・・・結局3000系みれんかったし・・・

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20190505 一天一面

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ちょっと友達と待ち合わせて神戸散歩。目的は蘭州牛肉麺「一天一面」・・・ここは以前、大阪日本橋で「大秦」という蘭州牛肉麺の店をやっておられた人が麺を打つ新店で、三ノ宮から近い北野坂にある。

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行ったのは二度目だが・・・ううん・・・食べ慣れてきたせいか、「大秦」の衝撃が強すぎたからか、その期待値が高すぎるのか、GWで混雑していて確かにスタッフがテンパッてたのも事実だが、面にあのコシがなくスープは薄すぎて、麻辣油と全然馴染んでない。ちょっとブレすぎてんちゃう ?? ・・・ということで、南京町で色々買い出し、トアロード上がる途中で紅茶、山本通のハラール食材店で山羊の冷凍肉を購入し、しばし散策していると元町商店街につい先日オープンしたての蘭州牛肉麺の店を発見。

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早速入ってみたが、ここも行列ができるほどで店内は混雑し、スタッフもテンパッてて出てきたラーメンもちょっと残念でした。「大秦」が一番良かったが夢のまた夢。あの店は多分マスター自身の経営だと思うが、「一天一面」は人気にあやかった事業者がマスターを引き抜いたか、こういう世界の仕組みがわからんので断言できないが、なんかスープだけでなく影も薄いような気がする。新たに見つけた「中華蘭州牛肉拉麺」は、たぶんチェーン店。で、現状のところ大阪大国町の「周記蘭州牛肉面難波本店」に軍配。

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20190505 三重苦を切り抜ける

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世間ではGW10連休だというので、私もちょっとくらい遊んでもいいだろうと思って、三日ほど遊びに行った。といっても、稲の種籾は浸水して膨らみ、芽が出はじめたので、早朝から数時間かけてこれを苗代に降ろしまして、素早く着替えて電車に飛び乗る。

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後のことを気にせず遊んでいられた日は一日限りで、あとは夕方からのバイトに遅れないように電車に飛び乗って帰る。まあ農繁期に遊ぼうと思うたらこんなもんですな。音楽がやめられないので、どんなに疲れていても忙しくても、良い演奏を探し求めにいく。体力的にも時間的にも経済的にも三重に制約されているところを切り抜けるから私の私たる値打ちがあるのであって、これが音楽ばかり聞き惚けていたり、音楽など捨てて土百姓になりさがったりしたのでは、もう私が私ではなくなるのだ。

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しかし無理をすればしただけ、自由を享受すればしただけ、自然の成り行きを見逃せば見逃しただけ、あとで当然の報いを受けるのであって、発芽たけなわなる種籾をなだめつつ、取り急ぎまたしても泥の平面に這いつくばって、ひたすら腰を痛めながら一粒ずつこれを撒いて、ようやく24千粒の種籾を苗代に降ろしまして稲の播種完了。

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