夏が来た・・・村の様子も静かになったし体も休まったんで、盆までもう一仕事追い込んどきましょか。農作業の実際を書くこともなくなるかもしれないので、ちょっとでも興味のある人は、どうぞコピーしてもろてええんで保存しといてください。
代掻きをする一般的な田んぼは、田植えを終えて稲の根が活着して、分蘖がある程度進んだ頃に「中干し」というのをやります。これは、田んぼの水を故意に落として地下水位を下げることです。
この田んぼに植えた品種はかなりの晩生なので今時分、コシヒカリなどの中稲は梅雨入りの頃、品種と成長の度合いに応じてやる時期を決めます。そもそも代掻きをする目的は、田植えを容易にすることでその期間をできるだけ圧縮すること、泥の層を作ることで根の伸びを早くすることと初期雑草の防除、水を張ることによる温度調整のしやすさを期待してのことです。代掻きを丁寧にすればするほど、その効果は確実に現れますが、田んぼが広ければ広いほど、動力なり家畜なりの力を借りなければ、実際には難しい。
代掻きをすると、固い土の層の上に柔らかい泥の層ができ、その上に水の層ができる。田植えはその泥の層に苗を植えるので、稲の根は泥の中を伸びる。しかし硬いものに当たるとストレスがかかるので、根は横に広がり、脇芽を出して分蘖していく。そこで水を落として地下水位を下げていくと、根は水を求めて直下に伸びようとする。横張りと同時に、直立性を強めようとする狙いがあります。干す期間は天候によって異なり、数日から一週間程度で、表土が割れるほどやるのは良くないと言われている。なぜなら根張りを良くするのが目的なのに、土が割れてしまっては根が傷むからである。不耕起のやり方では「中干し」は必要ない。
中干し中は表土も硬くなるので、この機に徹底的に除草する。上からかがみこんで地面に手を伸ばそうとすると、稲の葉の先端が目を射る。育ちの早い稲は葉が顔を切るので、ほおかむりをして頭で稲をかき分けてその中へ潜り込んで除草する。私は田植え枠の幅ごとに一列分の溝を空けておいて、そこにしゃがみ込んで横からかき分けて除草する。その方が草の見分けがつきやすいし、顔を切られることも少なくなる。
中稲を栽培する多くの田んぼでは、この時期「稗抜き」という作業をする。腰近くまで育った稲の生える田んぼに分け入って、その中から伸びている稗を抜くのである。この作業は、暑さとぬかるみによる足場の悪さと湿気とヘドロの匂いに耐える大変な苦労である。この時期にやるのは、稲が出穂してしまうと田には入れなくなるのでその直前であることと、主だった稗は出穂して見分けがつきやすいからである。稗は多くの場合、稲よりも高く育つ。しかしこの頃までは注意して見ないと区別はつかない。広い田んぼを機械で田植えしてケミカルに頼るやり方では、そもそも見分ける「目」は育つまい。
この田んぼでは、赤・緑・黒の古代米を栽培している。いずれも一般的な白米と違って、全草に特徴がある。例えば黒米の「紫黒苑」、これと非常に良く似た稗が多く生えている。しかもこの根は強く、稲と隣接して生えてしまうと、稲の根を取り巻いて枯らしてしまうほどである。多くの場合、田植えの際の苗取りで見分けがつかずに、苗として植えてしまったものである。小さな苗の段階ではともに色も淡く、選別したつもりでも、見落としが避けられない。白米の稲の苗と区別するときに使う基準がほとんど当てはまらない。株元や節が褐色になることは同じ。全草がやや青みがかっていることと、それに伴って褐色がやや薄く見えることくらいか、根は稲より太いので、苗取りの段階では見分けられるが、植えてしまってからでは抜いてみないとわからない。注意深く株元の根をほじくってみればなんとかわかる。私がこれを見抜けたのは、長年稗に悩まされた者の「違和感」である。
さてこれはなにをやっておるのかというと、赤米の「神丹穂」という品種は非常に丈が高く倒れやすい。しかも膝から崩折れるように倒れるので、そのままにしておくと穂が水に濡れたり、稲刈りまで持ったとしても刈る手元に別の穂が絡み付いたりして効率が悪い。一般的には縦横3株ずつ9株を括って倒れるのを防ぐのだが、何せ膝から崩折れるので、その9株が隣の9株と絡み合って倒れるのである。そこで私はこのように予めキュウリネットを水平に張っておく。そうすると、稲はこの網の目をくぐって伸びてくるので、穂は網の上に顔を出す。登熟期に崩折れても、網に引っかかって穂は落ちない。しかも株元は単独で残る。しかし、これを張ってしまうと、今後の草取りはすべてこの中に潜り込んでやらなければならず、稲刈りも穂先に注意しながらそっと刈り進めることになる。しかし結果はこれが一番楽で歩留まりも良い。