2019年07月18日

20190718 選挙

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だんだんどの国の食事やわからんようになってくる夏の訪れ・・・

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やれやれ選挙である。あっちもこっちもどっちを向いてもお先真っ暗なこの世の中で私が天寿を全うできるのか、というのが正直なところ今の最も深刻な関心事である。こんなときに選挙をやってる場合なのか、彼等はこの暗黒について、本当はどう思っているのか、揃いも揃って明るい未来を公約に掲げなければ当選しないものだから、誰も本当のことを言わない。選挙は国民の義務らしいが、不都合な真実を認める候補者がいない中で、一体誰に投票しろというのか。

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 全ての公約は、選挙で票を獲得するためにのみ、ある。全ての公約は、仮に実現されたとしても、そう長くは持たない。なぜなら、あっちのものをこっちにつけかえればわれわれが潤うという論法ばかりで、こっちに付け替えられたものを失ったあっちが壊れてしまった後のことには全く言及されていないからだ。

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 消費税を廃止する代わりにその財源は金のあるところから持ってくるという。そこに金がなくなれば、また別のところから持って来ざるを得ない。そうして次々と金を食いつぶしていかないと、彼等の公約は持続できない。これは要するにイデオロギーとしての共産主義が、現実の社会体制を維持する時に使われた論法と同じで、これが持続できないことは、資本家を食い潰し労働者によって構築された政権では、ほんの一部の例外を除いて経済が破綻してしまった歴史的事実が証明している。

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 ちなみに私は哲学としての唯物論的弁証法や、イデオロギーとしての共産主義を批判しているのではない。資本主義体制は歴史的必然として、階級闘争によって社会主義から共産主義へと移行し、最終的には階級制度のない平等な社会が実現する。それは理想主義として、否定されるべきものではない。本来、哲学や思想というものは、個人の自由が保障されて初めて成立するものだが、現実の共産主義社会体制は、一つのイデオロギーの中に地域ぐるみで民衆を抱え込んだために思想統制を必要とし、結局、体制の指導者たちは、共産主義が理想と掲げたものとは全く対極的で、彼等が最も忌み嫌ったはずの全体主義に頼らざるを得なくなった。

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 そして世界革命と称して世界を二分する新たな帝国主義に手を染めていくことになる。旧来の資本家は打倒されたが、主役が政治指導者に置き換わっただけで、階級制度そのものは解消されなかった。そして勢力争いは植民地時代の後を引き継いで、世界中に紛争の種をまいた。現実の共産主義は、民衆に幸福を与えるどころか莫大な犠牲者を出した。

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 これは結局のところ、共産主義が資本主義の存在を前提としているから起こった悲劇ではないかと思う。資本家と労働者の矛盾は弁証法的に止揚されるはずだったが、仮に資本家が消滅したとしても経済は必ず流動して資本の集中を生み、そこに新たな格差が発生することは避けられない。しかも、人間は経済の運動を制御できない。資本主義であれ共産主義であれ、経済の流動は加速度的に民衆の経済格差を広げてしまう。かつては高度な判断を要した仕事も、量産されて定式化されてしまえば、解体されて単純労働になる。その結果、経済的な富はさらに限定的に集中し、構造から振り落とされた単純労働者が鼠算式に増える。その集大成が現在の社会の暗黒である。

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 資本の分配を期待しても問題は解決しない。資本主義を前提としない社会体制のあり方とは、つまり自給経済のみによる社会以外にありえない。おそらく、現在の日本経済の規模と、考えうる自給経済の規模との格差は、1/30から1/50くらいであろうと思う。このケタ違いの格差を解消するには、双方が段階的に、数倍あるいは数分の一の規模での格差解消を目指さなければならない。最終的には、現在の日本社会の経済規模が、1/30から1/50くらいに落ち着かなければ持続可能な社会は来ない。

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 政治家は、もし資本家や大企業の内部留保に手をつけるのであれば、現在の日本社会の経済規模を1/30から1/50くらいに縮小するための具体的なアクション・プランを公約に掲げ、それをどう有効に使うかの議論を始めるべきである。しかも、たぶんそんなに時間は残されていない。数十年後に目標の何分の一かでも達成されていなければ人類の存続そのものが真剣に懸念される事態になるような気がする。

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 ここに書いたことは寝言だと思いたい。人類全てが一人残らず、抜け駆けや恨みっこなしで、みんなで手を繋いで「せーの」で自殺するのが最も平和、さもなくば適当な人数に減るまで果てしなく殺し合うことになるか、少なくとも原油がなくなればコメも作れないようでは、日本は滅亡する。

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20190718 シーズン前半終了

 唐突ですが、今シーズン農作業前半戦終了。田植えの間、放置してしまった畑の体勢を立て直す。今年は予報通りの冷夏で、夏野菜の生育が遅い。そろそろ実ってきて良いはずのウリ科が全く苗のままの状態だ。したがって私は毎日土手の雑草を工夫して料理している始末である。詳しくはそれぞれの写真を開いてもらうと説明があります。村は不思議なほど平穏。

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マメ科の柵立ての準備のため資材を分配する。

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今シーズン小麦を収穫した田んぼは稲作をせず、おもに丹波黒大豆と各種インゲン豆の栽培をする。

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ブラジル原産feijão preto

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収穫の目玉「丹波黒大豆」・・・必ず倒れるので早めに直立する癖をつけておく。

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腹の足しになるマメ類は増産。

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私のマメ愛はハンパない。収穫を終えた後に発芽したウスイエンドウに再チャレンジの機会を与える。

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オクラ。遅い。

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バジル、これもやや遅い。

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白サツマイモ「イズミ」周囲を除草、やや遅い。

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コンゴのピリピリ。苗まではうまくいくのだが、毎年ここからがなかなか成長しない。今年は思い切って燻炭を作って土質を中和して、さらに米ぬかで補ってみた。


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20190718 田の除草

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 代掻きをする一般的な田んぼでは、除草剤を使わない限り、植えた稲の出穂まで泥の中を這いずり回って除草するという苦行は不可欠である。それを一反もやるとなると、コシヒカリなどの標準的な品種では6月中旬の一番草から8月初旬の出穂まで、毎日朝から晩まで泥の中にかがみこんでひたすら表面をかき回すことになる。

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苗が小さいうちは良い。7月には屈み込む顔面の高さを葉先が超えてくるので、顔中をタオルでぐるぐる巻きにして、やがて腰の高さまで成長すると、それを頭でかき分けて株もとに顔を突っ込むということを、33m四方25cm間隔のグリッド全部やるのである。足を目一杯広げて7株、それを33mの帯状に除草して行くのに休憩無しで3時間、腰が破裂するので一日2セットが限界、次の7列、次の7列と進んでいって、実働で計算上10日はかかる。しかしそのころには10日前に始めた部分が草に埋もれている。これを休みなしで全体を5セットやる頃に稲は出穂を迎える。体力はもちろん、強靭な精神力が求められる。稲の葉は刃物である。どんなに守っていても顔中切り傷だらけとなり、顔面や腕が痒くてたまらず、それが夕方からひどくなって夜には全身が震え出す。これが毎晩続く。穂が出て花が咲けば、逆に田んぼに入ることは許されない。風が吹いてもいかん。それまでが勝負である。「農薬がないとできない」というのはこのことである。農薬無しでやれるもんならやってみるが良い。私が不耕起による栽培にたどり着いたのは、何度も上の作業で腰を破壊して、浴衣の帯で縛り上げ、保冷剤を服の中に詰めて毎日泥だらけになって、何度もダウンを取られたからである。そんなことやっとったら飯を食う前に死んでしまう。

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 そこで魅惑の白い粉が登場する。これを使うと見事に草が生えてこない。上の作業は夢のように消える。田植え後、葉の色が濃くなって活着した頃を見計らってこれを撒くと、出穂期までほぼ放置できる。これを初期一発除草剤といって、これを使用して栽培したコメは「特別栽培米」と表記することになっている。一般的には、さらに各種病気の予防やカメムシなどの防除のために、さらに多くの農薬が使われる。「無農薬」とも「特別栽培米」とも表記のないものは、このように複合的な農薬使用にさらされている。私は初期一発を一度だけ使ったことがある。作業の苦痛から逃れたかったこと、不耕起という手法にたどり着いていなかった頃、周囲の農家の圧力に負けて泣く泣くこれを撒いた。撒いてわかったことがある。粉を吸うと、どしんと肺が重くなる。体が「これは毒だ」と警告する。だからやめた。しかし思いやってほしい。一般的な農家は、ほぼ無防備な状態で、毎日これにさらされながら、あなた方の食卓に米を届けている。で、大抵は、空をかきむしるような仕草を繰り返しながら、目を見開いて死んでいくのである。

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 不耕起の田んぼの管理についてはのちに述べたい。今回は久しぶりに代掻きをした田んぼの除草である。広さは160平米なので、一反の1/6の労力なので屁みたいなもんである。田んぼの除草のために、昭和中期ごろまでに様々な道具が考案された。いかにその作業が辛いか、どうすれば少しでも楽になるか知恵を振り絞った結果がよく表れている。写真の右端は除草ぐるまといって、先端の舟形の内側が刃物になっていて、車を押し出した後引いてこの刃物で草を切って舟形に乗せ、さらに押して草を落として後ろの歯車で泥の中に掻き込むのである。と同時に次の動作で草を切って・・・という連続動作で除草する。確かに合理的だが、操作に慣れが必要なのと、ごく初期の除草にしか使えないので万能ではない。大抵の場合、除草する局面に立った頃には草ぼうぼうになっている。絡みついた根を中腰になっててでほぐすことは自殺行為である。そうしてこのような柄の短い鉄の爪が作られた。鋳物であり、これを現在注文すると特注になって結構高い。私はもっぱら、揚げ鍬の柄の折れたやつをそのまま使っている。先端を研ぎ澄まして、草の根を切ってひっくり返す。前に進む時に足で踏みつける。立ったまま鍬を使うと、よく手元が狂って稲を痛めてしまうので、このくらいがちょうど良い。まあそんなこんなで160平米なら1時間ほどで終了。遅い品種なので上のコシヒカリのデータとは日程が違う。田植え後3週間程度なので、草はまだ小さい。

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