これから田舎暮らしをしようとしている人や、農業を始めてみたいと思っている人のために、参考になるかならんかわからんのだが、とにかく今回の事態について説明を試みてみようと思う。ムラ社会は混沌である。その混沌はまさに混沌であって、様々な歴史的要因や、農業を取り巻く数多の矛盾を抱え込んで、まったくわけのわからないドロドロの混沌の様相を呈している。その中に長年暮らしてきた人たちは、その清濁併せ呑んで日々を生き抜くすべを子供の頃から刷り込まれていて、その都度自分に有利な方へ、自分が生き延びられる方へと判断して行動するので、その行動に原理原則は、ほぼないに等しい。一方で、これから田舎暮らしをしようとしている人や、農業を始めてみたいと思っている人の多くは、個人主義と民主主義に守られた都市生活者であって、ほぼ自主的な判断に基づいたストレスのないフラットな状態で新しい生活を夢見、実現し、生活しはじめてしまう。受け入れる村人の多くは、学校で個人主義や民主主義について教わるが、それは単なる知識として知っているだけで、ムラ社会の中では全く通用しないことを知っている。だから決して自主的に判断して独自の行動をとることはない。一方、移住しようとする人の多くは、都市生活になんらかの限界を感じて、そのコミュニティから抜け出し、自主的な能力を発揮できることを期待して新天地を求めてやってくる。
仮に農業の場面に絞って言うと、受け入れる側は、長い歴史の過程で、その村に割り当てられた作物の種類や生産高が決められていて、空き家は欠落農家の持ち物であることが多い。すなわちそこへ移住するということは、その家が受け持っていた作物の種類や生産高を肩代わりすることが期待されている。一方、移住を希望する側は、食の安全や安心を求めて、自らこれを生産しようという意欲を持っているので、作物の種類や生産高は当然自分で決めることができると思い込んでいる。当初、両者は互いの本音や、疑いを入れないほど当たり前と思っていることが、実は全くかけ離れていることを知るよしもない。受け入れる村人は、やってくる都会人を農業の素人と決めつけているので、どうせ何もできないと思っているから、「なんでもやってみたら良い」と言う。この言葉を真に受けた移住者は、当然、食の安全や安心のために、自然農や少なくとも無農薬有機栽培を目指して、ひたすら勉強して試行錯誤する。大抵、最初はうまくいかない。近隣農家は見るに見かねて手を差し伸べる。その手には多くの場合、魅惑の白い粉が握られている。
想像を絶する作業の苦しさに負けた移住者は、その粉に手を出して脱落していく。また、希望に満ちて広い農地を請け負ってしまって夏場に手が回らなくなり、気がつけば劇薬のタンクを背負って噴霧器を振り回している。都会の友人からは憧れの田舎暮らしと羨望されているので、自分で作った野菜は安全だと言わざるを得ない。村からは通過儀礼に合格した者として受け入れられ、仲間入りを許される。
ごくまれに、これに打ち克つ者が出てくる。彼は自然を観察し、合理的な判断と、慣行的な農法との違いに気づき、その違いについて実地に検証していく。その結果、必然的に自然農という考え方にたどり着き、現在行われている一般的な栽培方法とはかけ離れたやり方で農地の運営をしはじめる。百姓というものは、極めてプライドの高い人たちである。自分の飼い犬だと思っていた移住者に、自分のやり方をかたっぱしから否定されていくのを黙って見ている者はない。無農薬を目指していると知れば密かに農薬を振りまき、珍しい品種を育てていると知れば根こそぎ抜いてしまう。農地法など農業者でしか知り得ない数々の法的知識を駆使し、原理原則のない村人を焚きつけて、合法的に彼を村から叩き出す戦略を打ってくる。たいていは、このへんでムラ社会に絶望し、あるいは物理的に生活手段を奪われて、多大な投資を放棄して都会へ帰っていく。
しかし、それでも耐え忍ぶ奴が出てくる。彼は法律を勉強し、法体系に不公平や矛盾のないことを突き止め、自分の権原を確定して全ての書類を揃えて正面突破を図る。ムラ社会とはいえ行政と対立することはできない。彼はすべての権利が認められ、全く合法的に自らの望んだ通りに食品を生産し、加工し、販売するに至る。しかし、人というものは気持ちで動くものである。相手が合法的存在であっても、自分たちは認めないという暗黙の態度をとる。行動に原理原則のない彼らは、相手が嫌がることならなんでもする。相手が被害届を出せない程度に証拠の残らないやりかたでいやがらをする。いざ出発というときに、四輪とも空気の抜かれた車の前で呆然としている彼を陰で嘲笑う。農協や警察まで巻き込んで苦情を言い立て、ありもしない被害について善処するようにと圧力をかける。苦情を受け取った機関としては、法律を厳密に適用せざるを得ず、彼は事情聴取や行政指導に度々呼び出されて、忙しい手を止めさせられる。おそらくこれが止むことはないだろう。
村に入るときに、極めて慎重に話を持ちかけ、頼るべき相手をうまく選んでことを進めることができれば、このような苦労はかなり軽減されるはずだ。しかし大抵の場合、行政からのアプローチでは、村は嫌々受け入れることが多いので、集落の中で放置される。大抵の村には複数の実力者がいて、互いに仲が悪いことが多い。そのなかで本当に自分に協力してくれる実力者に最初から接触することは、非常に難しい。どの村にも歴史があり、今の民主的な法治国家になる以前から、様々な弾圧に耐えて存続してきた。農業は共同作業なので、村人の団結無しには成立しなかった。それだけでなく、権力からの弾圧や自然災害、様々な賦役労働などに耐えるためも団結が要求された。だから彼らは常に互いを信頼し、あるいは信頼できるか絶え間無く検証する必要があった。だから彼らにとって村とは、都会人が考える家の集まりではなく、領域すべてが一つの家であり、村人は家族であり、道路は廊下なのである。自分の家の廊下に道路交通法を適用する人はいない。個人主義・民主主義・法治・・・このようなものは家の外で行われることであって、家の中では家長が絶対的な権限を持ち、家長が法律なのである。勘当された者、すなわち八分になった者に財産はおろか、命の保証はない。そのような根性が彼らには何世代も前から刷り込まれていて、それは今も生きている。実際に私がここに移住してきてからも、三家族が命からがら逃げて行った。なかには比較的開放的な考えを持っている人もいる。そんな人がどれほど多いか、どれほど仲良くなれるかなど、事前にはとてもわかるものではない。結局、志あって始めたことであれば、その志が導く声に従って、淀みない心で前進するしか、生き延びる道はない。これが私の答えである。