2019年07月27日

20190727 立木の問題のあらまし

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 写真の通り、かつて日陰であった部分は、雑草の伸びも良くない。集落内の、よく知らない数人の人からFacebookの友達リクエストがあったので。無視すると同時に、これまでの投稿を含めて、すべて友達以外には閲覧できないように設定した。この集落へ移住して来た頃にはADSL回線も通っておらず、インターネットにはダイヤル・アップでつなぐ有様だったのだが、今やほとんどの村人ないし世帯がスマホで、SNSで、主だったメンバーはラインで繋がっている状態。そこで何が話し合われて、何が決まっていくのかは知る由も無い。

 本来、今シーズンは私の農作業をもっと解放していきたいと思っていたし、そもそもFacebookもアカウントを持つ全ての人が興味を持って閲覧してもらえるようにして来たし、そのおかげで様々な考え方に触れることもできた。これは良いことだと思う。しかし社会的なネットワークというものは、便利な反面危険もあって、つまりなんら検証されていない情報が特定のネットワーク内で共有されてしまう。それがネットワーク内での仮想現実的な戯言で済めば良いが、人間社会ではなかなかそうはいかない。ネットワークが狭ければ狭いほど、現実との距離が小さければ小さいほど、それは実効力を持つことになる。

 猛暑の始まる前に農作業前半戦を終え、しばらく休んでいたのでだいぶ気持ちにもゆとりが出て来た。この間にも何度かの嫌がらせはあったが、完全に無視して作業の完了に向けて突き進んだ。平静を失った状態で投稿した記事があったので、それを読んでくれた人には過大な心配をかけてしまったようだ。全ての投稿を公開することにこだわったために、前回の説明は抽象的な表現で終わってしまったので、読んでくれた人にも実感が湧かなかったと思う。もう投稿を公開することはやめる。残念なことだが、自分を守るためには仕方がない。全ての投稿は、私の友達と共通の友達にしか公開されない。それ以外の人に見せたいからといって、コピペで公開されたことが過去にあったが、その相手の設定いかんでは、どこで誰に伝わるかわからないので、そういうことは絶対にしないでほしい。便利なのか窮屈なのか、あんまり気持ちの良い話ではない。

 さてとりあえず今回の事態について、具体的に書いておこう。「最後の田植えになるかも・・・」と書いたのは、この集落から退去することも視野に入れているということだ。その判断の要因は複数あるが、直接的には直近に起こった二つの出来事だ。

 一つは私の借りている田んぼの南側に隣接する家の立木が大きく張り出して日当たりを阻害し、稲に病気が出るなど実害が出ている問題。これについては、数年来当該家の主人に話し合いを求めて来たが全く応じてもらえず、今年に入って何度目かの接触の際に先方より暴言を吐かれたことに対して私も言葉を荒げてしまい、一部始終を目撃していた親族らに取り囲まれる形で喧嘩になった。その直後に当該主人が急死したため、私がその遠因を作ったという噂が流され、警察に事情を聞かれることになった。もちろん私に嫌疑がかかることはなかったが、忙しい仕事の手は何度も止められた。

 その後、私は、亡くなった主人の遺族と、借りている田んぼの地主と、使用者である私の三者で冷静に話し合って問題を解決するべきと提案したが、遺族側は私には当事者資格はないとして、あくまで地主との二者で解決すると主張した。私は地主を通じて以下の内容を伝えた。すなわちこれは単なる植木の問題ではなく、実害が出ていることと使用者側の法的責任が問われている問題であること。稲の病気については、防除のために病害株を全て除去する作業があり、それが大きな負担になっていること、特に昨シーズンはその範囲が田んぼの半分以上に及んでおり、農協の検査でその原因が日照不足によるものと推定されていること。また病害を見た隣接する田んぼの作付け農家から苦情があり、補償問題を持ち出されていること。病気が出るので作付けができない部分があり、これが「農地全体を使用することを以って新規就農の条件とする」旨の農地法に違反するとして、農業委員会から再三にわたり行政指導を受けていること。具体的な解決策としては、境界線を確定して、そこからはみ出している枝や幹は全て伐採する、はみ出していない部分については触れない事。以上である。

 これは地主にとっても看過できない問題であるので、私との間で問題意識は共有できた。遺族と地主は何度か話し合いをしたらしいが、結局問題解決は先送りされ、田植えの時期が近づいた。地主は、とある宗教団体の教会長であり、別の集落に住んでいる。遺族はその教会の親教会の存在する村に住んでおり、問題の解決をその親教会に相談した。その親教会の家の長女が私の住んでいる家の隣家に住んでおり、その主人がこの問題に介入することになった。このあたりから話がややこしくなる。地主は教会の立場上、これに逆らうことができなくなり、隣家の主人の手によって立木は伐採されることになった。当初、伐採は遺恨を残さないために三者立ち会いのもとで行われるはずだったのだが、予定された日より前に伐採が始まってしまったので、私も作業に加わって当初の要求通り伐採されるよう自らも作業をした。苗代の苗が限界に来ていたので、概ね目的が達成されたのを見計らって私は田植えの準備に集中した。

 おそらく遺族側としては、まず新参者の私の存在が気に入らないので、とにかくこれを懲らしめたいという意図があったのであろう。私の主張が正論であるのは分かり切っているが、その通りにやるのはボロ家の保守の問題、伐採や搬出、廃棄の手段と費用の問題が出てくるので、これをなるべく抑えたい。地主なら温和そうなので丸め込めるのではないかと期待した。ところが地主の方が実は強硬だったので、これを懲らしめるために、運よく同じ村にある親教会の力を借りようとした。伐採は最小限にするために抜け駆けして終わらせるつもりが私に見つかり、結局境界線上まで伐採されることになった。遺族の憤懣は側で見ていても分かるほどで、私のことを「人殺し」・「チョンコ」・「チャンコロ」・「過激派」・「テロリスト」などと呼び、「話し合いをしたい」と申し入れたメモを以って私をストーカーとして警察に通報したり、「こんなに深くまで切り倒して、木が枯れたら訴えてやる」・「家になんかあったら損害賠償請求するぞ」と、これは直接言われたことである。

 話し合いをしたいと持ちかけた時には私を除外しておいて、なんかあったら私を訴えるという、しかも家としての基本的な機能の欠陥による損害の原因を伐採に求めるという、全くの支離滅裂が通るはずもない。要するに揺さぶりをかけているだけなのことなので、ひたすら無視して自分のやるべきことに専念してきたのだが、とにかく妨害がひどくて、警察や農業委員会、懇意にしている農家の方の親切なアドバイスを聞くにも手を止めなければならなくなるので作業が遅れるのである。百姓仕事というものは、やったことのある人にしかわからないかもしれないが、とにかく段取りである。苗が育ってしまう頃には田んぼができていなければならず、田植えが始まると手が離せなくなるので、それまでに畑の方は概ね片付けておかねばならない。しかも田植えが終わる頃に植え付ける夏の豆などは、頃合いを見計らって苗づくりをしておかないと間に合わない。計算通りに行っても全てがパズルなのに、そこへ天候が絡むと週単位で段取りが狂う、せっかくの晴れ間に仕事を追い込んでる時に限ってパトカーがやってくるのである。

 そんなわけで、ふと「俺は何をやってるのかな」と思ったのである。移住して来て以来、いろんな問題が起こって、その度に凹まされたり空回りしたり失敗したりして、今回のは人一人死んでいることもあって村中の問題となり、しかも村の三分の一が遺族と姻戚関係にあるので、私に対する排斥の機運は今までにないほど強い。そう、私がいなければ、村は平穏なのかな、と思うと、ああ、俺はここにはいられないのだな・・・と、弱気になったのである。田植え終了以来、特に村人から悪態を吐かたりということはない。忙しかったので、特に仲の良い村人とこの件について話す機会もなかった。私の気分が持ち直すにつれて、やや物事を冷静に見られるようになって来たとは思うのである。どうすべきかは、まだ迷いの中にある。次はもう一つの問題について書こうと思う。また、田舎暮らしというものを考える上で参考になればと思うので、私がここへ来てから起こったことを一通り書いておきたいとも思う。長くなるけど・・・

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2019 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする