さすがに立秋を過ぎると朝夕の風は涼しく、前のような密度の濃い湿気が抜けて、空虚な暑さの中にクマゼミのやかましい鳴き声がむしろ虚しく響くほど。私が最も夏の終わりを痛感するときです。夏の間は絶え間無く吹き出す汗に火照っていた肌が、ふと冷たく乾くようになります。それを見て心は急に締め付けられ、あーシタラよかったとかこーシタラよかったとか、暑さに理性を失った頭脳がとりとめもなくいらんことばかり考えていた若い頃を懐かしく思い出します。ああ、今年も夏が終わっていく・・・Bossa Novaが最も似合う季節を迎えました。
そんなことを美しい部屋で美しい風景の中で、美しい食べ物飲み物に満たされて想っているのなら良いのですが、日中の炎天下の激しい労働、土に這いつくばっては太陽に焼かれ、青フィルターをかけられたかのように視野が変色し頭痛とともに意識が遠のいていくのを素早く察知して、いち早くパラソルの陰に避難して体を冷やし、気を取り直してまた出ていくということを、それこそ無数に繰り返して夕方近くになると、慌てふためいてバイト先へ駆け込む。そこは生鮮食品を扱うので全巻強烈に冷え切っており、どうやらそれで喉をやられたみたいで、漢方でいうと麦門冬湯の世界。
深夜に帰宅して一息つけるかというと、これが以前に投稿した「最後の田植えになるかも・・・」のもう一つの問題で、反対側の隣家による強烈な悪臭のために、窓も開けられないのである。これは三年前から始まり、初年は原因がわからず、二年目に隣家の施設から出ていることを突き止めて苦情を申し立てたところ、「もうしません」と言われていたのに、この夏の初めにまた匂い始めたので念を押したところ、途中経過はややこしくなるので省略するが、結局のところ「やる」のである。そして「やった」のである。その結果、今年も私は窓も開けられず、現在の室温44℃、悪臭も漏れてくるところで、美しいBossa Novaを聴きながらこれを書いているのである。なんというサウダージ・・・甲陽園へ帰りたいよやっぱり・・・
外は暑いのか涼しいのか、私は暑いのか涼しいのか、気温や体温の感覚が全く狂ってしまって、冷たいものを飲むのは良くなさそうだから心がけて温かいものを飲んでいるのだが、ためしにさっき体温を測ってみたらなんと40℃ちかくある。確かにここ数日足元がふらつく。しかし体温を超える猛暑と言われながらもさほど暑さを感じないのを、暑さに慣れたと思い込んでいたら、体温が高くなっているので暑さを乗り越えていただけのことか、これぞまさしく「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の境地、いまこそ俺は到達したぞ。体調は悪くない。ただ理性が飛んでしまってて、複雑な物事を考えることができない。バイト先は寒いので、中にセーターを着込んでいたら、常連の若奥様に「ダイエット ? 」と訊かれたので、「いや、熱中症で体温上がり過ぎて外気が寒いんで着込んでるんですわ」「燃える男ね」「ためしてみます ? 」「ありがとう、まにあってますわ」
隣家の息子が帰ってきて農家として跡を継ぎ、大きな施設を建設したのは2014年のことだった。前の年に事前に説明があり、絵図面とともに事業計画の一部始終を知った。その時は村の誰も反対しなかった。後継者不足に悩む村にあって、新規事業で農家を継ぐことは賞賛された。ところが、いよいよ大型重機が入って整地、基礎工事、そして大まかに鉄骨が組みあがった段階で、村じゅうがこれに反対しはじめた。私も村人から一緒に反対するよう耳打ちされ、数日後に集会が行われた。それは目を覆うようなリンチであった。およそ人が人に向かって発せられたものとは思えない罵詈雑言、わけのわからない怒鳴り声や悲鳴が渦巻いた。あまりの混乱に、全員が一人ずつ忌憚のない意見を述べるようにと定まって、順番に一人ずつ意見が述べられた。要するに課題は、ボイラーによる騒音、従業員や出入り業者による交通の増加、よそ者が入ることによる治安の悪化が主であった。私以外の村人全員が反対派であった。私は、反対でも賛成でもなかったので、もし騒音が問題だというのなら、設置されるボイラーから出る騒音が周囲にどの程度聞こえるかのデータをもとに、環境基準に照らして、具体的な数字を持って議論したらどうかと提案した。その瞬間、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。「よそ者のくせに」「ああいうもんが入ってくるから反対なんや」「よそ者は出て行け」・・・
このときからである。私に対するあからさまな排斥が始まったのは。私は、隣家に与するものでもなければ、長いものに巻かれるものでもなかった。しかし実際には、村じゅうの「白い眼」を一人浴びることになった。それは、なあなあのうちに事業が開始され、なんと最も強硬に反対していた老人さえもそこへ買い物に行くようになっても、私だけは許されることがなかった。別に私は集落と関わりを持ちたいとは望んでいないので、それは一向構わなかったのだが、その態度に不満を持つ者からの嫌がらせが頻発するようになった。まあそれ以上は書くのも嫌なので省略する。こうして隣家とは、特に仲が良かったのだが、その三年後から状況が変わった。
結論だけを書く。要するに、施設で出た事業残渣を積み上げて腐食させ、有機肥料として循環させる新しい循環型農業の取り組みなのだ。これには県から助成金が出ていて、何年かの計画で軌道に乗ればモデル・ケースとして普及させるという。そんなことはどうでも良い。問題は、その排気が、私の親書と台所の正面の至近距離から出るということだ。これについて改善を求めたが、これは県のモデル事業になっており、設計図面ごと変更することは、今からでは無理だという。では悪臭の問題についてどう考えるのかと詰め寄ったのだが、悪臭は検知されていないという。これも結論から言うと、悪臭があるかどうかというのは、一定の距離や高さの定点を観測して、そこでモニターと称する職員が匂いを感じるかどうかで判断されるという。その定点は屋外であって、私の台所や寝室ではない。では私の台所と寝室へ来て、臭うか臭わないかを判定しろとさらに詰め寄ったのだが、それは法的根拠がないので実施できないの一点張りなのだ。神戸市・兵庫県・警察を含めあらゆる手を打ったが、いずれも効果がなかった。隣家は申し訳ないとは言うのだが、事業は続ける。つまり悪臭は排出され続け、それに対して私は打つ手がないのである。
どんな臭いかというと、おもに鶏小屋の糞尿の臭いにチーズのような脂っ気が加わった感じの臭いである。いまも、ほとんどものを考えるという気力が起こらない。ただただ吐き気と暑さに耐えるのみ、ようやくのことでこれを書いたが、読み直す気力もないのである。写真は現在の田畑の様子。解説はまたいつか書きます。