2019年08月19日

20190819 memento mori

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 死を想う・・・私は霊感もほぼ皆無と思われ、心霊現象に遭遇したことは一度もない。あるときお世話になった仕事先の社長の奥さんが亡くなり、葬式を終えて、限られた親近者だけで社長を囲んで酒を飲みながら彼を励ましていたときのこと。私は持ち前の器量を発揮して、なるべく場が暗くならないように、面白おかしく仕事上の伝説について話題を振りまいていたのだが、ふとみんなが黙ってしまったのである。

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たまたま私の隣が空席だったのだが、みんなそこを凝視して凍りついている。私は酒も回っていたので、場も空気もわきまえず、「みんなどないしたんや」「アホ、おまえ、となりがみえんのか」「となり、て、最初から誰もおらんやんけ」と言うてその空間で手を振り回したら、みんな顔色変えてアホ、なんちゅうことすんねん、やめんかい」て真顔で怒りよる。

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後で聞いたら、そこに奥さんが座っていて深々とお辞儀をなさっていたらしい。私以外の全員にそれがはっきり見えたのに、私には全く見えなかったのだ。まあ私はそれほど霊感のない男なのだが、それでも何度か、人の死にかんして、説明のつかない現象を経験したことはある。

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ふるくは、私の本家の主人である伯父が亡くなる前、なぜか急に本家へ行きたくなって、わざわざ電車で総社まで行き、伯父に会いに行った。伯父はすでに長く全身付随で車椅子生活だったのを、奥さんが献身的に介護されており、飛び抜けた頭脳を持ちながら若くしてその能力を奪われ、全てを車椅子の上で何も表現することなく生きておられた。しかし私が訪問すると、確かに笑ったのである。別になんと言うこともなく数時間を三人で過ごし、私は退去した。その数日後、伯父の訃報を聞いて全く驚いた。それが私にとって初めての、そして今までで最も強い心霊的な現象であった。

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近いところでは昨年末のピリピリ十回忌イベントの時、曲をおさらいしておこうとしてアンプのスイッチを入れたらヒューズが切れた。それを修理に出そうとして、行きしなにたまたま例の「周記蘭州牛肉面」店を見つけたというおまけ付きだったが・・・しかしライブ当日もたくさんの不可思議な現象に見舞われた。

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リハ時に他の演し物では問題なかった音響システムやアンプ類のスイッチが入らなくなった。出演者の携帯電話が勝手に電話帳の中の電話番号に発信しはじめた・・・その他いろいろあるが、これらはいずれも電源関係だったので、電気系統にいたずらをするのが癖だったピリピリの仕業と誰もが気づいた・・・

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そして先日のFandangoラスト・イベントの時も、私のフット・ペダルのバネが吹っ飛んだ。Fandango備品のシンバル・スタンドの付け根がもげた。本番開始直後、ギタリストのストラップの留め金が抜け落ちた・・・これらはネジ状螺旋状の不思議に取り憑かれていたピリピリの仕業であることはいうまでもない・・・まあピリピリといえば、一夜限りの再結成だったはずの彼の追悼イベントの我々の演奏中、Fandangoのステージ先に白い雪が降ったことは観客も見ていた現象である。

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さて今回、あまりの暑さと悪臭に数日を無為に過ごしていた私は、寝ていてもできる作業として、動作の重くなっていたMacの内部のクリーン・アップを試みていたのだ。まだ今井の死を知る前のことである。外部ディスクにOSをインストールして起動し、起動ディスクを消去してシステム全体を入れ替え、OSも新しいバージョンに載せ替えて置こうとしたのである。何時間も処理を待つ必要があるので、その間寝て過ごせるのでそうしたのだ。作業プロセスが全て終わってPRAMのクリアも実行して再起動した。初期画面が現れてパスワードを入力した。ログインが始まったことは画面で確認できるが、そこから進まなくなったのだ。数時間放置しても変わらず、何度か外部ディスクからの起動を試みたり、考えうるあらゆる手を尽くしたが進展はなかった。バイトへ行かなくてはならなかったので強制的に電源を落とした時に携帯が鳴った。訃報だった。それからは彼の死をどう処理するかの現実問題に関わらざるを得なくなった。彼は天涯孤独だったからだ。それらが片付き、我々友人たちは公的には関与しないことが明らかになったため、カズとともに現場へ花を手向けに行ったというのが、実は最近の投稿になるのだが、帰宅してMacの電源を入れてみたら、まったくなにごともなかったかのように動いたのである。まあ、あいつが何かを知られたくなかったのか、それとも神童と言われた本領を発揮して、手の込んだいたずらを置き土産に旅立って行ったのか、今の所真相はわからない。

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20190819 memento mori

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 今井健夫 (享年53) ・・・岡山から単身大阪へ出てきたところ結成当初の「カーリー・ショッケール」に捕まり、多分これで人生を棒に振った。幼友達の話のまた聞きでは、彼は子供のころ神童と呼ばれ天才だったという。確かにその片鱗は彼の感性と行動に表れていた。私のように理詰めでやっと物事にたどり着くのではなく、直感一発で本質を見抜く鋭い洞察力を持っていた。そしてご多分にもれずロマンティストであった。外見はどちらかというと地味だったが、独特の人間的な表情があった。

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バンドでは歌手を務め、独特のくぐもった声で中音域とアニマシォンというダンスの掛け声を担当していた。自身の曲も、確か2曲あった。弱さをさらけ出すタイプ・・・そして事実、弱かった。職場の人間関係に悩み、トラブルになったことが原因でバンドを辞め、岡山に戻っていた。

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家族の話は聞いたことがなく、どこでどうして暮らしているのかもよくわからなかったが、その後バンドが解散し、20数年が経過する間に、仕事の都合でリーダーが岡山に赴任したことがきっかけで交流が始まった。

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亡くなった当時、河川敷で練習していたというバンドは我々ではない。いわゆる「スピリチュアル系」の文化に交流があって、そのようなイベント、そのような人間関係に身を置いていたが、やはりご多分にもれず一通りのものには手を出して自身を顧みなかったため、やがて身を持ち崩し、ついには健康も定かではなくなっていた。

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岡山の音楽シーンでも、やはり好き嫌いがあって、まあ色々と噂が立っていたらしいのだが、リーダーがこのままではせっかく我々と一緒に活動した彼がくすんだまま潰れてしまうと危惧して、ちょうどFandangoの30周年記念イベントに呼ばれたのをきっかけに、彼をギタリストとして鍛え直してバンドを再結成するという、当時の我々からすると、とても実現不可能としか思われなかった難行に着手することになった。

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事実それは困難な道のりだった。何しろろくにギターを弾いたことはなく、チューニングもおぼつかなかったからだ。しかし持ち前の感性は見事に開花して、これまで在籍したどのギタリストにも出せなかった音色とフレーズで、カーリーの音楽を蘇らせることに成功した。化けた、のである。もちろん、実際に音楽を演奏する具体的な場面ではトラブルを連発した。しかしまあそれは、かならずファンの前でしか演奏しないというマネージメント側のコントロールでなんとか乗り切った。

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そして十三Fandangoのラスト・イベントでの演奏で、ダンサーも交えた往年のスペクタクル・ショウ的な演出の足がかりをつかみ、これを発展させて、我々にしかできないダンス。ミュージックのあり方を創造しようという具体的なリハーサルを固めつつあった矢先の訃報だった。・・・いまだに心は虚無である。喪失感はあまりにも大きい・・・川に佇んで彼の死を悼んだ後、リーダーと私は、彼が出没していた場所を巡った。くしくもそこは私の本家のあるまさにその場所でもあった。そしてよく自然との合体を目論んでイベントをやっていた山にも登った。そのあとリーダーの部屋で酒を飲んで彼の話をたくさんした。

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・・・これで日常に戻ろう・・・翌日、私はいろいろの場所を回って夏の観光気分を味わい、心にけじめをつけることにした。友達が死ぬといつも思う。彼らには、もうこのような景色を見ることはできないのだと・・・それがなんとも理不尽な思いがして仕方がないのだ。

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20190819 メンバーの死を悼む

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メンバーの死を悼む。天涯孤独と言われていたが、ようやく遠縁に当たる人が引き取り手として見つかり、葬儀その他は彼らの手で行われることになった。その希望により、我々友人たちはそれらに関わることができないので、リーダーと共に彼が亡くなった場所へ行ってみた。

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河川敷にある大きな堰である。周辺は広く、国道から容易に入ることができ、自由に駐車もできる。台風の過ぎた翌日だったが、そんなに増水している感じではなかった。堰の下流に、ちょっとした石造りの出っ張りがあって、おそらくここで練習していたのであろう。未明にみんな車に戻って仮眠を取っていた間に、何度か小用に立ったとき、斜面で足を滑らせて落ちたか、斜面は草に覆われているが、結構急である。

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報道では「堰から20m下流」とあったので、大体その辺に佇んでしばらく時を過ごした。体が健康であれば、たとえ落ちたとしても溺れることなく這い上がったであろう。ミュージシャンの多くがそうであるように、彼も理想をイメージとして追い求めるあまり、現実の肉体をほとんど顧みなかった。もろいもんである。いつかはこうなると、誰もが予感していたはずだ。本人も分かっていただろうが既に気力を失っていた。

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もともと「カーリー・ショッケール」の再結成は、次々と死んでゆくメンバーを見て、道半ばで活動を中断させられた我々のとった最後のあがきであり、同じ道を死へと突き進む彼をなんとか更生させたいという思いで始めたことだった。しかしそれがこんなに唐突に、その彼自身の死をもって終わることになるとは・・・なんともやり切れない思いである。こうして我々は、三人のメンバーを失い、二人のギタリストを潰した。手足をもがれ、満身創痍の我々だが、それでも不死鳥のように蘇ることを誓って現場を後にした。

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