The Roots: Things Fall Apart (CD, MCA Records, MCAD-11830/ Limited Edition, Ace Cover, 1999, US)
Act Won (Things Fall Apart)
Table Of Contents (Parts 1 & 2)
The Next Movement
Step Into The Realm
The Spark
Dynamite!
Without A Doubt
Double Trouble
Act Too (The Love Of My Life)
100% Dundee
Diedre Vs. Dice
Adrenaline!
3rd Acts: ? Vs. Scratch 2... Electric Boogaloo
You Got Me
Don't See Us
The Return To Innocence Lost
Untitled (blank)
https://www.youtube.com/watch?v=MJCHeEQV454
D'Angelo、Erykah Baduと聞いて、その周辺のNew Classic Soul、Hip HopやRapをたどるなかで、The Rootsという「バンド」に惹きつけられることになった。「バンド」と「」付きにしたのは、実は彼らはRapグループなのだが、おそらく世界唯一、サンプリングやプログラミングに頼らず、楽器演奏をするバンドだからである。Hip HopやRapが、なぜ既存の音源をサンプリングしてベース・トラックにするようになったかというと、要するに貧乏だったからであるが、その貧乏を生み出した状況について、社会や仕組みの不当性から、自分自身が変えられない要素、例えば肌の色や故郷の喪失などによって、苦しい状況に置かれることを余儀なくされていること、それを言葉にするには、個人的でストレートなメッセージ性を得る必要があると認識されたからである。状況の変化が早く、バンド演奏を醸成している時間がないことと、バンド演奏だと、それぞれの情感に応じた音が空間的に出せるかどうかが不透明で、ミュージシャンの肉体的整合性に依拠せざるをえなくなる、つまりメッセージの切っ先が鈍るからである。Hip HopやRapというのはそういう「音楽」である。これも「」付きにしたのは、私は未だ、そういう意味では純粋に奏でられたものでないと音楽として認めたくない気持ちがどこかに残っているからである。だから例えばReggaeがRoots Rockの時代からDance Hallへと進化し、バック・バンドが「奏でる」ことよりもDJのバック・トラックの役割しか果たさなくなったこと、ひいてはサンプリングやスクラッチ、あるいはプログラミングによるバック・トラックが主流になっていったこと、要するに日本で言うところの「クラブ・シーン」に、一抹の寂しさを覚える。なぜかというと、私はヴォーカルであれ器楽合奏であれ、全ての演唱が有機的に結合して一つの音楽が成立している状態に、より一層感動するからである。いわゆる打ち込みやループなど、その場で合わされたものでないバック・トラック上での演唱は、どうしても両者の間にタイム・ラグが生じる。それがいかに微々たるものであっても違和感が出る。楽曲が良ければ良いほど、それを最大限に表現しようとして、コンポーザーは不確定要素を排除したい気持ちは理解できるのだが、それだけにこの違和感があると失望が大きいのである。だから文化としては理解しているものの、私個人の趣味としては、これらのジャンルには深入りしなかった。それだけに、The Rootsの演奏を最初に聞いたときは衝撃だった。1993年のデビュー・アルバムからトラックに通し番号か振られており、私はアルバム3作目から数枚持っている。ここに紹介するのは、そのなかで最もメロディアスなトラックの多い、音楽的に聴きやすいものである。オリジナルが出た直後に並行して発売された5種類のジャケット違いのうちの一つである。おそらくは銃撃された人の手に握られたスペードのエース、衝撃的な写真である。インナー・スリーブにはメンバーの表情とともに、各トラックの来歴やコンセプトが延々と綴られている。内容は、かなり難解な英語で意味するところのわからない部分が多いが、拾い読みでも十分伝わってくる。どうにもかける言葉の見当たらない絶望的な気分になる。その気分を共有することによって、明日を生き抜こうという気持ちになる。ちなみに最後のトラックは無音。