2020年04月30日

20200430 畑の観察

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菜の花が終わって種ができはじめる頃、葉は急速に落ちていくので取れるだけ取る。大根の花が終わったら、夏野菜ができはじめるまで端境期に入るので、タマネギやニンニクの葉、それもなくなれば土手の草を料理して食べる。それが硬くなる頃に、ぼちぼちキュウリや春蒔きの野菜の若葉、場合によっては葉を常食しないシシトウやピーマン、エンドウの葉なども食べることができる。百姓をしていれば、贅沢さえ言わなければ食う物に困ることはない。今シーズンの小さな畑では、青ネギの花が咲いて、一部種ができかけている。それに続くタマネギも根が太りはじめ、種取り用に植えたアカタマネギに葱坊主ができている。これから種を取って秋に種まきをして来年の梅雨入り頃に収穫する。ニンニクも順調。畝は変わって、手前から一寸空豆と、意外に白い花のついた赤空豆、その奥はどんどん蔓を伸ばすウスイエンドウ。メイクイーンは先日来の霜でおそらく全滅。
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20200430 醪と霉豆瓣

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醤油を絞った残り粕を乾かして粉砕し、調味料にする。塩の代わりに使うと非常にコクのある風味が立つ。自家製ソラマメの麹を乾かして、高度白酒と塩、ごま油を加えて一ヶ月寝かせて「霉豆瓣」を作る。網をかけてあるのは、本来は密封せずに屋外に放置するからである。しかしこれから雨の季節になるので、代替手段として網をかぶせて軽く蓋を乗せ、スチロールの箱で遮光して養生してみる。この方法でうまくいけば良いが・・・

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20200420 しゃのあ出産

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昨年10月にうちの前を通りかかった時はこんなにちっぽけだった黒猫の「しゃのあ」・・・初めは噛んだり引っ掻いたりという愛情表現に手加減がなかったのだが、やがて私の指を噛む時も、飛びかかってくる時も手加減できるようになって懐き、かわいいかわいいと思っているうちに、

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「そんなブサイクなおっさんやめとき」というようなオス猫を連れてきて、そいつが私を見ても逃げないばかりか、じっと脚を揃えて私を見つめているので、年頃の娘を持った父親の気分だなと思っていたら、みるみるうちにお腹が大きくなって食べる量も激増し、要求もエスカレートしてこれはこれはと思っていたら、先日ちょっと昼寝のためにベッドに横になったら、天井裏から「ミョオオオン」と低い声で私を呼ぶのだ。「どうした ??」と声をかけたら何度も低い不安げな声で返事をする。

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いよいよかと思ってここで安心して産んでもらえるように居場所を整えてやり、降りてくるように促したのだが、不安げに啼きながらそわそわして、その場所へは興味がないらしく、少し遠ざかっては私の方を振り返り、また不安げに啼く。「ついてきて」という風だったのでついていくと、私をあちこちの隠れ家に案内するように巡る。その度に低い声で鳴いて私を見る。「うちでええやんか」と声をかけるも、また私を導いて道を渡る。彼女の縄張りなのかもしれないが、その先は他人の家なので私が躊躇していると、何度も何度も私を振り返りながら、やがてその家の使われていない物置の陰に消えていった。もうかなり辛そうだったので、おそらく破水も近かったのではないか、

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その日から三日間、彼女は姿を見せなかった。先ほど畑へ出てみると、なんとその畔に彼女はいた。久しぶりなので声をかけると走り寄ってきて、いつもの高い声で啼く。お腹を見ると、もう普通の大きさだ。乳首が大きく膨らんでいる。どこに子供がいるのかわからなかったが、おそらく栄養補給に出たものであろう。こんなこともあるかと思って、実は今日外出した帰りに鯛の切り身をお祝いに買っておいたのだ。「ごちそうがあるからおいで」と促すと機嫌よくついてきた。いつもならその場でバリバリ音を立てて食べるものを、彼女はすっと咥えて出ていった。その足取りは確かだった。行くところがあるのだ。無事な姿を見られただけで十分、あとは追わずに仕事に戻る。

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20200430 愛車カリーナちゃん最後?の車検

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愛車カリーナちゃん最後 (になるかも) の車検UP !! 1986年登録、車齢34年、累積走行距離66万キロ超、市中走行燃費25km/ℓ超、高速走行燃費約35km/ℓという驚異的なエコ・カー・・・まだまだ快調 !! 長年これを見てくださった工場のみなさまに心からの尊敬と感謝を・・・
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2020年04月28日

20200428 種籾の温湯消毒と浸水

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引き続きまして稲の種籾の浸水であります。今年はタネの意地・・・失礼、維持だけが目的なので微々たる量、選別は去年のうちに粒よりで厳選しておいたので温湯消毒から。60℃の温湯に10分浸け、急冷してそのまま浸水に入る。一日の平均水温 x 日数分の積算で約100℃を目安に温湯に切り替えて催芽し、概ねGW明けくらいに苗代に降ろすことを目指す。苗代は現在準備中の田んぼの一角とし、それまでに表面の代掻きまで持っていくことにする。

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20200428 我试制作霉豆瓣

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 私の中国の友人の皆様にお尋ねしたい。この哀れな日本人は中国の本物の豆板醤を作ろうとしている。そこでまず霉豆瓣を作ってみたのだが、この写真のような状態で正しいのだろうか ? 親愛なる中国の友よ、できれば教えて欲しい。

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我想一下我所有的中国朋友。 个可怜的日本人正试图制作真正的中国「豆板醤」。 因此,我首先尝试制作「霉豆瓣」,但是在此片所示的状下正确亲爱的中国朋友,我是否可以。

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前に仕込んだソラマメ麹の乾燥が仕上がった。結論から言うと、あまり自分のイメージしていたものと異なる。まず上の段左のものは中国産ソラマメを煎っただけの市販品「はじき豆」である。これは水に浸して皮をむいて蒸して菌づけして養生したものを乾燥するまで干したものである。吐き気をもよおしそうな悪臭がするので多分失敗だ。原因は、おそらく蒸し時間が長すぎてやわらかくなり、麹菌の養生中の水分が多すぎて雑菌が繁殖したものと思われる。その右は鳥取産アカソラマメの皮をむかずに蒸して以下同左である。蒸し以降の工程は同じだが、皮をむかなかったので内容物が保持され腐敗を免れたと思われる。その右は先日絞り終えた醤油の醪の搾りかすである。原料は大豆なので、出来上がったものは豆板醤とは言えないのだが、試しに同じ工程でやってみようと思う。その下は自家製ソラマメを煎って皮をむいて蒸したものに菌づけをし、先日出麹としたものである。上二つの反省から蒸し時間を短縮してやや硬めで切り上げ、発酵促進剤として小麦粉を薄くまぶして菌づけしたものである。もう少し緑色が強く粉まみれになるかと期待したが、やや硬すぎたものと思われる。ちょうど両者の中間くらいの蒸し加減が適当か・・・これは醪とともにカラカラになるまで乾燥させる。醪は粉末にして調味料に、ソラマメは、試作「霉豆瓣(Méi dòubàn)」第一号として慎重に仕上げる。上の三品は作業を先に進める。この先の工程については全く諸説紛々である。いずれも一貫して最初から最後まで説明されていないか矛盾や不明点が含まれる。仕方がないので写真付きで最も親しみやすい複数の資料から矛盾のない程度のレシピを割り出して仮説としてみる。「霉豆瓣」500gを水洗いして、塩150g・高度白酒250cc・ごま油125gに一ヶ月漬ける。「はじき豆」のものは崩壊流失の恐れがあるので水洗はやめておく。醪の分はすでに塩分を十分含んでいるので加塩しない。とりあえずここまでやってみて様子を見る。

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2020年04月27日

20200427  田んぼの用意

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 田んぼの用意・・・とは言っても今年は箱庭みたいな小さい田んぼなので、ちょいちょいと鍬先仕事で完了。

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2020年04月20日

20200420 不要不急の外出x4

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 先日、不要不急の外出・・・でも4つまとめて片付けたら許してもらえるやろか・・・その1: 神戸ムスリムモスク前のハラル食材店にて冷凍羊肉購入。その2: 神戸南京町にて豆板醤の仕込み材料購入・・・南京町全体がほぼ閉店する中、地元の中国人御用達の食料品店も閉店・・・なのだが、そこはそれ文字通り勝手知ったるなんとやらで直接電話して裏口で手渡し・・・前回このような手を使ったのは1993年の記録的な不作による米騒動の時で、それまで米は「一粒たりとも輸入しない」という方針で日本でインディカ米は全く食べられなかったのだが、この時それはもろくも崩れてまずタイ米が輸入された。しかし大多数の日本人は不評で、当初タイ米と日本米の抱き合わせ販売、のちに出荷時にブレンドして販売されたのだが、なにごとも混ぜて良いものと悪いものがあって、廃棄されたタイ米があちこちのドブ川で悪臭を放つ光景が見られたものである。私はタイ米が欲しかったのだが、ほとんど日本米と混ぜられてしまっていたので単独では手に入らず、兼ねてから懇意であったこの食料品店に相談したところ、表立っては売れないから・・・と言って裏口で取引したのだ。そんなことを懐かしく思い出す。そこで必要な材料を揃えて西宮へ走り、その3: 愛車カリーナちゃんを車検に出す。これまで長年この古い車を見てくださっていた工場も来月で廃業される。したがって、引き続きこれを見てくれる工場が見つからなければカリーナちゃんもあと一年の命。それにしても、もと日産レーシング・チームのエンジニアであった一流の技術者に、こんなポンコツのオイル交換していただくのも心苦しい限りであった。代車に乗り換えて、その4: 不要不急のヘア・カットへ15時滑り込みセーフ・・・ずっと引きこもっていたので、なかなか爽快に走り回った一日であったことよ・・・

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2020年04月19日

20200419 Proensa: Paul Hillier

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 「引きこもりの美学」・・・実験的という観点から見れば、このアルバムは、もはや古楽というより現代音楽に近い。さすがECM、Manfred Eicherが仕掛けたんかPaul Hillierが持ち込んだんか書いてないけど、ものすごく良い。出典は、先にも出たGuillaume d’AquitaineやBernart de Ventadornなど、11-13世紀に活躍した吟遊詩人の曲ばかり。リュート、サルテリー、ハープ、ヴィエールという素朴な弦楽器の、なんと即興演奏がつけられている。この手の実験的な音楽は、まったく往々にしてつまらん駄作に落ちてしまうものだが、そこは楽曲の良さ、押しも押されもせぬHilliered Ensembleの指導者、ECMジャズの創設者、そしてStephen Stubbs, Andrew Lawrence-King, Erin Headley ‎という古楽の名演奏家たち・・・しかも一曲目が「本当のからっぽについて」という例のアキテーヌ公が書いた、男なんてものは取るに足りない存在だとつくづく思い知らされるような詩を、大真面目に朗々と朗読するところから始まる。ハープが飛び散る・・・闇が唸る・・・こういうことを名演奏家たちが堂々と大真面目にやってくれるところが懐深い。本来、音楽は作って演奏して楽しむもの。ヨーロッパでは10世紀頃から、教会での典礼用の聖歌集以外にも、音楽を書き留めたものや、それらを筆写した歌集のようなものが散見されはじめる。そこに共通の歌詞やメロディ、作曲者名が見出されるようになるが、これらの特徴は、定旋律定型文の聖歌とは違って、全く自由で、中には取るに足りないありふれた内容の歌詞が多く残されていることである。これは、ずっと昔からこのような民衆の歌が存在していて、それが文書に現れてきたものと見ることができる。現代の多くの演奏家は、これらの文献を研究して実際の演奏に具体化するのだが、ほとんど歌のメロディしか残されておらず。リズムもはっきりしないので、仕上がった音楽の大部分は想像の賜物である。しかしその旋律の動きに一定の法則が見られることから、そこに和声の存在、おそらく音遊びや偶発的に生じた効果などを弄んだものが定式化したと思われるものがあって、それは合唱だけでなく、器楽伴奏として著された時に魅力的な特徴を発揮する。また、その頃までは教会の権威が絶対的に強く、音楽は民衆が聞くためのものというより、信仰のため、神のために捧げるという性格が強かったが、典礼音楽としてのグレゴリオ聖歌も、聖務日課によって様々なバリエイションを要し、また布教にも民衆に寄り添う必要があって、その題材に民衆の歌やその旋法を取り入れた形跡がある。例えば聖母マリアの純潔性を歌いながら、それを現実の処女を賛美する内容にすり替えて楽しんだものが、逆に教会音楽の歌詞の中に散見されるなどである。このように13世紀頃までのヨーロッパ音楽は聖なるものへの指向性が強く、超現実的な響きを持ちながらも、その広がりや多様性を民衆の歌が支えるという、一見矛盾した性格を持っている。そして全体としてはシンプルで、神に対する生身の畏怖、異質なものに対する生身の恐怖、ありのままの混沌などが楽曲ににじみ出ているため、独特の感触を持って耳に響くのであろう。そこが、この次の時代に顕著になる、ヨーロッパ的な構成美を主眼とする音楽との大きな違いではなかろうかと思う。その後の合理主義的価値観が当たり前になってから作られた宗教音楽とは、出来がまるで違うのだ。一方の世俗音楽は、ほとんど記録が残されていないものの、中世の教会音楽を聞くとき、より下った時代のものを聞くよりも荘厳な感銘を受けるのは、おそらくそのためだろう。13世紀頃までは、いわゆる「大作曲家」として後世に名を轟かせるような人物は知られていない。作曲者の主体は、主に吟遊詩人であり、これらありふれた民衆の歌を口伝で集め、そこへニュースや珍しい話などさまざまに即興を取り入れて日銭を稼いでいたものと考えられる。彼らの歌は、南仏から北へ流行し、やがてドイツに入り、またイベリアへも渡り、西ヨーロッパ中に流行した。それを支えたのは当時勃興し始めていた騎士団であり、騎士団を支えたのは地方の王侯貴族であった。歌や詩や踊りは人間の根源的な喜びであったけれども、いや、だからこそ、それは時の宗教勢力や政治勢力に利用されて、民衆をコントロールしたり、自己の権力を誇示することに使われた。良い歌を歌い、詩をたしなみ、優雅に踊ることは、騎士道の嗜みの一つと捉えられ、それが王侯貴族の館での社交につながって文化として花開いた。そのような安定したヨーロッパ中世の絶頂期が、だいたい13世紀頃になる。この頃までの音楽を聴くとき、しかしそれはやがて複雑に変容して、豪勢な歌劇や舞踏などに代表される宮廷音楽に発展した。一方、教会音楽は13世紀頃までは単旋律だったが、やがて上のような世俗音楽の荒波をかぶって変容したり、あるいは取り締まられたりしながら入り混じり、複雑に変容し多声音楽へと発展していった。やがて宮廷音楽にメイン・ストリームが移り、作曲家や演奏家は宮廷に庇護されて教会の楽長も務めるという構造が出来上がった。その主流は、宮廷で上演される歌劇や催される舞踏会に用いられる音楽であった。歌や踊りはキリスト教の布教のための寸劇などから発展して、演劇文化としてヨーロッパの音楽の主要な要素となったことは自然である。しかしこのことが、クラシック音楽のすべての歌曲の発声法を支配し、器楽合奏の音感の序列にまで影響を与えてしまったことは否めない。その精神が、神への畏れから、宮廷への阿りに変化していくとともに、ヨーロッパのクラシック音楽は、どうにも鼻持ちならない「臭さ」を身に纏ってしまったような気がしてならない。それはおそらく、その中にいる人には気がつかない自分の体臭のようなもので、外の人間にはなかなか越えられない一線のように思われる。私の場合、その一線が、だいたい西暦1600年ごろにあるようなのだ。古楽のファンが必ずしもクラシック・ファンでないといわれているが、これが関係しているのではないかと思う。

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20200419 Cantigas de Santa Maria

Cantigas de Santa Maria, Des oge mais quer’ eu trobar, CSM 1

 「引きこもりの美学」・・・ピレネー以北に伝わった抒情詩人や吟遊詩人の音楽は、イベリア半島にも影響を及ぼした。特にカスティーリャ王アルフォンソ10世 (Alfonso X, 1221_1284) は、政治家としてはちょっと残念だったようだが知性を愛し、詩作や音楽に通じた。音楽における彼の功績は、「聖母マリアのカンティガ集(Cantigas de Santa Maria」という419曲からなる歌集を完成させたことにある。名前が示す通り聖母マリアを讃える歌が中心だが、古くからの民謡や俗謡など、当時知られていた古今東西の様々な楽曲の断片のほかに彼自身の作曲によるものも含まれていて、楽譜や挿絵とともに、現代に貴重な資料を残している。したがってこれを取り上げた現代の音楽家たちも多く、まさに演奏法が指定されていないからこそ許された多種多様な解釈が花開いて、古楽の楽しみ面目躍如の観がある。その醍醐味は、何と言ってもイベリア風の異国情緒であろう。当時、イスラム勢力からのキリスト教徒による奪還 (レコンキスタ) が進行中であり、二つの大きな文化が合流している。それは使われている弦楽器の響かせ方、打楽器のリズムなどに顕著に表れている。もちろん私の聴いたものはそのうちのごくごくひとかけらであるが、ここで取り上げたアルバムは、その中でもきわめて実験的でありながら、響きが繊細で美しく、全く他に類を見ない独創的なものだと思う。声・ハープ・ダルシマー・打楽器というシンプルな構成で、静かに、彫り深く、研ぎ澄まされた感覚の音世界が広がっている。これより100年くらい後になるが、バルセロナ近郊のモンセラート修道院に伝わる「赤い本」(Llibre Velmell de Monserrat) も、ほぼ同じ時代に広まっていた傾向の曲が集められている。また、ドイツのバイエルン近郊にある修道院から19世紀になって発見された「カルミナ・ブラーナ (Carmina Burana)」も、ほぼ同じ時期に書かれたものとされており、13世紀ごろまでの中世ヨーロッパ音楽を探索する上で、この三つは大きな道しるべとなるであろう。これらに関連するキーワードで探索していけば、キモチノヨイ音楽体験ができるに違いない。その代わり欲を出せばまた一財産くらい飛んでしまうであろうが・・・

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20200419 Thibaut de Champagne

Thibaut de Champagne: Chançon ferai, que talenz m'en est pris

 「引きこもりの美学」・・・中世ヨーロッパのキリスト教会で用いられていた聖歌のほとんど大部分はグレゴリオ聖歌だが、その発祥の紆余曲折や議論については無視したうえで、きわめて乱暴で大雑把にいうと、それは単旋律で詩篇を朗詠し定型句をひたすら繰り返すだけの退屈なものであった。それが退屈であったからこそ、そこにいろいろな工夫が生まれ、異なる要素を取り込んで複雑化することは自然であった。異なる要素とは、地域による差異、民族や宗教、身分などによる差異が挙げられる。当時の多くの人々は文字が読めなかったので、彼らに教義を伝えるにあたって、それをわかりやすく面白おかしく語って聞かせ、やがて演じて見せたことが、のちのバレエやオペラにつながる。その過程で、様々な地域の庶民に広まっていた歌が取り入れられ、また洋の東西を越えて往来する吟遊詩人の影響も取り入れられた。なにごとも、混ざりはじめが面白いのである。熟成された味というものは、好き嫌いが分かれる。そういう意味で、13世紀頃までの古楽はとても面白い。当時はまだ現代用いられている五線譜は存在せず、音の抑揚を記しただけの様々な譜面が断片的に残る。これらのほとんどはリズムが明確でなく、メロディ・ハーモニー・テンポという考え方もない。使う楽器も指定されていないし、そもそもどの音域のものかもわからない。全てが厳密に指定された現代の楽譜音楽とは全く異なるアプローチが必要になる。どんな響きが飛び出してくるか驚かされることが多い。演奏家によるところも多いが、元々の楽曲の良さが今に伝わるものも非常に多い。という点で、きわめて宗教的であり才能の塊であったドイツのHildegard von Bingenと同時代に、フランス南西部大西洋側のイベリア半島に近いアキテーヌ地方 (ボルドーが中心) が大きな役割を演じる。その領主であったアキテーヌ公ギヨーム9世 (Guillaume d’Aquitaine, 1071-1126) は最初の抒情詩人として世俗音楽と当時の典礼劇の即興に影響を与えたと言われ、その孫娘のアリエノール (Aliénor d'Aquitaine, 1122-1204) は自ら芸術を愛し自らも吟遊詩人として活動した。この時代にベルナルト・デ・ヴェンタドルン(Bernart de Ventadorn (1130?-1200?) など中世を代表する作曲家が多く庇護されて世に出ている。この後、彼女は姻戚関係からフランス王妃、さらにイングランド王妃にまでなり、このときイングランドはフランスの半分を領有して、のちの百年戦争、薔薇戦争へとつながることになる。これによって吟遊詩人の芸術が北フランスに伝わり、当時勃興しつつあった騎士団すなわち武装勢力と結びついて、ルネサンス期の宮廷音楽に代表されるフランス音楽文化の基礎となる。ただ、そっち方面へ行くとだんだん「クラシック臭く」なるので私は関心がない。そうなるずっと前、アリエノールが亡くなる数年前にフランス北東部に生まれたシャンパーニュ伯ティボー4世、Thibaut de Champagne (1201-1253) も姻戚関係によって、アキテーヌ地方の南西、ピレネー山脈を隔てる形で隣接するナバラ王国のテオバルド1世となるが、彼自身も吟遊詩人であり、この時代にしては珍しくその作品が多く残されていて、旋律のつけられたものもある。この後、14世紀に入ると少しずつ音楽の性格が変わってくる。教会音楽から派生して、自由な施策と作曲が出始め、それが熟成しつつある安定期として、これらの土地や人物を追うのもまた一興と思われ・・・

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20200419 Hildegardt von Bingen

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 「引きこもりの美学」・・・6年分録り貯めた「NHK古楽の楽しみ」の音源から選んだ私のベスト古楽10選。放送でかかったものから選んだものなので、全ての古楽録音をベースにしたものではない。選んだものが名演なのかどうかというより、全くの独断と偏見で、時代順に並べることにする。

 先にも書いたが、私は「クラシックくさい」ものが嫌いである。そこで一気に1600年以前に飛んでしまったのだが、とはいえグレゴリオ聖歌はあまりにも宗教的すぎて、もう少し人間的な匂いのするものから・・・ということで Hildegardt von Bingen (1098-1179) の最も好きなテイク、演奏しているのはBingenの研究に一生を捧げていると言っても過言のない愛が熱く伝わってくるSequentia (1977- ) 古楽の好きな人には常道の選択なので、興味のある人は詳細データについてはインターネットに譲る。とにかくこの音空間の異様さ、この強烈な匂いと不毛と安らぎ・・・反復がもたらす精神的高揚・・・これですわ。Sequentiaさんすんません合唱より器楽合奏の方が好きなもんで・・・

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20200419 皆川龍夫先生逝去

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小泉文夫・中村とうよう・竹内勉・阿木譲・皆川達夫・・・違うんだ。何もかもが違いすぎる。掴み方が違う、というか、掴む手の大きさが、もともと全く違う。彼らにかかっては、自分の研究素材が、すでに手の中にあって、「ゆっくり料理したるから待っとれ」て感じだ。対象にかじりついて一個一個・・・なんて小さくないんだ。全然違う。ぶっちぎりのスピードに圧倒される。そんな次元の違う最後の人が亡くなってしまったね・・・

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2020年04月12日

20200412 また潰されるぞ

 自宅で中国語を勉強していたら、さきほど村の「仲介者」が来て、一昨日の日曜日に村の主だった顔役が集まったという。文書回覧で決済した自治会総会の議題以外の村の課題を話し合ったようだ。かねてから顔役たちを悩ませているのが、ご多聞に漏れず移住促進と空家空農地解消の問題である。昨年度も集落で1世帯、自治会全体では8世帯もの欠落が出て、それだけの空家と耕作放棄地が増えることになる。市では、特にA町が移住者の受け入れに積極的で、若い人と地域を巻き込んだ盛り上がりを見せている。B町も、緩やかな地形を利用して里山風情を押し出したキャンペーンを始めている。C町は大型商業施設に隣接する敷地に新しく「道の駅」をオープンさせて繁盛している。そしてわが町は、他の町にない鉄道や高速道があって、都心との交通アクセスが最も便利な本格的農村なのだから、いくらでも活性化できるはずだが、第一種農地の大半を抱える地主の多くが互いに反目していて方向性が出せない。市や周囲の町や連合自治会からの圧力は年々強まるばかり、町民としても周囲の賑わいが羨ましくもあり、村が活性化することには賛成だが・・・と、その先が出ないのだ。私を含めて、ここ10年ほどで新規就農目的地区へ移住してきたのは10世帯をくだらないが、残ったのは結局私だけ。しかし、その唯一の存在をすら排除しようとする姿勢は変わらない。「だれかもっといい人が来てくれたら・・・」というのが本音らしいのだが、仲介者も呆れて「そんな自分らの都合のええようにばっかり行くかいや・・・」とは心の中で思ったらしい。

 さて、いよいよ食品流通の現場崩壊が現実味を増してきた。以前から仲介者に、昨今の状況から村の禁を犯して今シーズン田畑の作付けをやろうかと打診していたのだが、とりあえず総会の様子を見極めてから、ということにしてあった。今日はその結果、というか雲行きを受けて、互いの意思の確認をしに来たというわけだ。田畑の準備は今ならまだ間に合う。村の雲行きとやらが、この非常事態を感知して幾分かでも寛容な雰囲気に向かっているのであれば、仲介者に取り繕ってもらって今シーズン再開に持ち込みたいところだが、温度差は絶望的だ。彼らは非常事態を都市部だけのものと考えていて、我々には関係ない、我々は大丈夫、という根拠のない安心感を持っている。総会がこういう形になったのも、要するに「集まっちゃいかんと言われたからやむなく従った」だけのことで、むしろそれは彼らにとって都合が良かったのだ。そんなわけで、幾つかの懸案も全て既定路線、とりあえず現状維持で確認されたとのこと。「やめとけ。今ヤッたらまた潰されるぞ」・・・やれやれ、終わっとるね。なにしろ「売らない、貸さない、使わせない」の三原則がモットーやった村やからね。私もこの村で生きていかんならんから、二転三転したけどやっぱり今年は耕作放棄。

 さて、なぜ私がこの村にこだわるかというと、ただカネがないから動けんだけのことなんやが、このような構図は日本全国共通だと思うからである。自分だけ特別扱いされてどこかの山奥などに引っ込み、そこで何不自由のない自給自足をして暮らすなど、問題の解決にならん。そんな生活は、いつかはもろくも破綻する。今の日本社会がそうなってはいないからである。だからこの場で問題を解決できない限り、持続可能な生活を提言することはできない。バイトについても同じである。自給経済と日本経済をつなぐ細いロープが、時給899円、一日4時間のバイトである。私は首の皮一枚でこのロープにぶら下がって行き来しているようなものである。この距離が短くなればなるほど、日本は人間的な国になる。それができないようであれば、この問題の解決にはならない。私は自ら好き好んで退路を遮断してしまった。私の生きる道と目的地ははっきり見えている。あとは、どこまで近づけるか、首の皮がいつまで持つか、だ。

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20200412 うちで踊ろうSalsa Version

やると思った !! さすが早い !! もしできたなら、このあとダンス・パート引っ付けて踊り狂って欲しかった。さて以前からweb上で合奏ができないものかと考えていて、先日アップしたNetduettoを使ったショーロ合奏の試みは、結論から言って失敗に終わった。もちろんわかったことがいっぱいあるので無駄ではなかったし、技術の進歩とともにやがて実現される時が来ると思う。巷に流通している、この手の仮想的な合奏の映像は、実はリアル・タイムで互いの演奏を聴きながら同時に演奏されたものではない。ZOOMのようなweb会議システムを使って、同時にミーティングを開くことは可能だが、インターネット接続の環境、すなわち回線速度の影響で、ある人が発した音が別の人に届くのにコンマ数秒の時間がかかり、それを聞いた人が音を発して別の人に届くまでに同じくらいの時間がかかる。言葉のやり取りでは何の問題も起こらないが、合奏となると全く致命的だ。それを改善しようとYAMAHAが取り組んで試行的に流布したアプリケーションがNetduettoで、これはスピードを稼ぐためにあえて映像をサポートしていない。同時に合奏できる人数を標準で5人までに限定しているが、我々の実験では日本国内でも往復0.1秒のタイム・ラグが出た。これは♩=60で1.5/16くらいずれることを意味していて、実際にやってみると、常に誰か、あるいは複数が付点16分音符1個分、16ビートで一拍半つっこんでるかもたついてる感じだ。先日のセッションでは、何とブラジルからJoāo Lyra大先生もご参加されて恐れ多くもご相伴に預かることになったのだが、ブラジルからだと回線速度の他に接続状況も不安定で音も途切れ、完全にお手上げ状態だった。国内でもタイム・ラグは不安定で、必ず一定の時間遅れるのなら、曲のテンポをその0.1秒なにがしかの倍数に設定すれば、理論的には各自そのずれを見越して早く、あるいは遅く演奏することで合奏は可能なるはずだが、ずれる時間そのものも不安定なので、その場でのコミュニケーションは全く絶望的。ではこのDe la Luzを含め、世に流布する合奏映像がどのように制作されているかというと、ほとんどの場合、一つの音源をもとに厳密にその通りのテンポと尺数で別個に、あるいはオーバー・ダビングして録画録音されたものを、集めてきて編集してある。これをやるには全員楽譜による演奏に精通していて、精密に調整された時間軸のもとに、楽譜の進行と全く同じ演奏ができなければならない。「せーの」でしか演奏を始められない我々には到底無理、いかなYAMAHAの技術力をもってしても、現時点でweb上の合奏は無理と結論づけるに至りました。

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2020年04月06日

20200406 引きこもってるから体重増えた

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お嫁に行かれへんようになる・・・
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20200406 去年の花見て花見た気分

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 今のバイトはひょんなことから始めて早10年・・・いまや私の生活の一部であり、ブラック企業とは言え、この仕事に誇りを持っている。感染症との「闘い」を戦争になぞらえたくはないが、医療機関が最前線だとすると、食品スーパーは、いわば「兵站」・・・しかも、徐々に戦闘地域に巻き込まれつつある。南スーダンに派遣された自衛隊員のような心境だ。

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 食品の供給は安定していると政府はいうが、米・スパゲティ・パスタソース・袋物ラーメン5pなどは、ここ1週間ほど品切れ状態で入荷もない。配送トラックのにいちゃん曰くセンターにも在庫はない。他にも多々欠品があるので品揃えは歯抜けになっているものの、最低限の食材の確保はできる。ただ自炊できない人は辛いだろうな・・・

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 非常事態宣言が出されて食品スーパーは軒並み営業時間短縮、歩調を合わせるようにバイト先も閉店時刻を一時間早めた。余った一時間をどうするのかと思っていたら、なんと仕事が片付き次第帰って良いという・・・違うだろ !! 「俺は契約時刻まで残って商品を全部アルコールで拭くで」と言うたら「またアイツ・・・」と白い視線が矢のように背中に突き刺さる。それがいかに突飛で極端な行動かはわかってる。しかし今はやるべき時。

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 同調圧力・・・子供の頃、昼前の授業の終わりしな、先生が「なにか質問はあるか ??」と訊く。しかし、みんな腹が減っていて一刻も早く弁当を広げたい。質問したいのにできない、その周りからの強烈な圧力・・・それを突き破って、俺はよく質問したものだ・・・舌打ちして帰って行く他のバイトを横目に、あきらかにありがた迷惑顔の店長と、たまたま仕事が片付かずにその場に居合わせてしまった社員の数人で作業に取り掛かる。

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 コロナ・ウィルスはプラスチックやラップ・フィルムの表面で三日間は生き続ける可能性がある。不特定多数の人が何度も触って棚に戻す。スーバー・マーケットという販売形式は、接触感染の現場である。感染を少しでも防ぐために商品の表面を消毒する。しかも店内の商品全部だ。効率よくやれば、一人一時間で通路二本の商品を拭ける。常温商品の陳列棚は10本の通路の両側にあるから、5人いればなんとか終わる。終わらなくても、やればやっただけ、感染リスクは下がる。

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 まず手とカートを消毒して、そこには拭いた後の清潔な商品しか置かない。明確に分けること。アルコール・スプレイとクロスを用意しておいて、クロスにスプレイしつつ棚から商品をとって拭いてカートに置く。ひとつの商品が終わったら、棚も拭いて商品を戻す・・・この繰り返し。特に難しくはない。しかし「俺がなんでこんなこと・・・」という明らかなオーラが漂ってくる。

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 おまえらなあ、桜の下でバーベキューなんかしやがって、非常事態に打ち勝つやとか、コロナに打ち勝つやとか、そんなとこで精神論振り回すくらいやったら、その意気込みで商品拭かんかい。精神論使うんは今やろ。ほんまにあかんねえ、おわっとるね。日本のれっきとした一部上場企業やでアンタラ・・・ダメアルネ、ニホンジン、ソンナコトシトッタラ、ホンマニホンマニ、ニホンダメアルヨ。ヤラレルヨ。

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 翌日、流石に本社から人が来て通達していった。「ショッピング・カートとカゴを拭け」・・・おお、確かにそうやそっちが先や、感心感心と思とったら、一時間早よ閉めたんやから作業も一時間浮くはずやとぬかしよる。これやから現場離れた人間は嫌なんや。営業は一時間早く終わってもそれまで散らかし続けたもの片付けるには一定の時間がかかる。趣旨に賛同するから協力はするが、丸々一時間は無理やと言うたら、「やかましい。言われた通りにやったらええんや」「ほな、やり残しが出るで」本社でだいぶネジ巻かれて来たんやろ、やたら高圧的態度や。無視して (これがいかんのよね} 自分の持ち場手早く片付けてから作業に合流しようとして唖然とした。

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 バイトのおばちゃんとかみんなおののいてしもてカゴやカードぐちゃぐちゃにしとる。「これ拭いたやつ ??」「いや、まだ・・・」「ほなこれは ??」「あ・・それアタシ拭いた」「えっ、これ今から拭くやつやねんで・・・」「ほなこれは ??」・・・もうあかんこいつら。本社の社員はもう帰ったらしい。仕切るんやったらちゃんと仕切っていけよ、拭いたやつはこの線よりこっち、まだのやつはこっち・・・結局、みんなでバラバラに作業して散らかしたからどれが拭いたやつでどれが拭いてへんやつかわからんようになって、全部やり直し・・・みんな慌ててるばっかりでちっとも作業進んでへん・・・店長と社員は本社の言いつけで別の仕事させられてその場に不在・・・岩田教授の気持ちわかるよ、ここはクルーズ船か ?? どうせまたこれで俺たたかれるんやろ、もうええねん感染拡大の防止に寄与したんや、一つ拭いたら冥土に功徳積んだと思たらええねん。言うてる間にここも戦闘地域に入るで、実弾飛んでくるんやでわかってる君ら ??

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 解決策としては、売場通路の中央に客が通って良い範囲をロープで区切って、客は商品に直接触れてはいけないことにする。売り場の棚の一定の範囲ごとにスタッフを1名ずつ配置して、客の指差した商品をとって客に見せ、それでよければ手渡す。客は一度受け取った商品を勝手に戻してはいけない。戻す場合はスタッフに声をかける。スタッフはそれを消毒してから売り場に戻す。こうすれば、感染リスクはかなり抑えられる。しかし人員の手配が間に合わないから、売り場を大幅に縮小する必要がある。生活必需品に絞り込めば、あるいは可能かもしれない・・・けどそんな英断コイツラニハムリアルネ、アンタラ・・・ナサケナイニダ、ニホンジン、ソンナコトイウトッタラ、ホンマニホンマニ、ヤラレルヨ。

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20200404 東京一日の感染者100人超え 新型コロナウィルス (2020.04.20追記)

20200407 緊急事態宣言発令 新型コロナウィルス (2020.04.20追記)

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2020年04月05日

20200405 まいにち中国語

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 NHKラジオで地味に中国語を勉強している。実にこの数ヶ月ほど、中国の人たちを身近に感じたことはない。中国や韓国や北朝鮮は日本の隣国なのに、私はその言葉を全く知らず、地球の反対側の言葉をいくつか知っているのをなんとかしたいと前々から思っていた。4月になったのを良い機会と思って、書店でNHKの中国語テキストを探してみたが、どこも品切れ。訊くと、なぜか中国語のテキストだけがよく売れて品切れが続いているとのこと。やはり同じ思いの人が多いようだ。ネットで注文したテキストが先日届いた。NHKラジオの聞き逃しサービスと日曜日の再放送で後追いし、来週には生放送に追いつけそうだ。中国語・・・2017年に旅をしたが、そもそもローマ字表記と中国語の発音は全く異なるのだ。それを知らずにローマ字読みしていたので、私の片言は片言ですらなかった。英語のできる中国人がいなければ手取り足取りだったが、それでも彼らは優しかった。寛容、というか、大陸的におおらかだった。何もかもが、桁違いにでかくて多い。その彼らの使う言語だ。漢字を中国から借りてきて、それだけでは使えないからひらがなやカタカナを織り交ぜて、それでも足りない音には濁点や半濁点・・・混沌を極める日本語とは全く違う。もっと凄まじい秩序と混沌だ。濁音がない代わりに、なんとすさまじい種類の子音と変調・・・もちろん四声も・・・こんな言語、独学など無謀だ。私は他言語を学ぶとき、どうしても文法から入らなければ気が済まないのだが、中国語に関してはお手上げだ。諦めた。NHK中国語講座が、「あまり気にせず、とにかく一緒に発音しましょう」と言うので信じるしかない。13億の中国人民、世界人口の1/5が使う主要言語だ。日本人にも話者は多い。信じて地味に進むしかなさそうだ。

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20200405 緊急事態宣言を待たずとも

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 緊急事態宣言を待たずとも、この状況で花見宴会はあまりにも非常識である。しかし残念なことに、そして信じがたいことに、私は勇気を持って何度も止めたにも関わらず、バイト先の会社では、今日花見の宴会が催される。感染予防に関するしかつめらしい回覧文書を作成し、読んだ者に押印までさせておきながら、自分たちは桜の名所に陣取ってバーベキューをするのだ。ルールは俺たちが作る、守るのはお前らだ、と言いたげである。

 それを止めようとする者は、残念ながら他に誰もいない。日本の社会人のほとんどは会社員であろうから、先刻ご承知と思う。私が会社員であったのは大学卒業後のほんの3年間だけだったので、組織の中で生きるという経験がない。これは好き勝手に生きてきた者の世間知らずな戯言である。

 ほとんどの場合、カイシャというものはオトコが牛耳っており、従ってボスザル社会である。うちのような小さな会社でも内部にいくつかの派閥があって、それらが小競り合いしつつ、全体のピラミッドが成り立っている。組織の中での個人の評価というものは、その属する派閥の力学に大きく左右され、その上下関係の良好な転換によって上昇し、そうでない場合に失脚する。

 その派閥の重要な催しを成功させることは、自分の地位を高めることにつながる。だから、仮に明日の自分の命や大切な筈の家族が危険にさらされることがあっても、自分自身が自分の持ち場にウィルスを持ち込む危険性を認識しているにも関わらず、その場を離れることができない。逆に上首尾に切り抜けることで、より高い地位に控える可能性が手に入る。そのようにして人生は設計され、上昇を前提に家庭は築かれる。最も忌避されるのは、自分が「興醒めな男」と評価されることだ。せっかくの楽しい宴会を中止しようなどと言う勇気のある奴はいない。それどころか、そんなことを言う奴を排除する。ここをクビになったら生きる術がないので食い下がることはしなかったが、返す返すも残念である。

 これが日本という社会であり、日本人が群れて作る会社であり、日本人のいう「和の精神」である。だから不要不急の外出を控えよと言っても徹底されない。個人主義者である筈の識者が個人の自由を制限せよと、いくら訴えても踏み切れない。その切っ先の鈍さの積み重ねが緊急事態宣言を今日まで遅らせた。私は紛れもなく日本国籍を持つ日本人であり、日本社会の一員であり、日本という国を愛しているが、このような総体としてのニホンジンは心から嫌いだ。


 上のチラシ、特定の個人や団体を批判する意図はないし、よく知った仲なので、無駄な感情の行き違いを避けたいから修正したのだが、結局、自由人の集まりである筈の彼らでさえ、義理が通れば道理が引っ込む、言葉は通じない、という点では同じと言わざるを得ない。このようなときに、このようなかたちで露見するとは、全く残念である。

 どうしてもやる、という人を思いとどまらせようと努力された形跡はある。しかし、親しい友人が、手を替え品を替え説得に努めても、頑として態度を変えない人もある。互いの理解が異なる場合、それをひとつひとつ説明しなければならない。一瞬でわかりあえる場合と違って、言葉を、その意味する範囲を確かめながら慎重に選ぶ必要がある。

 意味を厳密に定義しようとすればするほど、使われる言葉は難解になりやすい。「感染爆発」を「オーバー・シュート」と言い、「都市封鎖」を「ロック・ダウン」と言う。その言葉遣いに反発を覚える人も多い。「横文字を使うな」と・・・だがね、あんたの歌ってる歌もほとんど横文字じゃないか・・・でもそんなこと言ったらますます彼を追い詰めることになる。

 だからといって、平易な言葉に言い換えると、バカにされたと思って余計に態度を硬化させてしまう。同じ言葉でも互いのイメージするものが違えば、そこに曖昧さが生まれ、難解さを回避するために平明な言葉を使えば、意味の差異が生じる。「わけわからん」と言い捨てて勝手にふるまう。しかし「勝手と自由は違う」と言いかけた理屈を飲み込む。

 音楽の精神は基本的に反骨であることは理解する。周囲が自粛する中で、その同調圧力に屈して自粛したとみなされることは、反骨の精神に背く。そこに重きを置いている人に、今は自粛するのが妥当だから自粛するのだと理解してもらうこと、自分の表現の自由が、誰かに危害を与えることになるかもしれないと理解してもらうことは難しい。それには、自分がすでに感染しているかもしれないと仮定して、その立場に立って考える、すなわち自分からの直接的発信でなく、一段別の位置から考えることが要求されるからだ。

 それほど彼らの不安は強い。感受性が強いから尚更だ。すがるものはなにもない。自分がコブシを振り上げるしかない。おろしてしまうと自分が壊れそうになるのを、最も恐れている。そのことを理解する必要がある。しかし残念ながらその陰で、彼らの思わぬ事態が、情け容赦なく進行する。それを彼らにわからせる方法が、今のところ、ない。


 結局のところ、日本国という運命共同体は世界に一つしかない。そこに乗り合わせてしまった我々は、相反する考えを持った人々の総体がぼんやりと指し示す方向に向かって、ずるずると流されて行かざるを得ない。力つきるまでそれに抗い続け、少しでを舳先を上に向けることを目指すしかない。

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20200405 豆板醤を自分で

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 豆板醤を自分で作ろうと思う。豆板醤は、ソラマメを原料とするが、日本で作り方が紹介されているように、初夏に収穫できる新鮮な緑色のソラマメを使うのではない。「醬」は「味噌」という意味だから発酵食品である。生のソラマメで味噌を作ろうというのは、大豆の元は枝豆だから、枝豆で味噌を作ろうとするようなものである。そんなことをしたらほとんどの場合、生の豆は腐ってしまうだろう。

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 豆板醤の原料は、熟して乾燥したソラマメ、大豆でいうと、枝豆でなくきな粉にする大豆の状態である。ところが、ソラマメの乾燥したものは、日本ではほとんど流通していないので、これを栽培するところから始めなければならない。詳しくは書かないが、ソラマメの種の蒔き時は10月中旬頃である。これを蒔いて、初夏に食べたい欲望をぐっとこらえて、莢が黒くなるまで放置すれば、だいたい正しい原料が収穫できる。

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 そこからの製造方法は、本場中国でも実に多様であるが、一致しているのは、まずは「霉豆瓣」という、乾燥したソラマメ麹を作るところにある。まずこれを作って、それを各種調味料や酒や油で解いて豆板醤になる。中国でも、霉豆瓣の自宅製造は難しいので、市販されているものを使って豆板醤を作るようである。

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 豆板醤の製造方法について、日本語による良い解説をひとつ見つけた。大いに参考になった。

 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1988/87/9/87_9_629/_pdf/-char/en

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 市販の霉豆瓣を使って豆板醤を作る方法

 https://www.xiachufang.com/recipe/100527130/?fbclid=IwAR1DGoYMugBaK_5j1h0sP5kdmhwrEANQ059CgB6CENzj92inF010l8moLoM

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 さてここでは、今回試した霉豆瓣の試作について書こうと思う。豆板醤の元となる霉豆瓣の作り方の最も伝統的な方法は、ソラマメを何らかの方法で脱皮して、自然環境の常在菌のうち麹菌を付着させて豆麹にすることである。ソラマメは非常に硬い皮を持っているので、これを剥くのは大変な苦労である。水につけてふやかしてそのまま剥こうとしても、1kgも剥けば爪が剥がれるであろう。しかしそれを指南する資料もある。あるいはこれを炒って皮を浮かせて剥く。これは簡単であるが、炒ることの是非が問題になる。あるいは乾いたまま挽き割りにして、風に飛ばして皮を取り除く方法もある。ここでは安直に、炒って脱皮する方法を選んだ。

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 https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=霉豆瓣

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 麹付けには、脱皮したソラマメを浸水したものに、そのまま麹を付ける方法と、蒸してから付ける方法がある。また、原料を自然界に放置して常在菌を付ける方法と、あらかじめ用意した麹菌の種を植え付ける方法がある。前者は伝統的な方法だが、環境条件に大きく作用され、時間もかかるし、失敗する可能性が高くなる。場合によっては、有毒な黴を付けてしまうこともある。霉豆瓣の完成品の写真をよく見てみると、これに付いている麹は、私の手持ちの麹と変わりないように見えるので、ここでは、日本の味噌や醤油の仕込みに倣って、原料を蒸して、手持ちの麹菌をつけるやり方をとった。

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 原料は、設備の関係で、先ずは中国産の挽き割り豆と、鳥取産の黒ソラマメの二種類とした。前者は、炒っただけで味付けされていないもの、後者は熟して乾燥したものだが、小さいので皮を剥かずに使ってみた。いずれも一日浸水し、前者は皮を剥いた。これらを指先で潰れる程度に蒸して、手持ちの麹菌を植え付けた。24時間後には全体に繁殖して自己発熱を始めた。これを手入れして、早くも三日目には温度が下がりはじめたのでそこで出麹とした。後者は皮を剥かなかったので豆麹の良い形と良い香りを持っているが、前者は全体が崩れてドロドロになり、納豆臭が少しある。これは行き過ぎかもしれない。

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 指南書によると、出麹を天日に晒して乾燥させよとある。晴れ続きを利用して、とりあえずこれを干してみることにした。

 さて、昨シーズン栽培したソラマメが500gほどあるので、引き続いてこれを炒って皮を剥いて作業を後追いすることにする。さきほどの、剥いたソラマメが崩れてドロドロになったのは、水分が多すぎたからである。米糀を作るときも、浸水した後の水切りが不十分だとこうなる。指南書によると、水分を飛ばす工程は発酵後になっているが、ここでは米糀の製法に倣って、蒸す前に水切りしてみようと思う。その後の工程は、先ほどと同じである。

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 これは、おそらく最も手間のかかる、自然界に浮遊する常在菌をつけようとしたリポートである。

 https://www.xiachufang.com/recipe/103835718/?fbclid=IwAR1uhrVMmrx7l4euayPH8s5jDxnyJdJhyVkJleXa80HaM7TJuAOR0Dx2Vu4

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 一方、この動画は、同じく自然発酵によるものだが、実に驚くべき方法で作っている。季節はおそらく初夏であろう。自然環境も日本とは異なるし、使われている材料もよくわからないので、見た通りにやるわけにはいかない。しかし、脱皮の方法、納豆作りに似た発酵のさせ方など、大変面白い。

 https://v.youku.com/v_show/id_XNDQxNjk0NzU1Ng==.html

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 いずれにせよ、豆板醤は、乾燥したソラマメを運んでいる最中に雨に濡れ、それが発酵しはじめたのを保存しようとしたのがそもそもの始まりという。中国の先人のご苦労と勇気に心からの敬意を表します。

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20200405 クラシック臭さ

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 ようやく録り溜めてきたNHK-FM「古楽の楽しみ」の音源整理を終えた。私はクラシック音楽が苦手である。あの、なんともいえぬ「その世界の音感」が苦手なのだ。それを「クラシック臭さ」と勝手に呼んでいるのだが、それがなんなのか、あんなに「臭い」ものを好む人間が多いのは何故なのか、もともと学校教育からしてあの「臭さ」を撒き散らすのは何故なのか、まあそんなことに興味があったのである。私は1970年代はプログレッシブ・ロックをよく聞いていたのだが、そこからイギリスやヨーロッパのトラッドやフォークへ行くのはすぐだった。その音感はこよなく好きで、やがて中世のヨーロッパの音楽に行き着いた。それは分類上、「クラシック音楽」に属するのだが、情報を得ようとしても、巷には仰ぐべき師匠はいなかった。大抵、バッハ以前の音楽は聴くに値しないという評価だった。全く偶然、あるバンドの練習場所が西宮市の甲東園だったのだが、そこには日本がルネサンスに誇る「ダンスリー・ルネサンス合奏団」があったのだ。師匠はそこにいた。しかしまだ時代はそこまで来ていなかった。若かった私の興味の拡散は広くて激しく、その狭い世界には飽きてしまった。長い長い紆余曲折を経て、ようやく「古楽」というものが見直され、演奏家がたくさんいることに気がついた。全く知らぬ世界である。ラジオはまさに、知らぬ世界へ誘う専門家の貴重な授業であった。日本の音楽界にも、立派な研究者が何人もおられ、早く早く亡くなってしまった民族音楽研究家の小泉文夫大先生をはじめ、なんといってもクラシック界の大御所、皆川達夫大先生の意外な側面も別番組で知った。そのなかでバッハ研究の第一人者であった磯山雅大先生がお亡くなりになったのも知らなかった。その道を極めた人は、単なる専門知識の羅列だけでなく、なぜそこに注目して、なぜその演奏が良いのか、その価値を単刀直入に解いてくれる。もう、聞いていて面白くて面白くて仕方がない。クラシック音楽の歴史が、いかにしてあの「臭さ」が醸成されたか、そしてその「臭み」そのものがクラシック音楽の本質であって、その中に入り込めば、様々な微妙に異なる「臭み」を楽しむことができることもわかった。その「良さげ」なことは理解した。でもやっぱり苦手だということも確認できた。だから、やはり私は「古楽」に向くのである。「古楽の楽しみ」とはいいながら、番組内容のほとんどは「バロック音楽」である。本来「古楽」という言葉は、私の理解では中世からルネサンス前半、作曲家でいえば大バッハ以前のものを指していたはずなのだが、そんなものは年に数回しかかからない。従って大半の録音は破棄した。残されたものを聞き込み、作曲者や演奏家をキーワードに追い求めていって、さらに参考文献まで教えてくれるものだから、便利なインターネットで検索しまくった結果、私は一つの見解を得た。だいたい1600年頃を境にして、ヨーロッパのクラシック音楽は「臭く」なるので、聞くべきはそれ以前、流石にグレゴリオ聖歌では単調にすぎるので、12世紀のHildegard von Bingenあたりから始めて、13世紀の吟遊詩人その他、14世紀に入って行われる様々な技術的な変容・・・その辺りが最も面白い。一つ一つに敬意を払いすぎると、またぞろひと財産イッてしまいそうになるので、申し訳ないがほとんど我慢してmp3、それでもアルバムを通して極めて良い演奏と調べがついたもののうち、日本円に換算して送料込みで\2,000未満のものに泣く泣く限定してCDを購入してしまった。私はメンタルの弱い人間である。CDを処分しようとしているのに増やしてしまったのだ。しかし6年分の日本の古楽会の総力の結晶を聞き込んだ末に厳選したCDがこれだけに絞り込まれたのだから、まあ良しとせんかい。良いアンプで聞くと、耳の常識が吹っ飛ぶほど素晴らしい音世界が広がる。これこそまさに「引きこもりの美学」・・・このような時世、誰に気兼ねすることもなく、よくぞ首にしてくれました、幸せの日々を、どこ吹く桜・・・

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20200405 ようやくケツにCOVID

 ここ数日、バイト先でもようやくコロナ・ウィルスの話が出るようになった。夜のメンバー10人ほどと話したのだが、適切な理解をしていたのは、今年高校を卒業して東京へ行くことになった若者ただ一人だった。彼は就職先から自宅待機を命じられて戻ってきたのである。いつ着任できるかわからないので元のバイト先に戻ってきた。大半は、ただのインフルエンザに大騒ぎしすぎているという受け止め方で、売り場にマスクがないことは、ただ自分が客に叱責される迷惑だけととらえていた。なかにはコロナ・ウィルスなど存在しない、みんなSFの読みすぎじゃないのか、という人までいた。社員になると流石にもう少しまともな返事が返ってくるのだが、それでも数日後に花見バーベキューが企画されてるらしく、それには参加するのである。ロック・ダウンが起こると、食品スーパーは、病院の次にクラスターの発生しやすい現場になる。我々は医療従事者の次に感染の危険にさらされる。どのような対策が取られるべきかは、先達の例によって明らかだが、バイト先でそのような対策が取られるかどうかはわからない。十分な対策が取られない場合、私は休むよ、と宣言した。

20200403 所得減少世帯へ30万円給付案・・・のちに撤回 新型コロナウィルス (2020.04.20追記)

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2020年04月02日

20200402 大量消費がなければ

阪神淡路大震災で避難所にミネラル・ウォーターを運んでいたとき、ふと感じたことがある。この水は、平時に大量に消費されていなければ、今この時に手に入れることはできなかったのではないか、と。私は食品流通業に長く携わっているのでよくわかる。茶が飲みたければ茶葉を水道水で沸かせば良い。しかし現実にはペット・ボトル入りの茶が大量に流通している。その重さ、運ぶコストを思えばこんな無駄なことはない。しかしこの無駄な消費のおかげで、災害時に安全な飲料水を容易に確保できるとしたらどうだろう。私は、世界の経済が今の1/50くらいにならなければ、人間が走るスビードが世界経済に追いつかないのではないかという、漠然とした疑問を持っている。これは必要条件である。しかし充分条件については、全く見当もつかない。その、経済規模が今の1/50になった世界はどういうものなのか、どんな社会が可能なのか、そこにどのくらいの人口が生存しうるのか、そこに至るまでにどんなプロセスを経るのか・・・何不自由のない今の平和な日本で、これは杞憂であろうと思っていた。頭ではその可能性について思慮しながら、本心では遠い空想の産物に違いないと考えていたのだが、もしかしたら、もう目の前に、しかも急転直下、墜落するように、きりもみしながら、人類はそこへ落ちていくのかもしれない。

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2020年04月01日

20200401 Ciaccona

 「引きこもりの美学」・・・私は毎朝NHK-FMの「古楽の楽しみ」という番組で目覚めるのだが、去年の一月に・・・私の耳は別の生き物で、よく番組の興味深いフレーズを聞き分けて私を叩き起こす。今朝は「シャコンヌ、あるいはチャッコーナは、ペルーの卑猥な踊りの音楽に起源を持つ」という衝撃的なフレーズに叩き起こされた・・・と書いた。ここんとこずっと、6年ほど録りためてきた音源の整理をしているのだが、ようやくこの2019.01.25の録音までたどり着いた。改めてその曲を聴きかえす・・・これは・・・ちょっとペルーの都市音楽をかじった人なら歴然とわかる「Festijo」ではないか・・・「Chaccona」をキーワードに、YouTubeでさらに音源を漁ると、出るわ出るわ、イタリアやイベリア半島で流行りまくったというChacconaの復元演奏のかずかず・・・さらに文献にも行き当たり、オンライン翻訳機能を使いながらたどたどしく意味を探っていくと、いわゆる「ハチロク」・・・6/8拍子で踊ることに喜びを感じるようになった始まり、さらにその二小節目の第二拍を最も強く響かせるようになった経緯・・・これすなわち、ブラジルのSambaのスルドゥの強拍が、なぜあれほどSambaにとって重要かという謎の証でもある。クラシック音楽という不慣れな世界で、世界の音楽につながる発見に喜ぶ日々・・・


20200330 志村けんさん死去 新型コロナウィルス (2020.04.20追記)

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20200401 Joseph Sudek

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もう何十年も前、仕事で大和高田の渋滞する道路脇の古本屋のワゴンに、窓越しにこの本を見つけた。Joseph Sudekの作品集は、フランスの写真叢書Photo Pocheで持っていたが、この版の大型なのに驚いて車を止めてその店へ走った。なんと数百円で購入した覚えがある。それは新書サイズで印刷も粗いPhoto Pocheの版とは比べ物にならないほど精緻なものだった。モノクロ写真の暗室作業を志してはいたものの、仕事でなかなかまとまった時間を取れなかったのを、いったん退職して数ヶ月暗室作業に没頭するきっかけを与えてくれた。表紙を飾るこの作品は、ナチス政権下のチェコで、写真家が風景写真の撮影を禁じられるなかで、自らのスタジオの窓から見える風景のみで構成した「スタジオの窓より」という作品集の代表作である。Joseph Sudekは、第一次世界大戦中に出兵した先で負傷して、若くして右腕を失っている。左手一本で、しかも外出の自由を失われながら、いかにしてこれほどの作品を生み出したか・・・つくづくながめ、黒の中の黒、白の中の白。切り立ったエッジに、身を研ぎ澄まされる思いがする。もう何十年も放置した暗室用品、今年はなんとか再開させたいものだ。




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